オール・スウィングさんの越谷/千間台・新年ライブで陽気にスタート(2008.12.31)

2008-12-31 19:52:42 | Weblog

*暮れのご挨拶に、オール・スウィングさんの練習場を訪ねました。

  2008年12月31日ももうすぐ終わります。新聞の記事でしか知らないのですが、世界中が、くら~~く落ち込んでいるようです。

  新年は、が~~っと陽気にいきたいものです。それには、新年もスウィング・ジャズです。越谷に、オール・スウィング・ジャズ・オーケストラあり、といわれているオール・スウィングさんが、新春早々から、陽気で、ダイナミックなステージを見せてくれます。

   1月3日(土)午後2時スタート

   会場;越谷市千間台・サティ(東武・せんげん台駅西口すぐ)

  もちろん無料です。お屠蘇気分があっても、なくても、<初ジャズ>、<初さわぎ>に出かけてみるつもりです。

*今年のオール・スウィング・ジャズ・オーケストラの定期コンサートから。

       【おまけ】

* さあ、紅白歌合戦が始まっているようです。今年の楽しみは<崖の上のポニョ>です。オール・スウィングさんの新春ライブでもやるそうです。欠かせない今年の大ヒット曲です。

* この一年、お付き合いいただきありがとうございました。では、また来年といっても、4時間後のことですが。皆様にとって、新年がいい年でありますように。


お酒は新聞紙に包んだ一升瓶を選んで、禅宗保寧寺の和尚にお願いに(2008.12.30-2)

2008-12-30 17:08:17 | Weblog

*新聞紙に包んだお酒にしました。

 <そうだ、保寧寺の無一和尚に頼もう>と決めて、ご挨拶に持参するお酒を買いに、ヤオコーのお酒売り場に出かけたのですが、どれにしようか、決めかねるのです。
テレビのCMで聞く名前のものがいいのか、私に自信を持って選べる味はわからないのです。きらびやかな包装、がっちりした箱、それぞれの酒に、ただの新聞紙(しんぶんがみ)で包んだ酒瓶が目をひきました。
 私らの子どものころ、どこかに持っていく時、野菜でも何でも<新聞紙に包んで>いたことが重なり、それにしました。 一番安い酒でなかったことも選んだ理由です。

 <ただの新聞紙にくるんだ形>を包装にしたアイデアは、なかなかのものかもしれません。新潟の酒<たかの井(高の井酒造)>です。新聞紙が、朝日、読売、日経などの全国紙ではなく、<新潟日報>であったことも感動しました。

*騎西町の保寧寺

 お酒を持参したのは、騎西町の保寧寺です。禅宗・臨済宗のお寺です。和尚が、東京・新座の平林寺におられるころから、家人が時々教えを得たりしていた和尚です。保寧寺での座禅会や花まつりに出かけていたり、自分の初釜に保寧寺をお借りしたりしていたのです。

*篠笛で<竹の歌>を吹いていただきました。なんと、セルマーのアルトサックスがあります。

 *保寧寺のことは、<ここにあります>

     【おまけ】

* 私自身の今年末の変調から、ちょっと書きづらいのですが、お墓を買ったのです。私のウチのごく近くのお寺境内の墓地です。3年ほど前から買っていて、<早くお墓を建ててくれ>と業者にせっつかれていても、ほっておいたのです。

* ところが突然、家人が<建ててしまおうか>といいだし、私自身の意見を言う状況でもなく、決定したのです。お墓に対し、家人は、漫然と、自然石だとか、樹木が一本だとか、わけのわからないことを思ったりしていたようですが。

*結局は、墓石屋の言いなりです。カタログさえなしです。松・竹・梅コースどれにしますかスタイルです。まあ、なんでもいいんじゃない、になってしまったのです。

* 私の墓ではありません。<**家之墓>です。パソコンからその文字がプリントアウトされた時に、<この文字は嫌だな>と思ったのです。

* 家人が<あんたが書いたら?>と。<スウィング・ベアーズ音楽会>なら書いてもいいが、お墓の文字となるとそうはいきません。それで、以前、茶室向きに書いてもらったことのある保寧寺の小崎無一和尚に頼むことにしたのです。

* 正月2日は、書初めです。私も、新年一番に、私の墓<****之墓>と、墨黒々と書いてみようと思ってはいるのです。 そうすると、私をおおう暗雲が、少しは晴れるように思うのです。


入院はディパックを背負って軽い気持ちで出かけます(2008.12.30-1)

2008-12-30 15:20:10 | Weblog

*入院手続きを完了し、しばらく世話になるベッドと対面です。

 11月中旬から、4つの病院を体験しました。今月、12月は10日も病院にいきました。自覚症状は何もなしですが、最新鋭医療機器で調べると、この年齢です、ガタもきています、<危険信号>がでるのです。
今回は、松戸駅前*東京病院です。軽い小旅行気分で、入院セットを入れたディパックを背負って、ウチをでます。

 今回は8人部屋です。入院慣れした牢名主の<室内おしゃべり>には、参加せず、カーテンを閉めて閉じこもります。すると、世間から隔離された世界ができます。
ふと、ほんとに海外出張の<飛行機の中>と錯覚します。むろん大勢の乗客の中ですが、気分は1人です。寝たい時には寝る、眠くない時は本を広げている。欧州便12時間ほどの間、することも、動くこともなく、それでいて<やらねばならない宿題もない、あっても持ってきていない>、自由と言えば自由、不自由といえば不自由。食事が配られると、まわりがざわつき、孤独に<美味しく>食べます。トイレも気ままに孤独にすます。ときどき回ってきてくれる優しく可愛い、スチュワーデスさん、看護婦さんも同じです。ともかく、ウトウトしたり、本を広げたりで過ごすのです。

*暇だから、毎食を撮影、12月**日夕食です。完全“野菜だけ食”です。右下のノリとわずかなお醤油が救いです。

私は、この種の1人になれる時間が、けっこう好きなのです。 もちろん、身体に変調を感じていないからでしょう。それでも、<病院の中で暮らしていると本当に病気になりそう>というのは、あたっているでしょう。

   【おまけ】

*今回は、この2冊を読了。右端のCDRは、私の心臓血管のカテーテル検査画像です。医師にほしいといったら、CDRを持ってきてくれました。


冬空に柿の実ひとつ。自然への木守りの心に木守りのお菓子(2008.12.25)

2008-12-25 23:45:40 | Weblog

*柿の実ひとつ、木守り(きまもり)です。

 わが家の柿の木は、貧弱な渋柿で、食べられるという柿ではありません。それでも、実のひとつを残してあります。

 野鳥のために<ひとつ>残しておくものだと思っていましたが、来年もまた沢山の実をつけてくれるように、という願いをこめて、全部取り入れてしまうことなく、ひとつだけ残すという風習のようです。

 このひとつ残った柿を<木守り=きまもり>といいます。
いや現実的には、野鳥のために<ひとつ>残しておくのでしょう。いずれにしても日本人の自然に対する崇高な思いです。

*お菓子<木守>、三友堂(高松市)製。

 一昨日夜の、わが家のお茶会<除夜釜>のおり、家人は、薄茶のお菓子に<木守り>という名の菓子を選んでいました。柿餡(あん)の甘さがほどよいのです。

 茶の湯の世界では、<木守>という銘を持つ茶碗の話があります。
千利休が、楽長次郎に茶碗を7個造らせ、6人の門弟たちに、望みのままにとらせところ、1個残りました。利休は、残った茶碗を<木守>の銘にして大事にしたと伝えられています。
 この故事に基づいて造られたのが、お菓子<木守>なのです。菓子の渦巻状の烙印は、茶碗<木守>の巴高台を模しているのだそうです。

    【おまけ】

*お菓子<夏蜜柑丸漬>光國義太郎(山口県萩市)製

* <除夜釜>茶会での、濃茶の菓子は、<夏蜜柑丸漬>でした。
 <夏蜜柑一個全体の皮を破損せぬよう巧妙なる技術を以って中身を抜き取り、中身の代わりに煮沸夏蜜柑製羊羹を流し込んだ>お菓子です。

*みかんもひとつ残し、木守りに。

* わが家には、みかんの木が一本あります。毎年たくさん、美味しいみかんがなります。そして、皆さんに、少しずつ持ち帰ってもらうのです。が、今年、そのいくつかには、野鳥のくちばしの後があります。<鳥インフルエンザ>ニュースもあって、さしあげるのは、まずいね、ということにしたのです。


わが家の除夜釜、年越しの手打ちそばが終わって、新年からは菜食を決意(2008.12.24)

2008-12-24 23:40:58 | Weblog

*わが家の除夜釜は12月23日。

<除夜釜は、年の暮れ、あれこれ思い出し、幾分の感慨をこめて世話になった知人を招き、また親しい友人たちを迎えて催す茶会、歳暮の釜です>

 恒例というほどではありません。3年目です。茶の湯好きの家人が、年末だから除夜釜を懸けたいなあと言い、暮れなら<年越しそば>だから庄和の蕎麦名人を頼もう、と始まったのです。

 今年は、先日、私のドクター・ストップ騒動があって、開催を躊躇していたようだったが、急に<やろう>ということにしたのです。

*久保さんはどうしてるかなあ(この写真は、2006年暮れの除夜釜です)

 除夜釜は、本来は12月31日に釜を懸けて、過ぎた一年を振り返る茶会です。灯をおとし、わずかなローソクの灯で、やや、闇夜のカラス状態で、お茶をいただきます。

*床飾りに、直島みやげの草間彌生さんデザインの空き箱。

 それから旧庄和町(春日部市)で、蕎麦うちに、この人ありと知られている小島彦一さんのお蕎麦です。オウチで蕎麦をうって、すべての準備して来られ、ウチの台所に立って茹で上げて下さるのです。できた端からいただきます。恒例のお蕎麦で、歓声があがります。

 だんだんと、忘年会・越年会の雰囲気になっていきます。気ごころの知れたどうしです。時節柄、お酒は入りませんが、盛り上がっていきます。

       【おまけ】

 ただ今年は、私の入院騒動、そして今仮出所状態のことに、皆さんの心配を強く感じます。
 <大丈夫ですから>と話した途端に、何人かが、ご自身・ご家族の経験から来る養生について、真剣で、びっくりするほど熱っぽく話して下さったのです。人が誰もが大なり小なり持っている、深く重い過去の経験を思うと胸にきました。

 そうして、野菜中心の食事に変えなきゃ<だめ>、と強く諭され、感じたのです。牛丼大好き、トンカツ大好きはだめなのです。
すでに、わが家、菜食傾向がはじまっていますが、急速に、菜だけ食に移行していくでしょう。
 新年は、そのことを楽しんでみようと思っているのです。


サンタクロースが来るのは、イブの翌朝(25日)か、26日の朝か(2008.12.23)

2008-12-23 14:38:07 | Weblog

*まだクリスマスじゃあないのに。(店内撮影禁止のヤオコーで無断撮影です)

 今朝10時、近くのスーパー・ヤオコーに行きました。今日、ウチにお客があるので、ウチのクルマをヤオコーの駐車場におきにいったのです。
 いつもオープンすぐに満車になります。駅前ですので、お買い物に無関係なクルマもあるに違いありません。

 夜までとめることになるので、ちょっと申し訳ない気持ちもあって、少々買い物をします。今日、世間はお休みのようです。ヤオコーの食料品売り場は、ハッピー・クリスマス・ムードです。予約者のためのケーキが、もう山のように積まれています。まだクリスマスじゃあないでしょう。

 今日が、何日?、何曜日?が、すぐに出てこない日々を過ごしている身分では、いつがクリスマスであっても関係なしです。
 こんな私でも、クリスマスの日を、気にしていた時代もあったのです。
 成人してからの<子どもたち>が、わが家のクリスマスは、よそのオウチと違っていたというのです。

 私自身、本来、サンタクロースの来るのは、楽しくイブを過ごして眠って、25日の明け方、つまり、靴下を置いて眠るのは、24日クリスマス・イブの夜と思っていました。世間では、正しくは、25日の夜、26日の朝らしいのです。今でもよくわかりません。

 もっとも、サンタクロースにも夜勤があったので、クリスマスがいつになるのか、12月ちょっと前の<勤務表>ができるまで、わからなかったのですが。

   【おまけ】

*<サンタクロースっているんでしょうか?>と思った年から、サンタクロースは来ません。

* わが家に、クリスマスはなし。ケーキもなしです。クリスマスらしい明るい写真もありませんので、いつものRikaさんの素敵なケーキの写真をブログから無断掲載です。

*よいクリスマスをお過ごし下さい。

* そのRikaさんは、ケーキ屋さんで働いています。12月なってから、一日中ケーキと格闘していたのでしょう。誰よりも、クリスマスが来るのを指折り数えて待っていたかもしれません。もう後、2日。ラスト・スパートだ、がんばれRikaさんです。


片付けをしていたら、百円札が4枚出てきたので、これを元手に(2008.12.20)

2008-12-20 22:24:15 | Weblog

*突然出てきた百円札です。

 ちょっと落ち込んでいる気分が続いています。11月頃から、いささか無気力症候群です。わが部屋、わが家、乱雑きわまりない。<暮れの!大掃除!>の大声も聞こえてはいるのですが。

 それでも、何でも放り込んでいる引き出しから整理しようとしたら、古い百円札が出てきました。4枚。むろん新札ではありません。百円札がなくなる頃、何年頃か忘れました。百円硬貨に代わる頃です。
 <なくなるから保存していたのでしょう>。いったい何のために保存しようしたのだろうか。<将来、骨董価値が出て、高値になる>と思ったわけではないでしょう。

 ずっと後になって、<子ども相手に見せて喜ばせる>機会もなかったのです。今となっては、100円の価値さえありません。ただの紙切れです。
 それなのに、捨てることもできず、また元の位置に戻したわけです。万事がこの調子で、いっこうに片付きません。

 1000円銀貨を一枚持っています。東京オリンピック記念硬貨ですから、昭和39年(1964年)の発行です。徹夜して並んで一枚手にいれました。月給2万円ぐらいの時代です。
 翌日3,000円になり、正確には知りませんが、8,000円になり、13,000円の広告も見たことがあります。むろん業者の売値ですが。今は、どのくらいかしら、3000円で引き取ってくれるでしょうか。今、コンビニでは、使えないでしょう。つまり、お金の価値なしか。持っていてもしょうがない、3000円なら売ってしまおう。

 それで、1000円銀貨を探したのですが、これが出てこないのです。万事がこの調子です。
 <いなくなったら、ばさっと捨てますからね。今は、どこにでも捨てられないのですよ!!>の声が聞こえてきます。

   【おまけ】

* この1年いいことがなかったのですが、突然、一筋の光明が見えたのです。こんな家族の会話とたぶん無関係に、<たぶんです>、先日、息子が<ネット・オークション>の利用手続きを始めたというのです。

* そうだ、私の<価値ある歴史的な収集物>をネット・オークションで売ってしまおう。どうせ、もうすぐ捨てられる運命にあるのだから、もう持っていても何の意味もない。欲しい人に持ってもらった方がいい。

* 私は、お金(資金)を息子に残すことはできなかったが、わけのわからない<物>がある。これが小金になるなら、つまり商いの<商品>を提供し、ネット販売をやらせてみよう。

* 日本のノーベル文学賞作家の60,70年代の初版本が10冊ぐらいあります。ボブ・ディランの日本公演のたびに買ったTシャツも全部揃っています。新品です。・・・・と夢を広げて、ヤフー・オークションを覗いてみました。<やす~~~い>のです。ネット長者の夢はしぼみます。ほしい人にさし上げる方がいいでしょう。


初めての韓国・釜山旅行みやげは、スーパーでの買い物みたい(2008.12.19)

2008-12-19 14:35:16 | Weblog

*なんか激辛の感じです。文字が韓国です。さすがに何にも読めません。魚の名前も、右上のインスタント・ラーメンの作り方もわかりません(読めません)。中上のキムチがやや高級そうです。

 いつの間にか、暮れもおしせまってきています。世間では、忘年会続きでしょう。
私には、お誘いの一件もありませんが、ウチの息子にも夕食不要の日が続きます。
その、旅が仕事の息子は、先週末に韓国・釜山に2泊3日で行ってきました。どこかの会社の忘年会旅行添乗だったようです。

 海外への添乗もなくはない息子ですが韓国は初めてです。<海外体験の豊かな???>私もまた、韓国は行ったことはありませんし、行こうかなと思ったこともありません。
 お隣の国なのに、不思議といえば、不思議です。

 出発前に、何か買ってこようか?聞かれたのですが、何も浮かばない、そういう時にすぐに取り出す旅行ガイドブック・地球の歩き方の、<韓国編>はないのです。

 帰ってきて、取り出したお土産は、レジ袋に入った、まるで<近くのスーパーの買い物>といった感じでした。キムチ、えびせん、インスタント・ラーメン。赤い文字が、<辛>、激辛の雰囲気が漂います。そして魚の干物です。
免税店で<スイスのチョコレート>を買っても、韓国のおみやげにはなりませんが、なんか他にないの?気分になってしまいます。

 しかし、地元のスーパー(市場)で出かけてみて買って帰るのが、ほんとの<海外旅行>の達人・極意かもしれません。いや、ただ忙しかっただけでしょう。お土産を探すのは、けっこう大変なのです。

 ああ、<韓国のり>が、たくさんありました。わが家も大好き韓国のり、です。
お土産品のお話は、これ以上進みませんので、デジカメにあった写真を少し貼り付けます。

*釜山風景。海の向こうが、日本です。釜山は、太古より日本に開かれていた港町です。

*釜山の街並み。韓国は、<クルマが右側通行らしい>

*窓に日本語<あわびのおかゆ>専門店と書いてあります。

*<あわびのおかゆ>です。

*泊まっていたホテル(Commodore-Hotel)

    【おまけ】

*実は一冊、こんな旅の本を持っていました(左)。右は、慶州の観光パンフレット。

*韓国旅行は、国内旅行より<安い>ようです。持ち帰ってきた日本語の観光パフッレトみながら、慶州はいいなあ、そして、済州島は<カジノと酒と***>の歓楽島ではなく、自然豊かな島なんだなあ、と思いました。お隣の国・韓国を全く知らないんだなあ、と反省しています。


2010年春オープンの春日部市民活動センターへの要望は、まだ間に合う(2008.12.17)

2008-12-17 10:24:35 | Weblog

*東京・四谷の市民活動センター(2008年9月)

 ララガーデンの隣(駅寄り)、この間まで駐車場だった所にできる埼玉県<東部地域振興ふれあい拠点施設(仮称)>の中に、市民活動センターができます。

 先日、春日部市民活動センターについて、一般市民が話し合う集まりに行ってみました。私は、春日部市民活動センターに期待しているのです。

 埼玉県<東部地域振興ふれあい拠点施設(仮称)>は、埼玉県と春日部市が共同で進める事業のようです。
 先日配布された資料に、次のように書いてあります.。

 <施設整備・運営の基本目標は、①地域産業の振興・集積、②住民活動・交流の促進(NPO等による自主的な住民活動を支援する機能を導入し、活動の場や交流の機会を提供し、活動を活発化する)、③にぎわいの創出>です。

 <この施設は、3つの施設で構成されます。①県の施設(産業支援施設と県の機関/具体的にはパスポート・センター)、②市の施設(市民活動センターと市の機関/具体的には保健センター)、③民間施設(にぎわい施設)です>

 さて、市民活動センターって、何をする所?何に使える所?
 市民活動をする所です。市民活動のための施設です。
 市民活動って何?、私のやっていることって、市民活動かしら?

 市役所は、市民活動センターの基本的役割りは、次の3つと明確に書いています。
①「新しい公共」の担い手を育成する拠点
②多様な主体が協働する場をつくる拠点
③市民活動支援のための総合的・中核的拠点

 ちょっと、わかったような、わからないような・・ですが、良さそうです。

 <春日部市内には、公民館や視聴覚センターといた社会教育施設が多く設置されています。そこでは、文化団体をはじめとする多くの市民活動団体が活動しています。また、総合福祉センターをはじめとする社会福祉施設においても、ボランティア団体などの多くが活動していると同時に、市内5か所にボランティアセンターが設置され、ボランティア活動への理解と参加を呼びかけています。今後は、それぞれの施設を拠点として活動する団体を総合的に把握し、つなげていくことで、市民活動の活発化が期待されます。(市民活動センター整備計画p4)>

 <現在、市民の活動は公民館などの地域の社会教育施設、(と)総合福祉センター、商工センター、男女共同参画推進センターなどの活動分野別の施設で行われています。しかし、今日の市民活動は、複数の分野にまたがる活動も多く、活動範囲も広がっています。また、それぞれの施設の相互の連携は必ずしも十分とは言えません。このため、市民活動センターは、特定の分野や地域を問わず、あらゆる市民活動の総合的な拠点とするとともに、市民活動に関する情報を集積させ連携を強化する中核的な拠点を目指します。(同p7)>

 そういう市民活動センターが、春日部駅直近に、できようとしているのです。
市民参加推進課は、市民活動センターのありようについて、市民が意見交換し、反映させたいとして、公募に応じた市民を集めて、<市民活動センター・ワークショップ>をスタートさせています。

 私は、市民のための<市民活動センター>、春日部市にもようやくできる<市民活動センター>に期待するのです。

     【おまけ】

*国際支援のNGOさんたちが、インドの女性たちが作った衣類を売っていました(東京・四谷の市民活動センターで、2008年9月)

* 今、進められている<市民活動センター>に、一般市民が希望や要望を言う方法は、あるのでしょうか。正確には、市民が意見をいう<期間>は、終わってしまっています。

* 広報かすかべ11月号には、次のような記事があったのです。
<この施設は、民間事業者の提案競技(コンペ)によって整備が進められます。この施設の民間事業者による提案の基本となる<整備事業業務要求水準書(案)>が、市民に公表されました(11月5日~21日)。そして、この施設の中の、春日部市が設置する<春日部市市民活動センター>と<春日部市保健センター>について、市民に意見を募集します。募集期間は11月5日~21日。(問い合わせは、鉄道高架整備課)>

* 春日部市役所は、ちゃんと広報で、市民にお知らせしているのです。<この記事を見過ごしていた、私が悪いのです>


クルマの形の<スバル最中>は、楽しく美味しいA級みやげです(2008.12.12)

2008-12-12 17:45:50 | Weblog

*<スバル最中>です。値段不明。

 この頃、B級グルメだとか、B級映画とか、B級をチヤホヤして、特別な評価を与える評論家さんがいます。どういってもB級はB級なのですが。
 お土産にも、いかにもB級の<観光みやげ>というものがあります。

 この間(9日)、息子が、日帰り添乗の仕事で、お土産を持ち帰ってきました。
クルマの形の最中です。いかにも<観光みやげ>、子どもが喜びそうな、子どもだまし、という感じです。安上がりの安易なB級みやげの感じです。

 そのことが顔に出たらしく、息子は、美味しくて有名らしいよ、と反応しました。
日ごろから、私も、家人も、口には出さないけど、上等・A級みやげを期待していることがわかっているのでしょう。

 最中(もなか)の形は、クルマ<スバル>です。箱には大きく<スバル最中>と書いてあります。包装紙のロゴも、あの富士重工のスバルです。ここまで徹底するのは、なんだろう。

 ネットで<スバル最中>を検索してみました。いっぱい出てきました。 <ここにもあります>

 スバルを作っている富士重工は、群馬県太田市です。群馬製作所、工場の正門前に、<スバル最中>の看板をあげているのが<和菓子店・伊勢屋>です。

 もう地域ぐるみの、スバルです。お土産は、<スバル最中>です。
そもそも、富士重工業創業10周年の祝賀会のおみやげ用に、富士重工から依頼されて作ったのが、商品化のきっかけだそうです。

*富士重工公認の最中です。

 最初の、1984年の最中の形は、<スバル360>、その後<レオーネ>になって、今の最中の形は、<レガシィB4>です。あのてんとう虫型の<スバル360>は、今、洋風饅頭になっていて、<サブロク焼き>というそうです。

 いつも静かなわが家も、この<スバル最中>で盛り上がりました。
 <スバル最中>は、もう完全にA級みやげです。


少し体調を壊して読む<民間療法のバイブル「赤本」の世界>(2008.12.10)

2008-12-11 10:35:33 | Weblog

*右;知人から届いた本です。

 昨日(10日)朝から、東京に出かける用事がありました。現役時代の通勤と同じように、本箱から一冊の本を抜き出して出かけます。1時間少々の通勤電車には、一冊の本が不可欠です。
 その本は、<「赤本」の世界=民間療法のバイブル;文春新書>です。
 この本の発行は、平成13年となっています。7年前に、おそらく新聞の書評かなんかで知っていて、すぐに読もうと思っていたのです。すっかり忘れていた1年ほど前に、武里駅前の古本屋で見つけ買っていたのです。読んでいませんでした。

 <赤本>という本を、私は子どもの頃から、ウチにあってよく知っていたのです。
 <赤本>の正式タイトルは、<家庭に於ける實際的看護の秘訣>です。大正14年の発行以来、どこの家庭にもあった家庭医学書だったようです。

*むろん、今手許にありません。ネット上にあった<赤本>の写真です。無断転載。アマゾンでは、中古本で4500円からありました。

 <今の私のウチ>の常備用に、ちょっと分厚い<家庭の医学>書を買わなければと思いながら、どれがいいのか決めかねて買わずにきました。昔なら、どの家も迷うことなく<赤本>だったのでしょう。

 私自身の<体調トラブル>を知った方々から、家人経由で、ご自分で使われていた、養生(?)仕方の本がいくつか届きました。<家庭でできる自然療法>、<慢性病の養生>・・・・です。<概ねわかっていること>だなと思いながら、パラパラめくっていて、<梅肉エキスの効用>にぶつかりました。

 <梅肉エキス>は、私がこどもの頃、何かというと飲まされた(なめさせられた)万能薬?です。わが家では、<バイエッキス>と言っていました。
 梅肉エキスから<赤本>を連想して、<「赤本」の世界=民間療法のバイブル;文春新書>を読んでみることにしたのです。<梅肉エキス>の効能はもちろん、生梅からの自家製造の方法も載っています。

 <赤本>は、大正14年に出版され、健康書・家庭医学書の大ベストセラーだそうで、最近まで?売られていたらしい。

 まえがき(2001年)に、こう書いています。
 <今日、健康雑誌が多数刊行され、毎号、健康にまつわる情報や健康法などが提供されている。むしろ氾濫状態といえる。こうした健康雑誌の企画の根はほとんど「赤本」から出ているといっても過言ではない。指圧療法、健康摩擦、マッサージ、カイロプラクティック、灸、腹式呼吸法、食事療法、青汁療法など、これら現代人にも支持されている健康法の源は「赤本」にある>

 西洋医学にある近代医療技術を否定するつもりはありませんが、東洋医学には中国4000年の確固とした治療法、薬があります。民間療法もそうでしょう。即効でなく体調を整えていく療法でしょうか、・ ・・・・といった知識のようなものは、持っていないわけではないのです。

*知識だけ、ベジタリアンなのです。

 医者との間に、問答・問診もなく、触診もなく、何枚かの画像を見せられ、<とってしまいましょう>即手術と言われてしまえば、どうすることもできません・・・・のです。

 日々の食事が一番大切なことは、よく知っていました。
 それでも吉野家の牛丼が好きなのです。そのことを2年も前に、ブログに書いたら、<ここです> 身体にいいのかなあ、とコメントをくれた知人さんがいます。

 私の知人には、健康と食物・食事などについて実践し、話してくれる人が何人もいます。しかし現実に、少し体調をくずしてしまった私へのアドバイスを、<そういう時だから>躊躇している人がきっといるでしょう。

    【おまけ】

*たそがれの有楽町は、電飾とクリスマス・ソングがあふれていました。東京は、クリスマスなんだなあ、としみじみ思いました。

* 昨日の用事は、ある隔月刊雑誌の印刷所での<最終校正>でした。一日中仕事で、昼食に出前をとってくれました。いつものように<親子丼>と言ってしまい、これが良くないのだろうな、と思いながら食べました。

*3億円宝くじ売り場に並ぶ人たちを撮ったのですが、牛丼の吉野家が目立ちます。

* 夕方、別件で有楽町にまわりました。NHKテレビニュースでもあおっていた<有楽町のジャンボ宝くじ売り場>の前を通りました。夕方6時ごろです。テレビニュースほどではありませんが、それでも20人ほどが並んでいます。扮装したアルバイトの若い女性が何人も立っていて<お並びの中から3億円が出るかもわかりませんよ>と叫んでいました。

* 博打・賭博を禁止していて、なんで宝くじはOKなんだろうか、といつも思っているのです。私の住む町のスーパーの前にも、売り場があります。今年は、<当たり年>だから買おうか、<いや、ついていない一年だったから>当たる分けないだろう、と、今年はめずらしく思案しています。普通は買いません。


世界中で一番美しい花はどんな花だろう、加藤周一さんが逝去された(2008.12.9)

2008-12-09 10:43:56 | Weblog

 *朝日新聞(12月6日夕刊、7日朝刊)

もう旧聞の話ですが、12月5日に加藤周一さんが亡くなられました。
 朝日新聞(12月6日夕刊)の見出しを拾うと、<評論家、リベラル貫く>、<稀有な知性、旺盛に発言>、<戦争への怒り原点>です。付け加えることはできません。
 12月7日朝刊には、大江健三郎さんが<大知識人の微笑とまなざし>と原稿を寄せ、井上ひさしさんも<輝き続けた知の巨星が落ちた。心のよりどころを一つなくし、大きな喪失感を覚え、混乱しています>と語っています。

 2001年9月11日米国集中テロ。私にとって、かなり大きなできごとでした。私自身それから半年後に人生リセットする<現役最後>という意味もありました。
 大きくは、その後の世界の回転(転換でなく)、小さくは私のリセットと再立ち上げの仕方、の契機となるできごとでした。

*左;テロリズムと日常性;<9.11と世直し68年、今、われわれ市民にできること>青木書店、2002年10月25日発行(都下の2世代ほど下?の市民グループ(凡人会)の勉強会の記録・・・こういう集まりに出席されていた)、右;加藤周一世界漫遊記;毎日新聞社、1964年5月10日発行(私は、この年社会人になった。この本は埼玉県立図書館の廃棄本です)

 加藤周一さんと面識があるわけではありません。ただただメディア上の話です。
 その後加藤周一さんは、1968年、1960代後半と、今を連携させて考えることを勧められていました。私には、そう思えました。

 私もまた、60年代後半の自分に立ち戻ろうと思ったのです。その昔と比べて、今や、なんらの束縛もありません。はるかかに自由です。40年たって、ようやく自由を取り戻していたのです、そう考えることにしました。

 加藤周一さんの発言と行動を丁寧に読みました。そうして、私らと同世代、60年代に行動していた人たちが、次々に再稼動はじめられたたことを実感していました。

*そうして今、加藤周一さんら、ちょっと前世代の方が、どんどん世をさっていかれます。憲法9条のための<最初のポスター>を貼り付けて、皆さんに知らせることで、哀悼の気持ちにかえることにします。

    【おまけ】

*加藤周一さんの“どんな花が世界中で一番美しいだろうか”とエッセイを書かれています。長い間、忘れていた自分の生き方を思い出させてくれました。

  “どんな花が世界中で一番美しいだろうか”
  ”春の洛陽に咲き誇る牡丹にあらず、宗匠が茶室に飾る一輪にあらず、ティロルの山の斜面をおおう秋草にあらず――”

  “1960年代後半に、アメリカのベトナム戦争に抗議してワシントンに集まったヒッピーズが、武装した兵隊の一列と相対して地面に座りこんだとき、ひとりの女性が、眼のまえの無表情な兵士に向かって差しだした一輪の小さな花ほど美しい花は、地上のどこにもなかったろう”

  【おまけのおまけ】
  *このエッセイは、“小さな花”というエッセイ集にあるのですが、この本がでてきません。この頃、本を探して出てこないことがよくあります。どんなに乱雑になっていようが、本でも、資料でも、さっと出せるのが<私の得意技>だったのですが、いよいよ私も、どこかの回路が切れたのかも知れません。


明治の心意気を感じる利根運河そばの老料亭でフレンチ・ランチ(2008.12.7)

2008-12-07 22:58:17 | Weblog

*明治時代から続く割烹旅館、今フレンチレストラン。

 利根運河と言っても、知っている人はほとんどいないでしょう。
 利根川と江戸川を結ぶ運河があったのです。日本最大の長さ8.5kmの運河です。
 私の家から電車(東武・野田線)で20分ほどいくと、運河と言う駅があります。駅名はよく知っていますが、いつも通り過ぎるだけで下りたこともありません。
 国道16号を走るようになって、きれいな小さな川を渡るとき、一度歩いてみたいと思うようになりました。これが利根運河です。まだ、川辺を歩いたことはありません。

*クルマで橋を越える時の風景。停めて写真を撮ったことはありません。ネットの無断利用の<今の利根運河>です。

 3,4日前に、私のブログの先輩いつものRikaさんがブログに、運河のそばの古い料亭でのフレンチの話を書いていました。

 金曜ですから2日前、つまり5日、<運河>の先の国立の病院に検査にいきました。午後の**検査に備えて、9時に造影剤の注射をするというのです。以前、検査を終わった後の車の運転が辛かったことがあったので、休みだった息子に同行を頼んでいました。

 それで、時間のたっぷりある昼食を、<運河のそばの古い料亭>にすることにしたのです。 料亭の名前も覚えてなくて、場所も運河沿いで、運河駅の近くということだけの記憶でした。
 東京理科大学の脇を通って、橋を渡って、運河にそって下って、すぐわかりました。
<割烹新川、ブラッスリー・しんかわ>です。ホームページは、<ここです>

*利根運河の経済的効果を、今感じることはできません。しかし、明治人の心意気です。それまで、銚子から利根川を遡って、江戸川との合流点<関宿>まで行き、そこから江戸川を下っていたのです。(図中の<江・戸・川>の文字の<戸>あたりが、私のウチです)

 利根運河が開通したのは、明治23年(1890年)、工事には2年かかっています。東北の物資を船で早く安全に運ぶために、最盛期には、高瀬舟や外輪蒸気船が一日100艘ほど運航していたそうです。東京ー銚子を18時間で結んだらしい。
 やってきた料亭は、明治時代からの老舗旅館です。往時の賑わいが思われます。

 やがて鉄道や自動車の時代になって、昭和になると、運河はしだいにその役割りを終えるのです。
 この利根運河は、民間会社の事業です。明治人の心意気を感じますか、事業として成功だったのだろうか、と思ったりします。

 <しんかわ>には2つの建物があって、フレンチと和食が別棟です。フレンチに入りました。ご予約はと、聞かれましたが、なんとかなりました。予約していると、運河を見下ろす、いいお部屋だったでしょうか。次々とお客さんがあるようでした。
一番安いコース・ランチですが、ゆっくりしました。


*1600円だったかな、コースです。

誰かを誘って、ちょっと気取って食事をするには、よさそうです。

   【おまけ】

*どこで拾っていたのか思いだせません。

* 一度、利根川から江戸川へ歩いてみたいと、どこかで拾って保存していたパンフレットを出してみました。その流山観光協会発行の<利根運河絵図>には、<割烹新川>が載っていました。名所旧跡に相当する老舗旅館の扱いで載っています。

* <利根運河>と題した本も持っていました。地元・流山市の研究者の著作のようです。ほとんど読んでいません。

* 暖かくなった春には、運河沿いを歩いてみるのもいいかな、と思っています。

*私の住む旧庄和町は、江戸川沿いの町です。明治時代まで水運で栄えた集落もあります。今また、川を活かす、川を使った通運を、と国交省か建設省あたりが言い出しているようです。


病院の本棚から、シルクロード<楼蘭探検>への夢がまたふくらみます(2008.12.5)

2008-12-05 17:43:01 | Weblog

*右(本1);病院の本棚の本(ただし、わが家の本です、念のため)。左;平山郁夫さんの絵<楼蘭の遺跡>1987年作品。

 書くまいと思っていましたが、事実ですから。2,3日前(12月1日)、病院にいきました。
 当地から東へ30分、利根運河を越えたあたりの国立の、と書けば、わかってしまいますし、この界隈で住んでいる人には、<えっ>と思うでしょう。病院名は書けません。でっかく病院名の入った写真も載せられません。無用な心配をさせることになります。

 国立です。大きな病院です。天井の高い広いロビーです。診療手続き待ちの間に、隅の壁際に本棚があることを見ていました。病院には、どこでも患者のため、あるいは入院患者がおいていった本などを自由に読める本棚があります。診察待ちのわずかな間に、<元気に>本棚をチェックします。
ボランティア・グループのスタンプが押してありますが、貸し出し管理はなさそうです。

 黙って借りて帰ろうと思うほどの<掘り出し物>ありません。
シルクロード<幻の楼蘭(ローラン)>があって、待ち時間に読み始めました。正確にはいえませんが、1980年頃だったでしょうか、NHKのスペシャル番組<シルクロード>を、夢中(?)で見ていました。中でも、幻の古代都市・楼蘭<ローラン>に砂漠の中をたどりつく探検は、<いつかは行ってみたい>と探検旅行・発掘旅行に憧れをいだいていました。
 楼蘭は、中国の西の端、<新疆ウイグル自治区>にあります。

 病院にあった本、シルクロード<幻の楼蘭(ローラン)>は、昭和55年の発行になっています。むろんわが家の本棚にもありますが、ずっと後に古本屋で買ったものです。すっかり記憶も薄れています。
 病院の待合室で、久しぶりに<幻の楼蘭(ローラン)>にはまってしまいました。
冒頭に、井上靖さんがエッセイ(解説)を書かれており、その時より22年前に書かれた小説<楼蘭>の書き出しが載っています。

 <楼蘭が東洋史上にその名を現して来るのは、紀元前120、130年前で、その名を史上から消してしまうのは同じく紀元前77年であるから、前後わずか50年程の短い期間、この楼蘭国は、東洋の歴史の上に存在していたことになる。いまから2000年ほど昔のことである。>

 井上靖さんは、楼蘭の衰亡・消滅には、砂漠・砂の猛威もあったと書かれています。楼蘭のそばには湖があったのですが、砂漠の広大な<水たまり=ロプ・ノール湖>は、年々位置と大きさをかえます。今や砂漠で、跡形もありません。自然の力と2000年の歴史の長さを思います。

 ただ、昭和55年(1980年)から、30年たった今は、地球環境の変化は、地球上のどこにでも砂漠化する切迫感を起しています。当時に、井上靖さんでさえ、身近に砂漠化を想像されなかったでしょう。

 地球上の全て都市の<楼蘭化>は、後2000年もすれば、必ずやってくるかもしれません。 そんな風なことを思って、再読を始めました。
 楼蘭に行きたいなあ、と思っているわけです。

     【おまけ】

 *NHKの番組<シルクロード>の後、私に<楼蘭行きの夢>を感じさせたのは、朝日新聞・テレビ朝日の<探検(?)>です。それで、病院から帰って<ウチ>の本棚から、その頃の記憶を探し出します。
当時、朝日・テレ朝は楼蘭探検、読売・日テレはエベレスト登山に懸命でした。

 *1980年;<本1>シルクロード<幻の楼蘭(ローラン);1980年3月、NHK取材班序文は、井上靖さん。

*左;<本2>、右;<本3>、朝日新聞・テレビ朝日の楼蘭探検(第1次・第2次)の報告です。

 *1988年;<本2>シルクロード幻の王国・楼蘭からの手紙(楼蘭テレビ探検隊の記録);1988年9月15日~10月22日、著者は、テレビ朝日ディレクターの田川一郎さん。椎名誠さんも参加。三菱パジェロを連ね陸路の探検隊。インマルサット(海事通信)衛星を使って、即刻の通信・写真電送を実現。そのことに私もほんの少し関係、いや応援。

 *1989年;<本3>はるかなる楼蘭(朝日新聞第2次楼蘭探検の記録);1989年10月~11月、著者は、松本崇夫さん(朝日新聞記者)楼蘭学術文化訪問団の事務局次長。序文は、平山郁夫(団長)、奥さまの平山美智子さん、渡辺一枝さん(椎名誠夫人)も参加。ヘリコプターで楼蘭に飛び、楼蘭城址に着陸。

*<本4>;地図が綴じこんであります。

 * 1995年、2000年;<本4>楼蘭への旅=ロプ・ノール旧湖床南北縦断記;1995年10月の旅は第1回楼蘭学術会議の後の楼蘭への巡検。2000年3月の旅は楼蘭発見百年記念の際の楼蘭への旅、と書かれている。著者は、金子民雄さんは、中央アジア史専攻の学者さんらしい。発行は、2002年4月、JTB。

*日本が1920年代に作っていた<【羅布泊=ロプ・ノール】の地図。真ん中の水色部分が幻の湖<ロプ・ノール>です。現代の地図には、湖がありません。

* <本4>のいいのは、2枚の地図が綴じこんであることです。探検紀行を読むのに地図が入ってないと興味が半減します。地図がついていたから買ったのかもしれません。
①2000年の地図。はじめて<新疆>が一般旅行者に開放された際、当時の日本交通公社が雑誌<旅>に付録としてつけたものの20年ぶりの改訂版。
②1920年代の地図、大正時代に、日本の陸地測量部画作成した10万分の1の【羅布泊=ロプ・ノール】の複製。そんな時代に中国内陸奥地の地図が日本で作られていたことは大変な驚きです。

  【おまけのおまけ】

*幻の湖・ロプ・ノールは、今、砂漠に埋まっています。が、春日部にあります。春日部駅東口に、<ロプ・ノール>という名のレストランがあります。10年ぐらい前、初めて見つけたとき、わくわくした気分で入りました。普通の<ファミレス>、しかもチェーン店でがっかりしたのです。


わが町春日部市の行政サービスは埼玉県最下位と日経に報道され愕然(2008.12.3)

2008-12-03 15:21:42 | Weblog

*春日部市に最下位の烙印です。

 春日部市の財政状況が、埼玉県ワースト*位(あえて書きません)と、非常に悪いことは、知っていたのですが、それでも頑張っている春日部市役所を信じていたので、日本経済新聞社の調査で、行政サービスは、春日部市が埼玉県最下位と発表され、市民として、いい気持ちはしません。

*12月1日付けの日経26、27面

 12月1日付けの日経26、27面(だから全国版)に、全国上位のリストが発表され、下位(ワースト)の状況を知りたいと思っていたのです。
春日部市や近隣の市町の状況を知りたかったのです。*12月3日付けの日経35面(埼玉版)
 今日3日付けの日経35面(埼玉版)にでました。春日部市は埼玉県で最下位と出ていたのです。決していい<まち>と思ってはいませんでしたが、埼玉県最下位なのか・・・。

 調査の基準となる項目は、次の項目だそうです。
① 公共料金(水道料金、住民票手数料など、5項目)
② 高齢者福祉(高齢者人口当たりの医療・介護施設の病床・定員数など7項目)
③ 子育て環境(就学前児童人口当たりの保育所定員数など10項目)
④ 教育(少人数学習のための非常勤講師採用数など10項目)
⑤ 住宅・インフラ(家庭ごみの処理費用など6項目)

 新聞に載っている春日部市についての記事を拾ってみます。
 埼玉県内で最下位。高齢者福祉が県内最下位、公共料金は下から5番目。
 春日部市の政策課のコメントは、<結果を今後検討したい>です。

 市長さんが、<子育て日本一>と、繰り返している春日部市ですが、子育て埼玉県ベスト10にも入っていません。日本一、日本一なんて、ご近所市の人に聞かれることが恥ずかしい。

 誰が悪い、何が悪い、と言っても何にもなりません。
 これから、どうしていくかでしょうね。

 今となっては、より住みよい町に引っ越しすることもできません。
だんだんと、ただただ<まち>のイメージでなく、住みやすい<まち>をデータで判断して、住む<まち>を決める時代になっていくでしょう。

 日本一でなくていい、なんとか、埼玉県最下位の汚名から脱出させたい。

*埼玉県最下位といっても、全国393位で、全国平均よりやや低い程度だそうです・・・・。

       【おまけ】

*今さら読んでも何にもならないでしょうか。

* 昨日(12月2日)、私の家に、紙袋に入った7,8冊の本を持ってきて下さった人がいます。<市町村合併・・・>、<・・・を考える>、<・・・の幻想>、<・・・これだけの疑問>、<・・・ハンドブック>といった本なのです。

* 私の町は、3年ほど前に春日部市と合併しました。本を届けて下さった方は、合併について真剣に研究・勉強された方なのでしょう。私は、そのころ、信州・長野で山を見て暮らしていて、事情がよくわかりません。ただ読まずに返すわけにはいきません。これを読んで、どのような知識ができても、すんだ事です。だから、これらを読むのは、気が重いですね。

* 合併してできた新春日部市は、当初、一市三町の計画でスタートし、宮代町、杉戸町が<そでにし>、春日部市と庄和町の一市一町で合併したのです。
まだ、3年にしかならないのに、宮代町、杉戸町側に、春日部市との<復縁>を考える人たちがいるようです。

* でも、埼玉県最下位の春日部市との<縁組>は、あっちの町民は誰だって望まないでしょうね。 それはそれで、さびしいことです。