埼玉・松伏の“地球のステージ”で桑山医師、ガザの最新映像で歌いました。(2008.2.27)

2009-02-27 12:43:18 | Weblog

 松伏町の田園ホール・エローラで、一昨年3月以来、2度目の“地球のステージ”が行われ、知人たちと出かけました。昨日2月26日のことです。

*ステージを終わって。桑山紀彦さんと左にキーボードの石橋優子さん(切れてしまっていますが)。

 <地球のステージ>というライブ・ステージは、医師・桑山紀彦さんが海外で医療支援活動をしながら撮影した映像と、その地での、人と人との体験を詩情豊かに歌い上げていきます。イラク、ソマリア、旧ユーゴスラビア、カンボジア、東ティモール、パレスチナで見た、紛争や貧困の中でいきる人間、中でも、明るく、たくましく生きる子どもたちの姿を、そのまま伝えていきます。

 ついこの間(2009年)1月末には、イスラエルの爆撃のさなか、パレスチナ・ガザ地区で続けられた医療支援活動ことは、数多くのメディアにより何度も報道されました。

 一昨年(2007年)3月に、私が、誘われて初めて観た<地球のステージ>は、埼葛地域のPTA役員さんらが実現したステージで、会場は、隣町・松伏町の田園ホール・エローラでした。

 それから3度、今回で5度目の<地球のステージ>を観ました。 今、<地球のステージ>には、5部+アルファが、あるようです。今日は第1部の公演です。大学生(医学生)・桑山紀彦さんがインドをはじめ、世界中を歩き、次第に、海外での医療支援活動を始めることになったいきさつから入ります。

 そうして、今回のステージの最後は、先日のイスラエルによる空爆のパレスチナ・ラサ地域での医療支援の日々がスクリーンに映され、歌われていきます。戦争・恐怖の深いトラウマを抱えて生きていく子どもたちへの思いを訴えました。桑山医師が持つ強く持続する意思が感動を呼びます。

 世界の多くが非難したイスラエルによる空爆・攻撃でした。外国報道機関の入国が制限されていた時期でもあって、日本のメディアは、医療活動に併せて桑山医師の現地レポートに期待し、報道したのです。

      【おまけ】

* 公演前のランチは、遠来の友人・清里のプルメリアさんをまじえて、<地球のステージ>クラス会風になりました。

* 私は、知らなかったのですが、アエラ(Aera)の最新号(2009.3.2号)に、桑山さんが寄稿されていました。プルメリアさんがコピーしてくれていました。

* いつも一緒の友人たちは、今日も、東ティモール産をコーヒーをフェア・トレードで扱う、とても美味しい<エルメラ・コーヒー>の試飲サービスを、会場のエローラでやって人だかりを呼んでいました。

*今、当地・庄和町では、かなりの雪が降っています。今シーズン初めてです。


敗戦の年(昭和20年)に26歳だった堀田善衛<上海日記>を読む(2009.2.25)

2009-02-25 19:25:57 | Weblog

*左;堀田善衛=上海日記(2008年11月発行、右;堀田善衛=上海にて(初出本は1957年7月発行)、いずれも集英社。

 この間の10日程の入院は、担ぎ込まれたわけではなく計画入院でした。だから4,5冊の本を持ち込みました。
 きちっと読もうと決めていたのが、<堀田善衛の上海日記>です。11月頃に新聞広告がでて、すぐに読もうと思っていたのです。朝日にも日経にも書評が載りました。

 春日部市立図書館の新刊棚で見つけることができず、町の本屋TSUTAYAに置いていることもなく、結局、アマゾンで購入したのです。すぐに読みそうになるのを、<これは入院時用>と押さえていたのです。

 敗戦の年、1945年・昭和20年、上海、26歳の日記とキーワードが並ぶ、そして、その後の著者(堀田善衛さん)を思う時に、すぐに読もう決めたのです。

 私は赤ん坊時代で、意識があったかどうかは別として、わが人生の中で、社会変動の最大のものは、太平洋戦争(大東亜戦争)の敗戦です。この折、社会は大混乱だったことでしょう。私の親は当時30代。どういう思いで生き抜いたのだろうと、時に考えるのです。

 私は、岡山市を空襲で追われ、県下の山地(現在の岡山県井原市)で育ちました。私のウチから川向こうに、3、40分歩くと<街という程でもない街>があって、そこに<内山書店>がありました。小学校5,6年の頃から、時々行っていました。目のぎょろっとした痩せたオヤジさんがいました。こちらは子どもです。余計な会話をしたことはありません。同じ町の高校に通うようになって、担任の先生が、<上海の内山書店>、店主・内山完造の話をしてくれました。戦前、日本と中国の文化人交流の拠点となった<上海の内山書店>の話です。<井原の内山書店>の店主は、内山完造さんの弟さんだったのです。

 例えば、中国文学者、魯迅の話には、必ず内山完造さんが登場します。現在の岡山県井原市生まれの、内山完造さんは、28才で上海に渡り、1917年(大正6年)、上海に内山書店を開業しました。そこは、中国文学者、魯迅、や日本文学者のサロンになったのです。

 今も、東京・神田神保町のすずらん通りに、中国書籍を扱う<内山書店>があります。2階の真ん中に、内山完造さんの著作や関連図書を扱うコーナーがあります。私は、よく立ち寄っていますが、<内山書店>で買ったことは、ほとんどありません。

 上海に、そういう思いを持っている私は、上海日記を読みながら、内山完造さんの名前を意識します。上海日記の中には、10箇所ぐらい内山完造さんの名前が登場しますが、<会合で一緒だった>という以上の記述はありません。堀田良衛自身、親しく会話する間柄ではなかったようです。堀田は、26歳の若造です。上海での存在感がまるで違っているのでしょう。

 堀田良衛は、昭和20年3月の東京大空襲の後、<敗戦を承知していたかもしれない>時期に、上海に飛びます。敗色濃い上海での、26歳の文学を志していた若者の日記です。人間社会、人間の裏と表が、如実に現れる動乱・混乱の3年間の日記です。今の、平和ボケの時代とは、まさに大きく異なります。将来の展望が何も見えない、しかし、お先真っ暗の絶望感があるわけでもありません。計画だの、スケジュールだのいうことでなく、その日その日を背一杯生きるという時代だったのでしょう。

      【おまけ】

*入院当初のマイベッド。地球の歩き方<インド編>も持ち込んでいました。若い執刀医の先生が<インドに行くのですか>と話され、<もうだめでしょうね>と私が答えたら、<行けますよ、行けるようにしてあげますよ>と。、

* 10日間ほどの入院で、さあ、本が読めるぞと思って、読んでいたのは、手術前の3日間だけです。割腹手術後の退院までの1週間は、<気分衰弱状態、無気力状態>だったのです。

*文庫本<上海にて>さえも、当地のTSUTAYAで手に入らず、東京に出かけた時、日本橋<丸善>に。ちゃんと2冊並べてあった。その下には、加藤周一<私にとっての20世紀>も。わが町にも、本屋さんらしい本屋さんがほしいなあ。

* 上海に行ってみたいな、と思っています。戦前の列強諸国が、好きなように統治した上海の、その跡形を見て見たいと思うのです。お隣の国、中国には、行ったことがありません。


アカデミー賞の「おくりびと」を観た9月から私のお墓建立への不思議な流れ(2009.2.24)

2009-02-24 18:47:03 | Weblog

*9月25日に春日部ララ・ガーデンで。

 昨(2月23日)夜、テレビのニュースは、どの局も映画「おくりびと」のアカデミー賞受賞があふれていました。受賞決定の瞬間の関係者の歓声は、見ている私の気持ちを嬉しくするものでした。
 私がにっこりしたのに、深い意味はなく、その映画がたまたま観ていた、しかも10年ぶりにみた映画であったというだけのことです。

 映画「おくりびと」は、春日部のララ・ガーデンで、家人に誘われ、タイトルも告げられずに出かけた映画です。私は、ひとりなら絶対に行かない<気持ちを暗くする>映画だったのです。
 しかも、家族と一緒に観たくない映画ですが、そのときは、娘まで呼ばれていたのです。この辺のことをブログに書いています。<ここです>

 そのような内容の映画、やや不吉ともいえる映画を、家人が、なぜ私を誘ったのか、娘まで誘っていたのか、深読みすることはないのですが、それからの私の身辺に、少々不思議なことが起きたのです。

 私は、今、死の淵から立ち返った状態と書くと大袈裟ですが、まあ、そう言えなくもないのです。
 身体の異変が発見されたのは、映画の後、11月中旬です。

 異変発見の前、10月ごろには、家人が<お墓を建てようか>と言い出したのです。正確には、1年ほど前に、近所のお寺墓地を買っていて、業者に<お墓を建てろ>とせっつかれても、ほっていたのです。不思議と言えば、不思議です。

 身体の異変が発見されてからは、お墓建立の話は、とんとんと進んでいきました。まだ治療中なのに、です。
 その昔には、お墓は自然石をポツンと置くのがいいなど、と勝手なことを思っていたのですが、もう墓石屋さんのペースです。もう何でもいいや、になってしまいました。

 ただ最後の段階で、<○○家の墓>の文字が、パソコンから打ち出され、<これになります>と言われた時、初めて<これは、いやだなあ>と思ったのです。

 嫌だからといっても、自分で書くわけにいきません。
 それで、多少懇意にしてもらっている禅宗の和尚に頼もうということになったのです。騎西町の保寧寺の無一和尚に、お酒を持ってお願いに行ったのです。暮れのことです。その時、私の身体の異変を話したかどうかは、忘れました。

 お正月が明けてすぐに、和尚から<書>が届きました。

*<○○家の暮>も悪くありません。

行書、草書、何枚か書いて下さったのです。草書の<○○家の墓>があったのですが、読み易い行書は、<○○家の暮>になっていて、しかも何枚もあったのです。

 私は、書き直しをお願いして、国立がんセンターに入院しました。

 昨日(2月24日)に、保寧寺の無一和尚の所に出かけて、<○○家の墓>の書を受け取ったのです。

 よく考えると<○○家の暮>と書いたお墓も、悪くないなあ、と思ったりしました。これ、どちらが良いかは、禅問答になるなあと、ひとり禅問答をしたりしています。

 <○○家の暮>の書は、表装しておこうと思っているのです。私のお墓は、予定通り、3月吉日に建ちます。

 なお、埼玉県騎西町の保寧寺と無一和尚のことは、<ここを読んで下さい>


応援している細井(春日部)のドラ焼き、九州・豊後高田のお野菜(2009.2.23)

2009-02-23 21:05:22 | Weblog

*細井のドラ焼き<赤い幟は営業中の合図です>

 今日(23日)も、クルマの助手席で遠出です。どうも、まだクルマに乗る勇気が出ないのです。

 片道こ一時間を往復して、北から庄和町に帰って来た時、今日のドライバーさんが、<細井さんのドラ焼きを買っていこうか>と。
<細井のドラ焼き>は評判です。ブログに書いたこともあります。<ここです>

 昔の細井さんのオタクとは、少し違うように感じました。道路沿いに、赤い幟が雨に濡れています。幟は亭主、在宅の営業中の印です。門を入って右側、納屋のような感じだった所に、ノレンがかかっていました。お饅頭工房でした。

 若い店主が、<ドラ焼きは今10個あります>と。朝採れのドラ焼きです。その時、午後1時です。7個買いました。今日もまもなく完売でしょう。細井のドラ焼きの美味しさは、焼きたてにあります。午前中のお出かけをお勧めします。

 ・・・思い出して、26日(木)10時に、ドラ焼き20個を予約しました。
 お隣の松伏町で公演する<地球のステージ>のメンバーに差し入れするつもりです。皆、喜んでくれること請け合いです。

*お野菜は<大分合同新聞>に包まれていました。

 同じ日、宅急便が届きました。大分県豊後高田市からです。国東半島の蒲鉾の空き箱でしたが、中から、野菜があふれました。庄和町で大きくなって、1年ほど前から、大分で<農家>をやっている久保さんからです。EMを使っている農家さんです。

 ほうれん草、大根、それに<寒気で紫色になって店頭では販売できないブロッコリー>。湯通しすれば緑に戻ります、美味しく食べられるはずですよ、とお手紙にありました。

 若い、私らの次の世代の人たちのがんばりに、秘かに、勝手に応援しているのです。

 


加藤周一さんのお別れ会(有楽町・朝日ホール)に出かけました(2009.2.22)

2009-02-22 19:42:42 | Weblog

 新聞で知った12月5日の加藤周一さんの訃報は、このブログでも書きました。<ここです>

 2月21日に、<お別れ会>があることも早くから知っていて、滞っていた東京でやるべき雑件をあわせて済まそうと思っていたのです。
 大勢の参列者を予想して、また私自身の動きの鈍さも自覚していたので、東京・有楽町の朝日ホールに、早め、開場の12時に出かけました。

 開式は、午後1時。白い花に飾られた加藤周一さんの遺影に、大江健三郎さん、水村美苗さん、吉田秀和さんの弔辞が続きます。鶴見俊輔さんはお身体不調から出席できず代読です。そして、日本、ドイツ、フランス、英国、中国の、友人・学者から、メッセージが届けられ読み上げられます。

 とても静かな、<上質の>講演を聞いているようでした。とても見事な人生を送られたのです。

 翌(22)日の朝日新聞の朝刊に、かなりのスペースで弔辞の抜粋が載っています。私にも、いくつか記憶が残っています。

 吉田秀和さん;いくつか購読してきた外国の新聞に、社会にトピックスがあるときには、必ず加藤さんのコメントが載っていた。加藤さんが、英・仏・独語に堪能と同時に、世界の新聞記者に、その発言が信頼されていたのです。
 大江健三郎さん;私は、尊敬する学者が亡くなるたびに、<全>著作を読み返すんです・・・・
 水村美苗さん:ご自分からは、何ひとつ相手には求めないという決意の人格がありました。
 鶴見俊輔さん;・・・広島を見て(*)、国家に結びついたビッグ・サイエンスが、人間に何をしたかを、目のあたりにしました。プラハの春では、戦争勢力が国家全体主義の中から芽生えてくること見据えました。・・・・どうして、戦争放棄が必要なのかを説いたのです。そうして、<九条の会>の発起人になられたのです。

 喪主の矢島翠さんは、昨年8月からの急速な病状悪化の中に、あれほど活字が好きだった人が活字に眼をやることのない日々を話され、加藤のレトリック<しかし、それだけではない>を胸に思い、この後も生きていきたい・・・と締めくくられました。

<・・・・しかし、それだけではない・・・・>と、常に考えながら、やっていこう。

 私らの、上の世代、あの戦争を青年時代に過ごした世代、私らが見習ってきた人たちが、どんどん亡くなっていきます。

    【おまけ】

*久しぶりの有楽町でした。ここにあった朝日新聞社にも、何度か仕事で出かけていました。朝日新聞社が築地に移って出かけることはなくなって、まさに久しぶりの朝日ホールでした。

*加藤周一さん、1945年(26歳、)10月、日米「原子爆弾影響合同調査団」の一員として約2ヶ月間広島に滞在し、調査に従事する(配布された略年譜より)。この経験があったことを初めて知りました。

*献花を終え退出したとき、ホールの外には、まだ大勢の人の列がありました。


春日部に<プレフェレ=お気に入り>という名のいい感じのカフェ(2009.2.18)

2009-02-18 19:15:02 | Weblog

 リハビリ、体力回復待ちという状態の私は、先週は、<送迎>付きのお出かけを2度もしてしまいました。<専属!ドライバーさん>が、お茶していきましょうか、と、全く知らなかったカフェに連れていかれました。連れていってくれました。

 小さなというか、ほど良い広さのお店でした。
お店の名前は、ローマ字を並べると<Prefere-Café>です。正確には、フランス語ですから、ちょっと違います。<なんと読むのですか><プレフェレです。お気に入りという意味です>と、遠慮がちな、若い女性オーナーさん。

 たぶん<夢>を実現させたオーナーさんの思いが、つつましやかに、店中にひろがっていました。棚に、外国の絵本が並びます。<絵本が好きなのです>と。
ちょっと寒かった日で、同行の女性たちには、用意されていた<ひざ掛け>に、ご満悦のようでした。

 私は、インドのというか、ネパールのお茶<チャイ>を頼みました。 ランチ・タイムとディナー・タイムには、軽い食事もできます。
 平日は、11時から21時まで、日祝日は、10時から20時までオープンです。<そんなに長く、ひとりでやってるのですか>、<ええ・・・>。定休日は、月曜と第3火曜。

*つつましやかなオーナーさん<せきね*のりこ>さん

 居心地のいい時間でした。いつもほどほどに賑わっているそうです。ご常連さんというよりも、このお店のファンの女性が、けっこういらっしゃるでしょう。
 人知れずある優しいカフェでした、いや実は、評判のカフェかもしれませんね。

    【おまけ】

*ユリノキ通りをクルマで走らせると、こんな風にみえます。庄和町側からユリノキ通りを走らせると、ユリノキ橋を越えるとすぐに、左手(南)側です。

*たまたま、その日春日部で<コミュニティ・カフェ>を話題にしたセッションがあったのです。その集まりの他の参加者との間に、<コミュニティ・カフェ>というイメージに大きなギャップがあって、ちょっと飲み直したい気持ちになっていたのです。私は、この<プレフェレ>のようなカフェが<お気に入り>だったのです。すっかり気分を治しました。


市民参加、市民活動。春日部市にもソフト・ハード両面からの動き活発(2009.2.17)

2009-02-17 19:31:19 | Weblog

*埼玉県第1の都市・さいたま市の<市民活動センター>のエントランス。

 全国の地方公共団体・行政のトレンドに、市民参加とか、市民活動とかいう呼びかけがあります。
 ソフト面では、市民参加(推進)条例という名の条例の制定です。
 ハード面では、市民活動センターという名の施設です。

 市民参加、市民活動は、解説もいらない用語ですが、よ~く考えると、その意味に考え込みます。行政(市役所)側が、市民に向かって、市民参加、市民活動と繰り返すとなると、いったい市民に何をやらそうとしているのだろう、と思ったりします。
なんで、<今>、市民参加、市民活動と全国の自治体が口を揃えるのでしょう。 市(行政)と市民の、協働による<まちづくり>という呼びかけもまた、響きのいいキャッチ・フレーズです。
 今まで、ず~と、そんなことを言わずに、役所は、自信を持って進めてきたのに、です。 世の中の仕組みが、いつの間にか、どんどん変わっていきます。市民参加、市民活動は、今、地方自治のトレンドなのです。

 私の住む春日部市も、昨2008年10月1日に、春日部市市民参加推進条例が施行されました。施行後4ヶ月、市民参加で、何が変わっていくのか良く見えません。
<そういう建前になった>というだけにならないように、ちゃんと注目していかねばと思っているのです。

 春日部市に、<市民活動センター>が、できます。市民活動のための施設です。春日部駅前のララ・ガーデンの隣の建つ、<埼玉県東部地域振興ふれあい拠点施設>の中に、<市民活動センター>ができるのです。<市民の活動のための施設>ができるのです。

 先日、春日部市の市民活動センターのために、埼玉県の中心都市、さいたま市と川口市に、すでにできている(といっても2、3年ほど前にできた)、同じような施設の見学に行ってきました。いずれも駅前再開発ビルの上の方にありました。

 さいたま市;浦和駅東口のパルコの入っているビル(商業・公共複合施設)。8階;中央図書館、9階;市民活動サポートセンター(平成19年10月オープン)、10階;浦和コミュニティ・センターです。

 川口市;川口駅東口の再開発ビル(商業・公共複合施設)、愛称キュポ・ラ。5,6階;川口市立中央図書館、4階;市民活動センター<正式名称は、川口市民パートナーステーション>(18年7月1日オープン)です。

*川口市の市民活動センターのエントランス。

*ゆったりした見事な川口市中央図書館でした。そのエントランスにコミュニティ・カフェの案内板。

*カフェの脇の<障害者のお店>がにぎわっていました。

 春日部市も、いうならば駅西口再開発のビルの中です。図書館はありません。保健センターと市民活動センターが市の施設です。ビル全体がどんな風になるのか、商業・公共複合施設ですが、よく知りません。 まもなく全貌が、公開されるでしょう。


春日部で2月14日<地域にほしいコミュニティ・カフェ>という集まり(2009.2.10)

2009-02-10 17:22:55 | Weblog




*連絡先のアドレスが読めませんね、書いておきます。
a3264-08@pref.saitama.lg.jp
(参加には、事前連絡を希望しています。・・・が突然参加でも全然問題なしでしょう)

 主催は埼玉県。県が、地域の支えあいを進める事業のひとつとして、県民が話し合って、支えあいの仕組みを考え、実現に向かうためのワークショップを開催するのです。

  2009年2月中に、県内4箇所で、別々のテーマでワークショップが開かれます。

   ① 2月9日(月)午後1時30分~4時30分
       <地域にほしい「コミュニティラジオ番組」>
      朝霞市産業文化センター

  ② 2月14日(土)午後1時~4時
      <地域にほしい「コミュニティカフェ」>
      春日部市・喫茶ゆめ色(2階会議室)

  ③ 2月22日(日)午後1時30分~4時30分
     <みんないきいき「ウォーキングのまちづくり」>
     東松山市平野市民活動センター

   ④ 2月28日(土)午後1時30分~4時30分
      <「まちの駅」をもっと身近に>
     本庄市中央公民館

    【おまけ】

*<春日部にコミュニティ・カフェをつくろう。いや誰かに作ってもらおう>なんてブログを書いたことがあります。2008.2.7のことです。この集まりに出かけて、誰か、作ってよ、と言ってみようと思うのです。会場の、<喫茶ゆめ色>も、コミュニティ・カフェでしょうか。いちどだけの経験ですが、ランチも楽しめました。


見たくないテレビが消せなくてイライラした話と今日の見たいテレビ番組(2009.2.9)

2009-02-09 12:00:36 | Weblog

*見たいテレビ番組<地球のステージの桑山医師が、今日(9日)5時NHKのゆうどきねっとで、パレスチナ・ガザの実情を報告>

 暗い病院の写真を置いたブログを、更新したいと思ってはいたのですが、けっこう寝たきり<みたいな>暮らしをやっていたのです。なにしろ、腹筋ゼロ状態ですので、ベッドから起き上がりのとき、あるいはその逆では、大苦戦状態なのです。

 私、わが家は、日常あんまりテレビを見ません。ミーハーなのですが、ニュースしか見ないに近いのです。だからテレビ自体も、子どもらがアパートに独立したとき買って、不要になった14インチ(もちろんアナログ、ビデオテープ録画機能付き)という前時代物なのです。どうも、ウチの子どもらは、よそ様のオタクにある、横長型大画面テレビには、びっくりタマゲた経験を持っているようなのです。

*ディジタル・テレビにしなくては・・・。

 7時から、NHKのニュースを見ます。8時に消します。9時に、NHKニュース・ウオッチ9。10時になったら、テレビ朝日の古館イチローさんの報道ステーションに、切り替えます。むろん、ジッと見ているというのでなく、<番組が流れている状態>です。その後は、仕事から帰ってきた息子が12チャンネルに回します。
お昼のNHKニュースは見ますが、午前も午後もテレビをつけることはありません。

 ちょっとお高くとまっているようですが、<見たい番組がないのです>。ただそれだけのことです。という日常の私が、寝たきりみたいな状態になったのです。
9時からのNHKのニュース・ウオッチ9を寝ながら見ていて、10時になりました。<キヨシのなんとか>という番組が始まりました。<~~~~なんか、ちゃらちゃらしてうるさいのです>、ウチでリモコンなんか使ったこともありません。<おーい、おーい>、<チャンネルを変えてくれー>と、出ない声で叫びます。返事なしです。<テレビを消してくれ・・・・>と悲痛な感じになってしまったのです。
 たかだか、テレビ番組なんですが、そんな感じになってしまっていたのです。

 世間で人気一番の、氷川きよしさんになんの恨みもありません。私らのバンドで<キヨシのズンドコ節>を演奏することもあります。

 テレビを消したいのだけど消せない・・・・という状況もあることに気づいたのです。

     【おまけ】
* 一週間か10日前あたりの新聞(朝日か日経)のコラムに、なぜ大河ドラマ<篤姫>の視聴率が高かったのか、という話がありました。

* 日曜の8時というゴールデンタイムに<見たい番組がないからだ>というのです。この時間、家族一緒に楽しむには、<民放のドチャラケ番組>はうんざりだというのです。おおいに同感です。

* そして、団塊世代というか、お父さんにとって、日曜のこの時間こそ、ゆっくりナイター=野球中継を楽しめた時間だったというのです。家族一緒に楽しんでいたのです(お母さん以外は・・・かも)。テレビ局が、野球中継(巨人戦中継)を大幅に減らしてしまいました。シーズン中は、毎日どこかのチャンネルが巨人戦をやっていました。巨人ファンでも、アンチ巨人ファンも、皆みていたのです。おおいに同感です。

* ついでに、もうひと言。<夕食の時間ぐらいは、テレビを消しましょう>。という後ろめたさはあっても、野球中継を見ていたいのです。

    【おまけー2】

*今日5時から、NHKゆうどきネット。

*本日(2月9日)5時からのNHK・ゆうどきネットに、<ガザの戦火見た医師>とあります。<地球のステージ>の桑山紀彦医師が話されるでしょう。

*地球のステージ公演は、ウチのとなり町(松伏町エローラ)で、2月26日(木)午後から開かれます。