ピーター・ポール&マリーのポールが横田めぐみさんにメッセージソング(2007.1.30)

2007-01-30 21:31:45 | Weblog

*写真は、NHKニュースから。

昨夜(1月29日)7時のNHKテレビのニュースで、60年代からのアメリカのフォークソング・グループ、ピーター・ポール&マリーのポール・ストゥキーさんが、横田めぐみさんの境遇へのメッセージ・ソングを作ったことが、報道されました。
9時のニュース・ウオッチ9の時には、ヴィデオ録画しました。

ニュースによると、ポールさんが日本の知人から、めぐみさんのことを聞き、9月27日に横田さん夫妻の了承を得てメッセージ・ソング“めぐみさんに捧げる歌(Song for MEGUMI)”を作ったとのことでした。

詩は、風の中に(In the wind)で始まります。めぐみさんのお母さんが呼びかける言葉になっています。
ニュース番組のテロップに紹介された訳は、次のようでした。

♪風の中に、
 あなたの声が聞こえます。
   めぐみを私に返して下さい。
   荒ぶる大海の向こうより、
 力の限り魂を叫びなさい
   私の心に、必ずそれが聞こえるから
   そしたら、あなたは家に帰るのです♪

この歌が、世界中にメッセージを届けることに役立てばいいと思います。
私には、それ以上の言葉はありません。

ピーター・ポール&マリー(PPM)は、私らと同じ世代。60年代のアメリカ社会に、公民権運動やヴェトナム反戦運動に、決して小さくない影響を与えたフォークソング・グループです。
私らもまた、そのメッセージと洗練されたギターワークに影響を受けたでしょう。

 

1967年8月28日。ワシントンには20万人集まった“ワシントン大行進”で、PPMは、26歳のジョーン・バエズやボブ・ディランとともに歌いました。マルチン・ルーサー・キングが“私には夢がある(I have a dream)”を繰り返す感動的な演説を行った、あの集会です。

歌が社会を動かした、動かすことのできた時代であったのです。
その後も、PPMは、発言し、メッセージを送り続けてきました。

  【おまけ】

* 私もまた、PPMを聞いてきました。PPMの一番好きなレコードは、1962年の、このIn the windです。“風に吹かれて(Browin' in the wind ; ボブ・ディラン”も入っています。

* 日本に何度も来ています。2度目の来日の1969年から、来日時には毎回出かけていると思います。 ついでに、そのチケットを並べてみました。
上から、1969.1.3(2200円)、1982.3.10(2500円)、1990.11.7(6500円)、1992.11.14(6000円)、2000.3.5(8500円)です。今年も、来るのだろうか。


画像電子ハンドブックの原稿締め切りがせまってきた(2007.1.29)

2007-01-29 18:07:28 | Weblog

*上が1979年版(9,000円)、下が1993年版(18,500円)、高いなあ。

私は、本が捨てられないのです。
こんな古い本を後生大事に持っていても、もう原稿依頼なんか来ませんよ、という家人の言葉がズシンと胸に響きます。それでも、捨てられないのです。

頼まれ原稿を2本かかえています。
そのひとつは、画像電子ハンドブックの原稿です。暮れに、依頼電話があったのですが、正月すぎにパソコンがダウンして精神的に落ち込んで、手がつかなかったのですが、締め切りがせまってきました。

もう20年間ぐらい画像電子学会雑誌の編集に関わってきました。
もう当然、卒業と思っていましたが、執筆を依頼されたのです。 画像電子学会創立35周年の事業として、画像電子ハンドブックを作ることになったようです。
前回、1993(平成5)年版で一部を執筆したことから要請があったのでしょう。
画像電子(イメージ・エレクトロニクス)分野の発展史が担当します。まあ、その時代を流れてきた“長老(!)”らしい課題でしょう。

主として自分が生きてきた時代とはいえ、歴史を振り返ってみて整理することは、自分自身にとって意義あることと感じています。現役最後半に関わっていた“情報化社会”“マルチメディア社会”“IT社会”と人間社会・・・・その時代の渦中で見えなかったことを、振り返って、その結果も含めて再検討することは、近代史(!)研究の目的なのかもしれません。

今、“百科事典”を持つ家庭は、ほとんどないでしょう。学生たちは、もう辞書すら持ちません。パソコンです。インターネットで何でもわかります。学位論文さえ、ネットのコピー&ペーストでしあげるなんて、ほんとうでしょうか。

しかし、私ら世代には、その分野を網羅した便覧やハンドブックには、特別な意味を持つのです。購入するには、ちょっと高い。まず図書館で調べる。何でも載っているのがハンドブックです。
だから、どんな部分でも、ハンドブックの執筆依頼をされることは、嫌なことではありません。と思い引き受けたのですが、締め切りが迫って、焦ってきます。
いつものことではあるのですが。

*左は昭和19年版(35円)、右は昭和42年版(5,500円)

今日のブログの写真ために、関連するハンドブックを持ち出してきました。写真の左側は、通信工学大鑑では、昭和19年の発行、戦前時期の状況を知るには、手っ取りばやく便利です。

工学系のハンドブックは、旬のものです。時期をすぎると、“枕(まくら)”にしかなりません。でも、こうして持っているのです。それでも、やはり捨てられないのです。技術史の執筆には、当時に出版された書籍は必要なのです。

やはり、捨てられないのです。 家人がなんと言おうとも。

 【おまけ】

*通信工学大鑑;昭和19年8月30日発行、売価35円、発行、電気通信学会、発行部数11,000部 。
*太平洋戦争真っ只中の時期の昭和19年に、この通信工学大鑑が発行、発売されていたことは、それだけでも原稿になるかもしれません。希少価値があるかもしれません。必要とする方があれば、さしあげてもいいと思っています。


さすが、“人形劇くれよん”が作った今年の人形たち (2007.1.27)

2007-01-27 15:40:16 | Weblog

 *これ、この迫力が踊ります。

旧庄和町(春日部市)を拠点にひろく活動するグループ“人形劇くれよん”の練習をちょっとのぞきました。

迫力の大型の棒使い人形です。毎年、くれよんさんは、やるねぇーと思います。
今年は、どんな人形なのかと登場を待つのも、本番公演のお楽しみなのですが、ちょっと先行公開しましょう。

秋からもう5回の公演をこなしていて、これから3月まで、近隣の市町で公演します。例年秋から春に公演し、シリーズ最後は、“くれよん”の練習拠点・旧庄和町(春日部市)の正風館に戻ります。
今年は、3月11日(日)11時開演、開場10時30分 です。
今年の演目は、“あらしのよるに”(原作;きむらゆういち)です。

一昨年あたり評判になり、映画にもなりました。
ここ正風舘でも映画会があったのです。

 *“ともだちだけど、おいしそう”

あらしの夜に、真っ暗な洞窟で、おおかみ(カブ)と子ヤギ(メイ)が知り合います。
そうして、「友だちだけどおいしそう」と、おおかみの葛藤が始まります。・・・・ストリーは、よく知られています。
・・・・で、最後はどうなるんでしたか?ね。

ある小学校の、子どもたちや先生たちから届いた感想文を見せてもらいました。
ほんの少し・・・・・。
“カブがメイを食べそうになった時、ドキドキした。食べなくてよかった”
“カブがメイを食べようとして、がまんしているところがおもしろかった”
“カブは狼なのにメイを食べなかったのはなぜだろうと思った”

先生からは・・・・・。
“子どもたちも身を乗り出してみていました”
“内容はみんなよく知っているものだったので、高学年も興味深そうにみれてよかった”
“狼と羊というありえない友情が芽生えるという話なのでとても面白かった。これをみて子どもたちが何かを感じとってくれれば良いと思った”

“黒子は最初顔が見えないほうが良いのではと思ったが、見ているうちに引き込まれ気にならなくなりました”
“人形や舞台装置・音楽まで手作りと聞き、とても驚きました。本や映画でストーリーは知っていましたが、人形劇というまた新しい設定でとても楽しむことができました”

“人形劇くれよん”のスタートは、1984年ですから、もう23年(かな?)になるのです。
25才で始めたお母さんは、今なんと・・・。見に来てくれた5歳だった庄和町のこどもは28歳。今、もう新しいお母さんです。

*公演など、お問合わせは、宮脇さん(048-746-6413)に。

 【おまけ】

* 一昨年と昨年の作品は、宮沢賢治の“セロ弾きのゴーシュ”でした。20周年記念作品で、正風館公演では、ほんもの(!)のチェロ弾きの佐藤輝夫さん(春日部市在住)との共演もありました。

* その佐藤輝夫さんがジャズ(!)というポスターを見つけました。
  平成18年度平和ミニコンサート;“佐藤輝夫と仲間たちによるジャズへの誘い”
  2月4日(日)2時開演、春日部中央公民館で。
  共演は、樺山潤一郎とジャズフレンズ。
  整理券がいるらしいですが、私は持っていません。たぶん大丈夫でしょう(?)


子どもたちに生の舞台を、1月28日に春日部おやこ劇場(2007.1.26)

2007-01-26 17:05:35 | Weblog

旧庄和町(現春日部市)の正風館ホールで、春日部おやこ劇場主催の舞台鑑賞会(例会)が開かれます。

人形劇団プークの“ピンクのドラゴン”の鑑賞です。
*1月28日(日)開場1:00、開演1:30、終演2:40
*場所;正風館ホール(春日部市庄和地区公民館、東武野田線南桜井駅下車・徒歩10分) 
   (駐車場もそれなりにあります)

春日部おやこ劇場の会員でなくても、会場でチケット(3才以上;1,890円)の購入で参加できます。ご家族ご一緒に、お出かけ下さい。

  【おまけ】
* どうも、孫と一緒に出かけることになりそうです。なにせ会場が、わが家から徒歩3分の正風館です。超地元で、こういう行事があることは、ほんとにいいことなのです。

* 私の知人も、春日部おやこ劇場のメンバーです。応援したいのです。

* 30~20年前、この地に住宅を購入して越してきた私ら世代です。その時代、何にもない、まさに不毛(!)の地で、日中、町に残り、“孤独な子育て”を背負った若いお母さんたちが、公園デビューから一歩進めてきた活動です、と思います。“子育て支援”なんて言葉すらなかった頃のことです。ウチの子供らも、春日部おやこ劇場の中で育ったのです。

* 春日部おやこ劇場の活動に、何人もの、長く情熱をもっていた知人がいました。20年、30年の長さは、新しい世代に変えていきます。でも今も、自分の、だけでなく地域の子どもたちのために働く、新しい知人がいるのです。
それが、この地の、春日部おやこ劇場の、つながっていく精神なのです、と思います。

*春日部おやこ劇場は、電話 048-763-3166(月・火・木・金 10時~15時)


オランダの田舎町へーレンは、わが青春の地(2007.1.25)

2007-01-25 23:31:58 | Weblog

*近くの炭鉱で使われていたランタン(記念の刻印も)を、業務提携の新聞社からいただきました。今日、へーレンの町とゆかりの人を思い、灯を点しました。ひとり、裸火を見るとしんみりします。

ブログは、あくまでプライベート日記です。旧庄和町(現春日部市)での生活を書くべきで、仕事、しかも過去の仕事なんて書くべきでないでしょう。しかし、仕事も私の生活の一部ではあったのです。20年前のオランダの片田舎のことを、ほんの少しだけ書いておきたい気分なのです。

私が所属していた会社は、1987年に、オランダの新聞社とある業務提携をはじめたのです。

その時、以前(2006年12月24日)ブログで一度紹介した“炭鉱で使われたランタン”をもらったのです。この仕事を始めた時の記念品なのです。
その後の20年間に、このランタンに灯をつけたことがなかったのですが、この暮れに、初めて灯をともしたのです。

そうしたら・・・・・・でも、ないでしょうが。 少し感傷を感じてしまったのです。
昨日(1月24日)に、私が現役時代にお世話になった大先輩HHさんから、突然メールをもらいました。

<あれからもう20年もたちますが、そのDro**さんが、アメリカのフロリダにある別宅で亡くなったとの手紙が届きました。Dro**さんは、寒いうちフロリダで過ごし、夏になるとランスダールの自宅に戻る・・・・という暮らしをしていたのですが、――(略)――今月13日に亡くなり、きのう23日に葬儀があったようです。オランダ語の知らせですので詳細はわかりません。英語で詳細を知らせ欲しい・・・と奥さんにお願いしておきました。78歳だそうです。みんな年をとり、私の周囲にも、最近、このような不幸が目立ちます。>

Dro**さんは、当時の相手方、オランダの新聞社(Limburgs Dagblad)の社長さんだった方です。 私は、その提携開始の1987年7月頃から、1ヶ月少々、オランダのへーレン(Heerlen)という町にいました。アムステルダムから、電車で南へ2時間。オランダ南部リンバーグ地方、ドイツとフランスの国境の町です。
駅前を離れるともうすぐに“ゴッホの麦畑”の世界の広がる、とても静かな町でした。

*いつも私が泊まっていた、Grand Hotel Heerlen

その後の10年間に、4回行っています。外国で、初めて重い仕事をした町、わが青春の地のように思えるのです。むろん20代はとっくにすぎていましたが。

 *少し歩くと、そこに“ゴッホの麦畑”の風景

  【おまけ】

*今でも、“地球の歩き方”やガイドブックに、登場しないへーレン(Heerlen)という町。1ヶ月少々、まさに日本人なんて誰もいない、日本語の全くない世界。初めてのヨーロッパは孤独な日々でしたが、ヨーロッパの田舎暮らしの素敵さを知ったのです。

*今からおよそ10年前。4回目のへーレンには、たぶん、これが最後と感じられ、街中のホテルから、古城をホテルにした、オランダ語で"Kasteel Terworm",英語では、"Catle Terworm"に、移りました。5日ほど泊まっていました。王様とまではいかないが、中世ヨーロッパの領主様気分にはなれました。

 *城にいたる道もがとてもいいのです。まさにラブリィ・ウォーク道なのです。ひとりでしたが。
 *正面2階の部屋に泊まっていました。


インドへ旅に出る人に、ガンジス川の缶詰の話を(2007.1.22)

2007-01-22 09:48:11 | Weblog

旧庄和町(現春日部市)の、私の家から4軒隣の娘さん(Ta**ちゃん)が、インドへの旅にでるという。出発は明日(23日)。帰ってくる日は決まってなく、旅に出ることが目的のザックひとつの旅らしいのです。

インドへの旅と聞いて、お正月の日経に載った“宗教学者 山折哲雄さん”のエッセイを思い出し、コピーを餞別代わりにさしあげました。

そのエッセイは、日経夕刊の文化面連載の“こころの玉手箱”で、山折さんが30年ほど前にインドのヒンドゥー教の聖地バラナンで買ってきた“ガンジス川の缶詰”の話なのです。

 *自分の娘には勧めないけど、その昔に読みました。

インドは今、IT産業王国、産業発展も絶頂期一歩手前で、日本を追い越そうとする勢いです。そのインドはよく知りません。
知っているのは、30年前のインド。この新聞切り抜きも30年前の話です。文明に疲れた欧米の若者、例えば、ジョージ・ハリスン(ビートルズ)が、東洋に、インドに憧れを持って旅した、そこから私らもインドに、心の世界の思いを持っていたのにすぎません。

インド北部、聖地バランを流れるガンジス川の川岸では遺体が焼却され、川に流されます。川は混濁をきわめています。

<日の出の時刻には、流れに入って沐浴をするのがヒンドゥー教徒のならわしになっている。全身を川に沈め、口に水を含んで神に祈りを捧げている>
<---ガンジス川の水をパックして売っているのだという。価格はわずか1ルピー、2.5円ほどか。巡礼たちはそれを争って買い求め、ふるさとに持ち帰る。花とともに神に供え、わが身にふりかけたり口に含んだりして息災と幸運を祈る。わが国の場合でいえば禊ぎ(みそぎ)はらいの水、カトリックの流儀でいえばさしずめルルドの泉、といったところか。それで、一個買い求めた>

それから30年。 <その缶詰を机の脇に置き、ときどき手にとって軽くふってみる。すると私の心の奥底をひたすようにタプタプと音が立ち、ああ、ガンジスの水は永遠の水とつぶやいているのである>と、書かれています。
私も、ガンジス川の缶詰を買いに行きたくなるのです。

結局、私の人生は、ビジネスはむろん、プライベートでも、アメリカ、ヨーロッパばかりに眼が向いていました。そして、“これからは、のんびりとアジアに”と、アジアの人たちには失礼きわまりない発想で旅行したいと思っているのです。

近所のTa**ちゃんが、私の30年前とほぼ同年齢世代で、アジアを歩いてくることは、私ら世代とは、全く違う感性・感情でしょう。
小銭と時間があるといっても年とっての旅と、お金はないけど若い旅は、全く違います旅で身につく感情が違います。私の持論です。その先の人生を左右する素晴らしい旅になるのです。

  【おまけ】
*スケジュールのない旅には、だからこそ日記が必要です。一日、2行でも3行でも書く事が必要です。宿で眠る前でなくても、バスの停留所でも、海辺で時間をつぶす時でも、ノートを広げると、きっとたくさん書いてしまいます。一日一枚の絵はがきを、日本の自分宛に書くことをノルマにすることもいいのですが。

* もうすでに、ミャンマーやタイだったかを、貧乏旅行しているので、アドバイスは、ありません。ただ、水と生ものには、注意しましょう。

*ときどき、インドの“ネット屋さん”から、旅行記を送って下さい。ただし、日本語機能がないから、ローマ字打ちになるでしょうね。写真があると、このブログで紹介もできるのですが。

*現地では、このブログの日本字は、文字化けで読めないでしょう。返事やメッセージをは、このブログにローマ字で入れておくことにします。覗いてみて下さい。では、Have a nice trip !!


ビッグバンド・ジャズの楽しさを知ってほしい(2007.1.21)

2007-01-21 11:56:22 | Weblog

春日部・武里地区公民館主催のニューイヤー・コンサート、スウィング・ベアーズの演奏は盛況のうちに終演。アンコールをいただいて、“ムーンライト・セレナーデ”で終わりました。
さほど広くない講堂、椅子を講堂いっぱいに、200個少々並べて、満席でした。
館長さんもお喜びの雰囲気で何よりでした。いつでもやりますよ、ペンペン!!!

バンド、ライブは、やっている最中は最高の気分になります。イベントは何でもそうですね。
終わってしまえば、静かな気分です。さて、次は、----の気分です。

 ビッグバンドの楽しみは、アンサンブルにあります。アンサンブル=調和ですね。
18人が気分を揃えることにあります。ひとりじゃない、ひとりじゃできない、厚みのある音になります。ハーモニーですね。
むろん私には、私だけには、“皆でやれば怖くない”の楽しさもあるのですが。
それがジャズのリズムに乗るのです。やっていて最高の気分になります。聞いていて最高の気分になれるのです。会場全体がスウィングするのです。

 *スタンバイ中は、リラックスと緊張、それぞれです。

昨日(20日)も、まずまず、私らの力量いっぱいの演奏ができました。お客様に楽しんでもらえたと思っています。
しかし、主催、会場が“公民館”です。
公民館にふさわしい(!!)、子育て終わった世代が中心のお客様でした。
大学受験世代はセンター試験当日ですが、若い世代がほとんどいないようです。
子育てや冬もゴルフで、休日なんてない日々充実世代、その下の、とにかく家にいない、“これもアウトドア”中心世代は、公民館に足を運びません。
<原宿にも公民館はあるのですぞ!!!!>

というより、ビッグバンド(ミュージック)を聞いてこなかった、親しんでこなかった、つまり、その楽しさを知らない、気づいていないのでしょう。
フォークにしても、ロックにしても、コンボ・ジャズもそうですが、4、5人で、個人個人の演奏(個人プレー)を繋げる、重ねるスタイルです。若者世代の聞く音楽のすべては、ここにあるのです。アンサンブル=調和は、少ないでしょう。

私ら世代は、ビッグバンド音楽の楽しさを、もっと若者世代に伝えて、聞かせていかなければならないかな、と思うのです。

  【おまけ】
* 私ら世代は、ずっと皆で一緒に歌ってきました。ちょっとした集まりには、皆で歌う歌がありました。歌声喫茶もそう、反戦フォーク集会もそう、うたごえ運動や労働運動もそう、むろん軍歌もそう、宴会でもそうです。皆で声を併せて歌いながら、皆と一緒である意識と少しの勇気をもらったようにも思います。

* 今、皆で歌うことがないように思うのです。大声を出して歌うこともない。若者世代は、四六時中、音楽に浸っているのですが、ヘッドフォンの音楽がすべて、飲み会も、カラオケで個々がかってに歌っている、ように思うのです。
個々自分を大切にする時代ですが、全体の中での自分を見失っていくように感じるのです。


さあ春日部で公民館ジャズ。ニューイヤーコンサートです(2007.1.19)

2007-01-19 20:57:16 | Weblog

 *今日は、ここまで。明日は10時集合。

今日(19日)午後から、“先乗り(!)”に行ってきました。
春日部の武里地区公民館の職員さんと、ステージ作り、PA(音響)、照明のセットアップなど、準備万端OKです。

明日1月20日(土)武里地区公民館主催のニューイヤーコンサートに、私らスウィング・ベアーズが出演します。
演奏曲は、皆様に楽しんでもらえるようポピュラーな曲を選びました。予定曲リストは、2,3日前に書きました。
開場;1時30分、開演;2時 終演;3時40分(予定)
会場の武里地区公民館は、東武伊勢崎線 一ノ割駅下車、徒歩10分です。
皆様お揃いでお楽しみ下さい。

 *公民館作成のプログラム

 【おまけ】
* 現在、近隣の市町の、ビッグバンドには、私らスウィング・ベアーズ(旧庄和町、現春日部市)の他に、春日部市には、ドリーム・スウィング・キングダム、越谷市には、オール・スウィング・ジャズ・オーケストラがあります。友だちづきあいをさせてもらっています。今回のコンサートにも何人かに、応援してもらっています。

* この3つのビッグバンドを一同に集めたジョイント・コンサート(ジャズまつり)ができないか、と動いています。今秋あたり、実現できればいいのですが。


冬なのに昆虫の絵本(松岡達英著)を買ってしまった(2007.1.18)

2007-01-18 23:21:14 | Weblog

1週間程前に、昆虫絵本というか、昆虫図鑑というか、“昆虫の生活”という本を買いました。
松岡達英さんの“昆虫の生活”を、新聞広告で見つけ切り抜いていたのは、半年ほど前、06年7月頃でした。どこに出かけても本屋があると入ってしまうのですが、なかなかこの本に出会えなかったのです。大体どのジャンルの棚に置いてあるのか、置くべきか、本屋の親父も困るでしょう。子ども向きの本だが充分に大人向きのようでもあります。

 大宮駅ビルの本屋さんにあったのです。寒い日で、明るく野外で昆虫を追っかける気分には、ほど遠い日だったのですが、迷わず買いました。

松岡達英さんの絵が好きなのです。自然を精緻に写す絵が好きなのです。一般に子ども向きの学習図鑑には、写真が多用されていますが、その分、作りが安易のように感じています。その点、松岡達英さんの子ども向きの図鑑や絵本には、写真以上の描写があって、作者の思いがあふれているように思うのです。

この“昆虫の生活”は、読んだとか、まだ読んでいない、とかいう種類のものではありません。本屋の立ち読みで、全てのページをめくれる分量なのです。それでも買うのです。今、枕元に積んであって、ちょくちょくめくっています。

私の子どもが、小学生の頃に、子どもたちの本として、何冊かの松岡達秀さんの本を買っていたのです。子どもたちへの本は、真剣に選んできましたが、躊躇なく選んでいたのです。

この間買った“昆虫の生活”を読んでくれる子どもらは、もういません。
ただ、昨年まで、信州・長野で暮らしていましたが、1年ほど前、住処から4、5分の所で、松岡達英さんのお話を聞く集まりがあって、虫好きの友人と出かけたことがあります。子どもらと同世代の若い友人です。虫好きは、並大抵じゃないようでした。野山と一緒に育ったのだなと思わせる友人です。この本を、送ってあげると喜んでくれるかな、と思っています。

  【おまけ】

*松岡達英さんの本を、わが家の本棚から持ってきました。
   ずいぶん投資していますね。もう1,2冊ありそうです。

 森のずかん(松岡達英作);福音館書店、1982年 
 海辺のずかん(松岡達英作);福音館書店、1983年 
 冒険図鑑(さとうち藍文、松岡達英絵);福音館書店、1985年 
 自然図鑑(さとうち藍文、松岡達英絵);福音館書店、1986年 
 情報図鑑(上田篤・さとうち藍編著、松岡達英絵);福音館書店、1995年
 (これらは、絶版ではありません。今でも買うことができます)

*こんな、いい本が置いてある本屋が、私の町(旧庄和町)に、いや春日部市にほしい。
 TSUTAYAには、絶対ありません。

*松岡達英さんのお話を聞く集まりは、長野県PTA親子読書推進の会の主催、”人と本と自然と、子供たちのすこやかな未来のために”(05年7月2日)。


旧庄和町の納豆と不二家の情報です(2007.1.17)

2007-01-17 21:18:21 | Weblog

旧庄和町(現春日部市)の人たちのブログでは、もう2、3日前の話題です。後追い取材、いやただの散歩をしました。
南桜井駅前のスーパー・ヤオコーに、納豆が全くありませんでした。17日夕刻5時頃です。噂は本当だったのです。見事にありません。

私ら世代にとって、納豆なんて、お金のない時に納豆をぶちかけてご飯を食べる---粗食の代表食品だったでしょう。納豆を買うことは恥ずかしいことではないですが、“今日は納豆だけ”とは、学生でも言えないでしょう。
とは言っても、食べますよ。私は納豆大好きです。息子は、2杯目の後半は必ず納豆のようです。わが家では、欠かせません。

 

納豆売り場で、ポカンと立っていたら、何人かの知らない人が、話しかけてきました。“納豆ないですねー”と.そして、しばし立ち話でした。

ついでに、大豆の相場が上がるなあと思ったりしました。エタノールだったか、“とうもろこし”からのバイオ燃料で、“とうもろこし”の高騰も始まっているようです。そのうち“とうもろこし”は食料ではなくなるかもしれません。ポップコーンも、コーンフレークもなくなるかもしれません。

 

次の確認地点は、ヤオコーのそば、不二家の看板の店(フランチャイズ店)です。
店が閉まっています。ペコちゃんも店頭に立っていません。夕刻、その店だけ、灯を落としています。なんか寂しいですね。店員さんも仕事がなくなったでしょうね。一生懸命に働いていたのに突然、ですね。雪印の時以上に、不二家の問題は身近な問題と感じます。恐らく不二家のお菓子は、お母さんたちは買わないでしょう。きっと不二家は立ち直れないでしょう。

春日部の16号沿いの雪印食品の工場は閉鎖して、他の会社に売られてしまった。それ以上の状況になるでしょう。

  【おまけ】

 *うちの家族の25年ぐらい前。

*子どもたちにとって、いや大人の子ども時代にとって、不二家のペコちゃんには、何かしらの思い出というか、風景の一部になっていたかもしれません。通りすがりに、頭をポンと叩いて、首を一緒にふったことのある人は多いでしょう。


人形劇くれよん(春日部市)、今年の作品は“あらしのよるに”です(2006.1.16)

2007-01-16 21:20:05 | Weblog

旧庄和町(現春日部市)で、20余年続けていて、毎年評判の人形劇グループ“人形劇くれよん”さんから、年賀状が届きました。

今年の演目作品は、一昨年あたりに絵本や映画で大人気だった“あらしのよるに”です。
そうです。あらしの真っ暗な夜に、励まし合ったオオカミの“カブ”と子やぎの“メグ”のお話です。
「友だちだけどおいしそう」と葛藤するオオカミと無邪気な子やぎの友情のお話です。

“人形劇くれよん”は、例年春から次回作の制作に入って、冬の公演シーズンを迎えるサイクルでやってきました。シナリオ、音楽、人形、大道具、すべてを自分たちで作ります。むろん公演の演出、出演、演奏、音響、照明、全てをこなします。

原作“あらしのよる”は新しい作品で、著作権の問題があります。
作者きむらゆういちさんと連絡をとりあって、快諾をもらっているとのことです。  

2月9日には、春日部の保育園で公演をするそうです。
おそらくシーズン最後の公演は地元です。

いつも練習している春日部市庄和地区の正風館になります。
3月11日(日)11時開演と決定しています。

正風館ホールの入り口脇には、ショーケースがあって、いつも“人形劇くれよん”の、迫力ある棒使い人形たちが飾ってあります。
今は、前年の20周年記念作品“セロ弾きゴーシュ”の人形たちが並んでいます、今にも動きだしそうです。公演が思い出されます。

今年の“あらしのよるに”の、おおかみやこやぎ、人形たちが楽しみです。

  【おまけ】
* “人形劇くれよん”さんのメンバーは、皆よく知っている人たちです。がっちりチームワークを組んで、毎年、見事な作品にしあげます。
そのうち練習をのぞいて、人形たちの写真を撮らせてもらってブログに先行紹介しましょう。

* “人形劇くれよん”さんは、子どもたちが喜んでくれるのが大好きな人たちです。出張公演も気軽に応じてもらえます。小学校、幼稚園、児童館などで、関心のある向きは、代表の宮脇さん(048-746-6413)に連絡してみて下さい。


スウィング・ベアーズが、1月20日に春日部・武里地区公民館でコンサート(2007.1.15)

2007-01-15 19:33:28 | Weblog

昨日(1月14日)は、新春2度目のスウィング・ベアーズの練習日。本番が1週間後にせまって、力いっぱい、充実の練習を行いました。まずまずの仕上がりです。

春日部市武里地区公民館が、毎年開いているニューイヤーコンサートに、昨年のクラシックなコンサートから一変して、今年はビッグバンド・ジャズを企画し、私たちのスウィング・ベアーズにお話があったのです。久しぶりの2時間近い演奏になります。ご期待下さい。ぜひお誘い合わせの上、お出かけ下さい。

 

日時;1月20日(土) 開演:午後2時、開場:午後1時30分会場;春日部市の武里地区公民館 2階の講堂
出演;スウィング・ベアーズ

演奏予定曲
1、 Begin the Biguin (ビギン ザ ビギン)
2、 I could have danced all night (マイフェアレディ/踊り明かそう)
3、 Quireme Mucho(キエレメムーチョ)
4、 Till(愛の誓い)
5、 I know why(アイノウホワイ)
6、 In the mood(インザムード)
7、 憧れのハワイ航路
8、 美空ひばり大メドレー(リンゴ追分/港町13番地/柔/悲しい酒)
9、 会津磐梯山
10、 相馬盆歌
11、 素敵なあなた
12、 My blue heaven(私の青空)
13、 Autumn leaves(枯葉)
14、 Smoke gets in your eyes(煙が眼にしみる)
15、 世界音楽めぐり(Around the world / Sous le ciel de Paris / Macarena / Nathle / Hey jude / When the saints go marching in / El cunbanchero)

  【おまけ】
* スウィング・ベアーズは、結成もうすぐ20年、旧庄和町(現春日部市)を拠点にするアマチュアジャズバンドです。ローカルテレビ局が、番組で“小さな町のビッグなバンド”と紹介してくれたこともありました。

* わけあいあい、“自分たちが楽しまなければ、お客様に楽しんでもらえない”をモットーに演奏します。その日には、久しぶりに白いブレザーのユニフォームを着ます。


高島屋の正月広告“花はどこへ行った”(2007.1.13)

2007-01-13 19:31:10 | Weblog

 写真1;1月1日付け朝日新聞15面

お正月にプレイバックします。元日付け朝日新聞です。今、日本の25~35歳世代をロストジェネレーションとする連載は後日ゆっくり考えるとして、今日は15面の高島屋の全面広告(写真1)の話です。

大きく“花はどこへ行った”と書いたモノクロの写真。ロックフェスティバルで左手をあげる女性の後ろ姿です。60年代生き残り世代の私らには、グッとくる広告でした。使われた写真は、Venice Beach Rock Festival ,1968,California,USAです。撮影者は、Dennis Stock。

高島屋のイメージ広告です。次のようなコピーが書かれています。
<ダンカイの世代が、新しい出発する日本で、そのジュニアたちも、新しい道を探します。そして、そのグランド・ジュニアたちもまだカタチにならない夢を心に描いています。伝統と文化という長い長い道のりをお客さまと歩いているタカシマヤも、それぞれの道に花を飾ります。その第一歩は、ダンカイすなわち70年代自由と長髪のフラワーチルドレンたちの青春の聖地、東京新宿から。07、ラッキーセブンの年の、春に動きます。>

高島屋(新宿)内には、懐かしいフォークソング“花はどこへ行った”が流されているらしいのです。

Where the flower is gone ? このピート・シーガー(Pete Seeger )のフォークソングは、本来のベトナム戦争への“反戦歌”という感情抜きに、日本でもポップスのように歌われてきました。私らも、そう歌ってきたかもしれません。

野に咲く花はどこに行ったの? 少女が摘んでいった。
その少女はどこに? 皆嫁いでいった。
その若い夫たちはどこに? 皆兵隊に行った。
その兵士はどこに? 皆墓場に行った。
その墓場はどうなったの? 花で覆われました。
その花はどこに行ったの?

  写真2;ピート・シーガーは健在です。

2007年があけて今、まさに、イラク戦争がベトナム戦争の様相を呈してきています。
そういう今、高島屋が、この“花はどこへいった”と大きく歌うことに、感動を覚えるのです。
ただ、消費の雄である“デパート”の考えも広告クリエイターの思いは、たぶん違うところにあるのでしょう。

70年代初めの“フラワーチルドレン”のフラワーは、どこへ行ったのでしょう、というあたりでしょう。しかしフラワーチルドレンは、髪に花を飾り、気ままに踊っていたわけではありません。“戦争より、愛と平和(love and peace)を選んでいたのです。すぐそこに戦争があっての、フラワーだったのです。

加藤周一さんが、“どんな花が世界中で一番美しいのだろうか”、と“小さな花”という詩を書いています。エッセイだったかもしれません。

 “どんな花が世界中で一番美しいだろうか。春の洛陽に咲き誇る牡丹にあらず、宗匠が茶室に飾る一輪にあらず、ティロルの山の斜面をおおう秋草にあらずーーー”
“1960年代後半に、アメリカのベトナム戦争に抗議してワシントンに集まったヒッピーズが、武装した兵隊の一列と相対して地面に座りこんだとき、ひとりの女性が、眼のまえの無表情な兵士に向かって差しだした一輪の小さなほど美しい花は、地上のどこにもなかったろう”

60年代生き残りの感傷でなく、次の世代が同じ感情、同じような夢を持ってくれると、これほど嬉しいことはありません。

  【おまけ】

*70年の聖地だったとは思いませんが、ほんとに混沌としていて刺激があった“新宿”の、その頃にはなかった高島屋に行ってみましょう。

* 柏の高島屋は増築、流山の高島屋系のショッピング・センターの完成も近々らしい。ここにも“花はどこへいった”のコンセプトがあるのかどうか、よく知りません。

* 世界で一番きれいな花のシーンの“有名な”写真が載っている本を持っているはずです。また、その花を差し出した女性の、その後を追ったNHKの番組が、2、3年前にあって録画しています。が、いずれもすぐに出てきませんでした。探します。

*ついにパソコンがドック入りです。それで、不慣れなMAC-Ibookを使っています。直接HTMLにすることができず、写真の扱いが思うようにレイアウトできません、なかなか自由にならないのです。


庄和町(現春日部市)西金野井香取神社とロストジェネレーション(2007.1.4)

2007-01-04 15:43:28 | Weblog

今日正月4日。やっと静かになりました。ようやくブログ初めです。
正月の日記から始めます。

年末から、勤務が続く娘の5才と2才、ふたりの子どもを預かっていました。保育園が休みで、わが家が“無認可保育所”でした。
3が日、昼は子どもの時間、深夜は正月だけ揃っているふたりの息子の時間、私の時間は、日の出前のごくわずかです。

元日もいつものように、1人夜明けのコーヒー。これは毎日のことです。
例年、お正月には、午前中に大衾の香取神社と西金野井の香取神社と歩いてお参りするところですが、今年は、4才と2才がいて、朝から家中大騒ぎ状態。それでもお昼に“お雑煮(関西風に丸餅をゆがく、焼雑煮はいや)”を食べるのは、例年どおり。3時過ぎには、“疲れさせる(寝させる)目的”で、西金野井の香取神社に連れ出す。しかし安直に“クルマ”でくり出す。でも、めでたいお神酒はしっかり?
おみくじを引きます。2才の子が“自分でひきたい”と、ここでも大騒ぎ。しかし、大吉をしっかり。

*西金野井香取神社(1日午後4時)

現役の頃には、正月の新聞各紙を駅の売店に、朝一番買いに行ったものでしたが、さすがにそんなことはやらなくなりました。新聞が厚いのも、正月風景です。
今年、日経は7部構成で116ページ。朝日は4部構成で100ページ。
別刷りはほとんど読みませんが、第一部(本紙)だけは、丁寧に読みます。例年ならば・・・・・。

朝日新聞が、日本の25~35才をロストジェネレーションと書いていることが、新鮮で興味深かった。この年代は、まさに私らの子どもの世代であり、深刻な課題を含んでいることを切実に感じます。

<この年代は、日本が最も豊な時代に生まれた。そして社会に出た時、戦後最長の経済停滞期だった。「第2の敗戦」と呼ばれたバブル崩壊を少年期に迎え、「失われた10年」に大人になった若者たち(朝日)>
ロストジェネレーションは、第一次世界大戦後のヨーロッパの若者たち、やりばのない鬱積した世代・・・それを、今の日本の若者状況と同じと言ってるのでしょうか。ゆっくり考えてみたい。
ほんとのロストジェネレーションは、第二次世界大戦、すなわち戦争で、ようやく終わったのだった、ような・・・・・、新年というのに何か暗い予感です。

*うちのロストジェネレーション2人は12月31日に、ガーラ湯沢にスノーボード。

  【おまけ】
*10時頃、年賀状の束がドスンと届きました。その中で圧倒的に私宛の比率が高かったのだが、だんだん家人と僅差になっている。学生時代には、全くなかった息子宛の賀状が、近年目立っています。

*実は、元日まで、一枚の賀状も書いていなかったのです。例年、30日、31日で何とか、つじつまを合わせてきたのですが、無認可保育所の家中混乱が原因です。年賀状は、お正月に“ゆっくり書く”という著名人の話を読んだことがありましたが、7,8日に届く、間の抜けた年賀状はやはりよくありません。年に一度の消息連絡の役割になっているだけに、やはり欠かせないのです。今年の遅配は許してもらおう。