本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

鐘銘事件

2010-08-20 11:16:47 | Weblog
 実際は旧暦だろうが、昨8月19日、片桐且元は駿府に着いた。世にいう鐘銘事件の釈明のためである。しかし、家康は会わなかったという。

 鐘銘事件とは、方広寺の鐘の銘文に徳川側が難癖をつけた事件をいう。その銘文を隆慶一郎の『捨て童子 松平忠輝』から拾ってみる。
「右僕射源朝臣」
右僕射とは右大臣の唐の名称で、右大臣源朝臣を唐風に銘記したということ。ところが、「右僕」の語を無視して「源朝臣を射る」と意訳した。源朝臣とは家康のことだから家康を射るとは何ごとかといちゃもんをつけたわけだ。
「君臣豊楽 子孫殷昌」
これは文字どおり君臣ともに豊かに楽しみ、子孫は栄えるということだが、これを「豊臣を君として、子孫の殷昌を楽しむ」と曲げた。つまり、豊臣家を主君と仰ぎ、その子孫である秀頼の繁栄を徳川は楽しむとする文ではないかとこじつけた。
「国家安康」
これは説明するまでもなく家康の名をバラバラにしたと文句をつけた。

 本を読むと、生半可な覚えをわかりやすく補ってくれる。

 さて、徳川側は片桐且元に対し、三条件を示しそのひとつを呑めとなった。呑めないことは承知の上だった。この条件を、坪内逍遥の『桐一葉』から丸写しするが、これは次回で。


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