昨日(29日)の朝刊あたりから、ネパール王制廃止の報道が大きくなっていました。
朝日新聞5月29日夕刊
<ネパールの新憲法を起草する制憲議会は28日深夜、1769年以来続いてきた王制を廃止し、共和制に移行する決議賛成560、反対4の圧倒的多数で可決した。同議会はまた、決議によって「一般人」となったギャネンドラ元国王に15日以内にカトマンズ中心部の王宮を退去するように指示した【カトマンズ=小暮哲夫】>
ヒマラヤの山峰に抱かれた国ネパール。平和に見える小さな国では、21世紀に入っても、中世さながらの絶対王制が営まれているのです。これに対し、1990年頃から、地下に潜った小政党マオイストは、毛沢東主義革命を目指し、武装闘争を拡大、たった2挺のライフルから、近代武器を備えた1万を超える軍隊を抱える勢力に成長します。腐敗した政党政治が続きました。2001年6月1日には、王宮内で国王一家5人を含む王族10人が死亡するという事件が起こました。ついだ現国王は、2005年に全閣僚を解任、直接統治の絶対王政に移行します。
そうして2006年春、ついに動き出した何十万もの民衆がカトマンズを取り巻く道路を埋め尽くしたのです。そして今、この4月の制憲選挙で第一党になったのは、マオイストなのです。
*ネパール王制解体 小倉清子著 2007年1月 日本放送出版協会 発行。
<20世紀の終わりに、このヒマラヤの小さな国でマオイストという武装勢力が誕生し、21世紀に入って、国の歴史を動かすほどの勢力に拡大したのは、歴史の偶然でも何でもない。いまだに道路も電気もない山岳地帯に農民たち、地主の下で奴隷のように働いてきた平野部の農民たち、そしてカースト制度の底辺で差別に苦しんできた人たち。自らの苦悩を語る声を持たず、ネパールの歴史のなかで、かって一度も中央国家から顧みられることのなかったこうした人たちが、王制廃止と平等社会という目的を掲げるマオイストに引きつけられたのは、むしろ歴史の必然だったと言ってよい。(ネパール王制解体、小倉清子より)>
私は、フランス革命を思ってしまいます。フランスを初め、ヨーロッパ諸国、日本も、そうかもしれない先進国と呼ばれる国々、皆通ってきた道、王制から共和制への道でしょうか。日本の太平洋戦争後の時期が思い浮かびます。
ネパール国民しもじもの生活はどうなるのでしょう。
国軍とマオイストの人民解放軍のさらなる武力衝突も心配されます。インド・中国のパワーの影響下になるでしょうか。
日本は、世界中で一番(たぶんまだ一番)、ODA援助をしている国です。PKO活動にに自衛隊員を派遣している国です。
ネパールの体制変革について日本国政府は、まだ承認との見解を出していません。
国連のパンギブン事務総長は、28日、祝福の声明を出したと報じられています。
【おまけ】
*日本のメデイアの報道からは、ネパール国民の考えがなかなか見えません。その国の体制が大きく変わっていくとき、国民にとって、メディアの前で自分の考えを話すことには勇気がいるでしょう。こんなときにこそ、インターネット・メデイアに期待するのです。
*これが投票用紙。識字率の低いネパールです。政党のシンボル・マークを選ぶのです(在ネパールの日本の女性のブログから)。
*このブログでも、ネパールの王制崩壊について、この間ちょっとだけ書きました。<ここです>