本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

やきものあれこれ

2007-05-26 09:18:41 | Weblog
 ある時、温泉の旅の途中、箱根宮ノ下の骨董屋を覘いた。染付の七寸皿5枚、絵柄は鳳凰(裏はやじろべえと兎)だった。巧みな絵ではないが、見ようによっては素朴な味がある。明治期のものらしい。百年経てば骨董といわれるが、明治もその仲間入りになってきた。しかし、明治には近代国家黎明のイメージがある。それで、時代が若い(新しいということ)と思っても、骨董屋は判で押したように幕末ものという。
 話を元に戻すと、確か12万円の値だったと思う。翌年、その店に立ち寄った。かの七寸皿はまだあった。が、4枚になっている。1枚は毀したという。5枚セットの皿が1枚欠けると値が下がる。もとより、やきものは1枚ごとにバラ売りしてもほとんど売れないだろう。その4枚を交渉の末6万8千円で購入した。

 それから1年半後、ある骨董市で同じ絵柄の膾(なます)皿を見つけた。5客で1万6千円。形、寸法、用途は違う皿にしても値段の差にいじけた。
 こういうことが、しばしば、やきものにはある。骨董的価値に決め手はない。仕入れ価格と時の実勢(つまりブーム)を勘案して決めることが多いだろうが、口八丁でババを引かせるような値もあるだろう。ただし、買い手が納得して手を打つのだからしょうがない面もある。
 
 かくて、七寸皿は高い物に手を出したのか、あるいはそれが相場で、膾皿は図らずも安く入手したのか、分からずじまいのままだ。