ケイの読書日記

個人が書く書評

益田ミリ 「今日も怒ってしまいました」

2016-04-29 10:36:26 | Weblog
 益田ミリお得意の、いつものエッセイ&4コママンガだが、すごーく考えさせられる話がある。

 「花泥棒」というエッセイの中の話。
 大阪生まれ、大阪育ちのミリさんが上京して6年。近所に洋服屋さんが新装オープンし、店頭にお祝いのお花が並べられた。そのお花を一輪、持って帰ろうとしたら「この泥棒!」と、洋服屋さんの隣の総菜屋のおじさんに怒鳴られたのだ!
 この話を読んで違和感を感じないのは東日本の人。私は名古屋だけど、ミリさんも書いている通り、店先のお祝いの花は「勝手にもらってOK」。開店祝いの花がすぐになくなると、その店は繁盛するといわれ、反対にいつまでも花が残っているような店は流行らないといわれる。
 ミリさんも、そのつもりで花を持って帰ろうとしたら、罵られたのだ。
 いやーーーー、かわいそうだなぁ。大勢の人がいる前で「この泥棒!」って怒鳴られれば、本当に恥ずかしいよ。二度とその通りを歩きたくなくなるね。
 しかし、この年配のおじさん、西の方では、そういう風習があるって話を聞いた事なかったんだろうか?

 それから部屋探しで不動産屋に冷たくあしらわれた事も書いている。
 そうだよね。フリーだから苦労するだろう。あの角田光代さんも、若くて知名度がない時に本当に苦労したって書いてあった。職業欄に「小説家」と書いたら「小説家って、小説を出版してるんですか?」と質問されたそうだ。他に、どんな小説家があるの?
 今は、直近の数年分の所得証明を出せば、対応してくれる所が多いらしい。
 それに保証人! 父親が会社勤めの時はまだいいが、定年退職して年金生活になると、不動産屋は嫌がる。この保証人、皆さん、どうしていらっしゃるのだろうか? こんなに親戚の数が少ないと、頼める人がいなくなっちゃうよ。
 だから、レオパレスみたいな保証人必要なしのアパートが、いっぱい建つんだろうね。


 それから、ミリさんはパチンコ好き。大阪に両親と妹がいて、とっても仲良し。結構きれい好きで部屋はきちんとしている、などなどミリさんの事、いろいろ分かるエッセイです。
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鎌田慧 「橋の上の『殺意』 畠山鈴香はどう裁かれたか」

2016-04-25 10:04:12 | Weblog
 2000年4月、秋田県の山間の町で、小学4年生の彩香ちゃんが友達の家に遊びに行くといって家を出たまま帰宅せず、翌日、川の中州で水死体となって発見された。警察は、川に転落した事故死と判断した。
 それから1か月後の5月、彩香ちゃんの家の隣の隣の家の小学1年生の男の子・豪憲君が行方不明になり、翌日、川の土手で絞殺死体となって発見された。
 なにしろ28世帯しかいない町営住宅で、小学生二人が1か月の間に、あいついで死体で発見されたのだ。町は大騒ぎになる。

 ここで初めて警察は、2件を事件として関連付け捜査を開始。逮捕したのは、最初、川への転落事故として処理された彩香ちゃんの母親・鈴香だった。


 もう10年も前の事件になるんだ。でもはっきり覚えている。なにしろTVのワイドショーは、毎朝この事件でもちきりだった。鈴香は連日TVに出演し、自分の娘と近所の豪憲君を殺した犯人を捕まえてほしいと訴えた。
 ただ地元では、最初から母親の鈴香があやしいという噂が流れ、豪憲君殺しも彼女ではないかと囁かれていた。
 なんせ豪憲君は、自宅から80メートルほど離れた所で友達やその母親とサヨナラして、鈴香の家の前を通り、家に帰るところで行方不明になったのだ。不審者、不審車両の情報はなし、被害者の叫び声も悲鳴も聞こえてこなかった。


 彩香ちゃんについては、殺意があったのか事故だったのか、本人にも分からない。ただ彩香ちゃんが橋から川に転落した時、すぐに救急車を呼ばず家に逃げるようにして帰ったのは(弁護側の精神科医は『健忘』としている)もし事故だとしても、鈴香に重大な過失があったのだろう。

 でも、母親としての鈴香の気持ちも分かるような気がするなぁ。
 夕方になって娘が川で魚を見たいと言い出す。暗くなってるから見えないよと諭しても、娘は見たいと駄々をこねる。しかたがないので車でサクラマスがよく集まるという橋の上に行き、川をのぞかせ帰ろうとしたら、娘が身を乗り出してもっとよく見たいから「お母さん、身体をつかんでいてね」と頼んでくる。
 体調が悪くて、早く家で横になりたいのに、なんて身勝手な子だろう。ああ、うざい。目の前から消えてくれたら…
 そういう気持ちが一瞬でも胸の中をかすめても不思議はない。

 豪憲君殺しは認めている。ただ、その動機を鈴香の弁護側は「自分の娘は死んでこの世にいないのに、豪憲君は元気なのでうらやましい。天国で娘と一緒に遊んでほしいと思い、豪憲君を殺した」と主張しているが無理がある。
 もしそうなら、同じような年恰好の女の子を殺害するだろう。だいたい、カッとなって衝動的に首をしめたなら素手でだよね。わざわざ軍手をはめ、紐で首を絞めるだろうか?どう考えても計画性があると思う。
 裁判所は「彩香ちゃんが邪魔だから殺したと噂された鈴香が、世間や警察の目をかく乱しようと連続殺人犯をでっちあげた」という判断をしている。しかし…これもしっくりこないなぁ。
 一部の人が主張している「彩香ちゃんを車に乗せ橋に行くところを豪憲君に目撃されたor目撃されたと思い込んだ鈴香が、口封じのために殺した」が一番納得できるような…。


 筆者の鎌田慧は、さかんに「鈴香の育った劣悪な家庭環境」を言い立てているが、私にはそれほど劣悪だとは思えない。
 確かに、父親は暴君で暴力で家族を支配したけど、娘を風俗に売り飛ばして自分はギャンブルするようなタイプではなく、彼なりに娘を愛していた。鈴香は、母親と弟とは、すごく仲が良かった。彼女は「私には、母と弟と元カレの3人の味方がいる」と言っていたそうだ。(元カレはさっさと検察側に寝返った)
 ただ、母親を味方とするのは分かるが、弟を自分の味方と考える人は少数で、幸せな家庭だったんだなと思うよ。
 この弟さんは、鈴香が出頭するとき、車に乗せ警察署まで送って行ってた。TVのワイドショーに映っていた。なんて姉想いの優しい弟なんだと、感心した。
 だって、自分に置き換えて想像してごらんよ。私には兄がいるけど、兄が殺人を犯したかもと疑われた時、付き添うだろうか?絶対できない、絶対やれない。遠く離れた場所に逃げていき、知らんぷりする。

 この弟さん、本当に気の毒だなぁ。
 親はその道義的責任はまぬがれないだろうが、兄弟姉妹は本当に気の毒。
 鈴香のお父さんは病死、お母さんは離婚して県外の実家に戻り、弟さんはどうしてるんだろう。あの狭い集落で息をひそめ生活してるんだろうか?

2009年5月18日  畠山鈴香 無期懲役刑 確定。
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津村記久子 「エヴリシング・フロウズ」

2016-04-19 10:28:06 | 津村記久子
 ヒロシは大阪市内の中学3年生。クラス内のヒエラルキーでいうと下の方。クラス替えで、いままでつるんできた子たちと別々のクラスになってしまい、ちょっと困っていたが、すぐ前の席のヤザワと仲良くなる。
 ヤザワはひょろっとした長身で、1・2年の時はいつも一人でいた。部活はやっていない。夏休みとか冬休みといった長期の休みにはいつも関東に行くので、不思議に思っていたが、どうも関東の自転車競技のクラブチームに入っていて、いい成績を収めているらしい。
 他には、ヒロシが少し気になっているソフトボール部の野末と、その友達・大土居と増田も同じクラス。増田はあまりにも絵が上手なので、ヒロシの絵に対する情熱が薄れてしまった。

 そう、このヒロシは『ウエスト・ウイング』に登場した小学校5年のヒロシの、4年後の姿なのだ。この時のヒロシは、私立中学受験のため、電車に乗り遠くの塾まで通っていた。でも勉強には全く身が入らず、絵ばかり書いていた。ヒロシの版画を店に飾ったり、お金を出して買いたいという大人もいた。その時の塾で一緒だったフジワラ(男)やフルノ(女)も出てくる。
 結局、ヒロシやフジワラは志望した私立中学に落ち、フルノは合格して、中高一貫の女子校に通っているが、友人関係がうっとうしくて、高校は外部受験するといっている。

 ヤザワは悪いクラスメートから無実の罪でおとしめられ暴力を受けるし、大土居は新しいお父さんの性的虐待から実妹を守ろうとする。普通の中学生も大変なんだ。

 森野という彼らの担任がいい。力量不足だが、何とか踏ん張って生徒たちの力になろうとする。大阪の公立中学の3年の担任って本当に大変だと思うよ。


 ヤザワは東京の高校へ、大土居は鹿児島の高専へ進学することになり、他は地元の大阪だが高校は別々になる。ただ、女子の「私たち、一生親友だよね」というような過剰な感傷は無い。本当にサラッとしている。こういう所が良い。
 月日は百代の過客にして 行きかう人は皆、旅人なり…だったっけ。このフレーズを思い出す。


P.S.① それにしても、このヒロシ、お小遣いが潤沢でうらやましい。中学生なのに、そんなに頻繁にコンビニで唐揚げやお菓子を買えるお金がもらえるのかな?ミスドにもよく行くらしい。やっぱり祖父母といっしょに住んでいるから、母親以外からのお小遣いが多いんだろう。

P.S.② 作者の津村さんが、スポーツや洋楽が好きなことは知っていたが、それ関係の固有名詞が多くて困った。調べようかな?とも思ったが、まあいい、だいたいこんな人だろうと前後関係から推測。でも注が付いていないという事は、津村さんの中では、これらの固有名詞は常識だってことなのかな。
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角田光代 「銭湯」

2016-04-14 10:07:18 | 角田光代
 なんという純文学的なタイトル。まるで芥川龍之介の短編のようだ。この作品は『幸福な遊戯』という本に収録されていて、以前読んだことがあった。だから、ところどころ覚えている。ラジオCMが、30秒しゃべって7万円ってとこなんか。すごいなぁ。バブル期の話だけど。

 
 八重子は、学生時代、学内の小劇団に属し、芝居をやっていた。このまま就職せず、芝居を続けようと思っていたが、周囲が次々と就職先を決めるのでさすがに焦ってしまい、卒業間際に内定をもらい就職する。
 その時には、心の中に占める芝居のウエイトはほとんど無くなっており、自分でも驚いていた。
 しかし、八重子は、郷里の母には「就職せず芝居で頑張るつもり。夢に向かって充実した生活をおくっている」と手紙に書いている。まるで「お母さんのような平凡なパート主婦には、私はならない」と宣言するように。

 八重子の頭の中には「自由奔放に生きるヤエコ」という女がいる。しかし、生身の八重子の周囲には、ヘンな困ったちゃんばかりでうんざりしている。会社には感情的に怒鳴り散らす年かさのお局様上司がいるし、いつも行く銭湯には、ずーーーっと孫の自慢話をする老婆がいる。
 大学卒業を機に別れてしまった元恋人は、まだ芝居を続けていて、ときどき八重子のアパートに来ては、芝居の話をしたりお金の無心をする。八重子は驚くほど冷淡に元カレをあしらう。


 こういった芝居をあきらめず役者を目指す人たちって、最終的にどうなるのかな? もちろん役者として大成する人もいるだろうが、そうでない人の方がうんと多い。
 八重子の所属していた劇団も、財政的にとても苦しく、公演を予定するたびに、それぞれの劇団員に5万とか10万とか、ノルマが課せられる。そのためせっせとバイトに励むわけだが、芝居の稽古が優先されるので、公演が近くなるとバイトができず、お金に困り、八重子の元カレなど、別れているのにもかかわらず、八重子のもとにお金を借りに来るのだ。もちろん、返済されたことはない。

 だから、金持ちの娘が劇団に入り、たとえ演技がパッとしなくても主役を務め、かかる経費を気前よく払ってくれたら、主催者や他の劇団員は万々歳だろうね。
 あの、田中角栄元首相の娘・田中真紀子(元衆議院議員)さんも、若いころ劇団に入っていたっていうじゃない?
 芝居だけじゃない、バレエでも舞踊でも同じことだろう。パトロンがいないと成り立たない世界なんだ。
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角田光代 「水曜日の神さま」

2016-04-09 08:20:40 | 角田光代
 角田光代の、主に旅に関するエッセイをまとめた1冊。角田さんが旅行好きで、売れっ子になる前の若いころ、せっせとアジア各地をバックパッカーとして旅していた事は知っていた。
 しかし…小柄でおめめぱっちりの童顔。一般的に日本人は若く見られるが、その中でも飛びぬけて若く見られるだろう角田さんが、あまり治安の良くない地域を放浪していて、本当に大丈夫だったんだろうかと心配になってくる。
 24歳の時、タイでマラリアに罹り、生死の境をさまよったらしいが、暴漢に襲われたことは無いみたい。

 私の敬愛する岸本葉子さんも、若いころせっせとアジアを旅して旅行エッセイを書いているが、ある時、暴漢に襲われそうになって本当に怖い思いをしたので、それ以降、スパッとそういう仕事を断って、日常エッセイの方向に転換したみたい。
 そうだよね。岸本さんなどすらっとした美人だから、本当に目立ってしまい、狙われるんじゃないかと思う。

 正直なところ、私は旅行記や旅エッセイはあまり好きではない。どうしてかなぁ? 放浪もしたことないし、旅行もそれほど好きではないので、彼女たちの浮き立つような高揚感が理解できないのかも。
 やっぱり、農耕民族なんだよね。遊牧民族ではない。一つ所に落ち着きたい。定着したい。
 『置かれた場所で咲きなさい』という本があるけど、私読んでないけど、よくわかる。隣の芝生が青く見えたって、自分がいるべき場所は、茶色の地べたのここなんだと思う。


 さて、旅気分満載のこのエッセイ集だが、旅に関係していないエッセイも少しだが載っている。『挙動不審になりがちな』がそう。これが面白い。小説家と書店の攻防というか、関係性というか…。
 やっぱり職業として小説を書いている以上、書店に自分の本がどのように並べられているのか、気になるのは当たり前。角田さんは、もともと純文学の作家としてデビューしたから、最初の頃は大きな書店でない限り、置いてもらえなかった。
 知人が「あなたの本は○○書店に置いてなかった」なんて事をわざわざ連絡してくるので、心を閉ざし何か月も書店に行かなかったこともあったらしい。
 今は売れっ子だから、自分の本を書店で多くの人が買っていくのを知っている。
 そうなると今度は、書店での並べ方で一喜一憂するらしい。自分の本が「平積み」されていればホクホクし、発売されたばかりなのに「棚差し」だったのでしょんぼりする、といったような。

 これは、岸本葉子さんもエッセイに書いていた。彼女は書店員さんに、もっと売れるような場所に置いてほしいと直訴したこともあったらしい。こういう所は、岸本さんはしっかりしている。自分は文筆業で食べているんだ!という心構えがある!

 いやぁ、文筆業も大変ですなぁ…。
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