28日㈮、昨夜は京都に泊まり、10時から月例の監査委員会議に出席した。
12時半から議員団会議、13時15分から本会議に上程されていた議案等の採決を行い、6月議会は閉会した。
3年間務められた鈴木貴典副知事は退任して国交省に戻られ、新たに国交省物流・自動車局総務課長の武田一寧氏が副知事に就任された。自動車局が経歴の中心で、これから京都府の大きな問題となる北陸新幹線を管轄する鉄道局とはあまり縁がないようではあるが、どうなんだろう?
4年務められた古川博規副知事は再任、3年務められた前川明範教育長も再任された。私が府議に就任した時の教育長だった田原博明氏は府人事委員会委員長を今議会で退任され、後任には元知事室長の上田敏勝氏が選任された。
綾部に戻り、18時半からは亀甲家にて、綾部市スポーツ協会(小寺哲朗会長)の加盟団体交流会に綾部市空手道連盟会長として出席した。
今日28日は祖父、四方源太郎の月命日でもある。命日は来月の7月28日。
仏壇の過去帳を見て、以前、不思議なことに気がついた。祖父と同じく28日に、祖父からすると「お母さん(美津ゑ)」と「おばあちゃん(藤助妻)」が亡くなっている。
そこで、祖母・きく枝の月命日も見てみると25日で、同じ日には源一郎伯父の名前があった。源一郎伯父は私がまだ1才の頃、50代の若さで病気で亡くなった。祖母は最愛の長男との別れの際には「私も一緒に入れて」と泣いて棺にすがったと聞いている。
誰かを慕う気持ちは天に通じているのだろうし、生まれるも死ぬも全て運命なのだろう。
私たち夫婦には長男・小源太の下に本来ならもう一人、子どもが生まれているはずだった。その子の月命日は14日で、同じ14日には私の曾祖父・源之助とその先代である藤助が亡くなっている。その子は女の子だとなぜか勝手にイメージしていたが、それを見て、その子は、男の子で生まれていれば曾祖父らのようにいずれ家の跡継ぎになったのかもしれないなと思うようになった。
仏壇には「ファミリーヒストリー」がたくさん隠れている。仏壇でご先祖様を拝むことには「ファミリーヒストリー」を発掘することにもなっている。