ケイの読書日記

個人が書く書評

芥川龍之介 「きりしとほろ上人伝」 青空文庫

2024-03-19 14:40:02 | 芥川龍之介
 最初は「ねずみの嫁入り」みたいな話だなという感想を持った。もともとはキリシタン向け説話集のなかの話を、芥川が潤色したもの。だから原本の話は、もっとスカスカの骨組みだけの話なんだろう。

 遠い昔「しりあ」の国の山奥に「れぷろぼす」という大男がいた。10メートルくらいというから本当に大きいね。「進撃の巨人」の巨人を思い描いてほしい。ただ、その大男はとても優しく力持ちで、皆に親切にしていたから、多くの人に慕われていた。
 その大男が「天下一の大将に仕えたい」という希望をもって町に出向き、戦で手柄を立てて大名に取り立てられ、願いがかなったように見えた。戦勝祝いの宴で、大酒を飲んでごきげんの「れぷろぼす」は、仕えている帝が事あるごとに十字を切るのが不思議でならない。近くの侍になぜかと尋ねると、侍は「帝も悪魔の害を払おうとして、十字の印を切って、御身を守るのだ」と答えた。
 それを聞いた「れぷろぼす」は、「帝より悪魔の方が強いのであれば、自分は悪魔に仕える」ととんでもないことを言い出し…

 より強いものに仕えようとする「れぷろぼす」は、自分の娘をより強い相手に嫁がせようとするネズミの両親と似ている。まあ、この「きりしとほろ上人伝」はキリシタン向けの説話集だから、最後にイエス・キリストが一番強く、イエス・キリストに仕えることになるのは容易に想像できるけど。

 西洋の話を、無理やり日本人向けの説話にしようとしているので、おかしな個所はいっぱいある。(芥川が悪いのではない。西洋独自のものを、日本にあるものに当てはめようと必死なのだ)
 特に最後の方の「れぷろぼす」が、大荒れの天候の中、子どもを肩に乗せ、荒れ狂う川を渡ろうとする時、小鳥のシジュウカラがたくさん彼の頭の周りを飛び交っているシーンなんて、なんでシジュウカラ?!ここは小さな天使様じゃないの?と思わずツッコミを入れたくなる。

 それにしてもどうして一神教の神様は、いつも信仰心を試すのかな?自信がないの?
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芥川龍之介 「南京の基督」 青空文庫

2024-03-12 10:12:36 | 芥川龍之介
 芥川の小説のレビューを書いていて、いつも思う事だが、彼のテーマみたいなものについて感想を書くという事はほとんどない。だって、あまりにも完璧だもの。この箇所はおかしいんじゃないか?とか、こうした方がもっと面白くなるんじゃないか?なんて事は与太話にしても書けない。だから短編の端っこの、ちょっと興味を持った部分を書く。

 この短編のおおまかな粗筋はこうだ。金花という貧しい私娼が客を取って糊口をしのぎ父親を養っていた。彼女は器量はさほどでもないが、気立てがよく、深くキリストを信仰していて、部屋には小さな十字架がかかっていた。
 客から「こんな稼業をしていたのでは天国に行かれないのではないか」と問われても、金花は「天国にいらっしゃるキリスト様は、きっと私の心持を汲み取ってくださると思います」と答えていた。
 そんな彼女は、客から梅毒をうつされ具合が悪くなってしまった。自分の病気を客にうつさないよう客を取らないでいたら、当たり前だがどんどん生活は逼迫していく。同輩の娼婦たちは、客に梅毒をうつせば自分は治るという俗説があるので、金花をさかんに唆す。でも金花は、それを拒んでいた。
 ある夜、泥酔した知らない客が来て、金花の部屋に居座る。その顔になんだか見覚えがある気がしていたが、どうも十字架に磔になっているキリスト様に似ているような…

 皆様、期待してもダメです。そんなファンタジックな終わり方はしません。現実は悲惨そのものです。結末を知りたい方は、本を読んでください。

 この短編は1920年(大正9年)に発表されたものだが、清朝が衰退し、外国人が押し寄せ中国の富をむしり取っている様子がよくわかる。中国人の金持ちはほんの一握りで、大部分の民衆は貧しさにあえぎ、貧しい若い女は体を売るしかない。私娼はこの時代どこにでもいたのだろうが、公娼に比べ性病のチェックがなされず、より悲惨だっただろう。
 それにしても客にうつせば自分は治る、なんて俗信があったんだね。第1期から2期のあいだに潜伏期があり、一時的に回復したように感じられたんだろう。
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芥川龍之介 「さまよえる猶太人」 青空文庫

2024-03-01 14:53:19 | 芥川龍之介
「猶太人」とかいて「ユダヤ人」と読むそうです。「さまよえるユダヤ人」の伝説みたいなものがある事は知っていたが、内容は知らなかった。こういう事らしい。

 ゴルゴダへひかれていくキリストが、ある男の家の戸口に立ち止まって息を整えようとしたら、男は大声で「さっさと行け」と怒鳴りつけ殴った。キリストは彼に「行けというなら行かぬでもないが、その代わり、その方はわしの帰るまで待っておれよ」と告げた。男はその後、洗礼を受けてクリスチャンとなったが、一度負った呪いは解かれない。最後の審判の来る日まで、永久に放浪を続けているらしい。

 キリスト教国には、どこにでもこの伝説が残っていて「さまよえるユダヤ人」が時々あらわれるようだ。
 そこで芥川は、その「さまよえるユダヤ人」が日本にも来てるんじゃないかと考え、調べだしたのだ。偏執的。そもそも天主教はこの国でそんなに一般的だったんだろうか? この短編の中に「14世紀の後半において日本の西南部は大抵、天主教を奉じていた」とあるが、本当だろうか? だってキリスト教が伝来したのは、フランシスコ・ザビエルが来日した1549年だよね。だから16世紀だろう。それになんといっても、まだまだ仏教が主流だったんじゃないの?
 でもキリシタン大名も沢山いたから、その領地民はキリスト教徒だっただろうね。

 とにかく芥川は、長崎の島々で古文書を漁っていたところ、偶然手に入れた文禄年間の古文書の中にそれはあった。伝聞を口語で書き留めた簡単な覚書。
 それによると「さまよえるユダヤ人」は、平戸から九州本土に渡る船の中で、フランシスコ・ザビエルと邂逅した。どうも普通の漂泊者とは違うのでフランシスコの方から声をかけ話し出したところ、インドや東南アジアの今昔にべらぼうに詳しい。「そなたは何処のものじゃ」と尋ねると「一所不住のゆだやびと」と答えたという。そしてキリストがゴルゴダで十字架を負った時の話になったという。

 どんな時代にも、どんな地域にも、自分を「さまよえるユダヤ人」と思い込んでしまう人はいるんだね。この極東の島国まで出張してくるとは。
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芥川龍之介 「黒衣聖母」 青空文庫

2024-02-19 10:35:57 | 芥川龍之介
 「マリア観音」という観音像を直接見たことはなかったが、話には聞いていた。キリスト教が禁止だった江戸時代、周囲にクリスチャンだとバレないように聖母マリアのかわりに、観音様に似せたこのマリア観音を礼拝したという。そのマリア観音についての、ちょっとしたホラーを芥川が短編にしている。

 田代という友人のコレクターが私の家に来て、一体のマリア観音を見せ、それにまつわる怪異を語りだした。この像は、新潟県のある町の素封家にあったものだが「禍を転じて福とする代わりに、福を転じて禍とする縁起の悪い聖母」らしい。実際、そういう事実が持ち主にあった。まあ、その禍が起こったのは江戸時代末期の話だし、医療技術がなかった時代の話だから、病が流行すればバタバタ人が死ぬのはよくあることだろう。怪異というほどの事でもないと思う。

 私が気にかかったのは、マリア観音が新潟にあったという事。長崎じゃなくて? この稲見の先祖は、長崎から新潟に流れてきて、そこでずっとひっそり信仰を続けてきたのだろうか?江戸時代の間ずっと?!
 それともキリスト教の宣教師は、新潟まで布教に行って、そこで信者を増やしていったんだろうか?うーーーーん、分からん!誰か教えてくれ!

 でも、どうやって信仰を伝えていったんだろうね。表向きは仏教徒のはず。キリスト教を信仰していると死罪になるから、我が子であっても子供のうちは知らせないだろう。事の重大さを認識できる年齢になってから伝えるだろう。ひょっとしたら、死の間際に伝えることになるかも。その時、伝えられた子どもは、どういう反応をする?うすうす知っている子供もいるだろうが、驚いて困惑する子もいるに違いない。それどころか、迷惑だ、聞かなかったことにする子供もいると思うよ。

 だって、この新潟の稲見という素封家に代々あったマリア観音を、持ち主は田代というコレクターに渡した訳だからね。200年以上も隠れ忍んで信仰していた先祖代々の守り神を。信仰心なんてものは、時間がたつにつれて薄れていくものだ。
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芥川龍之介「秋」(大正9年初出)青空文庫

2024-01-29 13:17:33 | 芥川龍之介
 これが大正デモクラシー時代の知識階級の(特権階級ではない)恋愛事情か…としみじみ感じる作品。

 信子は女子大学(この時代に女子大学なんて!すごいなぁ)に在学中から才媛として有名で、本人も周囲も彼女が小説家として身を立てるだろうと思っていた。しかしこの時代、女は学校を出ればまず結婚するという、世間の習慣や母親の期待には逆らえなかった。

 信子には、俊吉という同じく作家志望の従兄弟がいて親しくしていた。信子の妹と3人で一緒に展覧会や音楽会に行くこともよくあった。が、妹が俊吉に好意を寄せていると知った信子は、身を引いて別の男と結婚し、大阪へ行ってしまう。
 残された妹と俊吉は、姉の目論見通り結婚し、山の手郊外へ新居を構える。

 この2組の夫婦は、それぞれ小さなケンカはあるが、仲が良いんだ。信子夫婦の方は、夫は妻が小説を書こうとすることに反対している訳ではない。なによりも身ぎれいで都会的な夫を信子が気に入っている。ただ最近は、もう少し家計を節約できないかと小言を言われる。(結婚した芥川の世帯でも、こうした話し合いがもたれただろうね)
 妹夫婦の方は、夫の俊吉は希望していた通り新進作家として活躍し、雑誌にも時々名前が載っている。
 信子夫婦が、社命を帯びた夫と一緒に東京に戻った時、信子は一人で妹夫婦の家を訪問する。あいにく、その時は妹とお手伝いの人は外出していて、俊吉だけが家にいた。お互いに昔のような懐かしさが蘇ってきたことを感じ…

 安心してください。これは大正時代の知識階級の話。現代のようなドロドロした状態にはなりません。でも、丁寧に二人の、そして妹さんの心の動きを追っているね。見事です。

 そうそう、信子は妹の挙式の時に式に出ていない。手紙に「何分、当方は無人故、式には不本意ながら参りかね候へども」と書いて妹や母親に送っているが「無人」って何のこと?お手伝いさんを雇っていないから、家が留守になるので式に出られないってこと?
 それに信子夫婦は自宅で長火鉢を使っているし(捕り物帳みたい)信子が、夫の襟飾の絽刺しをしているという描写もある。という事は旦那様は和服をお召しになっている?いくら大正時代でも会社勤めの時は背広だろう。つまり家では和服に着替えるのかな?うーーーん、大正時代の習慣がよくわからない。
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