ケイの読書日記

個人が書く書評

宮沢賢治 「セロ弾きのゴーシュ」

2020-08-28 10:50:00 | その他
 楽譜を見るだけでメロディが頭に浮かんでくる人って素晴らしい! 尊敬する!! 私、何の楽器も弾けないから心底そう思う。どれだけピアノを習えば楽譜が読めるようになるのかな?

 なぜ、そんな事をいきなり書くかと言えば、この『セロ弾きのゴーシュ』の中に、こんな場面があるのだ。狸の子が出てきて、一枚の楽譜をゴーシュに渡し(どうもジャズらしい)ゴーシュは初見でその曲を弾くところがある。
 彼は、明治の日本の田舎町の活動写真館でセロを弾いているが、へたっぴぃという評判だった。指揮者はいつも練習を途中でやめさせ、「セロが遅れた。はい、やりなおし!」といってゴーシュを叱る。そのゴーシュでも、初めての楽譜を見ただけで引けるんだからスゴイ! でもまぁ、いくら下手でも一応、セロ弾きが職業だから当たり前か。

 そういえば先日、勤めていた時の同僚と何十年ぶりかで出会っておしゃべりしたら、彼女は学生時代、オーケストラに所属し、ヴァイオリンを弾いていたらしい。アメージング!! ヴァイオリンだなんて、ホームズみたいじゃないの! 
 今でも時間があればキーコキーコ弾くのかと尋ねると、全然やらないと言っていた。そんなもんかな? 代わりに今、篠笛を習っているという。へぇぇぇぇぇ。持ち運びがラクだから、との理由らしい。
 子どもの時、何かの楽器をやっていた人はすんなり習えるんだろうね。私にはハードルが高いです。

 この『セロ弾きのゴーシュ』では、へたっぴいのゴーシュが、毎晩訪れるお客さんたち(三毛猫、かっこう、子狸、野ネズミの親子)達と一緒に練習したり、叱咤激励を受けたり、演奏をきかせて病気を治してやったりしていたら…なんと指揮者も驚くほど上達して、演奏会ではアンコールを頼まれるほどになるのだ。

 夜、セロの練習をしていると猫がとととと入って来て「私はどうも先生の音楽を聞かないと眠れないんです」「何を弾けと」「トロメヲイ、ロマンチックシューマンの作曲」なんて言われたら素敵だろうね。
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宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」

2020-08-21 15:35:13 | その他
 宮沢賢治の童話の中には、イーハトーブという地名が頻繁に出てくる。これは、彼が心のなかで描いた理想郷で、岩手県の事を指しているらしい。つまり、すごく郷土愛の強い人だったんだなぁ。

 そのイーハトーブの森の中に住んでいるブドリという男の子が主人公のお話。彼は、お父さんお母さん妹と一緒に、仲良く森の中の一軒家で暮らしていた。しかし、たびたび冷害に襲われ大飢饉になり、お父さんもお母さんも森の中に入ったきり帰って来なかった。
 これは、家にあるわずかな食料をブドリたち2人に残し、なんとか子どもたちだけでも生き延びてほしいと願ったんだろう。
 ドイツ民話のヘンゼルとグレーテルは、大飢饉の時、親によって森の中に捨てられたが、それと比べるとなんて日本的というか…自己犠牲の精神に富んだ親御さんだったんだろうね。

 しかし子ども達だけでは上手く生活できない。妹は人さらいに攫われ、置き去りにされたブドリは、森を買ったという乱暴な男の下で働くことになる。でも火山の噴火が起き、仕事はダメになり、ブドリは森を出て野原に行くことにする。
 そして農家の手伝いをして何年も過ごすが…。

 この時代の農業は天候次第。日照りや冷害が起きると本当に苦労したんだろう。ブドリも心の底から、悪天候から来る農業被害を何とかしたいと願っていた。手伝っていた農家から暇を出されたブドリは、農業書を書いた博士に会いに行き、そこからブドリの運がとんとん拍子に開けていく。

 童話後半はSFチックなお伽話。自然科学礼賛の話。科学の力でどんな問題も解決し、誰もが幸せになれるという夢を信じて疑わない。だって、噴火する火山の山腹に穴をあけ、ガスを抜き溶岩をそこから出して、噴火をコントロールする話なんだもの。
 宮沢賢治の生きた時代は(1896~1933)は、無邪気に科学を信奉できる幸せな時代だったんだ。
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宮沢賢治 「どんぐりと山猫」

2020-08-14 17:19:11 | その他
 これも有名な童話。一郎という子どもが、山猫から「裁判をするので来てください」という意味のヘンテコな手紙をもらい出掛けていくという話。
 子どもの頃、絵本で読んだときには不思議に思わなかったが、中高年になった今、疑問に感じる。日本に山猫っているの?(いや、いたの?) 有名なところでは、沖縄のイリオモテヤマネコ。滅危惧種として大切にされている。
 だが、東北に山猫っていたんだろうか?

 『遠野物語』は、岩手の山間部の民間伝承を集めた話だけど、ニホンオオカミは悪者としていっぱい出てくる。群れで人間を襲う。(現代では絶滅している) でも、山猫が人間に悪さをしているという話は全くなかった。それとも、ネズミ退治に飼われていたイエネコが、ノラになって野生化したんだろうか?
 などと考えながら読み進める。

 だいたいこの山猫は「やまねこさま」と呼ばれて威張っていて、どんぐりたちの争いの裁判官をしているのだが、それがなかなか解決がつかず、助っ人に一郎を呼んだらしい。一郎の大岡裁きによって、どんぐりたちの「頭のとがったどんぐりが一番偉いのか、丸いのが一番偉いのか、大きいのが一番偉いのか、押しくらまんじゅうに勝ったのが一番偉いのか」という大問題が一気に解決し、めでたしめでたし。

 一郎は、どんぐりを一升もらって馬車で帰途に就く。この馬車がかぼちゃではなく白く大きいきのこで作ってあるらしく、馬はねずみ色のおかしな形をしていて、元々はネズミなんだろう。
 宮沢賢治も『シンデレラ』を読んでいたんだろうね
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宮沢賢治 「風の又三郎」

2020-08-07 17:08:30 | その他
 私ったら、こんな有名な作品を読んでなかったんだ!!と愕然とする。そういえば子どもの頃、読もうと思って本を開いたが、擬音が多いし方言がすごく独特(岩手の言葉)で読みにくかったので、最初の1、2ページで止めてしまったんだ。
 他にも有名な「銀河鉄道の夜」も読んでいない。こっちの方は、松本零士の名作マンガ「銀河鉄道999」で読んだ気になってしまってた。

 あまりにも有名な作品って、あらすじを知ってるから、読んだつもりになってしまう。気を付けなければ。

 この「風の又三郎」は素敵な作品です。
 昔々の9月1日、岩手県の片田舎の小学校に、高田三郎という子が転校してきた。彼の父親は鉱石の技師で、その仕事のため北海道から岩手に来たのだ。だから三郎は地元の子どもと比べちょっとだけインテリっぽい。
 風のすごく強い日に転校してきたので、子どもたちは三郎の事を「風の又三郎」と呼ぶようになる。詳しい説明は作品の中ではなされていないが、どうも「風の又三郎」とは、人ならざる者、一種の超常的な力をもった存在らしい。
 山の中の小さな学校なので、小学5年生の三郎は、色んな学年の子どもたちと山遊び・川遊びをする。ここら辺の描写が、本当に生き生きしていて素晴らしい。

 子どもたちは馬を放牧している場所に行って、馬と一緒に駆け回る。馬と言ってもサラブレッドとは違い日本在来種なのでポニーみたいに小さい。それでも農耕馬として使役したり、競馬に出場させたりして価値が高いので、大人にとっては一財産なのだ。その馬が逃げ出し、子どもたちは追いかけるが、山の中で迷子になってしまい、おまけに悪天候。命の危機にさらされる。最終的には助かるが、野山での遊びは危険と隣り合わせだ。
 川遊びも楽しい。大人が川で火薬を爆発させ魚を獲る。(ちなみに違法。お巡りさんに見つかると引っ張られる)そのおこぼれで、死んだ魚や弱っている魚が流れてくるので、子どもたちがその魚を大喜びで捕まえる。
 川で泳ぐのも楽しい。ただ、流される子もいただろうね。今の感覚でいうと、すごく危険。

 こういった楽しい日々はあっという間にすぎて、三郎はまた、ひどく風の強い日に北海道に戻って行った。まるで本当に「風の又三郎」だったみたいに。
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