ケイの読書日記

個人が書く書評

京極夏彦の「後巷説百物語」を読んで

2005-06-22 17:10:49 | Weblog
大好きな本・読んだ本
 京極夏彦は以前から読みたいと思っていた。だけど新刊は分厚くて高そうなので買うのを躊躇していた。しかしBOOKOFFでこれを見つけ、半額になっていたので、すぐ購入。

 本が高い、と書くと、なんて非文化的な人!と思われそうでイヤだが、実際そうホイホイと買えない。お金もないし、置き場所にも困る。それでも、本ってドンドン増えていくんだよね。だからよっぽど愛着のある本以外は売る。BOOKOFFが文庫本も引き取ってくれるのは、とてもうれしい。昔ながらの古本屋は、文庫本NO!!だから。

 「後巷説百物語」には全部で6編、収められている。最初の「赤えいの魚」という話が秀逸。途中で読むことをやめることができない。
 江戸後期、男鹿半島の突端、入道崎という所のある一か所から、年に1度、不思議な島が見える。その島は、海流の具合なのか、気温の関係なのか、常に霧のようなものに覆われ、ふだんは見えず、地元でも知ってる人はごくわずか。
 島に近づくと強い海流にひきこまれ難破してしまうから、漁師も怖がって近づかない。だから人が居ないはずの島。
 しかし年に1度、ある場所から見ると、島と、その島にそびえたつ朱塗りの立派な御殿がみえるのである。どうしてそんな奇異なことが・・・・

 さあさ、あなたも読みたくなってきたでしょう。
コメント (3)
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クリスティ作「ポアロのクリスマス」を読んで

2005-06-13 11:20:12 | Weblog
大好きな本・読んだ本
 この作品も、最後、意外な犯人だったから、驚いた。ちょっと『アクロイド殺し』と通じるところがある。だから読者がアンフェアだ、と怒ることもあるかもしれない。
 しかし、読み返してみると、なるほどいたる所にヒントが出てきて、なぜこんなたくさんヒントがあるのに、犯人がわからなかったのかな、あの人を犯人とすれば、すべて辻褄があう、と自分の間抜けさかげんがよくわかる。

 でも、この作品は1938年のもの。血液のトリックは、今ではもう使えない。現代の法医学ではわかってしまうものね。

 この小説にも、クリスティの他の作品と同じように、大金持ちの親父と、働かないいい年をした子どもたちが出てくる。
 長男 親父の会社で働いているが、実権は親父が握っている。
 次男 国会議員だが、親から多額の仕送りを受けている。
 三男 トラブルを起こし、家から追い出され、世界を放浪。しかし、先々で金に困り、親父にカ    ネを無心。
 四男 芸術家タイプの男。生活力はまったくない。いったい何で食べているんだろう。奥さんの    収入?親父から仕送りが少しはあるんだろうか。

 しかも、この4人の息子に子どもは1人もいない。
 文中に、親父が集まってきた息子たちに「お前たちは、誰も彼もまったく1ペニーの値打ちもないやつらだ!」と罵る場面がある。
 若い頃に南アフリカに渡り、ダイヤモンドで財をなしたやり手の親父からすれば、この4人の息子にはまったく愛想がつきるだろう。いったい、どうしてこういうことになるんだろう。
 親に金があると、子どもは働かなくなってしまうのかな?

 なお、この兄弟の順番は、私の印象で、年齢順にした。原書でもそうだろうと思うが、会話の中で、『兄さん』といった呼びかけがなく、名前で呼びかけているので、兄弟の順がわかりにくい。
訳者も苦労してるんじゃないだろうか。
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クリスティ作「葬儀を終えて」を読んで

2005-06-09 15:13:52 | Weblog
大好きな本・読んだ本
 あまりにも意外な犯人だったから驚いた。しかし、よく考えてみれば、ぴったりの犯人かもしれない。
 
《ここからは、犯人に関することなので、このミステリをまだ読んでいない人は、この先を読まないで下さい。》

 どんなに仲が良さそう、うまくいっているように見えても、家庭内のことは外からではわからない。特に今回のコーラとギルクリストの関係は、雇用主と家政婦というより、雇用主とコンパニオンみたいなものだから、なおさらである。コンパニオンというのは、なんというかイギリスのお金持ち階級の中高年独身女性は、同じ年恰好の女性を、お金を出してお友達として雇うことがあるのだ。これには、とても驚いた。そんな職業が成立するんだ!!
 ミス・マープルシリーズの短篇集のなかにも、中年の金持ち女性と、そのコンパニオン(話し相手)が、旅先で事故にあい、金持ちが死んだのを幸いに、そのコンパニオン(話し相手)が金持ち女性になりすます、という話があった。
 その事故が、故意か偶然かは覚えていないが、独身で中高年になると昔からの知り合いもどんどん少なくなる。ましてや旅先。若くてピチピチした美人だったら人目を引き、入れ替わるなんて無理だろうが、誰も注目していない枯葉色の中高年女性2人。片方が、相手の様子をじっとうかがい、癖をまねし、同じ服装をしたら、簡単に入れ替わることができるかもしれない。

 雇用主が、尊敬に足る人物の場合、上記のことは起こらないだろう。だけど一緒に寝起きしている場合、いくらいい家政婦だって、相手の悪いところばかり目につくようになる。
 画家の娘で、自分でも少し絵を描くギルクリストが、朝から晩まで芸術芸術と、ごたくを並べても何もわからないコーラ、金持ちだった昔のことばかりを自慢するコーラに、話をあわせ、うなづいて感心しなくてはならない苦痛は、大変なものだろう。

 クリスティの作品には、コーラのような女性はどっさり出てくるが、このミス・ギルクリストのような人間は少ない。ポアロに犯人だと見破られた時の彼女のタンカは、なかなか読み応えがある。やっぱり、この作品が、1952年第二次大戦後の作品ということも影響しているんだろうか。
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クリスティ作「ポケットにライ麦を」

2005-06-06 11:43:16 | Weblog
 この作品も以前読んだことがある。最初の方を読んでいるときは、まったく思い出さなかったが毒物がオレンジマーマレードに入っている箇所ではっきりおもいだした。
 『苦い毒をオレンジマーマレイドに入れて、おかしいと思われなかったんだろうか、でもオレンジマーマレイドには少し苦味があることがあるからな』と、作品を読んでそう考えた覚えがある。

 いつも感じることだが、マザーグースの子守唄をもとに殺人を計画するなんて人間がいるとは思えない。『そして誰もいなくなった』では歌詞がすごく効果的に使われているが、他の作品では、例えばこの『ポケットにライ麦を』とか『マギンティ夫人は死んだ』『五匹の子豚』では、たいした効果をあげていない。かえって不自然で無駄なような気がする。日本の推理小説でも横溝正史の『悪魔の手まり唄』などは、このパターン。

 イギリスでは、メーカーの社会的評価は低いようだ。このミステリの最初の被害者レックス・フォテスキューも投資信託会社の社長で、大戦後の混乱期にうまく立ち回り、巨万の富を築いた人。
クリスティの作品に出てくる登場人物の職業は、投資信託とか銀行、株の仲買、医師、弁護士をやっている人がほとんどで、製造業を職業としている人は少ない。
 これって、なぜ?
 製造業は外国人にまかせ、イギリス人は金融でスマートにもうけよう、ということなのか。額に汗して働く、ということを尊ばない。
 だから作中の人たちの会話も投資の話がよくでてくる。投資が失敗してもらった遺産をすべてすってしまった、ということが殺人の動機によくなる。投資って仕事?そりゃ日本でも投資家という職業はあるが、素人が投資してその配当や値上がりを期待してぶらぶらしていれば、あの人は無職、ということになる。数はそれほど多くない。しかしクリスティの作品の中には、そういう人がどっさり出てくるのだ。ギャンブル好きの国民性だからだろうか。

 『ニート』が今、社会問題化しているが、この言葉が最初に出てきたのはイギリス。やっぱり製造業を低く見るという風潮が関係しているんだろうか。
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クリスティ作「予告殺人」を読んで

2005-06-02 15:06:46 | Weblog
 どうしてこんなに老嬢が多いんだろう。いつもクリステイの小説を読んで感じていたことだが、それにしても、この作品の中には多すぎる。
 小説が始まる前に主な登場人物のリストが載っているページがある。この作品には19人その中の11人が女性、その11人中の5人が老嬢。いくらなんでも老嬢率、高すぎ!
 
 でもどうして?イギリスって男の子の出生率が低いのかしら?まさかね?2つの大きな戦争があって男がたくさん戦死した、ということも考えられる。日本だって、そういうことはあった。大正生まれの男女の比率ってすごく歪だろう。
 しかし、クリスティの書いているイギリスでは、そうゆうケースが世代を超えまんべんなく見られる。またそういった中産階級は子どもが少ない。例えば『復讐の女神』に登場する旧領主館に住む3人姉妹。真ん中の女性だけが結婚し、しかも子どもがいない。いとこが1人いたが、その男性も戦死。つまり、この3人の老婦人だけが一族の最後の人たち。
 話すことといったら、リューマチ、神経痛、老齢年金、ああ、暗い。
 少子高齢化とはこういうことか。
 しかし、彼女たちは子どもがいなくても、身の回りの世話をやいてくれる使用人がいるから、まだいい。この使用人たちが高齢化したら……いや、この階層の人たちは、子どもが多いからいいか。

 なぜ、イギリス中産階級で、老嬢率が高いか?私もつらつら考えてみた。まずイギリスというのは、善くも悪くも階級社会で、階級を超えた結婚というのは少ない。また外国人差別も根強く「いいとこのお嬢さん」は外国人と結婚しにくい。しかし、イギリスは早くから植民地政策をとっていて、男性が外国へ出掛ける事はおおく、男性の方が外国人と結婚する可能性は高い。だから同じイギリス人、同じ中産階級の人と結婚を希望している女性は少し余ってしまうのだ。

 ミス・マープルは、甥のレイモンドと仲がいい。レイモンドの奥さんともうまくいっているようだ。名付け親になって親しくしている若い人は数人いるようなので少し安心。
 しかし、日本では名付け親という習慣がないので、自分に子どもがいない、甥や姪もいない、という人はどうするのだろうか。昔から身寄りがない年寄りはいた。しかし、少子高齢化まっしぐらの日本。これから、大量に身寄りのない高齢者が出てくる。なにか、いい方法があるのだろうか。この『予告殺人』を読んで、犯人が誰かということよりそっちのことを考えてしまった。
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