“だし”という名の山形伝統の家庭料理が日経・朝日に続けて載ったので作った(2011.7.31)

2011-07-31 10:42:47 | Weblog

これが、出来上がった“だし”です。

 ワタシにも食事当番の日があります。だから新聞のレシピはよく見ます。一般的に、新聞に載るレシピは複雑怪奇か、スーパー・ヤオコーに売っていないカタカナの食材が出てきて挫折です。

 10日ほど前の日本経済新聞に、夏野菜を細かく切るだけの、火を使わない、誰でも作れそうなレシピがありました。

*日本経済新聞(2011年7月16日付)

 ただ“だし”というのです。山形に昔からある家庭料理だそうです。

 キュウリ1本、なす1本をきざみます。それに、必須のオクラを5本、オクラの粘り気が生命です。オクラは小口切りにして熱湯をかけると粘り気がよくでます。他に、きざんだシソの葉。しょうゆ、お酒を各大さじ一杯をぶちまけ、まぜれば出来上がりです。

 夏野菜を使う超かんたん料理です。

*レシピの部分を拡大します。

 ワタシも、夏には、きゅうりも、なすも、少々塩をして生で食べていますから、その延長線です。

 面白いのは、これをご飯にかけて食べる(食べてもいい)というのです。

 夏向き納豆ごはん!でしょうか。

 

 おかずを一品、“だし”を作ったからといってブログで紹介するまでもありませんが、ついこの間、朝日新聞の“天声人語”が、“だし”のことを書いていたのです。

 むろん天声人語ですから、はるかに格調高く美しく“だし”を話題に書かれています。

 <自分で作ろうかと思ったが、銀座の「おいしい山形プラザ」で出来合いを求め、夕食のご飯にまぶした。やや濃いめの味付けながら、かむほどに夏の香りが弾け(はじけ)、食欲がわく。おなかもひんやりした>

*朝日新聞(2011年7月29日)

 “だし”は<・・・・飯や豆腐にかける。料理というより、生ふりかけか>と書かれています。〝生ふりかけ”なんて言い方があるのかなあ。

 

【おまけ】

*ウチでは2度作りました。1回目は日経に載った日あたり、2回目は朝日の天声人語に載った翌日、昨日(30日)です。2回目はブログに書くために“写真”が欲しかったので作ったのです。ほんまにアホみたいです。

*ご飯にかけて食べることはやっていません。ご飯に、なんでもぶちかけて食べるというのは、なんとなく“下品”な感じがするのです。そう育てられたのでしょうか。だから“生ふりかけ”という天声人語さんに品がないなあ・・・と思うのです。

*ミョウガ、ネギ、ショウガもよく使われ、納豆コンブを入れて粘りを出してもいいと、レシピには書いています。納豆コンブがわかりません。


春日部・庄和の天然記念物の椋(むく)の巨枝が折れた。昨夜の落雷かな?(2011.7.30)

2011-07-30 17:24:24 | Weblog

*ウチの近所のお寺のムクの巨木です。どこが傷ついたかわかりますか?

 昨夜(29日)の午後9時頃、当地は激しい雷雨に見舞われました。ざっと30分ほどでしたが、激しい雷が何発も落ち(?)ました。けっこう怖かったですね。豪雨の新潟、福島からウチの上を通って南東方向に、同じ雨雲の分布がテレビニュースのレーダー画面に映されていました。 

 翌、今朝、家人が朝散歩から帰って“蓮華院の椋の木の枝が墓地に落ちている”と話してくれました。

 ご近所情報をモットーとするブログのワタシは、デジカメをポケットに“現地”にトビました。といっても徒歩3分300mの所です。

 確かに大きな枝が付け根から、ドカンと落ちていました。木の下のお墓が、何基も倒れていました。枝が覆いかぶさっています。負傷者が出る場所ではないのですが、お墓の修復にはかなりの日数がかかるでしょう。

 

 

*かなり太い枝が覆いかぶさっています。 

*ここ、この根元からバッサリ落ちたようです。

 近くに人影もなく、お話を聞いたわけではありません。正確には、いつ?なんで?枝が折れたのかは、わかりません。昨日の落雷?は、そうかな? という程度で、茂った夏の葉の枝が風雨に持ちこたえられなかったのかも知れません。分かり次第、報告します。

 この、蓮華院(春日部市大衾4)の椋の木は、埼玉県指定の天然記念物です。樹齢400年、幹回り6m、高さ27mを誇る県内屈指の巨木です。6本の大枝を25m四方に大きく広げていました。その内の1本の枝が折れたのです。

  天然記念物指定日は、昭和19年3月31日になっています。この時、日本は国をあげて戦争をやっていたことを思うと、天然記念物指定なんて、ちょっと不思議です。

*何事もなかったような、いつものムクの木の遠望です。


好きなまち(春日部)で仕事を創る、を考えている知人を応援(2011.7.29)

2011-07-29 19:36:34 | Weblog

 *NPO法人ETIC編 2005年10月初版発行

“好きなまちで仕事を創る”というタイトルの本を知人から借りて10日ほどになります。

 好きなまちで仕事を創っている30団体ほどが紹介されています。主にNPO法人さん、起業グループ、ただのサークルさん(?)が登場します。

 

 知人は、実に丁寧に、まるで教科書のように読んでいるようです。アンダーラインや書き込みから、充分推察されます。

 “好きなまち、今住んでいる春日部で、好きな仕事を創ろう”

 読みながら、そう呼びかけられているように感じています。

 なかなか“魅惑的な呼びかけ”“魅力的な誘惑”です。 

 

*何もないこの街で・・ 

*社会と地域を変える・・ 

 私らシルバーエイジ世代にとっても、通勤電車の中で、常に考えていたことでもあるでしょう。転職、脱サラの誘惑は常にあったのです。

 まあ、それでも勇気がなく、ずるずると勤続3*年を全うしてしまったのです。ずるずるとでなく・・・・その時やっていた仕事を好きになることの方が楽だったのです。

 還暦という人生の終盤を迎え、<その先、まだ働け>という声を振り切って花鳥風月の中に暮らしているわけです。

 むろんシルバーエイジ世代にも、青春時代はあったのです。60年代70年代には、土曜日曜はネクタイをはずした別の生き方があったわけです。どっちを“本業”にすべきだったかは、わかりませんね。

 http://blog.goo.ne.jp/geibunkyou/d/20091217

 

 とはいっても、好きなまち、好きな仕事、好きな生き方・・・いくつになっても、いい響きです。

 今は、私らの時代と大きく違うでしょう。今は、容易に仕事を創っていける時代でしょうか。

 

“好きなまち、今住んでいる春日部で、好きな仕事を創ろう”と思っている人たちには、応援したいと思うのです。 

*“若者が挑戦できる地域を創る”そういう地域<春日部>になりそうな動きが感じられます。応援しようと思うこと位なら、ワタシにもできるでしょう。やるべきことは、まず世代交代でしょう。


春日部共栄が高校野球決勝戦で敗退、だから朝日新聞紙面に八つ当たり(2011.7.28)

2011-07-28 18:17:04 | Weblog

*7月は、ずっと野球記事ばっかりの埼玉版。今日の新聞なんて見る気もしません。

 昨日(7月27日)は、全国高校野球選手権 埼玉県大会、つまり甲子園の埼玉県予選の決勝戦でした。

 わがまち春日部の春日部共栄高校は、花咲徳栄高校に,2対1で負けました。

 昨日は一日外出する用事ができて、大宮県営球場に応援に行くこともできず、午後からのNHKテレビでも応援できず(・・・録画放送だから、テレビ応援しても何にもなりませんが・・・)。夕方、帰宅後すぐにネットで、敗戦を確認したのです。・・・・あ~~~あ、でした。

 甲子園に応援に行けそうだったのです、ワタシも行くつもりでした。

 

 今朝の新聞、埼玉県版なんて、読む気もしません。

 

 【おまけ】

*予選が始まったのはいつだったのか。ざっと1か月。たった見開き2ページの“埼玉県版”は、もう高校野球ばっかりでした、連日1.5ページは、高校野球の記事。残り0.5ページが、埼玉ローカル・ニュースです。

*この期間は、埼玉県(たぶん全国各地も)地域にはニュースがないのです。ほんとにニュースはないの?です。紙面量だけでなく、記者さんも、皆、野球場だけが取材先だったでしょう。

*他の新聞は知りません。でも同じでしょう。毎日出歩かず地域だけで暮らしていると、やっぱり新聞が頼りです。全国紙といっても地域版が頼りなのです。インターネットなんて何にも役立ちません。

*明日から、いや県大会の“戦評講評”記事がしばらく続くから、8月からの朝日新聞埼玉県版に期待します。

*春日部共栄高校吹奏楽部のこの記事は読みました。スタンドには吹奏楽部2軍さん、1軍さんはコンクールの練習だったのかな?吹奏楽部の甲子園=普門館での活躍を期待します。

*花咲徳栄高校を応援してきた皆さん、良かったですね。私がいるバンドのテナーサックスさんも、花咲徳栄高校の吹奏楽部OGさんです。良かったね、レミちゃん、です。

 

【おまけー2】

*今日、超ご近所の正風館に行きました。春日部女子高校吹奏楽部さんがステージ練習をしていました。高校生たちは、今、三年間の総決算の日々なのです。


春日部に住んでいる人が監督したCG映画“はやぶさ”を観ました(2011.7.27)

2011-07-27 23:05:23 | Weblog

 *映画はやぶさのポスター

 今朝(7月27日)の朝日新聞のコラムに、“近ごろテレビに映っているものの中で信用できるのは、スポーツくらいのものだ、まったく”とありました。
 まったくそうだと感じます。

 と、なでしこジャパンで涙ボロボロになったと書くには、もう時期はずれです。もっともっと時期はずれの話にします。小惑星探査衛星“はやぶさ”の地球帰還も、感動ものでした。

 ブログに書いたこともあります。

 http://blog.goo.ne.jp/geibunkyou/d/20110522

 

 先週あたりだったか、<春日部在住の映画監督さんが、映画“はやぶさ”が完成したので、春日部市長を表敬訪問した>という記事が、ローカルのフリーペーパーに載っていました。

 小惑星探査衛星はやぶさの映画が、3本だったか5本だったか、映画各社の競作になっていると聞いていました。

 

 今日(27日)東京に出かけました。用事は午後です。午前中は、何にもなかったので映画に行きました。

 有楽町(角川シネマ)、朝10時30分、毎日一回だけの上映のようです。

 映画は、全編CG・コンピュータ・グラフィックスで作られていました。人間は誰もでてきません。はやぶさ帰還の感動は、はやぶさを支えた人間の技術力、いや心、思いにあります。それが全く見えません。小、中学校の理科室で見る授業映画です。監督は、春日部市長を表敬訪問した上坂浩光さんでした。コンピュータ・グラフィックスの映像はとても美しい。こんなのがコンピュターの画像処理でできる人はすごいとは思うのです。

 映画は1時間ほどで終了。“10分ほどのおまけ”がありました。オーストラリアのウーメラ砂漠に落下、いや地球に帰還を実際に目撃し撮影した監督さん自身の“実映像”がよかった。その時の、シナリオでないセリフが本当によかったのです。涙ボロボロ気分でした。

 終演後の映画館ロビーには、もう次のドラマ化映画“はやぶさ”のポスターやチラシがありました。10月1日公開です。

*これは、人間が出演する映画“はやぶさ”のチラシ。

 

 映画館の隣りは、久しぶりの東京国際フォーラムです。

*懐かしの東京国際フォーラムです。

 そこの売店に、JAXA、はやぶさコーナーがありました。書籍、模型、はやぶさグッズがいっぱい並んでいました。

*手前がカプセルの実物大モデル。バックの写真は、砂漠の中での回収風景、どうも映画のロケ・シーンのようです。

 そこに、小惑星(いとかわ)から持ち帰った石というより“ちり”を運んで、唯一回収されたカプセル“中華鍋”むろん実物大モデルがありました。持ち上げてみました。獨協大学の展示では触ることも許されなかった“中華鍋”モデルですが、ここでは持ちあげてみることができました。
 両手で持ち上げることはできましたが、思いがけない重さを感じました。この重さがないと大気圏突入で持ちこたえらなかったでしょう。
 

*右に“はやぶさ”、左に地球帰還時にカプセルついていたパラシュート。


神楽坂まつり、“がんばれ日本”かかげて今年も阿波踊りの夏(2011.7.24)

2011-07-24 06:15:40 | Weblog

*今年も元気いっぱいの朝日さわやか連です。

 昨夜(7月23日)は、神楽坂で阿波踊り。三味線かかえて出かけました。今年も阿波踊りの夏が始まります。

 朝日さわやか連は、神楽坂まつりに毎年参加していますがワタシはいつも都合がつかず、今日が初参加でした。このあたり不案内なのです。どこをどう踊り通ったのかわかりませんが、けっこうきつい坂を上り下りしながらの流し踊りで、3本通り抜けます。

 さして広くない通りに、お客さんがぎっしりです。

 

 東京のど真ん中でも、地域の人の手づくりの祭りイベントがあるのです。小学生たちが学校単位で参加していた阿波踊りがありました。小学生がゾメキのリズム、ぞめき囃子にのせて、ガンバレ日本、がんばれ東北、と声を合わせます。なかなかいい。感動的でした。

 7時から9時という短い、ほんの足慣らしのお祭りでした。

 

【おまけ】

*朝日さわやか連の三味線さん。

*今年2011年の南越谷阿波踊りは、8月20日(土)21日(日)で、例年やっていた前夜祭=サンシティ・ホールでの舞台競演はないとのことです。

*がんばれ東北、がんばれ日本を掲げます。8月6日には、ご近所の加須市に福島から避難されている人たちと阿波踊り、一緒にひと踊りです。

 

 


“ぴあ”が終刊。中村とうようさんも自死。あの時代は、とっくに終わっていた(2011.7.22)

2011-07-22 23:44:43 | Weblog

“ぴあ”最終号と創刊号。

 昨日(7月21日)朝一番10時は、T-シャツでは肌寒かった。近所のTSUTAYAに出かけました。

 雑誌“ぴあ”の最終号を買うためです。ひょっとすると無くなるかなと思って開店の10時に出かけたのです。山のように積んでありました。売れなくなったから廃刊です。ちょっとアホだったなあ。
 でもまあ、朝の散歩と思えば、どおってことはありません。

*朝日新聞にフルカラーで全面広告をウてるという“ぴあ”堂々の実力です。<最新号、本日新発売!>、新発売?=遊びが過ぎます、ひどいコピーです。最終号という感傷はないのでしょうね。

 

 必ずしも買うつもりで出かけたわけではありません。“ぴあ”らしくなく分厚い。“ぴあ”らしくなく高い=680円(正確には、もう10年近く買っていないから最近の値段は知りません)。ここでも永久保存版となっています。このごろ雑誌に永久保存版が多すぎます。

 “ぴあ”の表紙、及川正通さんのイラスト・オンパレードの大特集です。表紙をみるだけで“ぴあ”だとわかる“ぴあ”の顔です。創刊から39年間1300点を超えるそうです。表紙に登場することが“夢”だった芸能人(エンターテイナー)さんは、多かったでしょう。時代の裏、サブカルチュア―でなく表の文化だったでしょう。

 個人的には、あの表紙は好きではなかった。第一、表紙なんか見ずに、探している情報、ほんの数ページのために買っていたのです。

 最終号、やめようかなと思いつつ、それでも買いました。

 <1972年「月刊ぴあ」創刊号・復刻版付き>と書いてあって買ったのです。

 

 正確には知りませんが、前夜のNHKニュースウオッチ・ナインでも時間をさいていましたから、どこか調べれば出てくるでしょうが、大学生が始めた雑誌です。ガリ版雑誌のようなものだったでしょう。

 <映画・演劇・音楽の総合ガイド誌=100円>です。

 今の時代の流行りの言葉でいえば、若者の起業でしょうか。大成功を収めた<アメリカン・ドリーム>でしょうか。

 1972年は、大阪で1960年代を送ったワタシが、初めて東京に来た年です。吉祥寺に住み大手町で働いていた時代です。関西フォークの時代は終わっていました。

 まだまだ場末に貼ってある<写真のない>ポスターやガリ版刷りのチラシで、人を集めるという時代でした。

 チケットもたいがい売り切れることはなかったでしょう。それでも“外タレ”(外国人ミュージシャン)のチケットを並んで買うこともありました。今や<ぴあ・発売システム>というのに変わって、私らには、なかなかチケットがとれません。

“ぴあ”の復刻創刊号を見ながら、しばし感傷にふけりました。

*ああ懐かしの70年代初めの新宿です。

 “ぴあ”の最終号は、8/14・18合併号です。

 でも、そこに載っている“映画・演劇・音楽”情報のページ、本来の“ウリ”であるページを全く見る気がしないのです。

“ぴあ”の時代は終わっているのです。いや、ワタシ=読者が老いたのです。

*朝日新聞2011年7月22日付朝刊

 今朝の朝刊を見て驚きました。

 中村とうようさん(79歳)が亡くなったと報じています。しかも自殺か、と書いていました。

 その時代、60年代70年代、カリスマな“ポップ”音楽評論家さんです。自分で雑誌<ニュー・ミュージック・マガジン>を創刊して、たくさん原稿を書いておられました。レコードのライナーノーツも、私は読んでいました。

 その時代、外タレ=アメリカの音楽動向やムーブメントは、こういった雑誌から知ることが多かったのです。

ただ“若者の音楽が社会を動かす”といった言い方には、かなり強烈に批判されていたと感じています。つまりワタシの気分とは、かなり離れていたように思うのです。

*今持っている、一番古い号は昭和45・1970年7月号180円。ウッドストック・フェスの特集号だから捨てていません。

 雑誌<ニュー・ミュージック・マガジン>が、<ミュージック・マガジン>に名前を変えたころから、ほとんど読まなくなりました。20年前ぐらいでしょうか。同社の<レコード・コレクターズ>という雑誌は、今でも本屋で必ず立ち読みして、時おり買います。

 

 新聞によると、中村とうようさんは<最近、世界の民族楽器やSPレコードなど数万点に及ぶ個人のコレクションを武蔵野美大に寄贈。8日には、その特別展のレセプションに出席したばかりだった>、そうです。

 レコードを買う、CDを買うという時代も終わっています。レコードもまた、書物のような文化であった時代は、もうとっくに終わっています。

 ワタシの、1000枚のレコードやCDの処分も考えておかねばならないなあ・・。

 

【おまけ】

*武蔵野美大での、中村とうようさんのコレクション展は、7月4日~9月23日です。私も、いつか行ってみよう。↓ ただし、8月7日~9月4日は、学校が休みだから休館。

http://www.musabi.ac.jp/topics/exhibition/20110706_bijutu_02.html

 

*ワタシがいるバンドが、“ぴあ”に登場したのは、たったの一度です。娘が載っていたよと教えてくれました。15年ぐらい前のことです。


吾唯知足、吾唯足知(われ、ただ、たるを知る)の心境に早くならねば(2011.7.20)

2011-07-20 11:35:24 | Weblog

*龍安寺の売店で買った文鎮

 今日は、多少わけのわからぬ禅問答のお話です。

 世界に名を成した日本のジャズ・メン、トランペットの日野皓正さんが、日本経済新聞の7月8日夕刊のコラムに書いておられます。

 <年齢を重ねれば重ねるほど、「足るを知る」ことの重みが増してきた。僕は生涯、この4文字が持つ深い意味をかみしめながら生きていく>。

 さすが、きわめた人の言葉です。

*日経2011年7月8日夕刊

 日野さんは、1960年代後半、<ヒッピーのような生活を送っていたから派手なアクセサリーをたくさんつけていた。そのひとつに、吾唯知足と刻まれたプラスチック製のペンダントがあった。気に入って演奏する時にはいつも身につけていた>。<・・中略・・・60歳を過ぎたころ、ようやく、その意味が感じられるようになった>と書かれています。

 

新聞に載っている写真の吾唯知足の文鎮は<最近あるホテルで買った>そうです。

 その文鎮なら、ウチにもあります。

 もうだいぶ前に、京都の龍安寺の売店で買ったものです。

*竜安寺の蹲踞、本物の写真(ネットの写真)

  石庭で超有名な龍安寺は禅寺です。そこに水戸黄門さんが寄進した蹲踞(つくばい)があります。

 蹲踞は、水で手を清める手水鉢です。

 龍安寺の蹲踞に吾唯知足が彫ってあるのです。ワタシも持っている文鎮は、そのレプリカのようなものです。

吾唯知足の“口”の字を真ん中に置いて共用し、周辺に4文字を配置した造形です。

 

 これをどう読むか。われ、ただ、たるを知る、でいいでしょう。

 さて、これを漢字で書けば、吾唯知足なのか、吾唯足知なのか。

 上から順番に、上の文字、吾、次に、右の文字、唯、それから左の知、最後に下の、足で、吾唯知足。

 いや上から時計回りに書けば、吾唯足知。

 

 龍安寺のホームページには、吾唯足知、とあります。

 文鎮の説明書、日経の日野さんの原稿は、吾唯知足、です。

 

 漢文は、上から下に読む、同時に、返り点(レ)を入れてひっくり返すことができるから、ひょっとするとどっちでもいいのかも知れません。

 うやうやしい仏教の言葉で、どっちでもいいというのは、お寺の小僧も困るでしょう。
 正しいのはひとつです。“知足”という言葉、仏教用語があるようです。

 とすると、龍安寺の方が間違っていることになります。

 

 知足、“足るを知る”ということがわからないのです。“足るを知る=足らないこと知る”、それで頑張ろうという教えなのか。いや“足るを知る”・・・・それで充分。もうこんなモンで良しとしようとする、いつものワタシの生き方でいいよ、という教えなのか。

*「吾唯知足の栞」と書いてあります。

 文鎮についている説明書をそのまま写します。

 <仏遺教経(釈迦の遺言のお経)の中に、「知足の者は賎(いや)しとも雖(いえど)も富めり」「不知足の者は富めりと雖(いえど)も賎(いや)し」とあることからとったものです。また孔子のお言葉に「足ること知るものは心安らかなり」と教えています>

 <これは、仏教の神髄であり、茶道の精神でもあり、これが真の平和の精神です。>

 

 わかりましたか?

 ワタシには、さっぱりわかりません。まだまだ、です。

 

【おまけ】

*10日ほどブログを書かなかったら、心配してくれる読者さんがいます。大丈夫です。もう暑くて、動物園の無気力白熊状態だったわけです。

*台風6号が近づいてきて“嬉しい”。涼しいのです。雨も嬉しいのです。窓からの涼しい風は、避暑地・軽井沢の朝の風のようです。軽井沢なんて、行ったことはないのですが、たぶんそうでしょう。


やっぱり春日部も梅雨明け、今年はながーい夏になりそう(2011.7.10)

2011-07-10 17:01:18 | Weblog

*いつもの風景、ウチの窓ですが、今朝はちょっといい感じです。

 昨日7月9日、雲と空の色が違うなと思っていたら、やはり梅雨明け宣言でした。例年より10日ほど早いそうです。小学校の夏休みまで、まだ2週間ほどあるし、子どもたちも暑いでしょうね。

 夏は、早起きして朝の涼しいうちにお勉強・・・と言われていましたが、私ら世代は、いわれなくても早く起きてしまいます。起きてもやるべきことはないのだから寝ていればいいのですが、目が覚めてしまうのです。  

 いつまでも寝ていられる人がうらやましい。

 

 クーラーがないから窓をあけて寝ています。昨日今日と朝一番、カラスがギャーギャー鳴いています。カラスにも何か問題があるのでしょうか。カラスも用事もないでしょうから、寝てればいいのにです。

 それでも夏の朝は、気持ちがいい。朝の光がいい。

 

 ゆっくり新聞を読んで、コーヒーをいれます。

*昨日、家人が知人からいただいた、ブルーベリーと白桃です。今朝は、めずらしく豊かな朝食です。

 

 【おまけ】

*10日ほど前に、春日部“本”市、粕壁で見かけたポスターです。<みこし担ぎ手募集>がブログネタになるな、と撮っていたものです。

*昨日今日(7月9、10日)は、粕壁エリアの夏まつりです。30年以上、春日部市のはずれ(正確には、隣の庄和町)に住んでいますが、子どもの小さかったころ2,3度行きました。歩けない程の大勢の人出だったこと、ずぶ濡れの女子中学生のゆかた姿、の印象だけです。いつも梅雨の真ん中で雨だったように思います。

*今年は梅雨明けで、ほんとの夏まつりで賑わったでしょう。

*窓を開け放しているわが家ですが、何度か、市役所の防災放送が夏まつりのお知らせをしていました。<・・・ぜひ、ぜひ、お出かけください>の、<ぜひ、ぜひ>が耳に残りました。市役所も随分と気持ちの入っている夏まつりです。ほんとの“夏”になっていてよかった。

 


白い花の季節が終わると梅雨明け、スーパーの屋根の上にも夏の雲(2011.7.9)

2011-07-09 17:21:33 | Weblog

 

 わが町、春日部=関東の真ん中も、ひょっとすると梅雨が明けたのかもしれません。

 いつものスーパー・ヤオコーにでかけます。ギラギラの日差し、空には、夏の雲、綿菓子のような雲、積雲、シュラ―キュムラス(小学生のころに覚えた)です。

 まだ、七夕が終わったばかりです。七夕は星のまつり、星空をロマンチックに見上げる日でした。それは旧暦の話で、今や毎年、大雨のさなかです。だから、美しくも切ない大人のまつりは、保育園、幼稚園の行事に成り下がっています。

 それが、今年は、7月9日で梅雨明け・・・とすると、やはり天変地異のたぐいでしょう。

 子どものころは、“梅雨の明けの瞬間”を授業中の教室の窓に感じています。

 いよいよ夏、夏休みだ、でした。7月20日とか25日が梅雨明けだったように思います。

 

【おまけ】

*ウチの猫額庭も、雨の間は、白い花でした。シャラの夏椿、百合、半夏生、キキョウ、皆、白い花でした。今日、半夏生をデジカメで撮ろうとしたら、真緑の葉っぱに変わっていました。
*♪・・・・夏模様・・・。“少年時代”をヒトフシ歌ってみます。

 

【おまけー2】
*ウチにも玄関のお花のかわりに笹の葉です。


東日本「放射能」カラーマップに、わがまち春日部市が載っていない(2007.7.7)

2011-07-07 12:40:30 | Weblog

*“AERA”(2011.7.11号)

 日ごろ、週刊誌は、買わないから見ることはありません。新聞に載る週刊誌の広告の大活字をみるだけで充分です。が、朝日新聞社の週刊誌“AERA”(2011.7.11号)に、東日本「放射能」カラーマップ、首都圏ホットスポット詳細地図(埼玉;草加、吉川、八潮、三郷、越谷の50地点)があることを知り、発売日に買いました。一週間ほど前のことです。

 記事は次のように書き出しています。<東北・関東1都9県265市区町村の詳細な放射線量マップを作成した。自治体による測定値に加え、千葉、東京、埼玉、茨城、神奈川の首都圏「ホットスポット」については、編集部の測定結果もまじえて、よりわかりやすい地図とセットで「放射能汚染」の実態を報告する>。

 私の住むまち春日部市のところは、空白です。ホットスポットとしてはとりあげられていません。問題なし、のようです。

*埼玉県部分に<春日部市>がありません。

 春日部市が測定していないからです。

 市民は近隣の市や町のデータから推定するしかありません。

*越谷市、吉川市、草加市、三郷市

 埼玉県は<問題なし>と、春日部市はホームページで、<問題なし・・・冷静な対応をお願いします>と書いています。
 大げさに騒ぐことはないのです・・・・です。

しかし埼玉県40市の中で<春日部市だけが測定しない>のが、落ち着かないのです。

 市民として<春日部市だけ>が、なんかさびしく感じられるのです。

 

 春日部市は、県の発表値で充分、市独自の調査は正確さに欠ける、だから不要、と言っているようでした。

 今朝(7月7日)、埼玉県のホームページをみると、県内各市のきめの細かい地域の測定値を知ることができるように、市の発表値にリンクをはっていて、すぐに自分の市のデータを読めるようになっていました。正確にいつから、このサービスを始めたのか知りません。7月1日からでしょうか?

 http://www.pref.saitama.lg.jp/page/housyasenryou.html

 市独自の調査は正確さに欠ける、ではないのです。むろん測定の条件の違いはあるでしょうが、そのことを考慮しながら読めばいいのです。

 測定しないよりはましです。わがまち春日部市エリアは、空白なのです。

 

 春日部市民にも、独自で測定して発表している人はいます。全国に非常にたくさんの人や機関が独自に測定しているでしょう。それを集めて、きめ細かく地図上に表示しているサービスがネットに公開されています。全国が一目瞭然です。ここでもまた春日部市エリアは空白です。

 http://haruto.s334.xrea.com/rc/

 

*2011年7月7日付朝日新聞埼玉面。

 でも、<春日部市も8月以降から測定を始めます>。

 一昨日(7月5日)に、ツイッタ―で流れていました。春日部市長さんが記者発表されたようです。

 今日までのところ、まだ市のホームページなど、市民向けに<公式発表>はありません。

 翌日(7月6日)に記事にした新聞もあるようです。

 私が読んでいる朝日新聞では、今朝7月7日付に載りました。

 心配しているから知りたい“若いママ”さん市民もいるでしょう。私らオールド世代には、<問題なし>を確認したいだけなのです。

 

【おまけ】

*具体的には、どのように計測していくのか、どういう時間間隔で、どこを計測していくのか、まだ知りません。予備機も含めて2台しか買わないということはないでしょう。希望の市民に貸し出すサービスもやってほしいし、どこかの会社に測定を委託するのだったら“ワタシがボランティアでやってもいい”。測定なんて簡単でしょう。

*もし放射線計測・・資格が必要ならとってしまおう。どこかで講習もやっているでしょう、探してみよう。

*この間、7月3日(日)夜9時~のNHKの番組です。3月11日以降の放射線量分布の変化=放射線の流れデータが解説されました。慌ててデジカメを取り出して撮ったもので、これは、たまたま撮れた画像です。わがまちに放射線が流れ込んでいます。あとから、あとから、こんなデータが出てくるのです。

 

【おまけー7月9日】

春日部市役所は、ホームページで市民向けに掲載しています(7月8日)。

以下、コピペです。

福島原発事故による放射線の影響について

埼玉県では放射線量の測量データを随時公表しています。

なお春日部市では、放射線量の測定について、社会情勢や国の動向を注視し、独自の測定の必要性について検討を行ってきましたが、今後測定に向けた準備を進めることとしました。
測定の時期など詳しい内容については、決まり次第市ホームページなどでお知らせします。


クミコさん、女高生時代を過ごした春日部で“平和の祈り”コンサート(2011.7.5)

2011-07-05 16:34:03 | Weblog

*舞台袖から、ちょっとだけのぞきます。

 7月2日(土)は、春日部平和フェスティバルでした。ここ数年、平和のコンサートがメインの企画です。

 今年は“祈り”のクミコさんが歌ってくれました。小さなホールで、手の届くようなコンサートになりました。

 会場は、春日部市(旧庄和町)の正風館です。6月1日に、チケット売り出し1時間で完売していたのです。自由席、開場1時間前には、ロビーが混雑してきました。

 1時開演。主催者、春日部市長さんの挨拶、“春日部市非核平和都市宣言”の朗読、そして“みんなで歌おう平和の歌”と続きます。

*みなで歌おう平和の歌。会場は超満員です。

 2時。クミコさんのステージが始まります。

 ♪愛しかないとき ♪一本の鉛筆 ♪ともだち ♪わたしは青空 ♪INPRI~祈り~ ♪最後の恋~悲しみのソレアード♪

 を歌ってくれたようです。

 ワタシは、静かになったロビーで、テーブルを動かしてサイン会などの準備です。

 マネージャーさんとしばしおしゃべりの時間です。

 3月11日、大震災大津波の日。クミコさんは、石巻市でのコンサートに備え会場入りしていたのです。石巻市です。

“すごい揺れだったでしょう?”“いいえ、ゆれは関東の方がすごかったでしょう。ドーンと真下に落ちていく感じはあったのですが、横ゆれはなかったのです”

 その後の津波の景色は“すごかったですよ。もう、3月11日以前のことは、私から消え去ってしまいました。その日を境に、気持ちは変わってしまいました”とマネージャーさん。

 クミコさんもステージで、そのことに触れられたようです。

*終演後、きさくに大勢のサインに応じてくれたクミコさん。

 

【おまけ】

*その年の平和フェスティバルの計画は、例年2月ごろから始めます。クミコさんに来てもらおうよ、ということになりました。“春日部とは、特別なつながりがありますから”と承諾してもらったのは、もちろん3月11日より前です。

*マネージャーさんとの会話が続きます。<クミコさんは、かすじょ(春日部女子高校)の卒業生ですね。ポスターやプログラムに、書きたかったですが、だめだったのですか?>と私。“そんなことはないですよ”と。

*春日部女子高音楽部とのコラボもあります。

*マネージャーさんはポスターを指さします。<クミコ、母校 埼玉県立春日部女子高校音楽部とコラボレーション>と書かれています。会場は、大宮市(旧!)です。春日部市ではありません。今年、2011年11月27日です。

 

【おまけー2】

 

【おまけー3(7月28日)

*みゅーこさんがずっと前に教えてくれていたものです。記録のために<おまけ>しておきます。

*クミコさんが、ご自分のブログに、この日のコンサートのことを書いておられます。↓

http://ameblo.jp/kumiko926/entry-10941952342.html

 


春日部平和フェス盛況、七夕飾りに“じしんがおさまりますように”(2011.7.4)

2011-07-04 10:56:44 | Weblog

*七夕かざり風に書いてくれました。“じしんがおさまりますように(まなみ)”そして(左)に“かゆいのが なおりますように(ゆすは)。

 

 先週末(7月4日)、春日部平和フェスティバルが盛況しすぎて想定外もありましたが、無事に終わりました。

 会場はウチから徒歩3分ですから、一日中、正風館の“平和”の中にいました。 

*春日部市非核平和都市宣言を掲げます。プログラムに印刷しました。ホールではコンサートの前に読み上げました。主催は春日部市、担当は市民参加推進課です。

*ロビーでは、“コーロ・ドローチェ”と“はじめの一歩”さんの力強い歌声が流れました。

*今年もまた、マコモでの馬づくり(遠藤さん)。何人もの方が、持ちかえっていました。 

*左;春日部市地域健康ふれ愛を育む会のEM石けん、中;トモ二ハウスのクッキーなどのお店。“お客さんが多すぎてあんまり売れなかったなあ・・・”と。 

*ランチは、おにぎりだけだけど、お米は農家さんから?で、売上は全部、東北大震災の義捐金にできました。いつもの人たちです。

 そうして午後1時、クミコ平和の祈りコンサートのホールの開場です・

 

【おまけ】

*子どもたちの短冊にまじって、左下に“私が6才のころ戦争があった。父を東シナ海で亡くしてしまった。亡くなってしまった。私、今71才です。いつになっても戦争は忘れない。戦争が絶対おこらぬ世界にしたい(おざき)”と。

*このブログで紹介した“天までとどけ”(旧庄和町民の戦争体験文集”の第1集~4集をセットにして、10セットだけ受付におきました。すぐになくなってしまいました。残るかなと思っていました。もっと用意しておけばよかった。

http://blog.goo.ne.jp/geibunkyou/e/207e42ff16cc1ff2a047c66068125328

 

*春日部平和フェスティバルに関わった皆さん、ほんとにお疲れ様でした。