寺山修司を持って雪の青森でアートをめぐる(2007.2.12)

2007-02-12 12:21:33 | Weblog

*雑誌PAPER SKY と旅の詩集(寺山修司編著)

3連休の前夜(9日)に突然、二男が帰ってきて、“明日から青森に行く”と。青森と弘前で“アート”を巡る旅をするようだった。
私は、ほとんど東北に行ったことがない。わが家には、国内ならどこでも、たいてい揃っているガイドブックもありません。

息子は、“PAPER SKY”という雑誌の“寒くてあたたかい国・青森”のページを開いてくれた。<日本の近代建築に巨大な足跡を残した建築家・前川國男・・・ひとりの建築家の、およそ50年以上の仕事を俯瞰することができる幸福な町・・弘前・・・>とあった。それに、青森県立美術館で、建物と、それをとりまくデザイン・コンセプトも見たいという <ここにあります>

私は、あまり相槌がうてない。どうも青森県がぴったりこないのです。
青森県立美術館の、おそらく真ん中をしめているのだろう“世界的アーチスト”奈良美智さんの作品群もあんまり好きではないのです。あの眼が嫌なのです。雑誌のグラビアに登場していても、すぐにページをめくってしまいます。

連れの友人は、飛行機で行き、息子は新幹線で行くという。
“東北へは、列車で入るのがいい、遠さが感じられる”とか何とか言って、“長い車中だから本でも読んでだね”と。息子がおうむ返しに、“本なら太宰治か寺山修司だね”とこたえた。

蔵書(!)を誇る私も、しばし考え込む。この二人にはなじんでいない。

太宰治は好きでない。情死(!)が嫌い・・・という理由にしておきましょう。
寺山修司は、私ら世代にとって“時代をひっぱっていた人”ですが、読む機会がなかった。避けていたかもしれない。私が、東京でなく大阪で暮らしていたせいか、東北(青森)からでなく西の岡山から出てきていたせいか、それに前衛演劇の世界がよくわからなかった、かもしれません。
“書を捨てて街へでよう”なんて、いい響きだったのですが、やや毛嫌いしていたかもしれません。東北を旅していない、のも同じ理由でしょうか。

“寺山修司は一冊ある!”。“旅の詩集(寺山修司編著)”というカッパブックスです。ハードカバーでないしアンソロジーだから断片的に読める。旅に持って行くのにふさわしい。おまけに“人生という長旅の時刻表”という、泣かせるサブタイトルがついている。北に向かう旅にぴったりだ(・・・気持ちの中で、津軽海峡不景色のメロディ・・・)。
放浪・別離・異邦・望郷・残留・逃亡・出立・旅情・帰還・漂白という、強烈な章立てで、古今東西の詩やエッセイ・小説の断片が羅列されている。各章の冒頭に、寺山修司がエッセイを書き下ろしている。この本は古本屋で、といっても渋谷パルコ地下の本屋で買った。確か3000円(昭和48年発行で、もとは430円)だった。

息子は、昨夜(11日)遅く帰ってきました。“雪も降っていて寒かった”、“雪の中の県立美術館のたたずまいは良かったよ”。“日本中に、訪ねたい、いい所は、いっぱいあるね”と私。

*雪の青森県立美術館

*これがおみやげです。こけし瓶入りの酒・ねぶた餅・南部せんべい・木村浩一郎の赤い小さな器;棗に使えそう。

“寺山修司を読んだか?”“全然!!!”“ずっとi-podを聞いていた”。
どうも新幹線に自由席がなく、立っていたり、通路に座ったりしていたらしい。

旅の醍醐味、“窓の景色をみたり、うとうと眠ったり、時々本を読んだり”は、座っていけなくては・・・できません。
今どき、自由席のない列車があるのか。東北の文化の違いは、こんなところにも現れているのか。わたしゃ、ほんとに東北を知らないんだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿