ネパールに自衛隊を派遣することに違和感(2007.2.3)

2007-02-03 14:37:32 | Weblog

 *取り扱っています。ネパール“和”紙です。

今日は、冬なのに春のようにのどかな庄和町(現春日部市)から国際問題(!)です。
仕事をやめてしまって、自由を取り戻して、1ヶ月程ネパールをフラフラしていました。
白く輝く峰々を仰ぎながら、山麓の村や町を歩きました。
私ら世代が子どもの頃に過ごしたのと同じ“人々の風景”がありました。

 *07.1.24 朝日新聞(朝刊)

ネパールのことは、ヒマラヤの写真はともかく、人々の生活・政情は、ほとんど報道されません。全く報道されないことではないのですが、よほど注意していないと、見落とすほどの小ささでしょう。だからネパールに関心を持っていても、ニュースの背景や流れ、つまりネパールの国情をつかむことはなかなか難しいのです。

異論もあるでしょうが、一民族・一宗教の国・日本に育った私らには、心底理解できない国かもしれません。宗教・民族・複雑なカースト(階級)制度、そして、異民族や異宗教の侵攻で支配されてきた歴史もあって、とうていネパール庶民の感情を知ることはできません。

ヨーロッパの国々は、王の統治(王政)から民衆の政治(共和制)に移ってきました。日本もまた、昭和20年太平洋戦争の終戦(敗戦)で、そうなりました。その変化は、歴史の流れの、方向のように思うのです。
ネパールは、まさに今、王制から共和制に移っていっているように思います。
政治の大きな変革です。大きな痛みを伴います。血も流れます。
ネパールは、今そのさ中だと思うのです。

2001年、現国王の混乱の即位から、政治的混乱が続き、大きなニュース(事象)が、散発的に報道されてきました。国王、内閣・議会・政党、そして武装勢力(マオイスト;毛派)の間に激しい動きがありました。
そこには、自由に報道できない報道管制や、WEBなどの電子メディアへの検閲もあります。

新政権と毛派は、昨(2006)年11月に、11年近く続いた内戦の終結を宣言し、和平協定に署名しました、と新聞に。(内戦だったのかなあ、内戦と安易に書いていいのかなあ)

 *07.2.1 朝日新聞(朝刊)

そして、ついこの間(2007年1月31日)、ネパールのコイララ首相は、政府とマオイストとの合意を踏まえ、6月の選挙で発足する制憲議会が採択する新憲法で連邦制を導入する、とテレビ演説の中で発表したのです。

それより先、1月23日国連安全保障理事会は、ネパール政権と武装勢力の和平プロセスを支援するため、国際ネパール支援団(UNMIN)を設置することを決めていました。
そして、日本政府は、国連平和維持活動(PKO)協力法に基づきネパールに自衛隊を派遣する方針を固め、1月31日に、先発調査団を出発させたのです。

このことを新聞も報道しません。全くないということではありません。いくつかの新聞から断片的な報道を拾い集めることはできます。
他国に、本来業務として“軍”を出すわけですが、ひょっとすると、政府は、国民に知らせる意思がないのかもしれません。

ただ、私の気持ちの中に、ネパールの人たち自身にまかせておけばいいのに、という思いがあるのです。

  【おまけ】

* ネパールから帰ったあとも、現地で知り合った人との連係を持っています。ネパールの紙製品や紅茶のフェアトレードを意識したサポートをしようとしています。

 *2006年7月のGIFTXのブース

* ただ、私には、ネパールの現状についての思いを、ネパールの人から聞くことはできません。 日本人とネパール人が、英語という母国語でない言語を介しての会話では、心の底の会話はできないでしょう。