春日部でご近所夏まつり、超ご近所話題はブログに書けませんが(2009.8.29)

2009-08-29 06:25:14 | Weblog

 年齢を重ねすぎると、日々の行動範囲、歩く範囲が非常に狭くなっていきます。
 逆にいえば、これまで地域・ご近所を見ることなく、無関係に生きてきたことに気づかされます。評論家風にいえば、鳥の目から虫の目への変化でしょうか。

 ご近所・100軒ほどの小さい団地の中をブログ話題にすることは、やはりためらいがあります。たぶん誰も読んでいないでしょうが。

 知ってる人は知ってる、私の住処、埼玉県、旧庄和町のある小さな団地の話。
 先週末、8月22日の土曜日夕刻、団地の公園で、<ご近所・夏まつり>がありました。

 今日は、そのスナップを貼り付けます。お顔のはっきりわかる写真はまずいでしょう。

*その日春日部市長さんは、お祭りのはしご、4つ目だったそうです。

   【おまけ】

*全国区の夏まつり=徳島の阿波踊りもいいけど、名もない・ご近所夏まつりも悪くないな、と思いましたね。

*今日、8月29日は、第4回春日部夏コミュニティまつりです。旧庄和町でずっと続いてきた夏祭りです。春日部市と合併したから、名前もかわって、<コミュニティ>がタイトルに入ったのです。コミュニティって、日本語でいうとなんというでしょうね。


四国88ケ所巡礼一番・二番から冥土の旅をスタート(徳島余聞②)(2009.8.28)

2009-08-28 06:24:15 | Weblog

*瀬戸内寂聴さんの実家の瀬戸内仏具店。歓迎お遍路さんの赤い幟が冥土の旅に誘います。

 昨年に続いての徳島阿波踊り参加ですが、昨年と大きく違う気持ちがありました。
 わが寿命は無限大と思っていた昨年までと違い、今は、そうでもなさそうだ、と感じているのです。阿波踊りの旅の自由時間には、冥土の旅の準備として、四国88ケ所の一番、二番札所をまわっておかなければと思っていたのです。

*初めての駅におります(板東駅)。

 阿波踊り遠征の第3日目の午前は、まるまる空いています。徳島駅から高徳線で30分ほど。板東駅におります。むろん白装束スタイルでなく、Tシャツスタイルです。駅前の古そうな道を東に、そして北に折れて、一番札所・霊山寺(りょうぜんじ)に着きます。駅から20分です。

*山門前の白装束姿のマネキンさんにガックリでした(一番札所・霊山寺)。

 巡礼さんの姿はなく、山門前に、白装束姿のマネキンが立っていて、厳粛さというか、祈りの気持ちは、失せてしまいました。まあ、それでも、ここでくじけたら、いかんぞ、と思い進みます。
 まず、2500円出して朱印帳を買います。すでに、一番札所・霊山寺の朱印は押してありました、300円。本堂で、手を合わせます。私に関わる何人もの顔を思い浮かべ、無病息災を祈ります。

*なぜかここに原爆の火がありました。

 それから、東へ20分歩き、二番札所・極楽寺(ごくらくじ)に着きます。
 さっと境内を通り過ぎ、奥のお寺に向かいます。少しお賽銭を投げ入れ、手を合わせます。朱印をもらおうと探したら売店の片隅でした。お坊さんでなくアルバイトの女性がさらさらと書いてくれ、ポンポンと朱印を押してくれます、300円。

*父母子のお遍路さん、どんな思いがあるのでしょう(二番札所・極楽寺)

*弘法大師お手植えの杉です。

 ここから40分歩けば、三番札所・金泉寺ですが、もういいか、という気持ちなりました。金剛杖をつきながら、鈴を鳴らし、ご詠歌を唱なえながら歩いてみようかと、思っていたのですが、まだまだ、なじめません、そんな気になれません。一番・二番だけですが、ちょっとチャラチャラしすぎで、心は洗われそうにありません。

  ひょっとすると、私の冥土の旅は、まだまだ先じゃあないか、と感じたのです。

    【おまけ】

* 一番札所から二番札所に歩いていて、<俘虜(ふりょ)収容所跡>の標識を見つけていました。戻りながら、田舎道を北へ歩いてみました。ちょっと開けた林にぶつかり、板東俘虜収容所の看板があるゲートにつきました。

*この木立の中で、<第九>が演奏されたようです。赤い電灯たったひとつが<怖いところ>を感じさせます。子どもの頃、駐在所がそうだった。

* 第一次世界大戦で、日本は、ドイツの租借地だった中国・青島(チンタオ)攻撃し、敗れたドイツ兵士5000人が俘虜となって日本各地の収容所に送られたのです。四国にいた1000人が、1917年(大正6年)から3年間、この地で過ごしたのです。

* 地域の人々も、俘虜たちの進んだ技術や文化を取り入れようと、牧畜・製菓・西洋野菜栽培・建築・スポーツの指導を受けたといいます。

* 音楽面では、複数のオーケストラや楽団、合唱団が定期的にコンサートを開き、なかでも、ベートーヴェンの交響曲第9番を、日本で初めて全曲演奏したとのことです。

*ドイツ館といっても、小さなテーマパークです。

*しばらく賀川豊彦記念館にいました。

* 収容所跡地から10分ほど歩いたところに、鳴門市ドイツ館あって、そのあたりの事情を展示していました。また、近くには、<賀川豊彦記念館>もあって、徳島の地の大正文化を知ったのです。 徳島には、不思議な伝統文化がありそうです。


阿波ぞめき囃子、ブルース、瀬戸内寂聴さん、キムちゃん(徳島余聞①)(2009.8.27)

2009-08-27 09:18:03 | Weblog

*徳島駅前です。少し見えているのが眉山。

 私はかなりの旅好き放浪者です。でもツアー旅行、団体行動は不得手です。夏の阿波踊り徳島遠征は、南越谷合同連の一員として参加、だから団体行動です。

 知らない街を歩き回って何かを見つける私流の旅ではありません。それでも、午後は自由で、少しだけ歩きます。

 ホテルは、徳島一番の観光スポット・眉山(びざん)のすぐ下の、東横インです。
 ホテルの2,3軒隣に、瀬戸内仏具店がありました。店先を覗いていて、瀬戸内寂聴さんの実家であることに気づきました。まあ、それだけのことです。

*瀬戸内仏具店のショーウィンドー

*店前に、<寂聴地蔵>さんです。

 けれど、その夕刻、近くの辻で、私らが踊っていると寂聴さんに遭遇したのです。本物さんです。

*思わず駆け寄る(?)アイちゃんとキムちゃん。

 だから、おみやげには、瀬戸内寂聴さん印の、ちょっと品のいい、おせんべい、いや<ふ菓子>を買いました。

*街角に貼ってあった<ジャズストリート>のポスター。

 もうひとつ。同じあたりで、徳島ジャズ・ストリートのポスターを貼っている店がありました。ジャズを聞かせるライブ・ハウスのようでした。ちょっと寄ってみたいな、と思わせる店の雰囲気でしたが、陽はまだ高かったのです。

*来年は寄ってみよう・・・と。

 その店の前で、同じように思っていた南越谷合同連のメンバーがいました。
 そのことを知ったのは、帰途についてからです。早く知っていれば、夜、踊ったあとにでも、繰出せたのですが。
 飛舞伎の大太鼓のキムちゃん、それに締太鼓のアイちゃんです。キムちゃんは人気者です。たまたま<洋楽もやっているんじゃない?>と聞いた時に、<そうです>と返ってきました。阿波踊りの鳴り物、中でも太鼓をやっている連中には、打楽器・パーカッションをやっている人もいるだろうと思っていました。

*キムちゃんです。さっと、阿呆連の着物の前にたってくれました。

 何でもやりますよ、フルセットのドラムスも、ラテン・パーカッションもやりますよ、とキムちゃん。それに、ピアノも。<えっ!>でした。“クリーム”が好きですねえと、隣にいたアイちゃん。、しばしエリック・クラプトン談義でした。

 リズムを正確に刻むことの大切さは、洋楽も和楽も同じです。
 ただメロディーへの<のり>は随分と違うと感じています。阿波踊りにある哀調は、ブルースの哀調でしょうか。悲しみ、苦しみが底にあります。だから、ほんとうは難しい。まあ、リズム&ブルースそのものでしょうね。

     【おまけ】

*徳島旅行で買った文庫本とおみやげです。ようするに、私はミーハーなのです。

* 今年も、ちょっといいカフェと大きな本屋さんを探していました。結局、昨年と同じで徳島駅前のそごうデパートにある紀ノ国屋書店によりました。地元出版の書籍を探して、文庫本<寂聴自伝;花ひらくあしあと>を買いました。徳島新聞に1998年4月から2000年12月にかけて連載されたものです。東京では買えないでしょう。

* 徳島市は、昭和20年7月、米軍機による空襲を受けて焼け野原になっています。その年、21歳だった瀬戸内寂聴(晴美)さんにも大きな影響を与えたでしょう。どこにも、誰にもあった<日本の>戦争です。

*徳島阿波踊りもまた、戦災に屈しない市民のために、市民の力で、だんだん大きくなったのです。


一番暑かった頃、南越谷阿波踊り合同連で本場阿波徳島にくり込む(2009.8.26)

2009-08-26 11:03:26 | Weblog

*徳島新聞(8月14日付朝刊)

  急に涼しく秋めいてきました。今年8月初めは全く夏らしくなかった。暑かったのは、お盆の時期だけでした。その夏らしい日に、徳島の阿波踊りが始まりました。
  私も、南越谷阿波踊り合同連94人の大部隊にもぐり込んで、阿波踊りの本場・徳島に行ってきました。

  出発は8月11日。集合は8時に東京駅です。静岡沖で地震があった日です。5時起きで支度中にわが家も揺れました。6時始発の新幹線が動いていません。2時間遅れで乗車、3時間半遅れで新神戸着。バスで淡路島を通過、徳島に入ったのです。

  そのまま、前夜祭に。本場徳島の中でも選りすぐった<有名連>の舞台は、壮観・華麗なステージが続きます。

*群舞の中で、振袖さんのソロ。いやデュエットに見惚れました。

*それでも、圧巻のフィナーレです。

  2日目(12日)午前中は、有名連の天水連の人たちの指導によるレッスンを受けます。第2弦(いや二の糸)が切れました。不吉な予感・・・・です。
 夕刻、今年もまた、帯結びに一苦労して、皆とホテルを出ます。
 いよいよ本番、まず藍場浜の演舞場に向かいます。

*おやっ、瀬戸内寂聴さんです。

*私らの前は、徳島有名連の<阿呆連>さんです。

*キムちゃんは<阿呆連>さんのファンでもあります。

*<阿呆連>が繰出します。その次が、私ら、<南越谷合同連>です。

  演舞場を3本踊りぬけ、繁華街の辻でも激しく踊って、第一日目は終わりました。

  3日目(13日)の夕方までは自由行動。午後5時30分に、準備してホテル・ロビーに集合です。そうして、その夜も踊り抜けます。私の三味線ぞめき囃子にも余裕がでます。そうして、3日目のフィーナーレには、<お客さんになって>、有料観覧席に入れてもらいました。

*一糸乱れのない女踊り群の中から、あのソロで踊った振袖さんを探していました。どうも、阿波踊りの古来の形のようです。哀愁を感じる、胸にくる踊り姿なのです。

  4日目(14日)、8時50分にロビー集合して、帰途につきます。鳴門海峡を渡ります。今年も、海、瀬戸内海がとてもきれいでした。

*海なし県に住んでいると、海が見えると感動してしまいます。

 

   【おまけ】

*昨年(2008年)の徳島阿波踊り遠征の話は、<ここに書いています。ここをクリックして下さい>


今年の南越谷阿波踊り、ついにストリート三味線デビュー(2009.8.25)

2009-08-25 17:22:11 | Weblog

*朝日さわやか連、三味線三人娘さん(8月21日前夜祭前に調弦中です)

 この夏、週末には、自分のイベントやイベント参加で遊びほうけていました。
 ブログを長い間書かずにいると<体調>を心配して下さる人がいます。8月初めにいった半年ぶりの検診では、<次は、来年2月にいらっしゃい>といわれただけです、と思います。

 この間の週末、金土日(21、22、23日)は、南越谷の阿波踊りでした。

 昨年(2008年)から阿波踊りで三味線を弾いているのですが、昨年の南越谷阿波踊りは、大雨どしゃぶり。三味線は濡らすとだめなのです。南越谷のデビューはできませんでした。だからと言って<わたしゃ踊ること>もできません。<ベンチ出場>でしたが、先頭で高張り提灯を持っていました、<持たされていました>、<いや、持たせてもらいました>。

 今年(2009年)は、雨の心配はありません。ついに待望のストリート・三味線デビューです。 3日もたってるのに、今も、三味線のぞめき囃子が耳の奥で鳴っています。

 ブログネタ用に、着物の懐に、デジカメをしのばせていたのですが、三味線弾きながら、わたしの所属する<朝日さわやか連>の写真を撮ることはできません。

 日本三大阿波踊りの<南越谷>は、今年25回目です。
 本場徳島から<有名>招待連をはじめ67連が参加、踊ります。次から次へと通りを流し踊っていくのです。
 その流れの中に、大きすぎる太鼓を抱えて踊るようにバチを振るっている大太鼓さんが目をひきます。笑顔を送ってくれます。

*笑顔でサインを送ってくれます。

 あっ<飛舞伎(ひぶき)>(新座市)のキムちゃんだ。
 朝日さわやか連にも仲良しの多いキムちゃんです。

*出発前の<飛舞伎>さん

*鳴り物は、まず道路端で始めます。そうして踊り列の後につくのです。大太鼓;キムちゃん、その左に竹;アイちゃん。

*参加連が合同で、踊り手も鳴り物もストリートいっぱいに広がって、いよいよフィナーレです。そうして、今年の南越谷阿波踊りは終わったのです。

 

     【おまけ】

*朝日さわやか連では、踊り手、鳴り物さんを募集しています。秋から練習して、来年8月の南越谷阿波踊りに出場しましよう。見る阿呆より、だんぜん踊る阿呆です。朝日さわやか連の募集は、ここにあります。<ここにあります>


夏の海から好物の味の干物が届きました(2009.8.8)

2009-08-08 23:15:29 | Weblog

*今日は送られたアジの干物の話です。

 8月になって、パソコンの動きがおかしいのです。昨日のブログは、このブログはいつもと動きが違うのです。よくわかりません。

 それで、今日は、簡単なテスト・ブログを作ってみます。
昨日朝、クール宅急便が届きました。<アジの干物>です。知人からです。どうも伊豆・下田の旅行先から送ってくれたようでうす。真アジが2匹、ムロアジが2匹です。
<これで一食助かります>です。

*焼いて食べました。

 夕食は、まず真アジの干物を焼きました。とても美味しいかったですね。
私が炊事当番の時には、よく魚の干物を買います。ただ焼けば食べられるから簡単です。鰯の丸干し、息子が、頭からかぶりついてくれます。


子どもたちのために、おとなが動く春日部市大衾の夏まつり(2009.8.3)

2009-08-03 10:49:17 | Weblog

*手作りの子どもみこしが、集落の氏神様・香取神社に着きました。

 今日もからっとした夏になりません。昨日の日曜日は雨。8月初めは、夏休みの一番楽しい時期です。例年なら、天気もよし、海へ山への季節です。暑いけど暑いことも楽しみなのです。
 今、夏まつりのシーズンです。テレビ・ニュースに登場する超メジャーな観光(?)夏まつりから、ご近所さんの手作り夏まつりまで、日本中、今真っ盛りでしょう。
 今年は、年に一度の、<ハレ>のこの日に雨を心配するのです。

 先週末の土曜(8月1日)の夕刻、当地は、ひんやりでしたが、かろうじて雨なく曇り。翌日の日曜は雨でした。
(この頃、野外イベントに関わることも少なくない私も、関係者の気持ちがよくわかるのです)。

 さて、ご近所、春日部市大衾(おおぶすま)の地域の夏まつりに<ひとり>で出かけました。
 私のウチも、この大衾にあります。35年ほど前にできた新興団地です。私ら団地も、もともと集落と同じ<自治会>に所属していたのですが、10年前ぐらいに分離独立し、単独の自治会になったのです。

 だから今日の夏まつりは、部外者です。
 でも40年近く同じ町で暮らしていると、立ち話できる知り合いさんが、何人もいます。


*一番人気は、流しそうめん、です。そうだ、この仕掛けを一度借りよう。

*最後は、ビンゴゲームでした。

 この大衾地区は、従来・昔からの居住者と、たぶん、その人たちの畑に建ったオウチを購入して住み始められた、役所言葉ではいう新住民さんが、とてもうまく融合して、同じ地域で暮らしていらっしゃるのです。

 その日のお祭りに、直接的な関係あろうが、なかろうが、昔から大事にされてきた、ちいさなお宮(香取神社)に集合していく伝統と、世話していく人たちの気持ちがあります。お宮の境内があります。そこに立っている、日ごろから集まれる集会場があります。
 古くからのおとなと、若いママと子どもたちの、いいお祭りでした。子どもたちには、<ゆかた>を着るだけで、ハッピを着せてもらうだけで、わくわくするでしょう。お年寄りたちには、そのはしゃぎ声だけで、やすらぐのです。

*春日部市長さんもちょっと立ち寄って、ご挨拶です。

      【おまけ】

*みこしは集落のはずれからスタートし練り歩きます。向こう側の住宅団地の中に、私のウチがあります。

* わが団地自治会は、正確には覚えていませんが、10年ぐらい前に、分離独立しました。そして、たぶん昨年、その後も続いていた住民が、団地自治会?として<香取神社の氏子であること>をやめたのです。<そのままでいいのになあ>と思っていた私ですが、宗教・信仰の自由の議論に波及するかなと、ご近所の中での論争を避けて黙っていました。

* わが家は、新年には、そこにお参りにいきます。クリスマスには、ケーキを食べていました。お寺墓地に私のお墓をたてました。大きな樹や大きな岩の前で手を合わせることもあります。このいい加減な信仰心が、平和の礎だと思っています。
 世界中の今の紛争は、一神教世界のものだと、評論家さんが言っています。


東京にカントリー&フォークを置いているレコード屋さんがなくなった(2009.8.1)

2009-08-01 22:26:56 | Weblog

*ここの5階にあったカントリー&フォーク専門のフロアがなくなったのです。

 8月になったというのに、からっと暑い夏がきません。
 先週のいつだったか、小雨模様の中を東京・新宿にいきました。用事をすませて、新宿に行った時は必ず立ち寄る<ディスクユニオン本店>によりました。ここは、新品・舶来、中古のCD、レコード、DVD、ビデオの品ぞろいが豊富な店です。

 その5階に、カントリーやフォークソング、つまり最近の用語ではルーツ・ミュージックのフロアがあります。それが、ないのです。なくなっていたのです。
 <3月に廃止しました>、どこかに移転したの?いえ、廃止したのです、と。

 3月か。そういえば、新宿に半年ぐらい来ていないなあ。
 もう、このジャンルのレアなレコードを探す楽しみは、断ち切られてしまったのです。もう何年も、10年前から、ココしかなかったのです。
 この店も、もともと神田の明治大学前にあったのです。大手町で仕事をしていた私は、会社帰りによく出かけていました。それが、新宿に移り、そしてなくなったのです。

 もう東京で、私の知っている限りでは、日本で<カントリーやフォークソング>をたくさん置いている店は、完全になくなりました。
<あ~~~あ>です。

 1960年代、70年代にあれほどあったのに、です。ミュジック・シーンは進歩します。懐かしくレコードを撫でるだけの老人相手の商売は、成り立たないのでしょう。

 世の中、エコだエコだと大騒ぎ。エレキを使わない、アン・プラグ(コンセントプラグを抜く)な音楽だというのに、この扱いはひどいなあ。
 要するに<ふる~い>のでしょう。同じように<ふる~い>けど、ジャズの専門店はいっぱいあります。

 たまには、今住んでる埼玉県郡部から東京に出かけなければ、<身が錆びるぞ>と思って、月に1度くらいは出かけるようにしていました。
 それでも、6,7年もたってしまうと、東京のことが、わからなくなってしまいます。30年以上、東京・大手町で仕事をしていたのですが。

 これで、東京に出かけるる目的のひとつがなくなってしまったのです。
 <もう聞きもしない、レコードを買うのはやめなさい>、なんでしょう。
 ここでまて、Amazon.comの牙城に屈したのです。

     【おまけ】

*後に中古屋で買ったLPです。定価が1700円になっています。40年間値段は変わっていない、つまり、その頃、レコードは高価だったのです。

*生まれて一番はじめに聞いたLPレコードは、ハリー・ベラフォンテの<アット・カーネギーホール>です。岡山県山間部の高校3年の時、1960年ですね、学校の事務室にいた職員さんに借りたのです。私が下宿していたウチの斜め前にお住まいのお嬢さんでした。

*ハリー・ベラフォンテは、今のジャンルで言えば、ポップスでしょうか。アメリカのフォークソングを歌っていました。<マチルダ>は会場全体で盛り上がるライブの楽しさを与えてくれました。<シェナンドー>は、民衆の自然に対する静かな祈りを教えてくれました。

*無名のボブ・ディランがバックでハーモニカを吹いているレコードです。、1962年の米国盤です。日本でも、後になって発売されました、確か<夜の歌>というタイトルだった。

* ボブ・ディランのレコードを聞くようになって、ボブ・ディランが無名時代、大スターであるハリー・ベラフォンテのバックでハーモニカを吹いたことも後に知りました。
(レコーディング:1961年6月、LP発売;62年3月)

* ハリー・ベラフォンテは、黒人解放運動(公民権運動)など社会運動の先頭にたっていたといってもいいでしょう。ちょっと前に、このブログで紹介したマイケル・ジャクソンのミュージック・エイド・コンサート<We-are-the-world>の第一番の発案者は、ハリー・ベラフォンテです。

* 最近のラジオ情報によると、<We-are-the-world>の歌詞を正確に読み取りながら、この歌を皆で歌っていこう、という運動が、日本(どこだったか?)で始まっているらしい。

* 今日の話題は、<ほんとに春日部で、ミュージック・エイド・コンサートをやろうよ>、という呼びかけの返事代わりなのです。