ぼくのおじさんは、港の医者(片山碩夫さん)だった(2015.1.27)

2015-01-27 12:18:14 | Weblog

*おじさんの著書<港の医者>昭和33年6月平凡社発行。

お正月すぎて、またひとつトシをとった。家人の<だんしゃり>は過激さを増しています。ずっと捨てずにいた<古い>年賀状を、どこからともなくひっぱり出してきて、ゴミ箱にほり込んで行きます。ワタシは、それを拾い出して読みふけったり、です。

ワタシが、まだまだ若かった頃に、母の弟=おじさんからもらった賀状を再読、またまた捨てられません。
*おじさんからの古い年賀状。若かったワタシは、これをどう読んだのだろう。

昭和50年(1975)の賀状
 <僕は今、人生において病気とは果たして何だろうかと考えています。それが、マイナスの要因か、それともプラスか。他人に代ってもらうことが出来ない、そして何とか、その苦痛を克服した時に人間的に成長していないだろうか。
 東京には百の顔があると聞いています。おまけに新聞記者とはうってつけです。経済的に苦しんでいる人達を回って下さい (そこには、真剣で、善良で、そして平和な人たちがいるんじゃないでせうか。--そして私が探しているのが、この三つです)・・・・・(以下略)>

昭和54年(1979)の賀状
 <・・(略)・・・私は、去年から引き続き「老子」にコって、今年の賀状には、天地不仁(第5章)と書いた。天地(自然)が、仁(人間に思いやりがある)と見るか、ないと見るか。今日までは、天の恵みとか、余慶ありとかというのが、儒教でもキリスト教(神)でも、天地は仁だときめていたが、本当は、人間が自然に適応してうまく生きているだけで、天地の運行は人間のことを考えているわけではない (ダカラ人生に油断は禁物と云いたい)
 多少共他人に物を教え、指導する人間(子に対する親、妻に対する夫、教師、作家等)は、常識的思考=儒教のアヤマリに気づかねばならぬ。老子を読むと、そのことがよく分る。草々 >

こんな風な賀状を捨てられないのは、ワタシが、差出人=おじさんのトシになったか、超えたかでしょう。
ワタシには、今、この賀状のおじさんの、そのときの年齢を知ることはできません。明治44年生まれの母の弟で、三重県志摩半島の海辺、浜島で、開業医であった片山碩夫さんの、生年月日、いや生年さえ知ることは、もはやできません。だいたい、おじさんに合ったのは、たったの一回だけ。ワタシが大阪で学生をしていた時に、岡山の田舎に住んでいた母を、大阪から三重県浜島に連れていったときのたった一回です。おじさん(母の弟)は、両親と同居していて、すなわち母を、母の両親の所につれて行ったということになります。何か用事があったのでしょう。ワタシは、開業医病院!病室のベッドに泊めてもらいました。昭和38年(1963)年のことです。
その頃、まだまだ、日本は広かったのです。

 <おまけ>
*子どもの頃の、わが家の伝説で、おじさんが本を出したことは知っていました。<港の医者>というタイトルも知っていました。急に思いついてAmazonで探してワンクリック発注。昨日(1月26日)に届きました。800円+送料257円だった。
*昭和33年6月、平凡社の発行でした。<人間の記録双書>の一冊。定価250円。まえがきに、<この本を書くように推薦して下さったのは京都の松田道雄先生でした>と。
*表紙中折れ部分に紹介が載っています。記録のために転記しておきます。<片山先生は、志摩半島の突端、浜島町のお医者さんである。この港は、古くから江戸と大阪をつなぐ便船の寄港地として知られ、真珠養殖で町の経済は豊かである。太陽と潮風と、美しい自然と、食うにこと欠かない金とに恵まれた港町である。先生は、内科が専門、自らザルプロ医者と卑下しているが、事実開業医の腕前は、患者でない私たちにはわからない。しかしどうも、先生の聴診器は、病気を探りあてるためにだけあるのではないらしい。患者の、人間の音、様々な心理の雑音を見事に聞きわけているようだ。この点では、稀に見る名医である。肉体の医者であるだけでなく、精神の医者にもなれそうな資格十分であるが、この称号は固辞するにきまっている>


ヨーガン レールの名を知った4日後に訃報記事(2014.10.1)

2014-10-01 18:36:30 | Weblog

 今朝の朝日新聞(10月1日付)に、<ヨーガン・レールさん死去>が目にとまりました。ほんの4日前に、ヨーガン・レールの名を知り、どんな人かなあ、と思ったばかりだったのです。

4日前、9月27日に、2つのアート展をみるために、東京・六本木に出かけました。ひとつ目は、知人の<Junglin'2>展、午後には、国立新美術館で、チューリッヒ美術館展です。見終って、ここでの恒例、地下のショップに出かけます。同行の家人好みの品ぞろえです。家人は茶の湯好きで、陳列されてる<鉄瓶>の写真を撮れというのです。買いたいな、の雰囲気だったのです。

 家人は、この鉄瓶の衝動買い防止に、冷却期間がほしかったのでしょう。ワタシは、作家さんの名を写しとろうとしたのですが、暗くピントがあいません。<ヨーガン レール>と書き取ります。隣に並んでいる本が気になりました。<ヨーガン レールとババグーリを探しにいく>です。

 ヨーガン レールやババグーリをネット検索しても、どんな人なのか、 なかなか出てきません。ならば、さっきの本を<Amazonで一発購入>です。
 その本が届いたのが、9月30日、ざっと読んだ翌日、つまり今朝、新聞の<ヨーガン レール>の名が飛び込んできたのです。ワタシにとって、なんとも不思議なつながりです。

 *<人と自然をやさしくつなぐ、手の仕事>

 【おまけ】 半年ほど、ブログを書いていませんでした。思わぬ人から、どうしたのですか、と言われることが再々ありました。ありがとうございます。たいした理由なく、書かずにいたのです。また再開します。


春日部市民劇団かざぐるま公演<恋歌が聞こえる>を観た(2014.6.2)

2014-06-02 11:25:12 | Weblog

*5月31日(土)一回目の公演を終わって、お客様見送りに立つ、板橋弥生さん。舞台監督で、この日の舞台の中心・るみ役を力演しました。疲れを見せません。この笑顔は満足感でしょう。すぐに二回目の公演が始まります。

 春日部市(埼玉県)には、29年間続いている市民劇団があります。<かざぐるま>です。毎年一回、着実に公演を続けています。ワタシ、ほぼ全公演をみているでしょう。根が芝居好きで、トーキョーでちょこちょこなんてことではありません。芝居は、年一回だけ、かざぐるま公演をみるだけです。

 第35回公演<恋歌(ラブソング)がきこえる>が、5月31日(土)、6月1日(日)がありました。会場は、春日部市中央公民館。ホールいっぱいのお客様でした。
 写真は、5月31日(土)一回目の公演です。

*左に、るみ役の板橋弥生さん、その右、奏介役の桃井俊英さん、その右、ウメ役の井上政恵さん。ここから2時間、出ずっぱりです。


 代表で演出の板橋理人さんは、<芝居は「ウソ」だけど、伝えたいこと、その気持ちはうそをついてはいけないと思う>と言います。お話は、重いテーマですが、よく考えれば、あたりまえのことです。それを重いと思い、涙ボロボロになりそうなのは、どうしてでしょう。今の世に、当たり前のことがなくなっているのでしょう。


 *右はしに、かざぐるま代表で、演出の板橋理人さん。

 【おまけ】
*プログラム(右)に挟み込まれていた、毎日新聞(2004年1月19日付朝刊)の板橋理人さん紹介記事。

*ちょうど一か月ブログを休んでいました。体調を心配して下さる方もいました。大丈夫です。フェイスブック依存症だったのです?また、ちょこちょこ書きます。


春日部小淵の観音院で円空仏祭が8年ぶりに(2014.5.3)

2014-05-04 03:37:07 | Weblog

*春日部市の小渕山観音院で、8年途絶えていたという円空仏祭が始まりました。5月3,4,5日です。ちょっとした縁で知り合った、新しい住職さんへの勝手応援で、初日5月3日、どっぷりと観音院にいました。

*お天気もよく、メディアが報道したこともあって、参拝のお客さんが途切れなく続きます。でも、ごったがえす人ということなく、静かに、いつもは大宮の県立博物館の倉庫にあって、里帰りした円空仏7体に手を合わせることができます。


 2日目(5月4日)は、みゅーこさんがお手伝いしています。最終日(5日)は、ワタシも、終日、観音院で、<修験>のハッピを着ています。

【おまけ】

*創建は鎌倉時代という観音院です。境内のあちこちに石碑・石仏があります。<二十六夜>と彫った石碑。全く意味がわからず・・・・ネットで調べました。

*そして、円空祭と離れて、人知れず手向けてあったお花、この仏?神?に何を祈ったのでしょう。


五月晴れの春日部市立南桜井小学校5年生の田植え体験(2014.5.3)

2014-05-03 05:28:59 | Weblog

*5月2日は、空は抜けるように高い。まさに五月晴れです。近所の水野さんチの田んぼで、南桜井小学校5年生の田植え体験学習がありました。前の日、5月1日には、葛飾中学校2年生は、横川さんチの田んぼで田植えでした。もう15年ぐらい続いています。

*ザリガニを見つけた・・・とか、大はしゃぎの田植えになりました。この子たちが、9月には、稲を刈ります。

*水野知子さんから、田植え・稲刈り・ご飯のお話を聞き、おにぎりをいただきます。


 お手伝いのお母さんたちに、<柿の葉っぱをとってきて・・・>と、そこで、てんぷらにするのは、横川さんです。ワタシもまざって、いただきます。おいしい柿の葉のてんぷらでした。


朝日新聞の山田うどん愛の大記事を読みながら(2014.5.2)

2014-05-02 09:21:06 | Weblog


  この頃、朝日新聞が変だといえば、積極的平和主義の皆さんからは、そうだそうだ、ということになるでしょう。
 4月から、紙面づくりを変えます風な社告があったのですが、夕刊、一面が変です。軽薄短小いや軽薄長大記事が多い、俗にいう夕刊新聞、イエロー・ペーパーと同じ方向です。

 新聞の記事の大きさは、まだまだ価値の大小の印象を与えています。新聞が読まれない、朝夕刊のセットくずれ、の対策でしょうか。新聞、全国紙、朝日のイメージ、信頼を落とします。少なくとも<新聞は公器>を失くします。
 ますます、<新聞が書かない事実>なんて、ネットに言われてしまいます。

 昨日(5月1日)の夕刊一面。<山田うどん>の記事がそうです。夕刊とはいえ朝日新聞の一面トップの大記事の内容ではありません。芸能・娯楽欄の内容です。
 しかも、その内容は、日本経済新聞の4月12日付朝刊埼玉経済面の記事と、ほぼ同じ。この種の記事は、他紙に載った記事は、普通は書かない、でしょう。朝日の記者なら書かないでしょう。
 (他の新聞、ネット上に、この件で何が書かれているのか、知らないのですが)

 山田うどん、って、食堂、お料理としての山田うどん、って、何の特徴もない、ワタシが自炊でつくるうどんと変わらない。一杯240円。朝日の記事によると<ターゲットは、トラック運転手>、うどんをオカズに<丼めし>が、山田うどんスタイルです。

・・・気取る必要はないけど、<外食の時ぐらい少し気取りたい>ものです。・・・・ひとり秘かに行くのが、山田うどんです。あるいは、吉野家の牛丼もそうでしょう。
 それを、<平凡こそ埼玉・山田うどん愛>、の大見出しで書いているのです。

 <うどんをおかずに丼めし>を埼玉県民のソウルフードにされたら、埼玉県民、しかも埼玉郡部居住のワタシは、恥ずかしい。
 それが、埼玉県の実情とはいえ、そっとしてほしい。それを開き直って<山田うどん愛>なんて書かないでほしい。
 川越のさつま芋に加えて、山田うどんが、ダさいたまの象徴になってしまいます。
 ワタシ、さつま芋の形の埼玉県の東の端・根っこの所に住んでいるのです。

 とはいえ、山田うどんはメジャー入りです。めでたし、めでたしです。埼玉県知事の特別表彰も時間の問題でしょう。ああ・・・うどんも和食・世界文化遺産でした。
*ウチの近所、4号バイパスの越谷市と春日部市の境界近くの山田うどん、です。

 これも、景気が悪いせいなんでしょうか。生活の質的向上なんて、叶わない時代でしょうね。実は、ワタシもお世話になっていたりして・・・。もっとも、近くの山田うどんは、国道沿い、トラックでなくても乗用車を出さねばなりません。
 それで、最近は、歩けるコンビニ弁当に移行しつつあります。うどん並みの価格、バラエティ豊富・・・あれほど<親は子どもにコンビニ弁当で済ませたらいけません>でしたが、次は、コンビニ弁当愛キャンペーンでしょうか


ジャズデイかすかべ2014春が終わりました(2014.4.21)

2014-04-21 10:52:55 | Weblog

 2014年4月19日(土)。jazzdayかすかべ2014春。フェイスブック速報もあふれていて、いささか旧聞ですが、このブログでも記録しておきます。
 前日は冷たい雨だったのですが、この日は晴れ。
 いつもの公園、いつもの大勢のお客さまでした。
この写真は、ワタシら、スウィングベアーズのステージ上で、本番直前にワンカット。

12時スタート。①越谷北高校 ②白岡市立菁莪中学 ③埼玉大学 から、春日部市の社会人バンド、スウィングベアーズとドリームスイングキングダムと続きました。

 3時過ぎ、<公園での第1部>が終わって、4時から、<ふれあいキューブでの第2部>です。
ワタシは、その間に、ウチに戻り、楽器を置いて、終了後の飲み会に備えて、電車で会場に向かいます。
 第2部2番目のオールスウィング・ジャズオーケストラ(越谷市)の演奏が始まっていました。


 ③くまパー☆バンド(熊谷市) ④BSFジャズオーケストラ(さいたま市)、社会人バンドは、実力を見せつけます。

*そして、ゲストの<水岡のぶゆきとスーパーグループ>さん、完全オーラス、フィナーレでは、MCの三輪祐子さんも歌い、華やかな感動的なフィーナーレになりました。
スタッフの皆さん、お疲れさまでした。次は、7月26日(土)です。

 


八潮市の観音堂で12年に一度のイベントの持ち方を思う(2014.4.18)

2014-04-18 11:31:14 | Weblog

*八潮市の大経寺で、6年ぶりに、円空仏、2m超の千手観音がお開帳されると聞いて出かけました。一昨日、五月晴れの4月16日です。
*浄土宗大経寺の塀の外に、観音堂があります。
*お堂の中に向って、美しい五色の布テープが張ってあります。参詣者は、この布に手を添えながら、お堂に歩くのですよ、と教えてもらいました。
*ご本尊の観音様です。円空の千手観音立像です。
*五色の布の束は、最後は糸になって、観音様が合わせる手につながっているのです。こうして、ワタシらは、観音様につながることができるのです。2mを超える円空仏、堂々の笑顔を拝観しました。下半身は餅つき臼を二つに割って重ねています。千手観音像です。ワタシが今まで持っていた円空仏のイメージをぶち壊す迫力でした。
*いただいた絵はがきです。
 この円空の観音様は、村の観音堂で地域の人たちに大事にされ、おそらく村人の心のよりどころになっているのでしょう。
 6年に一度、ウマ(午)とネ(子)ドシの春に5日間だけ、開帳されるのです。お姿を見ることができるのです。その日、今年は、12年に一度、午年の「武蔵国三十三観音霊場大開帳」とも重なっていました。


 お堂には、村のおばちゃんたちが寄り合っていました。ワタシら、遠来の巡礼者を、接待、歓待してくれます。笑顔で優しい会話が続きます。
 「この村に嫁に来て、4回目のお開帳です」、「昔、観音様をこんなにはっきり見たことはなかったのですよ」、「観音様がつなげて下さったのですよ」、「この次のお開帳にも、お会いしましょうね」・・・・と。

 久しく忘れていました。ワタシらが子どもの頃に、どこにでもあった田舎の優しさを思いだしました。ここ八潮市は、今住んでいる春日部市より、ずっと、東京に近いのですが。このやすらぎは、なんだろう・・・・観音様のご利益なのか・・・・・。
 そして、12年に一度だけの、おまつり=イベント、を続けていくことは、どういうことなのか、と深く考えました。12年続けるのではない、12年に一回、6年に一回、春に開くおまつりなのです。  何十年何百年と続いてきた、地域の固いつながりと思いが欠かせないでしょう。
 ワタシの知識をはるかに超えた世界です。いい勉強になった一日でした。

【おまけ】
*お堂の外では、この日の準備をしてきた男たちが店を出していました。円空仏の絵はがきは無料、円空仏のエコバックを買ったら、お開帳記念のタオルをおまけしてくれました。
*はなばなしく、派手にPRもされてもいないのでしょう。
*こちらは、大経寺のそばにあった清勝院観音堂(武蔵国観音霊場第21番)です。12年に一度のお開帳です。お寺というより、地域の集会場です。ここにも、五色の布テープが張ってあって、巡礼者は、それにさわりながらお参りします。お堂の中の、本尊の聖観音坐像とつながっているのです。

 


エネルギー基本計画(原発ゼロを転換)発表の新聞報道比較(2014.4.15)

2014-04-15 08:30:53 | Weblog

 久しぶりに新聞ネタです。といって、4,5日前の<旧聞>です。4月11日、政府は、国のエネルギー政策の指針となる新たな「エネルギー基本計画」を閣議決定しました。フクシマ原発事故当時の政権が打ち出した<2030年年代の「原発稼働ゼロ」方針を撤回することを正式に決めたのです。

 こういう発表の時、新聞報道を比較したくなるのは、ワタシの性分です。
 朝日と日経は購読しているので、いつものようにコンビニに走り、読売、産経、それに東京を買います。毎日新聞は、セブンイレブンにおいていません。

 原発に対する姿勢は、新聞社によって異なります。今に始まったことではありません。
 発表翌日(4月12日)付け朝刊で、
 一面で扱ったのは、朝日と東京、大見出し、朝日<政権「原発ゼロ」を転換>、東京<原子力ムラ再稼働>。両紙は、社会面でも大きく扱う。
 一面で扱わなかったのは、読売(3面)と産経(3面)、社会面でも扱っていない。
 日経は、前日の夕刊一面で<「原発ゼロ」転換決定、重要電源と明記>、社会面では扱っていない。

 従来の原発報道の姿勢そのものです。
 朝日;社説<これがメッセージか>、一面<再出発に値しない・・・・「原発ゼロをめざす」方針を出したのは1年半前だ。何年か後、原発事故などなかったように元の政策に戻っているのは許されない>、社会面<福島事故を忘れたのか>。
 東京;社説<原発回帰の危険な道>、2面<原発膨張へ舵>、 3面<政権また民意無視>、社会面<収束まだなのに なぜ原発>

 読売;社説<「原発活用」は現実的戦略だ>、3面<原発比率 示せず、再稼働は推進姿勢>
 産経;社説で書かず。3面<「原発は重要電源」、「本丸堅持 政府一貫」、11面<電力業界安堵も・・・・原発先行きに不安>
日経(12日付朝刊):社説<複眼思考でエネルギー政策を進めよ>、3面<エネルギー、将来像見えず。当面は火力依存>

 今まで、原発に対する姿勢と同じ報道です。
原発報道に限ったことではありません。新聞なんて、どれも同じ、ということはありません。
 こういう時こそ、福島民友、福島民報の記事を読みたいのですが、今、まちの公民館にはおいてありません。
 だから、新聞はいらない、とらない、ネットで充分というのは、全く違います。
新聞を読まなくてはならない、と思っています。わたしゃ、新聞大好き人間です。

 


jazzdayかすかべ2014春、スウィングベアーズは公園会場で(2014.4.13)

2014-04-13 09:12:20 | Weblog


ジャズデイかすかべ2014春の日が近づいてきました。4月19日(土)です。
ワタシら、スウィングベアーズは、昨日(4月11日)土曜の夜、最終練習でした。同じ場所で、午後には、春日部市のホストバンド・ドリーム・スイング・キングダムさんが練習をやっていました。

さて、すでに、例えば、<春日部ファミリー新聞>などで、報道されているプログラムが少し変わっています。少し・・・といっても、わがスウィングベアーズは、大きく変わっています。ホールでの16時~演奏から、公園での14時~演奏に変わっています。
お間違いのないように。

それで、いつもの公園(春日部中央第4公園)とふれあいキューブでのプログラムの最新版を載せておきます。

【メイン会場・公園】
11:50~12:00 開会式(春日部市長・商工会議所会頭がご挨拶)
12:00~12:30 県立越谷北高等学校吹奏楽部
12:40~13:10 白岡市立菁莪中学校吹奏楽部
13:20~13:50 埼玉大学スイングキューブ(ホワイト)
14:00~14:30 スウィングベアーズ (春日部市)
14:40~15:10 ドリームスング キングダム(春日部市)

【ふれあいキューブ会場】
16:00~16:10 開会式(春日部市長・商工会議所会頭がご挨拶)
16:10~16:40 ビヨンドザ シー ビッグバンド(さいたま市)
16:50~17:20 オールスウィングジャズオーケストラ(越谷市)
17:30~18:00 くまパー☆バンド(熊谷市)
18:10~18:40 BSF ジャズオーケストラ(さいたま市)
19:00~20:30 ゲスト(水岡のぶゆきバンド)

*雨天の場合は、公園での演奏は、時間同じのまま、ふれあいキューブ(屋内)に移ります。


円空仏特別拝観の日の春日部・小渕観音院の仁王様(2014.3.17)

2014-03-17 23:49:56 | Weblog


 今日は3月17日。観音様は、どこでも17日は特別な日、お参りの日です。今日、春日部小淵の観音院で、<17日だからお参りにきました>という地域のおばあさんに何人も会いました。

*いつもは、大宮の埼玉県立博物館に寄託されている<円空仏7体>が観音院に里帰り、特別開帳、特別拝観の日が始まりました。3月17日~19日です。ワタシ、住職さんとちょっとした縁で、お手伝い・応援です。

 
 円空仏は、博物館の陳列ケースより、本堂で拝むお顔の微笑みが素晴らしい。190センチの大きさを実感します。
 一日中、観音院にいて、お手伝いというより、参拝の方とのお話など、楽しませていただきました。これも円空仏の功徳でしょうか。
 地域のおばあさんとの昔ばなし、初めてです、という春日部市の人、観光バスでの円空仏めぐりの人たち、添乗員さんの名刺には、<寺旅チーム>スタッフの肩書。自作の円空仏を奉納に来た男性。円空学会の常任理事さんの本業は<彫師>さん。いろんなことを教わりました。赤外線カメラで消えた墨書も見せてもらいました。梵語のようでした。
 埼玉新聞、春日部ファミリー新聞さんの取材。もちろん春日部市役所シティセールス課、教育委員会文化財保護課の皆さんも。
 ここで一句。
  <円空の心思い抱いた仏の軽さかな>

 明日も、暖かい一日でしょう。

 【おまけ】
*今、山門は修復工事中です。ブルーシートにおおわれています。この円空仏特別拝観の3日間は、山門の中の仁王様を見ることができるようになっています。まもなく仁王様を移動し、本格的山門修理に入ります。痛々しい仁王様を見るのは、これが最後かも知れません。


円空仏が春日部・小渕の観音院で3月17日~19日に特別拝観(2014.3.14)

2014-03-14 12:11:35 | Weblog


(ネット上にあった写真を無断転載です)

  春日部市小渕の観音院は、円空仏を7体持っていて、全国的に円空仏好きには評判のお寺です。今は、大宮の県立博物館に寄託しており、いつもはお寺の堂内で円空仏を拝観することはできません。
 来週(3月17日~18日)に、観音院の本堂で拝観できる<特別開帳>があります。お知らせを住職さんからいただきました。
 朝9時から4時まで。博物館のガラスケース越しではなく、手近に円空仏を観ることができるでしょう。

*7体の円空仏の中で、最も知られているのは、高さの194センチの<聖観音菩薩立像>です。博物館での展示会では、いつもポスターに使われています。また、蔵王権現立像は、全国で観音院だけで確認されています。その他、不動明王立像、伝毘沙門天立像、など計7体です。

*観音院は、正しくは、小淵山 正賢寺 観音院。開基、鎌倉時代中頃の正嘉2年(1858)8月の古刹。本山派修験、京都聖護院の末院。
 春日部市唯一の仁王門は、元禄2(1689)年の建立。東日本隊震災の影響もあって、痛みがひどく現在改修中です。

 境内、堂内に文化財など興味深い見どころも多く。時代と文化を感じることができる観音院です。


 もちろん、家内安全・商売繁盛・学業成就・闘病平癒のご利益も期待できます。
 <廻り来て願をおく観音院 萬の罪消え行くらん>

  【おまけ】

*ワタシらが毎月行っている市民サロン<ウィークエンドブランチ>の4月は、4月6日(日)10時~12時です。会場は、春日部市民活動センター(ふれあいキューブ4階)・ララガーデン隣。
*話題・ゲストは、小淵の観音院の新しい住職の尾花冬樹さんです。コーヒー片手に、住職さんと話す気楽なサロンです。事前申し込みは不要です。
*そんな縁もあって、小淵の観音院での円空仏拝観の3日間には、お手伝い、応援に行くつもりなのです。

 


春日部 ストリートライブ、原発ノー・・他、明日3月8日はイベントいろいろ(2014.3.7)

2014-03-07 18:00:54 | Weblog


 今日3月7日晴れ。午前中に、春日部市市民活動センターに。いくつか新しいポスターがあって、その中の、3月8日(土)の<原発ノー・・・・・のつどい>のポスターが目をひきました。
 フェイスブックで、<越谷の人たちの集まり>が、たくさん出ていて、<越谷は、東京に近い・・・・>から!と思っていたのです。

 明日3月8日(土)は、春日部中心部では、イベントいろいろあります。春日部駅東口では、春日部ストリート・ライブ、です。11時~3時にかけて、6グループが出演です。
*いつの写真だったか、忘れました。
 ストリート・ライブ、原発ノーのつどい、他にも、いろいろ・・・・・春日部も都心のようなにぎわいです。

*この時期は、お天気次第です。ワタシは、とりあえず?!市民サロン・ウィークエンドブランチをこなして、2時頃のストリート・ライブのサンバ・フォーさんのステージに行って・・・・・。夜は、ワタシらのバンドの練習。本番が近いのです。
 ああ・・・、イオン春日部のオープン一周年の<大安売り?>もあります・・・・。

 

 


春日部 庄和・江戸川脇で、森=自然林を作っている人たちと(2014.3.5)

2014-03-05 14:35:32 | Weblog

*旧庄和町・江戸川べりに、森、しかも自然林をつくろうという人たちがいます。8年前に苗を植えて見守っているのです。成長を観察記録しています。測定には一週間かかります。
 その中で、3日ほど手伝いに行きました。森の中に藪つばきが咲いていました。

*首都圏外郭放水路は、低地・春日部より北側に降った雨を、南方向<従来の川>に流すのでなく、国道16号あたりで、受け止めて、東の江戸川に流す地下水路です。江戸川の出口に庄和排水機場があります。この写真は、2月の雪の日です。この下が、大雨のおり水をためる貯水槽です。
 いつもは、水は溜まっていません。地下神殿空間状態です。地表面は、写真のように、だだ広い芝生広場です。サッカーの練習などに使われています。写真の手前が、排水機設備建屋(龍Q館)です。3方向のふち、左、正面(向こう側)、右の側面を、東法面(のりめん)、南法面、西法面 といい、ここに木を植えて森にしようというのです。

*西法面の木の状態です。この中の、木を一本一本測定します。根元径、胸元あたりの径、木の高さを測定します。

*ぎっちり植込んでいますから、まるでジャングル、です。小枝が顔にあたり、ゴーグルをはずせません。

*高さ6mになる木もあります。測定竿で、正確に測ります。こうして、樹の成長を記録していくのです。

*平成18年(2006年)に、市民(町民?)の手で植樹されました。2,700人によって2万7,000本が植えられたそうです。
   ・・・ワタシは、この町に住みながら、このことを知らなかったのです。8年前です。リタイアして、自由をえて、地球上放浪していた時期だったのか、家出(町出)していた時期だったのか。

 ワタシが、このことを知ったのは、ほんの3,4年前です。中国沙漠緑化に貢献された、この町住んで昨年4月に亡くなられた、新島靖雄さんを知ってからです。中国に同行して、沙漠に植樹を手伝って(といっても、まねごとですが)、新島さんの地球環境に対する熱意にふれてからです。

 森、自然林をつくるのが目的です。里山ではありません。市民の里山再生活動をよく聞きますが、違います。里山は、燃料や農業のための森です。木材を生産するための森、植林でもありません。
 環境保全のための自然林をめざしています。横浜国立大学の宮脇 昭先生の指導のもとで、宮脇理論を実践しています。
 むろん、植えた木は、この地域の潜在自然植生の調査に基づいています。
 そして、樹の成長状態を調査しているのです。調査対象の木は、アカガシ、アラカシ、エノキ、カクレミノ、ケヤキ、シラカシ、シロダモ、スタジィ、タブノキ、ネズミモチ、ヒイラギ、モチノキ、ヤブツバキ、ヤブニッケイです。各50本程度を測定するのです。
*ときどき指導にお出でになる、村上雄秀先生(地球環境戦略機関 国際生態学センター);右
*宮脇先生の数多い著作の中から。

 【おまけ】

 春日部には、宮脇先生の理論に基づいて森づくりをやっている所が、もうひとつあります。イオンです。イオンは、各地でショッピングセンターを開くときに、<ふるさとの森づくり>を行っています。イオン春日部は、ちょうど一年前の2013年3月にオープンしましたが、その半年前の2012年11月25日に、1,500人が集まり、1万5000本の木を植えました。全体では、3万4000本が植えられたそうです。写真(左)は、その日、挨拶される石川春日部市長です。


春日部の観音院、円空と芭蕉の小渕山観音院で気持ちのいい一日(2014.3.1)

2014-03-01 17:25:38 | Weblog


小渕の観音院は、円空仏の宝庫です。といっても7体あるだけですが、いや、7体もあるのです。日本でただひとつの蔵王権現像があります。180,190センチといった観音様があります。彫りあげるには何日も逗留が必要でしょう。
昨日(2月28日)、春のように暖かい日に“おまいり”に行きました。正確には、新しい住職さんと話にいったのです。


 山門、楼門、仁王門は、1689年(元禄2年)の建立です。325年前です。さすがに痛みが激しく、仁王さんも痛々しい・・・ですが、それが、余計に仁王様の恐ろしい形相になります。3年前の東北大地震の影響をうけました。そして、この2月から修復工事が始まったのです。

*住職さんと話しながら、本堂を案内してもらいます。開基は、鎌倉時代中期(1258年=正嘉2年)です。本尊の観世音菩薩は、古利根川大洪水で小渕に流れ着いたといいます。
 60年毎の本尊衣替え行事、8月10日の<四万六千日>の賑わいのお話を聞きます。

*彫り物や絵馬をみて、ゆっくりまわります。奉納された絵は、ほとんど消えています。栗原伝三郎の和算額も全く読めません。
 本堂天井の、<格天井(ごうてんじょう)>の花の絵も、奉納した粕壁宿の商人の名前も、消えかかっています。一度、しんけんに見て、記録しなければいけないなあ、と思ったりします。

*びんずる様です。痛い所、不調の所を撫でるといいのです。同行の知人は、思い思いに撫でていました。こぶとり観音といわれてきたようです。

 小渕の観音院は、芭蕉の<奥の細道>の旅の第一日目に泊まったところと伝わっている所でもありです。
 もっとも、芭蕉は、奥の細道には<早加>、草加と書いているのですが、随行の曽良が、<カスカベ>と書いています。江戸(千住)を発って、草加なのか、春日部までか?翌日は、間々田(小山市)で泊まっていているから、草加からなら遠すぎます。・・・で、春日部が正しい、でしょう、世間も本当は春日部泊まりとしています。
 では、春日部=粕壁のどこか。粕壁宿の入り口の東陽寺(禅宗寺院)か、粕壁宿を出てすぐの小渕村の観音院(修験寺院)なのか。

ワタシは、観音院に一票です。
・・・・芭蕉は、<その日やうやう早加にたどり着きたり>・・・荷物が重かったと書いています。やっとたどり着いたのでしょう。なぜ、草加と間違って書いたのでしょう。粕壁宿を過ぎて、小渕村は<名もなき村>だったのではないか・・と。
 別のこと、・・・禅寺、修験寺院のどちらに泊まったでしょう。
 芭蕉一門、蕉門下生のゆかりの所に泊まった、というのが、<いいね>なのです。

*観音院には、芭蕉の句碑があります。かろうじて<ものいえば 唇さむし 秋の風>と読めます。葛飾蕉門下の不干(ふかん;江戸時代後期の人)が、建てたようです。不干は、隣村の内牧村(現春日部市)の、修験・南蔵院の住職さんです。

 奥の細道、芭蕉が旅立ったのは、元禄2年3月27日(旧暦)です。新暦では1689年5月16日です。
 観音院の山門が建立されたのも、同じ年、元禄2年です。
 その頃、この地域に、観音院に、修験者・円空が逗留していました。

 芭蕉と円空は、この地、観音院で、遭遇していたのではないか、という話があるのです。
 古くからの言い伝えではありません。

 森 敦著<われもまた おくのほそ道>(昭和63年8月1日 日本放送出版協会発行で、ワタシ自身が見つけたのです。
 NHKテレビ番組「森敦 おくのほそ道行」の取材記です。番組には、<春日部で円空と芭蕉の遭遇>の話はなかったのでしょう。
 奥の細道の取材は、昭和58年春。森敦さん71歳です。


 もちろん、証拠もありません。同じ頃に同じエリアにいたというだけのことです。ちょっと<いいね>のお話です。仮に、芭蕉が、観音院に泊まってないくても、日光街道筋にある観音院には、間違いなく立ち寄ったでしょう。
 円空と合ったかも知れません。
・・・・・・と、このあたりまでは、以前に、ブログに書いています。
 ここです → http://blog.goo.ne.jp/geibunkyou/d/20130404

 驚いたのは、これから・・・・です。
 一緒にいった、知人が、<森敦さんの句碑があるよ>・・・・と叫んだのです。
 まさに<・・・うそ~っ!!・・・>でした。
 句は、読めません。最後は確かに<敦>でした。
 そして、裏側に、NHKの取材記でのことが書いてありました。住職・尾花重郎さんが建立されたようです。

*森敦の句碑。次に出かけるときに、しっかり読んできます。

 【おまけ】
*お相手していただいた住職さんが、円空特集の雑誌<美術手帳>を見せてくれながら、そこに執筆されている、みうらじゅんさんに、春日部に来てもらって、円空仏のお話をしてもらったら、どうでしょうね・・・と。
*その日は、ワタシらがやってる市民サロン<ウィークエンドブランチ>の4月6日のゲストに、観音院の新住職さんをお願いにいって、承諾をもらっていたのです。・・・・・年末の<ウィークエンドブランチ>には、そうできると、いいなということになりました。突然、企画会議になったのです。むろん観音院の円空仏7体にもお出まし願って・・・ですね。
*<マイ・ブーム>の みうらじゅんさんは、ワタシにとっては、仏像オタクさんというより、ボブ・ディランおたくさんです。ボブ・ディランの話がしたいなあ・・・と、小声で発言しました。