春日部市と埼玉県の図書館まつりにツアー。昆虫記のファーブル収穫(2009.11.30)

2009-11-30 16:33:28 | Weblog

*もちろん撮影には許可をえました(浦和駅東口)

 先週末の土曜(11月28日)は、春日部市立図書館まつりに出かけることに決めていました。一年に一回の廃棄図書放出日です。
 10時から解禁、9時40分頃に行って並びました。出合わないように念じていた役所や教育委員会のエライさんの姿が今年はなく、大売出しに並ぶおばちゃん、パチンコ屋開店時刻に並ぶおっちゃんと同じように顔をあげていました。

*ケーブルテレビ局ですが、せめぎ合いをカメラが狙っています(春日部市立図書館、不要本放出テント)。

 ちょこちょこと拾って、次に移動です。埼玉県の図書館まつりに移動です。
 県の図書館まつり、正しくは<図書館と県民のつどい・埼玉2009>です。
 わが町は、埼玉県の東の端です。県のイベント情報なんか届きません。たまたま2,3日前に大宮でポスターを見かけたのです。

  <~大学図書館のお宝お見せします~太宰治からファーブルまで~>のコピーにひかれました。
 埼玉大学はファーブル自慢の大学です。おまけに<帰ってきたファーブル・コレクション>と印刷されています。 こりゃ必見だなと思ったのです。
 昆虫記のアンリ・ファーブルです。埼玉大学には、奥本大三郎先生がいました。

 もちろん廃棄本放出イベントもあるに違いないと思ったのですが、もう完全に出遅れです。
 浦和駅を東口に降ります。すぐにポスター掲げて立っている女子学生さんに遭遇します。
 <こりゃあブログ向き>と写真を撮ります。<会場は、パルコの10階です>と教えてくれました。知っています、パルコの8階は図書館、9階は市民活動センター、10階は浦和コミュニティセンターの官民複合ビルです。

 10階では、イベントの公立図書館の部屋、高校図書館の部屋、大学図書館の部屋があって、それぞれ趣向をこらした展示・イベントをやっていました。
 めざすファーブルの昆虫記は、大学図書館の部屋です。全国各地から展示要望があって、帰ってきたのだそうです。日本初翻訳本や原書の展示があります。ガラスケースの中で、手にとることはできません。ただ眺める、それだけのことです。
  図書館司書さんとファーブル古書談義ができるほど通じていません。

*本邦初訳は、あの大杉栄さんです。

*こんな感じで展示されています。

*ファーブルが昆虫記を書いたのは、59歳から87歳の間です。

 立教大学図書館の<太宰治と埼玉、自筆原稿>、城西大学の<国勢調査の歴史資料>、女子栄養大学の<栄養学と香川綾>に立ち止まってきました。さらに、国立女性教育会館<女性アーカイブセンター>の女性問題の新聞スクラップ提供サービスも知りました。

 大学図書館、市町(公立)図書館のお宝展示を毎年やっているのかどうか知りませんが、不用本放出よりいい企画だな、と感じました。不用本放出の人出もそうですが、まだまだ皆、本が好きなのです。

    【おまけ】

*不要放出本拾い今年のベストワンは、この本(1991年発行、18年前発行ですが、とてもきれい)です。家人には内緒ですが、2冊目です。

* 春日部市立図書館の放出では、ひとまわりだけで、7,8冊を拾い上げ、吟味し元に戻す時間もなく持ち帰りました。今年のベスト・ワンは、<地球ってすばらしいですね;吉良幸世著>です。むろん、わが家2冊目です。誰かにさし上げ用です。

* 自由学園のたぶん<理科の先生>でしょう。1989年に3ヶ月間のアメリカ・ヨーロッパのスケッチ旅行記です。

* でかけている所が、私の行きたい所と重なるのです。<ソローのウォールデン>、<ファーブルの村>、<セザンヌの山>、<パスカルの山>、<セルボーン>・・・・、ナチュラリストさんであることがわかります。

* 田舎の男の子は誰でも昆虫好きです。私が長野に家出していた4,5年前に、女の子にも昆虫好きがいることを知りました。私より、はるかにすごい昆虫好きさんでした。どうしているかなあ。ファーブルの昆虫記、こんなブログを書いています。<ここクリック>


穏やかな日、大勢に見送られて天にかえった神谷恵美子さん(2009.11.29)

2009-11-29 18:14:05 | Weblog

*人形劇くれよんの仲間たちと。子どもたち3人も一緒の写真です。

  昨夕(28日)6時からお通夜。そして今日10時から告別式です。
  初冬とは思えぬほど陽射しのいい穏やかな日になりました。

*式場へのアプローチは、仲間たちが作り上げた神谷さんワールド。

*センスと手仕事の神谷恵美子さん制作の人形劇くれよんの人形たちも。

*ソーランチーム、輝(きらり)、軌(わだち)で元気いっぱいでした。みんなの衣装は、神谷恵美子さんのお手製だったのかも。

  そうして、ロック・ソーランの流れる中に、とうとう大勢の知人、友人たちそれぞれの思いと涙のうちに、旅立っていきました。合掌です。


春日部市民劇団かざぐるまの公演を観た。最終公演は29日(日)2時~(2009.11.28)

2009-11-28 21:09:51 | Weblog

  1年に一回、春日部市民劇団かざぐるまの公演です。毎年楽しみに観てきました。私がお芝居を見るのは、このときだけです。

  <いいお芝居だった>し、明日11月28日午後2時~、3回目(最終)公演がありますし、お勧め、勝手広報をしておきます。

  後味のいいお芝居です。もちろん、充分に泣けます。お芝居だとわかっていても泣けてしまいます。

  特に、お若い人、友人で恋人未満の人、結婚して5年ぐらいまでの人に、おすすめです。カップルで見ることもまたお勧めです。芝居が後押ししてくれるでしょう 。

  <春日部市民劇団かざぐるま>第31回公演
        作:近藤広充、演出:板垣理人

    “月は今日も僕を見ている”(一幕十七場)

*真ん中に出演の3人(カーテンコールで)

  <キャスト>
   槇田友樹
   板橋弥生
   橋本貴和子

 出演、舞台には、3人だけです。いつも大勢が登場していたような“かざぐるま”ですが、今日はたったの3人です。休憩なしの2時間少々、セリフ芝居、言葉が生命のこの芝居です。
 出演者3人、はぎれのよい、よく通る声が客席の隅々まで届きます。

 話をすることの大切さ、正しく伝えることの大切さ、が、わかってきます。

*演出の板垣理人さん(右端)のご挨拶、板垣弥生さんは、白いワンピースです。

 会場;春日部市中央公民館(東武野田線―八木崎駅下車すぐ)
 チケット(当日券);1,200円

     【おまけ】

* 今日28日は、朝からあちこち行っていました。午後2時02分、春日部市民劇団かざぐるま公演の、春日部市中央公民館に滑り込んだのです。

* 受付に、高田久枝さんの懐かしいお顔がありました。その頃からの、かざぐるまファンです。

*超満員になりました。

* 市民劇団かざぐるま-さんは、春日部市の文化の一翼、いや主翼を担っています。市民劇団もないような市は文化都市ではありません。こういう市民劇団が練習、研鑽、すなわち維持していく場所が公民館なのです。この市民文化を教育委員会さんに見せたいものです。超満員の市民は、感動し、拍手し、応援するのです。


どうなる毎日新聞、今日の新聞と1円の古本ザ・ニュースペーパー(2009.11.27)

2009-11-27 14:24:00 | Weblog

*下:毎日新聞、上:朝日新聞(2009年11月27日付)

 毎朝、わりあい丁寧に新聞を読みます。朝日と日経を読みます。
 今朝のトピックスは、毎日新聞の話でした。

 朝日は、一面に4段の記事。<毎日新聞、地方紙連合入り。共同通信に58年ぶり再加盟>、そして37面に大きく8段で、<毎日、地方提携に活路。共同通信・加盟紙から配信。社員、リストラに不安も。厳しい経営思惑一致>、さらに<米新聞界、消える「紙」>と。
 日経は、13面(企業1面)で5段。<毎日新聞、共同通信に再加盟。編集など包括提携>

 私は、すぐに近くのコンビニ(セブン・イレブン)に走ります。毎日新聞がありません。さらに南桜井駅の売店に足をのばして買って帰りました。130円です 。

 毎日は、1面に7段。<毎日新聞、共同通信・加盟社と包括提携、メディア再構築へ協力>。28面に8段。<新時代の新聞追及、3者補完し紙面で特色>

 毎日新聞社の経営危機は、ずっと言われ続けてきました。<毎日は08年度、営業損益、経常損益とも15年ぶりの赤字(日経)>です。
 新聞社、新聞の中身として一歩踏み出した対策でしょう。
 今日(11月27日)の新聞、毎日は32ページ建て、朝日は40ページ、日経は44ページです。

*新聞の発行部数(朝日新聞から)

 100年来の経済危機とか、不況といわれています。マスメディアにもその影響がかぶっていることは、ただ春日部のウチにいるだけの私にも容易に想像できます。

 もう新聞をやたらスクラップすることは、ありませんが、欧米新聞社のデジタル・メディア移行、廃刊、経営危機、買収の記事は、マメ記事でも切り取ります。それからもうひとつ。報道されることは少ないのですが、ネパールの政情不安記事も切り取ります。

     【おまけ】

*20年前の広告を見て、20年前の本を買いました。

* 1週間ほど前、古い雑誌(新潮・昭和63年11月号)を見ることがあって、たまたま本の広告に目がいきました。

* 新潮社の新潮選書<ザ・ニュースペーパー;A.スミス著、仙名紀訳>(63年4月14日発売)です。

* <新聞というマスコミが誕生して400年。世界の新聞界はいま大きく変貌しつつある。新しいテクノロジーは、“国家の唯一の警鐘”である新聞をどう変えていくのか。日本が情報の印刷と伝達の面で世界の最先端をいくまでの新聞の世界史を、貴重なデータでコンパクトに概観>と、宣伝しています。

* <日本が情報の印刷と伝達の面で世界の最先端をいく>のくだりがあって、読もうと思ったのです。読んでいるかもしれない、でも、今本棚にありません。

* Amazon検索ですぐにでてきました。1円からあります。1円のでいい。送料340円。翌日、宅急便で届きました。こりゃあ、便利です。ネット・オークションをやってる息子に、宅急便料金を聞いてみました。<80円かな>でした。

* 原著は、THE NEWSPAPER; An International Historyです。1980年までの歴史です。訳者の仙名紀さん(朝日新聞社)が1981年以後を記述されています。が、発行の1988年までのことです。

*それから20年が大変貌の時代だったのです。渦中にいました。それも、もう歴史になってしまいました。


人形劇くれよん/春日部おやこ劇場/よさこいソーランの神谷恵美子さん逝去(2009.11.27)

2009-11-27 07:25:03 | Weblog

*コンサートで神谷さんにもらったお花(2009.9.6)

  神谷恵美子さん逝去の一報を受けたのは、11月25日夕方6時ごろ。すぐに神谷さんのウチに駆けつけました。
  春日部市旧庄和の、人形劇くれよん、よさこいソーラン輝(きらり)、春日部おやこ劇場など、神谷恵美子さんのフィールドに、この悲しいニュースは駆け巡りました。

  この1年の闘病の中のがんばりは、胸にきていました。このまま頑張り抜けるのではないかとすら感じていたのです。
  しかし、天に召されていきました。大きな悲しみが襲います。

    【おまけ】

* 今年(2009)の1月のことです。私が沈んで、柏の国立がんセンター(東病院)の待合室で診察を待っている時、神谷さんが声をかけてくれました。神谷さんが、がんセンターで治療を受けていることは知っていました。私も、ここに来ていると知って、たまたま同じ診察日だったので探してくれたようです。息子の**君と一緒でした。がんセンターの待合室であることを忘れてしゃべったのです。<ガントモ>だね、と。

* それから、ふたりとも、そこで同じ時期に、大きな手術を終えました。その後、ごくたまに見かける神谷さんからは、気力の強さが透けてみえる痛々しさを感じていました。

* 9月初め、春日部旧庄和の正風館、私がいるバンドがコンサートやりました。神谷さんから、行きますと聞いていました。私らはアンコールに、マイ・ウェイを選んでいました。たまたま私がステージで話していて、<今、それでも、自分の道をしっかりと、・・・マイ・ウェイです>と。神谷さんを意識してしゃべります。マイ・ウェイがスタートして、弾きながら突然、涙ボロボロになりました。そのとき、私自身の、正風館最後のステージだろうと思っていたこともあったのですが、神谷さんが聞いてくれるのは、最後だろう、と感じていたのです。

* 最後にお話したのは、10月4日、私のウチに来てくれたときでした。 <この日です>

    【お知らせ】

*神谷恵美子さんのお通夜は、11月28日(土)午後6時~、お葬式は、29日(日)午前10時~11時。東冠メモリアル(春日部)=春日部駅西口藤通り。


それから夕闇の中を新宿へ、春日部の知人の写真展に寄ります(2009.11.26)

2009-11-26 09:37:35 | Weblog

 まだ続いている11月23日の話です。
 表参道から四谷三丁目は近いのですが、半蔵門線と丸の内線を乗り継ぎます。表通りは、明治通りか靖国通りか、30年以上東京で仕事をしながら、通りの名前が、大きな通りでさえわかりません。

 表通りをちょっと入ったところに、目指すギャラリーはありました。
 ご近所の福添智子さん(目かめら舎)の個展です。ちょっと事情があって、写真なんか撮っている状況ではないのですが、<2009年>の報告、作品集でした。

 事情があるからこそ、<カメラマンの気持ちと目を持たなければ、持ち続けなければやってられないね>とか、そして、クレヨン・ハウスで買ってきたばかりの絵本とか、おしゃべりを続けます。新しいお客さんのタイミングで終わりにしました。

*いつも見ているご近所風景です。でも、特別な思いが重なります。私にはよくわかります。

 一緒に行った家人が、<写真を見たの?>と、もう真っ暗な帰り道で。<みたよ>。
 ほんとに、この一年をみたまま、みえたままに撮った写真でした。
 お誕生日に食べ残った<ラップにつつまれたケーキ>、濃い思いが淡い色調に重なっています。

    【おまけ】

* もうずいぶん昔のこと、現役最後の頃、新聞各社の写真部員と、新聞博物館(横浜)で、報道写真や報道カメラマンに関する企画展をやったことがあります。私もギャラリー・トークを持つことになった日に、雑誌社の写真の仕事していた福添さんが、お父さんと一緒に来てくれました。

* 23日の<東京へ一日ツアー記>は、これで終わりにします。夕べ(11月25日)、とても悲しい訃報が届きました。また真っ暗な道、を暗くなって帰ってきました。


クレヨン・ハウスで平和絵本・遠くからみるとFrom a distanceを(2009.11.25)

2009-11-25 15:19:12 | Weblog

*いつもにぎやか、クレヨン・ハウス

 つづきです。青山・表参道あたりに来ると、落合恵子さんのクレヨン・ハウスに立ち寄るのが習慣みたいなものです。
 子どもの絵本を探していた時代がとっくに終わってからも、3階の大人向けの本屋さんが、女性・平和・環境・・・社会性豊かな、本揃えだからです。 今回は目的もありました。一冊絵本を探していたのです。

 1階の絵本売り場で、若い店員さんに<タイトルは忘れて、わからないのですが>と話しかけてみます。
  ここは、いつもながら若いお母さんと子ども達の世界です。
  道に迷った<認知の>爺さんと思われたでしょう。

*1階は、子どもの本の部屋

 この爺さん、朝は、6時前に起きてラジオをつけます。6時30分はラジオ体操です。日曜だけは、体操のおじさんはお姉さんです。7時のニュースを聞きながら、日曜だけは、ひとりコーヒーです。すると、日曜だけは、落合恵子さんの<絵本の時間(だったかな)>が始まります。ひととき、その昔のラジオ時代の気分になります。番組では一冊の絵本を紹介し、1曲、70年代調のポップスを聞かせてくれます。

  10月頃の放送で、すぐに買おうと思った絵本を聞いたのです。タイトルをメモしなくても、クレヨン・ハウスで買うことになるし、(他の本屋で見つけることは絶対にできない)、行けば、たてかけてあったりして、すぐわかると思っていたのです。

 <どんな内容ですか>、<・・・・・>うまく言えません。<ラジオで紹介されていた本ですが>、<ちょっと待って下さいね>と、「ラジオで紹介の本」リストを持ってきてくれました。<これです>と、私は、9月放送の欄を指さします。<わかりました>と、持ってきてくれました。<どうも、ありがとう>。

*遠くからみると、小林希里訳、2002年9月、BL出版(神戸市)発行、1500円。

 <遠くからみると、From a distance>です。
平和を考える絵本です。反戦フォークソング絵本です。 ラジオで、1980年代のシンガーソングライターの歌を絵本にしたと紹介し、番組の最後に、ジュリー・ゴールド(julie GOLD)の歌を聞かせてくれたのです。

 ♪遠くからみると、地球は青とみどりいろ、雪の帽子をかぶった山々は白い。
 ♪遠くからみると、河は海にまじわり、ワシが空たかくとんでいる。
 ♪遠くからみると、のどかな音色が、いちめんにひびきわたっている。
 ♪願いをのせた声、やすらかな声、ひとびとの声。


 ♪遠くからみると、幸せ顔ばかり、苦しみなんかどこにもない。
 ♪銃も爆弾も病も、飢えに苦しむ人もみあたらない。

      【おまけ】

*B1のレストランも野菜市場も楽しい。田んぼの中から出てきて、ここで野菜を買って帰ることは、さすがにしません。

* 1ページ目にメッセージがついています。
   <世界中のあらゆる年齢の子どもたちに>  ジュリー・ゴールド(詩)
   <そして、ボスニアで活動する草の根グループ「コネクト・ヒューマ二タリアン・エー ジェンシー」に>  ジェーン・レイ(絵)

* ジュリー・ゴールドは、あとがきの中に、こう書いています。
<こども時代をすごした1960年代のできごとは、今でも鮮やかに覚えています。ベトナム戦争、公民権運動、女性解放運動、宇宙計画、ビートルズ、当時のことをふりかえると、あの頃流行していた歌もいっしょによみがえってきます。まるで、実際にその場でなりひびいていたかのように、歌がきこえてきます>・・・・・原書、原文で読んでみたい。

* From a distanceは、1985年のジュリー・ゴールド<その時30歳>の作品です。

* 昨日、Amazonを検索しました。ナンシー・グリフィスとベッド・ミドラーが歌っていることを知り、驚きました。私、ふたりとも1,2枚のCDを持っているのです。ベッド・ミドラーのことは、いつ聞いても泣けそうになるROSE(ローズ)を歌っていますと、このブログに書いたことがあります。<ここクリック>

* ナンシー・グリフィスのCDを注文しました。絵本の原書も買いそうになったのですが、そこはぐっと我慢です。


新根津美術館、自然な山里より自然な都心の紅葉、ここで茶を飲んでみたい(2009.11.24)

2009-11-24 14:52:40 | Weblog

*春日部駅につらなって貼られたポスター。東武鉄道の元社長つながりでしょう。

  11月23日の東京文化段重ねツアーのつづきです。
 国立新美術館で日展を見たあとは、根津美術館に歩きます。 2,3年改造のため休館していたものが、この秋、リニューアル・オープンです。

 春日部駅にも、ポスターが5,6枚つなぎで貼ってあって。行かねばなるまい、と思っていたのです。もっとも、どこが、どう変わったのかよくわからないほど、<過去に、1,2度の経験しかないのです>。

*根津青山の茶会展の会場です。

 茶の湯好きの家人は、お目あての企画展<根津青山の茶会展>です。会場の中で、歩みがのろい、進みが遅いのです。ひとあたり見た私は、待てないので、売店によって、外の庭園を歩いてみます。

*新根津美術館(設計;隈研吾さん)

 東京都心ですが、それを感じさせない、深山の紅葉です。作られた庭を感じさせません。そこいら首都圏の里山よりも自然が豊かなのです。今、紅葉の真っ盛りです。一人自然に分け入って、秋の山をセンチメンタルに感じます。

 根津美術館は、実業家(東武鉄道などの社長)・根津嘉一郎(青山)さんのオウチのお庭と。庭にたつ、古美術コレクションの展示館です。国宝7点、重要文化財7点を含む、7874点以上を所有しています。

 茶道具展が、一般に、茶碗、棗(なつめ)・・・など道具別に展示されるのに対し、この<根津青山の茶会展>は、根津青山が開いた茶会別に、茶会で使われた道具を並べる展示で、茶会における道具の組み合わせを楽しみ、工夫するという茶人らしい展示でした。私にも、楽しめました。

 大金持ちで、古美術品の収集にも力を注いでいた根津青山ですが、初めて茶会を開いたのは、59歳の初冬、大正7年(1918年)11月27日です。まさに、この庭の、この季節です。後に、<初陣茶会>といわれたそうです。その時の道具のとりあわせが展示されています。
 この時代の実業界のお茶好きの桁外れさには、言葉がありません。現代のビジネス一辺倒時代からは想像すらできません。

   【おまけ】

*右の書は、<山々黄落事如何>、まさに今の季節です。展示の中で、字が読めないというものだから買ったガイドブック1000円。

*お昼まわってしまったけど、近くの<南青山>で祭日でも仕事している息子を呼び出してランチです。【つづく】


春日部旧庄和の知人さんが入選の日展の国立新美術館へ、それから(2009.11.24)

2009-11-24 10:09:03 | Weblog

 30年も40年も毎日出かけていた東京に出かけることがすっかりなくなってしまった。だから出かける時には、あれもこれもと、予定を重ねてしまうのです。

 今回の東京行きは、家人の同じ町に住む知人で、陶芸作家さんが、日展に入選されたと聞いたことがきっかけです。

 昨日23日は、珍しく<文化の日的な>なお天気、小春日和、でした。千代田線乃木坂からすぐの国立新美術館です。2007年1月オープンの新美術館です。2度目だか3度目でしょう。黒川紀章さんの設計とのことですが、全体像を眺めたことがありません。大勢の人出でした。

 お目当ての部屋だけです。日展は、部門によって1階、2階、いくつかの部屋に別れています。総数、何点でしょうか。陶芸、つまり工芸美術部門に入ります。ざーっと見流しながら庄和の知人さんの作品を見つけます。
 <胎動>と名付けられた抽象作品です。お人柄が表れた優しい作品だなと思いました。
 私よりはるかにお若い方ですので、<良かったですね>と書いてもいいでしょう。
 来年9月の、町の公民館(正風館)まつりの陶芸サークルさんの出展の中に、出していただけたらいいのですが。

 陶芸の出展作品は、いずれも大型作品でした。陶芸、染色、織、などを見ながら、彫刻の部屋にうつります。林立する裸婦像群に圧倒されます。実寸より大きな裸婦像に目を伏せながらとおりすぎます。
 <著名な大家さんの出展情報も持っておらず>、結局、洋画、日本画の部屋は全然見ずに、新美術館を出ます。

 乃木坂から、青山霊園を横切って青山に歩きます。次に目指すは、2,3年休んでいて新装オープンの新根津美術館です。
 <つづく>

   【おまけ】

*ロビーに飾ってある<私が通っていた頃の建物>の模型

* 国立新美術館のロビーあたりで、<ここは昔よく来ていた所だよ>と家人に発信。<前に来た時にも言っていましたよ>とリプライ。いかん、同じ言葉を繰り返す、老化がすすんだようです。

* ここが、東京大学生産技術研究所(東大生研)だった頃に、毎月一回、ある雑誌の編集委員会があって出かけていました。さあ5,6年通ったかしら。千代田線乃木坂の端っこを出て、裏口から入っていました。戦前は、旧陸軍第一師団歩兵第三聯体舎だったそうです。重々しい作りの建物で、随所に旧陸軍の栄光の重みが残っていました。

*会場で配られていた、日展ニュース、№134、2009.9.31発行。

* 日展、今回の総展示(出展)数を調べようと、会場で配られた<日展ニュース>を読んでみました。美術評論家さんの寄稿が面白い。なかでも、多摩美大の本江邦夫教授の<・・・1993年、わが国を代表する三大新聞の学芸欄から団体展に関する記事が消えてしまうという大事件が起こりました>・・・・以下、新聞(学芸欄)と美術について、論じられています。むろん、専門外のことで、ここで意見を述べるほどの思考を持ち合わせていません。


春日部の田んぼの中にワンダーランド=T-BOX造形作品展に行く(2009.11.22)

2009-11-22 22:47:44 | Weblog

*こども造形教室の作品が広がります。

 案内のハガキをもらっていた<アート&クラフト・スタディオT-BOX>造形教室の作品展に出かけました。ウチの近所といえば近所、春日部市、旧庄和の田んぼの中です。 知人の平島鉄也さんの拠点です。

 やや寒のうっとおしいお天気で、お客さんも少ないだろう、と思っていたのですが、どうしてどうして、賑わっていました。
 <おとなの1階>から、<こどもたちの2階>に上がっていったら、そこは、カラフル・ワンダーランドでした。いいなあ、こんな感じ、でした。子ども教室の生徒さんの作品が並んでいます。こどもらしい自由な形、色使いが楽しい。
  生徒のご家族さんが嬉しそうに見ている姿もありました。

*3年生の女の子

*2年生の男の子

*平島鉄也さんは鋳金作家さんです。真ん中の椅子の上には、大きな猫が鋳金作品のように寝ていました。

*1階に並ぶ平島さんの作ったアクセサリー。(【注】・・・これらは生徒さんの作品です。と、平島さんからコメントが来ました)

*東京のお店で、気に入ったアクセサリーを手にするのもいいでしょうが、作者の名前を知ってることも楽しいでしょう。作者・平島さんの工房で、いつでも手にすることができそうです。

 一階には、おとな教室の作品が展示されていました。お仲間が集めた骨董(お皿・・・)も並べてありますし、ベーコン・パン(?)も販売されていました。
座っておしゃべりしていくことも楽しそうです。

*スタジオの場所は、ホームページから知ることが出来ます。http://www.geocities.jp/t_hirashima1885/
   T=BOXは、春日部市永沼858-1
  造形作品展は、11月23日の午後5時まで。

    【おまけ】

*ここに来る前に、春日部市展(主催;春日部市、春日部市教育委員会他)を見てきました。知人の作品を、パッパッと確認しただけで帰ってきました。なぜか、わくわくしないのです。クルマを走らせながら、なぜかなあ、と思っていました。T-BOX造形作品展にある楽しさがない、のです。作品は、それぞれ力作です。公募展ですが、見せる展示の工夫がほしい。


30人31脚走全国大会のテレビ放映日が決定、春日部・南桜井小も健闘(2009.11.21)

2009-11-21 08:11:46 | Weblog

   【追加;最新情報】

*12月6日、12日に、見損なった人に、特報です。
<<12月27日(日)の6時~3時間、全出場校スペシャルがあります>>

 

 テレビ朝日の公式ホームページ<ここクリック>などのネット情報で知りました。

 12月6日(日) 小学生クラス対抗・30人31脚全国大会 事前特番 【15:35~17:30 テレビ朝日系】

 12月12日(土) 『小学生クラス対抗・30人31脚全国大会2009』【19:00~テレビ朝日系】

 

*南桜井小学校は、北関東大会を1位で通過。全国大会で好成績だったらしいのですが・・・・・。号外、ご近所さんへの、お知らせブログでした。


<千利休・茶室の謎>を古本屋で見つけて読む。事実と伝説は違うよう(2009.11.20)

2009-11-20 18:45:50 | Weblog

*左;利休ー茶室の謎;瀬地山澪子著、創元社2000年発行。表紙カバーが茶室の土壁の手触りです。右;こういう特集の雑誌は買ってしまいます。美術手帖、2009年11月号。

  先日、ヨコハマでブラブラしていた時、伊勢崎町の<なぎさ書房>で買ったものの一冊です。
  茶の湯の祖、千利休について、いくつかの番組を作った、NHKのディレクター瀬地山澪子さんの本です。

  わが国の茶道に脈々と伝えられている、千利休の伝説、茶の湯の伝統・心にも抵触するようで、大変面白かったのです。
  日本独自の世界、千利休が到達した<総合美>の世界が、実は、朝鮮(韓国)古来からの生活様式であった、というのです。

 ウチの家人は、40年ほど続けている茶の湯好きです。従って、私も、時にお茶を飲みます。旅先では、著名な茶室を訪ね、骨董屋を覗き、お土産に茶の湯目線で和菓子を買います。近年、建築家やアーティストが<現代の茶の湯を展開>しているイベントなんかによく行きます。<例えば、ここにあります>

  中国の茶を飲む習慣(喫茶)が、日本に入ってきて、日本独自の茶道(茶の湯)という芸術にまで昇華したといわれています。
  茶を飲む空間=茶室、茶を飲む道具=茶碗、茶を飲む空気=自然観など、茶にまつわる全てが、洗練され、無駄をそぎ落とした芸術だといわれるのです。

  平安貴族風の、荘厳華美に飲んでいたそれまでの茶(主と客が同座することのない殿中や書院における豪華な茶の湯)を、簡素な<侘び茶>にたどり着かせたのが、茶の湯の大成者・千利休です。<侘び>という新しい美意識を作ったのです。

  千利休が作った茶室が、現在ただひとつ残っています。京都府・大山崎の<待庵・たいあん>(国宝)です。 <写真など、ここにあります>

*待庵の内部、二畳敷の茶室(上記のWEBから)

**待庵の二畳敷の茶室(本書から)

  待庵は、例えば、<二畳敷きの極小空間に込められた、深遠な思想>、<主と客のみが対峙し得る二畳敷きにまで空間を狭めたのです>などと解説されます。

 待庵の特徴を乱暴にいえば、
   ①二畳敷きという極小空間 
   ②土壁でかこった部屋で柱を見せない(それまでの、木の部屋から土の部屋に) 
   ③入り口が、にじり口(立って入れない高さ)
 です。

  これらの特徴を持った、居住空間は、朝鮮古来からの民家であるというのです。
  それを<発見>し、発表したのが、本書の著者、NHK大阪、京都にいた瀬地山澪子さんです。
  瀬地山さんは、そのことを、NHK総合テレビ「歴史誕生」で、「利休茶室の謎―天下一宗匠の切腹」という番組にしたのです。放映は、1989年11月24日でした。

 そっくりな朝鮮民家を見つけます。土壁の狭いウチなんて、どこにもあった朝鮮の貧しい民のウチそのものなのです。土壁も、出入り口の小ささも、皆、寒い朝鮮ならでは工夫なのです。
  瀬地山さんは、そのことを丁寧に説明しています。

  もうひとつ。茶会には、2種の茶室が使われます。広間と小間(こま)です。大勢が座ることできる広間と、少人数が座れる小間です。この小間(こま)は、高麗「こうらい=こま」からきているというのです。神社の高麗犬=こま犬と同じです。文献に、狭く作った茶室が<こまがこい=高麗がこい>とあることを見つけます。小間は、高麗(高麗風な部屋=小さい部屋)なのです。

 日本オリジナルな、茶道空間、茶道世界は、朝鮮文化からも大きく影響されているようです。千利休が、どのように、具体的に朝鮮文化(朝鮮民俗)の影響を受けたのかも考察されています。

 読み進む中に、秀吉の朝鮮征圧の野望にあたりました。
  文禄慶長の役は、利休切腹後一年たった、1592年4月に始まり、1598年、秀吉の死によって終結するまで、足掛け7年に及んだのです。

  <その間、女性を含む数万の朝鮮の人々を拉致連行し、多くの文物を略奪した。連行された人々による文化の伝搬・創造・略奪物の効用などは想像以上の多岐にわたり、日本近世文化の形成に大きな意味を持つに至った(瀬地山澪子さん)>

   【おまけ】

*江戸時代、著名な茶室研究に、<起し絵図>という立体図面が作られました。東京国立博物館の所蔵です。

*瀬地山澪子さんは、1937年;生まれ、1960年;NHK大阪放送局に入局、1997年;定年退職、1999年;病室で最後まで著作の執筆に意欲を燃やすが、享年62歳で逝去。

*肺がんだったのです。発見されたとき末期でもう手術できなかったそうです。闘病中の執筆で、あとがきは、ご主人さんです。ガンもちの私は涙ボロボロ気分です。

*今、NHK教育テレビでは、各流派の茶道教室番組がありますが、1960年代、茶の湯作法(お点前)が初めてテレビ番組になった時のディレクターが瀬地山澪子さんだそうです。

*茶の湯好きのウチの家人にこの話をしたら、そのテレビ番組を見ていますよ、と。私は、その年代は、いつも<働いていて>テレビなんか見ていません。

*暖かくなったら<待庵>に行ってみようか。<私は、行っていますよ>との返事でした。

*書きたくない【おまけ】;私が子どもの頃に育ったウチも、土壁で覆われたウチでした。この間まで、日本でも、田舎の貧しいウチは、みなそうだったように思います。

 【ディレクター瀬地山澪子さんの放映番組】
NHKTV-NHK特集「京都・表千家―わび茶の世界」1987年1月放送
NHKTV-歴史誕生「利休茶室の謎―天下一宗匠の切腹」1989年11月放送
NHKTV-ETV8「利休再発見―茶の湯政道」1990年3月放送
NHKTV-ETV8「利休再発見―異風美の創造」1990年3月放送
NHKTV-特集番組「虜囚の人々―秀吉・文禄慶長の役」1993年3月放送


新発見の井上靖「中国従軍日記」を雑誌「新潮」で読む(2009.11.19)

2009-11-19 17:11:18 | Weblog

*わが町で買えず、娘が、越谷で買っていてくれました。

 新聞の先触れ記事<井上靖の従軍日記見つかる>を読んでいて、雑誌「新潮」2009年11月号を、発売日(7日)に、この町の本屋<TSUTAYA(南桜井店)>へ買いに出かけたのですが、ないのです。<この間のブログ、ここクリック>

 今日19日まで、さいさい本屋に行きましたが、ありません。
<買えない・がっがりブログ>を読んだウチの娘(越谷在住)が、3,4日前に、<売ってるよ>と電話をくれて、買ってもらったのです。

 日記といっても、手帳のメモですが、174日分の日記を2時間ほどで読了です。
 あっさり読了です。考えこむことも、思いをめぐらすこともなく、むろん涙のにじむこともなく読了です。

*先触れ記事。右;日経、左;朝日。

 日経11月1日付、井上靖氏の行軍日記発見、「神様、一日も早く帰して」
 朝日11月3日付、井上靖の従軍日記見つかる、「神様!一日も早く帰して下さい」

  「神様!一日も早く帰して下さい」という新聞の見出しに、何を想像し、期待したのだろうか。戦場に送られた兵士の、過酷悲惨な戦闘現場での遺言のような日記と勝手に思っていたのです。

  「神様!一日も早く帰して下さい」は、一回だけですが、確かに出てきます。が、新聞記者は、読まずに書いたな、と思います。新潮社の広報資料だけで書いたな、と思ったのです。
  手帳へのメモは、今日の一日を備忘録のように、事実事象をたんたんと書いています。
  心情吐露を期待した私には、あっさりなのです。戦争文学とは、全く異なるのです。 

  やたらと、羊羹を食べるのです。
  オウチへ頻繁に手紙を書くのです。手紙が書けるのです。

  昭和12(1937)年8月25日~昭和13年3月7日ぼ日記です。
  北京西南の盧溝橋で日中両軍が衝突したのは、12年7月です。その月末から8月にかけて戦線は瞬く間に北支の中央・南北の3方面に拡大・・・・支那事変、そうして大戦争になります。

 10月7日12時に、井上靖の行軍は、盧溝橋を通過します。この日あたりは<激戦の跡>を見ていくのです。
  井上靖は、戦闘要員、歩兵ではありません。後方からの補給部隊(兵器・弾薬・糧秣などの輸送・補給)です。歩きながら、下痢に見舞われた体調不良時には、馬や自動車に乗ることもあったようです。

*行軍記に、編集者が地図がつけてくれているのが助かります。右上の北京から、南西への行軍です。

  前線での戦闘は一度もありません。途中、<脚気(かっけ)>をわずらい、日本に帰還します。

 日記は、元いた毎日新聞社の社員手帳に、鉛筆横書きで、びっちり書かれているようです。行軍の間の駐屯で、同僚が付近に<調達・略奪>に出かけるときは、井上靖は<興味なく>、その間に日記や手紙を書いているのです。

 10月28日の記述、<・・・みんな略奪にゆく、自分は疲れているので焚火にあたり乍ら足を休め日記をかく。兵隊はドロボー。くだらないものばかり徴発してくる。敗戦国はあはれだ>。

 戦争のさなかにいたには違いありません。
 死、死者、屍のさなかの日記ではあるのです。
 その時、井上靖30歳。留守宅には、妻(ふみ)、長女(幾世)がいました。
 30歳の時の体験なのです。、30歳であることに、身震いするのです。

    【おまけ】

*右は、新潮1000号記念号(昭和63、1988年5月1日号=850円、20年前ですね。左は、今月号、2009年11月号=税込み1000円。表紙がすっかり変わりました。目次をみて、執筆者もまた、すっかり変わっています、そりゃそうでしょう。今月号の他の小説(文学)は、たぶん読まないでしょう。

* ウチの本箱に、井上靖の小説はありません。しっかり読んだ記憶はありません。新聞連載小説<氷壁>もちゃんと読んでいませんが、たぶん映画はみています。それでも、映画<通夜の客>の記憶が、生々しく残っています。原作者は井上靖さんです。

* ただ、楼蘭探検に行きたいなあと思っていた頃、その頃読んでいたものの周辺に井上靖さんがよく登場していました。<ここに書いています>


春日部・市展の季節に、おすすめはご近所のアート&クラフト・T-BOX展(2009.11.18)

2009-11-18 15:27:30 | Weblog

*秋も深まってきて、いくつか展覧会案内が届きます。

  9月から毎週末、春日部市のどこかでやっていた、**まつり、**祭、**フェスティバルといった屋外イベントも、ようやくひと段落でしょうか。おかげで、静かな<芸術の秋>には、すっかりご無沙汰でした。

 知人から、春日部市の市展の案内をいただきました。市展の季節です。
 今年で4回目の美術好き市民の最高峰コンクール(展示会)です。会場にあふれるほどの作品が出展されていて、毎年、街の美術好きの多さにおどろきます。 
 知ってる人の何人かが出展しているでしょう。

 * 第4回  市展、11月17日(火)~22日(日)、
        会場;春日部中央公民館ギャラリー(東武野田線八木崎駅すぐ)

 昨日、一枚のダイレクトメール(ハガキ)が届きました。知人からの展示会の案内です。この頃、配達される郵便物に、お手紙はなく、無味乾燥な電話やカードの料金請求・明細書、宣伝物ばかりで、その中にある若いアーティストさんの個展やグループ展のお知らせは嬉しいものです。アーティストらしくデザインもおしゃれです。

*いかにも楽しそうなT-BOX工芸作品展です。私のおすすめは、むしろ、こっちです。

 *Art-&-Craft-StudioのT-BOXで展開している造形教室の第8回造形作品展。
    2009年11月21日(土)~23日(祭)、10時~19時
    会場;Art-&-Craft-Studio・T-BOX(春日部市永沼858-1)
    会場の地図はここからstudioをクリック
http://www.geocities.jp/t_hirashima1885/top_frame.html
   ホームページ;http://www.geocities.jp/t_hirashima1885/

  T-BOXの主宰者・平島鉄也さんは、旧庄和町の鋳金作家さんです。アート作品の他、ブローチなどの装飾品の作家さんでもあります。だから、造形教室さんの作品に立体が多く、そこが楽しいのです。棚において置きたいようなカラフルな作品、楽しいおもちゃのような作品が並びます。ときどき個展やグループ展の案内が届きます。
  ウチの息子が浪人時代、デッサンの勉強に通った先生でもあります。

 もう一枚。同じ時期に、ご近所の知人の写真展があります。

*左;福添智子写真展、右;池谷真理プロデュースのイベントの案内。

*福添智子写真展『二○○九』 
   2009年11月23日(月)~29日(日)、13時~20時
    会場;ギャラリー・ニエプス(新宿区四谷4-10、メイプル花上2F) 
    
<会場のページは、ここ> 
   問合わせ;めかめら舎、
<目カメラ舎のホームページはここをクリック>

 作者の福添智子さんは、超ご近所さんです。ちょっと事情があったのですが、<元気に>個展の開催で何よりです。

    【おまけ】

*ご近所の若いアーテイストさん、勉強中・修行中さんも含めてですが、案内のハガキをもらうことは、ほんとうに嬉しいことです。

*池谷真紀さんも同じ旧庄和町です。エキシビジョン・パートナーつまり<展示会など>の企画・プロデュースがお仕事のようです。届いたハガキは、今年の7月末~に、東京銀座で行われた、<Tamago-Pink-exhibition=夢幻食堂=>の案内です。


学童保育と保育所(越谷)から孫をつれて帰る道はもう真っ暗です(2009.11.17)

2009-11-17 16:54:38 | Weblog

*5時すぎ、また、ひとりの子どもがママと帰っていきます(越谷市立**保育所)

 越谷に住んでいるウチの娘は、下の子を越谷市立の保育所に預け、上の小学校一年生は学童保育に預けて働いています。
 昨日、<帰りが7時すぎになる>という娘からの連絡で、ジジの私が子どもたちを迎えに行きました。

 春日部市のウチから30分弱の娘のアパートにクルマをおいて①保育所、②小学校学童保育の2ヶ所を回ります。5時半頃の帰り道は、もう真っ暗でした。久しぶりに夜道を歩きました。

*みんな元気に遊んでいました。だ~れもグズッていません。まず保育所で下の子のお迎えです。その次は、小学校です。保育所を出た孫は、いつものことと心得ていて、小走りです。

 <小学校の玄関脇をまっすぐ突き抜けると、プレハブの建物があるから>、と娘に聞いていましたが、真っ暗です。でも、下の孫が走って行きます。そこが学童保育室でした。

*越谷市立**小学校内の学童保育室。

*こちらは、保育所と違った雰囲気でした。皆、静かに本を読んでいるようでした。ここにいるウチの孫によると、宿題は全部、ここでやってくるようです。ここでも、グズッてる子どもはいません。指導員の先生(たぶんボランティアさん)に挨拶して帰ります。毎日、ほんとにありがとうございます、という気持ちになります。

*小学校内に灯りはありません。さあ、帰ろう。

 子ども達には、これがもう今の生活パターンでしょう。
 1年生の4月から学童さんになれず、10月から学童保育に入ることができたのです。まだ1ヶ月ちょっとです。<友だち、できたか?>、<うん、いっぱいいるよ>、<そうか、そうか>と、ジジはうなづきます。

 冷たく暗い夜道ですが、軽やかな子どもたちのおしゃべりは続きます。

    【おまけ】

*保育所になかなか入れず、無認可保育所時代あり、一人公立保育所・一人無認可保育所時代あり、一人が小学校に上がって、すぐに学童保育に入れず、ジジババが通いの学童保育を半年弱やった時代があって、今ようやく安定しているのです。

*すんだことは、もういいのです。むろん、これからも、体調不良なんかのピンチもあるでしょう。クルマで30分の所に、ジジババが住んでいるのです。

*今年の秋に、私の住む街が作った<春日部市・子育てガイドブック・めばえ>です。ここに載ってる情報が必要な人が、このガイドブックができたことを知っているのかなあ。

*近くに、ジジババのいないオウチの方が多いでしょう。がんばれママさんというだけでは、どうしようもないことがあるでしょうね。子育てがしづらい時代なんでしょうか。いや、いつの時代も、そうなんです。私らの子育て時代もおんなじようにも思いますね、子育ては、いつの時代も孤独ですが、ちょっとの間です。