「あっ、これ、少し前にアメリカで賞を獲ったやつだ。ニュースでやってた!」と題名に聞き覚えがあったので買ってみた。たいして期待してなかったが、一気に読んでしまった。自分の両親の事を思い出したからだろう。
主人公の男は、1933年福島県の貧しい村で生まれる。(平成天皇と同じ年に生まれた事がこの小説の大きな柱だが、それについては私はノーコメント)貧しい家庭なのに、男の下に弟や妹が次々と生まれ、男は長男として懸命に働くも暮らしは楽にならず、東京に出稼ぎに行くことを決意する。
妻や子供、自分の両親や幼い弟妹を家に残し、単身、東京の土建屋で土方として働いて、せっせと仕送りする。おりしも、東京オリンピックが開催されるというので、東京の街は沸き立って、いくらでも仕事はあった。
この人、本当にちゃんとしている人なんだ。東京に出稼ぎに行って、そのまま蒸発、行方知れず、なんて事がちょくちょくあったのに、この男はギャンブルも酒もやらず(下戸なんだ)キャバレーのホステスさんと仲良くなっても一線は越えず、60歳の定年になるまでしっかり働いた。
息子の突然死とか不幸はあったけど、娘は仙台に嫁ぎ、孫も生まれ、良いこともいっぱいあった。さあ、年金もあるし、これからは自分の人生を楽しもうという所で、奥さんが亡くなる。男は、なぜ体調が悪いのを気付いてやれなかったんだと自分を責め、「おじいちゃんを探さないでください」という書置きを残し、死に場所を求め再び上京。死ぬことができず、ホームレスになる。
私の親たちは、この主人公の男より少し年上。福島ではなく、長野県の寒村に生まれ所帯を持った。貧しいのに家族は多く、懸命に働くも貧しいままなのは、この男と同じ。困窮のさなか、仕事を世話してくれる人がいたので、地方都市に移り住んだ。ただ違うのは、この主人公の男は一人で出稼ぎに行ったが、私の両親は、幼い男の子(私の兄)を連れて移住。そこに根付いた。時代は日本の高度成長期。ろくな学歴や技術がなくても、会社という組織に属していれば、所得は上がり貯蓄も少しはできた時代だった。
多くの日本人が、ひと昔前は本当に貧しかったんだ。その事をしみじみ思い出させる一冊。
主人公の男は、1933年福島県の貧しい村で生まれる。(平成天皇と同じ年に生まれた事がこの小説の大きな柱だが、それについては私はノーコメント)貧しい家庭なのに、男の下に弟や妹が次々と生まれ、男は長男として懸命に働くも暮らしは楽にならず、東京に出稼ぎに行くことを決意する。
妻や子供、自分の両親や幼い弟妹を家に残し、単身、東京の土建屋で土方として働いて、せっせと仕送りする。おりしも、東京オリンピックが開催されるというので、東京の街は沸き立って、いくらでも仕事はあった。
この人、本当にちゃんとしている人なんだ。東京に出稼ぎに行って、そのまま蒸発、行方知れず、なんて事がちょくちょくあったのに、この男はギャンブルも酒もやらず(下戸なんだ)キャバレーのホステスさんと仲良くなっても一線は越えず、60歳の定年になるまでしっかり働いた。
息子の突然死とか不幸はあったけど、娘は仙台に嫁ぎ、孫も生まれ、良いこともいっぱいあった。さあ、年金もあるし、これからは自分の人生を楽しもうという所で、奥さんが亡くなる。男は、なぜ体調が悪いのを気付いてやれなかったんだと自分を責め、「おじいちゃんを探さないでください」という書置きを残し、死に場所を求め再び上京。死ぬことができず、ホームレスになる。
私の親たちは、この主人公の男より少し年上。福島ではなく、長野県の寒村に生まれ所帯を持った。貧しいのに家族は多く、懸命に働くも貧しいままなのは、この男と同じ。困窮のさなか、仕事を世話してくれる人がいたので、地方都市に移り住んだ。ただ違うのは、この主人公の男は一人で出稼ぎに行ったが、私の両親は、幼い男の子(私の兄)を連れて移住。そこに根付いた。時代は日本の高度成長期。ろくな学歴や技術がなくても、会社という組織に属していれば、所得は上がり貯蓄も少しはできた時代だった。
多くの日本人が、ひと昔前は本当に貧しかったんだ。その事をしみじみ思い出させる一冊。