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つれづれの記

日々の生活での印象

遠かった我が家

2011年05月14日 23時44分26秒 | 日記
2011年5月14日(土) 遠かった我が家 


 3・11の巨大地震から、早いもので、もう2か月が過ぎた。いまも、鮮明に記憶している、あの日の事を、振り返ってみたい。


 3月11日(金)、有楽町に在る某歯科医の、午後3時半の予約に間に合うようにと、2時過ぎに、JR綾瀬駅から、地下鉄千代田線に乗り、日比谷駅へ向かった。 北千住駅を過ぎ、次の町屋駅の手前の、トンネルの中で、電車が、急停車した。車内の照明は、灯いたままである。 地震を検出して自動停車した、との、社内アナウンスだ。3時少し前だったろうか。
 地震で、電車が停まることは、たまにあることだ。少ししたら、こんどは、車両が大きくガタガタ揺れた。電車が動いている時は、地震の揺れは、余り分からないのだが、停車中に来た揺れは、非常によく分かる。電車の中でのこんな大揺れは、初めての経験である。 その後も、かなり大きな揺れが、2~3回あった。今から思うに、本震のP波、S波、と、それに続いた、幾つかの余震が、電車の急停車や、大きい揺れと、どう対応したいたのかは、判然としない。
 地下鉄のトンネルは、構造的に、かなり頑丈に出来ており、安全と聞いている。しかも、車両の中は、更に安全なので、生き埋めになる不安は、感じなかったが、車内の揺れ方からすると、この分では、地上は、かなりの被害では、などと想像した。地下鉄全線で、電車が停まっている、とのアナウンスである。

 20分程だろうか、暫く経過した後、電車は、そろりそろりと、動き出して、町屋駅のホームに入ったので、ほっと一安心。 ホームでは、暫く待てば動くだろう、と思っていたが、車内放送は、“暫くお待ちください” が、だんだんはっきりしなくなり、終には、“安全点検に、数時間はかかる見込みです” となったので、一旦、電車から降りて、駅の外に出て見ることとした。 改札の駅員は、対応に追われていて、てんてこ舞い。自由に通れる状態の改札を通って、階段を上っていく途中で、可なり激しい揺れが来た。 慌てて、太い柱の横に身を寄せ、揺れが治まるまで暫く待って、地上に出た。 

 そこで見た地上の光景は、陽が降り注ぎ、何事も無かったかのように、人が行き来し、車も走っているではないか! 建物などが、かなり、壊れているのでは、と想定していただけに、意外であった。
でも、少し経つと、地下鉄から出てきた人たちなどが、なんとなく、そわそわしている気配が分かってきた。 出口近くの空き地に停めてある、軽トラックのラジオから、ボリューム一杯に、地震情報が流れているのが聞こえてきた。 福島県いわき市の小名浜港からのリポートでは、大きな津波が来ると伝えていた。 暫く、ラジオを聞いていると、他の地域の、地震や津波の情報が、次々と伝えられ、東北地方の太平洋沿岸の広域が、かなり、大変な状況になっていることが、分かって来た。

 ともかく、自宅に居る筈の、家内に電話しなければと、ボックス公衆電話を探したが、見つからない。 駅のもう一つの出口の近くに行ったら、漸く見つかり、外国人らしいご婦人が一人、電話が空くのを待っていただけだった。以前の仕事の関係で、公衆電話は、災害時には、優先的に繋がることは知っていた。 数分後、自分の番になったので、自宅に電話したら、運よく繋がり、家人は無事で、家の中は、かなりの揺れで、落下物もあったものの、大したことではないようで、先ずは一安心である。向こうでも、地震後の、こちらの安否を心配していたところであった。電話が出来たのは、4時過ぎ位だろうか。
 千代田線町屋駅は、よく通る駅だが、降りたことは殆ど無く、この辺りを、車で通ったことも少ないので、地理は不案内で、地図も持ち合わせていない。
町屋駅の地下鉄と都電は、動いていない状況なので、有楽町に出る用事は諦め、ここから、バスを乗り継ぐなどして、兎も角、我が家に帰ろうと決めた。この際、何時も、自宅との間でバスを利用している、隣駅の、北千住駅前を目指すこととした。

 町屋駅前の通りは、都バスが走っているようだ。バスを待っていたら、やって来たバスの経由地表示に、千住桜木 という、知っている地名が見えたので、ともかく、乗り込んだ。車内は、結構、混んでいたが、道路はまだ、それほど混んでいなく、通常の速度である。
 バスの運転手に尋ねたら、乗ったバスは、浅草方面に行くもので、千住桜木は、反対方向と言う。町屋駅前で、道路の反対側を走るバスに乗れば良かったことになるが、後の祭りである。
運転手は、北千住駅前に行きたいのなら、もっと便利な路線があるので、少し行った先で降りて、足立区役所行きのバスに乗り、千住2丁目 で降りよ、と言われた。国道4号線沿いの千住2丁目なら、よく知っており、そこから北千住駅までは、5分も歩けば行ける距離だ。

 運転手に教えられた通りに、浅草の目抜き通りの停留所(浅草公園六区)で下車し、信号を渉って、反対向きの、足立区役所行きを待った。程なく、その都バスがやって来たので、乗ろうとしたら、運が悪く、二人手前で、満員になってしまった。そのバスの運転手から、すぐ次のバスが、見えているので、それに乗れ、と言われた。疑うことなく、そのバスに乗ったのだが、乗ってから行き先を確認したら、足立区役所行きではなく、足立梅田町行きと分った。 これは、最初に乗って来たバスを、逆方向に走る路線だったのである。 
 結局、元の黙阿弥で、無情にも、暫く前に乗車した町屋駅前を通過し、道路も、かなり混んで来ている中で、当初の目的だった、千住桜木に、漸く、辿り着き、そこで下車した。
ここから北千住駅までは、一寸距離がある。別方向からくる北千住駅行きのバスを待ったら、程なくやって来た。不思議なことに、そこから北千住駅までは、殆ど渋滞も無く、国道4号線沿いの、千住2丁目も通って、無事、北千住駅前の西口広場に着いた。時刻は、夕方の、5時少し過ぎで、殆ど、日は暮れかかって、夕闇が迫っていた。

 此処まで乗ったバスについて、後日、うろ覚えの記憶を頼りに、都バスの路線と系統を、調べ、整理してみると、下図のようになる。

 都合2回、バスを乗り間違えたのだが、正しいルート(⇒)と、間違えた実際のルート(→)は、以下のようになる。
  ①⇒町屋駅前で、草41系統の、足立梅田町行きに乗って、千住桜木で下車、北千住
    駅前行きに乗ればよかった。
   →町屋駅前で、草41系統の、反対方向の、浅草寿町行きに乗ってしまった。
  ②⇒浅草公園六区で、草43系統の、足立区役所行きに乗り換え、千住2丁目で下車し、
    北千住駅前まで歩く積りだった。 
   →浅草公園六区で、元の、草41系統の、足立梅田町行きに、乗ってしまったので、
    千住桜木で下車し、北千住駅前行きに乗り換え。
 
よく見ると、駅ビルや地下鉄入り口のシャッターは降りていて、電車は、JR常磐線、地下鉄千代田線・日比谷線、東武線、つくばエクスプレス線、すべてが停まっている状態だ。
北千住駅の西口広場には、バス停が沢山あり、電車に乗れずに、バスやタクシーを待つ大勢の人達で、ごった返していた。タクシーは殆ど見当たらず、又、たまに、マイカーで迎えに来る人もいる。
 バス路線によっては、何度もやって来るバスもあるのだが、大半は、殆ど来ない。帰宅時にいつも乗っている、自分の目的の東武バスも、全く来ない。当該路線のバスを運行している、営業所の電話番号を知っていたので、同じバスを待っている人の携帯電話を借りて、そこへ電話してみたのだが、案の定、全然、電話が繋がらなかった。携帯電話は、通常なら大変便利なのだが、このような非常事態の時は、大幅な発信規制がかかった中で、呼が殺到するので、全く役には立たないのだ。
 近くの交番で、公衆電話の在り処を聞いたら、丸井ビルの横にある、と分ったので、電話しようと行って見たら、なんと、20人程が、行列して待っているではないか! 結局、バスの営業所に電話する事も、再度、自宅に電話する事も、諦めざるを得なかった。

 駅前に到着してから、かれこれ、2時間近くも待ったのだが、一向に、埒が明かない。暗くなると、気温も下がり、風も出てきた。バスを待つ人の列も、一人、又一人と減っていく。
7時少し過ぎになり、先程、携帯を借りた人などとの間で、歩いて帰宅する話が、持ち上がって来た。同じバス路線を利用する、いわば、バス仲間である女性3人が、一緒に行く、と言い出したのである。
 自分は、自宅から北千住駅までは、バスでは勿論だが、自転車でも、何度も来たことがあり、辺りが暗くても、安全で歩き易い、近道や脇道は、よく知っている。ただ、この所、腰痛が酷く、歩く事は、すっかり苦手になっている。自分一人だけでは、この距離を、歩いて帰る気には、到底、なれないのだが、仲間がおり、しかも女性が3人も一緒、というので元気が出た。足腰が痛くなって、歩けなくなったら、その時はその時と、歩いて帰る決心をしたのである。
 道はよく知っている事でもあり、女性連中の案内役を頼まれては、男としても、後には引けない面もある。近くに宿を探すなどは、全く考えなかったのである。 そして、いよいよ、4人で歩いて帰るにあたって、こちらは、腰痛で、足腰が良くないので、少し、ゆっくり歩いてくれ、と頼んだ。

 7時を少し過ぎて、北千住駅前を出発した。 裏通りを通って近道し、旧道の宿場町通りを抜けて、千住新橋の橋の下に来たので、螺旋階段を上り、バス通りの国道4号線に出た。 案の定、4号線は、車が連なっていて、殆ど、動かない状況だ。 北千住駅方向へ行くバスは、全く見当たらない。道理で、駅前でいくら待っていても、バスが来なかった訳だ。千住新橋を渡り、又、階段を下りて、何時も自転車で通る、近道に沿って進む。 
 東武線の五反野駅前に出る。このあたりが、道中の半ば位になるだろうか。ここを過ぎて、又、バス通りに出て、少し進んだところで、一人の御婦人が、自宅が近くなったからと、別れて行った。この人は、ここに引っ越して、まだ、半年程という。

 ここから、一行は3人になった。歩くつれづれに、聞いてみたら、相方の2人の女性は母娘で、住まいは、自分の住んでいる所の、ごく近くのようで、近隣の銭湯や、蕎麦屋の名前を、共通に知っていることから、面識はなかったのだが、すぐに、打ち解けられた。 この母娘は、その日は、北区王子にある病院に、夫君(父君)を見舞っている時に大地震に遭い、北千住駅まで来たようだった。
 つくばエクスプレスの六町駅も過ぎ、バスの終点である花畑車庫の横に到着。車庫の駐車場を覗いたら、そこには、バスは殆ど見当たらなかった。北千住駅前を出てから、終点の車庫に辿り着くまで、バス通りに出たり、脇道入ったりしたのだが、終に、一台も、目的のバスには出遭わなかった。一体、何台もあるバスは、何処に居たのだろうか? 当日、ハンドルを握った運転手の皆さんの、ご苦労の程が、偲ばれるというものだ。
 大変な思いをして節約できた、210円のバス代は、決して高くはないと感じた。

 ここを過ぎれば自宅も近い。母娘と別れた、2~3分後、漸くにして、終に、我が家の玄関前に到着である。 結局、歩く速度はゆっくり目だったが、腰痛も大したことなく、一度も休まずに、歩き続けた事となった。自宅に着いたのは、9時頃で、歩き始めてからの所要時間は、1時間50分位である。距離にすれば、6~7km位だろうか。
 地震後間もなくに、自宅には電話で通じていたので、家人は、そんなに心配はしていなかったが、北千住駅から、歩いて帰宅した、と聞かされ、大いに驚かれた。
普段、時計代わりに、持ち歩いている万歩計の、その日の歩数は、何と、1万6千歩以上にもなっていた。1日で、1万歩を越えたのは、初めてである。
 先日、近くの散髪屋で聞いた話では、あの日、新橋から、足立まで、夜通し歩いて帰った、と言う御仁もいるようで、それに比べたら、自分の場合は、小さい話ではある。
 
 急に、沢山歩いたので、その後、腰痛等が酷くなるのでは、と心配したが、不思議に、変化はなかった。この日がきっかけとなって、むしろ、歩く事に自信が付いた、と言えるかもしれない。2本の足で歩く事以外に、他に手段が無いという、切羽詰まった状況下では、そうと決心すれば、以外に大丈夫だ、ということだろうか。
 東北や関東の被災地の皆さんは勿論のこと、人それぞれに、3.11があろう。地下鉄の中で地震を感じてから、帰宅するまでに、色んなハプニングがあった、自分の3.11も、忘れられない日、となったのである。
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