ケイの読書日記

個人が書く書評

二階堂黎人「聖アウスラ修道院の惨劇」

2008-04-28 10:34:37 | Weblog
 二階堂蘭子シリーズ第3作。

 昭和43年、野尻湖半に建つ女子修道院で、女生徒が謎の転落死を遂げた。密室からの転落なので自殺という事になったが、女生徒の身体には何者かによってつけられた複数のナイフ傷が…。
 その後、別の女生徒の失踪、修道院長の事故死と立て続けに不審な出来事が起こる。
 新院長は、修道院の中で何が起こっているか、二階堂蘭子に調査を依頼する。
 しかし、蘭子が来てからも修道院内の惨劇は終わらない。次々と人が殺されていく。


 女子修道院といった閉ざされた世界で、狂信者が次々殺人を犯す。
 それにしても、狂信的なカトリック教徒と殺人って、どうしてこんなに相性がいいんでしょうか?
 偏見だとは分かっている。だけど、私の中では、プロテスタントと仏教徒にあまり狂信者のイメージは無い。それにイスラムも日本には馴染みが薄いしね。

 以前読んだ『地獄の奇術師』の中にも、カトリック信者の一家の中で惨劇が繰り広げられるのだが、その中の最も狂信的なバアさんが「裁きの日には我らだけが生き残り、お前達は皆死ぬ」みたいな事をのたまっていて、読みながら私は、コイツが惨殺されたらさぞ気分が良いだろうな、なんて思っていたのだ。

 日本人の大部分が葬式仏教だろう。その中でクリスチャンでいることを選ぶという事は、素晴らしく堅い信仰(というか選民意識)があるという事を意味する…と私は勝手に思っている。

 だから、クリスチャンが犯罪を、それも殺人を犯すということに、とても違和感を持つ。
 例えば長崎でスイミングスクールに銃を持って乱入し、友人と、片思いの女性を射殺し、自分も教会内で自殺した男。
 カトリック教徒だったが、彼は最後の審判の日を信じていなかったんだろうか?
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島田荘司「ロシア幽霊軍艦事件」

2008-04-23 11:52:10 | Weblog
 推理小説というより、歴史家とは違った見方で、ロシア最後の皇帝となったニコライ2世の皇女アナスタシア事件を取り上げていこう、という斬新な試み。

 日本ではあまり知られていないが、ロシア革命のときボルシェヴィキに捕らえられ家族全員殺されたとされているニコライ2世一家。しかし四女のアナスタシアだけは逃げ延びたという説がある。

 だから当時のヨーロッパのあちこちに自称アナスタシアと名乗る女の子が出現した。
 その中の大本命アナ・アンダーソン(本人はアナスタシアと主張している)は、ヨーロッパ各地を転々として最後にアメリカ人の金持ちの歴史学者と結婚、静かに晩年を送った。(もちろん夫は、彼女が本物だと思っている)

 ヨーロッパの裁判で「私はアナスタシア」と主張して闘ったが、結局認められず、彼女は『自分はアナスタシアと思い込んでいる可哀想な女性』ということになった。
 その最大の理由は、彼女がロシア語を話せなかったことにある。そうだよね。自分の母国語を話せず、ドイツ語や英語を話すんだったら、誰もがロシア皇女とは認めないだろう。

 だが、島田荘司は「アナスタシアはボルシェビキに捕まって激しい暴行を受けた時、脳に損傷を受け、それで母国語が喋れなくなったのではないか」と、脳科学者・御手洗の口を借りて述べている。母国語をつかさどる脳の部分があるそうだ。

 なるほど。でもなぜフランス語も話せないんだろう。ロシアの皇女だったらロシア語以上にフランス語が堪能だろうに。
 それに、母国語を話せなくなるほど脳に損傷を受けたなら、自分がアナスタシアという事も忘れてしまうんじゃないか?
 全く別人が、頭に激しい暴行を受け、脳に損傷ができた時『自分はアナスタシア』と思い込んでしまった可能性だってあると思うが。
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城繁幸「若者はなぜ3年で辞めるのか?」

2008-04-18 16:40:48 | Weblog
 本当は『3年で辞めた若者は、どこに行くのか』という最新作を読みたかったが、旧作『若者はなぜ3年で辞めるのか』しか、図書館になかったのでこちらを読んでみる。
 副題は『年功序列が奪う日本の未来』

 年功序列の是非はよく議論される。トシをとれば段々給料が上がるというシステムは、生活設計がしやすく、生活者側からはとても良い制度だと思うが、高度成長期のような経済の拡大がずっと続くならともかく、頭打ちの現在、制度は崩壊して当然、良くも悪くも成果主義になっていくだろう、という本。


 我が家は自営業で生計を立てているので、トシを取れば給料が上がるという年功序列は本当にうらやましい。
 なんていったって、子どもの教育費があるから、トシをとってからの方がうんとお金が必要なのだ。
 でも、現実は10年前より収入は少ない。
 ええい!泣き言を言うんじゃないよ!それを承知で脱サラしたんじゃないか!それを知った上で脱サラ男と結婚したんじゃないか!

 まあ、私はケチケチ女なので、こういう事もあるかもと子どもの教育費は貯めておいたので、今なんとか生活できている。

 しかし…年功序列で乗ったレールが、ずっと途切れず延びていると信じていても、途中で切れている場合もあるし(リストラ)、自営業者のほうが、上手くいかなくなっても自己責任だと諦めがつくかも。

 
 しかし、どうして私は最近こういった本ばかり読むのかなぁ。
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川崎昌平「ネットカフェ難民」

2008-04-13 11:50:43 | Weblog
 この筆者・川崎氏をネットカフェ難民とするのはいかがなものか?

 川崎市は1981年生まれ。2006年東京芸術大学大学院を修了して、家でぶらぶらしていたが、2007年のある時期、ネットカフェで寝泊りするようになる。その期間およそ1ヶ月。
 雨の中、日雇いのアルバイトでずぶ濡れになり体調が悪くなったので、家に帰ったようだ。一応サブタイトルが「最底辺生活」とあるので、全くのフィクションでもあるまい。
 しかし、アンタ、もうちっと根性見せろよ。1ヶ月は短すぎ。

 だいたい趣味でネットカフェに寝泊りしている人間がネットカフェ難民と自称していいんだろうか?
 難民というのは帰りたくても帰るべき国や家が無くなってしまった人の事をいうんだろう?
 アンタには、帰ってもニコニコ迎えてくれる両親や、温かく清潔なベッド、こじんまりした居心地の良い自室がちゃんと用意されているじゃないか?
 それも、たかだか1ヶ月ネットカフェに寝泊りしたぐらいで、その経験を本にして出版するなんて、本物のネットカフェ難民に失礼だと思わないんだろうか?

 それとも、幻冬舎の編集者と「これから1ヶ月、今はやりのネットカフェ難民やりますから、本にしましょう」と話がついていたんだろうか?

 だってこの人25歳にしてもうすでに『知識無用の芸術鑑賞』(幻冬舎新書)という著書があるのだ。

 どう貧乏人ぶっても、しょせんは金持ちのぼんぼんだろ、とムカムカしながら読んだ1冊。高額のレッスン料を払える家庭じゃなきゃ、東京芸大に入学できないじゃん!!
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高木彬光「死を開く扉」

2008-04-08 11:19:42 | Weblog
 北陸の小さな町の素封家の主人が、中から鍵のかかった二階の部屋の中で頭を撃たれて死んでいた。
 それなのに部屋の中には凶器も発見されなければ、犯人の出入りしたような形跡もない。典型的な密室殺人。
 ところがこの部屋には、被害者が生前「四次元へとつながっている扉」と触れ回っていた『宙にあいている扉』があった。


 そんなに評判の高い作品でもないのだが、とても面白く読めた。
 カーの名作「ユダの窓」を何となく思い出す。
 しかし、こんな単純な方法で本当に発砲できるんだろうか? でも、設定が昭和32年の作品だから、登場人物が皆、戦争経験者だし、男は兵隊に行って銃器の扱いにも慣れている。だからこういったトリックが可能なんだろう。


 ずいぶん前から不思議に思っていたことがある。それは、明智小五郎も金田一耕助も、今でもその威光を保っているのに、三大探偵の一人といわれた神津恭介がどうしてあまりパッとしないのか、ということ。

 これはワトソン役の松下研三のキャラがあまりにもオヤジだからじゃないか?
 神津恭介は天才肌の名探偵という性格上、作品の後半に出てくる程度。語り手の松下研三が最初から最後まで物語を引っ張っていく事が多い。
 その松下のキャラがあまりにも魅力に欠けるものだと、いくら良いトリックを使っても、神津恭介が素晴らしくても、作品としての精彩に欠ける。

 いまさらどうしようもないが、松下研三にもう少し頑張ってもらいたかったなぁ。
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