本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

結果目的語

2014-08-14 09:21:30 | Weblog
「目的語+を+動作・行為」の「お茶を飲む」、「テレビを観る」、「ご飯を食べる」などは、当たり前ながら普通の文である。

 ところが「お湯をわかす」、「ご飯を炊く」、「てんぷらを揚げる」などは論理的ではない。お湯をわかせば蒸発するし、ご飯を炊けば真っ黒に焦げてしまうからだ。

 このお湯やご飯やてんぷらや墓のような目的語に動作・行為の動詞が付くと、この目的語は動作・行為の結果を表すと説明されている。単に目的語ではなく「結果目的語」と呼ばれている。これで論理的な説明になるわけだ。

 では「タクシーを拾う」や「頭を刈る」はどうだろう。これがよくわからない。
 先のお湯やご飯は動作・行為によって水や米から変化した結果だが、タクシーや頭は動作・行為で何かが変化した結果ではないからだ。
 やはり「タクシーを手配する」、「頭の毛(髪の毛)を刈る」と正確な文にするべきではないだろうか。