本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

アドバルーンと観測気球

2007-05-08 09:16:46 | Weblog
 雑誌に「アドバルーン外交」のタイトルの読み物があった。その一瞬だけ耳目を集める外交のことを述べたものだ。広告手段であるアドバルーンとはそうものだ。
 ところで、たまに「アドバルーンを揚げる」という成句にお目にかかる。こちらは世間の様子をみる譬えだ。広告は消費者へのアピールだから、様子を窺う比喩であれば、揚げるのはアドバルーンではなく、観測気象ではないかと思っていた。
 そこで、辞書を紐とくと、アドバルーンの項に「アドバルーンを揚げる」の成句があって「計画などを事前にもらして、世間の反響をみる」と載っている。

 それでは、観測気球はどうか。同じ辞書に「世論や相手の反応などを探るために、わざと流す情報や声明」という意味があった。もちろん、第一義は大気の気象状態を調べるための気球とあるが。とにかくアドバルーンも観測気球も同義の比喩である。これは理に合わない。本義はひとつではないか。辞書をなぞれば、観測気球そのものに、意図的に公表されるという意味があるから、こちらが本義と思う。

 となれば、作為的にリークして様子を窺うことの「アドバルーンを揚げる」は誤用ではないか。ただ、この誤用がいつの間にか定着し、辞書でも認知され、慣用成句になったのではないか。一所懸命が一生懸命になったと同様だろう。

 ひとつ言えることは、気象衛星の時代に観測気球が第一義を失った。まだしも、身近にあるのはアドバルーンだから、こっちのほうが分かりやすいことだ。
 いつの日か,広告用飛行船が頻繁に飛べば、比喩は「飛行船を飛ばす」にとって代わるかも知れぬ。