ケイの読書日記

個人が書く書評

村田沙耶香 「コンビニ人間」

2017-06-30 09:59:46 | 村田沙耶香
 芥川賞受賞作で、とても話題になった小説だから、読む前から大体のあらすじは知っていた。

 小さい頃から人づきあいが苦手な女性が、コンビニのマニュアル化された仕事内容には上手に適応し、快適に勤務していた。さすがに30歳代後半になると、周囲の「なぜ結婚しないの?」「子どもは産まないの?」「どうして正社員にならないの?」という雑音が大きくなり、それを避けるために、35歳の無職男を自分のアパートに住まわせる事にする。この無職男が本当にクズなんだよなぁ。
 ネット起業するとか大きな事を言うばかりで、まったく努力しない。コンビニ店員なんか最底辺の仕事と言いながら、その仕事もクビになる。
 女が男に寄生するのは、社会的に容認されているのに、男が女に寄生するのを非難するのはおかしいと、女性客を追い回す。

 この無職男もコンビニ女性も、社会非適応者といえる。しかし無職男は他者から認められたい、でも能力がなく認められない、という苦しさがあるが、コンビニ女性にはそれがない。他者に期待する事がないかわり、怒りや失望もない。淡々としている。
 だったら、周囲の雑音はスルーすればいいのに。


 この女性が、昔のクラスメートたちや彼女の夫や子供とバーベキューをする場面がある。彼女らは、赤の他人のこの女性に「結婚してないのにバイト?」「誰でもいいから相手見つけたら?」「婚活サイトに登録したら?」「婚活用の写真撮ろうよ」とどんどん話しかける。
 田舎に住む親せきのおばちゃんじゃないのに、ここは首都圏なのに、今時こんな失礼なことをポンポン言うだろうか?
 だいたい、付き合わなきゃいいんだよね。こういう人たちと。この女性は、友人たちとつるんでいたい人じゃないんだから。

 この女性は、少し非社会的な部分はあるが、決して反社会的じゃない。ちゃんと働いて、納税して、家賃払って家事して暮らして、何の文句がある?

  
 妹さんが世間向けの言い訳を考えてくれる。「身体が弱いから、就職じゃなくてバイトしている」でも弱い。30歳代後半になると「親の具合が悪い。私は長女なので、介護しなくちゃならないので正社員では勤められないの」が一番ピッタリの言い訳じゃないかな?
 それとか、ゲイで男性恋人はいるが、世間的に妻が欲しいという人と、形式的なカップルになるとか。
 色々やり方はあると思う。
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岸本葉子 「ひとり上手」

2017-06-25 16:32:15 | 岸本葉子
 久々に岸本さんのエッセイを読む。やっぱりいいなぁ。ホームグラウンドに帰ってきた気分。

 学生時代に、同じゼミの女の子が「学食で一人で昼ご飯を食べる事ができない」と言っていたの聞いて、すごく驚いた覚えがある。もう40年以上前の話だけど。もちろん、そういう病気がある訳じゃなくて、ひとりぽっちで昼ご飯を食べてると「あの人、友達いないのかしら?」と周囲の人に思われるのがイヤだという心理が働くからだろう。

 私は、どちらかといえば一人で行動するのが平気なタイプだ。妄想にふけってボーっとしていたいので、地下鉄の中で知った人に会うと困る。一応「お久しぶり。お元気?」と声を掛けなきゃならないから。気づかないふりをすることが多い。だって、たいした話題がないんだもの。

 大学1年の夏休み、親友と言っていいほど仲の良い人と二人で、10日間北海道旅行をした。行きは二人で飛行機、帰りは予算の関係で、私だけ鈍行列車で帰ってきた。その時の解放感は…素晴らしかったなぁ。万能感というか、自分は何でも一人でできるんだっていう沸き立つ気持ち。一人旅は初めてだったから。

 そんな私だけど、やっぱり一人だと気になる時がある。例えば、カフェに入ったら、知り合いが何人かいて、その人たちが楽しそうにおしゃべりしている。友人だったら「ねぇねぇ何の集まり?」と寄っていくが、顔見知り程度だから、離れて一人で座る。文庫本を開いて読み始めるが、時々聞こえる笑い声や歓声が妙に気になって、読書に集中できない。

 誰も知らない中で、自分一人でボーっとしているのはゆったりできるが、何人かの知人が自分の隣で楽しそうにしているのには、心を乱される。自分がどう思われているか気になって。

 何とも思われてないって!! 自意識過剰! 自分は、そんな人の注意を引けるほどの目立った人間ではない。考えてみれば、何事も「人から良く思われたい」という気持ちが自分を苦しくさせる。

 岸本さんは一人暮らしが長いせいか、こういった自分と他者との距離の取り方が、とても上手な人なんだ。人と楽しく付き合いたいがベッタリしない。過度に相手に踏み込まないし、踏み込ませない。「つかず離れず」これが大切。
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津村記久子 「浮遊霊ブラジル」 文芸春秋社

2017-06-14 10:02:21 | 津村記久子
 7編の中・短編集。『給水塔と亀』は、第39回川端康成文学賞を受賞したらしい。自分の中で純文学ってこういう作品というイメージにぴったりな作品。The純文学。
 定年後、子供時代を過ごした土地に戻ってきた独身男の日常を描いた短編。退屈と言えば退屈だが、端正。なぜこの作品名をタイトルにしなかったのかな?と考えたが、売れないからだろう。『給水塔と亀』と背表紙に書いてあっても、誰も手に取らない。まだ『浮遊霊ブラジル』の方が、どれどれ、何が書いてあるんだろう?と読んでもらえそう。

 『給水塔と亀』以外の6編も、みな純文学系の作品。津村記久子特有のゆるーーーいユーモアがあって、読んでいて楽しい。

 津村さんは関西の人だから、やっぱりうどんが好きなんだ。『うどん屋のジェンダー、またはコルネさん』という変わったタイトルの短編もある。(この方が背表紙にピッタリのような気もする)
 評判の良いうどん屋へ、パンのコルネのような髪型の若い女性が、たびたび来店する。このうどん屋は、味も良いが店主の食べ方指南トークも人気で、特に若い女性客に店主は話しかける。
 その日も、店にコルネさんが、読者モデルのようにきれいな格好だが疲れ切ったような様子でやって来て、うどんを注文するが…。

 ミステリではないが、この先は書かない。津村記久子って、本当に働く女の事をよくわかっていると思う。すごいよ。自分も目いっぱい働いていたからだろう。


 一番印象に残ったのは『アイトール・ベラスコの新しい妻』。主人公はスペイン語が少し分かるので、サッカー関係の翻訳の手伝いをしていたが、アイトーレ・ベラスコというサッカー選手の離婚ゴシップを訳そうとしていたら、その新しい妻が、自分の小学校時代のクラスメート・ゆきほだった事に驚く。
 クラス内では、どちらかと言えば、いじめられっ子だった彼女は、中学は遠くの私立中学に行ったので、全く音信不通になっていた。なんと彼女はスペインに留学しアルゼンチンで女優になっていて、そこでサッカー選手のアイトールと出会ったそうだ。
 主人公は、ゆきほをイジメていた綾という名のクラスの女ボスの事を思い出す。怖かった。みな、彼女の標的にならないように息をひそめて学校生活を送っていた。しかし今、綾は困難な立場にいて…。

 スクールカーストを書くのが一番上手なのは村田沙耶香だと思うけど、津村記久子もなかなか秀逸。『アイトール・ベラスコの新しい妻』中では、30歳過ぎたゆきほと綾のカーストは逆転しそうで、少し溜飲が下がる。

 しかし…スクールカーストって、そんなに強固なものだろうか?江戸時代みたいに、生まれ育った土地で一生を終えるなら、学校での階層が大人になってからも影響するだろうけど、現代では地元にずっといる人の方が少ない。
 じじばばになってるならともかく、いい年をした大人が、クラス会であまりにも昔を懐かしむというのも不気味。そんなに現状に不満があるんだろうか?
 
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雨宮処凛 「生きづらい世を生き抜く作法」

2017-06-09 09:27:02 | その他
 雨宮処凛さんへのインタビュー記事を、ずいぶん前、新聞で読んだことがある。中学時代に受けたイジメをせきららに語っていた。その表現がすごく具体的で印象的で…本当に苦しかったんだろうなと、私も自分の心が潰れるような気がした。よく覚えている。

 今の雨宮さんは、貧困問題・格差問題・脱原発などに取り組み、執筆や講演も盛んで、メディアへの露出も多い。若い頃は、イラクや北朝鮮へも渡航したし、ビジュアル系ロックバンドでシャウトしていたし、ゴスロリファッションに身を包んで、独特なオーラを放っていたし、一言でいえば、目立ちたがり屋だったんじゃないかな?

 このエッセイ集は、ホームレスの人たちの自立支援を応援する雑誌『THE BIG ISSUE ビックイシュー日本語版』で2006年から2015年まで連載したエッセイをまとめたもの。だから貧困問題には、すごく多くのページをさいている。
 雨宮さんは「ホームレスになった原因」を問うこと自体に意味がないという。真面目に働いていたけど失業してホームレスになった人と、ギャンブルやアルコールの問題からホームレスになった人を分けて考えるのはとても怖い事だと。
 なぜなら、それは「支援に値する人」と「支援に値しない人」を選別する思想に繋がっていくから。

 うーん、なるほどね。自己責任という考えは「悪」なのか。でもギャンブルの借金は自己破産できない事になっているはず。もしできたら、これは一種のモラルハザードでは?
 支援するにもお金がいる。お金は無限にあるわけじゃない。有限だ。という事は、少ないお金でできるだけ多くの効果を上げようとするのは当然では?
 財源を考えようともせず、支援ばかりを主張すれば、やはり行き詰まる。そもそも、雨宮さんはお金を軽視しすぎると思う。エッセイの中にも「たかがお金儲け」というフレーズが出てくるけど、これっておかしい。お金儲けって本当に大変。ちっともお金儲けができない私が言うのも変だが。

 こういった貧困問題に取り組んでいる人たちって、そういう傾向がある。金儲けは低級な人間のやる事であって、自分たちのような高尚な人間は、その配分を考えるだけで良いんだっていう思いあがった考え。
 お金が無かったら何にも出来ないんだよ。もし、あんたにビル・ゲイツと同じ稼ぎがあったら、どれだけでも福祉がやれるでしょ?
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道尾秀介 「ラットマン」  光文社

2017-06-06 10:10:53 | 道尾秀介
 推理作家が読者をミスリードするのは当たり前のことだが、道尾秀介は、それが少しあざとい。どんでん返ししようと思うと、どうしてもアンフェアになるのかな? それでも十分読み応えあり。

 
 アマチュアロックバンドのギタリスト・姫川は、他のメンバーと練習中、スタジオスタッフ・ひかりが機材に押しつぶされ亡くなるという場面にでくわす。実は、亡くなったひかりは、姫川の恋人で他のメンバーの姉だった。
 姫川にも小3の時に事故死した姉がいて、彼は今でもその事故死に疑念をもっている。

 スタジオスタッフ変死事件は、姫川に当時の記憶、秘めてきた過去のトラウマを呼び起こす。不都合な真実を。


 題名の『ラットマン』とは(私は知らなかったけど)心理学で有名な絵らしい。見方によっては、ネズミにもおじさんにも見えるだまし絵。動物と並ぶとネズミにしか見えないし、人の顔と並ぶとおじさんにしか見えない。同じ絵なのに。
 そしてラットマン単独で見るとき「これはネズミだ」と思い込んでしまうと、何度見てもネズミにしか見えない。よほど意図的に見方を変えようとしない限りね。
 
 この小説の中にも、そういった思い込み効果がふんだんに盛り込まれている。カマキリの腹の中から出てきたハリガネムシ(うえっ!気持ち悪い)や、姫川の記憶の中の家族、児童虐待を思わせる描写、世間話の中に出てきた実父の娘への性的虐待。

 真相を追求しようとする姫川たちの行動も読み応えあるが、私が一番印象に残ったのは、元バンドマンたちの行く末。
 姫川たちが練習しているスタジオの経営者は、もちろん元ミュージシャン。若いミュージシャンたちへの思い入れが強すぎるのか、商売が下手なのか、バンド下火の時代なのか、経営は思わしくなくスタジオを閉めるそうだ。
 亡くなったひかりの父親は伝説のドラマーで、ハチャメチャな人生を送り、子供たちを捨てて出て行ったが、子供たちはそんな父に憧れの気持ちも持っていた。しかし…10数年ぶりに会った父は、すっかり落ち着いて再婚、赤ちゃんも生まれ…。こういう場合、子供はどうすれば良い?


 ミック・ジャガーは後期高齢者になってもミック・ジャガーのままでいられるが、その他大勢のミュージシャンたちはどうすれば良いの?光が強いほど陰も濃い。そういえば、角田光代の『くまちゃん』という連作短編集に、少し売れたロックバンドのヴォーカルの引退後の生活が書かれていたな。
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