ケイの読書日記

個人が書く書評

太宰治 「母」 新潮文庫

2022-03-28 09:34:11 | 太宰治
 「母」という言葉から想起される情緒とは程遠い話。なぜ太宰がこの題名を付けたかわからないよ。
 
 太宰は戦中戦後の1年3カ月ほど、津軽の生家で疎開生活をしていた。太宰が来ていると知れ、近郷の文学青年たちが訪れてくることがあった。その中の1人小川君は、日本海に面したある港町の宿屋の息子で、かなりふざけた若者だった。太宰ですら殴ってやりたいと思うことがしばしば。 
 そんな小川君でも、赤紙一枚で軍隊に入ったんだ。当然、上官にはひどく殴られたようだが。

 ま、とにかく、その小川君の家がやっている宿屋に、太宰は遊びに行く。終戦直後くらいの話で、まだ物資は乏しいが、それでも宿屋だから美味しい地酒や魚があると思ったんだろう。
部屋付きの仲居さんは40前後のちょっと男心をそそる声をしている人で、お酌でもしてもらいたいなと太宰が心の中で願っていたが、料理や酒を置いてさっさと引き下がってしまう。
 がっかりしてがぶ飲みし「ああ、酔った。寝よう」と言ったので、この宿屋で一番広い20畳ほどの座敷に寝かされるが、夜中にふと目が覚めてしまう。
 布団の中でごろごろしていると「すこしでも眠らないと わるいわよ」まぎれもなくあの40前後の男心をそそる声の持ち主の声。しかし、それは太宰に向けて言ったのではなく隣室からの声なのだ。

 えええ、日本の旅館ってこんなに聞こえるの? そりゃ防音設備なんか無いだろうし、夜中に静まり返っているからだろうけど、それにしても丸聞こえ!! どうやら客の若い男と、あの仲居さんが隣室で寝てるんだ。若い男は話の具合から、戦争から帰って来てここで一泊し、明日の朝、自分の生家に歩いていく予定。父親は死んで母親だけが待っているようだ。仲居さんは「お母さんはいくつ?」と軽く尋ねると、若い男は「38です」と答えた。果たして仲居さんは黙ってしまった。-
  そうだろうなぁ。仲居さんは、お母さんより年上かもしれない。

 それにしても、宿屋でこんなに聞こえていいんだろうか? それに、どうして遊女屋でもないのに、お客さんと仲居さんが寝ていたんだろう。若い男が仲居さんの好みだったので忍んでいったのだろうか?
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太宰治 「父」 新潮文庫

2022-03-22 17:29:48 | 太宰治
 最初に旧約聖書のアブラハムとその子イサクの話が出てきて、ああ、これは格式高い話だろうと背筋を伸ばして読んでいたが…何の事はない、酒と女にだらしない太宰治の話だった。

 有名なアブラハムとイサクの話はこうだ。エホバは、アブラハムの信仰心を試そうと、彼の一人息子イサクを生贄にして捧げるように命じる。アブラハムは何の躊躇もせず、イサクを壇の薪の上にのせ殺そうとするが、その寸前、エホバは彼を止め彼の信仰心(神を畏れる心)は理解したと伝える。

 私、この話を聖書物語で読んだとき、どうしてアブラハムの信仰心を疑うんだろう、神様なのに分からないんだろうか?と思ったのと同時に、イサクは父に対してどう感じたんだろう、この父親とこの先うまくやっていけるんだろうか、心配だった。それとも生贄にされかけた事は名誉な事なんだろうか?

 で、太宰はこの話で、親子の情より自分にとっての大義の方が大事という父親の姿を読み取ったらしい。その、自分にとっての大義というのが「尊王攘夷」とか「革命」なんていう大それたものじゃなくて、近所のおでん屋で待っている、よく知らないオバハンとの逢瀬だったりするのだ。あーーー、やだやだ。

 彼の奥様が、風邪をひいてひどい咳をしている。米の配給があるから今日だけ家にいてくれと太宰に頼む。戦後まもなくの頃なので、お米は配給なのだ。米を運んでくれと言っている訳ではない。小さな子を連れて行くのは大変だから、今日は家にいて子どもたちを見ていてほしいと言っているのだ。
 OKの返事をして家にいる時に、おでん屋の女中が「お客さんが太宰先生にお目にかかりたいと言っている」と呼びに来る。太宰は出掛ける。そこら辺の有り金をかき集め、会いたくもない女に会うために。

 太宰の小説は好きで、若い頃よく読んだが…遠くにいる作家先生なら素敵だが、家人にこういう人がいると耐えられないね。
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太宰治 「親友交歓」 新潮文庫

2022-03-13 15:00:48 | 太宰治
 いやぁ、久しぶりに笑いました。太宰のような有名人になると、こういう事もあるだろうね。

 昭和21年9月の初め(つまり終戦後1年ちょっとたった頃)太宰は、青森・津軽の自分の生家に妻と子を連れて滞在していた。東京の自宅から焼け出されたのだ。そこに、太宰の小学校時代の親友と称する男がやって来る。
 顔にうっすら見覚えがあるから、クラスメートだったことに間違いはないだろうが、どういう相手だったか全く思い出せない。
 それでも、太宰は地元の人と揉めたくないと思い、精一杯、話を合わせ愛想よくふるまう。
 そのうち話は、「クラス会を開こう」となり「酒は無いのか」となった。どうも相手は酒好きで、酒が飲みたいが手に入らないので、太宰の所に行けば酒が飲めると踏んだのだ。この終戦後のモノ不足のなかでも、酒類はとりわけ手に入らず、酒好きオヤジがメチルアルコールを飲んで失明することがよくあった。実際、太宰は押し入れの中にウイスキーの角瓶を数本隠していた。
 よせばいいのに、外面が良いい太宰は、湯のみ茶碗にウイスキーをついで相手に渡す。相手は「かかはいないか。お酌をさせろよ」と要求する。どこまで増長するんだよ!こいつは!!
 で、太宰は、押し問答の末、女房を連れてきてお酌をさせるのだ。
 相手は、それから奥さんに自分の自慢話を喋りまくって一人で大いに盛り上がる。ここら辺のところ、よく分かるなぁ。私も酔っ払った父親の戯言には、ほとほとうんざりしたからなぁ。酔っ払いって、どうしてあんなに何度も同じ話を繰り返すんだろうね。

 そして最後、去り際に相手は太宰の耳元でこう囁いた。「威張るな!」

 いやぁ、本当にすごい人だね。でも、相手は酔いがさめるとキレイに自分の傍若無人ぶりを忘れてしまうか、都合のいい思い出にすり替えてしまうんだよね。
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コンスタンチィノープル陥落その後

2022-03-06 16:36:40 | その他
 マホメット2世はコンスタンチィノープルを陥落させた後も、領土の拡大を続ける。オスマントルコの要請に応じて、同じギリシャ正教なのにコンスタンチィノープルを攻撃するため派兵した周辺の小さな国々も、容赦なく征服。
 バルカン半島を手中に収め、黒海やエーゲ海の島々まで勢力を伸ばし、黒海やエーゲ海を「オスマントルコの内海」とする。(今、オスマントルコの領土拡大地図を見てるけど、キエフはトルコ領ではないが、もう少しで征服されそう…という位置)

 今、ウクライナ侵攻でたびたび取り上げられるクリミア半島も、20世紀初めまでオスマントルコの領土だったのだ。それをロシアが南下政策で、トルコと戦争しロシア領土となった。
 考えてみるに、戦争で他国の領土を分捕るのは20世紀半ばまで、当たり前の事だった。ただ、昔と違って兵器の能力が高くなり、被害があまりにも大きくなったので、なんとか外交で解決しようという事になっている。

 それを全く無視しているのはプーチン。なにが「以前のロシアの指導者が、領土について間違った判断をした。ウクライナはもともとロシアの領土なのだ。だからウクライナを取り戻す正当な権利がある」などメチャクチャな事を言っている。
 領土問題については、どの国も言いたいことがいっぱいあるけど、なんとか折り合いをつけようとしてるんだろ!

 ロシアって、ソ連時代から思ってたけど、あんなに国土が広大なのに、まだ領土が欲しいの? 大きすぎて管理するのが大変じゃない? それに自国を守るためそんなにたくさんの衛星国家が必要なの? 兄のロシアを守るため、弟である衛星国家が西側と戦えという事なの? 兄だったら、弟の前にでて闘えよ。
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