ケイの読書日記

個人が書く書評

宮沢賢治 「風の又三郎」

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 私ったら、こんな有名な作品を読んでなかったんだ!!と愕然とする。そういえば子どもの頃、読もうと思って本を開いたが、擬音が多いし方言がすごく独特(岩手の言葉)で読みにくかったので、最初の1、2ページで止めてしまったんだ。
 他にも有名な「銀河鉄道の夜」も読んでいない。こっちの方は、松本零士の名作マンガ「銀河鉄道999」で読んだ気になってしまってた。

 あまりにも有名な作品って、あらすじを知ってるから、読んだつもりになってしまう。気を付けなければ。

 この「風の又三郎」は素敵な作品です。
 昔々の9月1日、岩手県の片田舎の小学校に、高田三郎という子が転校してきた。彼の父親は鉱石の技師で、その仕事のため北海道から岩手に来たのだ。だから三郎は地元の子どもと比べちょっとだけインテリっぽい。
 風のすごく強い日に転校してきたので、子どもたちは三郎の事を「風の又三郎」と呼ぶようになる。詳しい説明は作品の中ではなされていないが、どうも「風の又三郎」とは、人ならざる者、一種の超常的な力をもった存在らしい。
 山の中の小さな学校なので、小学5年生の三郎は、色んな学年の子どもたちと山遊び・川遊びをする。ここら辺の描写が、本当に生き生きしていて素晴らしい。

 子どもたちは馬を放牧している場所に行って、馬と一緒に駆け回る。馬と言ってもサラブレッドとは違い日本在来種なのでポニーみたいに小さい。それでも農耕馬として使役したり、競馬に出場させたりして価値が高いので、大人にとっては一財産なのだ。その馬が逃げ出し、子どもたちは追いかけるが、山の中で迷子になってしまい、おまけに悪天候。命の危機にさらされる。最終的には助かるが、野山での遊びは危険と隣り合わせだ。
 川遊びも楽しい。大人が川で火薬を爆発させ魚を獲る。(ちなみに違法。お巡りさんに見つかると引っ張られる)そのおこぼれで、死んだ魚や弱っている魚が流れてくるので、子どもたちがその魚を大喜びで捕まえる。
 川で泳ぐのも楽しい。ただ、流される子もいただろうね。今の感覚でいうと、すごく危険。

 こういった楽しい日々はあっという間にすぎて、三郎はまた、ひどく風の強い日に北海道に戻って行った。まるで本当に「風の又三郎」だったみたいに。
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志賀直哉 「剃刀」

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 この短編を子どもの頃読んで、すごく怖かったので覚えている。
 
 明治の終わり頃の話。床屋の主人が風邪のため臥せっていたが、奉公人たちに任せておけず、仕方なく自分で仕事をやり始める。もともと職人肌の人で、特に剃刀を使う事にかけては名人だった。
 しかし、その日は体調が悪く、なかなか上手く剃刀を研ぐことができない。イライラしている所に若い客が「ヒゲをそってくれ」と入ってくる。
 どうも今から遊女屋へ行くらしい。この下種野郎が薄汚い女郎屋に行くのかと思うと、ムカムカして罵声でも浴びせたいが、ぐっと我慢してヒゲをそり始める。でも思うように剃れない。特にノドの部分がどうにもうまくいかない。
 そうしているうちに刃が引っかかり、わずかだが喉の皮膚を薄くはいでしまった。じっと淡い紅がにじむとみるみる血が盛り上がってきた。その時、床屋のおやじに一種の荒々しい感情が起こって…。

 ああ、怖い。こんなの読むと、顔ぞりに行けなくなるよ。考えてみれば、よくあんな無防備な体勢になれるなぁ。

 こういった描写が作品中にある。「のどから頬、あご、額などを剃った後、のどの柔らかい部分がどうしてもうまくいかぬ。こだわりつくした彼は、その部分を皮ごと削ぎ取りたいような気がした。。きめの荒い一つ一つの毛穴に油がたまっているような顔を見ていると、彼はしんからそんな気がしたのである。若者は、いつか寝入ってしまった。がくりと後ろへ首をもたせて、たあいもなく口をあけている。不ぞろいな汚れた歯が見える」
 ああ、まるで自分の事を描写されている気になるね。

 とても短い作品だが、床屋の主人の焦燥感やら倦怠感がよく書かれていて、見事な作品だと思う。
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志賀直哉 「清兵衛と瓢箪」

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 「小僧の神様」でもそうだが、ラストにちょっとしたサプライズがあって、ユーモラスな短編。この作品で志賀直哉を好きになる人も多いんじゃないだろうか?

 ところで皆さんは、瓢箪をご存知だろうか? ひょうたん池なんていう名称がある、あの瓢箪。昭和33年生まれの私ですら、めったに現物を見た事がないので、現代の皆様がよく分からないのも無理はない。そうそう、蕎麦屋の七味唐辛子入れに、たまに小さな瓢箪が使ってあったりする。
 しかし本来、中国の古典にも出てくるように、水や酒を入れる水筒のような入れ物なのだ。

 
 清兵衛という子供は、瓢箪づくりに夢中になっている。瓢箪のなかの種やわたを出して、茶渋で臭みを抜き、父親の飲み残しの酒を入れ、しきりに磨いた。瓢箪は、大昔には酒や水を入れて使っていたんだろうが、だんだん実用というより、観賞用のモノになる。
 今でも、田舎の古びた宿屋や商店の片隅に、大ぶりの瓢箪がずらっと並んでいることがある。いやあ、大きいものは本当にでかいの! そして冗談みたいに高価! 盆栽のように手をかけお金をかけ、立派な素晴らしい瓢箪を作るブームみたいなものが、たびたび起った。

 清兵衛は夢中になって、他の子供とは遊ばず、瓢箪の手入れをしていて、親は彼をほかっておいた。
 ある時、担任の先生に見つかり「とうてい将来見込みのある人間ではない」と罵られ、瓢箪を取り上げられる。そして親に「家庭で取り締まってほしい」と言われる。担任の先生が、どうしてそこまで瓢箪を目の敵にするのか分からないが、とにかく気に入らなかったんだろう。
 清兵衛の両親は恐縮し(なにせ明治か大正の話)子どもを叱り、残りの瓢箪を壊して捨ててしまった。

 教師は取り上げた瓢箪を小学校の用務員さんに渡し、処分するように伝えるが、用務員はこの瓢箪が少しでも金になればと骨董屋に持ち込み…
 この先は、読んでください。

 瓢箪への夢を断たれた清兵衛は、今は絵に熱中しているようです。
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志賀直哉 「小僧の神様」

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 これも有名な短編。作者36歳の大正9年に発表された。明治後半か大正前期のお話だろうが、江戸情緒が色濃く残っていて素晴らしい。

 秤屋のお店に奉公している仙吉は、番頭さんたちのツウらしい寿司談義を聞きながら、そういうお店の暖簾をくぐれる身分になりたいもんだと、密かに思っていた。
 ある日、電車の往復代をもらってお使いに出された仙吉は、帰りは歩いて帰ることにして、浮いた4銭で屋台のお寿司を1つだけ食べようと屋台の暖簾をくぐる。
 3つほど並んでいるまぐろ寿司の一つをつまむと、店の親父が「ひとつ6銭だよ」と言った。お金が足りない。仙吉は黙ってその寿司をもどし、しょんぼりと暖簾の外へ出ていく。
 それをたまたま目撃した金持ちが可哀想に思って覚えていた。

 後日、その金持ちは秤を買おうと入った店で仙吉を見かける。もちろん、仙吉の方は全く覚えていない知らないお客さんだ。金持ちは仙吉に秤を途中まで運ばせるついでに、立派な寿司屋に連れていき、自分は用があるからと先に帰り、仙吉にお寿司をたらふく食べさせる。

 この金持ちは、貴族院議員だという。いかにも良家のボンボンといった気弱な慈善家で、自分の行為を大喜びで吹聴し肯定する事をしない。自分も小僧(仙吉)も満足しているはずだが、どうも変な嫌な気持ちだと感じてしまう。育ちの良い人なのだ。こういった人間の心理描写が細かい。

 一方、仙吉の方は、あのお金持ちは神様かもしれない、そうでなければ仙人かお稲荷様だと考えた。仙吉は、悲しい時苦しい時に必ずあの神様を思い出し、心が慰められた。困難に立ち向かう事が出来た。

 ああ、いい話だよね。何十年も読み続けられるだけあるよ。
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志賀直哉 「赤西蠣太」(あかにしかきた)

 | 時代物
 江戸時代初期、仙台藩で起こったお家騒動(いわゆる伊達騒動)をベースにした時代小説短編。
 
 伊達家の実権を握る伊達宗勝派のところに、赤西蠣太(あかにしかきた)という風采の上がらない侍がいた。その将棋友だちに鱒次郎という美青年侍がいたが、実はこの二人、反宗勝派からのスパイ。目立たぬように、いろいろ嗅ぎまわっている。
 悪事の証拠はそろった!さあ、仲間の所に戻ろうと思っても、スパイとバレてしまっては後々のために困る。ここは、武士として面目を失う事をしでかして出奔したという形をとろう、さて不面目な事とは…と二人は頭を捻り、美人で有名な腰元に醜男の赤西が付け文(ラブレター)を送り、手ひどく振られて恥ずかしくて出奔するというストーリーを組み立てる。
 ところが、美人腰元は蠣太のことを憎からず思っていて…という少女マンガのような展開に…。

 この伊達騒動というのは歌舞伎や小説、映画になっていて、宗勝派の敗北で終わる。
 主人公の赤西蠣太にとっては、苦労が報われめでたしめでたしだが、戦国の風がまだ抜けていない江戸時代初期だからか、結構荒っぽいんだ。秘密を知った按摩さんを切って捨てるとかね。

 敵対する勢力にスパイを送り込むなんてことは、よくある話だけど、江戸幕府と外様大名(特に薩摩や長州)の情報戦は凄くて、幕府は薩摩藩に『草』と呼ばれる隠密を送り込んでいる。よそ者は信用されないけど、何代にもわたって住んでいれば信用されるでしょ? そのうち藩の重役になったりして。こういった『草』であるという秘密も、当人が自分はもう長くないと感じたら、次の当主に口頭で伝達されるらしい。
 しかし…次の当主も困惑するだろうね。聞かなかったことにするかもね。
 江戸幕府270年の泰平は、こういった陰険な方法で保たれていたんだなぁとちょとと感心していたら、『ゴルゴ13』で似たような内容の話を読んだのだ。東西冷戦真っ只中の時代、ソ連が衛星国家であったポーランド及び他の東欧諸国に、スリーパーと呼ばれる何代にもわたるスパイを滑り込ましていたストーリー。
 これって本当かな?
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志賀直哉 「城の崎にて」

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 この『城の崎にて』は、教科書に載っていたのかな? 昔、読んだことがある。
 筆者をモデルとした主人公が、電車にはねられて大けがをし、城崎温泉で静養する話。(山手線の電車にはねられたと書いてあるけど、どうやって? 自分で線路に飛び込んだの? バスや車なら分かるけど)
 それに、そばにいた友人に「フェータルなものかどうか、医者は何と言っている?」と尋ねているが、これって命に係わるケガかどうかって意味だよね。なんでわざわざ英語を使うんだろう? 金持ちの坊ちゃんの言う事は、どうにもよく分からない。ツッコミどころ満載!

 読んだときに、へぇ城崎温泉って鄙びた素敵な温泉なんだ、一度行ってみたいなぁとぼんやり憧れていた。
 そうしたら、社会人になって同僚と3人で城崎温泉に行く機会があったのだ。この小説の舞台は、明治の終わりか大正の初めなので、私が行った時(昭和50年代終わり)とは、かなり雰囲気が違っているだろうが、それでも小さな川に橋がかかっており、川の両岸に人が群れていたりする場面があって、この短編を思い出した。

 そうそう、城崎温泉って、志賀直哉が当時行った時も、私たちが旅行で訪れた時も、宿に湯は引いておらず、「一乃湯」「二之湯」「三の湯」…といった公衆浴場が往来に沿って点在しているのだ。宿泊客は誰でも入浴できる。
 旅館の立派な内風呂を期待していた私は驚いたが、そういった古めかしい温泉情緒が人気だったんだろう。今ではどうか知らない。やっぱり内湯がある旅館の方が増えるだろうね。

 お風呂の事を延々と書いてしまったが、志賀直哉が「生きていることと、死んでしまっていることと、それは両極ではなかった。それほどに差はないような気がした」という心境に達した静かな短編。読み応えあり。 
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夏目漱石 「文鳥」

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 漱石が自宅で執筆をしていると、門下生の鈴木三重吉から「文鳥を飼ったら?」と勧められる。
 読んでいる最中、そういえば私の母も、私が子供の頃、小鳥を飼っていたなと思い出した。母は猫も大好きで飼っていたのに、どうして小鳥も飼うんだろうかと怪訝に思うが、生き物の好きな人だったんだろう。
 こういう所は、群ようこさんのお母さんに似てるね。中年女って皆、似てくるんだろうか?

 ただ、我が家のこの小鳥は、猫ではなく蛇に殺された。丸のみにされて。軒下に鳥籠をつるしてあったので、猫からの攻撃は防げたが、蛇は柱を伝ってにじり寄ってくるから。

 話を戻そう。漱石の文鳥は、三重吉の肝いりということもあり、手厚く迎えられた。鳥籠は特注品で、籠の名人が作ったもの。その台が漆塗りの立派な鳥籠の他、粗末な鳥籠もある。粗末なものは、鳥を行水させる時、使うらしい。小鳥って行水するんだね。(ずいぶん昔、私が中学生の時に、校庭の水飲み場でカラスが行水するのを目撃したことがあるけど)
 その他、特注の箱もある。夜、冷えるから小鳥が凍えないように、この箱に入れて寒さをしのぐらしい。

 こうやって文鳥は大切にされていた。漱石先生が世話をしたりしなかったりなので、家の人が気をきかせて、箱から出して縁側に置いて、餌も水も新しくすることもあった。 
 ある時、漱石先生は三重吉に呼び出され、長話をする。次の日の約束もしてしまい、帰ったのは次の日の午後3時ごろ。縁側の鳥籠をのぞいてみると文鳥は死んでいた。籠の底にそっくり返って。餌つぼには粟のカラばかりがたまって、実のある粟は1粒もない。水入れにも水はなし。餓死したらしい。
 小さな身体の小鳥は、1日食べないと、人間が10日間絶食したのと同じなんだってね。以前、知人から聞いた事がある。

 しかし、この後がいただけない。漱石先生、悲しみに打ちひしがれるが、自分の事は棚に上げて「家の者が餌をやらないから文鳥はとうとう死んでしまった」と文句たらたら。三重吉にもハガキで愚痴る。
 だいだい、アンタが悪いんじゃない?! アンタが世話ができないなら、ちゃんとお世話係を決めておきなさいよ!! こういう所が、漱石先生なんだよね。
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夏目漱石 「二百十日」(にひゃくとおか)

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 二百十日とは、立春から数えて210日目の日の事で、毎年9月1日頃に当たる。台風が多い、あるいは風が強くて、農家には厄日といわれているらしい。

 阿蘇見物に来た若い男の二人連れが、山が荒れているのに噴火口を見ようとして山に登り、天候が悪くて大変な思いをする話。
 このラブリーな二人組がとてもユーモラスで、まるで『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんみたい。1人は圭さんといって、体格が良く大ぼら吹きで天下国家を意見し、華族とか金持ちを非難し、公正な世の中にしたいと息巻いている。小型の西郷隆盛のようなイメージ?
 もう1人は碌さんといって、男としては小柄で、ちょっと金持ちで良家の軟弱なお坊ちゃんみたい。圭さんの天下国家論を横合いから茶化す。つまり2人はウマがあうんだ。

 その2人が阿蘇の山のふもとの宿に泊まって、宿の中居さんをからかい、お喋りしたり温泉に入ったり地元の料理を食べたりして、明日は阿蘇の噴火口を見ようと計画している。乗り気なのは圭さんの方で、碌さんは「もっとご馳走が食べたい、足が痛い、マメができた、もう歩くのはイヤダ」などなど文句を言っている。
 そうそう、明治のお宿なので襖1枚で仕切ってあるだけなので、隣の部屋の話が筒抜け。(ということは自分たちの話も隣に筒抜け)この時も、圭さん碌さんの隣の部屋では「竹刀を落とした」だの「小手を取られた」だの剣道の話でもちきりで、その話を聞いた圭さん碌さんも「竹刀」「小手」で盛り上がった。

 そういった生活騒音で揉め事が起きる訳でもなく、お互いこんなもんだと思ってる。平和なものだ。こういう所を現代人は見習わなければ…ね。

 夏目漱石の他の作品も、初期の作品は全体的にユーモラス。「吾輩は猫である」も「坊っちゃん」も声を出して笑えるほど面白い。でも、漱石本人は、そんなに愉快な人ではなかったようで…。人間って難しいね。
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芥川龍之介 「鼻」

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 この短編も、すごく有名な話だから、読んだ人も多いだろう。

 昔々、ある偉いお坊さんが、自分の鼻が長い事をとても苦にしていた。もちろん、高位のお坊さんなので、容姿などといった俗っぽい事柄に関心はありません、というふうを装っていたけど、本当に気にしていた。
 なんせ、少々の長さではない。食事する時、自分の鼻がお椀の中に入ってしまうので、小僧の1人に棒を持たせ、食事の間じゅう、鼻を持ち上げてもらうのである。その小僧がくしゃみをした時には、鼻がお粥の中に落ち、近所の人々はその話でもちきりだったそうだ。

 とにかく、なんとか鼻を短くできないかと悩んでいた時に、弟子の1人が京にのぼったついでに知り合いの医者から、鼻を短くする方法を教わってきた。
 その方法というのは、お湯で鼻をゆで、その鼻を人に踏ませ、出てきた鼻の脂の角栓を毛抜きで抜いて、再び茹でるというもの。ふむふむ、なかなか理にかなっているよね。
 実は私、ここで話を少し間違って覚えていたのだ。記憶間違い。毛穴から皮脂と一緒に小さな虫が出てくる、うわーーー!気持ち悪い!と覚えていたのだ。それもかなりハッキリと!
 なんで、そんな記憶の書き換えが起こったのかな?
 想像するに、かなり前、顔ダニが話題になったでしょ? 顔ダニ石鹸っていう専門石鹸がすごく良く売れた。皆さん、覚えてません? 顔ダニなんて気持ち悪いモノ、私にいるわけがない!と考えている人が大半だろうが、生まれたての赤ちゃんでもないかぎり誰にでも顔ダニっているんだってね。ホラーだね。

 とにかく、この偉いお坊さんは、鼻が短くなった当初はホクホクと喜んでいたけど、どうも周囲の反応がビミョー。かえって消極的な敵意みたいなものを感じてしまい、前の方が良かったかも…と後悔しだす。
 結局、1週間ほどで鼻は元に戻ってしまったが、お坊さんはかえって晴れ晴れした心持になった。

 美容整形した人なんかも、最初は消極的な敵意を感じたりするのかな? 

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芥川龍之介 「芋粥」

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 子供の頃に読んだ時に、なんだか日本史の副読本みたいな話だな、と思った覚えがある。

 平安初期、京に下っ端の侍がいた。下っ端といっても正五位または従五位という位の侍で、一応最下位とはいえ昇殿を許される。だから庶民からいえば、偉い人なんだろうけど、はなはだ風采が上がらないので、同僚や上司から軽んじられて冷淡に扱われていた。
 なにせ、犬を打ったり叩いたりしている子どもたちに「もう堪忍してやりなされ」と注意すると、その子たちから「なんじゃ?この鼻赤めが」と言い返されるのだ。もちろん、その後『犬の恩返し』なんて話にはならない。
 また、5、6年前にこの侍と別れた女房は、酒飲みの法師と関係があって家を出て行ったらしい。それも上司や同僚のかっこうの噂話になった。

 つまり、この五位の侍は、職場でも家庭でもイジメられていた。もちろんイジメが、この『芋粥』という短編の主題ではないが、こういう描写を読むと、いつの時代にもイジメというものはあるんだと、暗澹とした気になる。
 この時代の方が、イジメは深刻ではないのかな? だって、簡単に転職できないでしょ? ほぼ世襲でしょ? それに現代以上に階層のコミュニティがカッチリしていて、どんな嫌な相手でも狭いコミュニティの中では繋がらなければならないだろう。

 とにかく、この内面も外面も情けない侍が、ある時、芋粥を飽きるまで食べてみたいと酒席でポロっとこぼすと、それを聞いていた利仁という恰幅の良い同僚が、食べさせてあげると申し出る。
 この芋粥って今のお粥にサツマイモが2~3片混じってるというのでなくて、山芋を薄くスライスして甘葛の汁で煮たもの。つまり甘い飲み物で、当時としては天皇の食卓にも上る高級品だった。
 この利仁という男は、敦賀(今の福井県の)豪族の娘婿になっていて、地位は高くないが、しっかりした領地があり裕福なんだろう。その敦賀に五位の侍を連れていき、どっさり芋粥を食べさせた。

 この短編の主題は、五位の侍がバケツのような器にどっさり入った芋粥を見て、うんざりして食欲がなくなり、昔、芋粥を飽きるほど食べてみたいと熱望していた自分自身を懐かしく思うという部分だろうが、私の印象に残ったのはそこではない。
 貴族たちの間で、遠方の国司は敬遠され、もし任命されても代理の者を派遣して自分は京都にいて、領地から上がった利益だけを受け取る人が大多数だったようだ。地方に行けばそれなりに豊かに暮らせるのに、京都にいたいんだよね。
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