4月4日(金)に春日部ロビンソンで“桜さくら”のお茶席(2008.3.31)

2008-03-31 16:35:41 | Weblog

*百千鳥社中の茜mさんの手織りの作品<吉野の山・花霞>が茶席を彩ります。

明日からは4月。当地の桜満開は、あと少しです。
春日部ロビンソン・デパート7階文化ギャラリー<春芸展>でお茶席を持ちます。
知人やグループ百千鳥さんらは、桜のもてなし準備に華やいでいます。

*昨年の春芸展<百千鳥の茶席>

昨年、大勢のお客様に喜んでいただいた<春芸展の“百千鳥”の茶席>の様子は、<ここにあります>

世の中にたえて、桜のなかりせば
春のこころは、のどけからまし。

文化ギャラリーは、華道・工芸などの展示で、春爛漫になるでしょう。
今年は、<さくら・桜・さくら>をテーマにした“桜のお茶席”です。

桜のお茶会といえば、醍醐の桜が思い浮かびます。さてさて・・・・どうなりますか。
お菓子も、さまざまの桜。お道具も、さまざまの桜 。<さくら・桜・さくら>のお茶席です。

*春芸展<百千鳥茶席>のご案内

***春芸展 お茶席 <さくらさくら>***
と き;平成20年4月4日(金)午前11時~午後3時
ところ;ロビンソン百貨店春日部 7階文化ギャラリー

*お茶券300円です。当日券もあります。

<薄茶一服。お気軽に。椅子席にて、お待ちいたしております。>
ぜひ、お出かけ、お楽しみ下さい。

  【おまけ】

*先週のおみやげ。先週ほぼ一週間、岡山の知人と一緒でした。おみやげに、岡山名物<つるの玉子>をいただきました。

*<つるの玉子本舗>は下山松寿軒(明治20年創業)です。私は、岡山県の郡部で育ちました。子どものころ、つまり戦後の早い時期、この<つるの玉子>のやわらかさ、あまさに、驚いたことを、今でも覚えています。マシュマロなんでしょうが、マシュマロなんて知りませんでした。


冷たい雨でも、春の陽気でも、卒業式は涙ボロボロ(2008.3.24)

2008-03-24 18:26:09 | Weblog

今日(24日)、当地は冷たい雨です。春日部市立南桜井小学校の卒業式に参列してきました。

*晴れの日は、あいにく冷たい雨。

はるか昔、私らの子どもたちの卒業式以来ですから、10年以上ぶりです。その昔も大きな感慨はむろんありました。しかし今日は、ほんとに涙ボロボロ気分でした。
ようやく地域になじんで、地域の子は自分たちの子と思えるようになったのか、ただただ涙もろくなっただけなのか、はたまた日光杉の花粉のせいなのか。

6年生3クラスで、81名。欠席なしとのこと。それはほんとによかった。
校歌を一緒に歌いたくなったり、拍手したくなったりするのですが、卒業証書授与式は厳粛にすすんでいきます。

 

校庭でいつまでも、はしゃぎながら別れを惜しむことは、冷たい雨でできなかったでしょう。まあ、いいか、みんな揃って葛飾中学校に行くのだし。

   【おまけ】

“長かった”のひとことが胸にきます。

*先週の土曜だから3月22日。私の知人の信州大学で卒業式がありました。携帯から<卒業したよ>との可愛いメールが届きました。マスター2年も含めて8年間の大学生活だったのです。
*“ほんとに長かった”とのメッセージが、こちらにしみじみと響きます。よく頑張ったな、とほんとうに思うのです。長野もおそらく、こぶし、花みずき、白い花が咲き始めていることでしょう。


アーサー・C・クラークさんがほんとうの宇宙に旅だたれた(2008.3.22)

2008-03-22 22:56:48 | Weblog

3月18日のお昼のNHKニュースでも、夕刊でも大きく報じられました。
<“2001年宇宙の旅”などで知られる英国人のSF作家アーサー・C・クラークさんが19日、移住先のスリランカで死去した。90歳だった>

今後も、しばらく特集記事が続くでしょうし、雑誌も、永久保存版の全頁特集号が出るでしょう。
SF(Scientific Fiction;空想科学小説)には、熱狂的ファンがたくさんいます。私はほとんど読みません。しかし、このブログでも、一度アーサー・C・クラークのことを書いています。<ここです>

1919年生まれ、英国軍でレーダーの研究をしていました。1945年10月には、雑誌Wireless Worldに、論文<Extra-Terrestrial Relay>で、3個の通信衛星があれば、全世界をカバーできる通信網ができることを提案したのです。赤道上空38,000kmに静止(地球の自転と同じ速度で回る)静止通信衛星は、1960年に実現されます。以来ずっと衛星通信分野の中で大きな存在になりました。

 

大評判の“2001年宇宙の旅”も読んでいません。映画はテレビで見ています。
アーサー・C・クラークには、未来、近い未来の現実社会を発言する意味で、関心を持ってきました。通信もコンピュータ活用、宇宙進出も<まもなくそうなるだろう>と思いながら接していたのです。だから、アーサー・C・クラークだけは、未来学者のように思っていたのです。

スリランカ(セイロン島)に移住して暮らす姿勢は、雑誌のグラビアなんかによく紹介されていました。憧れの見事な暮らしっぷりでした。

 スリランカは、赤道近くです。静止衛星軌道直下です。スリランカの高い山のお寺に登っていくことは、昇りつめることは、天(静止衛星軌道)に登っていくことです。
SF<楽園の泉>に登場する“宇宙エレベーター”の概念です。

 私らもまた、普通の凡人が、天に神を思い、山を拝みながら、山に登りながら、神を夢想したりします。クラークもまた、スリランカの土着の信仰と宇宙への思いを重ねたのでしょうか。

そして先日、クラークはほんとに天に昇りましました。おそらく天で彼が描いたいくつかのSF宇宙の中をさすらっているのでしょう。

宇宙エレベーター実現の研究は、現在、米国NASAでなさされているそうです。
さすがに、この空想的技術には、私はついていけません。それでも、もう50年も生きておれば、宇宙エレベーターをみることができることがあるかもしれません。


ジャズ・ディ かすかべ(4月12日)プログラム。エリック・ミヤシロさん も出演(2008.3.20)

2008-03-20 12:37:19 | Weblog

私らスウィング・ベアーズも、春日部中心部の公園で開かれる“Jazz day かすかべ”に出演します。この間、Swing Swing Swingに集まった、三大ビッグバンドが揃って出演します。この地域、社会人バンドで三大です。他にないから三大ビッグバンドです。Swing Swing Swingの様子は、<ここにあります>

昨日あたり、市内一斉にポスターが貼られたでしょう。

日時;2008年4月12日(土)12時~午後5時
会場;春日部・中央町第4公園(春日部駅西口からイトーヨーカドー近く。徒歩5,6分)
入場無料

ここで、プログラム、出演バンドを紹介しながら、<皆さん、ぜひお出かけ下さい>と広報、宣伝です。

12:00~ 春日部市立豊野中学校吹奏楽部
全日本大会、世界大会レベルのマーチング・バンドです。評判は聞いてはいたのですが、私が聞く機会はありませんでした。ひょっとすると一般市民への初公開かもしれません。

12:40~ 白岡町立菁莪中学校吹奏楽部
なんと読むのかわかりません。ポスターには、“スチューデント・ジャズ・フェスティバル 2008”での演奏写真が載っています。1月27,28日、日本青年会館(東京)での演奏の実力を楽しみましょう。

13:20~ 春日部女子高校吹奏楽部

昨年(2007)春のジャズディに出演し、拍手喝采だったスウィング・ガールズさんです。この春も一番の人気でしょうか。

14:20~ スウィング・ベアーズ(拠点は、春日部市旧庄和町)

ここから社会人バンド。のどかな田園育ちバンドです。今年、結成20年、20年もやっています。<ちょっとゆっくりめ>の4ビート・ジャズをお楽しみ下さい。

15:20~ オール・スウィング・ジャズ・オーケストラ(拠点は、越谷市)

ジャズディかすかべには、初登場。エンターテイメント魂ゆたかなメンバーによる<時に爆笑ステージ>をも、やってのける実力派バンドです。

16:20~ ドリーム・スウィング・キングダム(拠点は、春日部市)

埼玉県のジャズ・シーン、ステージもバックステージにも力を発揮する成田さんを中心にまとまります。ジャズディかすかべのレギュラー・バンドです。毎回、ゲスト・プレーヤーを交えて見事なステージ。
今回は、ハイ・トーン・トラペットのエリック・ミヤシロさんをゲストに迎えます。


3月2日上海のステージで“チベット独立”を叫んだシンガー・ビョーク(2008.3.19)

2008-03-19 13:25:24 | Weblog

*朝日新聞2008年3月6日付

この新聞記事をスクラップしていました。この歌手さんは全く知りませんでした。ビョーク(Björk Guðmundsdóttir)です。ネットで調べてみて、日本との関係もいくつかあるのですが、全く知りませんでした。
昔と違って今、私は“演歌志向”になっているのかもしれません。

<アイスランド出身の女性シンガー・ソングライターのビョークさんが2日、上海で開いたコンサートで“チベット独立”を叫び、物議を醸している。中国紙「環境時報」などが伝えた。報道によると、ビョークさんは上海国際体操センターのステージ上で、「ディクレア・インディペンダンス」(Declare Independence)という曲を歌った際、「あなたたちの旗を高く掲げ、独立を宣言しよう」という歌詞の後に「チベット!チベット!」叫んだ。>(北京=西村大輔/朝日新聞2008年3月6日付)

「ディクレア・インディペンダンス」という歌を聞いたことはありませんが、タイトルは、独立宣言の意味ですね。

これは大変だ、身柄拘束だろう、と思ったのです。続報を探しましたが見つかりませんでした。そうした中の3月14日に、チベット(中国のチベット自治区)のラサで暴動が起こったのです。メディアも大きく扱っています。同時に、中国側による報道に対する束縛も伝えられています。メディアもそのことに注意を喚起しています。
正確な騒乱状況の報道はなされていないかもしれません。

長年思っていたチベット放浪を、今年あたり実現させたいと思っていました。

*世界中の仏教徒が拝む聖山・須弥山です。チベット西部にある“カンリンボチェ(カイラス山)”。昭和2年に旅した長谷川傳次郎の写真集(昭和50年復刻、25,000円)、高くて買えないのでパンフレットを眺めて、行きたいと思ってきました。もう体力的に無理かもしれません。

中国のチベット族への重圧に対する、チベット民族のリアクションでしょう。それを力で封じ込めようとする図式は容易に想像できます。


もっとも私の知識は、1997年のアメリカ映画“セブン・イヤーズ・イン・チベット”から程度です。心静かなチベットの民に武力で侵攻した中国という印象が強いのです。
<詳しくは、ここにあります>

第2次世界大戦が終わり、新しい世界地図ができたのです。
チベットは、中国に飲み込まれたのです。
1949年10月 中華人民共和国成立
1951年 人民解放軍がラサに進駐
1959年3月 中国統治に抗議する大規模デモ(チベット騒乱)、ダライ・ラマ14世がインドに亡命。
1965年9月 中国政府がチベット自治区設立

*19世紀後半の“広いチベット”です。
*1993年3月のアジア。チベットはありません。(2枚の地図は、娘の社会科の副読本・総合世界史図表から)

私ら、学校の社会科で習う世界地図は、国別に色分けされてことが多いでしょう。
国境は、峻険な山脈や大きな河川によることもありますが、自然地勢図的には国境線はないのです。国境は、はるか古代から人が作った歴史の遺産です。いつの時代も、人の欲望や野心、力によって決まってきたのです。

*今日3月19日の日本経済新聞から。

第2次世界大戦後の世界地図が、今、さらに新しい地図に変わろうとしています。
その動きは、旧ソヴィエト・エリア、バルカン・エリア、当然、中国エリアにも波及しているでしょう。民族は、それぞれ力をためてきたのです。しかし、それは、いつの世にも、武力がものをいうのです。

  【おまけ】

*ビョークは、上海コンサートの前の、2月19日、日本での武道館コンサートで、同じ「ディクレア・インディペンダンス」の歌で、“コソボ!コソボ!”と叫んだといいます。その時、日本人聴衆はどういった反応だったのだろうか。

*ビョーク・グズムンズドッテイルさん

*ビョークを詳しく知りたい方は、<ここにあります>


春日部市立南桜井小学校で読聞かせボランティア募集中、それと・・・(2008.3.17)

2008-03-17 17:43:44 | Weblog

*南桜井小学校からのお知らせ

私の住む団地には、地域の小学校だより、中学校だよりが回覧されます。
子どもらが大きくなって全く疎遠になったといえ、小・中学校の様子は、わりあい丁寧に読みます。
一昨日“読み聞かせボランティア”募集の回覧があったのです。

町の知人には、学校のPTA活動をやってきた女性が何人もいます。その中には、小学校の読み聞かせボランティアを続けている人もいます。回覧されたお知らせによると、今15人がやっているそうです。毎週月曜の朝8時15分から20分間、子どもたちに本を読んであげるのです。
気に入った子どもの本も捨てずにもっている私にしてみれば、子どもたちに読んでやりたい、読ませたいと思わないでもありません。

<おじいさん、おばあさん、おとうさん、おかあさんに>と呼びかけています。とは、いっても私に手を上げる勇気はありません。
関心のある方は、南桜井小学校に電話で問い合わせて下さい。

  【おまけ】

*マザーハウスの一号店・入谷店(日比谷線入谷駅からすぐ)。

*昨夜(15日)10時からのテレビ(TBS)番組<情熱大陸・夢カバンで海外支援>に、マザーハウスの山口絵理子さんが出演しますよ、と聞いていました。

*今朝、このブログの昨日の閲覧数が852件 閲覧者数が664人であることを発見したのです。しかも、23~24時に566件、2月16日のブログ<メイド・イン・バングラデシュの素敵なバッグ>に656件の集中なんです。最初、コンピュータの集計ミス、ついで、イタズラかと思ったのです。
次第に読めてきました。テレビを見た人が、マザーハウス、山口絵理子さん で検索して、私のブログをみつけられたのでしょう。
<ここクリックして、読んでみて下さい>

*テレビの影響はすごい。いや、山口絵理子さんの素敵さ、素晴らしさはすごい。この頃、メディアによく登場されます。起業というのは、こういう風にやるもんだな、と思ったりします。

*朝日新聞(2008年3月10日付21面)

*このブログのプロバイダーは、gooです。昨日のこのブログは、gooの総ブログ数97891の中で、閲覧数325位でした。ブログを始めて1年半、初めて順位の表示がでる閲覧数だったのです。


春日部・庄和の人形劇くれよん、公演を終わって次は藤まつりに(2008.3.15)

2008-03-15 21:43:00 | Weblog

*人形劇くれよんの皆さんと応援の皆さん。

昨夜の雨の心配がうそのように、今日(3月15日)は、もう完全に春らんまんの陽気でした。
春日部市(旧庄和町)の“人形劇くれよん”が、シーズンを閉めくくる地元公演を行い、大勢の子どもたちの歓声の中に終わりました。

演目は、“あらしのよるに”です。
原作;きむらゆういち(講談社版)、脚本:藤枝京子(くれよん)、音楽;石黒エリ子(くれよん)、美術;佐藤洋子(くれよん)、演出;宮脇佳子(くれよん)。

 2年以上にわたって、公演してきた人形劇くれよんの<あらしのよるに>は、今日、実質的に終演です。
2008年度秋からの新しいシーズンは、“天狗童子”(脚本;藤枝京子)で、来週から新作に向けて動き始めるそうです。こうして、25年変わらずの活動です。

今日は、写真速報です。




*ごあいさつ、代表の宮脇佳子さん

 *本番客入れ前の受付さん

*音楽担当の石黒エリ子さん(リハーサル中)


  【特報】
* 毎年8月初旬に行われてきた、日本一といってもいい長野県飯田市の“いいだ人形劇フェスティバル2008”。今年は30周年で、同時に国際人形劇フェスティバルもあります、8月2日から10日に、全国、全世界から、人形劇団が集まります。
人形劇くれよんは、8月9日(土)11時30分~飯田市公民館で、<あらしのよるに>を上演します。
その日は、夕方から、いいだ人形劇フェスタ・フィナーレです。参加の人形劇団は、趣向をこらし市内パレードします。
そのパレードは、コンテストでもあります。くれよんは、昨年のパレードでベスト10・入賞しています。

  【もうひとつ特報】
*春日部市の4月27日(日)は、藤まつり、です。例年30万人の人がでるそうです。“人形劇くれよん”も、ブース?小屋?テント?を持ちます。 きっと楽しめるでしょう。期待しましょう。


放送禁止歌<イムジン河>も、いつの間にか問題なしの歌に(2008.3.12)

2008-03-14 22:58:07 | Weblog

左;禁じられた歌、田月仙著 中公新書、2008年2月発行

借りっぱなしの本を返しに、春日部市立図書館にいきました。新着図書の棚に、“禁じられた歌<朝鮮半島音楽百年史>”がありました。新聞の広告で、チェックして買おうかなと思っていた本でした。
まず“イムジン河”の章を読みました。本書では、“イムジン江”となっています。

1969年に、フォーク・クルセダースが、“帰ってきた酔っ払い”の大ヒットに続くシングル版として、レコーディングしながら東芝音楽工業が発売をやめ、放送も禁止された歌です。
1960年代末の若者だった者は、そのことやその意味をよく知っていました。しかし私もまた、歌うことはできました(今でも、たぶん・・・)。
その時代、放送だめ販売だめの状況だったのですが、集会で歌われ、歌詞を手書きで写したのです。歌のはやり、流布は、そうしたものです。

借りてきた本“禁じられた歌”の著者、田月仙(チョン・ウォルソン)さんは、朝鮮半島出身の両親のもとで日本に生まれ、成人してオペラ歌手として、北でも南でも歌って来られた方です。
“イムジン河”の朝鮮側からみた話で、興味深く読みました。
今、インターネット時代です。禁止されたフォーク・クルセダースの“イムジン河”を、ここで、すぐに聞くことができるのです。You Tube にあります。<ここクリックで聞くことができます>

今、この歌が、なぜ禁止になったか理解できない人もいるでしょう。“イムジン河”の歌詞を、ここに載せます。
(新聞、雑誌、単行本など出版物の原稿にする場合は、歌詞の2行以上は許されないのですが、ネット上では、歌詞を載せているサイトはいくらでもあります。だから載せます)

*少年Mのイムジン河、松山猛著 木楽舎 2002年6月発行

松山猛訳詞の“イムジン河”です、“少年Mのイムジン河”より。

1)イムジン河水清く とうとうと流る  
  水鳥自由に 群がり飛び交うよ
  我が祖国 南の地 想いははるか
  イムジン河水清く とうとうと流る 

2)北の大地から 南の空へ
  飛び行く鳥よ 自由の使者よ
  誰が祖国を 二つに分けてしまったの
  誰が祖国を 分けてしまったの

京都の学生であった松山猛さんが、子どもの頃の、遊び友だちの歌から聞き覚えていた歌から、日本語の詞を書き、メロディを加藤和彦さんが採譜したのです。
フォーク・クルセダースがコンサートではじめて歌い出したとき、会場は静まりかえったといいます。

フォーク・クルセダースは、1968年に、朝鮮民謡としてレコーディングしました。その時、 朝鮮総連は、<れっきとした作詞、作曲者が現存する朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の歌曲であるから、原詞と原曲に忠実にうたうこと> と抗議したのです。

原曲<イムジン江>は、朝鮮戦争休戦から4年ほどたった1957年に作られました。作曲は、高宗漢。作詞の朴世永は、現韓国の生まれ、1946年に北へ渡ったが、朝鮮戦争休戦で南北分断が固定化し、南に、帰れない思いを歌ったのです。
南北軍事境界線近くを流れる河<臨津江(イムジンガン)>を歌ったのです。
 “イムジン河”は民族が分断され、南の故郷に帰れない北の人たちの思いを自由に河を渡る水鳥に託しているのです。

原曲の2番の歌詞になると、<南の韓国では凶作で草の根っこを掘るほど貧しいが北は豊作は、穀物はあふれ豊かである。統一すべきだ。>、まさに北朝鮮の愛国歌なのです。
“北”は原詞を忠実に歌うことを要求したのです。“南”は歌うことを許さなかったでしょう。

いつのことだったか、(2001年暮のことですが)日本の公共放送NHKの紅白歌合戦で、“イムジン河”が登場しました。キム・ヨンジャが歌いました。
そのとき、ほんとにびっくりしました。<NHKだぞ、禁止は解けたのかなあ>という気持ちを持ちました。

2000年6月、南北分断後の朝鮮半島で初の南北首脳会談が実現しました。田月仙さんは、TBSの筑紫哲也ニュース23で、生放送で“イムジン江”を歌っていたのです。そこらあたりから、“イムジン河”が、おおぴっらに歌われるようなのです。

その頃、北朝鮮、韓国、そして日本の関係に、どういう変化があったのか、よく考えてみたい。

都はるみ(2000年)がコンサートで歌い、キム・ヨンジャ(2002年)はCDを出しました。そして、2002年には、発売禁止になっていた68年のフォーク・クルセダースの“イムジン河”も34年ぶりに発売されたのです。

*イムジン河(シングル盤)(私は持っていません)

*朝日新聞 2002年3月

むろん、今カラオケ屋さんのリストにもあって、誰はばかることなく“イムジン河”が歌えるのです。 歌えない時代があったことも知っておきたい。

  【追加 2008年3月15日】

*禁止でなく、自粛ですよ、とコメントで指摘を受けました。
*また、ネット上にはたくさんイムジン河について書かれています。関心のある方は、ぜひ併読してみてください。
*1960年代、アメリカ・ポピュラーソングの翻詞も含めて、かなり自由(厳密さを欠く)だったでしょう。著作権感覚も希薄だったかもしれません。そういう意味で、レコード発売中止などは、当然だったかもしれません。


東京大空襲が私の住む埼玉県の(旧)庄和町を作ったのです(2008.3.11)

2008-03-11 10:48:39 | Weblog

*旧軍需工場正門。後に、病院の正門になり、もうまもなく分譲住宅地になりそうです。病院時代、マスコミがおしかける社会問題があって以来、頑強な扉がつけられ、今は敷地にはいれません。門柱は、軍需工場時代のままです。渥美清さんが療養していた病院でもあります。私の家のそばです。

1945年3月10日は、東京大空襲の日です。<敗色濃厚な太平洋戦争末期の3月10日に日付が変わった直後から、東京下町(台東区・墨田区・江東区)を300余の米軍爆撃機(B29)が襲い、32万発の焼夷(しょうい)弾を投下2時間半の爆撃で27万戸の家が焼かれ、10万人の命が奪われました>。ほんの、わずか63年前のことです。

東京下町から真直ぐ北に30km。旧庄和町(現春日部市の一部)があります。基本的に田園地帯です。昭和40年代後半から、急速に宅地開発され東京のベッドタウンの一つになりました。私が当地に家を買ったのは、1974年です。

役場から<新住民>といわれていた私らが、不動産屋が新たに拓いた“雑木林や荒地”に住みついたと思っていたのですが、実はそうではなかったのです。
その前に、この地に仮住まいしていた一団がいたのです。

 <東京大空襲が庄和町をつくったのです>
埼玉県立庄和高校(1980年創立)の地歴部は、その見事な研究報告の中で、そう書いています。
旧庄和町(当時は南櫻井村、現春日部市の一部)の中心部、すなわち南桜井駅周辺はすべて、軍需工場だったのです。その軍需工場は、東京・錦糸町の精工舎が爆撃・空襲に備えて疎開・移住のために作られたのです。総面積15万坪。軍需工場の操業は、1944年(昭和19年)10月でした。敗戦の10ヶ月前です。

*軍需工場全体図。ピンク線は現状。

工場設備だけでなく従業員3000人も含めた移住だったのです。現在の三井住宅あたりが、男子寮、駅の南に、女子寮。現在の殖産住宅あたりは世帯持ちの社宅エリアです。

大空襲で真っ赤に燃える東京の空は、南櫻井村からも見えたといいます。その日は、陸軍記念日で、工場はお休み。従業員の多くは、実家の東京下町に里帰りしていたのです。南櫻井村に移住していた人たちとその家族にも荒れ狂う火の中に悲惨が展開したのです。 明けて、帰ってこなかった者も少なくなかったのです。

すぐに8月15日。敗戦、工場閉鎖(進駐軍の管理下)と、個人ではどうしようもない世の流れの中に、寮・社宅を出て行くもの、出て行けないものに新しい生活が始まります。
大空襲で東京を焼け出され、南櫻井村にたどりつくものも少なくなかったでしょう。また、まとまった寮は、外地からの引揚者収容のためにも使われました。

のどかな田園地帯の片隅で、その時代の食べるものが充分でない生活は、想像に難くありません。

*庄和高校地歴部の研究成果。地元の本屋さんで売っていました。

庄和高校の地歴部の報告書、“南櫻井村戦後史”(1989年)、“庄和町と東京大空襲”(1994年)などは、その後も庄和町に住む人やゆかりの人を訪ねて聞き取り調査をし、丁寧に掲載しています。その報告は類をみない、役場の“庄和町史”以上の見事な成果だと思います。
ただ、その後、不動産会社をとおして、どのように分譲住宅団地になっていったかには、触れていません。

今、平和にみえる旧庄和町の高台地区と呼ばれる住宅地の下に、あるいは片隅に、そこに住んだ人たちの忘れることのできない戦争の歴史が、横たわっていることも知っておきたいと思うのです。

   <おまけ>

*加藤春代さんの寄稿コラムの一部

* このことは、何年か前に、ご近所コミュニティ紙に書いたことがあります。また、このブログでも触れておこうと思ったのは、町に住む加藤春代さんが、毎日新聞(2008年2月18日付け)の“女の気持ち”というコラムに<語り伝えたい>という原稿を寄せられていることを知ったからです。

* 加藤さんは、<庄和町に工場疎開とともに移ってきた斉藤玉さんと、宮城県に疎開していて、3月10日に卒業式のため東京に戻っていて、大空襲で犠牲になった妹の富由(ふゆ)さんとの間で交わされたお手紙、心のやりとり、大空襲の悲惨さ>を斉藤玉さんから聞きとって、一冊の本<蛍になった富由ちゃん>を出版されていたのです。

*写真はネットから。新風社発行

* 私は、読んだことはありませんし、知らないお方です。


自転車3人乗り容認へ。ご支援ありがとうございました(2008.3.9)

2008-03-09 14:41:46 | Weblog

*また登場の3人乗りの20年前の写真です。

もう一週間ほど前でしょうか、新聞に、<警察庁が自転車の3人乗り容認の方向へ。“子育てママ”のパワーが変えた>の記事が目立ちました。
暮れの、3人乗りの厳格な取締り方向の発表時の記事とは、大きな様変わりです。
その時、このブログは、<子ども2人乗せてがんばるママを許してあげて>と書きました。<ここです>

*朝日新聞・天声人語も扱いました。ただし、皆でよく考えましょうという、朝日らしい書きっぷりです。(2008年3月6日付)

一般的には、子ども2人乗せた自転車を見ると、<危ないなあ><危なかしいな>と見えるようです。ただ、私には、頑張っているなあ、頑張れよ、という気持ちになっていたのです。

私ら世代はもちろん、すこし後の世代もまた、こうして子どもを育ててきたのではないでしょうか。危ないと思ったことはないでしょう。それが、ごく普通だった。そうしなければ、やっていけなかった。
後(うしろ)に乗せている子どもが、頑張れ・ガンバレと背中を押していたのではないでしょうか。

圧倒的なクルマ社会になった。道路は、人でなくクルマのための道路になってしまった。ご近所のスーパーに行くのもクルマを出す。ゆっくり走る自転車に対してイラつく。
<自転車は皆、歩道にあげてしまえ。それが自転車の安全を守る方法だ。自転車の安全が第一だろう!!!>

今また、自転車に子どもをふたり乗せて懸命に生きていく生活に戻りつつあるように感じるのです。 なんか社会全体が逆行しているように思えるのです。
“地球環境に悪いクルマを手ばなそう!ロハスな生活を“と評論家風に言っているわけではありません。そういうことではないのです。

このブログを読んでくださった知人たちの何人かが、自転車3人乗りに関心を持っていることを話してくれました。
よかったとほんとうに思います。

*朝日新聞2008年3月7日付、写真の真ん中の自転車の子どもだけ、ヘルメットをかぶっています。かぶらせることが3人乗り容認につながります。そのことに触れてくれると、朝日らしい記事になったのですが。

正確にいうと、3人乗りOKには、3人乗りの安全な自転車の開発という条件があるわけですが、まあ、いいでしょう。これで<罰金をとることはできないでしょう、しないでしょう>と、思います。

私ら、“おとな(!)”にできることは、3人乗りの自転車を見たら、クルマの速度を落とし、ゆっくり抜いていくことでしょう。そのくらいの応援なら、誰にでもできます。


ガイア・シンフォニー、自然音楽、環境保護音楽(2008.3.7)

2008-03-07 12:26:58 | Weblog

もう週末です。ウィークエンド以外はすることもなく過ごしてきたのですが、今週は何やかやあってブログも書けず、ネタも貯まっています。だから、ちょっと長めです。

この前の日曜(3月2日)のことです。知人nさんに誘われて、大宮に、“地球交響曲―第6番―(ガイア・シンフォニー・No.6)”を見ました。ずっと前から、映画“地球交響曲”のことは知っていましたが、見たことはありません。第6番、6作目のようです。2006年の作品です。<詳細はここにあります>

ラビ・シャンカール、ケリー・ヨスト、ロジャー・ペインの3人の心を表す音楽で構成されています。 2番目のケリー・ヨスト(Kerry Yost)のピアノに魅かれました。チラシによると、ケリーは<幼い頃から大自然の山や川、森や湖との超越的な交感を何度も体験した>とあります。今、アメリカ。アイダホの自然と環境の保護運動に中心的な役割を果たしているそうです。澄んだ、心に沁みるピアノでした。気持ちのやすらぐピアノが、私の好きなアメリカの自然の映像の中に流れました。

知らなかったので、ネットでCDを探してみました。映画“地球交響曲”シリーズでは常連さんのようです。

一世代前の話になります。ウィンダム・ヒル・レコード(Windham Hill Record)から出された音楽、(日本では、レコード、後にミュージシャンが来日)が評判になりました。クラシックでもない、ジャズでもない、フォークでもない、しかし心地よい、気持ちのやすらぐ音の流れでした。そのうち<環境音楽>といわれるようになりました。レコード屋では<ヒーリング・ミュージック>とジャンル分けするようになりました。

ウィンダム・ヒルのレコードを2枚持っています。1983,84年頃のことです。1970年代の米国での<自然の中に生きる>という動き(ムーブメント)に深く影響されていた頃です。ジョージ・ウィンストン(George Winston)のピアノ、いやウィリアム・アッカーマン(William Ackerman)のギターを、よく聞きました。でも、こんな風にギターが弾きたいと思ったことはありません。出来るわけはありません。そもそも聞くものです。

しだいに、このレコードをかけることがなくなりました。世の中<ヒーリング・ミュージック>というジャンルは確立したでしょう。もっと強烈なメッセージ性をもった<自然音楽><環境保護音楽>も出てきました。

私に、レコードを聞くという時間の余裕がなくなったのでしょうか。レコードは、慎重に針をレコードに落とすことから始まります。そして、スピーカーに対峙して聞くことが要求するのです、と思うのです。
ラジオを流しながら、何かやっているとは、違うのです。CDになって、気楽になったかもしれません。部屋の中に、好きな音楽が流れている、聞くでもなく流れているようになったのかもしれません。

ケリー・ヨスト(Kerry Yost)のピアノのCDを探していて、you tube(最近、教えられた無許可ライブ映像サイト)で、ケリー・ヨストを聞くことができることを見つけて聞いてみました。
私のパソコンの音は、<地球交響曲で感じた“透明なピアノ”とは全く違う、普通のピアノでした。やはり、ちゃんとした再生装置で聞かねばならないでしょう。
そういえば、この頃、CDラジカセで、流しぱっなしとか、せいぜい曲を覚えるために聞くだけでした。もうちょっと、ちゃんと聞く時間を持たねばと思いますね。

   <おまけ>

* 地球交響曲の3番目に登場したロジャー・ペイン(Roger Pain)が“ざとう鯨が歌う”歌から作った音楽を聞かせてくれました。海の環境保護運動をやっている海洋生物学者です。

* 誘ってくれたnさんは、鯨の歌に、かなり感動したようです。自身のミクシーで泣いたと書いています。私もひとりテントで過ごしていて、<風の音を、自然の囁き、地球の歌>と感じることはあります。私の自然保護の気持ちは、<公園の木を大切に・・・・・森永小枝チョコレート>といった程度なのです。このCMも、70年代後半だったでしょう。

* このブログで何度か、自然と共に生きることをポリシーにしている<パタゴニア>(アウトドア・グッズ・カンパニー)が大好きですと書いたことがあります。<例えば、ここです>
先日、鯨保護団体(シーシェパード)が、日本の捕鯨調査船に、薬品入りの瓶を投げ込んだというニュースがあった日です。<パタゴニアは、捕鯨船へのテロ行為のシーシェパードのスポンサーです>というコメントが届きました。むろん削除せずにいて、まだ返信コメントを書かずにいます。もっとも発信者が二度とこのブログを見るとは思いませんが。

* 私は、鯨を食べて育ってきました。たくさん食べましたし好きでした。学校の給食にも出ていたように思います。70年代、80年代になっても、“飲み屋で、鯨のベーコンがあると必ず頼んでいました”。蛸やイカを食べない、牛を食べない、四足を食べない、鯨を食べない、それぞれ食文化でしょうし、その国、民族のアイデンティかもしれません。それより、そのうち日本は外国からの輸入食物が断たれて、また鯨の時代に戻るような気がします。これ以上話すと、nさんに絶縁されそうです。

* そのnさんから、カセットテープを借りていました。“お連れ合いのギターソロをバックに、n さんが、中学生が翻訳した児童憲章を朗読”していく構成です。旧庄和町(現春日部市)川辺小学校での、感動的なライブのテープでした。もう何年も前のことだったそうです。n さんの持続する強い意思を感じました。
そのギターが、私にウィリアム・アッカーマンのギターを思い起こさせたのです。


“人形劇くれよん”が3月15日に春日部中央公民館ホールで公演(2008.3.3)

2008-03-03 14:28:09 | Weblog

*東武朝日と読売ファミリーに案内記事。

弥生3月ひな祭り、いつの間にか春です。
当地の地域新聞、東武朝日、読売ファミリーに、知人がやっている“人形劇くれよん”の、公演案内が載っていました。

 “ああ、もうすぐだなあ”。“人形劇くれよん”のこの地域での公演はいつもこの季節なのです。 2月22日にすずらん幼稚園公演。29日には岩槻の幼稚園公演。冬は、ほぼ毎週金曜日に、小学校などを回っています。
幼稚園向き、小学校向きと、対応を自在にアレンジしていくのが、くれよんの得意技です。2,30人相手の小さな教室公演から500人ホールでの公演も見事に使い分けるのです。


 3月15日午前11時開演(10時40分開場)、会場;春日部中央公民館講堂、演目;あらしの夜に 入場料;500円(自由席)、後援;春日部市教育委員会、春日部市芸術振興会 、春日部市PTA連合会。

そもそも“人形劇くれよん”さんとのつきあいは長いのです。ざっと25年前のスタート時から知っているし、応援してきました。庄和町のお母さんが、地域の子どもたちための人形劇から始めてから、いつの間にか、近隣市町の小学校、幼稚園、児童館からの公演依頼も定例化しています。年間20回近くの公演をこなします。
昨年(2007)は、全国一の規模と伝統を持つ、長野県飯田市の人形劇カーニバルに出場し、ベスト・テンに入った実力派でもあります。

今年(2008)、飯田のカーニバルの中での公演は、<8月9日(土)11時30分~、飯田市民会館>に決まっています。

*“あらしの夜に”のオールスター。

さて、3月15日の演目は“あらしの夜に”です。大ホールバージョンでお楽しみ頂くようです。 “あらしの夜に”木村光一さんの原作が評判を呼び映画化もされました。くれよん はすぐに人形劇化を計画し原作者の快諾を得たのです。だから、脚色;くれよん。人形は、棒使い人形の大型人形です。むろん人形制作;くれよん です。音楽;くれよん、劇中音楽の作曲、キーボード生演奏も楽しめます。

そして、終了後の人形たちと来てくれた子どもたちとの交流がいつも大人気なのです。子どもたちは忘れられない気持ちを持つのです。
そして、この子どもたちとのふれ合いこそが、くれよんメンバーが25年も続けているパワーをまた生んでいくのです。

   【おまけ】

*会場の春日部中央公民館は、東武野田線 八木崎駅 下車すぐです。

*お問い合わせは、“人形劇くれよん”代表の 宮脇佳子さん 048-746-6413