初午の日は、お風呂を炊いてはいけない日だった(2007.2.8)

2007-02-08 17:41:35 | Weblog

私のいるスウィング・ベアーズには、ちょっとだけ茨城訛りの女性がいてお話がすごく楽しい。利根川の向こう岸・茨城県の出身です。ここ庄和町(現春日部市)は茨城県の隣町でもあります。
私にも訛りがあるようで、先日もある所で関西出身ですかと聞かれました。出は、岡山県南西部、備中藩です。

少し遅れてしまいましたが、今年は、2月3日が節分、4日が立春、そして5日が初午でした。
家人が、このあたりでは、初午の日はお風呂を炊いてはいけないらしい、と聞いてきました。家人と私は同郷です。そんなこと聞いたこともないねえ。

そもそも初午ってなんでしょう。天神さんのお祭り。私には、天神さんって、狐・人を化かす狐が目を向いているし、とって食べる油揚げにしても、ぎっちり詰まって建っている真っ赤な鳥居も、霊験あらたかというより、ちょっとヤバイお宮という気持ちが“子ども心”にあったのです。

こういう時には、ネットで調べます。初午や天神さんのことはたくさん出てきますが、お風呂を炊いてはいけないという理由には、なかなかたどり着けません。が、ブログの中に、“茨城県ではお風呂を炊いてはいけない”と書いている人や、0時すぎて、日が変わってからお風呂に入った、と書いている人がいました。

“2月に入って初午の日が早くある年には火災が多いといわれている”
どうも、ここらが“お風呂を炊いてはいけない”の火元のようです。

全国的(東京とか京都)な習慣でなく、私が子どものころ聞いてきたこと、岡山県備中地方の慣わしをネットで調べることは、まず不可能です。
ふと思い出して、ずっと前に岡山に住む兄からもらっていた、小冊子“備中井原地方年中行事”(蔵内よしお・蔵内寿子共著)をめくってみました。

そこに“2月に入って初午の日が早くある年には火災が多いといわれている”が出てきたのです。
私も、風呂焚き当番をやっていた(やらされていた)時代があるのですが、このことを全く知りませんでした。この小冊子をめくっていると、私の子どもの時代の行事・習慣と日常が“まさに走馬灯のように(なんと古い表現!)浮かんできます。

 ついでに、暮れの餅つきのことです。昔から庄和町(現春日部市)にあるお家の人から、“12月29日には、ついてはいけない=くもち(苦餅)だから”と聞きました。
私は子どものころから、“28日についてはいけない=火事がいく=八百屋お七の・・・”と聞いていましたが、反論(?)することもできなかったのです。
小冊子“備中地方・・・”に、“主に、25,26日頃に餅をつく。28日には餅つきをしない・・・・”と書いてあるのをみつけ、“そうだろう、そのはず”、良かったと思ったのです。

庄和町(現春日部市)で生まれた、私の娘や息子たちに、初午のお風呂も餅つきの日も、何にも話してこなかったのですが、まあ、いいでしょうか。

  【おまけ】
 *これは、私の親父も執筆した社会科の副読本。学校で使ったことはなかったが、ウチでよく見ていた。

*“備中井原地方年中行事(蔵内よしお・蔵内寿子共著);昭和56年10月、児島書店発行(初出は、昭和14年1~12月に東京で発行されていた『汎岡山』)


書かないことが分かっているのに買った日記帳(2007.2.7)

2007-02-07 18:07:59 | Weblog

*案の定、書かない日記帳です。

2月になって、本屋さんTSUTAYA(庄和町/現春日部市)に、年末から残っていた日記帳も、さすがに片付けられてしまった。正月すぎて、“なくなるぞ、片付けられるぞ”と思いながら、売り場をさすらっていましたが、20日すぎに、とうとう買ってしまいました。
新しい日記帳です。三日坊主とかいうのでなく、書かないのはわかっているのに買ってしまったのです。2920円の無駄です。博文館の三年連用当用日記です。
今日2月7日。案の定、まだ一字も書いていません。

この写真は、本箱の隅のすみにある私の日記帳群です。三年連記の日記帳が11冊あります。11×3で、33年分ということです。

*長い人生と思っても、たったのこれだけ。

一番左が最初の昭和41,42,43年版(なんと640円)です。まさに青春中の大阪時代でしっかり書いています。さてその次です。44年の正月に買い損ねて、同じ博文館の日記が買えず、高橋書店の日記にせざるをえなかったのです。そこから3年間ずっと悔やんでいました。

このことがあってから、3年後の更新期には、早めに買ってきたのです。日記なんてだんだん書かなくなっても、それでも買ってきたのです。毎日書かなくても、空白も記録、書く気分でなかったとか、仕事が忙しい日々だったとか、の記録なのです。
それにしても、だんだんと、ここ10年ぐらい全く書かない日記帳です。

一度、昭和65年(1990年)に、家人がいうように無駄だな!と悟って買わなかったのですが、なんか落ち着かなくて、次の年、平成3年(1991)から復活させました。だから1年分が抜けているのです。
今年2007年は更新期なのです。今買っておかなければ・・・とやっぱり買ってしまったのです。

だいたい日記ってなんでしょう。その昔の文学少女(不規則発言ですね!)ならまだしも、です。他人に読まれるのが嫌なものこそ本当の日記です。ブログは日記じゃないでしょう。だから、文学者の死後、日記をほじくり返して、なんだかんだと書く研究者や評論家はいやですね。

そんなことより、私自身ボツボツ、日記を処分しておかなければならない歳が近づいてきそうです。ま、そんな赤裸々に書くことなんて何にもなかった。文学者の人生とはほど遠い日々でした。第一、ほとんど空白で処分の必要もありませんが。

  【おまけ】

* ついでに、リアルな私の研究(!)のためには、いつもポケットにあった手帳の方が意味ありです。警察に押収されれば、いつ誰と会ったなんて秘密もあきらかになるかもしれません。

*右下が、ことし2007年用です。

* ずっと会社がくれる手帳を使っていました。雑誌の記事“できるビジネスマンの手帳術”なんて、ちゃんちゃらおかしい。会社がくれる普通の手帳で十分です。いつもポケットに入っていれば、それ以上のことはありません。

* 初めて並べてみました。上から、70年代、80年代、90年代、2000年代です。よれよれになっている年、手帳にはさんだメモがあふれている年など、思いはいろいろです。今後なんの役にもたちませんが、開くこともないでしょうが、捨てられませんね。

* 現代の“できるビジネスマン”は、すべてモバイルパソコンですましているのでしょうね。日記もそうでしょうか。
年の初めにパソコンのハードディスクを壊してしまった。ここ4,5年のすべてが無くなってしまった。
やはり、手書きのメモ、手帳、そして日記がいいのです。


ボブ・ディランに影響を与えたエリック・フォン・シュミットが死去(2007.2.6)

2007-02-06 13:20:03 | Weblog

*亡くなったエリック・フォン・シュミットのイラスト。左が表紙(ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ)、右が裏表紙(リチャード・ファーリナ、ミミ・バエズ・ファーリナ/バエズの妹);原本は<Positively 4th Street>

昨日(2月5日)の朝日新聞朝刊に、エリック・フォン・シュミット(Eric von Schmidt)さんが亡くなったとありました。
*2007年2月5日朝日新聞31面

ということなら、今日のブログは、“少し迷います”が、彼の話になります。

私が若かりし日に、惹かれていたのは、アメリカ・60年代・ムーブメント・活動行動、音楽でいえば、ジャズではなくフォークソングだったでしょう。

ボブ・ディラン(Bob Dylan)やジョーン・バエズ(Joan Baez)を追っていましたが、今と違って、当時は、日本からすべてが見えていたわけではありません。

見え隠れしていた人の中に、エリック・フォン・シュミットがいたのです。
ボブ・ディランに影響を与えたなんて、リアルタイムで日本に伝わってくる時代ではなかったのです。ただボブ・ディランとジョーン・バエズのコンサートのポスターを描いた人であることは知っていました。
そのポスターは、5年ほど前(2001年)に、ボブ・ディランやジョーン・バエズらの日々を書いた本がアメリカで出版されたおり、表紙に使われていました(写真①)。

なけなしのお金で買っていたレコードも、フォーク・カントリー・ブルースあたりです。最近のCDショップのジャンル分けでは、ルーツミュージックです。
このジャンルは、TSUTAYA(庄和町/現春日部市)には、ほとんどありません。

エリック・フォン・シュミットのレコードが、うちの棚から3枚出てきました。
ボブ・ディランの周辺として買っていたのです。CDは持っていません。

1、Dick Farina & Eric von Schmidt (F-LEUT/7,1967年 リリース、英)
バックにアメリカの民俗楽器演奏もあってなかなかいい(ボブ・ディランは、Blind Boy Grantの名で参加)。

2、Blues Project(EKL-264,1964年リリース、米);
8人のミュージシャンのひとりとして参加、またこのLPのデザインも担当している。(ボブ・ディランは、Bob Landyの名で1曲に参加)

エリック・フォン・シュミットのレコードも一枚持っていました。
3、 Eric von Schmidt 2nd Right 3rd Row (PYS-5705,1970年代初リリース、米);
兵隊時代に朝鮮戦争に参加し、日本にも駐留していたようです。(ボブ・ディランの推薦文が貼り付けてあるから、ひょっとすると一緒に演奏している曲があるかもしれないと思って買ったのです)。
このLPジャケットのデザインは、ミルトン・グレーザー(Milton Glaser)です。

  【おまけ】

* これらのレコードは、けっこう高く売れるかもしれません。いやいや、さしあげてもいいかな。探している方は、けっこういるでしょうね。

*このブログを読んで下さった方で、関心のおありの方は、geibunkyou@mail.goo.ne.jp に、ご連絡下さい。


幻のフラジール・コーヒーと新鮮な野菜をいただいた(2007.2.5)

2007-02-05 22:57:29 | Weblog

 *まず、秘密(!)のコーヒーカップです。

私はコーヒー大好きです。コーヒー自慢かというとちょっと怪しい。味にうるさいかというとこれも自信がありません。インスタントコーヒーでもガブガブ飲むいい加減さです。最近は、夜明けのコーヒーに、息子のハワイみやげのコナ・コーヒーを飲んでいます。

一昨日(3日)、家人が友人から、“インスタントコーヒーだけど、美味しい特別もので、冷蔵庫保存、開けたら2週間以内に飲んで下さい”というメッセージと小さな瓶をもらってきた。家人がコーヒーを飲まないことは知っていて、私に下さったのかもしれない。

*これが幻のインスタントコーヒーです。

品のよい高級感を覚える小瓶です。こんなインスタントコーヒーを見たことがありません。
ネスカフェ(NESCAFE),FRAGILE(フラジール), Dream of Coffee Masterと書いてあり、そして、なんと“コーヒー職人の遊びごころで生まれました”と書いてある。期間限定品のようなのです。

それで、ネットで、このコーヒーを調べてみました。ネッスルのホームページにもなく、次のブログが出てきました。

<幻のコーヒー『フラジール』(2004.12.31); 入手が少し難しい「フラジール」というインスタントコーヒーを親戚からいただき、ここのところ毎日飲んでいます。ネスレの商品なのですが、ネスレのとある会員にしか紹介されていないそうです。ホームページにも記載されていないという徹底的な秘密っぷり。めったにインスタントコーヒーを飲まないのですが、この「フラジール」はとても美味しいです!酸味が豊かですっきりとした味わいで、感想を書く間のないうちに、15g入りの小ビンをすっかり開けてしまいました。>

今朝、飲んでみました。たしかに、うま~~い、と思う。幻のコーヒーといわれるなら、庄和町のコーヒー好きの友人(優しい時間さん<ここです>)らと一緒に飲みたい、と思っています。が、いつまで残っているでしょう。

 【おまけ】
*とても美味しい野菜でした。

*昨日(4日)玄関脇に、野菜が届けられました。庄和町(現春日部市)の農家の知人からです。里芋、春菊、ごぼう、カブ、それに白菜です。その夜、野菜がたっぷりの夕食になりました。里芋もカブもとても美味しかった。

*野菜を届けて下さったt/mさん。ずっと前に、“農家の嫁って大変でしょう”との、私の意味のない挨拶に、“ゼンゼン!最高ですよ”と応えた人。以来の友人です。無農薬、有機といった野菜や米作りを実践し、小学校や中学校の子どもたちの田植えや稲刈り体験に田んぼを提供しています。健康な笑顔とガッツの女性です。


節分・立春・いいお天気。スウィング・ベアーズは練習です(2007.2.4)。

2007-02-04 19:56:13 | Weblog

今日も、いいお天気。春近し立春の日というべきか。
冬にならずにもう春と、地球温暖化を思うべきなのか。

いい日和の中、私らのスウィング・ベアーズは、2週間ぶりに練習に集まりました。気分はのんびりです。
1月20日の春日部市武里地区公民館でのニューイヤーコンサートのお客様の感想アンケートを読ませていただきました。お客さま230人の半分の方が書いて下さっています。50、60、70代の皆さんが中心です。書いて下さる方は、“良かったよ”と言って下さるのが普通なのですが、読ませていただいて、今までの公演アンケートにない、私自身がウルウルしそうな感想が多かったのです。

皆さん、私たちのジャズを聞きながら、若かった時代に戻っておられたんだなあ。
“美空ひばりメドレーは感動して思わず涙(60代女性)、(70代男性)”・・・・うーん。

<公民館には若いお客さんがいない・・・とブログ(ここです)に書いてしまって、反省しています。>

 *庄和地区南公民館も、このごろ混み合って、部屋がとれなくなって・・・・、活気ある町に、いいことなんですが。

閑話休題。昨日は節分、今日は立春。昨日夕方に、いつも散歩コースのヤオコー(庄和町/現春日部市)に出かけました。
スーパーはお祭りムードいっぱいでした。恵方巻・太巻・巻寿司が山のようにありました。なんと節分蕎麦(こんな慣わしもあったの?)、むろん、豆・豆菓子、それに、いわし・鰯。目刺しも今日は晴れ姿です。
バイト(?)のお姉さんが、紙の鬼のお面を配っています。
<どうですかといわれ、いらないと言ってしまいました。もらっても、わが家で誰も喜ばないが、ブログの写真に使えたなあ。>

*節分のヒイラギです。ヒイラギ飾ろう、ってクリスマスの歌だった?

恵方巻なんて、スーパー繁盛のためにすぎない、北北西を向いて丸かじり食べる、北北西?(正確には、少し違いますよ!)なんの根拠もない・・・なんて、いうつもりはありません。そのことで、ちょっと気分がなごめば、それでいいのです。

私らの子どもの頃に、巻き寿司丸かじりの日があったら、良かったのになあ。
子どもたち、いや私は喜んだでしょう。
そんな贅沢な、豊かな食につながる行事はなかったのです。

伝統・習慣・行事というのは、だんだん変わっていくもの、時代や地域によっても随分と違うのでしょう。
受験時に、“Kit Kat チョコレートを食べるといい”、これは楽しい。でも、わが国古来からの習慣ではないと思います。

ついでに、私らの青春時代に、バレンタインのチョコレートの行事があったら良かったのになあ。もう関係ない。この時期、スーパーに山積みされているのを横目にみながら、もう関係ないな、とブツブツ。


ネパールに自衛隊を派遣することに違和感(2007.2.3)

2007-02-03 14:37:32 | Weblog

 *取り扱っています。ネパール“和”紙です。

今日は、冬なのに春のようにのどかな庄和町(現春日部市)から国際問題(!)です。
仕事をやめてしまって、自由を取り戻して、1ヶ月程ネパールをフラフラしていました。
白く輝く峰々を仰ぎながら、山麓の村や町を歩きました。
私ら世代が子どもの頃に過ごしたのと同じ“人々の風景”がありました。

 *07.1.24 朝日新聞(朝刊)

ネパールのことは、ヒマラヤの写真はともかく、人々の生活・政情は、ほとんど報道されません。全く報道されないことではないのですが、よほど注意していないと、見落とすほどの小ささでしょう。だからネパールに関心を持っていても、ニュースの背景や流れ、つまりネパールの国情をつかむことはなかなか難しいのです。

異論もあるでしょうが、一民族・一宗教の国・日本に育った私らには、心底理解できない国かもしれません。宗教・民族・複雑なカースト(階級)制度、そして、異民族や異宗教の侵攻で支配されてきた歴史もあって、とうていネパール庶民の感情を知ることはできません。

ヨーロッパの国々は、王の統治(王政)から民衆の政治(共和制)に移ってきました。日本もまた、昭和20年太平洋戦争の終戦(敗戦)で、そうなりました。その変化は、歴史の流れの、方向のように思うのです。
ネパールは、まさに今、王制から共和制に移っていっているように思います。
政治の大きな変革です。大きな痛みを伴います。血も流れます。
ネパールは、今そのさ中だと思うのです。

2001年、現国王の混乱の即位から、政治的混乱が続き、大きなニュース(事象)が、散発的に報道されてきました。国王、内閣・議会・政党、そして武装勢力(マオイスト;毛派)の間に激しい動きがありました。
そこには、自由に報道できない報道管制や、WEBなどの電子メディアへの検閲もあります。

新政権と毛派は、昨(2006)年11月に、11年近く続いた内戦の終結を宣言し、和平協定に署名しました、と新聞に。(内戦だったのかなあ、内戦と安易に書いていいのかなあ)

 *07.2.1 朝日新聞(朝刊)

そして、ついこの間(2007年1月31日)、ネパールのコイララ首相は、政府とマオイストとの合意を踏まえ、6月の選挙で発足する制憲議会が採択する新憲法で連邦制を導入する、とテレビ演説の中で発表したのです。

それより先、1月23日国連安全保障理事会は、ネパール政権と武装勢力の和平プロセスを支援するため、国際ネパール支援団(UNMIN)を設置することを決めていました。
そして、日本政府は、国連平和維持活動(PKO)協力法に基づきネパールに自衛隊を派遣する方針を固め、1月31日に、先発調査団を出発させたのです。

このことを新聞も報道しません。全くないということではありません。いくつかの新聞から断片的な報道を拾い集めることはできます。
他国に、本来業務として“軍”を出すわけですが、ひょっとすると、政府は、国民に知らせる意思がないのかもしれません。

ただ、私の気持ちの中に、ネパールの人たち自身にまかせておけばいいのに、という思いがあるのです。

  【おまけ】

* ネパールから帰ったあとも、現地で知り合った人との連係を持っています。ネパールの紙製品や紅茶のフェアトレードを意識したサポートをしようとしています。

 *2006年7月のGIFTXのブース

* ただ、私には、ネパールの現状についての思いを、ネパールの人から聞くことはできません。 日本人とネパール人が、英語という母国語でない言語を介しての会話では、心の底の会話はできないでしょう。