ケイの読書日記

個人が書く書評

米澤穂信 「王とサーカス」 東京創元社

2018-05-27 13:01:12 | 米澤穂信
 すごく評判の良い作品なので楽しみに読んだが…正直なところ前半は退屈だった。舞台になったネパールの首都カトマンズのイメージが掴みにくいのと、主人公で探偵役の太刀洗万智にまだ馴染みが薄いせいだろう。
 でも後半になると、期待を裏切らない面白さで一気に読んだ。

 2001年、新聞社を辞めフリーになったばかりの太刀洗万智は、ある雑誌から海外旅行特集の仕事を受け、事前取材のためネパールに向かった。
 しかし思わぬ非常事態が発生する。王宮で王族殺害事件が勃発。(これは本当にあった事件) 皇太子が、父王、母、弟妹、叔父叔母たちを射殺したのだ。しかし、王族の事なので、真相はヴェールの中。万智はジャーナリストとして、さっそく取材を開始した。が、インタビューしようとした男には断られる。後にその男は死体となって発見される。背中にimformer(密告者)という文字を刻まれて。

 ネパールってイギリスと関係が深いので、英語が通じるんだ。万智は、現地の人と英語でコミュニケーションを取る。しかし、母語ではないし、異邦の地で限られた時間内にどれだけ真実に近づけるか、ちょっと荒唐無稽な気もするな。


 この小説の魅力って、謎解きだけじゃなくて、別の所にあると思う。民主化をすすめた国王を敬愛する群衆が、王宮を取り囲む。真相究明を求め、王宮を守っている軍と数日にらみ合いがつづくが、とうとう弾圧が始まる。治安部隊が群衆に向け催涙弾を発射。逃げ惑う群衆。その中に万智もいる。夢中でデジタルカメラのシャッターを切る。逃げ遅れた人たちを警官は容赦なく棍棒で殴りつける。隣の人が倒れた。万智は必死に逃げ、ビルとビルの間の狭い隙間に身を隠す。こういった描写が本当にリアル。

 そして、この小説内で万智はジャーナリストとしての意味を自分自身に問う。取材相手は言う「自分に降りかかる事のない惨劇は、この上もなく刺激的な娯楽だ。恐ろしい映像を見たり、記事を読んだりした者は言うだろう。考えさせられた、と。そういう娯楽なのだ」

 万智は考える。「何を書くか決めることは、何を書かないかを決めることでもある。どんな小さな出来事でさえ、真実は常に複雑で、複数の立場がそれぞれ言い分を主張する。全ての主張を併記することは公平なことではない。ほぼ間違いがないとみられている定説と1人2人が言い張る新説とに同じ紙面を割くことを、公平とは言わない。」
 「記者は中立であれと言われる。しかしそれは不可能だ。自分は中立だと主張する時、記者は罠に落ちる。すべての事件について全員の言い分を際限なく取り上げることはできないし、するべきでもないからだ。記者は常に取捨選択をする。主観で選択をしているのに、どうして中立などと言えるだろう。」
 これは、そっくり米澤穂信の主張でもあるんだろう。

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