“ぴあ”最終号と創刊号。
昨日(7月21日)朝一番10時は、T-シャツでは肌寒かった。近所のTSUTAYAに出かけました。
雑誌“ぴあ”の最終号を買うためです。ひょっとすると無くなるかなと思って開店の10時に出かけたのです。山のように積んでありました。売れなくなったから廃刊です。ちょっとアホだったなあ。
でもまあ、朝の散歩と思えば、どおってことはありません。
*朝日新聞にフルカラーで全面広告をウてるという“ぴあ”堂々の実力です。<最新号、本日新発売!>、新発売?=遊びが過ぎます、ひどいコピーです。最終号という感傷はないのでしょうね。
必ずしも買うつもりで出かけたわけではありません。“ぴあ”らしくなく分厚い。“ぴあ”らしくなく高い=680円(正確には、もう10年近く買っていないから最近の値段は知りません)。ここでも永久保存版となっています。このごろ雑誌に永久保存版が多すぎます。
“ぴあ”の表紙、及川正通さんのイラスト・オンパレードの大特集です。表紙をみるだけで“ぴあ”だとわかる“ぴあ”の顔です。創刊から39年間1300点を超えるそうです。表紙に登場することが“夢”だった芸能人(エンターテイナー)さんは、多かったでしょう。時代の裏、サブカルチュア―でなく表の文化だったでしょう。
個人的には、あの表紙は好きではなかった。第一、表紙なんか見ずに、探している情報、ほんの数ページのために買っていたのです。
最終号、やめようかなと思いつつ、それでも買いました。
<1972年「月刊ぴあ」創刊号・復刻版付き>と書いてあって買ったのです。
正確には知りませんが、前夜のNHKニュースウオッチ・ナインでも時間をさいていましたから、どこか調べれば出てくるでしょうが、大学生が始めた雑誌です。ガリ版雑誌のようなものだったでしょう。
<映画・演劇・音楽の総合ガイド誌=100円>です。
今の時代の流行りの言葉でいえば、若者の起業でしょうか。大成功を収めた<アメリカン・ドリーム>でしょうか。
1972年は、大阪で1960年代を送ったワタシが、初めて東京に来た年です。吉祥寺に住み大手町で働いていた時代です。関西フォークの時代は終わっていました。
まだまだ場末に貼ってある<写真のない>ポスターやガリ版刷りのチラシで、人を集めるという時代でした。
チケットもたいがい売り切れることはなかったでしょう。それでも“外タレ”(外国人ミュージシャン)のチケットを並んで買うこともありました。今や<ぴあ・発売システム>というのに変わって、私らには、なかなかチケットがとれません。
“ぴあ”の復刻創刊号を見ながら、しばし感傷にふけりました。
*ああ懐かしの70年代初めの新宿です。
“ぴあ”の最終号は、8/14・18合併号です。
でも、そこに載っている“映画・演劇・音楽”情報のページ、本来の“ウリ”であるページを全く見る気がしないのです。
“ぴあ”の時代は終わっているのです。いや、ワタシ=読者が老いたのです。
*朝日新聞2011年7月22日付朝刊
今朝の朝刊を見て驚きました。
中村とうようさん(79歳)が亡くなったと報じています。しかも自殺か、と書いていました。
その時代、60年代70年代、カリスマな“ポップ”音楽評論家さんです。自分で雑誌<ニュー・ミュージック・マガジン>を創刊して、たくさん原稿を書いておられました。レコードのライナーノーツも、私は読んでいました。
その時代、外タレ=アメリカの音楽動向やムーブメントは、こういった雑誌から知ることが多かったのです。
ただ“若者の音楽が社会を動かす”といった言い方には、かなり強烈に批判されていたと感じています。つまりワタシの気分とは、かなり離れていたように思うのです。
*今持っている、一番古い号は昭和45・1970年7月号180円。ウッドストック・フェスの特集号だから捨てていません。
雑誌<ニュー・ミュージック・マガジン>が、<ミュージック・マガジン>に名前を変えたころから、ほとんど読まなくなりました。20年前ぐらいでしょうか。同社の<レコード・コレクターズ>という雑誌は、今でも本屋で必ず立ち読みして、時おり買います。
新聞によると、中村とうようさんは<最近、世界の民族楽器やSPレコードなど数万点に及ぶ個人のコレクションを武蔵野美大に寄贈。8日には、その特別展のレセプションに出席したばかりだった>、そうです。
レコードを買う、CDを買うという時代も終わっています。レコードもまた、書物のような文化であった時代は、もうとっくに終わっています。
ワタシの、1000枚のレコードやCDの処分も考えておかねばならないなあ・・。
【おまけ】
*武蔵野美大での、中村とうようさんのコレクション展は、7月4日~9月23日です。私も、いつか行ってみよう。↓ ただし、8月7日~9月4日は、学校が休みだから休館。
http://www.musabi.ac.jp/topics/exhibition/20110706_bijutu_02.html
*ワタシがいるバンドが、“ぴあ”に登場したのは、たったの一度です。娘が載っていたよと教えてくれました。15年ぐらい前のことです。