春日部市立病院が新築移転、4年後に完成へ。よかった、よかった(2010.1.27)

2011-01-27 17:59:49 | Weblog

*朝日新聞2011年1月25日付朝刊29面。

 2、3日前(1月25日)の朝日新聞の報道をみて、驚きました。まさか、と思いました。
 春日部市立病院を市役所南側の公園に新築移転するという記事でした。詳細は知りませんが、市議さんに説明されたと記事にはありました。

 2,3年前だったか、いつだったか、春日部市立病院は、産科をやめるとか、小児科をどうとか、赤字縮小方向の話があったように思いました。
 そういう暗い話が、一転、新築です。市民とすれば、もっとも頼りにしたい市立病院の発展的展開です。久しぶりの慶事です。よかった、よかった。

 合併特例債も使うようです。これも合併の恩恵?でしょうか。
 旧庄和に住むウチの子どもらは、3人とも、出生地が春日部市立病院でした。さいわい、その後、子どもらが市立病院にかかることはありませんでした。

 しかし私自身が、2年前、臓器の一個を摘出した際に、最初の診断も、セカンド・オピニオン、結局の手術も、赤字縮小が噂の市立病院にかかることは全然考えませんでした。

*市役所南側の市立病院移転用地、今は公園として使われています。完成は2015年という。

 勝手なことは言えませんが、市立病院は、最後の砦かもしれません。超難病対応は大学病院などにまかせて、地域市民の日常にやさしい病院であってほしいと感じます。


春日部市市民活動フォーラムに市民活動センターのオープンへの期待の熱気(2010.1.24)

2011-01-24 17:52:39 | Weblog

*1番バッター。春日部市市民活動センターの概要を説明する主催の春日部市(市民参加推進課)職員。

 昨日(1月23日)の日曜日、第3回春日部市市民活動フォーラムに出かけました。
  “フォーラムといういささか硬めのイベント”でしたが、会場はぎっしりで、ペンを走らせる姿もかなりありました。
 この夏にオープンする計画の“春日部市市民活動センター”の“オープン・プレイベント”の性格を持っていました。会場の熱気は、市民活動センターへの期待感でしょう。

*会場は、教育センターの視聴覚ホール。

*パネラーの皆さん、マイクを持つ牛山久仁彦さん(明治大学政経学部教授)、現代社会の市民の役割に触れられた。

*会場内外の壁面には、市民活動団体を紹介する掲示。

*25年間のおやこ劇場活動経験から市民活動の課題を話す、新井恵美さん(春日部おやこ劇場副代表)。

*さいたま市の市民活動サポートセンターの実績と展望をテーマに、東邦彦さん(さいたま市市民活動サポートセンター長)

 スクリーンに“市民としての自覚と責任をもった「新しい公共」の担い手の形成”と投影されています。私ら市民は、新しい公共の担い手なのです。フォーラムの中で、“行政と市民の協同”という言葉もありました。
 けっこう難しい、硬いお話もあったフォーラムでした。

 【おまけ】

*引き続き“市民活動学習講座「市民活動センターを上手に活用するには」”が開かれます。日時;2011年2月5日(土)13:30~16:00。会場;商工振興センター“アクシス春日部”、講師;小山淳子さん(まつど市民活動サポートセンター長)。

*フォーラムの実況放送は、インターネットに発信されました。

*本番前です。パネラーさんらはランチ・ミーティング。

*当ブログ恒例の今日のランチ。お弁当(500円)、ワタシも食べました。

 【おまけー2】

*今日(1月24日)、国会が始まりました。菅首相の施政方針演説がテレビ中継されました。聞いていたのですが眠ってしまいました。その日配られた日経の夕刊に全文が載っています。演説時間中にすでに印刷輪転機はまわっていたのです。朝日新聞は、翌日(25日)の朝刊掲載でしょう。

*施政方針演説の中に、【「新しい公共」の推進】もありました。


春日部市で、この夏オープンする市民活動センターの使い方フォーラム(2011.1.21)

2011-01-21 23:56:48 | Weblog

*フォーラムの配布資料(予稿集)もできました。

 次の日曜日(1月23日)に、春日部市市民活動フォーラムが開かれます。
 この夏に完成する、ララ・ガーデン隣の県施設の4階に、春日部市民活動センターができます。
 フォーラムのサブタイトルは、“市民活動センターでふみ出す一歩”。
 パネル・ディスカッションのテーマは、「市民活動センターでまちはどう変わるか」です。

 夏にオープンする市民活動センターの“市民のための使い方”に絞ったフォーラムになるようです。 春日部駅近くの一等地。何に使えるの? 誰が使えるの?から、センターの市民と市の役立て方が、話し合われ、討論に参加できます。
 また、2010年12月の春日部市議会で可決の“春日部市民活動センター条例”に制定された、各種の利用料金の説明もあるでしょう。

*今日、フォーラム準備作業をする人たちの応援に行ってきました。

 市民活動フォーラムは、2011年1月23日(日)午後1時30分~4時30分。会場は、教育センター。なお、開場は12時で、会場内に展開する“市民活動団体の活動紹介”を見ることができます。定員100名程度の会場ですから、早めの来場がいいと思います。


“羽根木プレーパークの記録”(晶文社)を20年ぶりの本棚から出してみた(2011.1.17)

2011-01-17 23:47:10 | Weblog

*この1987年4月発行の“冒険遊び場がやってきた(羽根木プレーパークの記録);羽根木プレーパークの会編”をどういう意思・目的から買ったのか、よく覚えていません。その頃、発行所“晶文社”の本をよく読んでいたからでもないでしょう。

 1987年は、23年前です。ウチの子どもらが、5、7、10歳の頃です。
 住んでいる地域(旧庄和町・現春日部市)で、お母さんがこどもたちと一緒に遊ぶ、“くれよん・ようちえん”とか、“人形げき・くれよん”あるいは、春日部おやこ劇場といった集まりが、私の家族の周辺で始まっていた頃でしょう。
 これらは、 26,7年後の今も、脈々と続いています。
 今と違って、行政が“子育て支援”なんて、全く思わなかった時代のことです。

 それでも、この地に、家を買って、地縁も何もない中で、新興住民が少しづつ“地域で子育て”の動きを作っていったのです。

 ついでに23年前は、今もワタシが所属している町のジャズ・バンド(スウィング・ベアーズ)が始まった年でもあります。

 ワタシにも、100%埼玉都民を続けながらも、眠るだけの地域でしたが、暮らしている地域を意識する瞬間が少しはあったのでしょう。

 私らの住む埼玉県の郡部ですら、こうであったのですから、東京都、しかも世田谷区の同世代の人たちはもっと、先鋭的、進歩的であったでしょう。

 彼らの活動、お手本のひとつが、子どもたちのために、市民が“遊び場(プレーパーク)”作るという活動でした、そのための、人の集まりから、完成に至る記録が、この本です。

 この本を読んで、どうかしたか、というほどのこともありません。むしろ10年ぐらい前、家人の“私の蔵書1/3処分指令”に屈した時、処分したと思っていたのですが、本箱の隅に“存命”だったのです。

 それでも、“プレーパーク”という響きは、よく覚えていたのです。
 ここ1,2年、孫守りのために、越谷に住む娘のアパートにでかけることがあります。  娘のウチの冷蔵庫に、地域のこどもたちの集まりのお知らせなどが貼ってあって、そこにある越谷の“越谷プレーパーク”の文字、場所でなくその活動が、気になっていたのです。

 先週末(1月19日)、土曜夕方、越谷の市民活動に詳しい知人Nさんを含んで小さな集まりがあって、話題提供に“この本”を持っていったのです。
 Nさんは、すぐに“羽根木プレーパークには、(話に)行っていますよ”と。

 再び読み返しているわけではありません。
 ただ、家人らの活動を遠目にみていた時代から30年たって、私自身が100%地域だけで暮らす時代に代わっています。

*この4階に、市民活動センターができます。

 そうして今、春日部市役所が作ろうとしている、春日部市市民活動センターを応援するようになっていて、市民活動センターは、おとなの、若いおとなたちのため“羽根木の冒険遊び場がやってきた”と同じ、“冒険遊び場をつくろう”としている状況と同じだなと思いついたのです。

*本書10ページ。

 羽根木プレーパークには、大きな看板がたっているようです。こう書いてあります。

  “・・・子どもが公園で自由に遊ぶためには「事故は自分の責任」という考えが根本です。そうしないと禁止事項ばかりが多くなり楽しい遊び場ができません”

 ・・・・その通りだと、思います。禁止事項ばかりでは楽しい遊び場になりません。

 【おまけ】

*市民活動センターのことは、1月23日(土)の市民活動フォーラムで話されます。


春日部市で1月23日(日)に3つのお得な・まちおこしイベント(2011.1.14)

2011-01-14 23:53:48 | Weblog

*春日部市役所1階ロビーの掲示板

 1月23日(日)に、春日部市中心部で、3つのイベントがあります。
 いささかイベント・シーズンをはずれた真冬に、です。
 冬には、歌って踊ってのにぎやかイベントは似合いません。真面目な、まちづくり・まちおこしイベントです。
 貼ってあるポスターなどから、拾い出します。

  (1)米やおにぎりの無料配布(会場;春日部市役所)
 ・春日部市米拡大フェアです。①春日部市産のお米が一人1㎏ずつ、午前9時30分~先着2000名。②おにぎり、先着900名 ③農産物即売。なお“夏の猛暑の影響で白い部分のある米が見られますが、味に問題ありません”、のお米のようです。
 主催;春日部市(農政課)、JA南彩、JA埼玉みずほ、市農業団体連合会

  (2)春日部やきそば他、宮代、越谷、草加のB級グルメが一堂に(会場;ロビンソン百貨店正面入口。

 ・大落古利根川水辺再生100プラン推進事業の着工記念イベント。春日部やきそば、みやしろ餃子、草加小松菜せんべい、こしがや鴨ネギ鍋。古利根川流域市町B級グルメ大会。午前10時~午後2時。
 主催:春日部商工会議所 協力;春日部市(鉄道高架整備課)他

  (3)春日部市市民活動フォーラム(会場:春日部市教育センター)


*今年の夏、オープンです。

 ・“春日部市市民活動センター”の今年(2010年)夏オープンに備えて、①市民活動センターとその利用などの概要説明 ②パネル・ディスカッション“市民活動センターでまちはどう変わるのか”③市民活動団体の展示・情報コーナー、開場;12時~。

 “もりあげよう!わがまち春日部”“市民活動センターでふみ出す一歩”と市民の参加を呼びかけている。
 主催;春日部市(市民参加推進課)


テレビから流れる“ホテル・カリフォルニア”で涙ボロボロ気分(2011.1.13)

2011-01-13 21:41:13 | Weblog

*NHKテレビ、1月13日午後11時頃。

 何十年も生きていると、ふと聞こえる歌に涙ボロボロ気分になることがあります。昨夜NHKテレビから流れていた、イーグルス(1976年)の“ホテル・カリフォルニア”が聞こえた時もそうです。


*テレビから、70年代のオリジナル・メンバーのステージ演奏が流れました。

 私の大阪時代、青い60年代を終えた、わが東京の70年代を思います。夢がまだまだあふれていた時代です。

 カリフォルニアに行ってみたいなあ、と思っていた時代です。
 海の向こうの若者らの行動は、いきいきと生きている自由を感じていました。
1960年代のプロテスト・ソングの、生真面目な素朴ギターから、軽快なカントリー・ロックに代わっていきました。ラブ&ピースのカリフォルニアです。明るい“花のサンフランシスコ”、夢の“ホテル・カリフォルニア”のように思えていました。

*ホテル・カリフォルニアでソロで歌うドラムスのドン・ヘンリーです。ウディ・ガスリー、ピート・シーガー、ジョーン・バエズ、ボブ・ディランの名が登場しました。その時代のワタシも同じ気持ちでした。

*ホテル・カリフォルニアには、「1969年以来、そんな精神は置いてございません」

  “今ごろ、カリフォルニア来たって、なんにもないよ、もうとっくに、そのスピリットは売り切れだよ”と歌われていることを承知で、カリフォルニアに行きたいなあ、と思っていたのです。

 80年代になって、仕事でカリフォルニアにいくようになった時期には、私自身が“若い時の感性”を、すっかりなくしていました。まあ仕事をやっていたんでしょうね。

 仕事をやめて、再び自由をとり戻します。老化が進んでいます。ちょうど2年前、2009年1月、柏の国立**センターで手術を受けました。よほど、憔悴の姿を見せたのでしょうか。景気浮揚策としてらしいのだが、“高齢者給付金”をくれるなら、それ使って“ロサンゼルスに行こうか”と息子が言いだしてくれたのです。

 ロサンゼルスなら、“行ってみたいのはホテル・カリフォルニアだけだなあ”。 2009年4月に、現地3日泊で、ロサンゼルスに行ったのです。息子の運転するレンタカーで、ビバリーヒルズ・ホテル、ホテルカリフォルニアのLPジャケットのホテルに行ったのです。

*ビバリーヒルズ・ホテルにでかけました。

  【おまけ】

*今年の3月に、イーグルス公演が東京であるらしいのですが、オリジナル・メンバーは2人だけだということもあって、行こうとも思いません。レコードやラジオから流れてくるのが、“ホテル・カリフォルニア”です

*昨日のNHKテレビ“songs”という番組の再放送は、今日深夜(日付でいえば1月14日)の午前1時50分~です


ワーカーズ・コレクティブな千葉県野田市の“紙ふうせん”で野菜ランチ(2011.1.12)

2011-01-12 12:13:34 | Weblog

 ちょっとした事情もあって、昨日(1月11日)のランチは千葉県まで遠征しました。
 といっても隣町です。自分の街・春日部市中心部より近いかもしれません。ウチで、“旧庄和町にカフェがほしいね”とか、“コミュニティ・カフェ”が話題になって出かけたのです。旧庄和町の女性たちには、知っている人も多い所かもしれません。その日も、20人ほどの庄和の女性グループが会食していました。知人もいました・・・・。

 野田市です。電車では、東武野田線愛宕駅近く、クルマでは流山街道沿いで、愛宕神社直近です。駐車場も10台はとめられます。

 レストラン、カフェ、野菜が中心の商店、リサイクルショップのお店です。貸スペースもあります。女性たち共同で運営しているようです。

 生活クラブ生協が中心の“ワーカーズ・コレクティブ”のお店です。
 “旬の食材・素材の持ち味を生かした手作り料理の提供。食材は地場野菜をはじめ、米・肉類、卵、調味料にこだわりを持って安心できるものを使用しています”と書いてありました。弁当、総菜、の仕出し・配達・配食サービスもやっているようです。


 ランチをいただきました。うす味、野菜中心で“ワタシ向き”だったでしょう。美味しかったのですが、私を野菜攻めにしている連れの家人の“しょうが焼き”ランチの方が美味しそうでした。コーヒーを頼むと何杯でも飲めることが私にはうれしい。

*左のパンフレット“農をまんなかにした事業の事例集<ちば=おもしろ農業マップ>が楽しい。

 美味しいコーヒーを飲みながらチラシ・ラックに手を出します。
 千葉県のNPO活動や市民活動のパンフレットなど情報もたくさんあります。お隣の春日部市や埼玉県側の市民情報は、さすがに全く置いてありません。
 太い県境が間にあるのです。
住民の生活には関係ないはずなのですが。

  【おまけ】

*ワタシの住む、春日部市の旧庄和町エリアは、千葉県北部の下総(しもふさ)台地の西側の端っこです。昭和28年に江戸川を広くする前、古くは江戸時代に利根川を江戸に通じさせる交通路のために江戸川を開削する前には、生活環境・生活文化が、今の千葉県野田市側と同じだったでしょう。旧庄和は、野田文化圏(あるいはキッコーマン文化圏)だと思うことがあります。東からの香取神社勢力圏と西からの氷川神社勢力圏の違いも一例です。今は、春日部市です。新住民のお父さんには、東京への通勤通学電車の乗り換えが春日部駅なのです。

*江戸川をはさんで、宝珠花地区は、春日部市の西宝珠花と野田市の東宝珠花に分かれてしまいました。同じように、西金野井(春日部市)と東金野井(野田市)、西親野井(春日部市)と東親野井(野田市)、その他、幸手市と野田市、吉川市と流山市、三郷市と松戸市の間にも、同じ地名の泣き別れが見られます。

*松尾芭蕉の句碑、読めますか?

*“紙ふうせん”で食事をして、近くの愛宕神社にお参りしました。境内に、松尾芭蕉の句碑があります。野田市で3番目に古い句碑だと書いた立札がありました。文政11(1828)年、松尾芭蕉がここに来て詠んだのだろうか、それとも後に、門人・ファンが建てたのでしょうか。

 *“百年の気しきを庭の落葉かな”。わかったような、わからんような、です。“気しき”がわかりません。


うさぎ年にウナギ年という年賀状で初笑いです(2011.1.11)

2011-01-11 14:42:05 | Weblog

 このブログ恒例の“ウチに来た年賀状ベスト1”。
 “ことしはウナギ年!の年賀状に決定です”。

 家人宛の年賀状ですが、家人も、私も、年賀状の束をめくりながら、見過ごしていました。3人目、ひょっとすると4人目?にめくった息子が、“にやり”としたのです。

 それで、その息子が帰京する“明日(4日)のお昼はウナギだね”ということになったのです。翌朝、迷わず松伏町の“川昌”をネット検索・・・が、火曜はお休みでした。

 この年賀状をくれたのは“きぃ”さんです。先日あったおり話しました。
 “この年賀状のために「うなぎ」を食べに行きました。「せいろ蒸し」が好きなんですが、写真ウツリがいい「うな重」にしました。鰻が大好きです”と。

   【おまけ】

*年末に“孫守り”がなかったので、年賀状は年内に発送できました。この頃、一年に一回の相互“安否確認”の色が濃く出ています。

*こんな返信も。“4月にパソコンが壊れて、3か月間パソコン無しの生活をしたら、mixiがとてもおっくうになり、パソコンをみる時間がもったいなくなってしまいました。情報過多のこの時代に必要な情報はやってくるだろうと思っています。逆にアナログ的生活、人間対人間のつながりを楽しんでいます。けっしてかっこ良くはないのですが、コミュニティ・カフェ花みずき版ができつつあります”(清里“花みずき”プルメリアさん)

*1月11日、松の内も終わり。正月気分を一掃して本気に仕事を、・・・と思う仕事なし。昔話“うさぎとかめ”のカメのように少しずつ着実に生きよ、と言われてきましたが、今や完全に“うさぎ”状態、時と所を選ばずに寝ています。それも平穏・平和のあかしです。


笑い声の絶えないウサギの初釜は春のようでした(2010.1.10)

2011-01-10 17:36:36 | Weblog

 1月15日の小正月の日が、成人式、成人の日と決まっていましたが、今は違います。都合よく祭日が変えられるようになったのは、いつ頃からだったでしょうか。土日祭と3連休をつくります。また、成人の日という国民の祝日に成人式であるわけでもありません。私の住む春日部市は、昨日の日曜日が成人式だったようです。去年もそうです。
 太陽暦では、正月も天然宇宙的には、特別な日ではありません。
 まあ、成人式ってなんだろうね、と思うこともあります。私らの20歳、1960年頃、“行かないことも成人の自立”のあかしだったようにも思います。

 さてさて、この3連休は、茶の湯好きには、新年の初稽古、初点、初釜の行事があります。千利休の流れをくむ茶道宗家から、町のお茶好きに至るまで、それぞれの形で集います。

 家人の茶の湯グループも、昨日(1月9日)、初釜を行いました。ワタシは終日、機材搬入搬出係です。例年どおりです。

 毎年、会場選びに思案しています。今年は、もう我孫子といってもいい、柏市営の日本庭園にある茶室・松柏亭です。クルマで1時間ほどです。

 9時のオープン少し前について、ごく近くの“布施弁財天”にお参りに行きます。そして、そこの竜頭泉からの水を汲みます。初釜のための若水です。

 日本庭園があって、松柏亭という、広間と、4畳の小間の茶室があります。
 南に面して、ガラス越しに、もう春の日差しの、あたたかい一日でした。笑い声の絶えない初釜になりました。そのスナップ写真から、何枚かを貼り付けます。






 【おまけ】

*紅龍山東海寺=布施弁天東海寺

*七福神は神様でしょう。ここの弁天様って、琵琶を抱いていません。弁天様って神様ではなかったのかな、ここはお寺です。なのにでっかい鳥居があります。

*よくわかりません。真言宗豊山派のお寺です。本堂の裏には、歓喜天(ガネージャ)、合染明王(ラガラージャ)、虚空蔵菩薩(アーカーシガルバ)など、インド・ヒンドゥの神々が祀ってあります。祠をのぞけば、10~20センチほどお姿が見えます。北インド・シルクロード・中国をへて、日本に渡ってきたものです。日本伝来には、サンスクリット語を日本にわかりやすく伝えた弘法大師の役割も大きかったのでしょう。これら、大昔のインドの神々は、大らかな愛と幸福の神様です。


エベレスト女子登山隊(1975)がキャンプで茶の湯(野点)を楽しむ古い写真(2011.1.8)

2011-01-08 16:33:05 | Weblog

*エベレスト日本女子登山隊のタンボジェ・キャンプでの野点。(もちろん版権は読売新聞社が所有です。35年前のことで、もういいでしょう)

 今、ネパール・ポカラにいて、“アンナプルナを見に行こう”と誘ってくれる知人に、“今年は行けない”とリプライしました。
 ほぼ毎日、ヒマラヤの写真のついたメールをもらっていたのですが。行きたいな、行けないかなあ、と思案していて。全然リプライできなかったのです。
 先ほど、行けないとメールを打ちました。

 私らの時代、仕事しながら、会社に行きながら、ヒマラヤに行くなんてできなかった。そんな二者択一できた人もラッキーな人でした。仕事をやめ、多少の自由と、多少の小銭があっても、その時には身体がボロボロです。
 今思えば、多少の無理をしても、若い時こそ、やりたいことをやっておくべきでした。

 日本女子エベレスト登山隊が、エベレストに女性初登頂したのは、1975年のことです。田部井淳子さんが5月16日12時30分に山頂に立ちました。田部井さん36歳です。
 日本のヒマラヤ遠征は、毎日新聞が支援してきたのですが、たぶん、ここから後は、エベレストは読売新聞が支援してきました。

 だから、遠征の様子は、ひんぱんに読売新聞に載っていました。そんな中、キャンプ中の女子隊員が揃って、茶の湯(野点)を楽しんでいる写真が載りました。その写真のオリジナル・ネガからプリントしてもらっていたのです。

 急に思いついて探し出しました。4000mのタンボチェでの写真です。
 その頃、登山隊はここで、高知順応させるためしばらく留まり、荷物を整え、登っていくのです。この時は、3月27日から4月12日までタンボチェにいたと記録されています。いつの読売新聞に載ったのか、メモしていません。 その時、読売新聞は、北村節子記者が隊員として同行しています。

 その頃の日本女性らしい風景です。その辺のことを知りたいな、とネットをみていたら、北村節子記者の書いた本があることを知りました。すぐに古本をアマゾンに頼みました。

*2008年5月10日のエベレスト初登頂者ヒラリー卿の追悼の集いでの田部井淳子さん。

 2001年、私は、タンボチェまでのつもりで、エベレストを見に行きました。もうちょっと上まで、ベースキャンプまで行く予定にしておけばよかったな、と悔し涙で引き返してきたのです。

  【おまけ】

*ネパールは、1月1日はお正月でもなんでもありません。暦が違います。確か11月ごろが新年です。それでも、ネパール・ポカラの本屋のオヤジから、ハッピー・ニュー・イヤーのメールが届きました。お雑煮は食べないでしょうが、1月1日には、何かあるのでしょうか。

*近所のスーパー・ヤオコーの“七草”売り場、ワタシは、この裏側にあるもっと安いのを買いました。
*写真を撮ろうというと、家人がまな板上に並べてくれました。どうしても七草にならず、八草になるのです。

*冬になるとネパールにいく知人も、日本を離れて2か月ぐらいになります。恋しいかどうか、日本の風景を貼り付けます。昨日は1月7日、七草粥でした。ウチも食べました。

  【おまけ-2;1月8日午後10時発信】

*今日の朝日新聞2010.1.8夕刊5面

*驚きました。今日午後、このエべレスト女子登山隊のブログをアップして、そのまま外出。その夜、朝日新聞の夕刊(1月8日付)を見て驚きました。エべレスト女子登山隊の話が5面のほぼ全面(旧来の呼び方では全8段)の記事でした。世界史探訪という連載物です。話の内容は全然違いますが、まるで示し合わせたような、偶然です。

*登頂は、5月16日正午です。そのニュースが日本の新聞に載るのは、翌17日の夕刊です。むろん登頂の写真は載っていません。現在では、エベレスト山頂からでもリアルタイムで写真が届きますが、当時は、各社速報を競っていましたが、こんな状態でした。


ネパールにいる知人からヒマラヤ・マナスルを見に行こうとの誘いがあるのですが(2011.1.5)

2011-01-05 23:37:15 | Weblog

*中央の双耳峰がマナスル(知人の撮影2010.12)

 今年の元日の新聞に、地球環境についての記事がない、ほんの数年前まで、元日号には大きく“地球温暖化、自然環境”記事が踊っていたのですが、と昨日のブログに書きました。
 例えば、2008年の朝日は、ヒマラヤの写真を載せて、南極で越冬した中山由美記者が記事を書いていました。

*朝日新聞2008年元日号第4部、奥がマナスル、中央がアンナプルナ(武田剛記者撮影)

 今、ネパール・ポカラにいる知人から、メールと合わせて、トレッキング中の絵葉書が届きました。

*今日(1月5日)に届いた(12月23日発信)の絵ハガキ、マナスルを見に行こう。

 <あけまして おめでとうございます。新しい年にふさわしいかどうかわかりませんが、ヒマラヤの山です。
 機上からのマナスル山群マナスル(8163m)とピーク29、ヒマルチュリの3つからなる。この3山とも日本人により初登頂されている。1955年の今西利男のマナスル初登頂は、山を知らない人でも当時話題となったようだ。先日亡くなった梅棹忠夫さんは、この時に病気で登頂に加われなかったことがとても口惜しいと、日経から出た最近の本に書かれている。
 この山々はカトマンズからもポカラからも遠くて、アプローチが長い。しかしポカラ空港から遠く眺められる、また私が通っている日本語学校からも山頂が望まれる。残念なことに北側に位置するので光線の加減がいつも良くない。
 できるならば日本に帰る前に、2泊程度でマナスル展望のトレッキングをしたいと思っています (k)>

  そのとおりです。マナスルは8125m(世界7位)、日本人初の8000m登頂です。昭和31年(1956年5月9日)午後0時30分登頂です。
 その頃、少年だったものは皆、探検に憧れたのです。マナスル初登頂は、京都大学山岳部だったでしょうか。毎日新聞社が支援していました。同じ頃、南極探検隊、南極越冬という少年たちの憧れがありました。朝日新聞社の支援です。

*少年のころの憧れ。左:毎日グラフ(写真は槇有恒隊長)50円、右:マナスル登頂記、昭和31年8月20日発行、200円。

 <ポカラで待っています>と書いてくれているのです。
 マナスルを見に行くのもいいなあ・・・・と思ったのですが。

 これから、1月23日;“春日部市市民活動フォーラム”に深く関わっており、2月1日と15日;柏の国立がんセンターでの術後検診、3月20日には、私のいるスウィング・ジャズ・バンドのジョイント・コンサート、と月一に大きなイベントがあって、どうにも自由になれない。がんセンターの検診、たぶん問題なしの判断をもらってなら、10日ほど空きますが・・・知人の日程と合いそうにない。
 今年だめなら、永久にだめなわけですが。

  【おまけ】

*今年の元日号、各紙どれも書いているのは、“9.11 米国集中テロから10年目にあたる今年”に、その間のキリスト教とイスラム教、(・・・教徒、教国・・・)の相互不信、米国の威信の喪失の時代の到来とする記事です。

*正月の各紙に、今年のカレンダー(日程)があって、朝日は、今日1月5日付け6面に、“1月15日:国連ネパール支援団(UNMIN)撤退”との一行がありました。何度かこのブログにも書きましたが、ネパールは王制が倒れ、共和制に移行しました。その間、日本の自衛隊は国連平和維持軍(PKO)としてネパールに駐在していたのです。 正直に言って、自衛隊が、ネパールに行くのか、と思っていました。


近所の屋根にもソーラーパネル。今年元日の新聞に自然環境の特集はないけど(2011.1.4)

2011-01-04 23:37:27 | Weblog

*ここにもソーラーパネル

 元日の新聞各紙を買うのは、もう昔からの習慣です。
 今年元日の新聞、朝日は112ページ、日経は100ページ、読売は108ページ、埼玉新聞は80ページ、毎日新聞は近所のセブンイレブンに置いていません。
 お正月らしさは、厚い新聞と、どさっと届く年賀状です。

*めくりますが、ほとんど読みません。

 毎年、新聞各社は、10月初めから正月紙面を考えます。
 “今”のトピックス・トレンドを大きく扱います。大きな特集にします。今年の正月紙面には、それがないのです。国、世界が湧き上がっているものがないのです。暗い世相でしょうか。
  “無縁社会”しか話題がないのです。それも朝日がポツポツ書いているだけです。広告面には、全面広告面には“家族のきずな”が目につきます。

 近年、私が気づいた“お正月の意味・役割、楽しみ”のひとつは、家族が集まることです。どのおうちもそうでしょうか。
 その昔、ワタシは正月も仕事をしていることが少なくなかった、のです。

 わが家にも、“東京に出ている息子ふたり、嫁に行っている娘”(古い言い方ですね) が揃うことです。

 上の息子は、私の“ナチュラリスト”の部分が似ているのかもしれません。新聞をたんねんに読みます。
 “今年の元日紙面に、地球環境課題や自然エネルギーの話が全くないね”と話します。この2,3年の元旦紙面には、自然環境を大切に!のオンパレードだったのですが。いったいどうなったのでしょう。自分の国、京都の議定書はもうやめ!と言っている国ですから、新聞もそれに従っているのでしょう。地球環境問題がクリアされたわけではないのですが。
 自然エネルギー、ソーラー(太陽光)発電の仕事をしています。


*東京ー箱根間関東学生駅伝の中継にもソーラーパネルのCMが流れます。新世代ソーラーパネルです。

 近所をクルマで走りながら“この辺も(屋根の上の)ソーラーパネルが増えてきたなあ”と、つぶやきます。

 下の息子は、私に全くない“アートな”センスを持っているようです。
 子どものころから絵をかくのが好きだった。年一回、家族での北アルプス登山時代に、スケッチするのは私とこの息子でした。新聞はとっていません。
 今、グラフィック(文字)デザインをやっているようです。少ない休みは、ほとんど寝ているらしい。

*左;ウチらのバンドのコンサートポスター(5年ほど前)を何度か作ってくれました。
*これ、元日の夜中に作っていた年賀状。鷲宮神社の参道で買っていた桐の板に印刷。パソコン⇒プリンタでは、できません。

 娘は、ふたりの孫つれて帰ってきます。このブログにも時々、登場する孫です。
 元日の朝日新聞の“教育のあした”の、熱血?センセイの記事を見ながら、“こどもの教育はウンみたいなもんだね”と、“当たった”センセイによるよね、と。孫の小学校1年の担任が1年間に3人も4人も変わった話をします。保育所・学童保育を頼りに働きます。

 正月2日にひとり帰り、3日にひとり帰り、そして、今日4日にひとり帰りました。
 また今年も、静かな“高齢者だけ世帯”の日常が始まります。

 行政、例えば春日部市役所では高齢福祉課、の“民生委員”への見回り指示対象世帯=高齢者だけ世帯=です。地縁なし、社縁なし、でも、“無縁”世帯ではなさそうです。


初詣、地元、春日部・庄和の香取神社から鷲宮ラキ☆スタ神社へ(2011.1.1)

2011-01-01 21:30:17 | Weblog

*ラキ☆スタ絵馬がいっぱいです。

 元日ですが、普通に目覚め、普通に起きます。新聞をとりに出て、その足で、コンビニに他の新聞を買いに出かけます。正月の新聞各紙を“駅”に買いに行くのは、昔からの習慣です。日経、朝日の他を買います。いつものことです。

 新聞を読まずに、9時出発で初詣です。
 一番近い“大衾香取神社”は、大晦日徹夜の氏子さんたちは、もう“店を閉めています”。賽銭箱も、鍵のかかった扉の中です。人はだれもいません。今年、ここのご加護はなさそうです。

*大衾香取神社
*西金野井香取神社

 お天気もいいし、もう一軒、別の“西金野井の香取神社”に行きます。秘かに思いを寄せている?人に、遭遇しました。おみくじは“吉”です。

 わが家のお雑煮は、いつもお昼です。昨夜から来ている二人の息子を起こし、新年のあいさつです。
  それから、鷲宮神社へ行こうかということになったのです。クルマを停めることに悩むよりは、と電車で出かけました。

 この頃、ラキ☆スタ神社化、若者神社化しているようです。そもそもは、関東最古の由緒正しき鷲宮神社です。ずっと昔、一度だけでかけたことがありました。

*鷲宮駅をおりたら、コンコースがこの調子。

 東武鷲宮駅から神社への道に、ラキ☆スタ女子高生があふれているわけではありません。
 それよりです。参詣者が並んだ列が長いのです。“3,4時間待ちですね”と最後尾の看板をもつ神社関係者。“ご祈祷の方は、並ばず進んで下さい”、ご祈祷は3000円です。

*並んでいるのです。

 まあ鳥居の所で“柏手をうって、出店で何か食べて帰ろう”ということにして、列を横目に、行ける所までいきます。
 境内にはつきましたが、神殿前の“お賽銭箱”には、近づけません。

*並んでいないから巫女さんから授けられる物はもらえません。

 だから、ここでも、“今年の神のご加護”は期待できないでしょう。

*帰り道にも並んでいました。正面は、大酉茶屋(ラキ☆スタ・デパート?)。

 それでも、お正月らしさを少し感じて、引きあげます。
 まずは、平穏な年明けです。

 【おまけ】

*買いました。福が来るかもしれません。