アニメ映画“ブッダ”を観たが、Be here now(今ここに)と、悟れず(2011.5.30)

2011-05-30 23:26:21 | Weblog

 

 今日(30日)予定していたことが中止になって、空白ができました。家人と映画に行こうかということになったのです。ララガーデン春日部のシネマコンプレックスに行きました。

 5つ6つの映画をやっていましたが、今日はお互いに、別々でなく一緒に見ることにしました。合致したのは、アニメ、お子様向きのような“ブッダ”です。

 このところ、トシのせいか、哲学的意味の仏法でなく、単純に、まもなくだなという意味で、三途の川の向こう側、彼岸を考えるようになっているのです。観光地の仏像の観方もすっかり変わってきています。なんとなく祈ったりするようになっているのです。

 本気に、北インドからネパールに仏跡を訪ねる旅をしたいと思っているのです。

 

 ひょっとすると、ブッダ=仏陀=釈迦の悟りに、少しは近づけるのではないかと、安直な期待みないなものもあったのです。

 10時前から2時間でした。

 特に何か得られたというほどのもありませんでした。

 

“マイ・バック・ページ”を見た方がよかったかなと思ったりしますが、“マイ・バック・ページ”は活字の世界です。映画で見たくありません。

 

【おまけ】

*ブッダの原作ですが見たこともありません。

*映画ブッダのポスターに、“手塚治虫の”と書いてあったことも、見ようという気になった理由でしょう。手塚治虫の作品にブッダがあることは知っていましたが、見たことはなかったのです。第一、雑誌の付録マンガ時代に育ちましたが、鉄腕アトムすらほとんど見ていません。テレビの鉄腕アトムなんて全然見ていません。ウチにテレビのない時代だったのでしょう。

*今日の2冊。左は朝日ジャーナルの増刊号(1989年4月20日号)。手塚治虫さんが亡くなられた時に出た雑誌です。

*映画の中で、背景に描かれているヒマラヤの山々を見ながら、山の名前を思い出したりしていました。


放射能だから畑をお花畑にしようとトモちゃん、線量計を発注した春日部の知人(2011.5.28)

2011-05-28 23:25:41 | Weblog

*去年の夏のウチの畑のトマト。

 わが家は、埼玉県は春日部市ですが旧庄和町。茨城県と千葉県の県境です。発表される埼玉県の放射線量は、ずっと西、浦和、さいたま市のデータです。わが家近くの放射線量はわかりません。千葉、茨城の野菜が問題になったこともありますし、お茶の葉は、今でも広く関東南部でも汚染されているようです。

 むろん、いったいどの位の放射線量が問題なのかもはっきりしません。安全基準が<今は非常状態だから>と言って変わったりします。ほんとのデータの全てが発表されてはいないという不安もつきまといます。

*去年の畑のトモちゃん

 

 私は近所のトモちゃんと小さい畑をやっています。昨夏は、ジャガイモやトマト、夏野菜を楽しみました。
 大震災ウツになって、3月4月を沈んで暮らしていた私は、畑をほったらかしにしていました。

 先日トモちゃんが、花を植えて<お花畑にしましょうか?>というのです。じゃがいもなど、植えるタイミングをサボって逸していた私は、<ごめん、ごめん>と弁解。トモちゃんは、<食べられないと思っていたのでしょう>と、ワタシに。・・・・そうか、原発放射能を思っていたのか。ほんとに驚きました。

 若いトモちゃんには、将来がある・・・んだなあ。これは、10日ほど前の話。

 

 次は3日ほど前の話。畑を作っている別のご近所さんが、自分で作った葉物野菜を持ち帰って、奥さんに<食べません、食べられません>と言われて捨てた話を聞きました。

*今日2011年5月28日付朝日新聞。

 

 今日の話、春日部市に住んでいる知人に、<線量計を発注したよ>と聞きました。春日部市役所が買わないというので、自分で買ったよ、というのです。

 春日部市にも、こういう人がいるのかと、ノー天気な私は少々感動しました。10万円ほどだそうです。

 <春日部市内中を調べようよ、協力するよ、させてよ>と叫んでいました。

 わが家もウチの畑も測ってみたい。

 データが出たら、このブログで報告します。

 

【おまけ】

*この発表で、埼玉県は問題ないとしています。地域の農産物に全く心配はないと保障しているのです(2011年5月28日付朝日新聞)

*すでに日本中の人たちが各地の放射線量を測定し、ネット上に発表しています。御上は、そのデータは信用できないと言っているようです。・・・そういうに決まっていますね。

*福島第一原発から30㌔圏外の福島県川俣町では小中学生1500名全員に線量計を持たせるという記事が載っていました。

*春日部市も一台ぐらい、信用のできるデータの採れる線量計を買うべきでしょう。実際は買っているのかもしれません。春日部市の放射線量が発表されたことはありません。

*発表は、春日部市のホームページから埼玉県ホームページに飛ばせて知らせています。↓をクリック。

http://www.city.kasukabe.lg.jp/public/info01.nsf/0/0C903C9717B90DBA49257855000C72EF/


草加市立図書館、森村桂の企画展示で少ししんみり(2011.5.26)

2011-05-26 12:17:03 | Weblog

*原発節電のためロビーも図書館も暗い。うまく写真が撮れません。

 

 先週4日も、獨協大学の宇宙天文イベントに通っていました。東武鉄道伊勢崎線の松原団地駅下車です。30年、この電車で通勤していましたが、ただの一度も松原団地駅に下りたことはありません。草加市にすら行ったことがなかったのです。ただ通過する駅であり、街だったわけです。

 松原団地駅から獨協大学までは、徒歩5,6分。駅前の建物は、一階は民間のお店、三階が草加市立中央図書館でした。本屋と図書館は大好きですから、寄らずに帰れません。

 

 図書館のロビーで、企画展・作家豊田三郎と森村桂の世界、をやっていました。といっても、図書館所蔵の著書が並んでいるだけで、大仰な回顧展ではありません。

 豊田三郎さんが草加にお住まいだったことは知っていましたが、ワタシの関心は娘さんの森村桂さんにありました。森村桂さんは、同世代、2つ年長さん、です。私が、暗い青春の日々を過ごしている頃、颯爽、さわやかな、髪の長いお嬢さん、若いベストセラー作家さんだったように思えていました。

*森村桂さんといえば、“天国に一番近い島”です。ひまわりが置いてあります。企画展のタイトルは、向日葵(ひまわり)です。向日葵のような人、人生だった、と思うのです。

 

 2004年9月27日に、自死の選択をされました。

 その頃、私は長野で、テレビも新聞もない“森の生活”をしていて、自死の事実以上の何も知らないのです。ただ、何故?という気持ちは今も強くあります。それで、この企画展に、その理解を探す気分になっていたのです。ただし、その事実すら、年譜すら掲示されていませんでした。

 

*膨大な著作ですが、ほとんど、いや全く読んでいません。だから、ここで紹介、説明もできません。上の段真ん中の本は、“アリスの丘の物語”。腰巻に<ニューカレドニアから帰って20年。森村桂が日本でやっと見つけた“天国にいちばん近い島”>とあります。左上の本のタイトルは、“皇太子の恋にささげたウェディングケーキ”です。天皇家との親しいお付き合いもあったのです。

 

*草加小学校とは、つながりがあったのでしょうか。1985年の色紙がありました。

 

*これは、図書館の書棚の、森村桂さんのコーナーです。

 

【おまけ】

 

*ウチの本棚にあった、この3冊を探し出すのは苦戦しました。奥の方にありました。真ん中の、アリスの丘の物語(1984年発行)は、埼玉県立久喜図書館の廃棄本。右の、森村桂 沖縄へ行く(1970年発行)は、2001年3月、生まれて初めて沖縄にいったおり、琉球新報社近くの古本屋で、沖縄関連の本を10冊程買った中の1冊、100円ではなかった。左の、父いる風景(1993年)、父親豊田三郎さんが住んでいた草加のことが出てくるかなと思ったのです。

 

*この企画展は、6月13日までやっています。主催は、草加市立中央図書館、後援、草加ペンクラブ、NPO法人「うるおい工房村」


獨協大学・天文宇宙イベントから、<地球外知的生命を探せ>(2011.5.24)

2011-05-24 20:40:41 | Weblog

宇宙人に遭遇するとは全く思いませんが、ワタシ、こんな本も読んできました。

 

 初日(519日)夕刻のセッションです。地球外知的生命、ET、宇宙人の探査の話です。

 SETI(セチ)Search for Extra-Terrestrial Intelligence(地球外知的生命探査) 計画がアメリカで始まって、もう50年です。

 ワタシもこんな話が好きで、<そんな馬鹿馬鹿しいことに、アメリカの第一線の天文学者が“お金をかけて”大真面目にやっている>、そういうことが、好きで、本屋でそういう本を見つけると買って読んでいた時期がありました。

*ドレイクさんが始めました。OZMA(オズマ)計画。オズマは、オズの魔法使いのオズマ。新しい計画は、ドローシー・プロジェクト。ドローシーちゃんのドロシー。

 始めたのは、1960年、フランク・ドレイクです。ドレイクの方程式という、銀河系内の知的文明の数を計算する式を提案します。宇宙、夜空には、星の数ほど天体があるわけで、だから、たくさん宇宙文明がある、ということになるのです。

*どの本にも必ず書いてあるドレイクの方程式。

 宇宙にある文明から“情報・信号”を受信するため、電波望遠鏡という巨大アンテナを使います。天空の、どの方向を向けて待つのか、どの周波数に受信機を合わせて待つのか、それぞれに理論があるのです。

*昔も今も、1420MHzにチューニングして待ちます。

 

 最初の講演者は、鳴沢真也さん(世界合同SETIプロジェクト・マネージャー、兵庫県西はりま天文台公園主任研究員)でした。50年間というか、20年30年に、さしたる探索技術の進歩、成果があったようにも思えませんでした。宇宙の歴史、宇宙時間、宇宙距離のことを思えば、20年30年なんて一瞬のことです。気の遠くなるような観測期間が必要なのでしょう。

 

 同じセッションの中に、“太陽系外惑星に生命を探せ”講演者;観山正見さん(国立天文台長)もあって、こちらは、大きな口径のレンズの光学望遠鏡を使います。太陽系外の惑星の発見は、<なされた>だったか、<なされつつある>だったか、と話され、発見者はノーベル賞だろう、と、世界各国との巨大光学望遠鏡構築競争の中に日本人の発見の意欲を感じました。

 

【おまけ】

*地球内には知的生命は、ほんとにあるのか。地球人、人間は、ほんとに知的な生命なのか。・・・と、地球の外を探している鳴沢さん。同感です。


獨協大学・天文宇宙イベントで、はやぶさ帰還、カプセル回収の話を聞く(2011.5.22)

2011-05-22 23:46:00 | Weblog

 *2010年6月14日付朝刊。右;日経、左;朝日(写真は、13日午後11時21分、朝日の東山記者撮影(3分露光)。左上から右下に、光っているところで“はやぶさ”が燃え尽き、カプセルだけが落下する)

 

 今日(522日)は午前中のセッションに行きました。19日(木)から4日間、毎日、獨協大学の天文宇宙ウィークに出かけています。

 1030分から公開座談会<カプセル回収チームが勢揃い。大気圏再突入の613日を熱く語る>を聞きました。落下してくる直径40㎝ほどの中華鍋のようなカプセルの回収の話です。
 日曜日の今日は大講堂いっぱい満席の聴衆でした。ワタシのように暇な高年者、中年のカップル、若い女性、子ども連れのパパ。ご近所イベントらしい多種多様な人たちです。

*出席のカプセル回収担当の5名

 ステージに並んだ5人は、第一線の研究者だけに、若いなあ、です。カプセル回収チーム中心の、山田哲也さん(宇宙科学研究所)、カプセル開発製造者の益田克之さん(IHIエアロスペース)の他、どこに落下させるかを計算した松岡正敏さん(NEC航空宇宙システム)、ビーコン電波をキャッチして方向探知機から落下地点を特定した川原康介さん(宇宙科学研究所)、ヘリコプターから地上の落下物を見つけ回収した水野貴秀さん(宇宙科学研究所)。

 司会の山根一真さんの進行にそって、大気圏再突入からカプセル回収へと話が進んでいくのですが、壇上の皆さんは、専門家だけに<当然、予定どうり>と静かな語り口が心に残りました。1年も前のことで、研究者たちは、もうとっくに次の課題に専念されているに違いありません。

 それでも私らには、新聞テレビ報道をはるかに越えた内容を知ることができました。大いに満足したセッションでした。

 最も刺激的であったのは、計算して落下位置を決定、二度の制御を行って正確に落としたことです。計算どおりにできるんです、と。

 落下は、オーストラリア南部のウーメラ砂漠です。現地で何度もリハーサル(回収訓練)をし、本番に備えて、一年前だったかに数少ない宿(親子ふたりでやってるペンション)の予約も済ませていたそうで、まさに計算どおりだったのです。
 回収のおり、オーストラリアの現地で取材された山根さんが、取材陣は外国メディアだけで、日本のメディアはどの社もいなかったといわれたことが、ひっかかり、切り抜いていた新聞を再読してみました。確かに、そうかも知れませんし、そうでもないでしょう。

*日経に載った全面広告。左;2010年6月11日付。“7年間の旅を終えて6月13日23:00頃、いよいよ地球へ”(NECの広告)、右;8月14日付。発見回収されたカプセルとパラシュート(IHIの広告)

 

 帰りを急いでいたのですが、もう一度、展示されているカプセルの実物、正確にはカプセルの上蓋と下蓋を見てきました。

 大勢の見学者で盛り上がっていた会場でした。ご近所の人たちも参加できる“お遊びのない”いいイベントだったなと感じました。


獨協大学の天文宇宙イベントで、無声映画“月世界旅行”を活弁で楽しむ(2011.5.21)

2011-05-21 22:51:42 | Weblog

*大砲から打ち出されて月の到達します。

 昨日(520日)も、草加の獨協大学へ。“はやぶさ”の展示は前日見ていたし、無声映画“月世界旅行”がお目当てでした。1865年(日本はまだ幕末)に書かれたジュール・ヴェルヌの“SF”月世界旅行を読んでいたことがことがあったのです。といっても“少年文庫”のようなリライト本でしたが。それでもけっこう夢中になっていました。それがふる~い、初期の映画になっていたことも知っていて、一度みたいと思っていたのです。

 フランス映画です。ジョルジュ・メリエスの制作・監督・脚本・主演の無声映画、1902年(明治38年)作品、上映時間は14分。映画=活動写真が出来たばかりのころの作品です。

 江戸時代から明治にかけて、月へ行くことを、いかに想像していたのだろう。SF(空想科学)小説ですから、荒唐無稽ではあっても“おちゃらけ”ではありません。よく考えられた技術・理論を駆使し創造してあるはずです。

 獨協大学の大講堂、活動弁士は、麻生小八咫(こやた)本名は麻生高代さん、です。

 *左下に活弁士の麻生さん
 映画は、原作とは程遠い、荒唐無稽おちゃらけ爆笑物でした。映画そのものができたばかりの時代のことですから、それはそれで楽しめました。
 
*ウチにあった原作“月世界旅行”

 ウチに戻って、原作“月世界旅行”を探し、めくってみました。
 
その日、独協大学会場で見てきた、小惑星探査衛星はやぶさの計画も、当時の月世界旅行の計画も、案外同じ発想だったのかも知れないな、と感じたのです。つまり、当時の月旅行計画書を読んでいるようにも思えたのです。

 

 【おまけ】
*その日、活弁士・麻生小八咫(こやた)さん(東京大学の大学院の学生さん)の、<日本で人気の、プラネタリウムの解説と無声映画の活弁の比較研究>の講演も聞きました。講演タイトルは<活弁とプラ弁の語りの系譜の考察>です。

*講演の最後のパワーポイント

*麻生小八咫(こやた)さんは、活弁士のお父さんのもとで10歳の時から活弁をやっておられるとのことでした。

*ウチにあったベルヌの月世界旅行の本は、次の2種です。
・ベルヌ名作全集3 月世界旅行 那須辰蔵訳(偕成社、昭和43(1968)年4月発行);古本屋の店先で100円で買っていたようです。
・詳述 ジュール・ヴェルヌ月世界旅行、1と2 W.Jミラー注、高山宏訳(東京図書、1981年11月発行);技術解説書のような注で深読みが楽しめます。


草加の獨協大学・天文宇宙イベントで梅津和時さんのサックス・ソロ“東北”を聞く(2011.5.20)

2011-05-20 10:29:50 | Weblog

 

 昨日(519日)、獨協大学の“天文・宇宙ウィーク”が始まりました。朝1030分の開会式典から第一日のセッション“宇宙と人間”の終了の午後930分まで、どっぷりと大学構内にいたのです。

*開会式典・講演が終わって移動、12時“はやぶさ”展示会場でテープカットです。草加市長、市議会議長さんも並んでおられました。

 

 午後は“梅津和時 無伴奏ソロ・コンサート”で過ごしました。

 <サックスやクラリネットの独奏で、ケプラーの惑星音階をモチーフにした演奏や、映画「銀河鉄道の夜」のためのオリジナル曲、星や月をテーマにしたジャズなど、宇宙への思いを馳せながら自由に奏でます>

とチラシに書いてあって期待していたのです。

 お昼にゆっくり珈琲を飲んでいて、ちょっとだけ遅刻し頭の解説を聞けなかったので、ケプラーの惑星音階というのがよくわかりません。<惑星運動に関する観測データを整理して、宇宙の秩序と音楽の調和とから惑星運動の三法則を導きました・・・>。惑星の離心率から、水星はC7~A5、金星はE+5~E5、地球はA4G4、火星はC4~F3、木星はB♭~G2、土星はB1G1・・・の間の音階だと言ってるようです。ステージでは、クラリネット、バスクラリネット、アルトサックスを使って、惑星それぞれの音域での演奏がありました。・・・・そうか、よくわからんけど宇宙の音色がするなあ・・・・でした。

 梅津さん、それでは星とか月の曲を・・と言って、まず“スターダスト”を演奏、アルトサックスでしたが、トランペットに聞こえるほど激しく金管が震えて聞こえました。日ごろ軽快なスウィング・ジャズに接しているワタシの知ってる“アドリブ”とは、全く異なる“即興演奏”が続きます。

 梅津さんは仙台出身。大震災にどう向き合えばいいのかと沈んでいたと話されました。ようやく曲ができました、と。

 タイトルは“東北”でした。すごい演奏だと感じました。力いっぱいのアルトサックス無伴奏の演奏でした。自然、自然のエネルギー、人間と自然の軋みを強く覚えました。

 ドビッシーの“月の光”、ホルストの“ジュピター(木星)”と続き、もう宇宙空間を漂います。

 ようやく、アンコールで“月光値千金(Get out and Get under the moon)”が流れたときに、やっと地球に戻って、会場内の気持ちが緩んだのです。

 

 【おまけ】

*獨協大学に、ジャズを聞きにいったわけではありません。夕刻からは“地球外生命を考えながら、人間と宇宙を思う”セッションも聞いてきました。東洋での万物一体、“人間と宇宙の一体=天人合用”の思想も聞いてきました。会場に多かった若い学生にどう響いたかわかりませんが、老境の身には興味深いお話でした。後日ブログに書きましょう。

 

 *ケプラーの惑星音階による<天体の音楽>に関心のある方に。土曜(5月21日)12時30分~13時に獨協大学の同じ会場で、作曲は倉内直子さんで、独協大学管弦楽団カルテットによる弦楽四重奏の演奏があります。


本箱に畑中武夫を探して、明日から草加市で“はやぶさ”(獨協大学天文・宇宙ウイーク)(2011.5.18)

2011-05-18 15:07:45 | Weblog

*2冊の畑中武夫の著作、右;宇宙と星 

 和歌山県新宮市に住んでいるのオイの結婚式に参列することになりました。6月11日です。
 新宮・南紀には行ったこともないので、その旅はちょっと楽しみではあるのです。それでネットで観光案内を見てました。ちょっと寄ってみようかと思う、先人が故郷に持っている記念館や記念碑がいくつかあります。佐藤春夫(文豪)、西村伊作(日本で最初の男女共学校の文化学園の創始者)、大石誠之助(新宮の開業医、大逆事件で処刑)、そして畑中武夫です。

 畑中武夫は1914年(大正3年)生まれの天文学者、日本の電波天文学の草分けです。

 ワタシは、ラジオ少年、天文(憧れ)少年だったこともあって、畑中武夫さんの名前はよく知っています。新宮市の観光マップに“畑中武夫生育の家跡”とか“畑中武夫記念碑”なんて見つけると少し嬉しくなるのです。

 

 書庫でホコリをかぶった畑中武夫を探します。3冊ありました。

“宇宙と星”(岩波新書)発行 昭和31710日発行。ワタシが持っているのは、第19刷で昭和41710日発行です。“宇宙空間への道”(岩波新書);発行 昭和391020日発行。ワタシが持っているのは、第4刷で昭和40710日発行です。

*“宇宙空間への道”右は、はさまっていた、当時の新聞の書評。

“宇宙と星”は、高校時代に先生に勧められていたのですが、買ったのは“宇宙空間への道”の出た時2冊同時です。社会人になったばかりの時でしょう。その時代は米ソの人工衛星他、新しい宇宙世界が新聞をにぎわしていました。畑中武夫は、昭和381110日に亡くなっています。つまり“宇宙空間への道”は、後に同学の友人や後輩が遺された原稿を出版したのです。

 

 もう一冊は、電波天文学という専門書ですが、新天文学講座の一冊。畑中武夫編で、発行(昭和39年)前に、亡くなられています。学部生向きの教科書かもしれません。元ラジオ少年にもわかる専門書です。天体が出す電磁波をとらえるという新しい天文学です。電磁波を捕えるしかけやアンテナが、アマチュア無線をやっていた私らにも、興味深く、はるかに遠い世界とも思えない気分で読んでいました。

 新宮高校の玄関横に、畑中武夫さんの“われら地球人”の碑が立っているようです。

 

 その後の宇宙の話、最近の天文学には、全くついていけません。それでも“はやぶさ”だの“いとかわ”などと、新聞に大見出しが出る記事はスクラップしています。

“はやぶさ”の展示会はどこも、長蛇の列になることも知っていますが、東京まで行ってみようとも思わなかったのです。ところが、ご近所・草加市であると聞くと行ってみようと思うのです。

 明日(519日)から、獨協大学で、天文・宇宙ウィークが開催されます。523日(月)まで、小惑星探査機“はやぶさ”地球帰還カプセルの展示の他、毎日夕刻、トータルで20本ほどの講演会があります。

 詳しくは、   http://www.dokkyo.ac.jp/hayabusa/index.html

 

 

 【おまけ】

*さすがに、大学主催のイベントだな、と思っています。久しぶりに学会の研究会気分です。楽しみにしていて毎日通うつもりです。ただしワタシが暇なのは平日だけで土日は別件があっていけません。でも土日は、混雑するでしょうし、多少高校生プログラムのようでもありますから、まあいいか。

*もうひとつ、ずっと一度のぞいてみたいと思っていた草加市の渡辺教具製作所が<協力>となっていて、同社の地球儀などの展示・販売もあるのではないかと、それも楽しみです。


越谷で東日本大震災復興支援コンサート6月12日(日)開催(2011.5.17)

2011-05-17 11:07:37 | Weblog

 

 先日、越谷でのジャズ・コンサートで、チラシが配られていました。
 3月に予定されていて震災中止になっていた近隣ビッグバンドが集まるコンサートが発展したとも言えるでしょう。地元の中学生たちも出演します。

 時々、問い合わせをいただいていますが整理券などいらないようです。サンシティの大ホール(定員1600名)でのコンサートです。

 会場で、東日本大震災義援金の協力をお願いします、とのことです。

 (チラシから無断引用します)

 2011年東日本大震災復興支援コンサート

日時;2011612日(日)開場13:30 開演14:00

会場;サンシティ越谷市民ホール 大ホール

JR武蔵野線:南越谷駅、東武伊勢崎線:新越谷駅下車 すぐ)

入場;無料

(入場整理券など不要で、どなたもご鑑賞いただけますが、満席(1600席)になった場合はご入場いただけないことがありますので、あらかじめご了承ください)

 

出演バンド;

越谷市立北中学校吹奏楽部

越谷市立大袋中学校吹奏楽部

ALL SWING JAZZ ORCHESTRA(Big Band Jazz);越谷市

MONTHLY JAZZ ORCHESTRA(Big Band Jazz);越谷市

SWING BEARS(Big Band Jazz);春日部市

DREAM SWING KINGDOM(Big Band Jazz);春日部市

 

主催;越谷市大袋公民館

問合わせ;越谷市大袋公民館(048-975-3952

    ;越谷市教育委員会生涯学習課(048-963-9268


越谷のビッグバンド=マンスリー・ジャズ・オーケストラのコンサートに行く(2011.5.16)

2011-05-16 10:50:26 | Weblog

 *トローンボーン;みわ・ふーちゃん

 平日は閉じこもり生活ですが、週末はダブルブッキング状態が続きます。といって遊びほうけているだけです。昨日(15日)は、越谷市であったマンスリー・ジャズ・オーケストラのコンサートに行きました。

 越谷では、オール・スウィング・ジャズ・オーケストラと懇意なので、越谷のアナザー・ビッグバンドさんです。

 第5回コンサートということですが、ワタシは初めてです。みんなベテラン・メンバーさんで、月一度(マンスリー)だけの練習でも、軽くそろえられる人たちのようです。見事なステージで越谷市中央市民会館ホールにいっぱいのお客さんを楽しませてくれました。

 社会人ビッグバンド、越谷市に2つ、春日部市に2つ、この界隈のジャズ・シーンもにぎやかになります。

 

【おまけ】

*きっと大ブレークすると予感します。

*圧巻(?)は、越谷からデビューしたばかり(?)の演歌歌手さんのステージです。日ごろからバックバンドをやっているとのことでした。バッグバンドを頼まれる実力バンドなのです。ジャズを聞きにいって、そこに“一番”ノリましたと書くのも問題でしょうが、“わたしゃ日本人だな、やっぱり日本人は演歌だよ”と思うのです。

*歌手さんのお名前も、曲名も思い出せないのです。“ブログ・ネタには必須”だと思って、忘れちゃいかんと思っていたのですが、やっぱり思い出せません。


心をつなぐチャリティ茶会、五月晴れ、春日部の丘の上で(2011.5.15)

2011-05-15 11:52:40 | Weblog

まず挨拶を交わし、待合でお菓子をいただきます。

 今日も快晴ですが、昨日(514日)も五月晴れです。丘の上チャリティ茶会があってお手伝いをしてきました。

 第14回というから、もう14年続いている春日部の恒例のお茶会でしょうか。会場は春日部市にわずかある里山に建つ教会の記念会堂です。このところ知人が釜を懸けさせてもらっているので、荷物運搬など係をやっています。いわば“門前の小僧、習わぬ経を読み”気分です。

 知人の茶席の待合に版画のようなイラストが掛かっていました。心、心の漢字が空と海の間に飛んでいます。心と心がつながっているように見えます。心と心をつなげようというメッセージでしょうか。よく知っている人の作品でもあります。

 この茶席は広間の濃茶席ですが、和やかで口もとに笑みを感じるお客様でした。


 他に三つの茶席がありました。裏千家“又隠(ゆういん)”を模して造られた小間(在主庵)があって濃茶席(江戸千家)です。にじり口からかがめて入る小さな異空間での茶の湯は千利休伝統の様式です。立礼席もありました。
 そして、大きな欅の樹の下では野点です。席主は、この頃ときどきお話しする香田さん(江戸千家渭白流)です。五月晴れは夏のような日差しになっていました。座って欅の樹と空の高さを感じながらお茶をいただきます。

 教会ですから礼拝堂があります。パイプオルガンとバイオリンの演奏や高橋牧師の“大友宗麟の茶の湯”のお話もあって、茶席の待ち時間やひと息つく時間を持つことのできる全体構成のプログラムになっていました。

 【おまけ】 

*お花は、大山蓮華(おおやまれんげ)

*茶席の床にかける軸は、席主の茶会への思い、テーマでしょうか。“山静如太古 日長似少年”。“山静かなること太古のごとし、日長きこと少年に似たり”です。

*“日長きこと少年に似たり”と読んで一瞬たじろぎました。“少年の頃は毎日が長かったなあ、楽しい夏休みはなかなか来なかった。今や老人になって、毎日毎日が速い、あっという間に終わってしまうなあ”と感じます。

*いや、今は初夏。日はだんだん長くなっていきます。たくさん時間があります。少年時代のように、この季節は少年の気持ちが持てる季節なんだ、と考えよう。

*禅語の本当の意味は全然違います・・・・念のため。

 


春日部市立図書館で“日本人記者たちのベトナム戦争”を借りたけど(2011.5.12)

2011-05-12 11:26:41 | Weblog

 *講談社2010年12月9日発行。

 もう1か月ぐらい借りっぱなしです。“日本人記者たちのベトナム戦争”は、サブタイトルで、正しくは、“サイゴン・ハートブレーク・ホテル”です。読み進めないのです。今日あたり返さなければならないでしょう。でもamazonで買いそうな気もするのです。読まないのに買うのです。

 私の年代は、誰もがベトナム戦争の時代に生きていました。ワタシもまた“アメリカはアジアから出ていけ!”と思っていました。メディアの端っこにいましたが仕事のない日には、ギターを抱えて大勢の中で反戦歌を歌うこともありました。

 オキナワでもなく、首都東京でもなく、大阪でのことです。

 

 この“日本人記者たちのベトナム戦争”は、その頃にベトナム特派員やカメラマンだった人たちの日常やその後の話が、少々同窓会誌風にですが、書かれています。筆者・平敷安常さん(1936年那覇生まれ)は、毎日放送、米ABCテレビのカメラマンだった人です。

*こちらは読みました。当時影響を受けました。朝日新聞の特派で1964年11月~1965年2月ベトナムに行った開高健(1930年生まれ)さんの2冊。右;ベトナム戦記(朝日新聞社、1965年3月20日発行)写真は、秋元啓一特派員。左;小説・輝ける闇(新潮社、1968年4月30日発行)。開高健さん34歳の時のベトナムです。

 

 ベトナム戦争を現地で取材されていた人たち、皆さん30歳少々、ワタシよりざっと10ほど上の世代の人たちです。もちろん著名な記者さんも少なくないですが、もっと身近にお名前を知っている人が何人か登場し、その後お会いしても“このこと”を話題にしたことのないだけに、それに、ここに書けませんが“もうひとつ”あって、読み進められないのです。

 これら人たちの仕事を思い“弾の飛んでこないところでの反戦行動”と感じる時に、ベトナム戦争のことを言う資格なんてない、と思ってしまいます。

 

 そして、その後の、統一ベトナムがどうなった、何をした、隣国カンボジアで何があった、と思う時に、今でも、ワタシ自身の喉のトゲのような整理できていないわだかりが残るのです。

*右;ベトナムはどうなっているのか?(朝日新聞記者の本多勝一著、朝日新聞社、1977年12月20日発行)、左;ベトナムの影(小田実著、中央公論社、1974年7月20日発行)。この2冊は埼玉県立図書館の廃棄本です。

 

 いつ頃からでしょうか、20年も前でしょうか。ベトナムは日本の若い娘たちがいっぱいの旅行先になっている、と聞きました。

 ベトナムには、今でも行けない、行きたくもない。

 

【おまけ】

*今、朝日新聞夕刊に、<ジャーナリズム列伝=石川文洋>が連載されています。“ベトナム戦争のカメラマン”だった方です。あまり気持ちを入れて読まないようにしています。

*ベトナムがアメリカに勝利したのは、1975年4月30日。南ベトナム大統領官邸にベトナム解放戦線の戦車が突入したニュース映像を、よく覚えています。もう40年もたって、もう学校の歴史の時間の話になっているんですが。 

*小田実のアジア紀行(小田実著、大月書店、2003年10月24日発行)、仕事をやめた頃、この本を片手にアジアを旅しようかな、と思っていました。

*お隣の韓国も中国もいったことがありません。沖縄でさえ、仕事をやめた年にふと気づいて、はじめて行ったのです。沖縄は、ずーっと外国の気分だったのでしょう。


春日部・庄和の水野さんちの田んぼで今年も子どもらと田植え(2011.5.8)

2011-05-08 23:37:51 | Weblog

 *田植えの終わった水野さんのオウチ。早苗がそよぐ水面に屋敷林が映ります。

 世間は大型連休の最後の日。23日続いた寒い雨模様の日が終わった快晴の今日(8日)でした。

 朝10時ごろ、突然のメールです。<今日、田植えします。来ませんか>と。孫つれて、田植えや稲刈りに出かけたことのある水野さんからメールです。といっても、暇なのはワタシだけ、孫たちにもちゃんと別の予定があります。

 

 水野さんは、もう10年以上南桜井小学校(春日部市)の田植えや稲刈りの体験学習に田んぼを提供しています。今年も一昨日の6日(土)に五年生の子どもたちの田植えが終わったばかりです。

 それに春日部市のボーイスカウトの子どもたちにも提供されているのです。ウチの孫らもそこにまじって、昨年、田植えと稲刈りをやらせてもらったのです。 

 

 

 日差しは強く田んぼの水もぬるんで、子どもたちには絶好の田植え日和でした。尻もちつく子の出るのは、例年どおりです。子どもたちのはしゃぐ声も楽しい田んぼでした。

*そして、いつものように水野さんが秋にとれたお米を炊いて、おにぎりを山のように作ってくれます。

 

【おまけ】

*今日植えた稲の収穫は9月10日(日)にします、集まって下さいと、水野さん。農業は季節にそって行きます。季節がめぐれば収穫の時期になります。どなたの参加もOKのようです。

*水野さんは、無農薬で田んぼや畑での野菜作りを実践者です。…と簡単に書きますが、田んぼに這いつくばっての厳しい草取り作業もあるに違いありません。そして人一倍、身体と食べ物や環境について考えて活動をしている水野さんでもあります。

*大型連休の季節が終わり、こうして、いつのまにか庄和の田んぼの風景が一変しています。季節が一歩進んで夏に入ります。


チェルノブイリから来たナーターシャ・グージーが春日部平和フェスティバルで(2011.5.6)

2011-05-07 15:57:44 | Weblog

 *一昨年の春日部平和フェスティバルのポスター

 春日部市は毎年7月に平和フェスティバルを開いています。会場はウチの近所の正風館。2年前の2009年は、ナーターシャ・グージー平和コンサートでした。

 

 ナーターシャ・グージーは、6歳のとき、旧ソ連ウクライナにあるチェルノブイリの原発事故に被災、オウチは、原発から35㎞のところだったといいます。日本のチェルノブイリ支援団体の招きで合唱団の一員として来日し、その後日本で歌いながらチェルノブイリを伝える活動をしているのです。

 春日部・正風館での平和コンサートでは、チェルノブイリなんて、すっかり忘れていた市民に大きな刺激と感動を与えました。

*コンサート終了後、サインに応じるナターシャ・グージー(正風館で)

 福島第一原発の事故のあと、ナーターシャ・グージーは、メッセージを自分のホームページから発信しています。ここにあります。http://www.office-zirka.com/

 

 チェルノブイリの原発事故は、ちょうど25年前の1986年4月26日。そして今、福島第一原発事故です。チェルノブイリと比べれば・・・と言われていましたが、放射能の放出時間が長いことから、今やチェルノブイリ以上の事故ともいわれています。よくわかりません。制御不能の福島第一原発なのです。

 

 4月末に郡山(福島県)で“福島第一原発事故”についての勉強会があり、旧庄和町に住む知人が参加し配布資料の一式を持ち帰ってくれました。

 今、それを読んでいるところです。

*福島第一原発から漏れた放射能の広がり(福島県発表のデータで作成)(勉強会の配布資料);福島県の“浜通り”“中通り”という地域の呼び方を初めて知りました。汚染は浜通りから中通りへ流れているようです。

 <福島原発事故・緊急避難マニュアル>もありました。“チェルノブイリ事故被災地からの教訓”“非難の考え方・方法”が載っています。

*NPO法人チェルノブイリ救援・中部のニュース・レター“ポレーシェ”2011年3月31日号;“ポレーシェ”とは、チェルノブイリ付近の湖沼低地帯をいう。ノーモア・フクシマ、ノーモア・チェルノブイリ。

 

 またチェルノブイリでは、菜種を植える汚染土壌の浄化実験“菜の花プロジェクト”が行われており、興味深かった。日本でも検討に入っているのかもしれません。

 放射能汚染に、自然界の植物、一番弱そうな菜の花で対応するということは、清々しい気持ちにさせてくれます。

 

【おまけ】

*今年、2011年の平和フェスティバルでは、クミコ“平和の祈りコンサート”が予定されています。2011年7月2日(土)、正風館(春日部市旧庄和町)です。

*5月25日の集まりには、チケット(1000円)ができあがるでしょう。

 


江戸川土手の春日部大凧あげ祭りで、孫守りしながら地域コミュニティ(2011.5.4)

2011-05-04 06:52:51 | Weblog

 

 53日、5日の“大凧あげ祭り”は、昔から新聞の地域版に3段ほどの記事が毎年載り、夕刻のNHKローカル・ニュースが扱うほどの、“季節”の定例行事ですが、ワタシはほとんど出かけたことはなかったのです。

 まあ毎年54日の大凧マラソン大会のアトラクション演奏を引き受けていたこともあったからでしょう。

*翌5月4日の朝日新聞の扱いはこんな感じ。

 今年は大凧マラソン大会が大震災自粛で中止。それもあって、やってきた孫ふたりを連れて、江戸川土手を歩いて、たこ揚げ会場の宝珠花橋に急ぎます。

 午後1時すぎより、地元中学校作成の凧、子凧、そして大凧へと打ち上げは進みます。

 曇天で、凧あげには弱い風といっても風も冷たく、意気はやや上がりません。

 孫たちは大凧なんて見ていません。石けん屋“みゅーこ”さんらの出店で買ったビニール凧に夢中です。見物客の中を糸が人にからまっても、かまわず凧もって走り回わっていました。

 

 ワタシは、おいしいと評判のお好み焼き屋さんが“春日部大凧焼き”の店を出していて、ちょっと並んで買います。

*藤の牛島駅近くにある<広島流お好み焼き・七夜(ななや)>の出店

*これが、大凧焼(400円)です。①たこ入り②大凧文字入り③大凧の形、だから大凧焼、なるほど。

 暖かくてとても美味でした。ともかく一日楽しみました。大凧は上がりませんでしたが、5日も開かれ再挑戦します。

 

 “春日部大凧焼き(七夜さん)”のテント、石けん屋“みゅーこ”さんらのテントは、一番上流、宝珠花橋側の芝生の河川敷にあります。

 

 【おまけ】

*会場のあちこちに、地域の人たち、知人友人さん。地域コミュニティな一日でした。

*この日の万歩計は14915歩でした。日々1500歩の生活からすれば上出来の一日でした。