ケイの読書日記

個人が書く書評

津村記久子 「まぬけなこよみ」 平凡社

2018-06-01 14:45:35 | 津村記久子
 二十四節気(冬至、小寒、大寒など)は、比較的なじみがあるが、七十二候は全く知らなかった。俳句などを嗜んでいる人には身近なものだろうが、多くの人には、私と同じく、馴染みが無いんじゃないだろうか?
 
 だから、歳時記をテーマにしたこのエッセイは、本当にためになる。担当編集者が津村さんに季語のお題を出して、それをもとに津村さんがエッセイを書く。2~3ページのエッセイの文末に二十四節気と七十二候が載っている。
 例えば『節分』というお題のエッセイの文末には、二十四節気「立春」と七十二候「東風解凍」(春風が氷を解かす時期、という意味らしい)が載っている。

 若い頃は、季節や草花などに全く頓着しなかった。興味が無かった。お花見なんて、桜をわざわざ見に行く人の気がしれなかった。 桜? ああ、キレイだよね。花見に行く? なんで? 窓から向こうの児童公園の桜が見えるよ。それで十分、てなもんだった。

 でも、今は違う。人気があって混みそうな名所までは行かないけど、それでもコンビニでおにぎりかサンドイッチを買って、近くの桜を見に行く。数家族が桜の下にビニールシートを敷いて、のんびりマックのハンバーガーを食べてる。犬を散歩させてる人もいる。小さい子たちはボール遊びをしている。
 ああ、私に絵心があったら、この風景を描くのに。描けないから網膜にしっかり焼き付けておこう。この桜を、あと何回見ることができるんだろう。しみじみ感じるね。

 桜は春と結びついてるが、朝顔やおしろい花は、夏と結びついている。
 私が子供だった頃、つまり50年以上前、母がせっせと朝顔を育てていた。夏休み、ラジオ体操に行く前に何輪あさがおが咲いたか、数えるのが好きだったなぁ。明日はいくつ咲くだろうと、ふくらんだ蕾を数えるのも好きだった。ああ、昭和は遠くなりにけり…ですなぁ。

 おしろい花は雑草というイメージが強くて、子どもが1年生の時、生活科の授業で育てると聞いて驚いた。だって育てなくたって、あちこちの空き地に咲いてるじゃん、おしろい花。
 子どもが夏休みに入る前、おしろい花の鉢を家に持って帰ってきたが、ほったらかしでもドンドン育って、かわいい花を咲かせた。それが種になって我が家のプランターにぼとぼと落ち…翌春には、たくさんの芽が出て(多すぎたので間引きした)育ち、きれいな花を咲かせ、それが種になって…と永久にこの循環が続くと思われたが、そこに、おしろい花を殺りくする者があらわれた。
 猫である。我が家のみぃ太郎。猫が花壇を荒らすのは知っていたが、本当にすざましい。三男に拾われて我が家にやってきたみぃ太郎は、春になり、おしろい花の芽が出だすと、大喜びでほじる。気持ち悪いくらいニョキニョキ生えていたのに、あっという間に全滅。それ以降、おしろい花の姿を見ない。
 我が家のベランダには、もうアロエとサボテンしか残っていない。さみしい。

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