円空仏特別拝観の日の春日部・小渕観音院の仁王様(2014.3.17)

2014-03-17 23:49:56 | Weblog


 今日は3月17日。観音様は、どこでも17日は特別な日、お参りの日です。今日、春日部小淵の観音院で、<17日だからお参りにきました>という地域のおばあさんに何人も会いました。

*いつもは、大宮の埼玉県立博物館に寄託されている<円空仏7体>が観音院に里帰り、特別開帳、特別拝観の日が始まりました。3月17日~19日です。ワタシ、住職さんとちょっとした縁で、お手伝い・応援です。

 
 円空仏は、博物館の陳列ケースより、本堂で拝むお顔の微笑みが素晴らしい。190センチの大きさを実感します。
 一日中、観音院にいて、お手伝いというより、参拝の方とのお話など、楽しませていただきました。これも円空仏の功徳でしょうか。
 地域のおばあさんとの昔ばなし、初めてです、という春日部市の人、観光バスでの円空仏めぐりの人たち、添乗員さんの名刺には、<寺旅チーム>スタッフの肩書。自作の円空仏を奉納に来た男性。円空学会の常任理事さんの本業は<彫師>さん。いろんなことを教わりました。赤外線カメラで消えた墨書も見せてもらいました。梵語のようでした。
 埼玉新聞、春日部ファミリー新聞さんの取材。もちろん春日部市役所シティセールス課、教育委員会文化財保護課の皆さんも。
 ここで一句。
  <円空の心思い抱いた仏の軽さかな>

 明日も、暖かい一日でしょう。

 【おまけ】
*今、山門は修復工事中です。ブルーシートにおおわれています。この円空仏特別拝観の3日間は、山門の中の仁王様を見ることができるようになっています。まもなく仁王様を移動し、本格的山門修理に入ります。痛々しい仁王様を見るのは、これが最後かも知れません。


円空仏が春日部・小渕の観音院で3月17日~19日に特別拝観(2014.3.14)

2014-03-14 12:11:35 | Weblog


(ネット上にあった写真を無断転載です)

  春日部市小渕の観音院は、円空仏を7体持っていて、全国的に円空仏好きには評判のお寺です。今は、大宮の県立博物館に寄託しており、いつもはお寺の堂内で円空仏を拝観することはできません。
 来週(3月17日~18日)に、観音院の本堂で拝観できる<特別開帳>があります。お知らせを住職さんからいただきました。
 朝9時から4時まで。博物館のガラスケース越しではなく、手近に円空仏を観ることができるでしょう。

*7体の円空仏の中で、最も知られているのは、高さの194センチの<聖観音菩薩立像>です。博物館での展示会では、いつもポスターに使われています。また、蔵王権現立像は、全国で観音院だけで確認されています。その他、不動明王立像、伝毘沙門天立像、など計7体です。

*観音院は、正しくは、小淵山 正賢寺 観音院。開基、鎌倉時代中頃の正嘉2年(1858)8月の古刹。本山派修験、京都聖護院の末院。
 春日部市唯一の仁王門は、元禄2(1689)年の建立。東日本隊震災の影響もあって、痛みがひどく現在改修中です。

 境内、堂内に文化財など興味深い見どころも多く。時代と文化を感じることができる観音院です。


 もちろん、家内安全・商売繁盛・学業成就・闘病平癒のご利益も期待できます。
 <廻り来て願をおく観音院 萬の罪消え行くらん>

  【おまけ】

*ワタシらが毎月行っている市民サロン<ウィークエンドブランチ>の4月は、4月6日(日)10時~12時です。会場は、春日部市民活動センター(ふれあいキューブ4階)・ララガーデン隣。
*話題・ゲストは、小淵の観音院の新しい住職の尾花冬樹さんです。コーヒー片手に、住職さんと話す気楽なサロンです。事前申し込みは不要です。
*そんな縁もあって、小淵の観音院での円空仏拝観の3日間には、お手伝い、応援に行くつもりなのです。

 


春日部 ストリートライブ、原発ノー・・他、明日3月8日はイベントいろいろ(2014.3.7)

2014-03-07 18:00:54 | Weblog


 今日3月7日晴れ。午前中に、春日部市市民活動センターに。いくつか新しいポスターがあって、その中の、3月8日(土)の<原発ノー・・・・・のつどい>のポスターが目をひきました。
 フェイスブックで、<越谷の人たちの集まり>が、たくさん出ていて、<越谷は、東京に近い・・・・>から!と思っていたのです。

 明日3月8日(土)は、春日部中心部では、イベントいろいろあります。春日部駅東口では、春日部ストリート・ライブ、です。11時~3時にかけて、6グループが出演です。
*いつの写真だったか、忘れました。
 ストリート・ライブ、原発ノーのつどい、他にも、いろいろ・・・・・春日部も都心のようなにぎわいです。

*この時期は、お天気次第です。ワタシは、とりあえず?!市民サロン・ウィークエンドブランチをこなして、2時頃のストリート・ライブのサンバ・フォーさんのステージに行って・・・・・。夜は、ワタシらのバンドの練習。本番が近いのです。
 ああ・・・、イオン春日部のオープン一周年の<大安売り?>もあります・・・・。

 

 


春日部 庄和・江戸川脇で、森=自然林を作っている人たちと(2014.3.5)

2014-03-05 14:35:32 | Weblog

*旧庄和町・江戸川べりに、森、しかも自然林をつくろうという人たちがいます。8年前に苗を植えて見守っているのです。成長を観察記録しています。測定には一週間かかります。
 その中で、3日ほど手伝いに行きました。森の中に藪つばきが咲いていました。

*首都圏外郭放水路は、低地・春日部より北側に降った雨を、南方向<従来の川>に流すのでなく、国道16号あたりで、受け止めて、東の江戸川に流す地下水路です。江戸川の出口に庄和排水機場があります。この写真は、2月の雪の日です。この下が、大雨のおり水をためる貯水槽です。
 いつもは、水は溜まっていません。地下神殿空間状態です。地表面は、写真のように、だだ広い芝生広場です。サッカーの練習などに使われています。写真の手前が、排水機設備建屋(龍Q館)です。3方向のふち、左、正面(向こう側)、右の側面を、東法面(のりめん)、南法面、西法面 といい、ここに木を植えて森にしようというのです。

*西法面の木の状態です。この中の、木を一本一本測定します。根元径、胸元あたりの径、木の高さを測定します。

*ぎっちり植込んでいますから、まるでジャングル、です。小枝が顔にあたり、ゴーグルをはずせません。

*高さ6mになる木もあります。測定竿で、正確に測ります。こうして、樹の成長を記録していくのです。

*平成18年(2006年)に、市民(町民?)の手で植樹されました。2,700人によって2万7,000本が植えられたそうです。
   ・・・ワタシは、この町に住みながら、このことを知らなかったのです。8年前です。リタイアして、自由をえて、地球上放浪していた時期だったのか、家出(町出)していた時期だったのか。

 ワタシが、このことを知ったのは、ほんの3,4年前です。中国沙漠緑化に貢献された、この町住んで昨年4月に亡くなられた、新島靖雄さんを知ってからです。中国に同行して、沙漠に植樹を手伝って(といっても、まねごとですが)、新島さんの地球環境に対する熱意にふれてからです。

 森、自然林をつくるのが目的です。里山ではありません。市民の里山再生活動をよく聞きますが、違います。里山は、燃料や農業のための森です。木材を生産するための森、植林でもありません。
 環境保全のための自然林をめざしています。横浜国立大学の宮脇 昭先生の指導のもとで、宮脇理論を実践しています。
 むろん、植えた木は、この地域の潜在自然植生の調査に基づいています。
 そして、樹の成長状態を調査しているのです。調査対象の木は、アカガシ、アラカシ、エノキ、カクレミノ、ケヤキ、シラカシ、シロダモ、スタジィ、タブノキ、ネズミモチ、ヒイラギ、モチノキ、ヤブツバキ、ヤブニッケイです。各50本程度を測定するのです。
*ときどき指導にお出でになる、村上雄秀先生(地球環境戦略機関 国際生態学センター);右
*宮脇先生の数多い著作の中から。

 【おまけ】

 春日部には、宮脇先生の理論に基づいて森づくりをやっている所が、もうひとつあります。イオンです。イオンは、各地でショッピングセンターを開くときに、<ふるさとの森づくり>を行っています。イオン春日部は、ちょうど一年前の2013年3月にオープンしましたが、その半年前の2012年11月25日に、1,500人が集まり、1万5000本の木を植えました。全体では、3万4000本が植えられたそうです。写真(左)は、その日、挨拶される石川春日部市長です。


春日部の観音院、円空と芭蕉の小渕山観音院で気持ちのいい一日(2014.3.1)

2014-03-01 17:25:38 | Weblog


小渕の観音院は、円空仏の宝庫です。といっても7体あるだけですが、いや、7体もあるのです。日本でただひとつの蔵王権現像があります。180,190センチといった観音様があります。彫りあげるには何日も逗留が必要でしょう。
昨日(2月28日)、春のように暖かい日に“おまいり”に行きました。正確には、新しい住職さんと話にいったのです。


 山門、楼門、仁王門は、1689年(元禄2年)の建立です。325年前です。さすがに痛みが激しく、仁王さんも痛々しい・・・ですが、それが、余計に仁王様の恐ろしい形相になります。3年前の東北大地震の影響をうけました。そして、この2月から修復工事が始まったのです。

*住職さんと話しながら、本堂を案内してもらいます。開基は、鎌倉時代中期(1258年=正嘉2年)です。本尊の観世音菩薩は、古利根川大洪水で小渕に流れ着いたといいます。
 60年毎の本尊衣替え行事、8月10日の<四万六千日>の賑わいのお話を聞きます。

*彫り物や絵馬をみて、ゆっくりまわります。奉納された絵は、ほとんど消えています。栗原伝三郎の和算額も全く読めません。
 本堂天井の、<格天井(ごうてんじょう)>の花の絵も、奉納した粕壁宿の商人の名前も、消えかかっています。一度、しんけんに見て、記録しなければいけないなあ、と思ったりします。

*びんずる様です。痛い所、不調の所を撫でるといいのです。同行の知人は、思い思いに撫でていました。こぶとり観音といわれてきたようです。

 小渕の観音院は、芭蕉の<奥の細道>の旅の第一日目に泊まったところと伝わっている所でもありです。
 もっとも、芭蕉は、奥の細道には<早加>、草加と書いているのですが、随行の曽良が、<カスカベ>と書いています。江戸(千住)を発って、草加なのか、春日部までか?翌日は、間々田(小山市)で泊まっていているから、草加からなら遠すぎます。・・・で、春日部が正しい、でしょう、世間も本当は春日部泊まりとしています。
 では、春日部=粕壁のどこか。粕壁宿の入り口の東陽寺(禅宗寺院)か、粕壁宿を出てすぐの小渕村の観音院(修験寺院)なのか。

ワタシは、観音院に一票です。
・・・・芭蕉は、<その日やうやう早加にたどり着きたり>・・・荷物が重かったと書いています。やっとたどり着いたのでしょう。なぜ、草加と間違って書いたのでしょう。粕壁宿を過ぎて、小渕村は<名もなき村>だったのではないか・・と。
 別のこと、・・・禅寺、修験寺院のどちらに泊まったでしょう。
 芭蕉一門、蕉門下生のゆかりの所に泊まった、というのが、<いいね>なのです。

*観音院には、芭蕉の句碑があります。かろうじて<ものいえば 唇さむし 秋の風>と読めます。葛飾蕉門下の不干(ふかん;江戸時代後期の人)が、建てたようです。不干は、隣村の内牧村(現春日部市)の、修験・南蔵院の住職さんです。

 奥の細道、芭蕉が旅立ったのは、元禄2年3月27日(旧暦)です。新暦では1689年5月16日です。
 観音院の山門が建立されたのも、同じ年、元禄2年です。
 その頃、この地域に、観音院に、修験者・円空が逗留していました。

 芭蕉と円空は、この地、観音院で、遭遇していたのではないか、という話があるのです。
 古くからの言い伝えではありません。

 森 敦著<われもまた おくのほそ道>(昭和63年8月1日 日本放送出版協会発行で、ワタシ自身が見つけたのです。
 NHKテレビ番組「森敦 おくのほそ道行」の取材記です。番組には、<春日部で円空と芭蕉の遭遇>の話はなかったのでしょう。
 奥の細道の取材は、昭和58年春。森敦さん71歳です。


 もちろん、証拠もありません。同じ頃に同じエリアにいたというだけのことです。ちょっと<いいね>のお話です。仮に、芭蕉が、観音院に泊まってないくても、日光街道筋にある観音院には、間違いなく立ち寄ったでしょう。
 円空と合ったかも知れません。
・・・・・・と、このあたりまでは、以前に、ブログに書いています。
 ここです → http://blog.goo.ne.jp/geibunkyou/d/20130404

 驚いたのは、これから・・・・です。
 一緒にいった、知人が、<森敦さんの句碑があるよ>・・・・と叫んだのです。
 まさに<・・・うそ~っ!!・・・>でした。
 句は、読めません。最後は確かに<敦>でした。
 そして、裏側に、NHKの取材記でのことが書いてありました。住職・尾花重郎さんが建立されたようです。

*森敦の句碑。次に出かけるときに、しっかり読んできます。

 【おまけ】
*お相手していただいた住職さんが、円空特集の雑誌<美術手帳>を見せてくれながら、そこに執筆されている、みうらじゅんさんに、春日部に来てもらって、円空仏のお話をしてもらったら、どうでしょうね・・・と。
*その日は、ワタシらがやってる市民サロン<ウィークエンドブランチ>の4月6日のゲストに、観音院の新住職さんをお願いにいって、承諾をもらっていたのです。・・・・・年末の<ウィークエンドブランチ>には、そうできると、いいなということになりました。突然、企画会議になったのです。むろん観音院の円空仏7体にもお出まし願って・・・ですね。
*<マイ・ブーム>の みうらじゅんさんは、ワタシにとっては、仏像オタクさんというより、ボブ・ディランおたくさんです。ボブ・ディランの話がしたいなあ・・・と、小声で発言しました。