春日部の花工場、旧町営温室で窓の開け閉めという仕事(2010.6.29)

2010-06-29 16:33:42 | Weblog

 毎日、暇そうにしているから、知人からちょっと変わった役回りがやってきました。
 春日部市の庄和地区には、旧庄和総合公園と庄和体育館のまわりに、わが町の自慢、ちょっといい大きな緑地があります。
 私の散歩コースです。
 今の時期、6月も終わりになると、深く暗い緑におおわれています。なかなかいいエリアなのです。

*いつ頃からか、花工場になっているのです。

 今朝は雨上がりで、暗い陰鬱さが漂っていて、人の気配もありません。
 ここにある旧町営温室に、風をいれる、窓を開けて風をいれるという仕事です。
 エコロジストを自認する私にふさわしい仕事です。

*本格的な機能をもつ温室です。

*四季の鉢植えの花が作られています。今は朝顔の鉢も並んでいます。

*窓を開け放ち、風をいれ、私はしばらく木の下、緑陰で本を読んでいきます。朝夕、続けます。


春日部市立図書館で高校生の社会科の教科書を借りて勉強します(2010.6.28)

2010-06-28 18:46:19 | Weblog

*歴史の教科書の山川出版社の発行です。

 一昨日(6月26日)に、図書館近くで集まりがあって、ネパール・ランチを食べておこうと早く行きながら、それには時間不足で、仕方なく市立図書館に行きました。
 図書館では、いつものように窓際の新着書棚をざっと見るだけです。そして読もうが読むまいが、10冊限度で引き抜いて借りていきます。(この頃、新着書数が少ないように思います。予算削減でしょうか)

 借りたのは5冊、その中に、高校の社会・政治経済の教科書がありました。売っていることは知っていましたが図書館で見たのは初めてです。迷わずゲットです。
 むろん教科書そのものではなく、教科書をベースに現役社会人向きに書かれたものです。だから定価も1500円です。

 なかなかいいのです。座右に買っておこうと思っているほどです。
 この頃、よせばいいのに、“社会が悪くなったなあ”と、飲み屋でしゃべることがあるのですが、現役を離れてしまうと、私の頭が、古いデータや古い政策でしゃべっていることがあるのです。そんな政策はとっくに変わっているよ、と言われるのに不安を覚えるのです。

 この頃、制度政策の変化が早く、単行本の内容はすぐに古くなります。ネット・データは日付が書いていないから危険です。新聞は一貫性がないと感ずることもあります。教科書、今年の教科書は、その点問題なしです。偏向もないでしょう。

 今の経済問題がよくわからないのです。財政、金融、さっぱりわかりません。世界一だの、ナンバーワンなどと言われていた日本が、国際***力は世界20何位なんて、どうしてなんだろう。何が悪かったの?ワタシャ、懸命に働いてきました。やっぱり、政治、政策が間違ったのじゃあないの?

 世界一の国債、借金は、いいの?悪いの?さっぱりわかりません。日本の借金は、全然問題なしとしていた新聞の論調が、この頃、少し変わってきました。10日ほど前の朝日新聞に、学者間でも意見は真っ二つにわかれています、と書いていました。 だから、今の高校生と同じ教科書を使って勉強やり直そうと思っているのです。

   【おまけ】

*教科書p147;区分けはたったこれだけです。今の最高税率40%です。

* 教科書の中から、ひとつだけ引用します。所得税率です。30年以上のサラリーマンをやりながら、勝手にひかれる税金のことを考えたことがありません。とにかく、勝手に、いやおうなくひかれていたのです。商売やってたら常に税金がかからない方策を考えていたでしょう。税率区分なんて考えたこともありません。今、こうして表をみるとき、もっとも元気だった頃の収入、今のささやかな年金収入を思います。

* この税率は、今年2010年3月の税率です。昔はどうだったかなあ、と思います。今、選挙中ですから、あまり書かない方がいいでしょうが、昔は最高税率が75%もあった時代があったのです。たくさん稼いでいる人は、たくさん税金を払っていたのです。気持ちに余裕があったのです。そういう優しい社会だったのです。今は、40%です。収入と税率のカーブをフラット(最高税率の引き下げ、規制の簡素化)にしたのです。

*横軸は西暦年数で、左端が1970年、ピッチは5年で。右端が2009年。縦軸が最高税率です。左上;日本が75.0%。右端上側が、2009年の日本が40%。日本とアメリカの最高税率の変化のグラフです。同じような軌跡をたどっています。ガクンと下げたのは1985年あたりと1998年です。(NHK教育テレビテキスト)

*最高税率がガクンと下げたのは、米国・レーガン=日本・中**政権、そして、ブッシュ=小*政権時代です。”、“自己責任”、“自助努力”、、“受益者負担”がスローガンです。“努力したものが報われる社会”をめざしたのです。それで、どうなったんでしたかね。


新聞は自由へのルーツ、小国ネパールの新聞にインドのいじめという報道(2010.6.27)

2010-06-27 10:48:04 | Weblog

*朝日新聞、2010年6月24日付け

 4,5日前(6月24日)の朝日新聞の外報面に、見逃せない記事がありました。“ネパールの新聞用紙、インドで足止め、当局の嫌がらせ?”という見出しです。

 ネパールは、ヒマラヤの小国です。新聞、ネパール語紙、英字紙があります。新聞用紙は、インドに陸揚げされ、トラックで陸路ネパールに運ばれます。“意に沿わぬ記事を載せる新聞の用紙を港で止めているというのです。見え透いた嫌がらせです。久しぶりに聞いた前時代的なニュースです。

 いつの時代にも、新聞・報道への圧力はあるでしょう。それにもめげず、が報道の自由を守ってきたのです。報道の自由は民主主義の生命線だと、信じています、と大時代的に書いておきます。

 Asahi.com(2010.6.24;0:28)から・・・(朝日新聞記事と同じです)
 ネパールの新聞用紙、インドで足止め 当局の嫌がらせ?
 【ニューデリー=武石英史郎】 ネパールの英字紙カトマンズ・ポストなど主要2紙は23日付朝刊で、カナダと韓国から輸入した新聞用紙千トンが、陸揚げ先のインドの港で約1カ月間、足止めされ、新聞発行が危うくなる恐れがあると報じた。

  内陸国のネパールは、輸入品の大半がインドを経由している。同紙によると、足止めされているのは5月27日~今月12日にインド東部コルカタ港に陸揚げされたコンテナ39個分。インド国税当局からは「検査が必要だ」という以外に具体的な説明がないという。  両紙はインド国内でネパール系住民が襲撃を受けた事件など、インドに批判的な独自記事をたびたび掲載しており、ネパールの報道関係者の間には「インド当局の嫌がらせではないか」との見方がある。

  在カトマンズのインド大使館は「積み荷の検査は通常業務であり、両紙の報道は誤解を招く。問題を早急に解決するため措置をとった」とする声明を出した。  インドに本部を置くNGOアジア人権センターは「隣国の新聞に批判されたからといって、世界最大の民主主義国が寛容になれないとは、非常に残念だ」とする公開書簡をインドのシン首相に送った。

*続報はありません。ネットでもわかりません。

   【おまけ】

*ティハールというお祭での子どもたち(ナムチェーバザールで、10年も前の旅のおりの写真)

  ヒマラヤになんとはなしに憧憬を持って生きてきて、仕事をやめ、自由を取り戻した時すぐに、ヒマラヤを見ながら1ヶ月ほど歩きました。そしてこの頃は、冥土の旅、須弥山、仏教伝来の道の終着駅としてのネパールを思ったりしています。
 それだけのことですが、この国、ネパールの、変わらぬ風景でなく、変わっていく政情・体制に目を離せないのです。
  何度か、このブログでもネパールのニュースをフォローしてきました。

 乱暴な言い方をすれば、王様が支配する国が、市民・民衆が自分たちの合議で国を治めていく、王制から共和制に変わっていく、そういう時代の流れ、方向があります。ヨーロッパ諸国がそうです。外国の影響あるいは侵略を受けながら変わっていきます。激しい戦争、流血の結果とも、いえます。日本もそうでした。 19世紀、20世紀に欧米列国の侵略のなかったネパールが今、体制の変更がなされつつあります。
 国の変化が、歴史でなく、リアルタイムに見えているのです。書きだせば、一冊の本になるでしょう。

 240年続いた王制、王政が倒されました。マオイストという武装勢力の台頭です。マオイストは、ネパール共産党統一毛沢東主義派と名乗っています。一昨年2008年5月29日のことです。そして毛派が首相になり、やめ、反毛派が首相になり、そしてこの間、2010年5月30日にやめたのです。
 日本はPKO(国連平和維持活動部隊)として、2007年3月から自衛官を、ネパールに派遣しています。何度か延長されて、現在では2010年7月末までになっています。

 ネパールはヒマラヤに囲まれた山国ではありません。南は開いています。インド洋から広がる平地高地が急に高度をあげる山脈の手前の国です。南はインド高原、インドに開けている国です。常にインドの影響を受けてきました。ネパールをある意味で武装統一したマオイストは、南下し、インド北部の村々に影響を及ぼし始めているようです。ときどき日本の新聞にも報じられます。
 インドのネパール系住民が、インドで襲撃を受けたというのは、インド政府とネパール・マオイストの対立が背景にあるのでしょう。
 ネパールは、インドと中国の二大国の狭間の国なのです。

   【おまけのおまけ】

*体制の変化の折には、報道への圧力があることは歴史で知っています。王制が倒れるという大きな変化のネパールでもおなじ事でした。インターネットの閉鎖、Web、メールへの監視も行われました。在カトマンズの日本人が運営するホームページでは、何度も注意を呼びかけていました。 つかまるから、気をつけて下さい、と。そして、彼も閉鎖しました。


サッカー日本が勝ったから春日部でカルビーのポテトチップスを買った(2010.6.25)

2010-06-25 19:52:26 | Weblog

*近所のスーパー・ヤオコーです(6月25日)。

 今日は、このブログも予定を変更して、ワールド・カップ、日本、決勝トーナメント進出、おめでとう号にします。

 私、日々、朝5時ごろ目が醒めます、起きます。今朝、サッカーを見るために起きたのではありません。が、試合の終わりのところの少しを見ました。そして、えんえんと見ました。勝った試合は見続けても、悪い気分はしません。

 一番、印象的だったのは、ゴールが決まった瞬間の岡田監督のガッツ・ポーズです。ワタシャ、岡田監督を信じていました。勝ったら、なんとでも言えます。後だしジャンケンです。日本人監督で勝ったことが、決勝トーナメント、ほんとに良かった。

 昼過ぎ、近所のスパーマーケット、ヤオコーに出かけました。なぜか4,5日行っていませんでした。優勝セールみたいに、ブルーにユニフォームが天井から吊ってありました。でもナンにも値下げ品はありません。ただのキリンビールの宣伝でした。
 でも、まあいいか、ご祝儀というか、お賽銭というか、95円のカルビーのポテトチップスを2つ買いました。

*夕刊がくるまで、ポテト・チップスを食べずにいました。この写真を撮るためです。

     【おまけ】

* いつでしたか、日本―カメルーン戦の翌日、このブログのアクセス数がぐ~んと上がりました。朝のテレビに、“盛り上がる春日部のアフリカ・レストラン”と映ったらしいのです。それでネット検索で、おなじ町(春日部市、旧庄和町)のアフリカ・レストランを紹介した、このブログに入ってきたようです。

* このブログで紹介したのは、ナイジェリアの人がやってる店です。テレビに出たのは、おなじ町の別の店であることがわかりました。カメルーン人の店らしい。知人と行ってみよう、と話しています。

*カメルーンもナイジェリアも、予選敗退してしまいました。ワールド・カップの試合の日に行ってみるべきだったなあ。 国際交流できたのに。


沖縄慰霊の日。沖縄に行ったのは、仕事をやめる直前に一回だけです(2010.6.23)

2010-06-23 22:22:40 | Weblog

*沖縄の新聞の重要紙面復刻版がそのまま綴じてあります。新聞など発行できる状況でなかった沖縄のその日の新聞が読めます。本土=国内?の新聞とはまるで違います(1981年発行で2800円。ゴザの古本屋で買いました)

 沖縄で戦争が終わった日は、今日(23日)でした。仕事でも遊びでも国内外けっこうあちこちに行っている旅好きです。国内で行ったことも通ったこともないのは、48都道府県の中で高知県だけ。その前、47番目に行ったのは、沖縄県でした。退社の1ヶ月前に行きました。

 2003年のことです。20年ぐらいやってきたある雑誌の編集会議が200回記念ということで琉球大学であったのです。私費です。なぜ、それまでに沖縄に行ったことがなかったのか、とシンミリ思っていました。
 不思議といえば、不思議です。それだけ、私には特別な地域、誤解されると思いますが、アジアの一地域という気持ちだったでしょうか。

*左;この絵のパネルを博物館で見たときは、ある種の感動でした。同心円に沖縄からみたアジア各地の距離・位置関係に、沖縄の進むべき道を考えました。

 その時の沖縄行きは、原稿にしていますが、再掲するには、長すぎますしブログ向きではありません。
 その日、2003年3月19日月曜日。前日の日曜日、東京では、米国のイラク爆撃に反対する市民集会がありました。沖縄・那覇行きの飛行機で、機内で配られる新聞各紙のその記事の扱いを比較しながら読んでいたこともよく覚えています。
 翌朝、琉球新報社ビルに、“米国のイラク爆撃に反対する”垂れ幕がありました。労働組合のメッセージでした。もうついぞ東京・日本では、見かけない光景でした。しかも新聞社ビルです。沖縄の基地もイラクに直結していることは新聞報道で知っていましたが、ここは、沖縄・オキナワを強く意識しました。

 その夜、琉球大学の方と小宴会を伴にしたのですが、<この後どちらへ>の会話の中で<沖縄南部の戦跡には行きたくないのです>と言ってしまい、すぐに、まずかった、と思ったのです。
 翌日は、ゴザを歩いてみること決めていました。ゴザにある“アメリカ”を歩き回っていました。ゴザの宿は、“京都観光ホテル”という名前でした。ゴザらしいといえば、ゴザらしい名のホテルでした。

 いくつかのグスク(古城)を訪ねながら、沖縄の尾根を走りました。左右どちらにも海が見える風の涼しい旅でした。佐喜満美術館の屋上からは、真下に普天間基地を見ていました。 6月23日に陽が沈む時に、光が差し込む窓が心に残りました。6月23日は、沖縄戦が終わった日です。今日です。

    【おまけ】

* 今日、沖縄慰霊の日、お昼のNHKニュースをパソコンたたきながら聞いていました。女子高校生が詩を読み上げていました。この戦争は何を残してくれたのか、何を生んだのか、そんな感じの訴えが耳に残りました。

*夕刊に全文が載っています。そのくだりを探しました。“・・・・何も幸せなど生まれなかった。何も手に入れたものなど無かった。すべて失ったものばかりだった”と。

* 何を求めて、あの戦争を起したのだろうか。尊い犠牲の上に今の平和、平和の礎(いしずえ)という、ワンパターンのご挨拶はもういい。平和を求めて、あの戦争を起したのですか。

*これは、那覇の古本屋で買った。沖縄の新聞がつぶれる日(1994年)。戦争の前後の沖縄の新聞のおかれた状況を知りました。

*3月、半そでシャツで歩いていました。本土の方ですね、と話しかけられました。沖縄のものは、半袖を着ませんよ、と。陽が激しすぎるのです。


梅雨の休みに畑で、安保、沖縄、朝鮮戦争、岡山空襲、皆6月だと思う(2010.6.22)

2010-06-22 18:09:34 | Weblog

*今日23日、草をとった後の畑。

 昨日(22日)は、夏至でした。これから太陽の夏だというのに、ここから陽が短くなる憂鬱な日ともいえましょう。
 一日中晴れて暑かったので、夕方に畑に行きます。しばらく来ぬ間に、畑は青草、雑草畑になっていました。 出がけに、“晩ごはんに野菜がないから、採ってきて”と家人さん。そんな風に、わが畑を期待されたことはなかったのです。夏至とはいえ、7時には畑作業には暗くなります。
 それでも、じゅがいも畑を、ごそごそ土中を手で探って、4つ5つ掘り出します。ナスを2つ、しし唐をひとつ、それからサラダ菜を10枚ほどむしります。

*その夜です。わが家は、私の身体のために日々野菜攻めです。焼き鯖少々以外は全てさっき採ってきた野菜です。つまりゼロ円です。

 翌日午後から雨という予報だったので、今朝は、8時から草取りに。這いつくばって草を抜きます。ムシムシします。けっこう大変です。すぐに腰をあげ、ぼーっとしてしまいます。

 雨は降りそうにありません。突然、今年は60年安保の50年だと思ったりします。
 6月だったなあ。梅雨の雨つづきだったのだろうか。私は、岡山の田舎の高校2年か3年、新聞だけが情報源時代でした。それから60年安保の話は、何度も読んだり見たり、今年も50年回顧の記事がたくさんありました。ただ“雨”だった、雨中の闘争だった、の感じはありません。

 沖縄戦も6月でした。3月から6月の戦争だった。6月23か24日に大きな犠牲をだして、完全に終わりました。

 朝鮮戦争が始まったのも6月です。6月25日です。1950年(昭和25年)だから、小学校2年生です。小学校2年生なのに、朝鮮戦争が始まった瞬間をよく覚えているのです。その頃、母親は働いていて学校から帰ってもひとりです。いつものようにラジオをつけ、野球中継放送を聞いていた、さなかに“臨時ニュース”が流れたのです。それだけです。

 そして、6月28日深夜、29日未明。1945年(昭和20年)です。岡山市が米軍機に空襲されます。私は3歳です。私の人生は、ここから始まったのです。この日が原点です。

 6月は、政治の季節という言葉があったような気がします。6月は、雨の月ですが、これら歴史と雨が重なりません。ちょっと不思議です。
 それから1970年の6月には大阪にいました。6月30日、つまり安保自動延長の夜、大阪を発って北海道(札幌)に住居を移しました。

   【おまけ】

*万延元年のフットボール、昭和42年9月12日、講談社発行。大江健三郎さん32歳の作品。定価は、なんと490円です。ラーメンも珈琲も100円だったかなあ。

* 突然、大江健三郎さんの小説、“万延元年のフットボール”を思いました。深緑の木々、湿った6月の話、そうだ60年安保だ、と。昭和42年に初版を買って読んで、苦労して読んで、その後一度も開いたことはありません。

* 今読めば、もっと楽に読めるかもしれません。読んでみよう。

* 万延元年は1860年、ちょうど150年前です。日本人が初めて公式にアメリカに渡った年です。咸臨丸です。そうだ、咸臨丸航海のことはブログに書いたことがあります。<ここクリック>


エレクトーン・コンテスト初出場。ごほうびは、どうぶつクッキーだったが(2010.6.21)

2010-06-21 11:55:54 | Weblog

*足が届かない。いつもの先生と。

 昨日(6月20日)、大宮市のさいたま市民会館で、エレクトーン・コンテストがありました。
 YAMAHAのジュニア・エレクトーン・フェスティバル2010コンテストにつながる埼玉県大会につながる予選でしょうか。エレクトーン教室を主催する楽器屋さんのコンテストです。小さくてもコンテストです。まわりも緊張します。
 ウチの孫、小学校2年生が出場しました。


 最初から4番目に登場です。
 曲目は“おもちゃの兵隊の歓兵式”(イッセル作曲、編曲はいつも習っている先生)です。うまい、と思いましたと、ジジ馬鹿です。
 弾き手の孫のことをよく知った、いかしていただいた先生の編曲も良かったのでしょう。

 評論家風にいえば、もう少し感情をこめて、ということでしょうが、小学校2年生に、 “歓兵式”といってもわからないでしょう。私もわかりません。
 みんながよく知っているフォスターのメロディーをつないだ“わが心のフォスター”を弾いた3年生の女の子の感情豊かな演奏には感動を覚えました。頭にとめていた真っ赤なリボンがパッと飛んで落ちました。演出とは思いませんが効果満点でした。

 エレクトーン、コンピュータ・ミュージックって、弾き手の役割りと別にプログラマー(?)つまり編曲者(インテグレーター?)の役割りがあるでしょう。
 弾き手が弾いているのか、コンピューターが勝手にやっているのか、という問題です。ひとりオーケストラもできるようです。

 むろん先生、審査員さんたちは百も承知でしょう。
 私には、味付けの過ぎない“素の演奏”に好感を持ちました。

 4年生の女の子が、コンボ・ジャズのノリでやりました。うまいのです。コンボジャズの真骨頂アドリブまわし。いくつかの楽器が登場します。エレクトーンの得意の機能ですが、サックスが出てきたとき、エレクトーンの限界を感じました。選曲ミスだったでしょう。

*今日の応援団です。

 小学生低学年部門17名の演奏が終わったところで私だけ引き上げました。
 私がいるバンドの練習日だったのです。1時間遅刻でビッグバンド世界に入りました。いかんいかん、話は小学校低学年の子どもたちのことでした。コンテストに出てくる子どもたちの演奏は見事です。よく練習しているんでしょう。まずは、練習です。

 ほんとの話です。夜、家人に聞いた話ですが、孫は“銀賞”でした。よ~し、良かったと思ったとおり、とひとり言でした。

*タイミングを逸したクッキーです。

 ごほうびに用意していた“どうぶつクッキー”は、家人さんが忘れて出かけてしまったのです。.
 真っ赤なリボンを飛ばした女の子は、金賞だったそうです。

   【おまけ】

* 今、私がいるバンドで、その昔のLPレコードのCD化がはやっています。配られる楽譜を、その昔の本物で聞いているのです。私もパソコン買い換えたら参戦?するつもりですが、とりあえず、今だに売ってる!CDを探します。この間、タワーレコードのメルマガに、デューク・エリントンの初期の傑作LPのCD盤5枚セット=2500円が載っていて、買ってしまいました。カウント・ベイシーとの共演盤もあったからです。

*何人かは、LPレコードで持っているのでしょう。

* デューク・エリントンもカウント・ベイシーも、ピアノさんです。ウチの孫も、ずっと続けてくれたらいいのですが。


ブブゼラ音をなんとかしてよ、のりすぎのNHKサッカー放送(2010.6.18)

2010-06-18 22:18:06 | Weblog

*左;朝日新聞夕刊;2010.6.18付け

 民放じゃああるまいし、NHKのサッカー・ワールドカップ放送にやや辟易しています。長すぎます。NHKには日常放送の役割りがあるでしょう。でも試合中継はいいですよ。つなぎのトーク場面が、まるでスポーツ番組でなくバラエティ番組です。

 さてサッカー中継に流れる、ブブゼラ音が耳鳴りみたいで、頭痛を感じてしまいます。いやだなあ、と秘かに感じていたのです。誰にも言いません、聞いてくれる人はいません。

 コンサートの裏方PA係をやることもあるワタクシ、ブブゼラ音のカットなんて簡単だと思っていました。世界に冠たるNHK技術陣がなぜできないのかと思っていたのです。映像や会場音は、国際映像(南アフリカ制作)でしょう。でも、NHKアナウンサー、解説者の音声は、別チャンネルで東京に届くはず、そのミキシングで何とでもできるだろう、と思っていました。むろん、NHKは最良にやっていることでしょうが。

 ブブゼラ音をなんとかしてよ、と思っているのは、私だけでなさそうです。
 今日、朝日新聞の夕刊に、フランスCATV局が「ほぼ完璧」に削除したと載っていました。“ブブゼラの音の周波数だけをカットした”というのです。

 サッカー応援のスタンドの騒音は、それ自身が盛り上がりを示す音でしょう。
 アフリカン・リズム、打ち鳴らす民族楽器・・・と思っていたのです。
 ところが、ブブゼラはなんだ。リズムなんてなし、蚊の大群のような音です。
 これが、アフリカ固有の文化なんだろうか。

 という話を、家人としたら、“え~っ”と言って、“あんた、テレビ点けっぱなしで、寝てるだけじゃないの”と。

 それでも、それが南アフリカ固有の文化、サッカー場全体の盛り上がりに欠かせない音なんだろうと、異国のテレビ観戦者として理解をしめそうとしたら、サッカー場現場にいる“サッカー記者”が書いている記事がありました(2010.6.16日本経済新聞、武智幸徳記者)。

 “どこのサッカー場にもある、盛り上がる観客席の騒音がまるで、ない、聞こえない”
 “選手のプレーがサイレント映画のように見えてくるのである” 
 “南アフリカの人々にとって、ブブゼラを吹きながらサッカーを見ることは大いなる喜びなのだろうが・・・・”

*私もスタンドでははしゃぎます。これは、由緒正しく長野オリンピック以来、活躍しています。

 さいたまスタジアムの浦和レッズの試合、応援風景を思い起します。


経済政策の基本、皆でお金を使いましょう。そしたら皆が豊かになります(2010.6.17)

2010-06-17 14:28:44 | Weblog

*108×81cm裏表の大きなチラシです。

 6月も半分すぎると、ボーナスの季節です。賞与とうやうやしくでも、一時金であっても、もらえる人はいいですね。
 景気が悪いといっても、はなやかな新聞折込広告が目立ちます。昨日(6月16日)だったか、当地近くに、が~んと大きな、K電気店オープンの広告です。
 わが春日部市の川向こうは千葉県。あっち野田市には、この頃ジャンジャンできている感じがします。ボーナス商戦直前にオープンは必須でしょう。

 ボーナスに無関係な私も、10年使ってきたパソコンの更新・買い替えを迫られている気分なのです。
 だから電気屋さんの大きな広告にはすぐに反応します。次の日曜オープン日に行ってみようかと。

*すぐに、“他店オープンチラシをお持ち下さい”のチラシです。

 そしたら今朝(17日)、“他店オープンのチラシをお持ち下さい。どこの店にも負けません”と、わが春日部市側の時々出かけていたY電器の折込広告です。
 “う~~ん”どっちで買おうか。うちから東へ15分の新しいK電器か、西へ15分のY電器か。

 買い物は地元でといっても距離的には同じです。いずれも地元の商店街での買い物ではありません。市の活性化のために市内を選ぶべきでしょうか。
 といっても法人税は御本社の東京都に納入でしょうから関係なし。

 結論、安い方で買おう。
 でもね、500円の差で右往左往するのも大人気ないでしょう。
 この値引き競争、安売り競争が、景気回復しない元凶です。

 まあ、いいか、パソコン買い替えをやめよう、使っていて不便はありません。ただ知人間に流れる文書が開かないだけです。そんな古いバージョンなの、といわれるだけのことです。ただの見栄です。

 買うのをやめよう。・・・・これが“もっとも悪いのです”。
 タンス預金が一番いけません。皆がジャンジャン使うことが景気回復につながります。そして、その恩恵が、私ら層に“落ちてくるのです”。持っている人は使って下さい。浪費でもいいのです。芸者をあげて騒いでもいいのです。
(明治の元勲や昭和の政治家の芸者をあげての浪費は桁外れだったでしょうね。お国のためだ、と)

 ・・・と、この間6月13日付日本経済新聞の掲載のJCBの広告に載っています。もっと前、5月23日付けには全面広告で載っています。

*日本経済新聞2010.6.14付けにあるJCBの広告。

 かの高橋是清さんが1929年(昭和4年、世界大恐慌の頃でしょうか)に、言っているのです。むろん、最近も経済政策の基本に変わりないようです。

   【おまけ】

*以下です。時間があったら読んでみて下さい。昔も今も政策の基本です。

1929年11月、高橋是清かく語りき。
例へば茲に、一年五万円の生活をする余力のある人が、倹約して三万円を以って生活し、あと二万円は之れを貯蓄する事とすれば、其の人の個人経済は、毎年それだけ蓄財が増えて行って誠に結構な事であるが、是れを国の経済の上から見る時は、其の倹約に依って、是れ迄其の人が消費して居った二万円だけは、どこかに物資の需要が減る訳であって、国家の生産力はそれだけ低下する事になる。(中略)更に一層砕けて言ふならば、仮に或る人が待合へ行って、芸者を招(よ)んだり、贅沢な料理を食べたりして二千円を消費したとする。是れは風紀道徳の上から云へば、さうした使方をして貰ひ度くは無いけれども、仮に使ったとして、此の使はれた金はどういふ風に散らばって行くかといふのに、料理代となった部分は料理人等の給料の一部となり、又料理に使はれた魚類、肉類、野菜類、調味品等の代価及び其等の運搬費並に商人の稼ぎ料として支払はれる。此の部分は、即ちそれだけ、農業者、漁業者其の他の生産業者の懐を潤すものである。而(しか)して是等の代金を受取たる農業者、漁業者、商人等は、それを以て各自の衣食住其の他の費用に充てる。それから芸者代として支払われた金は、其の一部は芸者の手に渡って、食料、納税、衣服、化粧品、其の他の代償として支出せられる。(中略)然るに、此の人が待合で使ったとすれば、その金は転々して、農、工、商、漁業者等の手に移り、それが又諸般産業の上に、二十倍にも、三十倍にもなって働く。故に、個人経済から云へば、二千円の節約をする事は、其の人に取って、誠に結構であるが、国の経済から云へば、同一の金が二十倍にも三十倍にもなって働くのであるから、寧ろ其の方が望ましい訳である。
(参考文献 高橋是清随想録:本の森/仙台)


春日部で7月24日にドゥマルシェ平和を願うコンサート(2010.6.16)

2010-06-16 19:05:44 | Weblog


  梅雨に入ったばかりですが、梅雨が明けると夏です。平和の季節です。
  春日部平和フェスティバル(第5回=2010)は、7月24日(土)です。

  平和を願うコンサート=ドゥマルシェ(DeuxMarches)のポスターが今朝できました。
  今日・・・どこよりも早く、お知らせします。
むろん、主催は春日部市、かすかべ平和フェスティバル実行委員会です。

  コンサート・タイトルは、~長崎・ゲルニカ・かすかべ~です。
  ことしの5月、長崎の被爆マリア像と一緒に、スペイン・欧州・ニューヨークとまわって、
  ニューヨークNPT会議に連動した行動・演奏活動だったのです。
  コンサートでは、平和の歌の他、シャンソン、タンゴの名曲がたくさん演奏してもらえるようです。とても楽しいひとときを持てるでしょう。


  ドゥマルシェさんの公式Webは、<ここクリック>

  【おまけ】

*会場は、春日部市(旧庄和町)の正風館です。わが家から徒歩3分です。だから会場でお手伝いをすることになります。

*だから、チケット700円を山ほど持っています。


しあわせにする政治・ふしあわせにしない政治、こんにゃく禅問答(2010.6.14)

2010-06-14 11:57:34 | Weblog

*今日は雨、梅雨入りでしょう。テーマに合う写真がありません。今朝のわが家の紗羅の木です。明日、花開く蕾もいくつかあります。

 いつの間にか内閣が変わっています。じつに手際よくですね。
 管新首相は、“最小不幸社会”がキャッチフレーズ。国会での所信表明演説も新聞1ページ分を読んでみました。

 管首相が決定直後の記者会見で、不幸せにしないだったか、不幸せをなくす社会をつくるだったか、と表明しました。翌日(6月10日)の自民党の大きな?会議の後の記者会見で、谷崎総裁は、不幸せにしないだなんて縮こまっている。幸せにする、幸せになる社会が自民党だ、といいました。ほんの短いテレビニュースから聞いたことですが大意はそうでしょう。

 民主党のふしあわせにしない政治、自民党のしあわせにする政治、です。
 どちらがいいかなあ、どちらが好きかなあ、です。

 これは、けっこう難しい禅問答でしょう。政治問題というより哲学、いや笑点や吉本お笑い漫才のネタでしょうか。

 “しあわせにする政治”の記者会見で、新しい自民党のポスターの映像がちらっと映りました。“いちばん”と大きく書いたポスターです。

  “しあわせにする政治”(自民党)>いちばん>誰よりも幸せになる思想、と連想ゲームしました。

 そのころテレビニュースは、蓮舫さんの初入閣報道で、なんどもなんども“世界一でなきゃあいけませんか、二番ではだめですか”とスーパーコンピュータ開発を仕分けしている発言の映像を流していました。
 だから、“ふしあわせにしない政治”(民主党)>いちばんでない>誰もがふしあわせにならない思想、と連想ゲームになりました。

 さて、どっちを選びますか、どっちが好きですか。
 これは、かっこうのブログ話題だな、と思ったのです。
 ほんとです、10日にある人に話していましたと、2番煎じみたいだから書いておきます。

 翌日(6月12日)の朝日新聞一面下の、コラム“天声人語”に、ほぼ同じ話が載っていました。むろん天声人語は、もっと格調高い内容です。
*朝日新聞2010.6.12付の天声人語。

 私の予想です。この自民党の“いちばん”のポスターは、参院選挙では使われない、日の目をみない、でしょう。ボツになるでしょう。で、ないと勝てないでしょう。

  “日本で一番とか世界で一番をうたうなんて、庶民感覚では遠い世界の話でしょうね、今では、ですね”

  【6月17日のおまけ】

*今日、私が使ってるプロバイダーのメルマガに、ちょっといい“言葉”が載っていました。グリーンのポスターに、オレンジ色で斜めに、重ね刷りしたらいいでしょうね。↓

 ★☆★━━━━━━ひとりひとりにいちばんを。OCN━━━━━━━★☆★   

*うまいなあ、すかざす登場させるところがすごい。プロの広告デザイナーさんや広報担当さんですね。


目に青葉、柿の葉ずしも若葉なり(2010.6.12)

2010-06-12 10:06:32 | Weblog

*宅急便のダンボールの中から、“おーっ”でした。

 外で食事をすれば、そこがファミレスであっても、写真を撮ります。見られないように一枚だけ撮ります。
 お土産に名物をいただいたら、まず写真を撮ります。ブログ・ネタになります。

 昨日(11日)宅急便で、奈良から荷物が届きました。柿の葉ずしです。いい感じの重さです。奈良の、柿の葉ずし本舗、さんです。
 すぐに写真を撮ります。
 奈良、和歌山の柿の葉ずしの名声は聞こえていました。むろん食べたことはありません。いい~ねぇ~、気分でした。

*包装紙をはぐと、“おーっ”でした。

*杉の板をとると、“おーっ”でした。

*大事に柿の葉をむきます。

 いや~っ、感動の柿の葉ずしでした。柿の葉が新緑なのです。水に濡れて光っている若葉でした。柿の葉すしの葉って、秋の赤とも黄色とも緑ともいえぬ、あの柿の葉っぱを思っていました。
 桜餅の桜の葉とか、柏餅とか、何か漬けてあったような色の葉っぱを思っていました。だから、新鮮な緑の葉っぱに感動しました。

 むろん2段重ねでど~んと入っていた、さば寿司、鮭寿司の美味しさも感動でしたが。
 送り主は家人の友人さん、受取人は家人さんです。
 その家人さんは、”その季節季節の葉っぱで包むんじゃあ、ないの”、なるほど。
 “秋に、もう一度送ってもらいたい”、なあ、と私。
 柿の葉の落ちる冬は、どうするんでしょう。

*こちらは、わが家の今朝の柿の木。切らねばいけません、面倒だなあ。

   【おまけ】

*このブログは、おちゃらけ・ご近所情報をモットーにしています。政治・思想・心情、そして、本心、本音!を明かさないことがブログの心得です。

*昨日から、ブログに書こうと思っていた政治的<発言>があって、逡巡していたのです。・・・が、今朝の朝日新聞の天声人語に、そっくり書かれてしまいました。後だしジャンケン、みたいで、もうそのネタは使えません。

*わが家にすぎたるものがひとつ、自慢の紗羅の木です。今朝。今季はじめての花を見つけました(2010.6.12)


美味しい目玉焼き、ためしてガッテンをすぐに試してみるアホ(2010.6.10)

2010-06-10 13:15:29 | Weblog

*今朝の目玉焼きです。

 水曜夜8時のNHKテレビの“ためしてガッテン”は、時々みます。
 昨日(9日)は見ました。美味しい目玉焼きの作り方でした。

 わが家の朝食当番は、朝5時すぎには目が覚めてしまう私の当番です。目玉焼きはしょっちゅう作ります。目玉焼きつくりには、自信があります。
 というよりは、誰でもできます。

 番組によると、2つのことでぐんと美味しくなるというのです。
①玉子をフライパンに、上の方からど~んと落とすのでなく、フライパンの上、ギリギリからそっと落とす、というのです。上から落とすと、黄身の<内部;正確には??>が壊れるというのです。
 それから別の方法、②まず黄身だけ取り出して焼きながら、その上に白身をかける、です。

 番組が終わったとたんに、家人<やれ!>と目で指示しています。
 今朝、やってみました。黄身だけ取り出すなんて、やってられません。
 ①だけ、フライパンのごく近くで玉子を割ってみました。

 家人の評は、美味しい、でした。
 番組のタレントさんのように、ほんとに美味しそうに、言ったわけではありません。
 美味しいですよ、とだけです。

 私の評は、普通、いつもどおりでした。いつも、美味しいのです。
 役者にはなれません。テレビ出演できないないですね。

    【おまけ】

*パンは、ヤオコーのパン屋さんの食パン5枚切り。

*今朝のメニューです。通常は、大好きなベーコン・エッグになっています。ふたり分に分けたときに、半熟玉子が壊れました。

*カフェというより昔からの喫茶店のモーニング・サービスが大好きです。旅先では、ホテル近くの喫茶店を探すことも多いです。ホテルのフロントで、近くの店を聞くこともあります。モーニング・サービスのある喫茶店、とは聞きませんが。


朗廬(ろうろ)饅頭という岡山県井原のお土産に伝わる郷里の精神(2010-6-7)

2010-06-08 15:45:48 | Weblog

 この3月に20年ぶりに郷里に出かけてから、すっかり忘れていた郷里・井原(西江原)がぐんと近づいています。
 先週も、わが家に、井原からのお客さんも泊まっていきました。

 その時のお土産が、“朗廬饅頭”だったのです。
“懐かしいでしょう”と客人よしこさん。

 18歳でクニを出てから、いやその前にも、郷里・井原の名物を食べたり、土産に持っていくことはなかったのです。銘菓のある町であったとも思いませんが“朗廬饅頭”という饅頭があることは知っていました。食べたことも、見たこともありません。
土産には、庭の“柿”を持たされる時代だったのです。

  “懐かしいでしょう”は、私が、興譲館に学んだと知っているからでしょう。
 朗廬=阪谷朗廬は、私塾(郷校)・興譲館の創立者、初代館長です。 江戸時代には、備中・西江原藩だった、わが郷里は、幕末には、水戸一橋家の飛地(西江原領)になります。
 1847年~1857年に代官として赴任した友山勝次は、“近代の井原の基礎”を作ったといわれています。そのひとつが、興譲館です。
 1852(嘉永4)年に“桜渓塾”を開いていた阪谷朗廬が、初代館長に招聘されたのです。

*“郷土が生んだ偉人たち”井原市教育委員会発行

 この時代、全国に藩校や私塾が多く作られたでしょう。
萩の松下村塾ほど、明治維新とその後に大きな役割りを果たせなかったでしょうが。わが郷里には、興譲館あり、だったのです。

*箱に、“白鹿洞書院掲示”が印刷されていました。この儒学の教えこそ、叩き込まれた精神でしょうか。

 儒学の学校でした。私らの時代もベースは儒学だったでしょう。
 その遺徳を偲ぶ、饅頭に名を残しているのです。
 初めての朗廬饅頭、小ぶりの饅頭でしたが、とても美味しいお饅頭でした。

 ブログ話題が、50年前に出た郷里の話題が続きます。
 ということは私自身、いよいよ最終局面が近いのか、注意しなければいけません。


郷里・岡山県井原のよしこさんから届いた古代米(赤米・黒米・緑米)(2010.6.8)

2010-06-07 18:12:35 | Weblog

*ブランド(生産者)ラベルのついた古代米

 わが家のご飯は雑穀入りです。健康にいいと言うのです。五穀だの十穀だのが家人の好みで入っています。

 一週間ほど前、家人の幼友達3人が泊まっていきました。その日の夕食当番は、私でした。といっても迎えにいった家人の代わりに、ご飯を炊くというだけです。お客さんが来るのに、真っ黒な雑穀入りを食べさすわけにはいかん、と勝手に判断して、白米だけで炊き上げました。・・・私の背一杯のもてなしです。

 <いつもは雑穀入りです>と、食事中の話題になりました。
お客さん3人のうち、よしこさんは、郷里の岡山県井原から出ずに、たぶん兼業農家さんです。<古代米を食べるなら送るよ>ということになったのです。<古代米>が何かもよく知りませんでした。

  一昨日(6月5日)、宅急便でお米が届きました。古代米です。しかも、よしこさんの旦那さんの似顔絵入りシールの貼ってあるブランド米でした。
 私が郷里にいた時代の農業と違って、現代では、農業経営というか、農業への熱い思いが感じられる<生産物・お米>でした。

 赤米、紫黒米、緑米です。白米1~2合に、大さじ一杯程度を混ぜるのだそうです。
 まだ、食べていません。味の論評はできませんが、同封されていた説明書を引用しながら紹介します。

 ○ 古代米とは、イネの原種である野生稲の特徴を受け継いでいる米。生命力が強く人為的世話や肥料は不要なのです。赤米、黒米、緑米などがあって縄文時代に中国から伝わった。

 ○ 赤米
*赤米

・ 玄米の色が赤褐色で、果皮・種皮の部分に赤色系色素(タンニン系)を含んだ米。
・ 3~5分づき(少し精米)にすると薄紅色になる。
・ 野生稲の大部分が赤米であることから赤米はコメのルーツ。赤飯の起源。
・ 栄養成分は現代の白米と比べ、タンパク質や各種にビタミン、ミネラルを多く含む。
・ 邪馬台国や大和朝廷への献上米も赤米が主だった。

 ○ 黒米(紫黒米)
*黒米(紫黒米)

・玄米の色が黒色で果皮・種皮の部分に紫黒色系色素(アントシアン系)を含んだ米。
・ 3~5分づき(少し精米)にすると紫色になる。
・ 黒米は、おはぎの起源で古くから祝いの米として珍重されてきた。
・ 栄養成分は現代の白米と比べ、タンパク質やビタミンB1・B2、ナイアシアン、ビタミンE、鉄。カルシウム、マグネシウムなどが豊富に含まれている。
・ 不老長寿の米として、中国歴代の皇帝に献上されたことから献珍米として喜ばれた。

 ○ 緑米
*緑米

・ 全国でも生産例が少なく貴重種で幻の米。
・ 緑米は、もち米ですが、普通のもち米より粘りが強く甘味があります。
・ 亜鉛やマグネシウム、繊維質を豊富に含み血液浄化や精神安定などにも効果があると言われている。

    【おまけ】

* 健康にいいお米のようです。さて、わが家でこれから、どうやって食べていこうか、ですね。大さじ1~2杯となると、かなりありそうです。比較しながら食べるのも難しそうです。知り合いにおすそ分けした方がいいかもしれません。

* 古代米を育てようとした気持ちを聞いてみたい。誰もが作っているわけではないし、農業経営的な発想でしょうか。古代米の生育は難しいのかなあ。

* 古代米は、野生種に近く、生命力が強く、水も乏しいような痩せた土地でも丈夫に育ち、農薬や肥料は不要である。背丈の長い稲が多く、1.5m以上のものもある。品種改良された現代米と比べ、収穫量は半分以下と少ない、そうです。

* 生産者=よしこさんのウチ、の住所、電話もラベルに載っていますが、ここでは書くのをやめておきます。 関心のある方は、コメントをお寄せ下さい。

    【もひとつ、おまけ】

*郷里を出ずにとか、郷里に残ってとか、思ったり、書いたりします。私の尺度からみれば、そうなんですが、本当は逆でしょう。住み続けるのが、正当でしょう。むしろ“わたしらが、クニを捨てた”と浪花節になるのです。

*“青雲の志”でも、“石もて追われる”であっても、結局は食えないから旅立ったのです。耕す田んぼが持てなかったにすぎません。そうして50年、今、埼玉県郡部で終演近く、またまた、田んぼをもつ知人の中に、羨ましく思いつつ暮らしているのです。徒労だったとは思いませんが、振り出しに戻っているのです。