*春日部にも地ビールがあります。昔も今も。
赤沼ロマンビールの筒野さんの<赤沼のまちづくり>、<農と食と地域文化>のお話を聞きたい、春日部市民活動センターで開いている市民サロン<ウィークエンド・ブランチ>=3月23日(土)にお話してほしい、とお願いに行きました。
春日部市郷土博物館は、歴史文化講演会<明治期の地方ビールと「赤沼」ビール>を企画していました。偶然の一致です。
先日(2月16日)、その講演会にでかけました。聴講者は50人ぐらい。講師は、牛米 努(中央大学兼任講師)さん。
日本のビール製造は、明治2~3年に、アメリカ国籍のノールウェイ人、ウィリアム・コープランドが横浜居留地で始めたものが最初です。現代のビール大手、サッポロ、キリン、ヱビス、アサヒは、明治23~25年に始まっています。
明治20年代には、全国の起業家が各地でビール会社を起こします。清酒・醤油・酢の醸造業だけでなく、米穀問屋、製紙業ら実業家がチャレンジします。
埼玉県内では、①中村ビール、吉川市(八子村) ②マルコビール、春日部市(赤沼村)、他に岩槻にもあったようです。
*マルコビールの正門あたり。
*マルコビール醸造所(赤沼村)の全景
*マルコビールのラベル。春日部市が発行している資料は、いつも白黒版です。初めてラベルの本当の色(カラー)をみました。講演会のスライドです。KITAKATSUSIKA MUSASHI JAPANと読めます。明治20年でも、MUSASHI=武蔵の国です。
*創業者 田中恒固さん
赤沼村(現春日部市)のマルコビールは、マルコ麦酒醸造所が醸造、マルコ商会が販売。経営者、田中恒固(つねふさ)は赤沼村の人です。明治21年4月の広告があって、明治25年までは確実に操業していたが、明治34年までには廃業していたと考えられるようです。
明治20年代に、各地ではじまった地方ビールは、明治30年代初めに、全部なくなります。残るは巨大ビール会社だけになりました。
明治期の日本の地方ビール研究をやっている人はいなくて、マルコビールも、よくわかっていません、と講師さん。
そういうことなら、赤沼のビール(マルコビール)を研究してみたい。東京の研究者=オタク、が知らないことも、地元には転がっているかもしれません。
もっとも春日部市教育委員会が出している<春日部史>が、すでに調べているでしょうが。
【おまけ】
*現代の赤沼<ロマン>ビール
*筒野さんのお話を聞く集まり(ウィークエンドブランチ)。どなたでも参加できます。予約など不要です。春日部市市民活動センター(ララガーデン隣のふれあいキューブ4階)