病院の帰りに、野田市のカフェ・ギャラー<フラココ>で一息いれました(2009.7.29)

2009-07-29 19:46:48 | Weblog

*カフェ&ギャラリー<フラココ>に行きました。

 昨日(28日)に、半年ぶりに、柏のあの病院に行きました。今日は検査だけで診断はない、というのに、家人のつきそい付きです。
 おかげで、お昼ご飯です。どこかいい処ないの?、ということになったのです。

 半年ほど前に、こんなことを予想していて、ネットで探していました。ただし、今日の記憶はかすかです。

 どうにかたどり着きましたが、<え、ここ?なの>という状況です。ただの民家です。
 <やめようか>、<何か楽しそう>と、やりとりして、進みます。

 *古民家カフェです。入るのにちょっと勇気がいります。

 ボロボロの看板に、ギャラリー&カフェとありました。古民家カフェでしょうか。
 ほんとに古民家です。ガラガラと引戸をあけ、<食事ができますか?>

 たぶん若いオーナーと友だちさんが、作り上げた、思いのつまったカフェでしょう。床がピカピカに磨きこんであります。

*開け放された夏のオウチの感じです。

*陶芸や木工、手織りなどの作品が展示されていて買うこともできます。

 家人は、すぐにご機嫌で、歩き回っています。
  ランチの食事は、玄米プレート、玄米カレー、パスタです。
メニューをめくると、お知り合いの有機野菜を全面的に使ったオーガニック・レストランであることが、わかります。
 盛られた器も、友人さんの作品でしょう。

*玄米プレートです。野菜たっぷりのお椀がつきます。

 玄米プレートが出てきました。オール野菜で<私向き>でした。私の総量制限にもぴったしでした。お味噌の味付けでした。
 コーヒーとデザートもいただきました。なかなか美味しいコーヒーでした。

 ギャラリーやコンサートもやっているんですよ、と。オープン3年になるんです、と

 ゆったりとした癒し空間です。癒しの時間が過ぎていきます。

 <用はなくても、トイレに行ってきたら?>と家人。覗いてみたらというのです。

 

      【おまけ】

* 同じ町に住む、Rikaさんも、みゅーこさんも、こういう店が好きだろうな、女性同士向きだなと思いました。皆さん、カフェに目がないから、もう知っているのかも知れません。

*野田市だから、車で30分で行けます。ホームページで地図をじっくり頭に入れて出かけて下さい。ホームページは、<ここです>


ノーニュークス、アンチ・ニュクリア、非核、春日部市平和都市宣言(2009.7.27)

2009-07-28 17:01:36 | Weblog

*平和フェスティバルの正風館前。

 わが家のそばの正風館(春日部市)で開かれた春日部平和フェスティバルは、7月18日だったから、もう10日も前のことです。

*平和への願いの<恒例の七夕かざり>、空中まえまわりができますように・・・・いいなあ。

 会場中央には、この春に改定された“春日部市平和宣言都市”宣言が飾られていました。 春日部市民にしても、それを活字で読むことは、ほとんどないといっていいでしょう。私も初めてでした。読んでみました。

 <・・・・しかし、世界各地には、核兵器を始めとする大量の殺りく兵器が存在し、いまだに国際紛争、地域紛争、テロ行為等の武力攻撃が行われています。・・・・>と、前文に書いて、<わたしたちは、・・・・・あらゆる攻撃の排除に努めます>と宣言しています。

  市(市行政)が、今(2009年)の地球上に起こっている今の、現実の認識にたって、宣言したことに、安堵に近い感情を持ちました。
 会場では、宣言文が印刷されたペーパーも手渡されました。裏ページは、英文で書かれていました。

*全文は、春日部市役所のホームページからたどれるそうです。

<Kasukabe’s Proclamation of an Anti Nuclear City And City of Peace>
 Anti Nuclear City、アンチ・ニュクリアが強く響きました。

 まるで春日部市が、ヒロシマに呼応しているように感じました。 ただ昔の戦争の原爆という悲劇的結末の歴史を回顧するのでなく、今日の問題として、この2009年のこととして宣言したのです。

  会場にいた外国人の男性に声をかけました。<どちらのお国の人ですか>、<アメリカだよ、この写真の相手方だよ>と、展示されている原爆写真パネルを指差しました。
 そうして、しばらくの間、<戦争の話>をしました。ベトナム戦争に参加、脚を撃たれた・・・といい、<もとっと大きな声>で言わなきゃだめだよ、と。

  平和フェスティバルでのお目当てであった<ナターシャ・グージーの平和コンサート>に入るタイミングを逸しました。

 その日、正風館ホールでは、平和コンサートに先立って、春日部市長も登壇し、平和宣言都市宣言が読み上げられ、お披露目されたそうです。

*ナターシャ・グージーさんのコンサート後のスナップ。

 ウクライナ生まれのナターシャ・グージーは、6歳の時、父親が勤務していたチェルノブイリ原子力発電所の爆発事故で、わずか3.5キロで被曝し、その後、避難生活で各地を転々としたといいます。
 ヨーロッパ中を恐怖に陥れたソヴィエト・チェルノブイリ原発事故は、1986年4月26日のことです。23年前です。

  一方アメリカ、ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所の事故は、1979年3月28日です。
 反原発運動は大きく広がり、反原発ベネフィットコンサート<ノーニュークス=No Nukes>が、79年9月19日から3日間開催されました。79年12月には、3枚組みのLPレコードとして発売されました。私も呼応するように聞いていました。

*CD化されているかどうか知りません。

 ちょうど30年前のことです。
 今ごろ、今また、非核=ノーニュークスなのです。春日部市も、春日部市民も。


クレヨンの<はだ色>・肌の色って、どんな色?聞かれて(2009.7.22)

2009-07-22 21:24:23 | Weblog

*昔のクレヨンは、はだ色。今のクレヨンは、ペールオレンジ色です。

 今日、皆既日食の時間にお話を聞いていました。ここ春日部、外は曇りで部分日食は見えないのですが、外の様子が気になっていました。
 お話は、障害のある人と地域で暮らしていき方といった趣旨でした。
 この言い方は間違っていそうです。障害のある人・ない人を分けて考えること、そのものが間違っているのです。
 私のもっとも不得手な分野です。理論や言葉では分かったように言えても、本質的には理解できないのです。

 ノーマライゼーションなのです。やたらと英語、カタカナ語が出てきました。現役中には、こうして新しいカタカナ語を覚えて使ってきたのでしょう。もうだめですね、と窓の外の日食を思っていました。

 マルチカルチャリズムの考えが必要であると話されました。多様文化主義だそうです。他国の文化を受け入れ共存して行く考え方です、と説明されました。

 まあその大事さぐらい、わかっています。

 そして、2本のクレヨン、はだ色のクレヨンを見せられ、<何色ですか?>聞かれ、<はだ色>と答えそうになって、<まずい>と気がついたのです。世界中の人の肌の色・・・・です。
 肌の色こそ、差別の根源です。

 ぺんてる・クレヨンでは、ペール・オレンジ(Pale-Orange)なのです。
 クレヨンに、はだ色とは書いてありません。知らなかったのです。孫の学校では、そう呼んでいるのでしょう。
 娘がどう教えているのだろうか、私は娘に教えてこなかったのです。

     【おまけ】

*5月に生まれ、輝け、五輝くん。

* 昨日(21日)には、市民活動を考えている人たちの小会議にいました。開会からちょっと遅れて、この間までこの会議で一緒だYUさんが赤ちゃんと一緒にやってきました。5月生まれの2ヶ月です。聞くだけでいいから、とやってきたのです。じっとしていられなかったのでしょう。

* 最近、地域の会議で、たまに赤ちゃん連れでやってくる人がいます。みんなの気持ちを和ませます。欠席するより大歓迎です。子育てを見つめながら、三つの世代が地域でなかよく暮らしていきたいものです。

* 赤ちゃんの時代は、ほんのちょっとした時間ですが、途切れることなく、ウチにこもることなく社会に出て直接つながっていてほしいと思うのです。


40年前のアポロ11号月面着陸の時間には、私は北アルプス鹿島槍ヶ岳(2009.7,20)

2009-07-20 20:15:54 | Weblog

*ウチの天井にぶら下がる、火星と月です。左の版画は、佐藤由美子さんの作品。

40年前、1969年なんて、わが人生、もっとも充実していた頃でしょう。2*才でした。 1969年7月20日にアポロ11号が月面に着陸し、人類が初めて一歩を記録した時、私の記憶では、午前11時すぎです。私は、北アルプスの後立山連峰をテントで全山縦走していた時です。

山を歩いていて、ラジオを流しながら歩いている人に会うと<うるさいなあ!>と思うのです。その見知らぬ人のうるさいラジオから流れる<月面に人類が立ったと伝える実況中継!>で知ったのです。
鹿島槍ヶ岳歩いていました。よく覚えています。

*こどものおもちゃの月(月球儀)ですが、月探査の着陸地点がいっぱい書いてあります。真ん中にAPOLLO11,July.20.1999.読めますか。ロサンゼルスの天文台で買いました。

1969年、ベトナム戦争への行動、公民権運動、それに、ウッドストック(野外コンサート)、・・・アメリカで起こっていることは、全て素晴らしかった(ように思えた)。アメリカは元気でした。私もまた大阪で元気でした。
ジャニス・ジョプリンが死んだのも1969年でした。

翌1970年、私は、北海道・札幌に転居しました。
それから・・・・・ずっと、今でも、山に行きたいなあ、と夏が来ると思うのです。こんなこともブログに書いています。<ここです>

【おまけ】

* 北海道でも、あちこち山に登っていました。大雪山連峰、十勝岳連峰、北海道の山は、アプローチが長く山が深い、40年前のことで営業小屋はもちろん、避難小屋もありませんでした。

* 先日10人が死んだ、トムラウシには行ったことはありません。60歳代が死んでいます。ここ10年ぐらい前までのことですが、子どもらと山に行っても、中高年のオバサンばかりでした。皆さん、元気なおばさんでした。

* しかし、死んでは何もなりません。やはりなあと、ふたつのことを思いました。ひとつは、ツアー登山のことです。一緒に歩くパーティが、寄せ集めの知らない人です。全体で事をを考え、判断して、一緒に行動することはできないでしょう。寒い風雨の強い尾根で、ツアー客はバラバラに行動してしまったのでしょう。若いガイドのいうことなんか聞かずに一人で進んだ<おとな>もいるでしょう。弱って遅れた人は死ぬしかないのです。単独行よりまだ始末が悪い。一人のときは、今日は動かないと、決めることもできるのです。

*もうひとつは、山経験10年といっても、50代から始めての10年は、 10代20代の10年とは、経験の重みが違います。古い歌を思い出します。若者よ、身体を鍛えておけ、・・・・・でなければならないのです。

*とむらうし(=トムラウシ)とパソコンに打ち込んだら、変換され<弔うし>とでてきました。ぞっとしました。


春日部市の非核平和都市宣言を平和フェスティバルで読んでみよう(2009.7.17)

2009-07-17 20:45:19 | Weblog

 今日も正風館に出かけたら、明日(7月18日)の平和フェスティバルの準備が進んでいました。
 夏8月は、平和と戦争を考える季節です。ウチのそばの正風館で開かれます。昨年もブログに書いています。<ここです>

*昨年のフェスティバルで。鉄の造形展で歌う<チュラさん>

 春日部市では、今年4月に、非核平和都市宣言をしたのです。<非核>が入ったのです。

 だから、今年は、非核平和都市宣言制定記念の平和フェスティバルです。
 宣言文が会場にかけてありました。

2,3枚の写真を撮りました。今年も武田美通さんの<鉄の彫刻展>があります。

*<鉄の造形>作者の武田美通さん

 明日(7月18日)は、平和フェスティバルに出かけ、春日部市の非核平和都市宣言をゆっくり読んでみようと思うのです。


がんと生きた物理学者の死へのブログをテレビ番組で見て無口に(2009.7.14)

2009-07-15 15:46:47 | Weblog

*ウチの団地の若いお母さんたちが、子どもたちのために公園に時計をつくりました。とてもいい話だと思いました。

 今日は、ブログが書けません。<おちゃらけ>をモットーのご近所情報ブログなんて、私の生き方自体が恥ずかしくなります。

 昨日(7月13日)のNHKテレビ10時から<ドキュメンタリー>です。
 <あと数ヶ月の日々を…宇宙の謎に挑んだ物理学者がんと闘う、迫る死への恐れと向き合う命の記録>(新聞の番組表から)を見ました。
 家人が赤鉛筆で記しをしていました。普通は、お風呂に行って、こういうのは見ないのですが、見てしまいました。

 とても悲しい番組でした。テレビドラマでは、すぐに涙ボロボロになるのですが、涙がでません。涙が完全に枯れた気分だったのかもしれません。ドラマは作り話だから涙が出るのかもしれません。

 もちろん、鉛筆持ってメモしながら見たわけではありませんから、記憶違いがあるかもしれません。ノーベル賞の小柴昌俊さんと一緒に、ニュートリノの研究をしていて、ノーベル賞級の素粒子物理学者<名前が思い出せない、戸塚さんだったかな、自信がありません、ネットで調べればわかるのですが、ネットで探したくありません>のガン闘病の記録なのです。

 戸塚さん自身が、日々の症状の変化、それに心境をブログに書き綴られていたのです。実験物理学者さんです。病院の検査のCTなどの画像をもらってきて、転移の大きさの変化を自分で解析し、グラフにし、ブログに公開していったのです。
 初めは、お知り合いへの状況報告を目的だったようですが、全国のがんをもつ人たちが見守るブログになったようです。

 昨年2008年の、はっきりしませんが4月頃にお亡くなりになりました。
 最後のブログは、長男さんが書かれたようです。
 ブログのタイトルは、Few-more-monthだったような気がします。

 最後に運ばれた病院、がんセンター***の看板、どこかで見たことのあるような建物、私がいた病院のように思えました。

 私もまた、ガンをもつ身です。
 私もまた、画像を見せられる時に、デジカメで撮ったり、データをもらったりしています。割腹手術で取り出した臓器は、息子が写真に撮ってくれています。
 最初、報告がわりに公開しようかなと思っていたのです。

 私のガンも、スピードはともかく、間違いなく進行しているわけですから、<笑ってごまかせ、おちゃらけブログ>を書いていることが、ほんとうは空しいですね。

    【おまけ】

*テレビ番組が終わって、家人は台所に、私はお風呂に。言葉を発することはありませんでした。

*私には、同じ町にふたりの<ガントモ>さんがいます。<メルトモ>と同じのりでいえば、ガントモさんです。私よりずっと若いお母さんです。元気にしているかな、すごく気になったのです。


春日部平和フェスティバル(7月18日)のポスターがインド料理店に(2009.7.14)

2009-07-14 15:21:53 | Weblog

*PEHCHAN(ぺチャ-ン);旧庄和町から行って、藤塚橋のちょっと手前です。平和フェスティバルに、<たぶん超格安で>出張販売をしてくれます。

 車を走らせていたら<あった・見つけた>のではありません。そのインドとパキスタンの国旗を看板にしているお店をめざしていったのです。
 ナターシャ・グージー平和コンサートのポスターがドアに貼ってありました。



  さあ、平和フェスティバルは今週末(7月18日)です。
  夏に<平和と戦争>を考えるイベントがある町は、いい町だと思います。
 私のウチから徒歩3分の、正風館(春日部市庄和地区公民館)です。
  <詳しくは、ここにあります>

 インド・レストランは、日本国中、もうどこにでもあります。春日部にも10か所ぐらいはあるでしょう。ただし、どこにも行ったことはありません。
 ネパール・レストランだったら、どこでも、知らぬ町ででも入ってしまうのですが。

 実は、春日部平和フェスティバルの準備をしている人たちと10人ほどで出かけたのです。 このお祭りには、例年、国際交流協会のつながりから、春日部市にお住まいの外国人が、<おくにの料理>のお店を出店するのです。
 今年は、カレーの店と、餃子の店が出ます。

 それで準備作業のあと、誰言うことなく、カレーを食べにでかけたのです。
 お昼時でしたが、お客さんは、外国<アジア>の人がおひとりでした。テレビからもヒンドゥー語が流れます。ボーイさんにも日本語が使えない。そこがいいのす。
 ネパールの挨拶は、<ナマステ>です、インドは知りません。同じだったでしょう。

 私は、ネパール・レストランでは、いつもダル・バート(豆の汁かけご飯)を食べます。少しカレー味です。
 今日、一緒にいった人たちは、ダル(豆)カレーです。そして<ナン>です。
 私は、ほうれん草カレーを頼みました。チキン・サグです。そうして、<ナン>でなく、ライスを頼みました。

*ほうれん草カレー(サグ)と細長くちょっとパサッとしたライス。

 日本人ですから、カレー大好きです。私が、料理当番の時は、ショッチュウ、カレーライスを作ります。ライスカレーではありませんよ。
 この頃は、シーフード・夏野菜・カレーです。とは、いってもできあいのカレー・ルーを使うのです。

 ネパールを歩いている時には、毎日がカレーでしたが微妙に違うカレー味です。日本に帰ったら<元から>カレーを作るぞ、と思ってはいたのですが、材料を探すこともせず、いつもカレー・ルーで作っていたのです。

 ここは、 食材屋さんかもしれません。食堂というよりは、ご近所にお住まいの、西部、南部アジアの人々の食材屋さんかもしれません。クミンもパーメリックも、何でもありそうです。

 ここで買えば、カレーを、ルーを使うことなく、念願の元から作れそうです。知人さんは、何種類もの<お豆さん>を買っていました。

     【おまけ】

* <カレーライス>と<ライスカレー>は、違います。そんなことを、ブログに書いたことがあります。<ここです>

* カレーを食べながら、平和と戦争を思いながら、また、ネパールの政情不安を心配してしまいます。


貧乏料理<猫まんま>のレシピ本も日本経済新聞が扱えば高級レシピに(2009.7.12)

2009-07-12 19:13:37 | Weblog

*初版2009年1月22日第1刷発行、私が買ったのは、第6刷で3月27日発行です。

 <猫まんま>は、ご飯に削り鰹とお醤油をかけて食べること、味噌汁をかけて食べるご飯は、なんだったか、<猫まんま>とは違ったと思います。<愛犬まんま>だったか。
 いずれにしても、貧乏学生が<ひそかに>一人で食べて、決して他人には話さなかった料理です。
 <おとなのねこまんま-1000円>です。この本を2ヶ月とか3ヶ月前に買ったのです。

 何故か知らないのですが、買っていたのです。
 美しい写真で、美味しく見えるのです。
 実は、<猫まんま>も<愛犬まんま>も本当は美味しいのです。食べるものがないから、何を食べても美味しいのではなく、ほんとに美味しいのです。だけど好きといえないのです。

 <猫まんま>と<愛犬まんま>ごっちゃにして、<ねこまんま>計136編が載っています。
 ご飯にぶちかけているものには、けっこう高価な缶詰や食材もありますし、手間をかけるものもあります。それでも思想は、カップヌードルの残り汁をかける、サッポロ一番の粉をふりかける、ポテトチップスとマヨネーズをのせる、<低級いつもやってるメニュー>です。
 彼女と一緒では、決して食べないでしょう。そういう粗野な雰囲気の男に魅かれるかもしれませんぞ。

 故郷のお母さんが心配する<ねこまんま>生活です。野菜をたべなきゃあ、いかんぞ!野菜が全くありません。

 私の知人の香港人さん(ビジネス的には偉い人)が、日本に来て、いくつものお皿で出てくる日本料理を、ひとつのお皿でぐちゃぐちゃに混ぜて食べるのです。美味しそうでした。

*日本経済新聞2009年7月8日夕刊11面。

 <ねこまんま>は、一般的には侮蔑語です。しかし、こうして<ねこまんま>レシピ本が出版され、私も買い、どうやらたくさん売れているらしいのです。
そして究極は、あの日本経済新聞が、5段の記事で紹介したのです。
 1月発売以来13刷、発行部数18万部に上ると書いています。
  見出しは<究極の節約、時代に合致>でした。記者さん・・・・・お前はアホか、ですね。

 社会の低俗化でしょうね。表に出したらいけないものもあるわけです。
 だんだん雑な世界が大手をふる社会なんでしょうね。

 アメリカでは、貧しい黒人たちの料理を<ソウルフード>と侮蔑していた時代から、今は、<高級>ソウルフードレストランもあるのだそうです。
 すでに東京では、究極のファーストフード<ねこまんま>を食べさせる店もできているかも知れません。

     【おまけ】

*このブログを読んだ息子へ<ご飯はちゃんと食べないといかんぞ>、<しっかり寝なきゃあいかんぞ>

*私もけっこう、わが家の食事当番を引き受けます。それで、この<ねこまんま>レシピ本の活用法は、また別の日に書きましょう。


今なら春日部TSUTAYAにも“1Q84”、1984年はエイドの時代だった(2009.7,10)

2009-07-11 11:07:20 | Weblog

*<IQ84>上・下が揃って再刊です。(7月8日にTSUTAYAで撮影)

 ほぼ毎日出かけるTSUTAYA南桜井店に、村上春樹さんの<1Q84>が並んでいます。今なら買えます。
 <ああ、そうだったな>と、私には、もう<古典>の気分です。<わ~~っ>とメデイアがはやし立てたのは、ほんのひと月前なんですが。読んでみようとも思わなかったのです。でも、ブログ話題にはなります。
 新聞も、社会面では扱ったでのすが、読書欄でちゃんとした書評を載せなかったように思うのです。(気がつかなかったのかも知れません)

 春日部市立図書館は、何冊買ったのでしょう。10冊ぐらいでしょうか。でも見かけません。探していません。予約待ち状態でしょうか。

*<ただ今、品切れ中!!>の頃

<下巻>だけあります、の頃。まず<上巻>だけ、買った人もいるんですね。この後に、<上巻>、<下巻>両方あった頃の写真が必要ですが、<見たのですが、写真を撮っていない>のです。

 さて、 “1Q84”って、いったい何が書いてあるのでしょうか。

   【おまけ】

* 広告に、1Q84,1984、並べて書いてあります。ジョージ・オーウェルの<1984>は、1984年に読んだことがあります。文庫本は探し難いですが、わが<書庫>にもあります。

*エイド・レコード<SUN CITY>。左;LP盤、右;シングル盤。

* 1984、1985年は、AID(エイド)コンサートの時代を思います。今日も一枚、エイド・レコード<SUN CITY>です。

*南アフリカの、アパルトヘイト(黒人隔離政策)に抗議した<ミュージシャン>のレコードです。サンシティは、南アフリカのリゾート施設です。賭博・トップレス・・・モラルなしの、なんでもあり、合法(特区ですね、東京都にも賭博特区施設を作ろうとしました)です。サンシティは、アパルトヘイトのシンボル施設だったのです。スーパー・スターの出演もあります。<そんな所での演奏はやめよう>と呼びかけたのが、このレコード<SUN-CITY>です。私のごひいきだった、ボブ・ディラン、ベースのロン・カーターも参加しています。マイルス・デビスも参加しています。<鉄条網の時代>です。
(正確には、サンシティのある地域は、南アフリカ政府のアルパトヘイト政策の過程で誕生したバントゥースタン(黒人居住国家)のひとつ、ポップタツワナに属していました)

* 2009、今、新疆・ウィグル<自治区>を思います。もっと具体的には、ネパールの政情不安を心配しています。


マイケル・ジャクソンWe Are The World、エイドをやろう、春日部で(2009.7.9)

2009-07-09 13:03:29 | Weblog

* “We Are the World”=アフリカ飢餓救済チャリティ・レコード、シングル盤(12インチ)

 昨日(8日)、地元の公民館での会合で、すれ違った知人が、<マイケル・ジャクソン追悼・・(だったかな)、いやエイド(Aid)コンサートをやろうよ、春日部で>と、言ったのです。突然のことで、返事に窮しました。

 マイケル・ジャクソンが亡くなった。昨夜、テレビのニュース番組で、追悼式の様子を流していました。We Are The Worldを参加者が歌うシーンもちょっとだけあったような気がします。

 世代の違いでしょうか、マイケル・ジャクソンへの関心は全くありませんでした。知っている曲もありません。レコードの一枚も買ったことはありません。
 いや、“We Are The World” (ウィ・アー・ザ・ワールド)のレコードを2枚持っていました。これに、マイケル・ジャクソンがはいっていることに気がついたのです。

*新聞の全面広告(読売新聞1985年4月16日付け夕刊6面)

 “We Are the World”=アフリカ飢餓救済チャリティ・レコード、です。日本でのレコードの発売は、1985年4月12日(シングル盤)、5月3日(LP盤)でした。

 <アフリカには、1億5000万人もの、食べるものも、着るものも、住む家もない人たちがいる><アメリカには、何の代償も求めずに、その人たちを救うために歌を作り、すべての人類に向けて協力を呼びかけた人たちがいる>・・・<このレコードの純益金はすべて、アフリカ飢餓救済基金として、非営利団体USA-for-AFRICAに寄付されます>(レコード売り出し時の新聞広告)

 私は、レコードを買いました。少しは<飢餓救済チャリティ>の気持ちもあったでしょう。その年1月28日に行われた、スーパー・スター45人の<歴史的>大合唱なのです。ボブ・ディランも参加しています。やろうと言い出した一人が、マイケル・ジャクソンなのです。

*左;LP、右;DVD。写真の前列左から3人目がマイケル・ジャクソンです。

 レコード・ジャケットに書かれたメッセージを、20年ぶりに読んでみました。
 ちょっとだけ書き出してみます。<あなたにできること;
1、 レコード、ビデオ、他を買ってください。
2、 寄付して下さい。皆さんに寄付金を飢餓と戦うために使います。
3、 イベントを企画して下さい。――余裕があるお金を寄付するようお願いしてみましょう。
4、 学校や教会や市民団体で活動をはじめましょう。
5、 地域のメディア―新聞、雑誌、ラジオ、テレビなど―に飢餓問題をはっきりと伝えましょう。働きかけてみましょう。
6、 アフリカでも他の地域でも人々の苦しみは一夜にして終わるものではないのです。救済の努力もまた今日だけでやめてしまってよいものではありません。

   【おまけ】

*70年代80年代に、AID(エイド)と呼ばれたチャリティ・コンサートが時おり開かれました。そのライブレコードを5,6枚もっているでしょう。私自身はすでに、若者でなくギターも持たず、サラリーマンをやっていた時代ですが、外国のミュージシャンたちが、社会の動きに直接関わっていることに、そして彼らが60年代の意志を持続させていることに憧憬の思いでいたのです。

*2009年の今、1985年と比べて、世界の動静は、どうなんでしょう。変わったのか、変わらないのか、よくわかりませんね。その頃、日本には、<日の丸>いや<日の出>の勢いが、誰にもありました。今は、ありません。<日の入り>、<落日>ですね。


入り浸っている町の公民館にも、エコ施策の緑陰がほんの少しできます(2009.7.7)

2009-07-07 10:51:37 | Weblog

*今日はどこまで伸びた?といつも気にしています。右;ゴーや、左;朝顔。春日部市の環境施策です。

 このところ週末には、朝から晩まで、町の公民館(正風館)にいます。図書館難民・公民館難民と言われないように、行かないように気をつけているのですが、わが町に、<人の集まれる>所がないのです。もちろんバンド練習用の貸スタジオなんてないのです。週末に、<私をおさがしでしたら>正風館を探して下さい。

*同じ正風館です。旧庄和町時代の<町民憲章>の遺跡もついでに。

 10日ほど前の古いお話です。
 正風館で、職員の皆さんが畑仕事風な作業をされていました。<なんですか>と聞いたら、<ゴーヤを植えている>とのこと。春日部市の<環境政策>の具現化施策のようなお話でした。
 確かに何年か前から、ビルを緑の植物で覆ったら<室内温度が下がる>なんて、<これもエコです>と新聞や雑誌が書きました。
 今年、埼玉県の広報紙も、春日部市の広報紙にも、緑・緑と、緑オンパレードです。

 いいねえ、緑の公民館・・・です。蔦のからまる<昔からの>建物は大好きですが、<ご苦労様です>とだけ挨拶して、ゴーヤができたら、失敬して食べようと思ったのです。
 いっぱいお花を咲かせて、緑いっぱいのオウチは、たぶん、心ゆたかな、余裕のあるオウチでしょう。

    【おまけ】

*正風館の玄関には、呼び名は変わったけど、呼び名<ふれあい60センター>の名残りです。

* 正風館は、公民館とコミュニティセンターと勤労福祉センター(だったかな?)の複合施設です。いつできたのかなあ、ざっと20年前だったでしょう。

* 正確には<よ~く>知っています。昭和60年にできたのです。開館時には、<ふれあい60センター>だったのです。たぶん、町民も入った<会議>で決まったのでしょう。すぐに、町長のひと言で<正風館>に変わったと聞きました。

* 3年ほど前に、私が住む庄和町が春日部市に合併した時、春日部市は、本市に合わせて<庄和市民センター>と看板をつけました。それまで続けてきた<正風館まつり>は、本市に合わせて<庄和地区公民館まつり>に名称を変えました。 旧町民は皆、まだ正風館と呼びます。

*<ふれあい60センター>は、よくないな、と思います。だいたい呼びづらいですね。その頃というか、この頃も、今でも、公共施設に、やたらと、<ふれあい>とか、<にぎわい>とか、<なかよし>とか、子どもだましの<見え透いた>名前がついています。流行(はやり)なんでしょうか、市民・国民を、そんな子ども扱い、しないでと思ってしまうのです。
(もっと好きでないネームミングに、<いきがい>がありますね。いきがい施設とか、いきがい大学、ですね)、7月9日追記。

* 春日部市にまもなく、ララガーデンの隣に、埼玉県と春日部市の<公共施設>ができます。仮称ですが、<埼玉県東部地域ふれあい拠点施設>です。


わが家のご飯、五穀米から今や十五穀米です。健康第一ですから(2009.7.5)

2009-07-05 20:20:37 | Weblog

*お米を普通に研いで、ほんの少し雑穀を入れます。

 週末は、このブログも平日に比べて見てくださる人が多い。もちろん、何か書かなければ、アクセス数は増えません。だから、週末は書かかなければいけないのです。
 でも、週末は、やたら忙しいのです。もっとも稼いでいるわけでなく、遊びで忙しいのです。遊びで忙しいというのも変です。
 昨日(土)は、午後から2回、今日(日)は、午前と午後まるまる一日、近くの公民館(正風館)で過ごしていました。

  しかも、昨日は、夕食当番の日です。わが家は、暇な方が食事当番です。

 それで、ブログネタがないので、わが家が食べているご飯の話にします。
 雑穀米を食べていますと、それだけのことです。

 今年の1月に、開腹手術しました。それ以来、<野菜責め>と<総量制限>の日々ですが、それに加えて、五穀米を食べることになったのです。そして、それが拡大し、今やなんと<十五種の雑穀>が入っています。

 <発芽玄米・胚芽押麦・もちきび・米粒麦・ひえ・もちあわ・黒米・小豆・ハトムギ・赤米・玄米胚芽、高きび・緑米・コーン>の15種の雑穀です。

*市販の雑穀です。左の一袋を入れるだけのことです。

 まあ、子どものころの<麦入り飯>と違って、ほんの少々入れるだけです。趣味の世界です。まずいとは思いません。むしろ美味しいといえるかも知れません。これで、身体によくて、家族が安心するなら、全然問題なしです。

 それでも、外で<真っ白い>ライスを食べたとき、<うまいなあ>と思うこともありますね。

   【おまけ】

*昔、貧しいから<雑穀>を食べたというのとは、違うようです。私が現役の頃、東京・大手町のいつも食事をする地下街には、<麦飯>を食わす店がありました。けっして安くはありませんでした。ちょっと変な気がしていました。麦飯なんて食べる気がしませんでした。

*身体のために、食事を気をつけなければいけないのでしょう。今、わが家の話題は、私の飲む水の量が少ないというのです。そういえば、そういう感じもします。


7月になって春日部の本屋さんに<若者の夏には読書>のよそおい(2009.7.3)

2009-07-03 10:35:05 | Weblog

*<15少年漂流記>、<シートンの動物記・狼王ロボ>。ここは、新潮文庫。裏側の角川文庫は、<太宰治>のオンパレードでした。

 いつも出かける南桜井駅前の本屋さんTAUTAYAの<本の並び>が、7月になってすっかり変わっていました。

 夏は、夏休み、若者が輝やける季節、海に山に誘います。付け焼刃のアウトドア本を買ってチャラチャラと、はしゃがず、静かに緑陰で読書。青春時代には、知の古典を開こう。さあ、文庫本をポケットに旅に出ようと、書棚が呼びかけます。
 <列車で旅する娘さんが文庫本に読みふけっている姿は美しい>と思っています。

 いつ頃からでしょうか、夏になると、文庫本が、新しいカバーをつけて並びます。
 青春に無関係な私にも、熱くはありませんが、うすい血が少し踊ります。読まないに決まっているのに、並んでいる文庫本を見つめてしまいます。いつもタイトルも読めないほど詰められているのに、新しいカバーがかけられ、平積みされていると、ぐらっ、とくるのです。

*<沈黙の春>です。その下の、<必読書>ドストエフスキーなんて一度も読んだことはありません。

 読んでいるのに、持っているのに、ぐらっときた本、レイチェル・カーソン<沈黙の春>です。今のトレンドが、エコ、地球環境だからでしょうか。30年前、わが青春時代の本が、また並んでいるのです。カバーが新しいから買おうかなと。 このブログで書いたことがあります。<ここです>

 本屋さんには、もう一つの夏の戦略があります。
 文部省か、教育委員会のねらい(?)かも知れません。<夏の長いお休みの間に、本を読みましょう。本を読む習慣をつけさせましょう>です。夏休みの宿題、<読書感想文>です。課題図書があるのです。しかも、県指定図書です。本屋さんに、美しく並んだ指定図書コーナーがあります。
 子ども達は、本を読むことは、大好きでしょう。でも、感想文はいやでしょう。
 ついでに、私の住む町には、小学校と深く関わっているボランティア・グループがあります。夏には、<宿題お助け>教室もできるようです。

*絵本ですから、小学校低学年向き課題図書でしょうか。この本の読書感想文は、<おとなにとっても>難しい宿題です。

 千葉県の課題図書に、絵本<ローザ>がありました。この絵本を読んだことはありません。3分間で立ち読みできます。
 アメリカです。差別的言い方では、黒人解放運動、正しくは、公民権運動が火を噴くきっかけとなった、黒人女性、ローザ・パークスの活動を描いた絵本です。
 今、アメリカは、黒人大統領を生みました。わずか50年前、私もいた時代のことなのです。ある意味、反体制活動だったのです。教育委員会が決める(?)課題図書には絶対にならなかった絵本だろうな、と思ったりしています。
 ローザ・パークスのこと、ちょこっとブログに書いています。 <ここです>

 ことの善し悪しは、時代時代で変わるんでしょうね。

     【おまけ】

* わが町・旧庄和町(今は春日部市)のお隣は、千葉県野田市です。大昔から、野田文化圏だったと思っています。だから、課題図書も、埼玉県推薦と千葉県推薦が並んでいるのです。

* この理由は正確には違います。本屋TSUTAYA=スーパー・ヤオコーの駅前駐車場のせいです。千葉県(!)から、車でやってきて駐車して、電車で<どこかに>でかけるのです。駐車場は、10時~24時まであいています。だから、日中は、満杯です。帰りにお買い物をして帰る。それは、それでいいのです。

*私のウチにも、そこに駐車して、いらっしゃる方もあります。もっと近くに、コンビニ<7-11>もあります。


小さな旧庄和町地域(春日部市)では、新聞折込も大事なメディアです(2009.7.1)

2009-07-02 05:39:01 | Weblog

*スーパーの広告に埋まれていた<気になった>チラシ。

 今、わが団地の<広報かすかべ(市役所が発行)>の配達は、私がやっています。
 市役所から月末最後の日にドサッと届きます。1日に配達完了をめざして走ります。10日ごろ家庭に配られる地域もあるようですが、<広報かすかべ>も速報が生命です。わが団地は、1日中に配ります。

 埼玉県の広報<彩の国だより>は、1日付けの新聞(朝刊)に折込まれ配られます。
 それで今日は、新聞折込広告のお話です。

 先日、春日部中心街に、お住まいの知人から、<折込広告はいれないで>と新聞販売店に頼んでいると聞いて、思わず絶句しました。そんな人がいるのか、そんなことができるのかなあ。

 私のウチは、朝日と日経の2紙とっています。以前、誰だったか、<日経は折込広告が少ないから、とらない>と聞いたことがあります。朝日と日経の、折込広告の差は歴然です。日経には<ない>も同然です。

 私は、加齢者ですから朝は早く、5時には起きます。ラジオ体操の6時半までが一番調子のいい時間です。メールをチェックし、ゆっくり新聞を読みます。折込広告は、ドサッと捨てます。
 これは、ウソです。折込広告を、見ずにそのまま捨てるもの、まだ寝ている家族用に捨てないもの、つまり見せるものに選別します。

 今日は、水曜日。スーパーの週末安売り情報は、どのスーパーも今日、水曜日です。残します。その折込広告情報で、開店前に並んでいるわけではありません。
 土曜日は、やたらと折り込みが多い。取捨選択が楽しみです。
 日曜日は、すべて求人広告です。今は、見ずに捨てます。
 月曜、火曜は、やたらパチンコ屋、ゲームセンターの新装開店の広告です。捨てます。
 エステという女性向の広告も捨てます。この頃、減ってきました。
 議員さんがらみのチラシは、捨てます。ただし、さっと眺めてから捨てます。
 地域で頑張っているお店のチラシは、残します。
 ご愛用のファミレス<ココス>や、<マクドナルド>割引券付きの広告は残します。割引券を切り取って財布にいれますが、出かけるときには、いつも誰かと一緒なのです。例えば昨日もでかけましたが、<恥ずかしい>から使いません。

 今日(1日)、迷って<立ち止まった>チラシがありました。
<南桜井駅前商店街(桜台商店街)継続を望む会>の、<報告とお礼>とタイトルした文書でした。その文書の丁寧さから、地域のことを考えている商店主さんの心情を思い、夕方、立ち話に行きました。

 新聞の地域面がほとんど扱うことない、カバーしきれない埼玉県のはしっこの町です。新聞折込には、地域のお知らせとコミュニケーション、地域メディアの役割りがあるのです。

   【おまけ】

* 新聞に折込まれる地域新聞も楽しみです。朝日新聞に折り込まれる<東武朝日>、また読売新聞に折り込まれる<よみうりファミリー春日部>、日経が読売の販売店から届いているので折り込まれます。この2紙を読んでいます。

* 私の好みは、だんぜん<東武朝日>です。とてもいい、親しみやすい新聞です。地域のニュースが丁寧に書かれています。一面連載の<まちの達人>は、しっかり読んでいます。イベント情報<お楽しみネットワーク>欄は、地域イベントのすべてが載っている感じです。浦和レッズの応援面もファンにはたまらないでしょう。

* <よみうりファミリー春日部>は、<広報発表宣伝そのまま集>の感じです。ここから<市長さんや議員さん>の動静を知ります。 春日部市チェックのため眼をとおします。