世界記憶遺産に申請していた「杉原リスト」の資料は登録を見送られた。イスラエル政府の支援や世界中にいるだろう助けられたユダヤ人の子や孫の要請を集めればよかったと思う。
リトアニアの首都ヴィリニュスからカウナスまでタクシーに乗った。若い男のドライバーと「往復100ドル」の交渉で成立した。道路上の距離は分からないが、Thomas CookのTIME TABLEによると鉄路で46キロとある。道路は曲がりくねるだろうから50キロは超えるだろう。その往復だからタクシー代は安いかもしれない。
カウナスには、杉原千畝がいた旧日本領事館に行ってみたかったからだ。ドライバーは残念ながら「カウナス杉原千畝記念館」を知らなかった。街の人に何人か尋ねて、散々探した。カウナス市民ならすぐにわかると思ったので、知らないとは意外だった。
やっとたどり着いたが、なるほど静かな住宅街の小さな一軒家の一部屋が記念館だった。そこが、当時領事室だったようだ。ここにユダヤ人が大勢ピザを求めてきたのだ。
17年前のことである。最近、記念館に訪れる日本人が増えているらしい。今はもう少し充実した記念館になっているだろうか。
世界記憶遺産で思い出したことでした。
リトアニアの首都ヴィリニュスからカウナスまでタクシーに乗った。若い男のドライバーと「往復100ドル」の交渉で成立した。道路上の距離は分からないが、Thomas CookのTIME TABLEによると鉄路で46キロとある。道路は曲がりくねるだろうから50キロは超えるだろう。その往復だからタクシー代は安いかもしれない。
カウナスには、杉原千畝がいた旧日本領事館に行ってみたかったからだ。ドライバーは残念ながら「カウナス杉原千畝記念館」を知らなかった。街の人に何人か尋ねて、散々探した。カウナス市民ならすぐにわかると思ったので、知らないとは意外だった。
やっとたどり着いたが、なるほど静かな住宅街の小さな一軒家の一部屋が記念館だった。そこが、当時領事室だったようだ。ここにユダヤ人が大勢ピザを求めてきたのだ。
17年前のことである。最近、記念館に訪れる日本人が増えているらしい。今はもう少し充実した記念館になっているだろうか。
世界記憶遺産で思い出したことでした。