春日部、正風館に掛かっていたあの山の絵を描いた知人が逝去(2011.2.28)

2011-02-28 18:20:35 | Weblog

*北穂高岳からみた槍ヶ岳の絵です。登山やスキーがお好きだったのでしょう。この絵は、正風館2階のバルコニーの壁に長くかかっていました。覚えている方も多いでしょう。作者を思い出す人も多いに違いありません。この町が春日部市と合併したおりにはずされました。

 今日は2月最後の日、28日です。2月の末、また2月です。またひとり知人が亡くなりました。私の、この町の長い友人の父上でもあります。天寿を全うされたわけですが、その時、家族を悲しみがとりまきます。

*上高地の帝国ホテルのスケッチです。晩年、このホテルがお好きだったと聞きました。

 昨日(27日)、お葬式に参列しました。何枚かの油絵、20代のお写真が飾られていました。
 正風館で会うたびに、声をかけてもらっていました。
 ずっと、油絵のサークルを指導されていました。奥様の籐芸作品と一緒に開かれた、“ふたり展”が懐かしく思い出されます。
 祭壇に飾られたお写真の背景が、山、雪山、森・・・と変わっていくのをぼんやり見ていました。
 時が、どんどん流れていきます。


旧庄和町さくら通りから廃館決定の春日部市立庄和第一児童館に散歩しました(2011.2.25)

2011-02-25 16:24:16 | Weblog

*地元の人でも、この通りをさくら通りということを知っている人は、あまりいないでしょう。正風館南側の通りです。今は懐かしい庄和町マーク入りの看板です。

 今日25日は、2月なのに春が来たように暖かい。閉じこもりが続いている私も散歩に出ました。
 あちこちに梅が咲いていました。桜の春は、そこまで来ています。

 年度末になって、役所から、私の住む地域の整備計画やプランがいくつか出てきました。桜川小学校の桜の老木も、<切り倒しません、歩道に残します>と説明がありました。その説明会で、知人のみゅーこさんの質問<整備されるその道は、学校前からどう延ばしていくのですか?>に、<その先で、北に折れ国道16号につなげます>との回答でした。
 暖かいし、そこらあたりまで行ってみましょう。

*さくら通りを東に歩きます。突き当りが、桜伐採騒動のあった道路拡張エリアです。

*ここです。道路から桜川小学校をのぞみます。残ることになった桜の大木が並んでいます。

*小学校から地域のみな様へのお知らせボード。今年の“桜を見る会”の案内が貼ってありました。3月26日(土)です。いつも桜満開は4月になってからです。学校の桜は、どこでも入学式のころが満開です。

*拡張した道路は、北へ折れます。このあたりでしょうか。左の建物は、県住宅供給公社団地だから、その右あたりを通るのでしょうか。

*その先には、春日部市立庄和第一児童館があります。廃館が決まったらしい児童館です。

*午前11時ごろ、お母さんに手を引かれた女の子が児童館に向かいます。

*児童館の向かいにあった保育所はすでに閉鎖。児童館の近くに、新しい保育所があります。左の三角屋根のあたりは、春日部市で最初の子育て支援センターです。

*児童館と国道16号の間、道路は、どこを通るのだろうか。ワタシはこのあたり来たことがありません。5,6本の梅が咲いている空き地がありました。ここだ、ここだ、と思いました。

*梅の木の北側には、まるで道路工事を待っているような、準備OKの木が一本。その先、平屋の家の先が16号です。

*ここです。平屋のオウチはすでに空家です。ここは、もう国道16号です。

 【おまけ】 

*“南桜井駅周辺まちづくり構想(平成22年3月)”に載っている計画です。さくら通りは、桜川小学校南側で道路を拡幅し、東側の南北に走る計画道路につなげる計画です。南北道路の計画がいつ着工なのか知りません。

*もっとも、この計画図は、20年前の計画のままです。東武野田線をまたぐ計画があるのです。いつのことかわかりません。でも、やりやすい所からやっていくのでしょう。

*昨日(2月24日)、春日部市議会に、庄和第一児童館の廃館が、報告?提案?されたらしい。旧庄和町の児童館は、第二に続いて、第一児童館もなくなります。旧役場跡地に児童センター(スマイル庄和)ができたから、役目は終わったということのようです。

*私ら世代の子どもらは、ださくても、スマートでなくても、身近なところの児童館です。旧庄和町には、5つか6つの、幼児サークル(今でいう子育てサークル)がありました。児童館を拠点にして、ママと子どもらは遊んできたのです。ここでまたひとつ、地域が子育てする機会をなくしたのようにも感じます。

*いつまでも古い形にこだわるわけではありません。小さな庄和町には、2つの児童館がありました。児童館という名前の施設がなくなるわけです。春日部“本”市には、そもそも児童館という名の施設がなかったような気がします。違うかもしれません。もっと大規模な児童センターを真ん中にひとつ方式だったのでしょう。


春日部市立図書館に、まさかのボブ・ディラン絵本(フォーエバー・ヤング)(2011.2.24)

2011-02-24 16:24:29 | Weblog

*持っているのに、図書館で借りてきたのです。

 10日ほど前に、春日部の図書館で10冊ほど借りた本の中の一冊です。まさかと思いました。絵本の棚でもなく、音楽関連の棚でもなく、雑多に積んであるところにありました。
 その昔、ディラン、ディランで暮らしてきたワタシです。もちろん買って持っています。本屋で見つけた時も驚きました<こんな絵本、誰が買うのだろう>と。
 持っていても借りたのです。<こんな絵本、他に誰も借りないだろう>、という気持ちがあったでしょう。予算削減が続く公立の図書館が、子ども向きの絵本として選ぶ本ではないな、と思ったりします。

 私ら、60年代に青春を送ったジ-ジバ-バさんが昔を懐かしむ絵本です。
 おもしろがっていうならば、その時代の反体制、現代用語では変革、の旗手でした。韓国では、当時は、反戦歌♪How many・・・の“風に吹かれて”を、ラジオで流しただけで逮捕ということもありました。日本では、歌えましたが、反体制寄り、反体制意識の歌だったでしょうね。♪時代は代る、今や、公共図書館です。
 そのボブ・ディランの若い時代の活動のストーリーが絵本になっているのです。

*ディラン少年は、社会派フォークシンガー、ウッディ・ガスリーのようになりたいと思っていました。

*1960年冬、アメリカの田舎から、都会ニューヨークにギター一本持って出てきました。(左;グリニッチ・ビレッジのカフェ・ホワ、右;フォークシティの看板、ワタシも、何度もこのあたりをブラブラしました)

*公民権運動、ベトナム反戦運動の先頭で歌うようになっていました。(図中に、キング牧師、ジョーン・バエズらも描きこまれています)

*惑星・地球を大切に(署名しているのはアレン・キンズバーグ、その隣にジャック・ケルアック)

*ディランの行動は、次の世代に大きな影響を与えていきます。プラカードに、How many・・・?とあります。

*そうして、歌うことは、次の世代に引き継いでいくのです。

 この本のタイトルは、forever young(いつまでも若く)です。ディランの歌のタイトルです。訳者は、“始まりの日に”と訳本の題名にしています。訳書は、2010年3月、岩崎書店発行。原書は、2008年発行です。いずれも、Amazonで容易に買えます。

 【おまけ】

*さてさて、この絵本を、ウチの孫に見せなけりゃいかんですね。全く興味を示さないでしょう。でも、一度やってみましょう。

*ボブ・ディランは、ワタシとほぼ同年代、40年間いつも先頭を走っています。さすがのワタシも、ディランを聞くことは、もうなくなりましたが、一年前の3月、東京公演には2万円出していきました。家人がついてきたので4万円、とほほ・・・。

*このブログでも、やたらとボブ・ディランのことを書いています。この画面一番上の右の、検索に<ディラン>その右欄に<このブログ内>と選んでみてください。ずらーっと出てくるでしょう。


テレビドラマ“てっぱん”は見ないという知人、それに“迷子”というドラマ(2011.2.22)

2011-02-22 22:18:35 | Weblog

 朝の連続テレビドラマ“てっぱん”を見ています。朝はずっとラジオ生活ですから、お昼に見ています。タイトルバックの“てっぱん・ダンス”もやります。

 連続テレビドラマは、見はじめるとみてしまうから、毎年、見ないようにしているのですが、見てしまっているのです。涙ボロボロ気分になりますが、けっこう気持ちが明るくなります。毎日、見てしまうのです。

 もう10日ほど前、何人かとファミレスで食事をしているとき、知人のひとりが,“ワタシは、ミナイ”と強く言いました。
 正確ではないかもしれませんが、“どうして、出てくる人、出てくる人、みんながオンナひとりで、こどもを育てるんだろう”と言ったように思うのです。
 確かに、男が消えて子どもを産む女性の話です。そういう形で生まれた“てっぱん”の主人公も、後半に出てきた妊娠中の女性もそうです。

 話は、テレビドラマ、NHKのドラマ全体の話におよび、最近のドラマは、そういう話ばっかりだ、ということになった。“まるで奨励しているようだ・・・”という話にもなったかもしれません。
 確かに・・・・。もっと普通の生き方を描いてほしい。でも、そんなのはちっとも面白くない、だから“劇的、ドラマチック”なドラマにしてしまうのでしょう。
 私は、テレビドラマは見ません。家人が見始めると、お風呂に行きます。見ると、気分が暗くなることが多いからです。

 私のメディア生活は、6時30分ラジオ体操から8時まで、ラジオです。テレビを点けるのは、12時のニュースから、“てっぱん”へ。1時にそのまま、住吉美紀アナのトーク番組を1時間です。

 先週のいつだったか、そのトーク番組のゲストが、若い作家、劇作家、演出家さんだった。前田司郎さん、32歳ぐらいでしょうか。面白いというか、気持ちが残る人でした。

*朝日新聞2011年2月19日付け

 2,3日後、(この前の土曜)夜、家人がNHKのテレビドラマを見始めました。お風呂の行けなくなりました。見てしまったのです。
 “迷子”というタイトルのドラマです。涙ボロボロ気分には、全くなりません。しかし、たまらなく暗いドラマです。
 場所は、たぶん渋谷、若い男の子や女の子が、都会のスマートな服装で、渋谷の普通のスタイルで登場します。そこにある貧しさ、満たされない、ほんとうの気持ちなんでしょうか。若者たちの不安定な心情でしょうか。

*朝日新聞の番組評。

 朝日新聞のテレビ番組表には、“劇作家の前田司郎が脚本を手がけた繊細なドラマだ”とありました。繊細なドラマ、そのとおりでした。見終わって、心寒いドラマでした、見たくなかった。しかし、いいドラマでした。
 若者たちは、暗いのかなあ。皆、都会の中で、今の世の、迷子なんでしょうね。


新聞だけでは。今朝の日経<見開きマンガ広告>に同意、yes ,I agree!(2011.2.21)

2011-02-21 17:43:08 | Weblog

*このままでいいの?№30;シンブン読んでいれば、大丈夫だと思っている。“日経をとっていれば、ビジネスマンはやっていけるさ”

 週末をザワザワ過ごしていて、月曜になると、ここから何の予定もないと沈みます。これも月曜病でしょう。現役の人たちの月曜病=休み終わって明日から仕事でいやだなというサザエさん症候群、とは違う、新時代の月曜病です。
 無気力に陥り、やたら丁寧に新聞を読みます。新聞を読むこと以外に、とりあえずやるべき事がないのです。

*やっぱり新聞を読まなければわかりません。日本経済新聞2011年2月21日朝刊20,21面。

 それで、今日のブログも新聞からのネタです。今日(2月21日)の日経、20,21面に見開きの全面広告、しかもフルカラー(高かったでしょう)、2面ぶち抜きのマンガです。

 <宣伝会議の広告マスターコース、年間95,238円+税=10万円>で、勉強しなさいという広告です。
 <みなさーん、勉強しなくても生きていける時代は終わりましたよ>と呼びかけています。
 私らの時代が、<勉強しなくても生きていけた時代>では、決してありませんが、こんな、具体的な、丁寧な呼びかけなんてなかったし、そんな親切な“塾”もなかった。

 いや~、広告、宣伝、マーケティング、商品開発 向きの“塾”の広告だけに、“なかなか読ませます” このままでいいの?・・・39例の直すべき事例が、マンガで書かれています。

 日々ブラブラしている退屈浪人、ビジネスなんて全く無関係ですが、いちいちよくわかります。
 本当は、このブログを読んでいただいている皆さんも日本経済新聞を読んで、“このままでいいの?・・直して”ほしいのですが、今やネットの時代です、このブログでも雰囲気を伝えますから、ビジネス、いやアフター5の飲み会の話題についていけるようにして下さい。

*このままでいいの?№12;「おっしゃる通り」ですべての物事を解決しようとする金魚のフンビジネスマン。

*このままでいいの?№21;職種を聞いても何の仕事をする人か想像もできない。

*このままでいいの?№33;会議に出てきた言葉の半分も分からない人。・・・・このマンガに出てくる、協調フィルタリング、フォークソノミー、フリーミアム、アンサブ、ジオ・ターゲティング・・・何にもわかりません・・トホホ・・です。

*このままでいいの?№8;報告書ばかりが上手くなっていくビジネスマン、仕事は報告書がすべてだ!そうだ!そうだ!

*このままでいいの?№9;受付嬢はとりあえずナンパ。

  【おまけ】

*まあ、ちょっとバカバカしいですが、このままでいいの?39例を、全部書き出します。実は、昔も今も、同じです。現役さん、お仕事、がんばって下さい。

1 いたい事を全部詰め込ませる宣伝部。
2 いつも同じやり方で仕事のスタイルを変えようとしない。
3 競合商品と微差を争う商品開発ばかり。
4 プレゼン中に寝る宣伝部。
5 オリエン中に寝る広告マン。
6 昨日の野球の結果が次の日の会議に影響するビジネスマン
7 失敗した時は、みんなであやまりに行くために営業部門には人が多い。
8 報告書ばかり上手くなっていくビジネスマン。
9 受付嬢は、とりあえずナンパ。
10 出張の移動は勉強時間と言って、ただ寝てるだけ。
11 IC機器を持ちすぎて決してスマートではなくなっているNOTスマートビジネスマン。
12 「おっしゃる通り」で、すべての物事を解決しようとする金魚のフンビジネスマン。
13 健康診断で不健康自慢をする。
14 経済の動きより、合コンの最新知識ばかり身につける広告マン。
15 「タレントとメシを食わせろ!」とニヤける宣伝部長。
16 得意先部長の観る番組と同じ番組を観ることが営業のカガミ!
17 「オレは人事だから」「オレは営業だから」「オレは経理だから」アイデアなんて関係ないと思っている。
18 大きい夢は語るが夢の中身にアイデアがない30代。
19 昔のビジネス手法をずっと使い回し続けている。
20 「忙しい」を理由に世の中の情報を知ろうとしない。
21 職種を聞いても何の仕事をする人か想像もできない。
22 勉強するための経費まで削減している。
23 体ばっかり鍛えて、勉強を全くしないビジネスマン。
24 ソーシャルメディアは流行だと思って聞く耳ももたない。
25 「別件」という魔法の呪文で全てを切り抜けて行く無責任主義。
26 昼出社がかっこいいと思っているクリエーター。
27 血の出るほど仕事をし続ける。
28 横文字ばかり使う人。
29 残業はやる気の印!といまだに信じている上司。
30 とりあえずSNSを使うとアイデアを考えた気になる。
31 「昔は良かった」と、振り返ることしかしない人。
32 シンブンだけを読んでいれば大丈夫だと思っている。
33 会議に出てきた言葉の半分も分からない人。
34 缶ビール片手に会議室に入ってくるCD。
35 プレゼンの前夜は、なんとなく徹夜した方がいいと思っている。
36 夜ごはんの時間帯に、制作会社との打ち合わせをいれる広告マン。
37 やたら人の多い打ち合わせ。
38 ムダに長い打ち合わせを続けていませんか?
39 とりあえずタレントを使えば得意先が納得するという広告業界の悪習慣。

こうありたい・・・
40 広告マスターコースを始めている。
・・・・・以上、無断転載です。 


春日部総合福祉センターのボランティア・フェスティバルに出かけました(2011.2.20)

2011-02-20 22:28:44 | Weblog

 *慰問演奏を続けているグループが演奏しています。

 春日部のボランティア・グループが集まっている“春日部市ボランティア活動推進連絡会”が主催するフェスティバルです。

  今年(2011年)夏にオープンを予定している春日部市市民活動センターの広報・宣伝するブースの応援に出かけました。

 会場で、何人もの知り合いさんに挨拶されました。皆さん、ボランティア活動で、いい毎日を過ごされているようです。


安野光雅さんのポスター集と今日の日経“私の履歴書”もうひとつの間違い?(2011.2.18)

2011-02-18 17:31:09 | Weblog

*岩崎書店 1998年5月発行

 一昨日、お天気がよかったので春日部市立図書館にでかけました。図書館に目的の本があっていくことはまずありません。まあ、暇を持て余していたのでしょう。いつも決まってみる本棚をさけて、立ち寄らないジャンルの本棚をさすらっていました。そして、いつものように10冊借りてきました。

 今日は、そのうちの一冊、“安野光雅のポスター”です。安野光雅さんの画は好きですね。でも画集を買ったり借りたりすることはありませんでした。

 ウチに戻って、自分でいれたコーヒーを片手に、ゆっくりめくりました。なかなか優雅な時!でした。
 表紙に、“安野光雅の・・・ポスター”に手書きで<本と芝居のポスター>と刷り込んであります。

*平和のポスター(国際平和年、1987年)

 ワタシ、自分のいるジャズバンドの小さいコンサートのポスターやプログラムを自分で作ります。センスは全くないのですが、誰も作らないからしかたなく自分で作るのです。
 ジャズのポスター、ジャズレコードのジャケットといえば、1950年代60年代から、ファンキー、モダンの意味から、ハイ―キーで、ブラック、モノトーンが定番です。

 私ら、スウィング・ベアーズは、明るいスウィング・バンド、ビッグバンドです。私に画才、デッサン技術がないから、よそ様のポスターをまねるのです。でも、今のポスターやプログラム、ジャズ雑誌の表紙は皆、写真をあしらっています。イラストやデッサンを使っているものは、まずありません。
 その昔は、みんな絵でした。それがアートな作品になりました。著名なアーティストの作品もたくさんあります。

 しかたなく、私も自分らのバンドの写真を貼り付け、文字をレタリングすることもなく、パソコンで適当に作ります。そこそこ作れます。
 でも、手書きのポスターに憧れます。安野光雅さんのポスター(作品集)を見ながら、ふっとため息をつきます。いいなあーー。

 1980年代、90年代の、こまつ座など、井上ひさしさん作の芝居のポスターが並んでいます。
 井上ひさしさんが、巻頭に言葉寄せています。<・・・・・行きつけの喫茶店や中華料理店にポスターを貼りにまわるのも、わたしの仕事の一つだが、どこでも、「あと5,6枚いただけませんか」と注文がつく。「どうしてもポスターがほしいと仰しゃる方がいらっしゃいましてね」・・・・・>

 私の作るポスターをあちこちに貼ってまわるのも私がやります。<ほしいと頼まれたり、剥がしてもっていかれる>ことは、ありません。決まって、私自身が剥がしてまわります。

  【おまけ】

*日本経済新聞2011年1月18日文化面

*このところ、新聞に載っていたぞ!とする話題が続いて気が引けますが、今日もそうです。

*今、日経の文化面(最終面)の私の履歴書欄は、安野光雅さんです。山口県津和野生まれ、今日は、昭和28年頃の話、東京学芸大学附属小学校の美術の先生です。国語の先生がお休みの時には、国語を教えた話でした。

*安野先生は、右下です。

*教科書を開いたら「日本の夜明け」で咸臨丸が主題である<・・・世界が激変していた。このことに気がついたのは、勝麟太郎、福沢諭吉たちだった。幅7m半、長さ50mの咸臨丸は、日本の希望と名誉をのせて荒波を渡り、東へ向かう。乗組員の中に25歳の福沢諭吉がいた。・・・・・長い船路を終えてサンフランシスコ湾に入っていった。それは安政7年2月26日のことだった>。そこまで読んで<鎖国をやめ、黒船が来てからたったの6年。早くも日本は船を造って太平洋にこぎだしている。あのとき日本の夜明けが来たのだ。何とすばらしいことではないか」とわたしの方がすっかり感動してしまった。

 *<でも子どもは「先生、咸臨丸は日本が造ったのじゃない。オランダから買ったんです」といった。わたしは絶句した>と安野先生。

*ワタシも、岡山県の山地の小学校で、この教科書で習った。よく覚えています。1,2年前にこのブログで書きました。安野さんの“私の履歴書”の文章は、当時の教科書とは違うでしょう。わたしの記憶では、<・・・麟太郎も諭吉もいた・・・>で、勝、福沢の姓は書かれていなかった。わたしは教わる側でしたが、わたしも“すっかり感激”したのです。その時代、わたしの先生も二十歳そこそこの安野先生と同じように、子どもらに接して下さったのでしょう。

*教科書に、この咸臨丸の絵が載っていたと覚えています。

*ところで安野先生、咸臨丸は日本が造ったいう間違いの他に、もうひとつ間違っていませんか?日本人だけで、燃える日本人の腕で、咸臨丸で太平洋を渡ったと教えたでしょう、あるいは今も、そうお思いではありませんか?ワタシも小学校以来ずーっと、そう思ってきました。

*ほんとうは、帰国するために同乗していたアメリカ人が操船したのです。帰りは日本人だけでしたが。ついでに、日本人だけで渡ったと、流布したのはのは、福沢諭吉その人だったようです。

*わたしの咸臨丸を書いたブログは、<ここをクリック>


春日部市まちづくりプラン、都市計画、景観計画、住生活基本計画、まとめて説明会(2011.2.17)

2011-02-17 11:44:55 | Weblog

*説明のあった4つプラン、配られた冊子です。

 昨夜(2月16日)寒く暗い夜道を公民館(正風館)に急ぎます。驚きました。100人ほどの人たちが整然と着席していました。この種の役所の呼びかけでは、せいぜい10人か20人だと思っていたのです。
 開始時刻ジャストに到着で、一番後ろにひとつ残っていた席でした。

 春日部市まちづくりプラン(案)、春日部市都市計画マスタープラン(案)、春日部市景観計画(案)、春日部市住生活基本計画(案)の概要版が配られました。

 <これらのプランや計画案ができました、今、市民の声を反映させるパブリック・コメントの時期です。ご意見をお寄せください。全文は、公民館などに置いてあります>とのことです。そして、たぶん3月議会をへて、(案)がとれるのでしょう。

 都市計画課の担当者が、この4冊をたんたんと読み上げるように説明していきます。じつによくできた4つの計画です。練達した事務方がたぶん1年間かけて練り上げてきた計画でしょう。あるいは専門のコンサルタント会社のカバーもあったかもしれません。
 火のうちどころのない完璧な計画だと、普通の住民のワタシには思えました。

*ここでも、行政と市民の協働が語られました。役所は、市民向けの説明会を開いてくれます。だから、市民の私も,参加するのです。

 とすると、この“おちゃらけ地域情報”ブログになりません。
 駅前広場をどうするかだとか、市のバスをどこを通すとかいった話ではありません。理念(視点)、方向、目標、方針の世界です。
 だから当然でしょうが総花作文の感じがします。近隣市町どこにも、そのまま使えそうです。

  “春日部らしい・・・へ”といくつか出てきますが、よくわかりません。
 近い将来に向かう、わくわく感、期待感がまるで読み取れません。
 事務方の説明もそうです、市の方向を担っている人でしょう、説明にほとばしる熱情を期待したいのです。

 いまいち、よくわからないけど夢みたいな“エコまちづくり”“エコ・ラボ・シティ”が載っています。
 <エコを春日部市のブランドとして、かつ都市経営・都市戦略の基軸として都市づくりを進めていく>とごく小さく書いています。
 都市戦略の基軸なら、もっと大きく書くべきでしょう。

 私の住む庄和南桜井地区だけで、そのエコ・ラボ・シティの実現を図るならもっと前面にだすべきと、そこに住むワタシは思います。
 先日の南桜井駅周辺整備の説明会でも、そのことにほとんど触れられなかったのです。

 春日部市のまちづくりの方向は、<「人中心」の『緑彩都市』・春日部>と話されました。
 『緑彩都市』です。「人中心」の春日部市です。

  【おまけ】
*広い会議室の一番後ろで聞いていました。何故か、受付で鉛筆を渡してくれました。でも、説明者の名前を書いただけで、鉛筆を持つことはありません。何一つメモしません。書かれている以外のお話はありませんでした。

*春日部市のまちづくりプランです。“文化”という単語を探していました。なかったわけではありません。まちづくりプランの中に3つでてきました。まちづくりプランの施策展開の基本方向の4番目に、④都市観光(ブランド力・文化芸術)に向けた施策展開とあります。そして、そこには<・・・・・大凧あげまつりやジャズフェスティバルなどの市民に定着したイベントの活用・・・・>と。市民に定着したイベントとしてあげられた、たった2つの中に、堂々のジャズフェスティバル・・・です。気をよくして帰りました。

*次の、ジャズフェスティバル(たぶん、ジャズディかすかべ、のことでしょう)は、4月16日(土)です、私らも出ます。


大雪の中、柏のがんセンターに着いたら春の青空(2011.2.15)

2011-02-15 23:55:43 | Weblog

*屋上パーキングはこんな感じでした(午前9時50分)。

 半年に一回、柏の国立がんセンター(東病院)に通っています。経過観察中です。
 今朝、当地、関東平野でもけっこうな大雪。電車で行こうか、と思いつつ結局、クルマを出します。もちろん夏タイヤです。
 ミゾレも降っていて国道16号に出るまでは、慎重に走らせます。16号は全然問題なしですが、常磐高速が通行止めで、高速入口から開通待ちの大型トラックが並んで一車線をふさいでおり、ノロノロ運転になりました。
 ウチから病院まで30分のところが、1時間15分かかってしまった。診察時間予約しており、かなり焦りました。

 がんセンターに着くころは、春の青空です。
 春スキーの山で感ずる大好きな青空です。

 ここがんセンター、いつものことですが、待合室はかなりの混み合いです。“みんなガンなのか”と、いつも思ってしまいます。
 私の前に、呼ばれて診察室に入っていったオヤジは、奥さんと二人のおとなの娘づれです。ガンと宣告され、心配で付き添いでしょう。当然のことでしょうか。

 ワタシには、短く“次は8月に来て下さい”と先生。“ガンと道連れ”で上手に生きるしかありません。

 “ところで、私は3月から別の病院に移ります”と主治医の先生。
 “ありがとうございました”と。いい先生に診てもらったな、と感じています。

  【おまけ】

*一昨日、バレンタイン・デイにどうぞ、メッセージがついて、桃色のお酒が3本届きました。日本酒と書いてあります。酒どころ、広島県西条に住む弟の嫁さんからです。この季節限定、桃の節句、ひな祭り用でしょうか。

*このお酒どうしましょうか。今夜、知人の“嬉しい”ニュースが届いたのですが、お祝いにお酒を、というわけにもいかんでしょう。


今日の落合恵子さんのラジオ番組から、愛の賛歌(ブレンダ・リー)です(2011.2.13)

2011-02-13 18:05:02 | Weblog

 今日は日曜日。朝6時30分、NHKラジオ体操の号令は女性です。そのまま、7時のニュース、そして、落合恵子さんがDJする“絵本の時間”になります。
 一冊の絵本を紹介して、一曲かけます。今日は、愛の賛歌、ブレンダ・リーです。
 だから、昨日に引き続き、落合恵子さんつながりブログです。

 愛の賛歌(ブレンダ・リー)は、良く聞いていたアメリカン・ポップスです。1960年代もまだ前半、反戦フォークなんかに染まっていない時代の“愛”の歌でしょう。
 4畳半のアパートで歌っていたかもしれません。今でも歌えそうです。

 If the sun should tumble from the sky,
 If the sun should suddenly run dry,
 If you love me, really love me,
 ときて、その後の Let it happen, I won’t care,・・・と続くところを、よ~く覚えています。

 ドーナツ盤をまだ持っています。B面はサイド・バイ・サイド。
 38.5となっているから昭和38(1963)年発売です。330円です。コーヒーとか、ラーメンが100円の時代です。LPレコードは2000円で、私には全然買えない時代でした。
 風呂なし・トイレなしの6畳ひとまの部屋代が5300円の、
若かった頃です。

 そして、レコード(LP)からCDで音楽があふれる時代になっていって、今は、CDが売れない時代といいます。借りてきてコピーする時代、いやタダでインターネットから取り出して聞く時代らしい。
 だから同じく曲を、何度も何度も聞くなんてことは、若い人には笑われそうです。

*わが家の空にも春が近そうです。

 この曲、“愛の賛歌”を、おとといウチに来た若い人のために流しましょう。
 たぶん、You tube にもあるでしょう。

  【おまけ】

*日経2011年2月13日32面

*もうひとつ、今日の新聞から。先日、春日部の南桜井駅周辺整備工事の話を書きました。南口道路の街路樹は、ヒトツバタゴ(別名なんじゃもんじゃ)で、聞いたこともない木ですと書きました。今朝の日経文化面に登場しました。対馬、朝鮮と日本の間の対馬に、自生している木のようで、絶滅危惧種の貴重な樹木のようです。対馬のヒトツバタゴは天然記念物です。

*真白い花が咲くようです。わが町に咲くのが楽しみです。(ネットの写真を無断引用)


朝日新聞の落合恵子さんのコラムと同じように久しぶりにソローの「森の生活」(2011.2.11)

2011-02-12 23:51:56 | Weblog

*今日2011年2月12日の朝日新聞31面、落合恵子さんのコラム<積極的その日暮らし>

 土曜の朝日新聞には、落合恵子さんの連載エッセイがあります。
 今朝は、<遠い国ではいま、長期の独裁政権が市民の手によって内側から、崩壊しつつある>と書き、続いて<久しぶりにソローの「森の生活」を読み返しはじめた>とあった。

 私もまた、それをまねて、ソローの「森の生活」を読んでみよう。私もまた、久しぶりに、です。

*左;岩波文庫版の森の生活。ただし、これは拡大版。何種もの翻訳が出ています。

 30年程前だったでしょうか。山に行くときには、「森の生活」の文庫本を持っていた頃がありました。初めから、通して読んだことはありません。テントの中で、思いついたページを、ほんの少し拾い読んでいたのです。
 私もまた、本当の<森の生活>したいと、ずっと思っていました。仕事をやめ、自由を取り戻した後で、 2年間、ひとり信州長野で暮らしたのは、私の<森の生活>でした。

 ヘンリー・デビッド・ソローは、1845年から2年間、森の中の湖のほとりにひとり山小屋を建てて自給自足で暮らします。そして自然を相手に、思索と執筆の日々を送ったのです。そして、Walden (ウォールデン)のタイトルで出版されます。日本では、森の生活として翻訳されます。

 2002年9月9日、30年来ずっと一度行きたいと思っていたソローの森の生活の地に出かけました。ボストン郊外、コンコールドの町はずれ、Walden Pond(池!*ウォールデン湖)のほとりです。
 息子が大学4年の夏休みにアメリカ大陸横断の貧乏旅行1か月に合わせて、息子の最後の4日間をニューヨークで落ち合って、ニューヨークから日帰りで出かけたのです。

*観光用に再建されたウォールデンの森の小屋とソローの銅像

*ソローの小屋はここにありました。

*小屋跡からみるウォールデン湖、ソローの日々の暮らしを思います。

*ウォールデン湖。ほんとうは、湖畔でも、林の中にでもテントをはって、2,3日過ごしてみたかったのですが、スケジュール的にできなかったのです。


2月の雪はさびしい雪、冷たく身近な人を天に召します(2011.2.11)

2011-02-11 16:51:55 | Weblog

*雪がだんだん激しくなります。

 今年は、日本列島が大雪です。しかし、私の住む関東は、カラカラの冬ばれが続いていました。
 2,3日前から、急に湿った寒さがやってきて、昨日からチラチラ雪になりました。そして今日、今、ぼたん雪です。積もりそうです。
 こんな時には、天寿を全うする人がでてきます。私のオヤジも2月、長兄も2月でした。

 昨日の未明、お隣のオヤジさんが亡くなりました。かすかに救急車の音を聞いた気がします。誰にも知らせないで下さい、と。
 外は、雪が降り続きます。お隣のオウチにも降りつもります。ご家族に見守られて旅立ちです。
 今夜は、お通夜でしょう。


小学校の桜は残った、春日部市の南桜井駅周辺開発と街路樹植栽計画(2011.2.9)

2011-02-09 22:10:08 | Weblog

*この道路が広がります。左が桜川小学校。校庭端の桜の並木は、残って遊歩道の桜並木になると説明されました。

 春日部市の旧庄和町の前身は、南櫻井村です。だから駅名は、南桜井駅です。
 なぜ南桜井村であったのか知りません。桜の木がたくさんあったのでしょうか。

 全国、小学校の校庭に桜は欠かせません。入学式、新しい学年になる始業式の背景に、今が盛りと満開になる桜は、皆の気持ちを高ぶらせます。子どもたちの胸はふくらむのです。

 この町、春日部市立桜川小学校にも、校庭の南端に見事な桜の木があります。
 3年前だったか、道路拡幅計画で学校の桜の木が伐り倒されるという話が出てきました。でも、いつ倒されるのか、わからない、役所に聞いてもわかりませんでした。

 その後、春になると、気持ちの中に、今年が最後のお別れかもしれないと思いながら、お花見会が開かれてきました。学校は地域の住民とお花見会をやってきたのです。

 それが、先日の役所の計画説明では、地域の方の要望を受けて、桜の木を切らずに、遊歩道的に、桜並木を残しながら、道路拡げて行きます、と明言しました。
 ただ、“交差点にあたる一本だけは切らせてもらいます、その代りの桜を植えさせてもらいます”と。

*この桜の木一本だけ切り倒されます。この桜の木で、記念の何か作りたいな、との声が上がっています。

 学校やPTA関係者には、その決定はすでに伝わっていたようで、倒される桜の木で、記念に何か作れないかな、と話し合っているようです。

 太い大きな桜の木です。みゅーこさんは、コカリナ、たくさんのコカリナができるな、と。私も、枝の少しももらって、何か作ってみたい。みんなで考えてみたいな、と思います。

 街路樹の植栽計画も説明されました。こう言われたようにメモしています。
 南桜井駅南口側道路は、ヒトツバタゴ(別名;なんじゃもんじゃ)。
 南口側広場には、カンヒザクラ。
 北口側道路と広場は、アマノガワ(桜の一種?)。この桜は、枝が横に広がらず、箒状にまっすぐに上に伸びるそうです。
 ナチュラリストのワタシですが、どんな樹なのか、よくわかりません。どこの山から抜いて?くるのでしょう。

  【おまけ】

*今の南桜井駅南口前、駅ビル1階の食堂、本屋さん、コンビニと変わっていき、そして閉鎖されて、ずいぶんたちます。今、シャッター店です。起死回生の駅前整備再開発が不可欠なのでしょう。

*1983年(昭和58年)3月17日です。家人と3人の子どもらと、最後の南桜井駅舎で記念写真です。今、問題とされる自転車に子どもふたり乗せる3人のりは、しごく普通の子育てでした。

*27年前です。私がこの町に引っ越ししてから、6,7年たった頃です。今の南桜井駅舎が出来る前の、先代の南桜井駅の最後の日の姿です。その頃、は南口の方がメインで、にぎやかでした。今は、反対です。南口側は、シャッター通りに近いと言っていいでしょう。こんどの駅周辺整備計画では、どうなるでしょう。


お正月に亡くなられた猿谷要さんのアメリカ黒人解放史を再読(2011.2.8)

2011-02-08 22:09:28 | Weblog

*右は、埼玉県立図書館の廃棄処分本。アメリカ黒人解放史 猿谷要著 サイマル出版会、1970年発行(初版は1968年発行)

 猿谷要さんが1月3日に亡くなられたことを新聞で知りました。むろん面識のある方ではありません。

 10日ほど前に、ウチの書庫をさすらっていて、ずっと昔読んでいた猿谷要さんのアメリカ黒人解放史を持ちだしていました。今日一日読んでいました。

 40年前の本、古本です。今なら、もっと美しい本もあるでしょうが、自分が読んできた本は、気分的には、買ってきたときの新品さを維持しているのです。

 1960年代後半は大阪にいました。アメリカのフォークソング運動に刺激を受けていました。社会問題を歌う若者に共鳴していたのでしょう。公民権運動を支援するボブ・ディランらの歌を、懸命に訳したりしていました。

 そんな時に出会ったのが、猿谷要さんのアメリカ黒人解放史でした。黒人差別とそれに抵抗する歴史です。1950年代からの、激しい黒人の抵抗運動を知り、フォークシンガーたちの歌と活動の意味を実感していたのです。
 もちろん断片的には、新聞もニュースとして報道はしていたのですが、私に、断片的なニュースを流れとして連続的に読む能力なかったでしょう。アメリカに居住して執筆されていた猿谷要さんの黒人解放史が、当時はリアルタイムの“本”だったのです、そう思えていました。
 黒人差別は、自由と民主主義のアメリカの根幹の課題でした。

 それから40年、今や、黒人の大統領の時代です。いや、アメリカ人の大統領です。歴史というほどでもない、ついこの間、公民権運動があったのです。
 自由になったというか、暇になった2007年6月に20日間ほど、アメリカ南部を旅しました。バーミングハム、モントゴメリーでシビル・ライト(公民権)運動の史跡や記念館、ミュージアムを訪ね、しんみりしていました。
 猿谷要さんの黒人解放史をなぞる旅だったでしょう。


春日部市・南桜井駅前は、こうなる。駅周辺整備事業計画説明会(2011.2.7)

2011-02-07 18:41:16 | Weblog

*南桜井駅南口側の工事は始まっています(2011年2月7日撮影)

 市民への説明会は、昨日(2月6日)。私は午前中に聞きました。説明者は、春日部市役所の庄和総合整備課です。

 昨年3月に、“南桜井駅周辺まちづくり協議会”が作った“南桜井駅周辺まちづくり構想”を読んでいて、7月28日の秋村副市長の“春日部市のエコまちづくり計画”の講演を聞いてきたのですが、いよいよ最終決定版です。

 計画の細部が、構想や案でなく説明されました。

 ここでは、南桜井駅の北口、南口の駅前がどうなるか、だけ紹介します。解説するまでもなく、配られた図をみればわかります。
 説明会場でプロジェクター投影された画像もあって不鮮明です。庄和総合支所に行けばもらえるでしょう。

 <南桜井駅北口側>

*北側から駅をみる。中央の樹木あたりまで、駅の2階(改札口面)からデッキ(通路)が伸び、1階(地面)への階段は、ステージ広場の階段観客席にもなるとのことです。初めて聞きました。

*不鮮明ですが、中央部分が階段ステージです。階段下にステージと芝生イベント広場ができ、屋外コンサートに使えたりします。まちなか、商店街のにぎわい、活性化に役立てることを前面にだした計画のようです。それは、それで大事なことです。ただ、電車に乗る人は、今までどおりに、地上を歩いて、エスカレーターに乗って改札口に急ぐでしょうね。

*線路沿いの道路は、ロータリーへ迂回して通過することになります。北口駅前広場、工事発注;平成23年度以降。

 <南桜井駅南口側>

*新しい道路が南に向かって新設され、ユリノキ道路につながります。

*南口駅前広場、工事発注;平成22年度。

  【おまけ】

*この計画は、地元の住民自治会、商店会、商工会議所も参加した“南桜井駅周辺まちづくり協議会”で作成したとのことです。説明者側に、何人かの自治会長さんのお姿もありました。

*もっとも、工事の発注の時期は、平成22年度、23年度以降と示されましたが、完成年度は、聞き漏らしました。でも、細かく決定しているようですから、3,4年後には、完成するのでしょう。周辺あちこちの道路整備もあって、無理かな?