ケイの読書日記

個人が書く書評

森博嗣「冷たい密室と博士たち」

2014-11-29 10:35:02 | Weblog
 先にTVドラマを見て、その後、読んだので、どんなトリックかな?というワクワク感がなくて、少し残念。
 しかし本作は『F』以上に、驚くほどバリバリの本格ですね。直球ど真ん中!!


 低温度実験室を訪ねた犀川先生と萌絵。氷点下20度の実験室で、宇宙服のような防寒スーツを着た2人の大学院生が、交代で作業に取り組む。
 作業は無事に終了して、その後、冷えている実験室内で納涼コンパが始まる。(季節は夏)しかし、他の大学院生たちは来ているのに、肝心の実験作業をした二人が来ない。
 おかしいと探し回ると、実験室の隣の鍵がかかっている準備室・搬入室で、背中から刺されて死んでいる二人を発見。大騒ぎになる。
 被害者二人と犯人は、どうやって中に入り、そして犯人はどうやって外に脱出したのか?

 通常、内側から開けることができるシャッターは、当日、故障していて、閉まったまま動かない。鍵はカード式で、複製したとは考えられない。つまり、完全な密室殺人。

 低温度実験室のある極地環境研究センターの平面図もついている。だから、じっくり考える事はできるが…すごく難しい。というか『F』などと比べて舞台設定が地味で、途中で少し飽きてしまう。第3の死体も、第4の殺人も、「へー、それで?」っていう感じ。
 でも、もともと、ど本格というものは、地味なのかもしれない。



 話は変わるが、本書の最初に、犀川先生が作った数学の入試問題を、会議で話し合う場面がある。「シンプルでエレガントな数学」   ああ、いったいどんなんだよ。数学がエレガント?!そんなこと思っている人が、この世に存在するとは…。
 東野圭吾の『容疑者Xの献身』のXだったら、数学はエレガントだと感じるんだろうね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森博嗣「封印再度」

2014-11-24 13:47:16 | Weblog
 『WHO INSIDE』と小さいサブタイトルが付いているので、どうして?と不思議だったが、これ、語呂合わせになっているんだ。「封印再度」→「ふういんさいど」→「WHO INSIDE」
こういった言葉遊びが、この本のあちこちにある。

 
 50年前。仏画師の香山風采は息子に、血まみれになった家宝「天地の瓢」と「無我の匣」を遺して、密室の中で謎の死を遂げた。風采の死は自殺か他殺が事故死か、現在でも誰にも解かれていない。そして今度は、息子の林水が死体となって発見された。父親の時と同様、血が付いた「天地の瓢」と「無我の匣」を遺して…。

 密室のトリックや凶器消失のトリックなど、素晴らしい! へぇーーー!そんな物質がこの世にあるの?って心底、驚き感心する。
 ただ、この小説は、縦糸にミステリ、横糸にラブコメディが織り込まれていて、ミステリ部分も素晴らしいが、ラブコメディの要素が強すぎて、どうもそっちに引っ張られてしまう印象がある。

 なにしろ、萌絵さんの犀川先生に対するアプローチがすごい!! ちょっとちょっと、萌絵さん!男ってのは、あんまり追いかけると、かえって及び腰になるもんよ、とアドバイスしたいほど。
 それに、ミステリ部分のおどろおどろさが少し足りないような…。横溝正史を彷彿させるような時代がかった魅力的な謎だけど(森先生には失礼だと思うが)三津田信三のような伝奇・怪奇譚を得意とする作家の方が、うんと不気味な雰囲気がでるだろうね。


PS. 犀川&萌絵が、車で外出先から帰る時、萌絵さんがお腹がすいたといって、ヒルトンホテルの天婦羅屋さんに入店する場面がある。一番安いのでも12000円。5ケタだよ4ケタではない。二人で美味しく食事をするが、犀川先生が「料理は2000円くらいから、コストパフォーマンスが下がる」という話をした。私も激しく同意します。
 萌絵さん、国立大学の助教授の給料など、たかがしれてる。こういった人は収入のほとんどを本につぎ込むんじゃない? こういう時は24時間営業の牛丼屋へ行ってください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森博嗣「数奇にして模型」

2014-11-19 10:53:47 | Weblog
 『すべてがFになる』が、あまりに面白かったので、この犀川・萌絵シリーズを読もうと図書館の書架を見たが…あらかた借りられてるらしく、このシリーズの9作目『数奇にして模型』しかなかった。
 TVドラマ化されたので、私のように読んでみようと思った人が多かったんだろう。ちなみに『F』は借りるの絶対無理だろうと思ったので、私にしては珍しく購入。

 いくら森博嗣が優れたミステリ作家でも、シリーズ9作目だと、パワーダウンした感は否めない。それでも、他の作家の「なんだよーーー。こんなんアリかよぉ」という作品よりは数段上。


 模型交換会会場の公会堂で、モデル女性の死体が発見された。死体の首は切断されており、発見された部屋は密室状態だった。同じ室内で、殴られ気絶していた大学院生に疑いの目が向けられたが、彼は同時刻にM工大で起こった殺人事件の容疑者でもあった…。

 『F』の時から3年たち、萌絵さんは大学4年生になっている。もうちょっと落ち着いて! 突っ走りすぎ! 読んでいてハラハラするなぁ。
 しかしねぇ…最後の最後まで、自分に向けられた害意を感じ取れないものかなぁ。こういった負の感情って、なんとなく分かるものじゃない? 理系の頭を持っている人って、そういう所が弱いのかなぁ。
 だったら萌絵さんの対抗馬として、感覚だけで生きている芸大生なんかが登場したら面白いかも。


 この小説の舞台となった鶴舞公園は、実在する広くて美しい公園です。レトロな建物も多く、公園内でコスプレの撮影会が開催されたりします。
 小説内で模型交換会が行われた公会堂も、なかなかレトロな外観なんですよ。
 名古屋駅から地下鉄で4駅だし(乗り換え1回あり)、若い人だったら歩いても1時間くらいだと思う。
 名古屋に来た時には、時間があったら、ぜひお立ち寄りください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森博嗣「すべてがFになる」

2014-11-14 14:03:55 | Weblog
 森博嗣の作品は、瀬在丸紅子シリーズを2冊ほど読んだだけで、ストップしていた。
 でも、サナダさんが高く評価しているし、TVドラマ化されるというので、私も彼の代表作を読んでみる。
 正直、さほど期待していなかったが…これは名作ですね。間違いなく。

 この感覚、何かに似ていると思ったら、綾辻行人の「十角館の殺人」の読後感と似ていた。あの時も「なんでもっと早く読まなかったんだろう。ちぇっ!損した!!」と激しく後悔したのだ。「十角館の殺人」では、綾辻の、本格ミステリにかける情熱に感激したし、この「すべてがFになる」では、森博嗣の、ち密で論理的なトリックに驚かされる。それにタイトルがいい。読者うけを狙って、内容に関係なくかっこいいタイトルを付けることが多いが、これはハッタリではない。本当に、すべてがFになるとき、事件の怖ろしさが表面化するのだ。

 Fって、こういった使い方もあるんだね。もちろん私は知らなかったし、知ってる人は理系でも多くはないだろうが。詳しくは、この本を読んでください。


 孤島のハイテク研究所で、少女時代から完全に隔離された生活を送る天才工学博士・真賀田四季。
 彼女の部屋は地下二階にある。彼女側からは絶対開かないように設計されているはずの扉が、原因不明のコンピュータの不具合のせいか開いて、彼女の部屋からウェディングドレスをまとい両手両足を切断された死体が現れる。なんと、ワゴン型ロボットにのせられて…。
 ゼミ旅行で島を訪れていたN大助教授・犀川と、大学1年の萌絵が、この不可能密室殺人に挑む!

 なんだよーーー!!!こんなんアリかよぉ!というトリックではない。そうだ!そうとしか考えられない!そう考えると、全ての辻褄が合う、読んだ人すべてが、すとんと納得するトリック。


 余談だが、この真賀田研究所のある妃真加島(ひまかじま)は、本当は日間賀島。ちゃんと三河湾に浮かんでいます。一色港とか篠島とか、よく知ってる地名がそのまま出てくる。こういう所に、森博嗣の郷土愛を感じます。
 彼は、東海中学→東海高校→名古屋大学工学部だから、他の土地の事をよく知らないからかもしれないが、私にとってはすごく嬉しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「新美敬子の世界の街角・猫さんぽ」

2014-11-10 17:11:35 | Weblog
 猫の写真集に、ちょこっと筆者のエッセイが付いている。猫って、犬と比べて、さほど品種差がない。それだけ、人間の手が入ってないという事か?

 三毛猫って日本独特のものかなと勝手に思い込んでいたが、世界のあちこちにいるんだ。ただ、三毛猫は日本では他の猫に比べ、大切にされる。昔、三毛猫の皮で三味線を作るので、三毛猫を専門に捕獲する業者がいるんだと聞いたことがある。本当だったのかな?
 毛並みを利用するなら、三毛猫が大事にされるのはわかるが、皮を利用するんだから、どんなネコでもいいじゃん!と今になって思うね。


 ギリシャの世界遺産・パルティノン神殿に、猫が10数匹住みついていると書いてあったので、驚いた。昔からそうらしい。
 猫が、あちこちでガリガリと爪とぎしたりして、遺産に被害が出ないんだろうか? イギリスの古城でも、ねずみ退治のため絶対に猫が飼われていたそうだから、パルティノン神殿もねずみ対策?
 でも、日本の金閣寺に猫が10数匹、棲みついていたら追い出されると思う。石造りの遺産と、木と紙でできた遺産の違いだろうか?


 猫がのんびりくつろいで日向ぼっこするパルティノン神殿か…。いいなぁ。絵になるね。神秘的でもある。神秘性で言えば、絶対、犬よりも猫! そういえば、古代エジプトにも、猫の頭をした女神様がいたような…。

 猫を観光資源にしようとする自治体もあるらしい。マレーシアのクチンという町。クチンというのは、マレーシア語で『猫』の意味らしい。クチンでは、白い猫が幸福を招くと信じられていて、きれいにシャンプーして、その白さを保つのだそうだ。

 日本でも、猫島や猫寺と呼ばれる場所がある。東北の猫島は田代島と言ったっけ。有名。一度、行ってみたいなぁ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする