ケイの読書日記

個人が書く書評

太宰治 「父」 新潮文庫

2022-03-22 17:29:48 | 太宰治
 最初に旧約聖書のアブラハムとその子イサクの話が出てきて、ああ、これは格式高い話だろうと背筋を伸ばして読んでいたが…何の事はない、酒と女にだらしない太宰治の話だった。

 有名なアブラハムとイサクの話はこうだ。エホバは、アブラハムの信仰心を試そうと、彼の一人息子イサクを生贄にして捧げるように命じる。アブラハムは何の躊躇もせず、イサクを壇の薪の上にのせ殺そうとするが、その寸前、エホバは彼を止め彼の信仰心(神を畏れる心)は理解したと伝える。

 私、この話を聖書物語で読んだとき、どうしてアブラハムの信仰心を疑うんだろう、神様なのに分からないんだろうか?と思ったのと同時に、イサクは父に対してどう感じたんだろう、この父親とこの先うまくやっていけるんだろうか、心配だった。それとも生贄にされかけた事は名誉な事なんだろうか?

 で、太宰はこの話で、親子の情より自分にとっての大義の方が大事という父親の姿を読み取ったらしい。その、自分にとっての大義というのが「尊王攘夷」とか「革命」なんていう大それたものじゃなくて、近所のおでん屋で待っている、よく知らないオバハンとの逢瀬だったりするのだ。あーーー、やだやだ。

 彼の奥様が、風邪をひいてひどい咳をしている。米の配給があるから今日だけ家にいてくれと太宰に頼む。戦後まもなくの頃なので、お米は配給なのだ。米を運んでくれと言っている訳ではない。小さな子を連れて行くのは大変だから、今日は家にいて子どもたちを見ていてほしいと言っているのだ。
 OKの返事をして家にいる時に、おでん屋の女中が「お客さんが太宰先生にお目にかかりたいと言っている」と呼びに来る。太宰は出掛ける。そこら辺の有り金をかき集め、会いたくもない女に会うために。

 太宰の小説は好きで、若い頃よく読んだが…遠くにいる作家先生なら素敵だが、家人にこういう人がいると耐えられないね。
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