何年かぶりでヨコハマに。ニュースパーク界隈をぶらぶら(2009.10.30)

2009-10-30 21:52:14 | Weblog

*横浜情報文化センターにある新聞博物館。関内駅そばの横浜球場から日本大通りを海のほうに歩いて、右側です。

 横浜で会う約束をしてしまって、遠路、ヨコハマへ出かけました。
 日本の新聞の発祥の地はヨコハマです。
 10年~15年ぐらい前に、仕事というか、あるプロジェクトで、かなり頻繁に横浜にでかけていました。
 約束の時間を1時間ほど早めについて、その頃にでかけていたニュースパーク(新聞博物館)界隈をぶらぶらしてきました。

 今日は、そのカメラ・スケッチです。

*1階ロビーにある、その昔に静岡新聞社で使われていた新聞輪転印刷機、正確には、その一部。

*いつも見なれていた光景です。

*今日も、ここでランチ、洋食の梅香亭(ばいこうてい)。ガラスに、English Spokenの文字。

*ハヤシライスが定番でしたが、今日は、オムライス。この頃、よくオムライスを食べます。でっかいオムライスでした。大正時代から変わらない洋食屋さんです。決してスマートではないけど、ほっと一息つけます。

*パタゴニアにも、よく寄っていました。今日も、何にも買うつもりもないのに、ぶらりと立ち寄ります。

*ずーっと前から、ここで、米国の環境保護運動や日本で<エコ活動>を続ける皆さんの行動のパンフレットやチラシを拾って、刺激を受けてきました。今日も<川辺川ダムはいらん!>です。

 今日、界隈ぶらっと、オムライスも食べて、たったの1時間の横浜散歩でした。


春日部グルメ情報;秀子食堂という名もいい、ちょっといいお食事処(2009.10.29)

2009-10-29 16:19:36 | Weblog

*駐車場の心配もいりません。

  日々の行動範囲が限られていると、どこかいいレストランはないかなあ、と思うことがあります。むろん、その時シチュエーションもいろいろです。
  ただしこの年齢になると、おしゃれして、きどって食事なんて残念ながら、もうない。

 昨日(28日)、いつもの<家人>と、先を急ぎながら<どこかで>食べようということになったのです。
 ずっと前に、知人Rikaさんがブログで紹介していたことを思い出して、やまだ電気で<プリンタのインク>を買う必要もあって、そこに車を停めたまま、でかけたのです。

 秀子食堂です。名前が実にいいのです。
 この気取りのなさが最高です。田舎の船乗り場、波止場近くにありそうな名前です。郷愁を誘います。
  春日部市場の隣です。市場食堂の名も持っています。市場食堂の名には、新鮮な魚が思いうかびます。

*営業時間午前6時ー午後2時までに注意が必要です。

  ガラガラと引き戸を開けて入ります。 12時すぎで、テーブルは、ほぼ満席状態です。合い席に遠慮はいりません、当然です。はばかるようなカップルはいません。
  タオルのねじり鉢巻にいちゃんやネクタイさん、みんな労働者諸君という風情です。

 回転が実に速い、ちょっと待っているとすぐに出てきます、カサカサッツとかき込むとすぐに席をたちます。さあ仕事!でしょう。
  ドリンクバーで夕方までねばっている最近のわが身が、わびしくなります。

 お茶も、お水もセルフです。嬉しいのは、新聞が日経以外の全国紙が揃っていること、スポーツ紙だけではないのです。

 メニューがまたすごい!<写真をとってこなかった!!>のです。
 ○○定食という、ごはん・みそ汁・漬物・それにメインの定食がずらっと並んでいます。焼き魚でも、お刺身でも、野菜炒めでも、なんでも○○定食になるのです。
 壁に貼ってるメニューをみると、すごい!と感じますよ。皆7~800円です。丼物OK、麺はなんでもOKです。
  まぎれのない春日部を代表するグルメ食堂です。 

 私らは、マグロつけ丼定食。すばやく食べて、すぐに立ち上がりました。


樹の上にも茶席のある春日部の茶会は11月14日。下見して思うこと(2009.10.28)

2009-10-28 19:14:10 | Weblog

*欅庵という名のツリー茶席

 今日も秋の空、柿の空です。樹の上にも茶席ができるという<丘の上チャリティ茶会>に席を持つ家人のお伴で、春日部の北側の丘を山を登っていきました。

 木の上に暮らす、ツリーハウスは、子どものころからの<田舎の男の子の夢>です。寝泊りこそしなかったけど、秘かに<俺の木>も決めていました。
 最近では、アウトドア雑誌とか、環境をうる雑誌なんかのグラビアページに、美しいツリーハウス生活が紹介されています。長野県だったかツリーハウス団地も不動産屋さんから売り出されています。いいなあ、と雑誌をながめていたことがありました。

 ツリーハウスと聞いて、一も二もなく出かけたのです。
 茶道は、芸術のかたまり、自然と溶けあうことが真髄でしょうか。
 清里近くの清春芸術村には、木の上の茶室があります。息子がバイク・ツーリングのおり、写真を撮ってきてくれています。

*清春芸術村のツリー茶室。

  木々と空にとけあって、茶を一服飲むのもいい感じでしょう。

 樹の上の茶席は、丘の上記念教会の中庭にありました。
 思っていた高い木の上ではありませんでしたが、欅(けやき)の木の中ほどにありました。

*盆踊りのやぐらみたいでしたが。
*影は私です。着物では上がってこれないかもしれません。

 第12回<丘の上チャリティ茶会>は、11月14日(土)9時30分~4時です。
 薄茶席(立礼席)を家人が受け持ちます。他に、濃茶席が2席あって、ツリー茶席もあります。教会ですから礼拝堂があります。そこでは、パイプオルガンやヴァイオリンの演奏もあるようです。

 11月14日は、埼玉県民の日です。この地域でも、同じ日にたくさんのイベントがあります。知人がやっている春日部おやこ劇場も親子向けのイベントがあります。
 私は、江戸川べりのイベント(彩龍の川まつり)の音楽係です。ネイチャア・ミュージック・カフェを担当します。
  そのイベントのことは、
<ここに書いています>

  【おまけ】

* アメリカ西海岸の若者に影響(?)を受けていた話をふたつ。

*左;一本の樹が遺したもの(The Leagacy of Luna)ジュリア・バタフライ・ヒル著(きくちゆみ訳)2003年1月、現代思潮社発行)・右;宇宙船とカヌー、ケネス・ブラワー著(芹沢高志訳)、1984年9月、JICC出版局発行。

*(左)は、22歳の女性が、樹齢1000年の木が切り倒されることに抵抗して、2年間、738日間、地上55mの樹上のテントで暮らした話です。1997年頃のことです。その行動が大きな反響を呼び森林保護運動に新しい歴史を開いたといわれています。

* (右)は、親子のお話。父フリーマン・ダイソンは、量子電気力学の数学的完成者で、巨大な宇宙船の建造を夢見ます。息子ジョージ・ダイソンは、ドロップ・アウト後、巨大なカヌーの建造を夢見ながらエコロジストとして生きています。実在の親子の生き様を縦糸に、人類の宇宙進出、エコロジカルなライフスタイル、惑星地球、海、テクノロジー、クジラ、地球外知的生命との交信等など、のトピックスが折り込まれ刺激的でした。息子がツリーハウスに暮らしている話の本を、ウチの本棚に探したのですが出てこないので、この本を載せました。


がんブログの戸塚教授の本を読了、次は<免疫生活のすすめ>の本(2009.10.27)

2009-10-27 21:47:44 | Weblog

*台風一過の秋晴れの今日の夕暮れ、まるでローカル鉄道です。ウチの近所です。

  この頃、本を読むスピードが落ちました。というか、本を読む時間を失くしました。いつも暇している、ひきこもり生活なのですが。
  現役時代は、毎日の往復通勤3時間が決まった読書タイムでした。人生をリセットしてからは、寝る前にひっくり返ってからが無限に続くのが読書時間でした。

  今年の初めに<割腹>してから、そして、それに続く左肩・左腕の不調から、ベッドに寝転がって、左手で本を持つことができないのです。そういう生活を続けていると、ひっくり返ったら、すぐ眠る(健康的?)な生活に入ってしまって、読書量が、がくっと落ちてしまったのです。

*講談社、2008年10月第一版発行

  <戸塚教授の「科学入門」>は、10月初めに買ったのですが、読み終えたのは、やっと今日なのです。

  今年の6月頃、テレビ番組を見て落ち込んだ話をブログに書きました。
  がん闘病生活を克明にブログで報告しておられた戸塚洋二さんのドキュメンタリ番組でした。
<ここに書きました>

  今日、読み終えた本の腰巻にはこうあります。
  <ノーベル賞に最も近かった物理学者が、迫りくる死を前に伝えたかった「科学はこんなに面白い」。PCに残っていた未公開原稿を含めた「最終講義」。追悼出版!>

  奥様が、巻頭に書いておられます。
  <死の間際まで、夫が自分のブログに書きつづけていたのだが、ここに収録されています「科学入門」の記事でした。・・・・抗がん剤の副作用のため、いつも執筆できる状態ではありません。調子のいいときに書きためた原稿を、気分がよいと投稿していました>

  むろん、先進的な光学、量子力学の話であり、けっして平易であるわけはありません。しかし植物の仕組みなど自然現象を解いてくれ、科学への興味をつないでくれ読み進めることができました。
  とくに興味を持ったのは、戸塚さんが、学部を終え研究者に踏み出した1965年で未知の状態であった素粒子世界が次第に明らかになっていく過程でした。
  世界的な発見をされ、2004年62歳で文化勲章を受章された、実験物理学者・戸塚さんの第一線の人生そのものを追っているようでもあるのです。
もうしばらく本棚に入れず、何度も読み返していこうと思っているのです。

*逝去されたのは、2008年7月10日のことです。

    【おまけ】

*中経出版、2007年発行

* 先日、プリメリアさんから、<病気にならない免疫生活>という本をいただきました。家人は、もう読みきったようです。私は、これから読んでいきます。

* 私が割腹した後に、手紙で、免疫力をつけることを書いてくれた人、ブログのコメントに免疫力を指摘してくださった人もいます。そのまま流していただけなのです。

* どうも私の知っていた免疫という言葉や、テレビなどでの伝染病の免疫とか、インフルエンザの免疫などという言い方は、間違っているのかもしれないと思い始めています。<心が暗くなって落ち込んだり、怒ったりすると、精神状態が不安定になり免疫力が低下します>が理解・説明できないのです。


ダンス・パーティ、フロアには、車椅子ダンスの越谷の人たち(2009.10.26)

2009-10-26 10:31:27 | Weblog

  昨日(25日)一日中、春日部中央公民館、屋内にこもっていたら、外は薄ら寒い晩秋になっていました。ストーブをつけたくなります。

  ダンス・パーティ会場にいました。車椅子でダンスする人たちもいらっしゃいました。 越谷の人たち、越谷中央公民館に集まっているサークルさんです、と紹介のアナウンスがありました。サークル名もあったようですが、聞き逃しました。 車椅子ダンスを初めて見ました。こういう言い方はまずいのかも知れません。ちょっと、車椅子が身近になっているので、じーっと見ていました。

  その日のダンス・パーティで、皆さんが一緒に踊っていたわけではありません。一緒に踊るパーティなんて、まだまだ先のことなんでしょう。


広田尚敬さんの汽車の写真。70年代初めの札幌暮らしには蒸気機関車(2009.10.23)

2009-10-23 16:13:05 | Weblog

*広田尚敬さんのC62、子ども向け<絵本;れっしゃ>より。

  昨日(9月22日)の日経文化面に、鉄道写真家の広田尚敬さんの原稿が載っていました。
 最近、<ニコンFで撮った蒸気機関車の写真集「Fの時代」>の出版広告を見ていて、たぶん買うだろうな、と思っていたところだったのです。

*左;日経09年10月22日付文化面。右;こども向け<れっしゃ>広田尚敬著、1969年、フレーベル館発行、300円。中;広田尚敬さんの写真展で配られた豆本(1973年11月)。

 1970年7月から北海道・札幌の大通り公園のすぐそばに、3年ほど住んでいました。 その頃生きていた人は、誰でも、大なり小なり、汽車、蒸気機関車に特別な思いを持っていました。
 あの汽笛もそう、コレに乗れば遠くへいける、遠い旅への思いみたいなものです。SLマニアだとか、女の子の鉄道好きへの最近の呼び方<鉄子>だとか、そういったわざとらしくなくても、昔は、誰でも鉄道好き、汽車好きだったのです。

 日本中を走っていた蒸気機関車が、ディーゼル機関車や電気機関車に取って代わられ、まさに最後の地、最北の北海道だけ、走っている状況だったのです。
 そういう時、北海道に住んでいて、カメラ=ニコンFをもっていて、ずっと北海道内を旅していた私は、蒸気機関車を見るとシャッターを切っていたのです。

 C62が好きでした。蒸気機関車も明治以来、だんだん大きくなってきて、その最後、最も大きかった蒸気機関車、C62型でした。私が札幌に住んでいた頃、C62は、函館=札幌間で、<急行ニセコ>ひっぱっていました。
 それより、ずっと前、私が子どものころには、山陽本線を走っていました。私には遠くから眺める汽車という風景はありません。汽車なんか走っていない山の中に育ったのです。
 山の中に暮らし1年に1度くらい、山陽本線笠岡駅のホームで、接近してくる見上げるほど大きなC62蒸気機関車、その大きさ、力強さ。夢幻に引き込む真っ白い蒸気に包まれて、憧憬の思いを持っていました。

 蒸気機関車写真集が何種類も本屋に並んでいても買うことはありませんでした。
 ただ、雑誌に登場する<広田尚敬さんの汽車の写真>は好きでした。ちゃんとした広田尚敬さんの写真集は持っていませんが、その頃、広田さんの本は2冊買っています。唯一私の思いに近いような、写真だったのです。

*SL夢幻、広田尚敬著、1975年、読売新聞社発行、3000円。
*前;SL賛歌、広田尚敬著、1975年、蝸牛社発行、1500円。

     【おまけ】

* その頃、東京の大学生の夏休みの過ぎし方に、リュックを背負って北海道を列車で移動し、駅で寝泊りする旅がありました。リュックが横長のキスリングであったこともあって、蟹のように横になって歩いていたので<カニ族>と呼ばれていました。ユース・ホステルなんかで、こちらが<札幌から>と話すと、皆、羨ましそうでした。

* 年中、道内を旅していました。それから30年たって、息子が、夏休みにバイクとテントで北海道一周20日程の旅に出るとき、推奨見物先、テント地、ユース・ホステルなんて、計画にも得意満面で参加できました。

* 今、そんな貧乏旅行を考える学生もいないでしょうか。北海道が遠くでなくなったのです。国内には、遠い旅がなくなってしまったように思うのです。


加藤和彦さん死の報に接し、60年代の京都・大阪暮らしを思います(2009.10.21)

2009-10-21 12:19:13 | Weblog

*ふさわしい写真がないのです。同志社大学隣に<ほんやら洞>。一冊は、埼玉県立図書館の廃棄本。

 悲しくてやりきれない、と思ったのです。60年代の学生時代のフォーク・クルセダースだけでなく、その後もずっと時代の中心にいた加藤和彦さんの死、自死の報に接し、大きな寂しさを思いました。

 むろん面識はなく、レコードの一枚も買ったこともありません。
 私ら世代のトップランナーの寂しい死を思うのです。
 どうして?なんて、理由はないのです。回答はいらないのです。
 時代が終わったと感じるのです。

    【おまけ】

*1967年10月11日、大阪フェスティバル・ホールでの、ピート・シーガー・コンサートのプログラムです。

*私は、その時代に、京都と大阪の真ん中あたりの安アパートに暮らしていました。同じ世代と一緒で私もまた、ギターを持っていました。質屋が1000円貸してくれるギターです。その後に続く関西フォークなんて、はるかに越えていたメジャーなフォーク・クルセダースになっていったのです。私は、1970年6月30日、7月1日の1日前に、まるで外国のように感じていた北海道に住まいを移しました。

*イムジン河、イムジン江、は忘れられない60年代大阪暮らしの<歌>です。フォーク・クルセイダースが歌っていました。そのことを2年ほど前に、ブログに書いたことがあります。今でも、そこへのアクセス数が目立ちます。<ここです>

*イムジン河は、放送禁止だったと書いたら、読者から、放送局の方での自粛であって、禁止されていたわけではない、と注意を受けました。そんなこともありうる時代、60年代です。まあ、貧しい日々だったわけですが、今より数段よかった時代のように思えます。

*30年もたって、息子が京都で学生生活をおくっていた頃によく京都に出かけていました。今もやってる<ほんやら洞>(トップの写真)を覗こうかと思っていましたが、結局、行かずでした。


私の住む春日部市は、引き続きクレヨンしんちゃんの町で売り出します(2009.10.19)

2009-10-19 21:51:39 | Weblog

*くれよんしんちゃんは、正式に<春日部市に住民登録>をしているのだそうです。

 昨日(10月18日)、春日部市長選挙が終わりました。現職市長さんの連覇です。
 気にしていた投票率も39.01%と、前回4年前の、庄和町との合併直後の市長選挙の38.04%より、ほんのわずかながら上昇しました。下がっていたら衰退ですから、まあ良かった。

 それで、いつだったか市長さんに、市役所で<遠め目に>お会いした時、クレヨンしんちゃんのマンガを胸につけておられました、また、あちこちでご挨拶される時には、よくクレヨンしんちゃんを話題にされていましたし、2期目も、クレヨンしんちゃん政策は継続されるでしょうから、今日のブログは、クレヨンしんちゃん写真特集です。
 選挙も終わったし、もう問題もないでしょう。

 クレヨンしんちゃん=春日部、というのが、正確にはよく知らないのです。
 わたしゃ、マンガも、テレビアニメも、みたことないのです。 いつか聞いた市長さんのご挨拶によると、日本国内だけでなく、スペインでも、春日部=クレヨンしんちゃん、なのだそうです。

 クレヨンしんちゃん、は、私ら世代には、お母さんだったか、PTAだったかが、<最も子どもに見せたくない番組>に指定していたことを思い出させます。

 時代は、すっかり変わったのです。今、そんなことをいうPTAさんはいないのでしょう。マンガの内容が<よくなった>のか、世間が悪くなったのか、読み比べていないので、評論家みたいにはいえません。いい悪いは、時代時代で変わるものなのです。

 春日部市、特に旧春日部の街を歩くと、すぐにいくつか、クレヨンしんちゃんが目に入ります。

*春日部市役所の掲示板にもあります。

 市役所の中の掲示板です。
 いったいこれで、誰が<読むのか>と思うほど、たくさん貼ってあります。
 そこに、映画のポスターです。なんで、ここに映画のポスターなんだろう。クレヨンしんちゃん、のポスターだったのです。市役所バックアップ映画かなあ。

*朝日新聞2009年9月18日付朝刊
*広報かすかべ、2009年10月号

 その日には、クレヨンしんちゃんの作者が、行方不明になっていたのです。朝日新聞は、それもまた伝えています。そして、その後、登山中に転落死された、と続報がありました。クレヨンしんちゃんの木を植えた南公園(私はどこかよく知りません)は、新しいクレヨンしんちゃんスポットです。

*GE-SENと書いてあります。

 春日部市の、もっとも(?)賑わいのある所は、春日部駅近くの、ショッピング・モール<ララ・ガーデン>です。その3階に、クレヨンしんちゃんファンのための、スポットがあります。春日部市の目玉施設として鳴り物入りで作られたのです。
 私は、入ったことがありませんからルポは書けません。入り口は狭く、市民に開かれている雰囲気はしません。ミュージアムではなさそうです。ゲームセンターなんでしょうか。無料のようでもあり、有料のようでもあります。

*作者は、亡くなってしまいました。さすが春日部の本屋(リブロ)さんのディスプレィです。

 同じ3階の本屋さんは、私でも入れます。ひょっとすると、この本屋(リブロ)さんは、隠れスポットかもしれません。クレヨンしんちゃんのマンガのバックナンバーの揃いが充実していそうです。
(私のよく行く春日部中央図書館にも、全べて揃っていると聞きましたが、どのあたりにコーナーにあるのか知りません)

 旧庄和町の私が、一番初めに、<春日部市民になった>と意識した、させられたのは、この看板です。

*春日部駅野田線ホームでみる風景。

 春日部駅の野田線ホーム、庄和町(南桜井駅)方面側、帰宅の電車を待っていると、目に入る所にある看板です。

 <おらも、春日部市民だぞー>、<お前も、春日部市民だぞー>と、嫌みなクレヨンしんちゃんの看板だなあと思っていました。従来からの旧春日部市民は、まず見ない所です。合併にタイミングを合わせた時期に建てられ、旧庄和町民へ決め打ちの看板のようでした。

*春日部市の<日本一の子育て>の、子育て応援キャラクターがクレヨンしんちゃんになりました(旧庄和町役場で)。

 もう、合併後4年もたちました。私も、一人前の春日部市民です。もう、どこででも、クレヨンしんちゃんに接することができます。

  【おまけ】

*マンガ・らき☆すた(これもみたことありません)に登場するから、女子高校生が集まる鷲宮神社のある鷲宮市。コスプレ娘(この意味も知りません)がやたら集まる<進修館>のある、お隣の宮代町。これらは、どうも自然発生的な現象のようです。それとも役所の政策課がしくんだ<まちづくり>の方策なんでしょうか。春日部市も負けられないのでしょう。負けるな春日部市です。

*クレヨンしんちゃんのマンガの中に、春日部の隣町、私らの庄和町がどのように、描かれているのでしょうか、知っていますか?それは、またいつか、このブログで書きましょう。

 


近所の公園も秋だから、おじさんがギターでボサノバです(2009.10.18)

2009-10-18 22:27:51 | Weblog

 *徒歩15秒のご近所公園

 ついこの間、夏だと思っていたのに、もうすっかり秋になっていました。近くの公園も、ぼつぼつ<枯葉~~♪>の季節です。もっとも、うちらのバンドは、春でも、枯葉♪をやっていますが。

 わが町に、ちょっといいカフェがないのです。しかたなく、正風館(なんでも公民館)で、ということになるのです。昨日、<じゃあ正風館でね>ということにしたのですが、<何かしらの行事があって、人がいっぱいで、駐車もできなかった>と。

  それで、おじさん二人が、近くの公園のベンチに腰掛けて団欒です。
  11月14日(土)の<彩龍の川まつり>での、イベント<ネイチュア・ミュージック・カフェ>のプランを話していたのです。
 こんな感じかなあ、と、ギター弾きだしたのです。車にいつもギターを持っているんだよ、と。
  いい感じの秋の公園のお昼下がりになりました。

*時々、ご近所公園ライブをやるのもいいなあ、と思ったのです。

  そのおじさんは、ギター一本で、女性ヴォーカルのバックを勤めるつもりです。ボサノバ・ジャズのセッションになります。
  いい<ネイチュア・ミュージック・カフェ>になりそうです。

    【おまけ】

*その日(10月17日)の正風館は、同じ町の飯沼中学校の合唱祭だったようです。客席の全校生徒さんは、全員マスク姿だったようです。ちょっと異様な雰囲気だったよ、と知人。 怪人20面相の舞台背景を想像しました。

*隣の市、越谷市には、宮内庁鴨場があります。昔から、皇族さまが猟を楽しまれる施設だそうです。そこに<飼っておられる合鴨(?)>が、鳥インフルエンザにかかった、と新聞報道されていました。近くの学校の、わが孫の学級が閉鎖されたら、ジージーも困ります。


明日(10月18日)の春日部市長選挙の投票には行った方がいいかなあ(2009.10.17)

2009-10-17 10:50:09 | Weblog

*夕暮れ時、人目を気にして写真を撮っていたら、車が疾走していきました。

 ごくごく微小なミクロン・メディアなブログです。ご近所情報、おちゃらけブログです。
が、市長選挙に触れると、公職選挙法(だったかな?)違反か、別件逮捕につながるかもしれません。

 ブログ・メデイアの皆さんは、非常に慎重な書きっぷりです。
ただ投票率の低さが気になるのです。それは、春日部市民の***度の低さの数字かもしれません。**への市民参加の第一歩は、投票に行くことでしょう。
 投票率の高上努力なしに、市民参加をうたうのは、チャンチャラおかしい。・・・このあたりまでは、問題なしでしょう。

 国政選挙の場合、高い投票率を狙って、あるいは低い投票率を狙って、告示・投票日が慎重に決められるようです。<投票よりお出かけ>、<投票より農作業>などなどと。

 誰か春日部投票率アップNPOを作ってくれないかなあ、何にもないけど<投票率が高い町>というのもいいなあ。ただし、この目的ではNPO法人には認可されないでしょう。
 越谷市の市長選挙<投票にいったら、ラーメン割引>なんてのも楽しいと思いますね。 越谷市民の何かしようという気持ちに敬服するのです。


ララ・ガーデン春日部で今やってる<映画・私の中のあなた>を観ました(2009.10.16)

2009-10-16 11:36:08 | Weblog

*4番スクリーンの入り口です。

 家人に映画に誘われました、一昨日14日のことです。<明日は空いてますね>と夕食時に。題名を言わずに誘われた<おくり人>からちょうど一年目です。

 今回はタイトルを知っていました。家人が、新聞の映画評や広告をみて、春日部に来ないかなあ、と話していた映画です。<私の中のあなた(my sisters keeper)>です。
 私も、新聞を読んでいるから知っています。<病と闘う家族の絆>、暗い話のようです。私が嫌いなセリフ<ここで問題提起をします>的な映画みたいです。
 ちょっとのらなかったのですが、おつきあいです。

*お話の中心は、妹と母親です。病の姉ではありません、それはそれでいいのです。

 10時15分の朝一番の上映には間に合わず。2回目の12時15分に、ユナイテッド・シネマの4番スクリーンに入りました。シルバーチケットです。お客さんは30人ほど。みんな、女性でした。

 もう、のっけから、壊れた腎臓、腎移植の話です。私のことのようで気持ちが沈みます。
 <白血病>の少女(ケイト)の話です。臓器提供のドナーは<妹(アナ)>のようです。

 <病気と闘いながらも幸せだった家族に訪れた、突然の出来事>
 <アナ、あなたは、パパとママの愛の結晶・・・・でも、その言葉はウソだった>
 <白血病の姉ケイトを救うために、臓器を提供するドナーとして生まれてきたアナ> 
 <11歳のアナが決然と言いきります。「もう姉のドナーにはならない」>
 <アナは姉(ケイト)が大好きだった、なのに、なぜ・・・>
 ・・・・・これがチラシの文章を引用したストリーです。チラシは、こう続けています。

 <アナの決断の裏には、驚くべき真実が隠されていた>
 こういうミステリーじみた書き方は、間違っているように思います。
 暖かい家族の中の必然です。11歳は子どもではありません。

 この映画に、悪者は全くでてきません。皆、あたたかく、やさしい、いい人です。
 でも、悪魔・運命に立ち向かわなければなりません。映画の中だけの話ではありません。どこにもあることです。家族は固まって立ち向かわなければなりません。まわりの人たち(社会)もそうです。 そういうお話です。

 ご家族ご一緒に、ご覧になるようにお勧めします。
 行こうと言い出すのは、女性・お母さんでしょう。

 自分の言葉で書けないので、日経10月9日夕刊の渡辺祥子さんの映画評の最後の部分を引用します。
 <・・・・・別れの悲しみより、生きていることの幸せが心に残って幸福感が漂うのが嬉しい>。私もそう思いました。

    【おまけ】

*原作の翻訳本が紹介されていました。

* 自分の子どもたちや家族に、希望のない病を感じた時の、親のほんとうの気持ちは、私には全然わからない。この映画は、そんな時にも持てる明るさを教えてくれるように思います。でも若い人が死んでしまうことは、ほんとうに辛い、私ら世代が変わってやりたい、と本気に思います。

* 映画が終わって、<プログラム=パンフレット>を買ってしまいました。女優さんの名前を知ろうとしたのでしょう。そこに、原作本が紹介されていました。原作<my sisters keeper>作Jodi Picoult(ジョディ・ピコーは、1966年生まれの女性です)。

* 原作本の翻訳がハヤカワ文庫から出ています。翻訳者の川副智子さんが、<アナの決断の理由は、映画と原作は異なる>、それは、作者が女性・母親、映画監督は男性・父親、その違いによるのだろう、と書いています。

* 映画を見終わって、パンフレットを見ながらオムライスを食べて、原作本を買いに、ララ・ガーデンの本屋・リブロに行きました。ありませんでした。


米国の上高地・ヨセミテ風景、吉田博(版画)とアンセル・アダムス(写真)(2009.10.14)

2009-10-15 10:10:56 | Weblog

*左;吉田博の版画、右;アンセル・アダムスの写真。構図がそっくりです。左の本は、はじめてのシェラの夏(ジョン・ミュア著)

 アメリカ・カリフォルニア州、シェラ・ネバダ山系、ヨセミテ・ヴァレイ(渓谷)に行きたいと思ったのは、1970年初めでしょうか。
 アメリカの若者の意識が公民権運動やベトナム反戦運動といった政治問題から、自然・環境問題に移っていくようすが日本に伝播しはじめた頃でしょう。

 アメリカ西海岸の若者文化と一緒に、自然保護の象徴的な場所として、ヨセミテが日本に入ってきました。
 その時、私は、ジョン・ミュアの自然保護という運動・思想、登山用品のパタゴニア、アンセル・アダムスの写真、日本の雑誌での芦沢一洋さんの原稿から、ヨセミテを知り、魅かれていったのです。

 とは言っても、それから、けっこうマジメに仕事一本の生活を続け、その間のヨセミテへの思いは、通勤電車の中で読む書物での世界だけで我慢していたのです。

 それから30年、仕事を卒業する年、たまっていた有給休暇を使う<卒業旅行>で、家族(4/5)をひきつれ、ヨセミテにキャンプし、積年の思いであるハーフドームの登頂を実現したのです。

 パタゴニアが出しているのアウトドア用品のカタログ的な小雑誌の表紙に、ヨセミテの大岸壁エル・キャピタンを題材にした版画が使われていました。その版画の作者が日本人・吉田博さんの作品、そして彼は、大正時代にヨセミテを旅していたことを知ったのです。

*右の雑誌の記事で、パタゴニアのカタログの表紙に吉田博の版画が使われていることを知ったのです。

 ちょっと感動して、2年ほど前に、このブログに書いたのです。 <ここです> 
 その時、本物を見たいなあ、買えるものなら手に入れたいなあ、と思っていたのです。ネットや吉田博版画展に出かけても、本物に出会うことはなかったのです。

 ひょっとすると、国内には現存しないのではないかと思っていました。
 ところが、今年2099年6月頃、私のブログを見た<まゆみさん>という方から、
<カリフォルニア・マーセド(ヨセミテの入り口の町)から、滞在(ホームスティ)中のおウチにありますよ>とコメントで知らせてをもらったのです。

 ホームスティ先では、たぶん<このブログが話題になって>、新たに額を購入されたようです。どのようなルートで入手されたのでしょうか、の質問には、<フリー・マーケットで入手した>とのことでした。・・・・ただのフリー・マーケットから?、私が欲しかった。

 *これが本物の吉田博版画<エル・キャピタン>です。欲しいなあ・・・・。

*この写真で大きさがわかります。

*所有者のお部屋です。東洋趣味のおウチのようです。壁にかかっています。(撮影;まゆみさん)。

 今日のトップの写真を見ると、吉田博の版画の構図とアンセル・アダムスの写真の構図がよく似ていると思われたでしょう。
 もう一例を示しておきましょう。いずれも、エル・キャピタンです。

*吉田博の版画(と、ネット上にありました、作風が随分違います。ほんとに、正しいかな?)

*アンセル・アダムスの有名な写真

 (*)吉田博;1876(明治9)年生まれ、1953(昭和25)年に没。ヨセミテの出かけたのは、1924(大正13)年。
 (*)アンセル・アダムス;1902年生まれ、1984年に没。1920年に、アメリカ自然保護運動の父、ジョン・ミュアが創設したシェラ・クラブのヨセミテにある夏季ロッジの管理人になる(18歳)。

   【おまけ】

*ときどき届く楽しい旅日記です。

*連絡をいただいたまゆみさん、そのヨセミテ入り口のホームステイを8月中旬に発ち、カナダ、アイルランド、イギリス、イタリアとまわり、昨日(10月14日)に届いた、つまり10月5日発信の絵はがきは、イタリア、ヴァチカン市国で書いたものでした。<ローマでは、刑務所のとなりにある女性専用の修道院の宿泊施設に泊まっています>と。羨ましい地球自由旅行者です。

 


江戸川(彩龍の川まつり)で、ネイチュア・ミュジック・カフェをやります(2009.10.13)

2009-10-13 21:08:59 | Weblog

*江戸川土手には子どもらの歓声。

 昨日(12日)は、体育の日だから快晴。江戸川土手は、子どもたちの歓声で一日中にぎわっていました。大きな空と広い景色の中で、遊ぶ子どもらを見ていました。
 わが町(春日部市旧庄和町)の<ちょっといいとこ>のひとつです。

 よく観光スポットように雑誌のグラビア・ページに登場するのが、同じ所にある建物です。首都圏洪水対策として地下水路の江戸川への放水場所でもあります。
 地下50mに大きな空間があって、水の溜まっていない時期には、大きな地下宮殿のように見えるのです。地下見学には、予約が必要です。

*右の建物の地下に、<宮殿>が。左のログハウスでゆったりコーヒーも。

 年に1回、地下公開日があります。直近では、11月14日(土)です。
その日は、①首都圏外郭放水路特別見学会、②彩龍の川まつり、③江戸川カッパ市、3つのイベントが連携して、5000人とも8000人ともいわれる人手のでる大きなお祭りになるのです。

 共催する地元市民団体G-CANSさんの準備も今が佳境、大詰め。大忙しです。
<私>、そこでの音楽イベントをやることに(はめに?)なったのです。

すでに10余の出演バンドから手をあげてもらっています。フェアトレード・コーヒーを扱っているエルメラ・コーヒーの知人ものってくれます。

*ミュジック・イベント会場の予定地

 そこには、ちょっと起伏があるのですが、広い広場があります。ちょっといいログ・ハウスがあります。そして、大きく流れる江戸川と空につながる風景があります。

*自然の中のロック・イベントも。

 この資源をどういう風に組合せて、ミュジック・イベントに持っていこうかと思案中なのです。 
 この間ひとり、そこに立ってイメージをふくらませてきました。
 コンセプトは、<ネイチュア・ミュージック・カフェ>にしました。

 

     【おまけ】

*出演希望の、バンド、グループ、個人さん、まだまだ何とかなりますよ。ゲリラ演奏って方法もあるし、<ストリート>はいっぱいありますし、問い合わせて下さい。


春日部市立南桜井小30人31脚走で全国大会へ、町ではドタバタ運動会(2009.10.11)

2009-10-11 19:48:42 | Weblog

*2009年10月11日付朝日新聞

 今朝の朝刊に、10日「小学生クラス対抗30人31脚全国大会2009」北関東地区大会があって、春日部市立南桜井小学校が優勝した、の記事がありました。11月8日に横浜アリーナで開かれる全国大会に進むのです。全国大会は12月上旬にテレビ朝日で放送される予定です。

 6年前ぐらい、同じ町(春日部市に合併前の庄和町)の桜川小学校が、全国大会に出場し、息子の出場する知人さんは、応援にいったと聞いたことがあります。たぶん、同じ先生が南桜井小に転勤されたのでしょう。子どもたちのガンバリの前に先生の熱意が一番でしょう。

 個人競技でなく30人全員で一緒に勝ちとった栄誉が嬉しい。同じ町の住人として、とてもいい話なのです。

*こちらは、2人3脚です。

*パンがなくなる程、出場者が殺到したパン喰い競争

 さて、今日(11日)町の運動会がありました。競技役員というか、ただのお手伝いか、グラウンドの真ん中で、一日過ごしてきました。快晴、すこしあった風もいい感じで、気持ちのいい日曜日でした。
ただ競技会とは、ほど遠い、ばたばた運動会ですが、それはまあ、いいでしょう。

*空は快晴、開会式です。

 中学生や高校生が出場してくれると、きりっとしまった<お遊びでない>地区対抗の体育祭になるんですがね。


焼かりんとう、沖縄・伊江島・城山、チベット・カイラス山の三題ばなし(2009.10.8)

2009-10-08 17:42:36 | Weblog

*いくらでも食べられる焼かりんとう。

 今日(10月8日)に、かりんとうをいただきました。春日部の家人の知人さんからです。
 焼かりんとうです。油であげていないと、袋に書いてあります。

 かりんとう、は大好きです。誰も好きです。
 ところが、私も、あの固さが気になるお年頃になっています。
 ところが、そんなことを気にせず<美味しい>と秘かに思っていたら、家人が<あんたでも!食べられるでしょう>と、ぐさっと言われてしまった。

 同封されていたチラシに、<カラッと焼きあげたので歯ざわりもサクサク。堅いものが苦手な方でも、安心してお召し上がりいただけます。また、油で揚げていないのでカロリーも低くとってもヘルシー>と書いてありました。

 いくらでも食べられます。私には、どこで買っていいのかわかりません。
 幸手に売っている?。越谷に受注センターがあるようです。 

*沖縄・伊江島の黒糖を使っています。

 ポリポリ食べながら、袋をみてビックリです。
 沖縄・伊江島の地図が印刷されています。伊江島の契約農場と独自の製糖工場の <島のシンボル城山(グスクヤマ)のふもと一面に広がる畑で元気に育った良質のサトウキビを使っている>そうです。

*昨日の日経夕刊です。

 沖縄・伊江島・城山(グスクヤマ)は、昨日、ほんとに昨日(10月7日)の日経夕刊で読んだばかりです。行きたいなあ、行こう、と思ったばかりだったのです。
 島全体が、ひとつの山、岩山です。体調を壊した私でも簡単に登れそうです。
 海からの姿がいい。眺めることでも心が休まるでしょう。

 私は、鋭く尖った山、どんと存在感のある丸い岩山には、登りたいと思ってきたのです。
 そこに、神の存在を感じるのです。

 日本人は、いや人は、山や大きな岩には、神を感じてきたのです。

 その最高峰が、チベット奥地にあるカイラス山(カンリンボチェ)です。須弥山です。
 ずっと思って、接近の仕方も研究?してきました。なんとか、また元気を取り戻して、カイラス山を拝みたいと思っているのですが、もうだめかも知れません。

    【おまけ】

*著者;須田郡司(日本経済新聞出版社、2008年10月発行)

*一週間ほど前に、春日部市立図書館で、<日本石巡礼>という白いきれいな本を借りてきました。日本中の<神>として崇(あがめ)められてきた、山・岩・磐座(いわくら)を巡礼する旅日記です。著者は、一番最初に、チベット・カイラス山に出かけたことを書いているのです。

 *同じ町のブロガー、Rikaさんは、この週末3連休に、石垣島にいくのだそうです。