*ここの5階にあったカントリー&フォーク専門のフロアがなくなったのです。
8月になったというのに、からっと暑い夏がきません。
先週のいつだったか、小雨模様の中を東京・新宿にいきました。用事をすませて、新宿に行った時は必ず立ち寄る<ディスクユニオン本店>によりました。ここは、新品・舶来、中古のCD、レコード、DVD、ビデオの品ぞろいが豊富な店です。
その5階に、カントリーやフォークソング、つまり最近の用語ではルーツ・ミュージックのフロアがあります。それが、ないのです。なくなっていたのです。
<3月に廃止しました>、どこかに移転したの?いえ、廃止したのです、と。
3月か。そういえば、新宿に半年ぐらい来ていないなあ。
もう、このジャンルのレアなレコードを探す楽しみは、断ち切られてしまったのです。もう何年も、10年前から、ココしかなかったのです。
この店も、もともと神田の明治大学前にあったのです。大手町で仕事をしていた私は、会社帰りによく出かけていました。それが、新宿に移り、そしてなくなったのです。
もう東京で、私の知っている限りでは、日本で<カントリーやフォークソング>をたくさん置いている店は、完全になくなりました。
<あ~~~あ>です。
1960年代、70年代にあれほどあったのに、です。ミュジック・シーンは進歩します。懐かしくレコードを撫でるだけの老人相手の商売は、成り立たないのでしょう。
世の中、エコだエコだと大騒ぎ。エレキを使わない、アン・プラグ(コンセントプラグを抜く)な音楽だというのに、この扱いはひどいなあ。
要するに<ふる~い>のでしょう。同じように<ふる~い>けど、ジャズの専門店はいっぱいあります。
たまには、今住んでる埼玉県郡部から東京に出かけなければ、<身が錆びるぞ>と思って、月に1度くらいは出かけるようにしていました。
それでも、6,7年もたってしまうと、東京のことが、わからなくなってしまいます。30年以上、東京・大手町で仕事をしていたのですが。
これで、東京に出かけるる目的のひとつがなくなってしまったのです。
<もう聞きもしない、レコードを買うのはやめなさい>、なんでしょう。
ここでまて、Amazon.comの牙城に屈したのです。
【おまけ】
*後に中古屋で買ったLPです。定価が1700円になっています。40年間値段は変わっていない、つまり、その頃、レコードは高価だったのです。
*生まれて一番はじめに聞いたLPレコードは、ハリー・ベラフォンテの<アット・カーネギーホール>です。岡山県山間部の高校3年の時、1960年ですね、学校の事務室にいた職員さんに借りたのです。私が下宿していたウチの斜め前にお住まいのお嬢さんでした。
*ハリー・ベラフォンテは、今のジャンルで言えば、ポップスでしょうか。アメリカのフォークソングを歌っていました。<マチルダ>は会場全体で盛り上がるライブの楽しさを与えてくれました。<シェナンドー>は、民衆の自然に対する静かな祈りを教えてくれました。
*無名のボブ・ディランがバックでハーモニカを吹いているレコードです。、1962年の米国盤です。日本でも、後になって発売されました、確か<夜の歌>というタイトルだった。
* ボブ・ディランのレコードを聞くようになって、ボブ・ディランが無名時代、大スターであるハリー・ベラフォンテのバックでハーモニカを吹いたことも後に知りました。
(レコーディング:1961年6月、LP発売;62年3月)
* ハリー・ベラフォンテは、黒人解放運動(公民権運動)など社会運動の先頭にたっていたといってもいいでしょう。ちょっと前に、このブログで紹介したマイケル・ジャクソンのミュージック・エイド・コンサート<We-are-the-world>の第一番の発案者は、ハリー・ベラフォンテです。
* 最近のラジオ情報によると、<We-are-the-world>の歌詞を正確に読み取りながら、この歌を皆で歌っていこう、という運動が、日本(どこだったか?)で始まっているらしい。
* 今日の話題は、<ほんとに春日部で、ミュージック・エイド・コンサートをやろうよ>、という呼びかけの返事代わりなのです。