オルセー展の“ゴッホのアルルの部屋”と、いせひでこさんの絵本の部屋(2007.2.28)

2007-02-28 22:05:16 | Weblog

 *ここにも、ゴッホの部屋です。

この間(25日)、オルセー美術館展を見てきました。新聞の広告やポスターに、“これでもか”とあふれていて、他にはないのかとも思わせた、“ゴッホのアルルの部屋”を見るのが目的でした。

なぜ、この絵が注目されるのでしょう。この絵は、“ものすごい感動”を生むような絵でもないし、なぜでしょう。込められたゴッホの感情が滲み出している絵というほどでもないでしょう。なぜかわからないのです。

でも多くの人が、そう思っているようなのです。一度見たら忘れられない深い印象を与えます。

その印象は、長野駅前の本屋さん平安堂の絵本売り場の棚にあった、“いせひでこさんのこの表紙”(上の写真)を見たときに、すぐに買わせてしまったのです。
そして、後から、いせひでこさんの絵本の“中身”もいい本だなと思ったのです。
そっくり真似た、ゴッホの部屋を作って、暮らしてみたいなと、本気に思ったりします。

・・・・とこのあたりは、前に書きました。<ここです>。

 *左;オルセー展の絵葉書、右;アムステルダム・ゴッホ美術館の絵葉書

そのブログの中で、この絵には、3種あると書きました。
アムステルダムのゴッホ美術館、シカゴのアート・インスティチュート、そしてパリのオルセー美術館にあるのだそうです。
その3枚の絵にまつわる話を、オルセー展の絵の脇にある解説パネル、あるいは売店で買える“高い”図録の立ち読みで知ろうと思ったのです。

ゴッホは、まず1枚目を描いた。それが洪水で損傷した。それで、レプリカ(?)2枚目、3枚目を描いたというのです。そのうちの1枚がオルセー美術館にあって、他の1枚がシカゴにあるそうです。ところが、オルセー展の解説では、この1枚目がアムステルダムにあることに、全く触れていないのです。まるで無視しているようなのです。
洪水で損傷して、もうなくなってしまったような印象を与えてしまうのです。実際はどう修復されたのだろうかを知りたかったのです。

オルセー展は、いつも日経主催です。だから日経紙面が、何度もこの絵を紹介するのですが、記者の誰もふれない、無視なのです。第1作目は、オルセー美術館でなく、アムステルダムのゴッホ美術館にあると言いたくなかったのでしょうか。
まあ、どうでもいいことでは、あるのですが。

 【おまけ】
*オルセー展で、大き目の複製画を買おうかとも思って出かけたのですが、展覧会でいつもするように絵葉書を少し買っただけでした。


オルセー展より、芸大・美大卒業・修了制作展が断然楽しかった(2007.2.25)

2007-02-25 22:14:14 | Weblog

オルセー美術館展の招待券の有効は3月2日までだった。最近、身辺いろいろあって、今日しか行くときがない。日曜だし混むだろうな、と思いながら出かけました。

会場の上野の東京都美術館に着いたのが、10時10分頃。10分待ちとのプラカード。並びます。入場しても、ゆっくり“鑑賞”する状況にはありません。絵の前には、大勢がへばりついているのです。

ゴッホの<アルルのゴッホの寝室>にたどり着いた。地下鉄の駅からここまで、あちこちにたくさん貼ってあるポスターと同じ<ゴッホの寝室>だった。遠目には、ポスターと同じ、としかわからなかった。
その隣に、セザンヌの<サント・ヴィクトール山>があった。この山の絵も好きなのですが、どうもあちこちにあるようです。八重洲のブリジストン美術館にもあります。

会場にちょうど1時間いて出ました。入場待ちの列はもっと伸びています。出がけに、華やいだ美術展が見えました。迷わず入ってみました。

東京藝術大学の卒業・修了作品展と東京五美術大学連合卒業・修了制作展です。会場は、若い、明るさが流れていた。ハッとする作品がいくつもありました。大勢の誰もがカメラや携帯電話を作品に向けて笑顔です。
作品のそばに、作家と思える学生が晴れやかに立っています。足元には学生時代の作品ファイルと、感想用ノートが置いてあります。

*室尾裕一さんの作品“楽器を吹く人”

 オルセー展のひしめき合う大人の展覧会はなんだろうか、と思いましたね。


この春の春日部エリアのスウィングジャズライブ(予定)(2007.2.24)

2007-02-24 23:53:30 | Weblog

今日(24日)夕刻から、私らのバンド、スウィング・ベアーズの練習日。
お昼はいいお天気だったのだが、陽が沈むとぐっと冷たい。
こんなときの練習参加者は少ない。半分です。
それでも、サックス、トロンボーン、トランペトが、各2人ずつ、それにギターとドラムスが集まって、セッションです。こういう時は、個人力を高める絶好の機会です。

かくいう私は、ギターで4ビートのリズムを刻みながら、今日のブログネタを考えている始末です。

そこで、この春の埼玉県東部のジャズ・ライブ・イベントを紹介します。

○ 3月11日(日)越谷梅祭り、越谷梅林公園(北越谷駅西口から元荒川沿いに徒歩20分) 
  オール・スウィング・ジャズ・オーケストラ(越谷市のビッグバンド) 
  演奏は、12時30分から1時ごろにかけて。

○4月14日(土)ジャズ・デイ・春日部(第2回)春日部駅西口から5分の旧交通公園
  スウィング・ベアーズ(旧庄和町のビッグバンド)
  ドリーム・スウィング・キングダム(春日部市のビッグバンド) 
  演奏は、12時30分から1時間少々、
  そして、 サックスの宮本大路さんのコンボ演奏に繋がります。

  *秋のジャズ・デイ・春日部の様子は、<ここに書きました>

 秋のジャズ・デイ・春日部

○5月4日(祭)春日部大凧マラソン・アトラクション(庄和町体育館前広場) 
  スウィング・ベアーズ 
    演奏は、11時ごろから12時ごろ

 【おまけ】
*私が、今知っている予定です。皆さんお出かけの上、お楽しみ下さい。
 越谷の梅林公園の梅は、今もう見ごろになっているかもしれません。
 まず、梅祭りです。
 オール・スウィングさんのステージの楽しさには定評があります。


大丈夫。近所(庄和町)の半鐘はまだ盗まれていません(2007.2.23)

2007-02-23 18:51:44 | Weblog

ここ2、3日くず鉄窃盗団のニュースが流れています。茨城県あたりだから、遠くの話ではありません。
道路脇側溝を覆う金属板、駐車場などにある逆U型自動車進入止め、そして、半鐘が30個とか50個とか盗まれたらしい。う~~んと唖然としてしまう。

<金属相場の上げ下げで、こんなことも“ビジネス・モデル”と考える“企業”があるのか>、なにもかもがビジネスの世の中です、ありえます。

今朝、うちから3,4分のところにある半鐘がひょっとして、なくなっているのではないかと思い、散歩コースをはずれて、見に行きました。大丈夫です。ありました。確かに、日常誰も気にも留めない半鐘です。気がついたら、盗られていたなんて、十分に考えられます。
私の行動範囲で、旧庄和町内(現春日部市の一部)で、他に、半鐘台がどこにあるのか、思い当たりません。30年程ここに住んでいますが、幸いというべきか、この鐘が鳴らされたのを聞いたことがありません。鉄骨でタワー状に作ってあります。町にとっても不要なもの、時代の遺産のようにも思います。共同のシンボルの遺産なのです、大事にしたい。
デジカメで写真を撮りましたが、ご近所さんが怪訝そうに見ていたかもしれません。

私の育った岡山県の田舎では、にひとつ、もっと高い“かねつき台(と言っていた)”がありました。鐘のたたき方で、近い火事、遠い火事がわかりました。夜中に飛び起きたこともあります。
そういえば、中学生の頃、“4つ下の弟がいなくなった”ことがあって、心配する母親に、“かねつき台だよ”と教えたことがありました。私(兄貴)のカンなのです。弟がそこで何をしていたかは、知りませんが、そこにいました。いい景色だったのです。男の子が登ることにも寛容な時代だったのです。

 

やや寒の小雨の中を歩いて、旧庄和町役場に用事です。今日の公園に人影はありませんでした。

 
*半鐘も旧役場も、もう不要かもしれません。資産の有効利用という論理で、民間に払い下げられるかもしれません。“夕張市”のように・・・・・・。4月から、春日部市役所庄和支所の役割は、ぐんと小さくなり、とりあえず倉庫化への道をたどるようです。大事にしたいのです。半鐘と同じように、ときどき“まだあるな”と確認が必要でしょう。


もうあちこちに、門出の春の日・春日部です(2007.2.22)

2007-02-22 23:49:54 | Weblog

*足元には、もう“おおいぬふぐり”の春です。

今日(22日)、私の住む町、庄和町(現春日部市)は、春日の一日でした。
わが家の無認可保育所オープンです。戸外に連れ出しました。旧庄和町役場周辺の公園にでかけました。

若いお母さんたちに連れられた子どもたちが遊んでいました。
あたたかい一日でした。おだやかな日がながれていました。鴨か、ガチョウか、アヒルか、何羽もよってきます。この町には豪華白鳥はふさわしくなく、いません。木の上には白鷺が3.4羽居ついているようです。

*はしゃぎすぎて、左手ひじに“ひび”です。保育園には、しばらく行けないのです。

 ほんとに、もう春です。足元には、ひそやかに“おおいぬふぐり”の小さな青い花。
タンポポのように目だって子どもたちを楽しますこともなく、スミレのように女学生の心に残ることもないけれど、一番先に春を知らせる花です。まだ、2月ですが、もう春の顔です。

春を迎える今、一番好きな季節。誰にとっても明るい門出の季節です。
この人のうちも春です。私のブログ先輩のRさん。

*幻のインスタント・コーヒー<FRAGILE>です。

一昨日(20日)、Rさんが、私のブログで紹介した“幻のコーヒー”を飲みに来てくれました。この町・庄和町に、私は、大人になって越してきました。Rさんは、この町に育って、この町で青春し、家庭を持って。この町で、子どもたちを育てているのです。私らの次の世代だと、意識させてくれます。
この春に、下の息子さんが、遠くに進学合格、巣立ちです。そして、Rさんは、働き始めます。やりたかった仕事です。・・・・話していて“桜咲く”の春のように感じました。

*1週間ほど前に、庄和町のブログ世界を、飛び交った“宮崎県のきんかん”です。Rさんが作って持ってきて下さった。Rさんのブログにも、このトレー(?)、不思議です。

これからは、“ブログがあまり書けなくなるかもしれない”というR さんのブログ“優しい時間”は、<ここです>


池袋の古本市で“ニューポート・フォーク・フェスティバル”のレコード(2007.2.21)

2007-02-21 19:11:43 | Weblog

先週末(17日)にネパール料理を食べた日のお昼には、池袋の古本市でブラブラしていました。旧庄和町(春日部市)だけで生活するようになって、遠いと感じる東京に出かけるときは、2つ3つのことを同時にすませるのです。

昔から、池袋にいくことはあまりなかったのです。しかし、なんかの用事で池袋にいくときは、必ず本屋・リブロに立ち寄っていました。私の好みにフィットした本屋なのです。
そこの2階で、恒例の古本市があったのです。

人も多いし、ただただふらふらしながら、本箱の前を流れていっただけです。自然と若かりし頃、60~70年の記憶があって、買わなかった、買えなかった本に手が伸びます。 70年代の女の子向け“anan”の創刊号が8,000円だった。これも70年代文化のひとつだったでしょう。むろんいりません。それでも、古本5冊ほど買いました。

レコードをおいている店もあって、“ニューポート・フォーク・フェスティバル 1963年”のライブ盤がありました。1964年リリースの日本盤なのです。12,000円です。まさに当時欲しくても買えなかったレコードというか、発売そのものもよく知らなかった。当時はたぶん2,000円だったでしょう。
(2食付下宿が月8,000円。喫茶店のコーヒーもラーメン屋のラーメンも100円かな)

*LPレコードやCDです。

その後、そのUS(アメリカ)盤のLPレコードを買ったし、CD版が出たときにも買っているのです。それでも買おうか、どうしようかと悩むのです。本と違って、LPレコードに初版に価値があるという意識はありません。<日本盤で微妙にジャケットデザインが違う程度>なのですが、買えなかった時代へのリベンジみたいなものです。

結局、買わなかったのですが、帰ってからも“うじうじ”と、もう一度出かけようかと思ったりしていました。

アメリカ・ニューポートでのフォーク・フェスティバルは、10年間ぐらいあったのですが、1963,64,65年あたりが、フォークソングが最も社会にインパクトもっていた時代なのです。フォークソングを歌うことで、世界の動きに直接関わっているように思えた時代です。ピート・シーガー、ジョーン・バエズ、ボブ・ディラン、それにピーター・ポール アンド マリー(PPM)らは、ニューポート・フォーク・フェスティバルを通して、日本に流れてきたのです。歌声と社会的行動を、ラジオやレコードをとおして、私らは知りました。そして、私らもギターを買ったのです。

当時まだ、日本には映像が伝わってきません。歌っている姿なんか知らないのです。フォークシンガーたちの日本公演は、1968年頃になってからなのです。
米国では、そのフェスティバルが“FESTIVAL”のタイトルで映画になっていました。ずっと後になって、日本でもテレビ東京で、放映したらしいのですが、私は知りませんでした。その自家製録画ビデオが、新宿あたりの海賊版屋で売り出され買って見ていました。つい最近、2,3年ほど前には、DVD版が売り出され、これも買いました。庄和町のTSUTAYAでも売っていたでしょう。

 *DVD;“FESTIVAL”です。

  【おまけ】

* PPMのポールの歌うが横田めぐみさんへのメッセージソングについて、1月30日にブログに書きました<ここです>

*その“Song for Megumi”のCDが売り出されたようです。そのことで、横田さん夫妻や安倍首相の前で歌うポールの“Song for Megumi”がNHKニュースで映像として流れていました。

*NHKテレビ“ニュース・ウォッチ9”

* ニュースで、60年代のPPMを紹介するVideo映像に、ニューポート・フォーク・フェスティバル1963のシーンも使われていました。

* 今年5月ごろには、コンサートもあるようです。すでにチケットも売り出されたようです。


ネパールレストラン“ミルミレ”でダルバート・カレー(2007.2.20)

2007-02-20 16:54:45 | Weblog

先週末(17日)は、千駄木のネパールレストラン“ミルミレ”で、ネパール人夫婦と食事をしました。 “ミルミレ”は、ときどき出かけます。このブログでも、2度目の登場です。

シャルマンさんが一人でやっていた、この店も、今、若いインド人シェフが入って、インド料理もメニューに加えた。といっても、地つづきの二つの国の料理の基本は同じようです。ホット(ピリ辛)なメニューが多い。カウンターが中心で、他に2つのテーブルのこじんまりした店です。千代田線千駄木駅から5分ぐらい。ご予算は、夜は3000円、ランチ(ダルバートカレーにチャイ・生姜のきいたお茶)セット800円、が目安でしょうか。

私の好みというより、ネパールの友人の好きなものを、ぽちぽちと、いろいろ食べながらも、最後は、ダルバート・カレーでしめることになる。写真が今夜のメイン・ディッシュ。チキンカレー、ダルバート、ご飯が黄色いのは、サフラン・ライスだから。それに、ちょっと苦手な野菜のぶつ切り。

右下;ダルが豆汁。左下;バートがご飯。今日はサフラン・ライス。これでダルバート・カレー。

ここに来るときはネパールの話をする時です。この間は、20代後半のネパール人カップルと一緒でした。
Chand*****は、日本の国立大学に留学してコンピュータ技術を覚え、今通信会社に勤めている。夫人のRanj****は、結婚を機に来日、もう6年になる。ネパールでは看護婦さんの仕事をしていたが、今、ディケアセンターで働いているよう。
この2人によると、ミルミレが美味しくなったという。私には、さほど変わったようには思えないのだが、日本人向きの味から、ネパール本来の味に変わったのかもしれません。

むろん、お国・ネパールの体制・政治状況の心配にも話がおよびます。
日本人の目で見れば“発展途上国”<ここでいう発展がいいのかどうか疑問ですが>のネパールをよりよく変えていくことは、海外に出て母国を見ることのできる“若者”の役割かもしれません。
この夜、ふたりは随分楽しそうで、Chand*****は、いつもの“右手”で食べ始めました。
日本人の前では、あまりしないようだが、今日は、それだけリラックスできたのでしょう。

  【おまけ】

*ついでに、5年ほど前に、ネパールでふらふらしていたときの写真から、お料理・食事風景を貼り付けましょう。

 *トレッキング中のダルバートの昼食はこんな感じでした。右手で食べます。
*今日もまた、ダルバートです。それもまたよし。


 *山中の小屋では、いつも玉子とじゃがいも。これは大好きメニューです。三度三度でも問題なしでした。
*これは、ネパール・ポカラのホテルのダルバート・カレーです。ごくごくまれには、少し高めの食事もしていたのです。念のため付け加えておきます。。


 


旧庄和町(春日部市)の中学校吹奏楽部のコンサート予定(2007.2.17)

2007-02-17 23:25:11 | Weblog

*左:飯沼中学、右:葛飾中学

3月は卒業・進級シーズンです。多少は、お別れの感傷もありましょうが、新しい世界に進んでいく、晴れがましい、嬉しい思いが多いでしょう。
春休みは、試験も終わった、宿題もない、一番楽しいお休みでしょう。

この町の中学校吹奏学部のコンサート・シーズンでもあります。正風館をいっぱいにする葛飾中学校(3月10日)、飯沼中学校(3月24日)の吹奏楽部コンサートは、恒例の町の文化イベントです。毎年楽しみにしているファンもおおいのです。

各々のポスター、中学生らしい微笑ましいポスターが貼りだされています。
このブログのために、2つの中学校のポスターが並んで掲示されているところを探していたのですが、今日たまたま、東武野田線南桜井駅構内で見つけました。
それでブログにしました。本当は、今日一日中出かけていて、ブログは簡単にすませたいのです。

私らビッグバンド<スウィング・ベアーズ>からすると、同じ町の“子分たち”であります。もう何年もずっと応援しているのです。
メンバーの子どもたちの何人もが吹奏楽部員で、父兄として聞いていたこともあります。スウィング・ベアーズと両中学校吹奏楽部それに庄和高校吹奏楽部も加えて合同演奏したこともあるのです。

今年も、後ろの方の席で聞くことになります。講評は、このブログに書きましょう。
いずれにしても、スウィング・ガールズの皆さんに拍手を送るのです。


庄和町出身の“目カメラ”さんから写真展の案内状(2007.2.16)

2007-02-16 12:48:46 | Weblog

 *案内がときどき送られてきます。

もう5,6年になるでしょうか、いつも突然に、写真展の案内が届きます。たいてい出かけるようにしています。今日(2月16日)の案内は、写真のコンペティション『ひとつぼ展』の入選作品展示です。公募選考された若手写真家の入選10人が一坪のスペースに写真を並べ、さらに競います。グランプリは、銀座で個展が開催できる、のです。



 *案内に載っている写真(ブログから)

旧知の庄和町(現春日部市)出身の“目カメラ”さんも入選者で、一坪の空間に写真を展示するのです。ひとつぼ展は、2月19日~3月8日、銀座リクルートビルです。
詳細は、<ここにあります>。お名前も載っています。

私らにしてみれば、高校の制服姿も知っている、子ども世代のご近所さん。私の家と正風館(現春日部市)の間に実家があります。むろん今は東京住まいで、おそらく雑誌などの仕事をしながら、作品としての写真の腕も磨いているのでしょう。

何度かギャラリーに出かけていますが、なかなか不思議な世界なのです。リアルというより、イメージ(心象)・ムードを大事にする作品です。安直に、はやりの言葉でいえば、癒しの世界でしょうか。
写真展のタイトルは、いつも“目カメラ”とついています。その意味を聞いたこともありません。写真家に言葉はいりません。なんとなく気持ちが感じられます。今日、目カメラは、me-cameraだなと感じ、“私・カメラ”かもしれないなと思いました。

手元にある案内はがきから、個展のタイトルを拾い出しますと、<目カメラ・むかしのゆめ>、<目カメラ・へたなうた>、<目カメラ・空をとぶ>・・・・です。目カメラさんのブログは、<ここに>あります。

着実に、<写真の仕事>への道を歩いている、階段を上がっているように見えます。そう思いながら、ギャラリーで見る写真は、なおさらに気持ちよくさせます。
旧庄和町の人が少しでも、この世界を知ってくれるといいな、と思うのです。

  【おまけ】

* 私が、特別に“目カメラさん”を応援するわけには、“秘密”というか、写真作品以前に“特別の感情”があるのです。

 *これが、オリンパス・pen F です。

* 私が、その昔、いうならば初給料で買ったカメラは、オリンパス・ペンFです。ハーフサイズカメラ、可愛いカメラでした。お金がなかったからです。でも、どうどうの一眼レフカメラです。その頃から、写真を撮るのも、写真を見るのも好きでした。モノクロ時代で、お風呂を暗室にして写真現像をやってもいました。

* “目カメラ”さんが、オリンパス・ペンFを使っていることを聞いたときには驚きました。今は、アマチュアでも高価な写真機材を競う時代です。でも理由なんて聞く必要はありません。とても嬉しく思いました。

* 私の持っている、オリンパス・ペンFをさしあげるつもりでした。私は、とっくに高級カメラに移していて、ほったらかしにしていました。どこかが錆びついて動かないのです。なんとか修理したい。

* 日本カメラという雑誌があります。今、町のTSUTAYAに並んでいる2月号の、特集は、ハーフサイズカメラです。その表紙は、なんとオリンパス・ペンFです。まだまだ、フィルムカメラなのです。


ゴア元米副大統領の“不都合な真実”を買ってしまった(2007.2.14)

2007-02-14 19:40:16 | Weblog

 *バックはホールアースカタログ。私ら世代のバイブルだったかもしれません。

出歩かない日々が続きます。しかたなく駅前の本屋TSUTAYAに出かけても、書棚もCD売り場も日々代わり映えしない。鬱積した気分が、“今売れています風に積んであって”、普通なら絶対に手を出さない本を買わせてしまった。2800円をレジで支払って、帰路ずっと買わなきゃよかったと思っていました。帰っても、2,3日、袋の封も切らなかったのです。

ゴア米副大統領(アル・ゴア Al Gore)の、映画や出版キャンペーンがマスコミに報じられていて、いささか“知っているよ”風に、関心もなかった。大々的に宣伝した映画上映が打ち切られると聞いて、買ってしまったのかもしれません。

これもまた“絵本”です。この“不都合な真実(An Inconvenient Truth )”(2006年発行)は、地球温暖化を正面から紹介するグラフィック・ブックです。
過去のいろんな所の知識を、これ一冊で整理することができます。今の地球、今の社会の問題を手っ取り早く確認するにはとてもいい本です。コンピュータ画像処理を駆使した図表がとてもわかりやすい。ただ、眠る前に寝ころがって読むには重い。

ついでに、この本は、大豆インク(soy ink)で印刷されています。

 *1968年私もまた、初めて地球を見ました。宇宙船地球号を体感しました。

今年の暖かい冬、異常気象が、長い目の温暖化の流れの中にあるのかどうかは、わかりません。
ただ、この50年間、気候が温暖化の方向であることは、肌で感じています。私の岡山の山中での、小学校数年間の夏休みの宿題<気象観察(他にすることがないから昆虫採集か気象観察)>経験では、昨今の35度などいう日は全くなかった。30度31度が暑い日であったのです。

京都議定書にも役割をはたしたゴア元副大統領は、地球温暖化に警鐘をならしています。時代と氷の変化を写真で示しています。グリーンランドと南極の半分の氷が溶けたり割れたりして海中に滑り落ちると、世界中の海水面は5.5~6m上昇するとして、世界中の水没後の状態をグラフィックに示しています。

私の住んでいる江戸川のそばの低地の海抜はいくらだろう。
この地に越してきた頃、20年ぐらい前、庄和町(現春日部市)の古い南公民館の考古学講座に出席したことがあります。講座の後半には、町内あちこちの貝塚で土器片を探す、とても楽しい講座でした。その初回には、5万分の1の地図(コピー)に、海抜10mに緑のクレヨンで、線を入れることから始まった。“ここまで海だったのです。海との境に貝塚があります”。との説明があった。わが家は、完全に海であった。東京湾が深く切れ込んで、海なのです。

ゴアさんは、東京の水没地図を示してはいません(以前、どこかで見た記憶がある)が、着実に水没の方向の向かっていることを警告しています。

こんな話は、もうよく知っています。
本の腰巻に、“あなたにも、すぐできる10の事”がのっています。
<6、レジ袋を断りましょう。買い物は、リサイクル・エコ・バッグを使いましょう>。
もうやっています。

*おまけです。これはヤオコーには持っていきませんが。

ただ、ヤオコーで、おじさん(!)が“袋はいらない”というのは、勇気がいります。
余計なことを言ったみたいな気分にさせられます。
にっこり笑って下さればいいのですが。


青森県立美術館で買った奈良美智さんの犬のぬいぐるみ(2007.2.13)

2007-02-13 21:32:21 | Weblog

 *息子の青森みやげの追加です。だらしないところがいいね。

昨日(12日)のブログ<ここあります>の続きです。
私の隣でブログを読んでいた二男が“おみやげ”の写真のところで、立ち止まって、やおらデイパックの中から、“これ追加!”と差し出した。

青森県立美術館のシンボルかもしれない、私が嫌いだと書いた奈良美智さんの作品“犬”のぬいぐるみです。

*意地悪そうな女の子の目(ぶら下がってるラベル)

あの嫌いな、意地悪そうな目ではなく、おとなしくべちゃーとなって寝ている犬である。いい感じなのです。ぬいぐるみというと幸せそうに太っていますが、このやせ細ったところがなぜかいい。胴をぐっと握れるし、握るとその感触がいいのです。

二男は、その昔、高校生時代、UFOキャッチャーの名手だった。でも、やたら戦利品を持ち帰っても、机の脇に転がしていた。ぬいぐるみ好きであったとは思えない。

美術館の売店の袋がほしかったけど買うものがなくて、これを買ったのだという。新しい美術館では、建物の建築だけでなく、それをとりまく、パンフレット、ポスター、看板、トイレの標識などもふくめて、すべてに共通のデザインでなされています。
 *ホームページから。

*ホームページから。

美術館のシンボルマーク、ロゴタイプをはじめとする総合的なビジュアルイメージを設計することをヴィジュアル・アイデンティティ(VI)というのだそうです。このデザインは、菊地敦己さんです。<VI は、ここにあります>
私の二男は、そこに関心を持っているようなのです。

 *シンガポール観光局提供かな。

もうひとりの息子、旅を仕事にしている息子も、ぬいぐるみを出してきました。
正しくは2,3日前のことです。珍しく自分の部屋の片づけをはじめて、どこからかでてきたのでしょう。
キティちゃんがシンガポール・エア・ラインのスチュアーデスの制服(?)を着ています。
もうひとつは、シンガポールのシンボルで、港に像があって、頭ライオン・身体が魚のマーライオンのぬいぐるみです。
シンガポール観光誘致のための集まりで、もらったもののようなのです。
さあ、どうしよう。とりあえず引き取り手は、誰もいません。

  【おまけ】

* 北に向かう新幹線の中で、“寺山修司の旅の詩集”を読まなかったのは、<旅に出る前ならともかく、この本を“旅の最中”には読む気にはなれないよ>ということでした。追加に書いといて、と息子。おわびして訂正ですね。


寺山修司を持って雪の青森でアートをめぐる(2007.2.12)

2007-02-12 12:21:33 | Weblog

*雑誌PAPER SKY と旅の詩集(寺山修司編著)

3連休の前夜(9日)に突然、二男が帰ってきて、“明日から青森に行く”と。青森と弘前で“アート”を巡る旅をするようだった。
私は、ほとんど東北に行ったことがない。わが家には、国内ならどこでも、たいてい揃っているガイドブックもありません。

息子は、“PAPER SKY”という雑誌の“寒くてあたたかい国・青森”のページを開いてくれた。<日本の近代建築に巨大な足跡を残した建築家・前川國男・・・ひとりの建築家の、およそ50年以上の仕事を俯瞰することができる幸福な町・・弘前・・・>とあった。それに、青森県立美術館で、建物と、それをとりまくデザイン・コンセプトも見たいという <ここにあります>

私は、あまり相槌がうてない。どうも青森県がぴったりこないのです。
青森県立美術館の、おそらく真ん中をしめているのだろう“世界的アーチスト”奈良美智さんの作品群もあんまり好きではないのです。あの眼が嫌なのです。雑誌のグラビアに登場していても、すぐにページをめくってしまいます。

連れの友人は、飛行機で行き、息子は新幹線で行くという。
“東北へは、列車で入るのがいい、遠さが感じられる”とか何とか言って、“長い車中だから本でも読んでだね”と。息子がおうむ返しに、“本なら太宰治か寺山修司だね”とこたえた。

蔵書(!)を誇る私も、しばし考え込む。この二人にはなじんでいない。

太宰治は好きでない。情死(!)が嫌い・・・という理由にしておきましょう。
寺山修司は、私ら世代にとって“時代をひっぱっていた人”ですが、読む機会がなかった。避けていたかもしれない。私が、東京でなく大阪で暮らしていたせいか、東北(青森)からでなく西の岡山から出てきていたせいか、それに前衛演劇の世界がよくわからなかった、かもしれません。
“書を捨てて街へでよう”なんて、いい響きだったのですが、やや毛嫌いしていたかもしれません。東北を旅していない、のも同じ理由でしょうか。

“寺山修司は一冊ある!”。“旅の詩集(寺山修司編著)”というカッパブックスです。ハードカバーでないしアンソロジーだから断片的に読める。旅に持って行くのにふさわしい。おまけに“人生という長旅の時刻表”という、泣かせるサブタイトルがついている。北に向かう旅にぴったりだ(・・・気持ちの中で、津軽海峡不景色のメロディ・・・)。
放浪・別離・異邦・望郷・残留・逃亡・出立・旅情・帰還・漂白という、強烈な章立てで、古今東西の詩やエッセイ・小説の断片が羅列されている。各章の冒頭に、寺山修司がエッセイを書き下ろしている。この本は古本屋で、といっても渋谷パルコ地下の本屋で買った。確か3000円(昭和48年発行で、もとは430円)だった。

息子は、昨夜(11日)遅く帰ってきました。“雪も降っていて寒かった”、“雪の中の県立美術館のたたずまいは良かったよ”。“日本中に、訪ねたい、いい所は、いっぱいあるね”と私。

*雪の青森県立美術館

*これがおみやげです。こけし瓶入りの酒・ねぶた餅・南部せんべい・木村浩一郎の赤い小さな器;棗に使えそう。

“寺山修司を読んだか?”“全然!!!”“ずっとi-podを聞いていた”。
どうも新幹線に自由席がなく、立っていたり、通路に座ったりしていたらしい。

旅の醍醐味、“窓の景色をみたり、うとうと眠ったり、時々本を読んだり”は、座っていけなくては・・・できません。
今どき、自由席のない列車があるのか。東北の文化の違いは、こんなところにも現れているのか。わたしゃ、ほんとに東北を知らないんだ。


おじいちゃんと森の子育て支援センターへ(2007.2.11)

2007-02-11 15:52:06 | Weblog

*アンパンマンの方がいいらしい。

“おじいちゃんと森へ”という絵本。この絵本も決して子ども向きではありません。むしろ、おじいさん向け、おじいさんが自分のために読む絵本でしょう。

信州で、“私の森の生活”をしていた1年ほど前に、長野の街に出て、平安堂の子どもの絵本コーナーで買いました。訳者が加藤則芳さんだから見ないで買いました。私はお会いしたことはありませんが、息子は多少知っているのかもしれません。加藤さんは、米国シェラ山系(このブログのタイトルです)の、ジョン・ミュア・トレールを踏破し、記録を出版され、私ら親子が読んだのです。その後、アメリカ東部のアパラチア山系をトレールされた。ヒマラヤでなく“アメリカの山旅者”です。

今日(11日)も、わが家は無認可保育所です。暖かい日で良かったです。4歳と2歳、勝手に遊んだり、かまうことが必要になったり、すぐ変わります。私の自由はありません。
“じゃ~、子育て支援センターにつれて行くよ”。遊びに来ている若いお母さんたちに混ざって遊ばせると、楽ができそうと思ったのですが。“日曜は、お休みですよ!”と家人。 “そうか、日曜はお休みか・・・・・どうして?”

日曜に働いている若い父母はいないという考えなのでしょうか。「平日は保育所があります。日曜は保育所がお休みだから・・・・預かって!」という、わが娘の所が例外なのでしょうか。この頃、みんな日曜に働いています。誤解を恐れずにいえば、大変な人ほど、土・日に働いているんじゃないですか? (日曜に働いている方、ごめんなさい)

*図書館はどうも作ってもらえそうにない。正風館の図書室でかばん?がまん?

庄和町にある子育て支援センターは、昨年春にオープンしました。
私のよく知っている町の子育てサークルや女性支援(?)グループの声、それに応えた庄和町役場の、女性政策や福祉関連の人たちの声を結集して、ようやく完成したのです。

オープンを報道する朝日新聞埼玉版の記事に、<“春日部市に初めての子育て支援センター”>
ちょっと違うんだなあ、庄和町の女性たちの長い間の気持ちを思うときにちょっと複雑な気分でした。
(報道資料だけで原稿書いたらだめですよ、ちゃんと取材しなきゃ)
それから20万都市春日部市には、なかったの?と。

<子育て日本一の町、春日部市>

春日部市に、このごろやたらと目につきます。日本一でなくてもいいですから、そこそこに、実のある施策をお願いしますよ。本気に日本一にするつもりなんてないでしょう。口から出まかせでなく、よく考えて発表して下さい。市民は、日本一なんて誰ものぞんでいません。

都市宣言やキャッチフレーズはお金がかからない施策でしょうが、春日部市には、ありすぎ、目立ちすぎです。不言実行こそ、春日部市にふさわしい。

どうも、近ごろ、わが家だけでなく世間一般に、子育てに祖父母の役割が大きくなっているらしい。祖父母に頼んで働くことが必要な社会になったようです。子育て支援センターに孫をつれていくことも多くなったと新聞で読みました。ほんとでしょうか?
<わたしゃ、ちょっとはずかしいから、森につれて行きます>。

 【おまけ】

* “おじいちゃんと森へ”は、小学校高学年の読み聞かせでも難しいかもしれませんが、ちょっと考えてみて下さい。加藤さんのせっかくの訳ですが、アドリブで、適当なお話にするのがいいでしょう。子育て中の若い父・母こそ、自分たちのために読んでほしいですね。

* 原題は、“Grandad’s Prayers of the Earth”、“地球へのおじいさんの祈り”でしょうか。なかなか難しい絵本です。ただあまり深読みせず、めくっていたらいいのでしょう。

* “おじいちゃんと森へ”原作:ダグラス・ウッド、絵:P.J.リンチ、訳:加藤則芳、2004年6月、平凡社発行

* 作者のダグラス・ウッド(Douglas Wood)さんは、1951年生まれ。作家、ミュージシャン、ナチュラリスト、自然のガイド。<ここにホームページ> 、こんな生き方は素敵ですね。


ビリーザキッドもボブ・ディランも左利きだった(2007.2.10)

2007-02-10 16:10:36 | Weblog

*ギターの弦が向かって右の方が太い(低音)。これは左利き用のギターだ。いや上着のあわせが右前だ。つまり、写真の裏焼きです。ひどい!日本なら謝罪・担当者処分です。

この間(2月5日)、BSで映画“左利きの拳銃”あった。見たことのない、見たいと思っていた西部劇です。わが家の今、BSが映らないのです。しかたがない。
“娯楽(!)は映画”というのは、私ら世代まででしょう。西部劇ばかり見ていました。その西部劇もいつの間にかなくなってしまいました。

 “左利きの拳銃”(1958年アーサー・ペン監督)は、ビリーザキッドの物語です。私もリアルで見ていない1950年代の映画です。
21歳で死ぬまでに21人殺した無法者(アウトロー)ですが、いつもヒーローなのです。もう少し後の1930年代でも、ボニーとクライドという若い男女もそうです。若い世代の暴走には、詩があるのでしょうか。原題“ボニーとクライド(Bonny and Clyde)”(1967年アーサー・ペン監督)は、かっこのいい邦題“俺たちに明日はない”とつけてしまうのです。私ら、純な若者は、かっこいいと思いましたね。

 たった21年の人生ですが、21人を“早撃ち?”したのです。むろんお尋ね者です。旧知の保安官パット・ギャレットに撃ち殺されます。
そのビリーザキッドは左利きだったという伝説から、映画“左利きの拳銃”ができたのです。いや左利きというのは、写真の裏焼きから起きた伝説だそうです。
ビリーが死んだのは1881年です。本人を知っている人はいっぱいいたのに伝説ができる。それだけアメリカ大陸・西部は、広いということです。

*左;撃ち殺したパット・ギャレットが著者なら左利きと信じてしまう。右;これが元の写真(?)、右利きです。土産物屋の絵葉書。

撃ち殺した保安官パット・ギャレットが、なんと本を書いているのです。The Authentic Life of Billy the Kid (これが真実ビリーザキッド物語!)です。実際にはゴーストライターがいるのでしょうが。その表紙と本文内口絵のビリーザキッドが左腰に拳銃をつっているのです。
ビリーザキッドの登場する映画はその後も何本かあります。皆右利きです。

どうでもいいお話をもうひとつ。
どうも、ボブ・ディランは左利きらしいと話題になったことはありませんが、最初の、1961年のLP“Bob Dylan”のジャケットをよく見ると、左利きだと思わせるのです。つまり、写真が裏焼きなのです。

<世間でこんな話を聞いたことはない・・・誰も気がついていない?>

日本の新聞、雑誌では、お詫び・社内処分ものですが。アメリカは、大雑把な国なのでしょう。“社会を裏から見つめるディランの姿勢を表現(!)”ははは・・・。ディランもマイナーだったということでしょうか。レコードデビューできて、それだけでよかったのでしょう。

このLPが1961年に出てから、日本が(いや私が)“ディラン、ディラン”というのに、当時5年ぐらいの遅れがあったでしょう。しかも、日本で発売のLPは、ジャケットも、収容曲も、すっかり変えられていました。アメリカ盤そのままの発売は、10年以上後のことだったのです。

 【おまけ】
*むろんCD化されてます。

* ディランが出ているビリーザキッドの映画(サム・ペキンパー監督、日本公開;1973年)もあります。原題は、パット・ギャレットとビリーザキッド(Pat Garret and Billy the Kid)です。ディランもちょこっと登場します。音楽を担当しています。主題歌は、天国への扉”です。9・11アメリカ集中テロのとき、テレビ局などが放送自粛した曲です。

*私は、このあたりのディランが一番好きです。カントリーロックですね。ビートルズのポール・マッカートニーはほんとの左利きです。


ゴッホのアルルの部屋のようにシンプルに暮らしたい(2007.2.9)

2007-02-09 19:26:18 | Weblog

 *オランダ・ゴッホ・ミュージアムの絵葉書

オルセー美術館展(日経主催)が東京でも始まった。
今回のオルセー展の一番の目玉“商品”は“アルルのゴッホの寝室”です。ポスターにも、チラシにも載っています。

あれ、この絵は、オランダのゴッホ美術館にあったんじゃなかったかな。へんだなあ、と思っていました。

私は、美術展に行った時は、ほぼ確実に、気に入った作品の絵葉書を1枚か2枚買って帰ります。オランダの片田舎で仕事をしていたこともあって、その行き帰りのアムステルダムでゴッホ美術館に3,4度行きました。“アルルのゴッホの寝室”の絵葉書を数枚買っています。
もっとも、ゴッホの人生を思って、だんだん息苦しくなってきて、ゴッホのすべての絵が好きというわけではありません。

この絵は、どうやら3種類ほどあるらしいのです。




*上から、ゴッホ・ミュージアム、オルセー美術館、シカゴ美術館(?)

一番最初は、1888年の『アルルのゴッホの寝室』(72×90cm)、オランダのゴッホミュージアムのものです。ゴッホは37年の短い生涯の中で最も幸せな時だったのです。すぐ後に、ゴーギャンと決裂して、耳切り事件を起こします。
最初の作品を描いた11ヶ月後の1889年9月、サンレミの精神病院で、『アルルのゴッホの寝室』の模写を2枚描いているようなのです。そのうちの1枚はシカゴ美術館に、もう1枚が、オルセー美術館のものと書いている本があります。

また今、東京で見ることのできるオルセー美術館の作品(57.5×74cm)は、精神病院から退院した後、母親や妹のために、縮小して制作したものと書いているものもあるのです。
付け加えれば、“最初のものは、後に洪水で損傷を受けてしまった”(日経)と書いてあったり、もうわけがわかりません。

これらを一緒に比べてみるのは興味深いですが、私には、これらを比較評価し、精神状態との関係で評論することはできません。しかし、いつも高いなあと思って買いませんが、展覧会の図録では、必ず解説の中に書いてあるでしょう。
“どちらが好きか”なら応えられそうです。印刷の色再現性に問題がありますが、オランダ・ゴッホ美術館のものが好きです。

オルセー美術館展(まだ先、4月8日までです)には、楽しみに出かけようと思っています。といっても春日部市で日々いい加減に暮らしていると、ちょっと億劫になってしまうのです。強引に出かけるためには、誰かを誘うことが必要でしょうね。

  【おまけ】

* インテリア(というのかな?)として、この部屋には魅かれるものがあります。この部屋のように、何もないシンプルな部屋で暮らしたいと思います。この部屋そっくりの部屋で暮らしたいと思っているアーティストさんもきっといるでしょう。

 *この表紙は、ゴッホの部屋だ。

* こんな絵本を持っています。まさにゴッホの部屋です。テーブルの上の花瓶には、ひまわり、ゴッホのひまわりです。決して子ども向きの絵本ではありません。いせひでこさんのアートを志した若き日を、その心象風景をスケッチ・ブックにまとめたのでしょうか。

* この部屋のようではありませんが、私が、何にもないひと間で2年ほど暮らした信州での生活のおり、長野駅前の本屋さん“平安堂”で、いせひでこさんの絵本を、よく立ち読みしていました。どの絵本も素敵でしたが、ストイックな生活をしていて、ぐっと我慢して買ったのは、この一冊だけです。

* 絵描き、いせひでこ作 2005年10月、理論社 発行です。
本の帯に、“旅にでよう。風景の中で、ゆっくりと見つかるものが、きっとあるから”と書いてあります。・・・・泣けそうです。