ケイの読書日記

個人が書く書評

志賀直哉 「剃刀」

2020-07-31 17:15:51 | その他
 この短編を子どもの頃読んで、すごく怖かったので覚えている。
 
 明治の終わり頃の話。床屋の主人が風邪のため臥せっていたが、奉公人たちに任せておけず、仕方なく自分で仕事をやり始める。もともと職人肌の人で、特に剃刀を使う事にかけては名人だった。
 しかし、その日は体調が悪く、なかなか上手く剃刀を研ぐことができない。イライラしている所に若い客が「ヒゲをそってくれ」と入ってくる。
 どうも今から遊女屋へ行くらしい。この下種野郎が薄汚い女郎屋に行くのかと思うと、ムカムカして罵声でも浴びせたいが、ぐっと我慢してヒゲをそり始める。でも思うように剃れない。特にノドの部分がどうにもうまくいかない。
 そうしているうちに刃が引っかかり、わずかだが喉の皮膚を薄くはいでしまった。じっと淡い紅がにじむとみるみる血が盛り上がってきた。その時、床屋のおやじに一種の荒々しい感情が起こって…。

 ああ、怖い。こんなの読むと、顔ぞりに行けなくなるよ。考えてみれば、よくあんな無防備な体勢になれるなぁ。

 こういった描写が作品中にある。「のどから頬、あご、額などを剃った後、のどの柔らかい部分がどうしてもうまくいかぬ。こだわりつくした彼は、その部分を皮ごと削ぎ取りたいような気がした。。きめの荒い一つ一つの毛穴に油がたまっているような顔を見ていると、彼はしんからそんな気がしたのである。若者は、いつか寝入ってしまった。がくりと後ろへ首をもたせて、たあいもなく口をあけている。不ぞろいな汚れた歯が見える」
 ああ、まるで自分の事を描写されている気になるね。

 とても短い作品だが、床屋の主人の焦燥感やら倦怠感がよく書かれていて、見事な作品だと思う。
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志賀直哉 「清兵衛と瓢箪」

2020-07-24 15:50:52 | その他
 「小僧の神様」でもそうだが、ラストにちょっとしたサプライズがあって、ユーモラスな短編。この作品で志賀直哉を好きになる人も多いんじゃないだろうか?

 ところで皆さんは、瓢箪をご存知だろうか? ひょうたん池なんていう名称がある、あの瓢箪。昭和33年生まれの私ですら、めったに現物を見た事がないので、現代の皆様がよく分からないのも無理はない。そうそう、蕎麦屋の七味唐辛子入れに、たまに小さな瓢箪が使ってあったりする。
 しかし本来、中国の古典にも出てくるように、水や酒を入れる水筒のような入れ物なのだ。

 
 清兵衛という子供は、瓢箪づくりに夢中になっている。瓢箪のなかの種やわたを出して、茶渋で臭みを抜き、父親の飲み残しの酒を入れ、しきりに磨いた。瓢箪は、大昔には酒や水を入れて使っていたんだろうが、だんだん実用というより、観賞用のモノになる。
 今でも、田舎の古びた宿屋や商店の片隅に、大ぶりの瓢箪がずらっと並んでいることがある。いやあ、大きいものは本当にでかいの! そして冗談みたいに高価! 盆栽のように手をかけお金をかけ、立派な素晴らしい瓢箪を作るブームみたいなものが、たびたび起った。

 清兵衛は夢中になって、他の子供とは遊ばず、瓢箪の手入れをしていて、親は彼をほかっておいた。
 ある時、担任の先生に見つかり「とうてい将来見込みのある人間ではない」と罵られ、瓢箪を取り上げられる。そして親に「家庭で取り締まってほしい」と言われる。担任の先生が、どうしてそこまで瓢箪を目の敵にするのか分からないが、とにかく気に入らなかったんだろう。
 清兵衛の両親は恐縮し(なにせ明治か大正の話)子どもを叱り、残りの瓢箪を壊して捨ててしまった。

 教師は取り上げた瓢箪を小学校の用務員さんに渡し、処分するように伝えるが、用務員はこの瓢箪が少しでも金になればと骨董屋に持ち込み…
 この先は、読んでください。

 瓢箪への夢を断たれた清兵衛は、今は絵に熱中しているようです。
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志賀直哉 「小僧の神様」

2020-07-17 09:59:47 | その他
 これも有名な短編。作者36歳の大正9年に発表された。明治後半か大正前期のお話だろうが、江戸情緒が色濃く残っていて素晴らしい。

 秤屋のお店に奉公している仙吉は、番頭さんたちのツウらしい寿司談義を聞きながら、そういうお店の暖簾をくぐれる身分になりたいもんだと、密かに思っていた。
 ある日、電車の往復代をもらってお使いに出された仙吉は、帰りは歩いて帰ることにして、浮いた4銭で屋台のお寿司を1つだけ食べようと屋台の暖簾をくぐる。
 3つほど並んでいるまぐろ寿司の一つをつまむと、店の親父が「ひとつ6銭だよ」と言った。お金が足りない。仙吉は黙ってその寿司をもどし、しょんぼりと暖簾の外へ出ていく。
 それをたまたま目撃した金持ちが可哀想に思って覚えていた。

 後日、その金持ちは秤を買おうと入った店で仙吉を見かける。もちろん、仙吉の方は全く覚えていない知らないお客さんだ。金持ちは仙吉に秤を途中まで運ばせるついでに、立派な寿司屋に連れていき、自分は用があるからと先に帰り、仙吉にお寿司をたらふく食べさせる。

 この金持ちは、貴族院議員だという。いかにも良家のボンボンといった気弱な慈善家で、自分の行為を大喜びで吹聴し肯定する事をしない。自分も小僧(仙吉)も満足しているはずだが、どうも変な嫌な気持ちだと感じてしまう。育ちの良い人なのだ。こういった人間の心理描写が細かい。

 一方、仙吉の方は、あのお金持ちは神様かもしれない、そうでなければ仙人かお稲荷様だと考えた。仙吉は、悲しい時苦しい時に必ずあの神様を思い出し、心が慰められた。困難に立ち向かう事が出来た。

 ああ、いい話だよね。何十年も読み続けられるだけあるよ。
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志賀直哉 「赤西蠣太」(あかにしかきた)

2020-07-10 14:25:29 | 時代物
 江戸時代初期、仙台藩で起こったお家騒動(いわゆる伊達騒動)をベースにした時代小説短編。
 
 伊達家の実権を握る伊達宗勝派のところに、赤西蠣太(あかにしかきた)という風采の上がらない侍がいた。その将棋友だちに鱒次郎という美青年侍がいたが、実はこの二人、反宗勝派からのスパイ。目立たぬように、いろいろ嗅ぎまわっている。
 悪事の証拠はそろった!さあ、仲間の所に戻ろうと思っても、スパイとバレてしまっては後々のために困る。ここは、武士として面目を失う事をしでかして出奔したという形をとろう、さて不面目な事とは…と二人は頭を捻り、美人で有名な腰元に醜男の赤西が付け文(ラブレター)を送り、手ひどく振られて恥ずかしくて出奔するというストーリーを組み立てる。
 ところが、美人腰元は蠣太のことを憎からず思っていて…という少女マンガのような展開に…。

 この伊達騒動というのは歌舞伎や小説、映画になっていて、宗勝派の敗北で終わる。
 主人公の赤西蠣太にとっては、苦労が報われめでたしめでたしだが、戦国の風がまだ抜けていない江戸時代初期だからか、結構荒っぽいんだ。秘密を知った按摩さんを切って捨てるとかね。

 敵対する勢力にスパイを送り込むなんてことは、よくある話だけど、江戸幕府と外様大名(特に薩摩や長州)の情報戦は凄くて、幕府は薩摩藩に『草』と呼ばれる隠密を送り込んでいる。よそ者は信用されないけど、何代にもわたって住んでいれば信用されるでしょ? そのうち藩の重役になったりして。こういった『草』であるという秘密も、当人が自分はもう長くないと感じたら、次の当主に口頭で伝達されるらしい。
 しかし…次の当主も困惑するだろうね。聞かなかったことにするかもね。
 江戸幕府270年の泰平は、こういった陰険な方法で保たれていたんだなぁとちょとと感心していたら、『ゴルゴ13』で似たような内容の話を読んだのだ。東西冷戦真っ只中の時代、ソ連が衛星国家であったポーランド及び他の東欧諸国に、スリーパーと呼ばれる何代にもわたるスパイを滑り込ましていたストーリー。
 これって本当かな?
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志賀直哉 「城の崎にて」

2020-07-03 14:17:36 | その他
 この『城の崎にて』は、教科書に載っていたのかな? 昔、読んだことがある。
 筆者をモデルとした主人公が、電車にはねられて大けがをし、城崎温泉で静養する話。(山手線の電車にはねられたと書いてあるけど、どうやって? 自分で線路に飛び込んだの? バスや車なら分かるけど)
 それに、そばにいた友人に「フェータルなものかどうか、医者は何と言っている?」と尋ねているが、これって命に係わるケガかどうかって意味だよね。なんでわざわざ英語を使うんだろう? 金持ちの坊ちゃんの言う事は、どうにもよく分からない。ツッコミどころ満載!

 読んだときに、へぇ城崎温泉って鄙びた素敵な温泉なんだ、一度行ってみたいなぁとぼんやり憧れていた。
 そうしたら、社会人になって同僚と3人で城崎温泉に行く機会があったのだ。この小説の舞台は、明治の終わりか大正の初めなので、私が行った時(昭和50年代終わり)とは、かなり雰囲気が違っているだろうが、それでも小さな川に橋がかかっており、川の両岸に人が群れていたりする場面があって、この短編を思い出した。

 そうそう、城崎温泉って、志賀直哉が当時行った時も、私たちが旅行で訪れた時も、宿に湯は引いておらず、「一乃湯」「二之湯」「三の湯」…といった公衆浴場が往来に沿って点在しているのだ。宿泊客は誰でも入浴できる。
 旅館の立派な内風呂を期待していた私は驚いたが、そういった古めかしい温泉情緒が人気だったんだろう。今ではどうか知らない。やっぱり内湯がある旅館の方が増えるだろうね。

 お風呂の事を延々と書いてしまったが、志賀直哉が「生きていることと、死んでしまっていることと、それは両極ではなかった。それほどに差はないような気がした」という心境に達した静かな短編。読み応えあり。 
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