*2007年元旦。西金野井香取神社で。下の写真に写っている子の子どもです。
この間、11月25日(日)。私の住む団地で自治会臨時総会がありました。懸案事項が終わった閉会直前に“ついでに”と付け加えらました。
近くの神社の氏子組織から脱退するというものでした。
私の住む団地は、40年近く前に開発されました。だから、その頃に転居してきた“埼玉都民”が多かったように思います。(正確には、ご近所の氏素性は、全然知りません、お仕事、お家族のことを会話することはありません。最近は名簿に電話も削除されました)
大デベロッパーによるものではありませんから、自分たちだけで街を形作るような町内実力派団地ではありません。
だから町役場、町行政の管理組織的には、行政末端管理単位、“区”、・・・というよりに所属していました。100年以上住んでいるオウチと同じ区民になるわけです。土地を売ったオウチと買ったウチの関係もあります。
*1984年元旦(23年前)。氏子であった大衾香取神社です。トップ写真に写っている子の母です。お正月には、必ず家族全員で初詣してきました。七五三をしませんでした。どうして?と大人いや中人になってせまられたことがありました。七五三って、いつ・どこで・何をするのか、私は知らなかったのです。
自然、当然に、にある小さな神社の氏子ということになってきたのです。
だから、住民に順番に回ってくる団地自治会の役員さんは、神社のお掃除に行き、お祭り、大晦日には、お手伝いに行きます。
そのお宮、大衾香取神社ですが、おまつりに神輿が出るわけでなく、神楽があるわけでもなく、見かけに霊験新たさを感じることもありません。
それでも、氏子としての勤め、年に一回だったか二回だったか、祭礼時のお神酒料をおさめてきました。
赤い羽根共同募金と同じです。真剣に考えるほどのことではないのです。
役員さんの、氏子をやめますといった風なお話に、誰も発言はしません。決定しました。
私には、氏子のままであっても別に―――、という気分でした。氏子には、神のご加護があるとは思いませんが、なくなるかもしれません。
こうして、私は、またひとつ、子、孫に教えていくべき日本の伝統・文化の足がかりを失ったように思うのです。
“旅に出ると神社・仏閣に寄りますし、そのために旅に出ることもあります。だから、わたしゃ、神も、仏も信じます”
春日部市役所は、あるいはお国も、地域コミュニティ、ご近所コミュニティの必要性を唱えます。しかし、氏子組織にみられる伝統的なコミュニティに対しては、アンタッチャブルのようです。
“公民館のイベントまつり”や“町民イベントまつり”より、“ほんとのおまつり”、お宮のおまつりこそ大事にされるべきなんだがなあ、と思ったりしています。まあ、どっちでもいい話ですね。
“遠い親戚より、近くの他人”ということは、完全に消えました。“近くの他人より、遠くても友人”の時代かもしれません。
【おまけ】
*今日の本棚からです。右は、白洲正子さんの本棚にもありました。このブログで2度目の登場です。<ここです> NHKの特集番組のネタ本でもあります。その頃、25年ぐらい前に、“山に神が降りてくる”、“古木に神が宿る”いったことを面白く思っていました。山の上の巨岩(いわくら;磐座)は、古代信仰の地といったことに関心を持っていました。中は、そんな一冊(磐座紀行、藤本浩一著、向陽書房、1982年9月1日発行)
*右は、最近、春日部市立図書館の新刊棚で見つけたもの。借りっぱなしです。古代からの神と仏の関係がわかりやすい。一緒になったり、離れたりの関係です。(八幡神と神仏習合、講談社現代新書2007年8月20日発行)