ケイの読書日記

個人が書く書評

「母の家がごみ屋敷」 毎日新聞記者 工藤哲

 | その他
 このタイトルにドキッとした人、多いんじゃないだろうか? 身に覚えのある人が。実は、私もその一人。
 実家のゴミ屋敷ぶりを騒ぐなら、自分の住んでいる家をちゃんと片付けろ!という声が、どこからか飛んできそうだが、この際、自分ちの汚さは棚に上げて、言う。本当に困っていると。

 実家の母は、もともとキレイ好きな人ではなかったが、それでも足の踏み場がないほどではなかった。家族4人が、それなりに生活し、兄が結婚し家を出、私が結婚して家を出、父が亡くなり母一人になって20年ちょっと。
 いったい、どこからこんなに物が湧き出してきたんだろうと不思議に思うほど、大量に物がある。
 特に2階は、完全に物置になっていて、1階で邪魔になったものは、2階に上げていた。今では母は2階に上がれないので、片付けたり捨てたりするのは私の役目。どーんと捨てたいのだが、母が見つけるとゴチャゴチャ言うのよね。
 「まだ使える」「後で片付ける」「おまえは物を大切にしない」「おまえの家に持って行って使え」などなど。
 冗談じゃない!!!! 私の家でも、どうやって物を減らすか困っているのに、他の家の物など引き取れないよ。


 この本の中にも書いてあったけど、今は「買うのは簡単だけど、捨てるのは難しい時代」なんだよね。お金さえあれば、毎日でも通販で物が買える。けど、捨てるのには制約がある。可燃ごみ、不燃ごみ、資源ごみ、粗大ごみ、などルールがあり、捨てることができる日にちと時間が決まっている。
 高齢になると、曜日が分からなくなるので捨てられない事もあるが、そもそもゴミの分別ができなくなっちゃう。
 だから(私もやっているが)子どもが実家のゴミを自宅に持ち帰り、自宅の地域のゴミルールにのっとって捨てる。なかなか大変。

 そもそも高齢者って、ごみ(失礼!)モノに囲まれている方が落ち着くという人が多いのかもしれない。片付けた部屋だと、寂しいと感じるのかな。
 いや、そんな仏心を出しては身の破滅。母の入院中にどんどん捨てていこう。
コメント

恩田陸 「木漏れ日に泳ぐ魚」 中央公論新社

 | 恩田陸
 一組の男女が別れることになり、迎えた最後の夜。翌朝には、男は新しい女のもとに行き、女は友人の所で居候してから新しいスタートを始めるつもりだ。
 ただ2人には、どうしても解決しておかなければならない問題があった。
 1年前、旅行先で依頼したガイドの謎の転落死。男は女を疑い、女は男に不信の眼を向ける。男の死の真相は…?

 実は、男と女は3歳の頃、生き別れた二卵性双生児。お互いに相手の存在を知らされず成長したが、大学で出会い、強く惹かれあった。家族や親せきの話から、お互いが双子だという事が分かり、兄妹として失われた時間を取り戻そうと同居。恋愛感情を持ちながらも、一線を超えないよう努めている。
 こういう所が、すごく気持ち悪い。ごめんね。私、近親相姦の話って本当にイヤなんだ。たぶん、実際に兄がいたからだと思う。
 
 でも、小さい時ならともかく、大学生になって異性の兄妹・姉弟がアパートで同居を始めるなんて、クレージーだと思う。実家ならともかく。
 私など、中学生くらいから、兄が入ったあとの風呂に入るの、本当にイヤだったもの。それどころか廊下や階段ですれ違う時、肩なんか接触したらゲッとなり1日中気分が悪かった。私たちが特別仲が悪かったわけじゃない。兄や弟がいる友人からも、同じような話を聞いた。こういう人、多いと思う。

 それに子供の頃の記憶って、そんな残ってるものなのかな?作中では、男が3歳ころ、双子の女の子の履物のキュッキュという音を覚えていたり、母方の祖母の家にあった大きな古時計の彫刻を鮮明に覚えていたりするけど、記憶力が良い人はそうなのかなぁ。私など、小学校低学年の記憶もあまり無い。
 記憶って、後から作られることも多いと思う。古いアルバムなど見ていて、それを自分の記憶の中に刷り込ませるというか…。


 この小説では、その記憶を手繰り寄せて、自分たちの関係やガイドと自分たちの関係、ガイドの転落死の真相に迫っていく。
 真相?! 本当に真相だろうか? 特に最大の謎『なぜ、山に慣れているはずの山岳ガイドが、あの見晴らしのいい崖から落ちたのか?』 男女が辿り着いた真相は、単なる仮説にすぎない。すごく説得力あるけど。
 そう、ガイドの死は事故死として片づけられた。それ以上でもそれ以下でもない。不幸な事故だったのだ。

 
コメント

伊坂幸太郎・文 マヌエーレ・フィオール・絵 「クリスマスを探偵と」  河出書房新社

 | 伊坂幸太郎
 言い訳させてください!! もちろん、この絵本を借りたのはクリスマスのちょっと前です。でも読めなくて、年が明けてしまいました。
 新年早々のブログが『クリスマスを探偵と』なんて、あまりにも季節感なさすぎじゃない?と自分でも思うのですが…この絵本、なかなかしゃれている! 今年のクリスマスプレゼントに誰か(もちろん大人)にあげたいなと思わせる絵本ですよ。

 あとがきに書いてあるのですが、この小説のあらすじは、伊坂幸太郎が大学1年生の時に書いた短編が元になっているそうです。やっぱり、豊かな才能がうかがえますね。2010年、河出書房新社から『文藝別冊 伊坂幸太郎』という特集ムック本を出した時に、書き直して発表。
 その直後から「せっかくのクリスマスの話なので、プレゼントできるものにしたい」という話が持ち上がり、この美しい絵本になったそうです。絵を描いたマヌエーレ・フィオールさんは、有名な方らしいですが、私は今まで存じ上げなかった。でも、柔らかく優しい画風です。


 サンタクロースを何歳まで信じていたか、よくおしゃべりのテーマになるけど、昭和33年生まれの私は、親からクリスマスプレゼントをもらった覚えがない。もちろん、親の経済状態や宗教観、住んでる所の地域性などもあるだろうが、学校でもクリスマスプレゼントに何を貰ったかという話題は、あまりなかったと思う。昭和40年代の初めころまで、そんなに一般的な風習でもなかった。ケーキは食べた記憶があるなぁ。
 それよりも子どもの関心は、お年玉だった。おじさんに〇円貰った。おばあちゃんに□円貰った。合計〇〇円あった。いつまでお年玉って貰えるんだろう。親戚のお兄さんは大学生だけど貰ってるよ。などなど、教室内でお年玉の話が飛び交っていた。
 昔は今と比べて、親戚が多く、1人1人が少額でも結構な金額になったのだ。


 いつも思うが、クリスマスやハロウィーンと言った外国の風習は、日本ですぐ広まるのに、どうして日本古来の風習って消えていく一方なんだろうね。『お月見どろぼう』なんてハロウィーンに似てると思うけど。


 新年のご挨拶がおくれました。明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
コメント

原田マハ 「モネのあしあと  私の印象派鑑賞術」  幻冬舎新書

 | その他
 モネとマネって別の人なんだね、という事を、この本で知った。モネは印象派の巨匠という知識はあったのだが、マネも同じくらいの年代だしフランス人だし、外国の名前なので発音を日本語に表記する時、モネとかマネとか、色々あるんだろうと勝手に思っていたのだ。

 私の絵画に対する知識は、この程度の物です。でも展覧会を観に行くのは好きだな。チケットが高いとか歩いてみて回ると足が痛くなる、とか文句たらたらだけど。展覧会に来ている人の洋服をチェックするのも好き。(和服もちらほら)皆さん、だいたいオシャレして来てます。

 以前、益田ミリのコミックエッセイを読んでいたら、彼女がゴッホに影響を受けたという事が描いてあった。ミリさんは高校3年生の時、ふらりと入った美術館で、ゴッホの『ひまわり』を観て衝撃を受け、油絵を描きたいと美大を目指すようになったそうだ。
 すごいなぁ。私は、そんな衝撃を受けた絵はないなぁ。残念なことに。
 でも、ゴッホの『ひまわり』が、100年あとの異国の女の子の人生を変えるような力があったなら、どうしてその時代の人々の心を掴まなかったのか不思議。だってゴッホの絵って、ゴッホの生前、1枚しか売れなかったんでしょ?


 影響を受けたと言えば、この本の中でも触れられているが、日本の浮世絵が印象派にすごく影響を与えたのは、有名な話。私は中学の時、社会科の授業で聴いた。
 絵画や美術品としてヨーロッパに渡ったのではなく、陶磁器を輸出する時、割れないように包み紙や緩衝材として、浮世絵をクシャクシャにして使ったらしい。蕎麦1杯の値段で売られていた浮世絵だし、大名のお抱え絵師が金粉をつかって描いたわけじゃないから、日本の業者も価値があるとは思わなかったんだろう。
 モネやゴッホを驚嘆させた浮世絵を、江戸の人は300円ほどで買って楽しんでいたんだから、文化的水準が高いというか…すごいね。

 美人画の着物の柄の細やかな美しさなんて、本当にほれぼれしてしまう。当時のコマーシャルポスターの役目をしてたんだろう。見事だと思う。



P.S. 今年も、この地味で拙いブログを読んでくださって本当にありがとうございます。来年も、読みたい本を読んで好き勝手なことを書いていきますが、よろしくお願いいたします。
   皆さま、良いお年をお迎えください。
コメント

三浦しをん 「むかしのはなし」 幻冬舎文庫

 | 三浦しをん
 日本の昔話を、三浦しをんが現代風にアレンジした短編集と思って読んだが、どうも日本昔話は関係ないような気がするなぁ。
 それより「3ヵ月後に隕石がぶつかって地球が滅亡し、抽選で選ばれた人だけが脱出ロケットに乗れる」というSFでよくある、重苦しい状況が全編を流れている。どうする?!人類!

 先日読んだ、たもさんの『カルト宗教 信じてました』の中でも、小学生のたもさんが、世界の滅亡を心底恐れていたことが描かれている。彼女の小学校の頃、ノストラダムスの大予言が流行っていて、小学校の教室では、その話でもちきりだった。
 それが、「エホバの証人」の教義 ハルマゲドンで世界は滅亡し、エホバを信じる人たちだけが生き残る という教えに関心を向けさせる引き金になったのだ。

 でも、世界中のほとんどの人が死んで、エホバの証人だけが生き残った世界で「神さま、ありがとうございます。ほとんどの人は死んでしまったけど、私は生き残ることができました」なんて神さまに感謝する事ができるんだろうか?周囲には累々と死体が積み重なっているのに?
 自分たちだけが生き延びて、そんなに嬉しい?

 
 3ヵ月後に隕石がぶつかって地球が滅亡する…案外、地球と運命を共にしたいと思う人が多いんじゃないかな? そう考えるのは、私が年を取ったから?
 1000万人しかロケットに乗れないとしたら、若い人に乗ってもらいたい。特に出産可能な若い女性。そして、子どもたち。高度な技術や能力を持った若者。年寄りは、船長みたいに船と運命を共にするのよ。今までお世話になった地球とともに。

 そうそう、この中の第5編「たどりつくまで」に興味深い箇所があった。
 地球が滅亡するまで、あと2か月という中で、1人のタクシードライバーが淡々と働く。客はうんと少なくなったが、それでもいるので車を走らせる。仕事を終え部屋に戻ってもすることは特にない。パソコンで営業日誌を付けるが、翌日にそれを観葉植物に読み聞かせるのだ。
 地球が滅亡することを植物は知らない。植物を不安にさせたくない。毎日、声という名の空気の振動を植物に与える。

 いいなぁ、この習慣!! あまりにも静的だけど。自分の老後を考える。我が家のみい太郎が死んだ後の事を考える。猫でも20年近く長生きすることがあるから、次の猫は気楽に飼えないよ。植物にシフトするか…。だっこして、ふわふわの毛に触る事はできないけど。
コメント

高野史緒 「翼竜館の宝石商人」 講談社

 | その他
 ファンタジー仕立てのミステリというのかな。画家レンブラントが最後に登場して、謎をスパッと解き明かしてくれる。つじつまがあわない細かい部分はあるが、それでも十分面白い。

 1662年晩夏のアムステルダム。宝石商のホーヘフェーンがペストと思われる症状で死んだ。実はその直前、画家レンブラントの息子ティトゥスがホーヘフェーンと会っていたのだ。ホーヘフェーンは取り乱していて、医者が来たところでティトゥスは屋敷を追い出される。
 城外の墓にホーヘフェーンの遺体が埋葬された翌日、彼の館の金庫のような部屋から、ホーヘフェーンとうり二つの男が意識不明の状態で発見される。
 いったい彼は誰なのか? ひょっとしたら、レンブラントの描いた肖像画から抜け出してきたのか…?

 物語は最初のうち、ナンドという男の目を通して語られる。ところがこのナンド、記憶がないのだ。気づいた時に持っていた書類から、自分がフェルナンド・ルッソという名前だろうと推測したに過ぎない。
 そして、それをたいして不思議がりもせず、自分の過去を思い出そうとも努めない。そもそも、小説の中でも彼の容姿に関する記述がほとんどない。だから、彼が何歳くらいなのか、太ってるのか痩せてるのか、長身なのか中背なのか小柄なのか、黒髪なのかブロンドなのか茶髪なのか、イメージできない。作者はわざと書かなかった。でも、読者としては不安定な読み心地。

 
 作中では、夏だからか天気が安定せず、雨が降り続く。もともと土地が低いネーデルランドは、ポンプで水を汲み上げ海に排水しながら生活している。そして、どぶ川のような水をたたえた水路が縦横に走っている。ひとたびペストが侵入すれば、あっという間に水路を伝って感染するだろう。不安で押しつぶされそうな住民。

 それに、アフリカ航路の船乗りたちの奇病も気味悪い。寄生虫が人間の脇腹などに入り込み、1年から1年半で死に至るという話。熱帯のハエの一種が、人間の傷口に卵を産み付ける話は知っているが、それとは違うようだ。気持ち悪いよね。でも、この寄生虫には裏があって…。

 現代美術と違って、このカメラもない時代、画家の観察眼や記憶力は素晴らしいものだったんだろう。ラファエロの指紋が付いてるから本物って…。すごいなぁ。でも昔は、そういう事もあったんだろう。
コメント

椰月美智子 「伶也と」 文藝春秋社

 | その他
 これを何と形容したらいいか…。純愛小説? それとも執着小説?

 直子はロックバンドなど全く興味のない地味な女性。高学歴で理系の大学院を出て専門職に就くが、体調不良で転職。その転職先の同僚に連れられて、まだ無名だったロックバンド「ゴライアス」のライブに行き、そこでボーカルの伶也に魅せられる。
 (小さなライブハウスでの、追っかけファンたちの熱狂というのが、よく理解できない。そういえば私、コンサートには行ったことあるけど、ライブって行った事ないよな、と今更ながら自分で驚く)
 直子も、そんな私と同じようなタイプだったが、ステージの伶也と目が合った瞬間、世界は変わる。「細胞のひとつひとつが一斉に開き、つぼみの開花を早送りするように、直子の身体が一気に外に向かって拓けていった」(本文より引用)

 Kポップのアイドルがステージで「皆さんを愛しています」と言う時、その言葉にズキッとしたりクラクラする女の子(もちろんオバハンも)を否定はしないが、こんなホール一杯の女の子に愛を捧げたら、1人1人が受け取る愛情は無きに等しい分量だろうなぁ、とは思わないんだろうか? 私だったら心の中で「愛してくれなくて結構です」と応えるね。私がコンサート会場に行くことはないけど。

 どんなに熱狂しても、ほとんどの人は、ある程度時間がたちアイドルが結婚したり人気が落ちてくると、自分の周囲の人に目を向け、つきあったり結婚したりするんだろうが、この直子は違う。
 ゴライアスがスターダムを駆け上がり、伶也が人気絶頂になり、やがて結婚、離婚、そしてスキャンダルにまみれ、事務所から見放されても、直子だけは見放さない。母親のように。
 覚醒剤で捕まった時の保釈金も、直子が用立てるのだ。なんだか怖い。


 角田光代に『くまちゃん』という短編小説集がある。その中の1篇に、全国区レベルまでは行かなかったが、そこそこ人気のあるバンドが解散した話がある。どこでもボーカルが一番人気で、バンドやってた時はモテてモテてしょうがなかった。言い寄ってくる女の子の1人と付き合っていたが、解散とともに女の子たちはキレイに離れていく。付き合っていた女の子からも別れを切り出される。
 でも元ボーカルは、さほどショックを受けない。そんなもんだと思っている。この男の強さを、伶也に分けてやりたいね。
コメント

三浦しをん 「桃色トワイライト」 新潮文庫

 | 三浦しをん
 面白い!!! 1976年生まれのしをんさんの20代終わりころの日常を綴ったエッセイ。先回呼んだ『乙女なげやり』より少し後。私の中学・高校時代に、しをんさんのような同級生がいたら、仲良くなれたのに…なんて妄想している。私の方が18才も年上だけど。

 エッセイを読んで驚かされるのは、仕事関係では無い同年代の友人が本当に多く、頻繁に会っていること。彼女は私立の中高一貫の女子校を卒業していて、結束が強いんだろうか? さぞ楽しい学校生活がおくれたんじゃないかと思う。うらやましい。

 女性の20代終わり頃って、同級生が次々結婚したり出産したりと忙しくなり、今まで仲良しでも徐々に疎遠になることが多いのだ。
 しかし、しをんさんと彼女の周りの人たちは、オタク道をバク進。よくもまあ、こんなに真性オタクが集まってるな、と思うほど。脳内で十分楽しんでいるから、現世での喜びはさほど追求しない。

 ずいぶん前に、しをんさんと中村うさぎさんとの対談を読んだことあるけど、誰が企画したのかな? 彼女は中村うさぎとは真逆のタイプであり、正反対の道を追求している。
 例えば、映画の試写会で、大ファンのオダギリジョーと引き合わせてもらえるチャンスがあった。しをんさんは、仮面ライダークウガを観て、オダギリジョーの大ファンになり、このエッセイでもオダジョーの事ばかり書いてあるのだ。
 でも、しをんさんは会うのを断る! ビックリでしょ? でも、その気持ち、わからなくもない。同じオタク気質の私としては。
 しをんさん本人は「断食明けに、いきなり満漢全席を食ったら、腹下しちゃうだろ」と答えているけど、ビミョーに違うと思う。生身のオダジョーに会いたくないんだよ。脳内のオダジョーが壊れてしまうから。

 また、他の章では友人と『物陰カフェ』を考案する。女性客を狙ったコスプレ喫茶。かっこいい男の子たちを集めたカフェだと、ホストクラブと同じになってしまう。あくまでもオタク女性たちのための『物陰カフェ』
 具体的には、店員さんである素敵な殿方とおしゃべりして親しくなろうとするんじゃなく、かっこいい男性たちの仲良く働く様子を物陰から見守るカフェ。従業員と客との会話は禁止。

 なるほどなるほど。ただ、いくら容姿は優れていても生身の人間。嫌な部分だっていっぱいある。自分の脳内で考えているように都合よく行動してはくれないよ。

 という事は、演技を要求されるわけだから、テーブルにコーヒーを置いて小芝居を観劇という事じゃない?
コメント

三浦しをん 「まほろ駅前多田便利軒」 文春文庫

 | 三浦しをん
 巻末の解説で鴻巣友季子が「読んでいて気持ちがいい」と書いている。鴻巣は、文章・文体で気持ちがいいと表現しているみたいだけど、私は…登場人物が読んでいて気持ちがいい、読後感が気持ちがいい、作品全体が気持ちいいと表現したい。

 そう、清々しいのだ。もちろん、主要登場人物の多田や行天にも、内面にマイナスの感情は渦巻いているが、それすらドロドログチャグチャしない。女流作家にしては、珍しい人だと思う。

 まほろ市は東京のはずれに位置する都南西部最大の町。(どうも町田市をモデルにしているらしい) 駅前で便利屋をやっている多田のもとに、高校の同級生・行天が転がり込んできた。といっても2人は高校時代、仲が良かったわけではない。多田は調子のいい男だったし、行天は変人奇人だった。偶然、再会した2人。会社を辞め、行くところのない行天が転がり込んだのだ。

 便利屋の経営も大変だと思う。庭の草むしり、ペット預かり、塾の送迎、納屋の整理などなど。「自宅前にバス停があるが、どうもバス会社が間引き運転をしているようだ。1日見張ってチェックしてくれ」という変わった依頼もある。自宅前だったら、カメラでも設置してチェックすればいいのにと思うが、便利屋さんに頼んだ方が安いんだろう。いったい時給いくらなんだろうか?

 そういえば、私の実家の近くで、便利屋を開業した夫婦がいた。実家の母も、時々片づけを頼んでいたが、いつのまにか転職していた。やっぱり儲からないよ。12月のように忙しい月ばかりではない。

 なぁんて、いらぬ心配をしてしまう。だって金が無いからといってエアコンを付けないのだ。ヘビースモーカーだし、大酒を飲むし。特に行天。
 行天は、下っ端ヤクザにもケンカをふっかけるクレージーな所がある男だ。彼のおかげで、覚せい剤の売人と知り合うが、この売人をも爽やかに描いちゃうから、しをん先生、いけません。

 どうして、こういうサッパリした雰囲気なんだろうな? 性的なドロドロを書かない(書けない)せいなんだろうか?
 行天の元妻が言う。「健康上の理由や信条のために禁欲しているひとなんて、いっぱいいますよ。べつにおかしくないでしょう」その他の理由で、いや理由なくても禁欲している人、いっぱいいる。
 女流作家にありがちな「恋愛こそすべて」「男を発情させてなんぼ」「性交回数、性交人数は多いほど素晴らしい人生」なんていう押し付けがましさが、三浦しをんには無い。

 そこが、コットンの下着のように気持ちいい。
コメント

たもさん 「カルト宗教 信じてました」 彩図社

 | その他
 『エホバの証人2世』の私が、25年の信仰を捨てた理由  というサブタイトルが付いている。

 たもさんのお母さんは、たもさん小学校5年生の時『エホバの証人』に入信。姉弟4人の中で上から2番目のたもさんが、一番お母さん子だったんだろう、エホバの証人の集会について行くようになり、どっぷりと宗教につかって、13歳でバプテスマ(洗礼のようなもの)を受けて、正式にエホバの証人になった。
 13歳、つまり中学1年か2年の時。自らの意志とは言え、ちょっと早いような…。
 キリスト教圏では、生まれてすぐ洗礼を受けるのが普通じゃん?という声が聞こえてきそうだが、なんといっても世間的にはカルト宗教。成人するまで周囲が待つように諭すべきだと思う。

 エホバの証人の信者という事が周囲に分かってしまっているから、学校ではクラスメートから距離を置かれることが、よくあったみたい。学校には居場所が無くて、エホバの証人のコミュニティで自分は受け入れられている、ここが自分のいるべき場所だ、と思い込んでしまったんだろうね。

 この思い込みを吹っ飛ばすのが、息子さんの病気だった。たもさんは25歳の時、同じエホバの証人の旦那様と結婚。かわいい男の子を生んだ。この息子さんが4歳の時、重い病気を発症。血液製剤を投与し、輸血の必要があるかもしれないと、同意書にサインを求められる。

 エホバの証人は、学校現場でもめることが多く、柔道や剣道、ボクシングなどの闘う教義はNG。でも一番NGで有名なのは輸血拒否。実際、昔これで親が未成年の子供の輸血を拒否し、死亡したことがあったらしい。
 今は、そういう場合、病院は輸血拒否した親を裁判所に訴えて、親権を停止し輸血を強行するようだ。

 結局、たもさんたち夫婦は、輸血の同意書にサインし、教義に疑問を持つようになり信者をやめる。親としては当然だと思うよ。

 熱心な信者の、たもさんのお母さんは、死に瀕している孫を前にしてこう言い放つ「ちはる(孫の名)が輸血で助かったとしても、せいぜいあと数十年生きるだけでしょう?輸血を拒否すれば、エホバから永遠の命を貰えるのよ! 数十年と永遠、どっちが長い?」
 狂信的な人には、何を言っても無駄!!

 すごいなぁ、なかなか言えないよね。こんなセリフ。だいたい、そんなに永遠に生きたいだろうか? 人魚の肉を食べたので死ねなくなって彷徨う尼さんの伝説があったなぁ。
 この世はサタンが支配しているため、近い将来、エホバはハルマゲドン(なつかしーーー!オウム真理教もハルマゲドンが来ると言ってた)でこの世を滅ぼして、エホバを信じる人だけが生き残り、死んだ信者たちも復活し、地上の楽園で年を取ることなく、永遠に生き続ける、という教義。

 不老不死って刑罰だと思う。
コメント