バーベキューをやるんだけど、ウチになんか道具ある?(2008.8.31)

2008-08-31 11:43:56 | Weblog

*使えそうなものを出してみました。

息子はいつも突然です。確かに、かなり昔、わが家も家族で、キャンプには出かけていました。
でも、私らスタイルの道具、いや、その時代の道具と、今の若者スタイルのバーベキューは、全く違うでしょう。

 それでも、私は、山道具の中から、役立ちそうなものをだします。家人は家人で、台所の奥の方から探し出します。
ざっと並べて、適当に選んで持っていったようです。
横浜の方にいくらしい。現地のスーパーでなんでも買えます。しかも、車です。
今日こそ、雨にならなきゃあと思います。でっかいブルーシートも積みました。

コールマンのツインバーナーのコンロなんて、もちろんありません。私の住む春日部市の旧庄和町役場周辺の公園は、近隣市町から大勢集まるバーベキューのメッカのようです。
“万歩計のノルマ消化の散歩”(ウオーキングというらしい)の途上で、春秋の週末には、さいさい遭遇します。牛肉の焼ける音と匂いです。わがやの台所をはるかに越えるようなアウトドア・ダイニング・・・。子どもたちの歓声・・・私の好きな光景ではあります。

その昔の、わが家の<アウトドア>スタイルは、こうです。
車で出かけません。背負って歩きます。そしてキャンプです。持てる大きさのテント、持てる大きさの小さな軽い道具です。必要最小限の食料です。コンパクトにパッキングして背負います。
焼肉ジュージューはなしです。肉も玉子も痛みます。もっとも今、おウチでもありませんが。

<キャンプの方がウチ食より豪華>というのが、私らの世代には考えられなかったのです。
その前、ひとりで山を歩いている時代は、いつも、ニッシンの<チキンラーメーン>を食べていたかもしれません。質素な時代だったのです。現代用語で言えば、シンプルな生活、シンプルに生きる、というのでしょう。

 【おまけ】

*真ん中のダッチ・オーブンをキャンプに使ったことはありません。2年ほど、信州に一人暮らし(家出)をしていました。毎日がキャンプ状態だったのです。むろん、電気・水道・ガスは、ありました。どうせ鍋を使うならと、ダッチ・オーブンを買ったのです。

* 息子と友人たちのバーベキューに、私と家人は、その昔のキャンプ用具だしながら、なんか夢中になっていました。家族全員を集めてバーベキュー大会をやろうかな、と思っていました。誰ものってこないかなと思いながらです。

* 皆さん、秋になったら一緒にバーベキューをやりましょう。

* ニッシンの<チキンラーメン>は、発売50年だそうです。新聞に全面広告がありました。その昔のままの<チキンラーメン>限定版が期間限定で発売されているらしい。当地でも買うことができれば買ってみよう。ジャージャー焼肉の時代に、どんな味がするでしょうか。


住宅地の大雨の向こうに花火、これも庄和の夏まつり(2008.8.30)

2008-08-30 22:18:39 | Weblog

*雨の向こうに花火です。

今日は、ずっと続いている旧庄和町の夏まつり、正確には、第3回春日部コミュニティまつりでした。
この頃当地、毎日夕方になると激しい雨が降ります。道路は、水路になります。激しく落雷します。夕方になると毎日なのです。

今日は、朝からいいお天気のようでした。この町の知人や子どもたちが踊りまくる、この町の夏まつりです。
出かけていて夕刻には、帰らなけりゃと、気持ちもここにない思いで過ごしていたのです。いつの間にか外は雨です。だんだん激しくなっているようです。
16号を走らせて、夕暮れの庄和インターを越えると、夏祭りの会場です。
雨が降り続いています。グラウンドに並ぶ屋台の灯りが紅くひときわ輝いています。
ますます雨が激しくなります。
中止になっていそうです。中止に違いないでしょう。

突然です。遠くに花火の音です。えっ花火?です。
間違いありません。外は、止むことのない雨が続いています。 傘をさして外に出ます。びしょ濡れになりそうです。足元は水中です。
住宅地の屋根の間に、確かに花火です。

*土砂降りの雨、9時前です。傘ををさして、シャッターを切ったら、こんな写真がありました。

ひとつふたつ花火を確認して、すぐに戻りました。いつまでも、音だけが続いています。

 【おまけ】

*このおまつりを楽しみにして、ダンスの練習に励んできた子ども達のことを思っています。この毎日毎夕、降り続く大雨はなんだろう。 NHKのテロップに当地近くの大雨警報が流れています。

*数年前に、長野市に暮らしていました。長野には、暮れに、冬の花火大会があります。空気がすんでいるのか、とても感動を呼ぶ花火が続きます。冬の花火は、いいのですが、雨の花火は、ちょっと淋しく、むなしさを呼びます。


南越谷阿波踊りの朝日新聞<記念号外>にちょっと感動(2008.8.26)

2008-08-26 19:55:08 | Weblog




南越谷阿波踊り第2日。路上で、ウチワと一緒に、朝日新聞<記念号外>が配れていました。前夜(第1日目)の、私ら朝日さわやか連も踊った西口駅前通りのフィナーレ写真を大きく扱っています。

長野オリンピックだから何年前のことでしょう。10年前くらいでしょうか。携帯電話、インターネット、デジタルカメラの利用が、<先進技術>だった時代のことです。
競技を見て、競技場を出たら、すぐに、見たばかりの写真が入った<号外>が配れていました。地元、信濃毎日新聞をはじめ、朝日ら全国紙も配ったのです。
電子号外、インターネット号外、PDF号外といわれました。新聞社はその配布までの早さを競っていました。

オリンピック速報号外、ワールドカップ・サッカー速報号外が、東京都心で配られてきました。
この夏、北京オリンピックでも、<金メダル号外>が配られたのだろうか、埼玉県郡部に住む今は、号外に接することなんか、全くないのです。
それで、南越谷阿波踊り<記念号外>を手にした時に、懐かしさというか、ちょっと感動したのです。

 【おまけ】

* 今、誰でも、携帯電話、インターネット、デジタルカメラを使います。阿波踊りの沿道で、写真を撮り、その場で<自分のブログを更新>発信した人もいるでしょう。もう誰でも、ニュース発信者の時代なのです。

*Canon/PowerShot・S100を使って撮ったのです。ウチワは、左が朝日新聞社、右がPOLUSが配っていたものです。

* 私は、この日の阿波踊りで、<事情があって>、現用機がなく、10年以上前に使っていたデジカメを持っていました。踊り手の絶好のしぐさの時、<シャッターを切った>はずが、踊り手の顔はウチワで隠れていたり、後を向いていたりでした。
ここでもまた、あのデジタルカメラが出たばかりの時代を思い出していました。


南越谷阿波踊り、雨の中に全プログラムが実施されました(2008.8.25)

2008-08-25 19:32:27 | Weblog

けっこう雨が降っていました。でも、すべての参加連、すべての踊り手さん、鳴り物さんが全プログラムに心意気を見せました。そのことが、雨にもかかわらず集まって、沿道のあちこちで声援してくださる皆さんへの気持ちなのです。

私のいる連は、4時ごろ(女性は2時すぎかな)集合です。黙々と着物に着替えます。着飾った子どもたちがはしゃいでいます。おにぎりで腹ごしらえをします。

5時、みんな揃って雨中に出ました。
1本目、5時15分ごろ、西口南通り演舞場を踊りぬけます。
次ぎ。6時10分ごろには、駅前ステージで組踊りを披露します。

それから、前日に続いて、スーパー・ダイエー5階の特設ステージで組み踊りです。

そして移動です。駅中を通りぬけて、西口に戻ります。

7時20分ごろには、西口駅前通りです。東武朝日の入っているビル前では、ひときわ大きな歓声をうけました。
<朝日さわやか連は、埼玉県東部地区の朝日新聞・東武朝日新聞愛読者の皆さんを中心とした連です・・・・>と、アナウンスされます。
今日の総勢は、70余名。沿道の朝日の関係者は揃いのハッピ姿です。
さわやか連の子どもたちの付き添いのお母さんもまた同じハッピ姿で、何本かの傘を持って沿道を走り(?)ます。

そうして、再び駅中を抜けて、東口です。南越谷中央通りの演舞場で待機します。前には、観客らの皆さんが飛び入りの“にわか連”が踊っています。・・・この中の3人の優秀(?)踊り手さんが来年の本場阿波徳島へ招待されるのだそうです。
その発表を遠くに聞いて、私ら朝日さわやか連は、本年最後の踊りに飛び出します。ほんの気持ち雨が小降りになりました。

 【おまけ】

* 雨の中、どの連も三味線はお蔵いりです。<鳴り物はマルチプレイヤーでないと・・・>と連の先輩。来年は、笛や太鼓もクリヤー、いや踊る三味線弾きをめざそう。

* この規模の同時多発イベントでは、裏方さんが大変です。多くのスタッフさんの動きが見事だと感じました。寸分狂いなく進んでいく時間管理などなど、長い実績、蓄積を思いました。お疲れ様でした。雨とはいえ完全遂行できたことを一番喜んでいるのは、スタッフさんでしょうね。


雨の南越谷阿波踊り、三味線の出番なし(2008.8.24)

2008-08-24 08:43:49 | Weblog

いよいよ南越谷阿波踊りの本番の日。このところ急激な涼しさ、予報どおり、不安的中の雨。左手に三味線、右手にビニール傘を持って出陣です。
第一日目の初めは、5時過ぎ、スーパー・ダイエー5階の特設ステージでした。

それから、いよいよの、流し踊りの演舞場に移動です。
ビニール袋が配られます。大太鼓や締め太鼓はビニールを掛けて、ビニールの外から叩きます。
三味線は、どうしようもありません。戦線離脱、場外通告、です。人生こういうことは、よくあります。わが人生こういうことだらけでした。

それでも通りには、大勢の観客がつめかけています。朝日さわやか連他、この日をめざしてきた踊り手たちは、力いっぱい踊りぬけました。
そうして8時30分、私らは、西口駅前通り演舞場で、フィナーレ総踊りに参加。ひときわ激しい雨に見舞われます。
な~に、真夏のお祭り、神輿にぶちまけられる水だと思えばなんてことはありません。

 *朝日さわやか連です。

今日の日(25日)予報は、もっと雨の確率が高い。でも今、当地は曇り。な~に夕方までに上がればいい、と出番を期待して、湿った三味線のお手入れをしています。


8月22日~の南越谷阿波踊りはどこで見ればいいのだろう(2008.8.21)

2008-08-21 15:30:25 | Weblog

*たぶん会場で配られる公式ガイドや東武朝日の特集号をゲットしましょう。詳細プログラムが載っています。

第24回南越谷阿波踊りは、明日22日の前夜祭と、23日(土)24日(日)です。
昨日だったか今日だったかの朝日や日経には、踊るのは62連、5000人と書いています。また見物客は3日間で50万人とどこかに書いてありました。
きっと大勢の人出になるのでしょう。

24回、24年、そういうお祭りに、私は一度も出かけたことがなかったのです。
ところが、今年は、三味線を持って参加です。私が所属しているのは、朝日さわやか連です。
新人三味線弾きの私には、いつどこに<出演>するのか、よくわかりません。
孫たちに、<ここで見れるよ、ここにいなさい>といわなければなりません。
そこで、配られている案内を見ながら、私ら(朝日さわやか連)の出演時・場所を整理してみます。

*会場は、JR武蔵野線南越谷駅、東武電車新越谷駅界わいです。

8月22日(金)前夜祭(越谷コミュニティセンター)
6:00;ドナルドショー(マックの前?)
7:00~7:15;組踊り(組踊り会場)>(マックの前です)
8:00~8:15;前夜祭・舞台踊り(コミセン大ホール)
8;45~9:00;前夜祭・フィナーレ(組踊り会場) >(マックの前です)

8月23日(土)
6:00~;流し踊り(西口駅前通り演舞場①)
6:30~;流し踊り(西口南通り演舞場②)
7:15~;組踊り(組踊り会場⑥) >(マックの前です)
8:00~;流し踊り(南越谷中央通り演舞場③)
8:45~;フィナーレ((西口駅前通り演舞場①)

8月24日(日)
5:10~;流し踊り(西口南通り演舞場②)
6:00~;組踊り(駅前組踊り会場⑦)
7:15~;流し踊り(西口駅前通り演舞場①)
8:15~;流し踊り(南越谷中央通り演舞場③)

徳島の4連を含み招待連が6連、地元連が41連、お客様連が15連、合計62連が、こんな風に時間・場所を割り振られています。
会場で配られるガイドに載っています。

*どこかの道路(通りの演舞場)にいれば、次から次へと、連が踊りながら通り抜けます。この方が、お目当ての連に合わせて移動するより、いい楽しみ方かも知れませんね。(ちょっと涼しかった前夜祭を終えて、8月23日に追記)

ぜひお出かけください。
<手を上げて・足をはこべば・阿波踊り>
“ぞめき(お囃子)”を身体に感ずると踊りたくなりますよ。一緒に踊れる<にわか連>も、むろんあります。


阿波踊りの徳島でウッドストック・ロックフェスを思っていました(2008.8.20)

2008-08-20 17:59:41 | Weblog

*コーヒー片手に自分の時間をすごします。

この間の阿波踊り遠征は、団体旅行です。ひとりになれる時間はほとんどありません。
それでも、3連泊ホテルのお掃除のため部屋を追い出され、結果として少しの時間、ひとりで街にでました。

初めての街では、まず、駅の観光案内所、次に地元の大きな本屋さんを探します。それが見つからず、結局、駅前のそごうデパートにある紀ノ国屋に入りました。郷土出版コーナーに立ち寄ります。
阿波踊りの歴史風土のような本を探したのですが、ありません。やたらと四国八十八ヶ所めぐり体験本があります。まだ、そんなトシではありません。

*徳島駅前から眉山(びさん)に続くメインストリート

*メインストリート脇では、午前中から全国の学生が座り込んでいました。なんのために座り込んでいるのか、よくわからない。夜踊りだすための場所とりのようでもあります。街中に、こうした学生たちがいっぱいいました。<野宿なのかなあ?>

そして、炎天下にじりじりを感じながら、あてもなく街を歩いて、<トラディショナル>な珈琲屋を見つけて入ってみました。長く居座ろうと思っていたのですが、お昼過ぎで、食事をするお客さんで混んでいます。でも本来はやはり珈琲屋さんのようでした。大きなテーブルに席をもらい、ホット・コーヒーを頼みます。肉厚のカップの図案にやや古さを感じ、長く続けている店だなと思いました。カウンターの内側にいるおじさん、おばさんもやさしいお顔でした。

*<たかしま>というコーヒー屋さん。

ちょっと前の紀ノ国屋書店で、フリーペーパーを見つけ拾ってきていました。これ、全国的なフリーペーパーなんでしょうか、見たことはありせん。

コーヒー片手の、すこしほっとした時間を持ちました。
大きく1969年夏のウッドストック・ロックフェスティバルの文字が踊っています。執筆は小倉エージさんです。

<ああ、来年2009年は、ウッドストック40年目の年だなあ>
<世紀の記念イベントがあるかもしれないなあ>

ウッドストックは、正式なイベント名は、“3/days/of/peace/and/music(平和と音楽のための3日間)です。1969年8月15-18日の4日間、アメリカ・ニューヨーク郊外で開かれました。普通の若者3人が企画したこのイベントですが、あれよあれよと40万人の観客を集めたのです。

 *ウッドストックの当時のポスター

1969年、私は、大阪に住み、<後に関西フォークといわれる所のはしっこ>にいました。気分は、アメリカのカウンター・カルチャーどっぷりだったでしょう。

私ら、ほとんどの日本人は、1970年になってようやく、公開された映画ウッドストックで知るわけです。
最終シーン、夜明けの平原(!)にひとり米国国歌をギターで弾く孤高のジミー・ヘンドリックスを初めて知りました。
自由と平和のステージ・アメリカを感じたのです。

それから40年。世界は同時に動いている時代です。
夏のおまつり、今や、ニューヨークも阿波徳島も同じです。

来年、ウッドストック40年のコンサートが開かれるなら、私も行きたいなあ、と思ったのです。

【おまけ】

*暑苦しいお話だったので、涼風を送ります。淡路島から鳴門海峡を渡る大橋をバスが走ります。海なしの埼玉県に住んでると海が見えると感動します。


春日部庄和の人形劇くれよん、長野県飯田の全国大会(!)で公演(2008.8.18)

2008-08-18 17:46:47 | Weblog

*<人形劇くれよん>の皆さん(飯田りんごんパレードで)

遊びほうけていて、今ごろ、“10日遅れ”のニュースです。

日本中の市町が<町おこし>を探してきたのでしょうか。徳島の阿波踊りのルーツは江戸時代に遡るようですが、高知の<よさこい祭り>は、戦後、阿波踊りに負けないイベントを、と始まったようです。札幌のロックソーランなんて、この間始まったようなものでしょう。
ついでに、長野市の<びんずる>は今年38回目。松本市の<松本ぼんぼん>は34回目。
映画による町おこしは夕張市、演劇は利賀だったか。ジャズによる町おこしは、もういっぱいあります。

人形劇フェスティバルを30年間やっているのが、長野県飯田市です。
プロ・アマチュアを問わず、人形劇をやっている人たちで、飯田の人形劇フェスティバルを知らない人はいないでしょう。
正式名称は<世界人形劇フェスティバル・いいだ人形劇フェスタ2008>。1979年に前身の<人形劇カーニバル飯田>が始まって、今年は30回目の節目です。

 8月2日から9日間の日程で、参加の376人形劇団が、飯田市内と下伊那郡内の151会場で、598公演を繰り広げました。公演参加はしないが、見物視察に行く人形劇関係者はもっとたくさんいたでしょう。
まさに、人形劇全国大会の盛り上がりの飯田になります。

 私の住む春日部市の旧庄和町には、26,7年前に“お母さん人形劇”でスタートした<人形劇くれよん>があります。その知人たちは、とっくに“お母さん”の役割を卒業し、今や堂々たる人形劇団(!)です。
8月9日(日)に、有料公演で参加するというので、応援にでかけてきました。
海外から劇団、国内でもプーク、ひとみ座といった完全プロ劇団が1500円の有料、同時に無料の公演も<ものすごく>ある中で、有料(800円)公演に踏み切った<人形劇くれよん>さんの心意気を感じます、実行委員会もそれを認めたのです。

*分厚いガイドブック(無料)。左下に、くれよんの公演を紹介。

*有料公演だけでもこんなにあります。左下の隅に、くれよん。

前夜8日(金)8時前に、飯田線飯田駅に着きました。夕立を越える豪雷雨でしばし立ち往生。<お金がかかっている>ガイドブックや総合プログラムをゲットし、思案にくれます。並んだタクシーがこちらを見ています。コンビニに傘を買いに走れば、ずぶ濡れになります。30分ほどして、結局タクシーに乗りました。

前夜の仕込みは手伝わず、明けて10日。街なかは、人形劇フェスティバルと<飯田りんごん踊り>の当日ということもあって、道端に準備する<“てきや”のにいちゃん>にも祭り前の顔があります。
9時ごろに会場の飯田市中央公民館に出かけました。仕込みを終わって、リハーサル直前でした。

*リハーサル中のオオカミ・カブと子やぎのメイ(藤枝さんと中田さん)

*本番直前の、代表・演出の宮脇さんと音楽担当で、本番中にはキーボードを弾く石黒さん。一番手前の木製のものは、照明のコントローラーです。私が20年ほど前に作りました。ここで、ホールの設備関係者が<感動した>らしい。まだ使ってくれています。

人形劇くれよんは、8名+1名。中型バスで機材と一緒に繰り込んでいました。

定員150人の会場です。代表の宮脇さんが、<前日までに90枚売れている>と話してくれました。どんなときでも、<客の入り>は当事者の心配種です。ましてや、天下の飯田での有料公演です。“評価につながります”。<90枚なら大丈夫だよ、いっぱいになるよ>と相槌を打ちます。

演目は、<あらしのよるに>。3,4年前に始めた人形劇です。アニメや本がヒットした、あの<あらしのよるに>。むろん原作者に人形劇化・上演の承諾をもらっています。
飯田市公民館は、この祭りの一つの拠点です。2階には、人形劇関連諸道具を売る店、関連の古本屋、売店、休憩・食事できる部屋もあって賑わっています。ここのホールでは、夕方までに3本の公演があるのです。

11時20分に開場。ぞくぞくのお客さんです。11時30分すぎに、<あらしのよるに>が開演しました。

上演が始まると、私は、ここが飯田であることを忘れてしまいます。まるで、旧庄和町正風館の3階講義室での公演気分になります。ただ、大きく違うことがあります。正風館公演では、そのほとんどが子ども達です。子ども達は人形劇に大きく反応します、それが演ずる者の喜びになるわけです。
上演まえの挨拶にたった宮脇さんの質問から、7割方が地元でなく遠来他市の人たちであることもわかりました。6~7割方が大人だったでしょう。全国で人形劇をやっている人たちの厳しい目があったかもしれません。
しかし、たぶん20回を越えている、ある意味で手馴れた演目です。力の入った見事な公演になりました。

*お客さんは大人が多かったみたい。いつもは、子どもたちが、わっと集まるのですが。

心配無用のいっぱいのお客さんでした。<くれよん>さんも、ひとつ階段を上ったな、と感じたのです。

公演を見届けた私は、午後1時5分飯田駅発のハイウエイバスでトンボ帰りで、庄和町だったのです。

翌日夜、宮脇さんがメールで、チケットが完売だったことを知らせてくれました。そこに、夕刻のパレードでの若々しいメンバーの写真が添付されていました。無許可掲載しました。


徳島阿波おどりに南越谷合同連の中で、三味線持って踊ってきました(2008.8.15)

2008-08-15 14:01:32 | Weblog

*私ら南越谷合同連です。(自分では撮れません。ネットに流れていた写真。無断転載です)

昨夜(14日)に帰ってきました。3泊4日の夏の旅。2晩の阿波踊り漬けだったのです。
南越谷阿波踊り振興会傘下の連(阿波踊りグループ)の皆さん、ざっと70人で、南越谷合同連を組んで参加しました。

8月11日(月)朝出発。昼すぎ徳島到着。真夏の空に入道雲。
午後4時から、阿波踊り前夜祭<選抜阿波踊り大会>。大きなホールのステージで、地元徳島の名門の連(有名連という)の皆さんが、華麗豪快なステージを見せてくれました。

*阿波踊り前夜祭のフィナーレ。

8月12日(火)午前中は、徳島の阿波踊振興協会のメンバーによる、私ら南越谷合同連の特別指導会。<三味線の調弦を、ギターのチューナーでやっていた私を見ていた先生が、やんわりと御注意>、“私に耳で合わせる絶対音感がなないのです”。ここは“本場・本家の徳島なのだ”。それでも、だんだん調子がでます。合同連の合同練習、息をあわせます。

4時ごろから、部屋で着物を着始めます。帯がうまく結べません。着物着て三味線弾くのは、これでたった2度目なのです。
5時半、揃って出発。合同連ですから、着物は色とりどりです。夏の西日がまだまだ強い。ともかく前の人について<演舞場>をめざします。草履がなじまなくて・・・、懸命に歩きます。

徳島中心部に、有料(ひとり1800円らしい)の席(スタンド)をもつ演舞場が4つ、席を持つが無料の演舞場が3つあるようです。演舞場は道路で、長さ120mぐらいでしょうか。そこを、各連が順番に踊りながら通り抜けるのです。
私らは、一晩に3つ程の演舞場で踊れました。徳島に集まった連は1000、そのうち演舞場で踊れるのは70ぐらいと聞きました。演舞場の他に用意された踊り広場や街中<どこででも>踊ることができるのだそうです。

まず、たどり着いたのが藍場浜演舞場。踊りの出発を待つ連の皆さんでごった返しています。三味線の4人は笛に合わせて調弦をして待ちます。
いよいよ“埼玉県越谷市から来ました南越谷合同連の皆さん”の出発です。

*いよいよ南越谷合同連の出番です。

鳴り物はスタートラインの左側に整列します。鉦(かね)の拍子に合わせて、一斉に“ぞめき”を始めます。

まず先頭に高張り提灯、そして4列に並んだ女踊りが、軽快でしなやかに踊りはじめ出発します。そして男踊りです。団扇を持った一群、提灯を翻しながら踊る一群が豪快に踊ります。そして鳴り物が列に加わります。三味線、笛、鉦、締め太鼓、大太鼓が続いて、総勢ざっと70人の南越谷合同連です。

照明を浴び、<日本三大阿波踊りの南越谷から遠征してきました>とアナウンスされ、ひときわ大きな泊手をもらいます。でもまあ、あっという間にゴール地点です。
そうして、夜店と浴衣姿で賑わう通りの人を掻き分けながら、次の演舞場に向かうのです。

途中、お世話してくれた旅行会社の前では、飲み物、おにぎりなどの接待をうけ、お礼に、南越谷の連ごとに踊ります。見物の人垣もできるストリート・パフォーマンスです。
そのあと、徳島の繁華街、紺屋町の演舞場を踊り抜けました。

*ネットに流れていた写真、無断転載です。

8月13日(水)は、午前・午後、自由時間です。

*地元紙・徳島新聞(8月13日付け)は、表・裏面見開きで報道。

徳島有名連の個別のステージに出かけるもの、阿波踊り道具屋さんやお土産物産店に買い物に行くもの、それぞれです。私は、部屋でノンビリしたかったのですが、ロープウェイで眉山(びさん)に行き、阿波踊り博物館に寄り、阿波踊りの歴史のお勉強です。

*埼玉県では見かけない入道雲の夏の風景です(徳島駅前)。

そして、ひとり炎天下を歩き、ちょっと良さそうな珈琲店を見つけ、ホットコーヒーで自分を取り戻します。

今日も5時、準備を整えてホテルロビーに集合です。
今日は帯がスムースに結べたと思っていたのだが、ロビーで他の連の人に、<ちょっと直しましょうか>と。

*合同連出発直前のホテルロビーで他の連の皆さんとおしゃべり。

今夜の最初は、踊り子泣かせの長い(と、放送されていました)両国本町演舞場です。気持ちに余裕があります。ぞめき(囃子)の三味線のバチもスムースです(と思ったけど、どうでしょう)。
明るい月が照らします。そうして移動です。踊り手のメンバーとも余裕のおしゃべりです。さて、藍場浜演舞場です。一息に踊りきります。

*この後、私らが登場です。

再び、移動、ろくえもん通りの旅行会社の辻で、ゆとりのひと踊り。

いよいよ最後です。南内町演舞場。映画<眉山>にも使われた新町川沿いのナンバーワン(?)演舞場です。<最後だから、締まっていこう>と皆、心でつぶやいたに違いありません。
鳴り物が一気にもりあげます。女踊りが跳ね上げる足も高い。男踊りもいつもに増して大きく飛び跳ねます。後に続く、鳴り物の先頭の三味線も胸を張ります。ビッシと決まった笛・太鼓です。

*終わった!!朝日さわやか連のさわやかな面々です。

終わりました。上気した気持ちを持ったまま、今踊り終えた演舞場の観客席に入れてもらいます。

*いよいよ有名連総踊りが始まります。

*豪華華麗な女踊り(総踊りで)

*壮観、三味線部隊です。

ここ南内町演舞場のフィナーレは、阿波踊り振興協会の有名連の総踊りなのです。1200人総踊りとのアナウンス。10時すぎに始まりました。圧倒される迫力、豪華華麗な阿波踊りの真髄を見せて締めくくったのです。

*先頭は高張り提灯です。

*この旅は、みんなと一緒について行くだけの、何も考えない、ほんとに気楽な旅でした。

*徳島の阿波踊り振興協会をはじめ、全てをだんどりして下さった南越谷阿波踊り振興会の皆さん、同行された他の連の参加者の皆さん、そして、朝日さわやか連の、連長、副連長他、諸先輩の皆さんのおかげで、楽しく徳島初遠征を終えました。ありがとうございました。

【おまけ】

*南越谷阿波踊り(第24回)は、8月23日(土)、24日(日)夕刻から、東武線・新越谷駅、JR武蔵野線・南越谷駅周辺で開催されます。徳島の有名連などの招待連、地元連など62連が参加します。22日(金)夕刻には前夜祭(越谷コミュニティセンター・ホール)です。

【追加:8月16日】

*ネットに、私らの合同連の写真が流れていたので、無断転載させてもらいました。引用元のブログのURLを書くべきなのですが、プライベート・ブログのようで、掲載しません。


清里にいったら“まるでお漬物カフェの<花みずき>”でのんびりをすすめます(2008.8.10)

2008-08-10 11:29:19 | Weblog

*お漬物、たべますか?はい!とても美味しいのです。

旅の目的に、“有名”珈琲店によろうと、古い雑誌のスクラップを探すことさえあります。それはそれで楽しいのですが、街を歩いていて、立ち寄った初めてのカフェが、気持ちをなごませてくれる所であったら、余計に旅の気持ちをいいものにします。

先日(8月8日)に立ち寄った清里の“花みずき”は、正確には、ふらりと立ち寄ったのではありません。こんどの信州への旅の目的がふたつあって、そのひとつが、“花みずき”に行くことだったのです。

<一度いらっしゃい>と言われてはいたのですが、まったく知らないところです。探しながら訪ねることは悪くはないのです。まったく迷うことはありませんが。

*“花みずき”はすぐにわかります。

私の住む春日部あたりに、昨年あたりから2,3度お出でになっている<プルメリア>さんが、ひとりできりもりしているお店です。
国道沿いといっても、ここは清里高原です。林から風、すぐそばの渓流からの涼しさが、開け放たれた広いガラスの引き戸から吹きこみます。

“花みずき”は、お漬物屋さんです。
つぎつぎとお客さんが訪ねてきます。<冷たいお茶飲んでいきますか>とプルメリアさん。皆さんテーブルに腰掛けて、お漬物をつまみながら、しばらくお茶を楽しんでいきます。
ご近所、つまり別荘にお住まいの方(らしい)とのやさしい談笑の場のようでもありました。

“まるでお漬物カフェ”といったところです。林の中の優しいカフェです。誰もが、どこか懐かしさを覚えてしまう、長居のできるカフェのようです。

今は、食事の提供やコーヒー提供の営業はしていません、と。
もっと北、長野県の相木村のご自宅で作られるお漬物、おやき、ジャムなどの相木商会の売店<アンテナ・ショップ?>です。
お漬物を選ぶときに食べてみる、買ったおやきを食べていけるお店です。そうして皆さんが、お漬物を買っていくのです。

*お漬物は生鮮食品ですから、冷蔵庫に、右上に美味しそうなベーコン。

*フェア・トレード・コーヒーも置いてあります。

“ここでコーヒーを出したらいいのに”と話したら、コーヒーを挽き、淹れてくれました、むろん<フェアトレード・東チモール>の美味しいコーヒーでした。コーヒーの豆も粉も販売用においてあります。地球と世界の人の平穏を思うプルメリアさんです。

*日本に帰ってきたら、清里でネパール・カレーのお店を・・・・と会話も。

 <友人のコットン衣料店のチラシ(カード)を置かせて下さい>と女性が訪ねてきて、しばらくおしゃべりしていました。ネパールで日本料理の店をもってやっていて、今里帰り中とのことです。
入り口の机の上には、そんな情報のチラシやカードがたくさん載っていました。
そういった人たちが自然と集まるようでもありました。

プルメリアさんは、“地球のステージ”の応援者です。私が春日部あたりでで合ったのも、“地球のステージ”の縁です。何枚かのポスターが貼ってありました。

 【おまけ】

* お漬物カフェ“花みずき”は、小海線清里駅から国道141号(清里ライン)を北に、歩いても15分ぐらい、右手にあります。夏の間は、無休です。

* “花みずき”のお漬物、おやき、ジャムは、自宅の相木商会から、ネットで買うことができます。<ここです>

*高原鉄道・清里駅のゆったり。

*歩いてきた私は、ネパールから里帰りの女性に清里駅に送ってもらい、ふたつ目の目的地、飯田市に向かいました。ここからは、各駅停車の列車の旅です。


日本一の納豆を知りたい、奥久慈の舟納豆、横川駅・峠の釜飯がおみやげ(2008.8.6)

2008-08-06 20:10:44 | Weblog

息子が旅の仕事をしています。今の時季、林間学校のお世話の仕事もあるようです。その息子が7月後半に、持ち帰ったちょっと美味しかったお土産をふたつ。

まず、峠の釜飯です。
東京から軽井沢・長野に出かけるのが一日かかっていた時代。高崎から信越本線に入って横川駅に。ここで碓氷峠を越えるために、機関車をもう一台連結させます。その作業のある長めの停車時間に、ホームで皆がお弁当を買ったのです。それが横川駅の<峠の釜飯>です。

私も何度か、列車で志賀高原にスキーに出かけたおりに食べたことが<あるには>あります。長野新幹線の開通に伴って、碓氷峠越えの列車はありません。

2年間、長野で1人暮らしをしていた頃、長野新幹線で月に1往復ほどしていました。車内で売りにきていましたが、買ったことはありません。何せ、大宮~長野は1時間少々で、眠る時間もありません。

息子が中学生を引率したおり、お昼にサービスエリアで<峠の釜飯>を用意したらしい。2個残ったと、持ち帰ったのです。
賞味期限は、前日まで。かまわず翌日のお昼に、チンして食べました。とても美味しかったですね。
さて、中学生たちは、器(益子焼らしい)を持ち帰ったのだろうか。ちょっと話題にできるお土産になるのでしょう。1合のご飯が炊けると書いてありますが、使ってみる人はいないでしょう。

*ちょっと高級感あふれる納豆です。

次ぎ、<舟納豆>です。
これも息子が持ち帰った。いかにも美味しそうな納豆です。私は、岡山出身で、子どものころ納豆なんて食べたことはなかったのです。今や、わが家の冷蔵庫に納豆は切らしません。アイスクリームのカップに入っているような、あの普通の納豆です。

だから、この<舟納豆>が出てきたときには、高級品、特別な納豆のように思いました。納豆といえば、水戸ですが、水戸ではありません。奥久慈名産と書いてあります。
うやうやしく経木が舟形に作ってあります。ただし普通の納豆でした。普通の味でした。ただ、カップ2.5個分、たっぷり入っていました。

日本一の納豆、日本一美味しい納豆なんて、評判の納豆を、食べてみたい。誰か知りませんか。


夏はロックの、いや平和フェスティバルの季節、私の住む春日部でも(2008.8.5)

2008-08-05 21:06:40 | Weblog

*武田美通さんの“鉄の造形”に、平和を誓います。手話ダンス・サークル“ちゅらさん”

8月は、反戦平和の季節という気持ちはずっと持っていましたが、その昔の声高な反戦フォークの時代はとっくに過ぎ去ってしまっています。ロック・フェスでゴロ寝する若さもすっかり失せています。

しかし、私の住む埼玉県の東の端の小さな町(旧庄和町、今は春日部市)には、28年間(たぶん)も、“平和”をタイトルにしたまつり、平和フェスティバルが続いているのです。
ちょっと誇らしい気分でさえあります。

もっとも私は、ずっと、ただ普通の町民として、そこで開催される平和への講演を聞きに出かけていただけなのです。
今年の春、桑山さんの“地球のステージ”が、平和フェスティバルのイベントとしてできないかと、実行委員の準備会議に、お願いに行きました。
“地球のステージ”は<両者の日程があわず>に、だめになったのですが、そのまま手伝っていたのです。

ずっと昔から、平和フェスティバルをやってきたメンバー、この町の女性は手馴れていています。馬力もすごく、私の手伝う部分はほとんどなく、名前だけメンバーだったかもしれません。

このフェスティバルには、いくつかのプログラムが重なっています。それぞれが、平和を展開するのです。中心で続けてきたKさんが思いを実現させたのが、鉄の造形で、戦争と平和を直接表現する“武田美通展”です。

私の役割りは、<重い鉄の造形>の運搬です。反戦の思いがつまった<鉄の造形>を汗タラタラで、ディスプレイしていると、平和フェスティバルに出演する<ちゅらさん>という手話ダンスのサークルさんが、ここで、<鉄の彫刻>の間で、踊ってもいいですか、というのです。

お昼過ぎ、森山良子さんの“さとうきび畑”のメロディーが流れ、白いドレスに着替えた女性たちが静かに踊り始めました。

*“さとうきび畑”の歌と涙が流れます。

突然のことだったのです。観客は、私だけだったかも知れません。
鉄の造形の作者、武田美通さんとは、埼玉県鳩山町にある林のアトリエに、借りに行き、返しに行ったおりたくさんお話しできました。
私の兄と同年代、少年があの戦争で、直接受けた感情は、私にも充分に理解できます。<さとうきび畑>が歌う思いと重なります。

明日は8月6日、ヒロシマの日です。あの年には、日本中のどこにでも、子どもの上にも、私の上にも、戦争があったのです。

 

【おまけ】

*プライベート・ブログに載せるとまずいかもしれませんが。メイン・プログラム“地球の風コンサート”に出演の風絃トリオさんと、第3回かすかべ平和フェスティバルの関係者の皆さん。7月26日正風館で。

*ペロちゃんのユニット“ネイチャー・カフェ”さんも力いっぱいの演奏でした。