ネパールで王制廃止し共和制。ほんとに市民革命になるのだろうか(2008.5.30)

2008-05-30 21:24:46 | Weblog

昨日(29日)の朝刊あたりから、ネパール王制廃止の報道が大きくなっていました。

朝日新聞5月29日夕刊
<ネパールの新憲法を起草する制憲議会は28日深夜、1769年以来続いてきた王制を廃止し、共和制に移行する決議賛成560、反対4の圧倒的多数で可決した。同議会はまた、決議によって「一般人」となったギャネンドラ元国王に15日以内にカトマンズ中心部の王宮を退去するように指示した【カトマンズ=小暮哲夫】>

ヒマラヤの山峰に抱かれた国ネパール。平和に見える小さな国では、21世紀に入っても、中世さながらの絶対王制が営まれているのです。これに対し、1990年頃から、地下に潜った小政党マオイストは、毛沢東主義革命を目指し、武装闘争を拡大、たった2挺のライフルから、近代武器を備えた1万を超える軍隊を抱える勢力に成長します。腐敗した政党政治が続きました。2001年6月1日には、王宮内で国王一家5人を含む王族10人が死亡するという事件が起こました。ついだ現国王は、2005年に全閣僚を解任、直接統治の絶対王政に移行します。
そうして2006年春、ついに動き出した何十万もの民衆がカトマンズを取り巻く道路を埋め尽くしたのです。そして今、この4月の制憲選挙で第一党になったのは、マオイストなのです。

*ネパール王制解体 小倉清子著 2007年1月 日本放送出版協会 発行。

<20世紀の終わりに、このヒマラヤの小さな国でマオイストという武装勢力が誕生し、21世紀に入って、国の歴史を動かすほどの勢力に拡大したのは、歴史の偶然でも何でもない。いまだに道路も電気もない山岳地帯に農民たち、地主の下で奴隷のように働いてきた平野部の農民たち、そしてカースト制度の底辺で差別に苦しんできた人たち。自らの苦悩を語る声を持たず、ネパールの歴史のなかで、かって一度も中央国家から顧みられることのなかったこうした人たちが、王制廃止と平等社会という目的を掲げるマオイストに引きつけられたのは、むしろ歴史の必然だったと言ってよい。(ネパール王制解体、小倉清子より)>

私は、フランス革命を思ってしまいます。フランスを初め、ヨーロッパ諸国、日本も、そうかもしれない先進国と呼ばれる国々、皆通ってきた道、王制から共和制への道でしょうか。日本の太平洋戦争後の時期が思い浮かびます。

ネパール国民しもじもの生活はどうなるのでしょう。
国軍とマオイストの人民解放軍のさらなる武力衝突も心配されます。インド・中国のパワーの影響下になるでしょうか。

日本は、世界中で一番(たぶんまだ一番)、ODA援助をしている国です。PKO活動にに自衛隊員を派遣している国です。
ネパールの体制変革について日本国政府は、まだ承認との見解を出していません。

国連のパンギブン事務総長は、28日、祝福の声明を出したと報じられています。

   【おまけ】

*日本のメデイアの報道からは、ネパール国民の考えがなかなか見えません。その国の体制が大きく変わっていくとき、国民にとって、メディアの前で自分の考えを話すことには勇気がいるでしょう。こんなときにこそ、インターネット・メデイアに期待するのです。

*これが投票用紙。識字率の低いネパールです。政党のシンボル・マークを選ぶのです(在ネパールの日本の女性のブログから)。

*このブログでも、ネパールの王制崩壊について、この間ちょっとだけ書きました。<ここです>


現代の茶席、杉本貴志デザインの茶室で、世間を忘れます(2008.5.28)

2008-05-29 12:37:07 | Weblog

昨日(27日)は久しぶりに東京へ。朝から夜まで、私は4つ、家人は3つの目的というか雑用を処理。その中で2時―4時だけ合わせて、南青山のギャラリー“間”に出かけました。。
杉本貴志展<水の茶室・鉄の茶室>が開かれていたのです。
平日の午後、混み合わないまでも、かなりの人でした。若い女性が目立ちました。

私らは、天然・自然・空気・人の営み・スピリットを凝縮させている“茶の湯”に魅かれるのです、と気取りますが、私は、現実生活と別の世界に期待、逃避することなのです。
そしてこの頃、日本人の持っていた伝統と合わせて、現代、現代人の“茶の湯”を考えたりします。
とはいっても、今に生きる芸術家、デザイナー、アーティストが展開する作品や活動を見せてもらうだけのことです。

展覧会のチラシに、こう紹介してありました。
<本展では、「水」と「鉄」を素材とした、二つの茶室を展示します。日本文化の象徴ともいえる茶室を、「デザイン=コミュニケーション」と考える杉本氏が、既成概念を超えた幻想的な空間として創出します。素材が主張するのでなく、空間そのものの存在が私たちの感性に訴えかける展示は、デザインの本質を問いなおす場となることでしょう。>

この展示の写真撮影が自由だったのが嬉しい。大きなカメラでたくさん撮っている本物のカメラマンさんがいました。私もポケットからデジカメをとり出して撮りました。

 *水の茶室

この水の茶室は、落ちる水滴で作られているのです。
<・・・・雲や風、雨や雪、木々の色づき、日の光が変わり、時が流れる。そうした流れ過ぎる風景の一瞬を取り出してみたい・・・・><あるいは言葉を探して詩が出来るように空間を構成する>、と制作者の言葉です。


*家人は、茶席に参加。一回4人、先着順でなく抽選でした。

鉄の茶室は、鉄の廃材で、1993年の茶美会(さびえ)のためにつくられ、その後2002年にニューヨークで行われた“The New Way of Tea”展での茶事に出展されたそうです。


*鉄の茶室

この鉄の茶室は、解体できるなあ、<わが町に>借りてくることができるかなあ、と訳のわからないことを思っていました。

  【おまけ】

*5月31日(土)までやっています。茶室の中に、自由に入ることができます。

*杉本貴志展=水の茶室・鉄の茶室;2008.4.15~5.31;TOTO乃木坂ビル3F,ギャラリー・間;無料。ただし、水の茶室での茶会は、5月28日が最終日でした。


年金特別便に、介護予防・メタボ予防、大事な郵便物なんですが少々不快(2008.5.27)

2008-05-27 19:56:20 | Weblog

*やっと来ましたねんきん特別便

日々、暇をもてあまし気味の引きこもり状態です。一日一回の郵便屋さんのバイクの音には、期待してしまいます。でも、お手紙なんか全然来ない、クレジットカードの明細、携帯電話の明細、ダイレクト・メール・・・・楽しくありません。

5月には、めずらしく大事な郵便物が届きました。が、けっして楽しくありませんでした。
① 社会保険庁から、年金特別便・・・・やっと来ました。<わかりやすく>書いてあるのでしょうが、読む気になりません。私のように、たった一つの会社(事業所)で働いてきたという、貞淑な、面白みのない人間には、そちらが間違いなく処理していれば、特別便はいりません。
それより、変化のある人生をおくってきたわが家人に特別便がこないのです。心配そうです。 今月中にすべての発送を完了すると報道されていますし。

② 市役所の高齢介護課から、<生活機能評価チェックリスト>なるものが送られてきました。
<自分が役にたつ人間だと思えない> yes ?, no ? の問いです。回答する気になりません。
役所が、これを知って何をしてくれるのでしょうか。
私、ほんとうは、yes(はい)なんです。役に立つなんて、偉そうなことは言えませんよ。でも、そんなことを役所のデータ・ベースにとりこまれたくない。
あまりに、無礼な、失礼な、質問だらけです。
捨てます。どうせ、どこかの介護?福祉?ビジネス会社に回されるだけでしょう。
<皆様の介護予防のために使います・・・・> う~~~ん、さびしさがつのります。

*こんなの真剣に相手にしない方がいいのでしょうか。

③ 昔いた会社の健康保険組合から、胴回りチェック=メタボ・チェックの案内。
この間、テレビで、メタボリックシンドローム、ようするに胴回りチェックをして、会社(健康保険組合)全体として、前年より改善が見られない場合は、ペナルティ(罰金)を支払わなければならない、と聞きました。ほんまかいな。
そして、ここにも、メタボ・ビジネス会社が間に入っています。

 まあ、皆さんの健康維持と長寿を願って下さっての、政府のご施策なのでしょう。

   【おまけ】

*長寿医療制度と書いてること自体が、ごまかしの、いやな感じです。

*ついでに、後期高齢者i医療制度のこと。先日、市役所の担当者から、説明を聞く機会がありました。さら~っと一時間。そうか、そうか。世間が騒いでいるという事実を知っていなければ、何の問題もない、と思ってしまいます。300人ほどの受講者です。実は不謹慎ですが、誰か質問をするだろうなと楽しみにしていました。
司会進行の女性が、“講師の○○さんは、お忙しく、この後、御用事がありますので”と、終わりました。“用事って、ほんとかなあ”と思いましたね。

*今日は、ひがみっぽい年寄り丸出しでした。明日から、改めます。


わが町にも山口絵理子さんの本“裸でも生きる”が並んでいた(2008.5.26)

2008-05-26 20:16:06 | Weblog

 *TSUTAYA南桜井店の棚です。

明日が締め切りの宿題を持っているのですが、お天気がよくて、気分がのらないのです。
それで散歩に出ます。といっても、いつもの本屋・TSUTAYAに行くだけです。

雑誌の棚以外は、ほとんどみないのですが、ぱっと、目に入りました。 このブログに書いたこともある、山口絵理子さんの“裸でも生きる”です。

<貧困をなくすのは、国際機関エリートが考える「援助」でなく、働く人が誇りを持てる仕事。エリコが単身飛び込んだバングラデシュでは・・・・>。25歳女性起業かの号泣戦記なのです。

*“メディアが注目”の腰巻がついています。2007年9月発行、2008年4月に第4刷でした。

こんな町の本屋にも並んでいたのか、とちょっとばかり嬉しくなったのです。
こうなったら、バングラデッシュで山口絵理子さんの会社(マザーハウス)が作るバッグ、ジュートと革のコンビが、ちょっといいバッグを買って持ち歩かなければなりません。きっと男女兼用のバッグも計画されているでしょう。

今日も、この本を買ったわけではありません。
マザーハウスのことは、<ここに書いています。クリック>

  【おまけ】

*今週末に切らなければいけないなあ。

*青葉の茂る季節です。毎年4月に、柿の枝を切り落とすのですが、今年はそのままで、部屋に陽が入らない状態です。これから切るのは、ちょっと大変ですが切ります。


春日部直近ライブ情報;蕎麦屋でジャズ、カフェで寄席(2008.5.25)

2008-05-25 09:10:16 | Weblog

このブログにも<オタク話題>が続く引きこもり生活の毎日で、どこか行きたいなあ。
助け舟が来ました。<たまには、二人で甘い夜を過ごしませんか・・・・>とメッセージ。
それで、久しぶりに、春日部ローカル情報です。

 (1) そば処 巴屋で、<ジプシーバイオリン+ジャズギター>ライブ 

 5月30日(金)6;00~お食事、7:00~がライブタイム
 場所;そば処 巴屋(春日部駅西口から徒歩10分、イトーヨーカドー近く南西すぐ)
     ジャズデイ春日部の会場だった公園のすぐそば
    3000円(お食事・お酒などは別途で500円から)
 *ご予約、問合わせは、048-755-4411(イエローノートに1700以降)

演奏予定曲に、ツィゴイネルワイゼンが入っています。ジプシーバイオリンのちょっとミステリアスな魅力にワクワクします。“黒い瞳”です。
むろん他に、スタンダード・ジャズもたっぷりでしょう。

 <たまには、二人で甘い夜を過ごしませんか・・・・>と、メッセージが入っていて、テンションがややあがります。こりゃなんだ! お誘いなのか。いや、誰と行こうか、と思いが広がるのです。

 (2) 土曜日の昼下がり、カフェで、エルメラ寄席

  6月7日(土)開場1時、開演1時30分
  場所;喫茶ゆめ色2階(武里駅西口から徒歩13分)春日部市大場1564-1
  1500円(コーヒーまたは日本茶 お菓子つき)
  出演;三遊亭楽大、三遊亭かっ好、三遊亭楽麻呂
  主催;やさしさの輪 エルメラコーヒー
* 問い合わせ、申し込みは、NPO法人プロジェクトウィング
  電話;090-1656-7721 Eメール;n-okuda@p-wing.net

<梅雨入り前の土曜のひと時、落語のお席をご用意しました。お腹を抱えて笑っていただき、お茶とお菓子でホッと一息ついていただけるお席です。皆様のお越しを、心よりお待ちしております>と、主催者の知人さんからのご案内です。

 ―――この頃、笑っていないなあ、笑うことがないなあ、と私。

  【おまけ】

*喫茶 ゆめ色。 ランチがおすすめです。

*寄席を主催するエルメラ・コーヒーさんのことは、何度もこのブログに書いています。<ここです><ここにもあります>


ボブ・ディランのモトカノ(スーズ・ロトロ)の書いた本が届きました(2008.5.23)

2008-05-23 17:35:20 | Weblog

*スーズの書いた本<A freewheelin' time>(2008)

もちろんスーズ・ロトロ、本人が送ってくれたわけではありません。
Amazon から届いたのです。なんと昨(2007)年5月頃に、近日発売・予約受付中の表示を見つけて、その時すぐに頼んだのです。それが、もう忘れていた頃、この間4月中旬に届いたのです。超最近の本です。

スーズ・ロトロ(Suze Rotolo)は、誰でも知っているボブ・ディランの“昔の女”です。“・・・の女”って、品のない書き方です。恋人、愛人・・・女友だち・・と、考えたのですが、書きようがないのです。カノジョという日本語がいいかもしれません、つまり最近の日本語では、モトカノです。

*昔のレコード(The Freewhelin')のあの写真とは少し違う写真です。

スーズ・ロトロの名前は、ともかく、ボブ・ディランのLPに載っている女性です。
<プロテスト・シンガーの旗手、世の中の不条理を力強く歌い上げ、反抗するディランがこのざまはなんだ!><今は、愛だの恋だの言っている時じゃあない!>
その頃、日本の青っぽい、社会評論風なレコード評や同人雑誌なんかでの学生のディラン論の中に、こんな議論があったのです。
このレコードは、米国で1962年発売です。日本盤が、このジャケットで売り出されたのは、ずっと後、60年代終わりになっていたでしょう。

私は、そんな時代から、その後、山のように売られている<ディランの解説本や攻略本>をほとんどを買ってきました。だからスーズ・ロトロのことはよく知っています。

スーズ・ロトロは、ディランがニューヨークに出てきて、すぐに知り合った女性です。ディラン20歳、スーズ17歳といった感じから始まり、2,3年続きます。都会にでてきたばかりのディランに、都会っ娘スーズという感じでしょうか。
ディランは、フォークシンガーとして、広く知られるように大発展していきます。

そうして、二人は離れていきます。わかりやすい図式でいえば、スーズが<ふった>のです。ふったのは、スーズです。

そのスーズ、60歳ほどになっているでしょう、が、ディランの一緒の写真を表紙に使って<60年代のグリニッチ・ビレッジの思い出、“フリーホイーリンの頃”>なんてタイトルで本を書いたのです。

野次馬の私は、絶対に買いますね。拾い読みですが、おおむね読みました。

ディランは、プロテスト・フォーク・シンガーといっても、いっときのことです。1961年~1963年頃で、激しく社会問題を歌っています。これは、その時代の空気もあったでしょうが、この本を読みながら、明確に、スーズ・ロトロの影響だと確信を強めました。あるいは、スーズと一緒にいた町の影響です。
スーズ・ロトロは、CORE(人種平等会議)の事務所で働いていました。

この頃、ディランは、黒人差別問題の歌を何曲も、公民権運動の集会で歌っています。殺された黒人活動家の歌を作っています。
その頃、若いフォーク・シンガーは、歌をつくり、ブロードサイドというミニコミに発表し、みんなで、集会で歌っていたのです。
つまり20歳そこそこのォーク・シンガーもまた、公民権運動の大きな力になっていたのです。若者が、社会を考えていた時代だったのです。

*左;スーズの本から。右;ブローサイド誌リプリント版(70年中ごろに、東京で買いました)

ディランがブロードサイドに発表した歌の中から、この本“フリーホイーリンの頃”には、Train a-travelin’とMaster of war(戦争の親玉)が載っています。
イラストは、スーズ・ロトロの作品(絵)です。なかなか過激です。

*よく見るとちょっと過激なスーズのイラスト。

ディランは、1963年後半から、急速にプロテストソングを歌うことをやめます。
評論家風にいえば、より深い人間の愛、深い心の内面をテーマにしていくことに変わっていくのです。スーズ・ロトロが急速にディランから離れていく時期のことです。ようするに、未練たっぷりな歌、女々しい愛の歌といってもいいでしょう。

青臭いディラン論風、文学論になりそうなので、この辺にします。なにせ大昔の話です。今、なんの意味もありません。
スーズのこの本を訳そうかなとも思います。でも、翻訳本が出るかもしれません。その時代の新聞記事がそのままスクラップされていて、私には、けっこう楽しめました。

   【おまけ】

*右;翻訳本フォークシティ(1990年発行)、左;原書Bring it all back home(1986年発行)
*スーズの描いたグリニッチ・ビレッジ案内図(上の写真の本に掲載)

* 今でもです。ディラン新譜のCDも、ディラン解説本も、それに、さいさい出る“ディランを特集”した雑誌も必ず買います。ディランなんてほとんど聞かなくなった頃に買った本“フォーク・シティ”があります。その中に、グリニッチ・ビレッジの案内マップがあって、それを描いたのがスーズ・ロトロでした。久しぶりに、その名前に出会ったのです。そのマップをコピーして、ニューヨーク出張に行ったこともありました。

* グリニッチ・ビレッジ、ブリッカーストリートを歩く、ディランとスーズの仲のよさそうな写真、本の表紙は、レコードと同じと思っていましたが、よく見ると違います。その時に撮られた一連の写真があるのです。雑誌の特集などに、たくさん出てきます。

*右;海賊盤Freewheelin' Outtake

* この右の写真もその時の一枚です。非公式=海賊盤=ブートレッグCDのジャケット写真です。左の写真は、フリーホイーリン(公式盤)のCDです。その時の録音で、ボツになって使われなかった(アウトテーク=outtake)曲ばかりを集めてCDを作って、<秘かに>売り出されているのです。関係者がその録音を持ち出したのでしょうね。

*ディランの海賊盤は、日本でも70年代後半から、その頃はLPですが、少しずつ出ていて、見つけて買うのが楽しみでした。今では、山のように売っています。私も、ディランの海賊盤をかなり持っています。60,70年代の音源はすべて持っていると言ってもいいでしょう。だからそれを、新しい視点で編集して、新しい海賊盤CD(CDR)で作ることは、今の時代なら、私にさえ簡単にできます。


眠る前に、アメリカの小学生用の歴史教科書を読んでいます(2008.5.20)

2008-05-20 18:53:43 | Weblog

*2005年2月の発行です。私が最近買ったのは2007年5月発行の第16刷です。

私には、寝ようとする時に本を読むことが必要なのです。とにかくベッドの頭のあたりには、やたらと本を置いています。何でもいいのです。<本を読んでいるとすぐ眠くなる!> それです。

最近、手をだしているのは、アメリカで小学生向きに使われている歴史教科書です。アメリカの教科書といっても、うやうやしく、丸善といった洋書店で買ったわけではありません。TSUTAYA南桜井店で買ったのです。4月下旬のことです。だから、英文と日本文の両方が載っている本です。もちろん、右ページの日本文で読みます。

数年前でしょうか、韓国、中国などアジア諸国が、学校で、日本について、どう教えているか、の議論のために各国の歴史教科書の解説書が出版されていました。どちらかといえば、ナショナリズム派(側)の立場での記述が強いように思っていました。アメリカでは、どのように日本を教えているか!私に、そういう関心はありません。ただの読物、やさしく読めるアメリカ史の本なのです。

南北戦争、1930年代大恐慌、第一次、第二次世界大戦、朝鮮戦争、公民権運動、ベトナム戦争と、アメリカの歴史読物として楽しめるのです。
<We shall over come、勝利のわれらに>の歌詞が、<ワシントン大行進>の節のところに載っているのです。 ただ、最後のページは、1976年7月4日の建国200年の誕生日のことで終わっています。ほんとうは、今のアメリカこそ知りたいのです。まあ、古い教科書といえるかもしれません。

アメリカでは、日本のように教科書検定制度はありません。学校単位で教科書が選ばれます。バージニア大学のE.D.ハーシュ教授が書いた6冊の小学生用教科書からアメリカ史の部分を抜粋して一冊にまとめたものだそうです。

さて、たまたまTSUTAYAの棚に<背表紙に、歴史教科書>を見て買ったのです。家に帰って、編集者が、ジェームズ・M・バーダマンだったことに驚いたのです。“またか・・・・”なのです。

ある本の著者にひかれて、その著者の本だから買うということは、さいさいあります。内容に魅かれて本を買ったら、バーダマンさん、だったということが続いたのです。バーダマンさんは、ミシシッピ生まれのアメリカ人の早稲田大学教授さんです。私の関心のある、アメリカ南部、黒人解放運動、公民権運動、ロック、ジャズの発生・・・といった分野なのです。1947年生まれ、私と同世代、アメリカ南部、そのもので育った人なのです。
日本の研究者の本とは何か違うのです。買ってしまうのです。

*このタイトルなら買ってしまいます。右の本が最も古く1995年6月発行です。

ブログと言っても公に出るものです。黒人と書くことは、差別用語かな、と思ったときがありました。
この教科書では、ブラック・ピープルとアフリカン-アメリカン=アフリカ系アメリカ人の両方が使われています。1960年代の黒人差別を撤廃させたアメリカの運動は、黒人解放運動と書かれていません。シビル・ライツCivil Rights (Movement)=公民権(運動)です。黒人解放運動は、良くない言い方でしょう。

    【おまけ】

*教科書だから、学校でクリアしているはずですが、知らないことがいっぱい載っているのです。

* 私は、子どもらが学校で使った教科書を本棚に残して、時に読むことがあります。“学校の授業を思い出してイヤ”と思われる向きもあるでしょう。しかし、何でも載っている辞典がわりに使えます。とくに高校の世界史の教科書、副読本はよく読みます。

* そういえば、高校卒業に必須科目であった世界史を受講させず、いや教えず卒業させる高校の問題がありました。2006年秋です。どういう決着で卒業させたのだったか、覚えていません。<生徒たちに責任はない・・・・だから・・OK>というのも変な話です。形だけのレポートで皆卒業させたのでしょうか。
<赤信号、皆で渡れば怖くない>だったのでしょうね。


松本にあったアースコレクション、今は那覇に住むmさんの詩集が届きました(2008.5.18)

2008-05-18 16:25:44 | Weblog

*左;届いたフォト・ポエム・ブック、右;80年代の松本にあったアースコレクション(Eerth Collection)前の著者。自分のお店だった。

今日(18日)、久しぶり陽がさす、いい日曜日です。大きな宿題を持っていますが、締め切りは火曜日だから、気分はだらけます。

先週金曜日に、小さな冊子小包で、一冊の詩集が届きました。
今朝から読んでいました。

*写真もまた詩です。

あおいじかん、そらはうみのかたわれ、水のカーテン、重ね合わせる時間、銀河系の詩人、赤い花、・・・・立ち止まる 兵士に・・・・・、

タイトルに、ピュアな言葉が、こぼれ落ちます。
長い間、発言や発信を見ていますが、だんだんと、こころが、感性が、研ぎすぎさまされているようです。
アーティスト、詩人、nature poetさんです。

  【おまけ】

*初めて知ったのは、ざっと25年前のことです。1980年代です。松本にある新聞社に、けっこう長くいたことがあったのですが、そのおりです。


*沖縄・那覇のEarth Blue Moon Cafe。

*もう10年になるでしょうか、突然、沖縄の那覇から、・・・・新しいカフェ・オープンの案内をもらいました。


ネパールに帰りたくないと言うネパールから来ている知人(2008.5.15)

2008-05-15 13:04:28 | Weblog

*昨(2007年)9月、日本で生まれたユウミちゃん

昨夜(5月14日)、ネパール人の知人と、高輪のネパール・チベット料理の店<レッサム フィリリ>で食事をしました。しばらく食べていなかったので、大好きなダルバートカレーは、とても美味しかったのです。

*右の知人は、半年毎、冬の間はネパールで過ごそうとしています。

まず知人の説明をしますが、ちょっとわかり辛いでしょうか。
私が、仕事をやめて、<ようやく自由を取り戻した時に>、すぐにネパールに行き、1ヶ月ほどフラフラしていました。ポカラという町(日本で言えば、北アルプスの玄関口の松本>で、立ち寄った本屋の親父が、その後、日本に来たことがあって、親父の姪御さん(ランジャナ)を知り、そのダンナ、その頃、留学生、大学院の学生だった、を知ったのです。

昨年秋に出産したランジャナが、今、ネパールに里帰り中なので、毎日カレーを食べたがっているに違いないダンナ、今は社会人か会社人、に、ネパール料理の夕食に誘ったのです。

私が、ネパール料理を食べに行くのは、通常は、近い千駄木の<ミルミレ>です。都区内で、4,5軒のネパール料理レストランを知っています。私の好みは、ネパール宮廷料理ではなく、ネパール家庭料理です、つまり高くない所ということ。昨日行った<レッサム フィリリ>は、2度目です。高輪で、ちょっと遠い(品川駅から徒歩10分)ですが、美味しいですね。ネパールから来た人も、美味しいと。つまり現地の味に近いということでしょう。

*下の方の手書きは、ユウミちゃんの名前です。

娘=赤ちゃんの写真を見せてくれました。今、7ヶ月です。ネパール・ポカラに連れ帰るのは、ちょっと早いんじゃない? 成田>香港>カトマンズ>ポカラと24時間近くでしょうか。 無事に着きました、と電話があったそうです。

日本で生まれても、日本国籍はありません。それが、日本です。
名前は、<ユウミ>。優美ちゃんです。<ゆうみ>。ネパールでは、考えられない名だそうです。

ネパールから来ている知人が、<今働きすぎているから・・・・・・>、<日本での永住権をとろうと思っています>という話が出ました。
<技術を体得したら、帰るんじゃないの?>、<ネパールに帰りたくないの?>、<国費留学生なんだから、帰ってネパールに貢献することを期待されているにじゃあないの>と、私は、たたみかけます。

日本に来て10年ほどの、まだ若者です。悩みもありましょうし、確固とした意思を固めているわけではないでしょう。日本語に不自由はしませんが、細かい表現はできないかもしれません。

<ネパールより、日本がいい>に対して、日本人の私ですが、素直に喜べないのです。
ネパールに帰っても、自分の力を発揮できる場がない、と言っているようです。道路・通信・電気・水・・・・インフラ整備ができていないと言う発展途上国の問題ではないな、と感じました。
ネパールは、多民族国家です。ヒンズー、仏教他、宗教の問題、そして、厳然とある階層・階級社会です。ネパール国全体が、<一致団結して前進していく>、その一致団結がかなわない、と言っているようです。

*右;2008年4月10日王制廃止を正式に決める制憲議会選挙投票日の朝日新聞、左;4月23日の朝日新聞。その後は、チベット情勢、ミャンマー・サイクロン、中国四川省大地震、の大きな記事に埋まれ、ネパールの記事は消えてしまったようです。

インドの圧力を感じているようにも思いました。ヒマラヤの北側、チベットは、中国の統治下、いや中国そのものです。ヒマラヤの南側、ネパール王国は、そのまま下って、インドに続きます。そして、今まさに、ネパール王制が崩れ去る、真っ最中なのです。
自分の国の将来、国を出ているうちに変わってしまった祖国の変貌に、どう自分の未来を対応していくべきか、苦慮しているのでしょう。

  【おまけ】

*もう一致団結はありえませんが、ほぼ一民族、ほぼ一宗教(というより多神教)の国に、のほほんと暮らす、日本人、いや私には、正解を書くことはできませんが、それでも思います・・・・・、それは、また別の日に。


5月25日(日)に春日部・正風館でプチ・バレリーナ・コンサート(2008.5.13)

2008-05-13 20:12:39 | Weblog

*バレエ・コンサートらしい、とてもきれいなプログラム

プチ・バレリーナの尾崎さんから、コンサートのプログラムが、“いらして下さい”とのメッセージと一緒に届きました。

春日部市庄和地区で、子どもたちのバレエ・サークル(プチ・バレリーナ)主宰する尾崎さんは、ここ7,8年町民のおまつり、正風館まつりを盛り上げる役割りを一緒にやってきた知人のひとりです。

この正風館まつり、一番の人気は、子どもたちのステージです。
子どもたちが出演するバレエのプチ・バレリーナ、ジャズダンスのCHIBIXらには、私らおとなのジャズバンド、スウィング・ベアーズもかないません。

プチ・バレリーナが、バレエ・コンサートを開きます。ぜひお出かけ下さい。
日時;2008年5月25日(日)開場;午後4時、開演;4時30分
会場;春日部市庄和地区 正風館(東武野田線 南桜井駅下車 徒歩10分)
入場無料

*プログラムの出演者のページです。

プログラムをめくってみました。ずらりと並んだ出演者に、少々驚きました。
主宰する尾崎さんは、この町で、子どもたちにバレエの指導を続けてきました。
その地道な活動が花を咲かせたコンサートなのだ、と感じたのです。

私にも、バレエの舞台に行ってみようと思う、気持ちがでてきます。
のんびりと、ほんとに可愛い、美しいステージをひととき楽しめる気分、時間を作りたいと思うのです。

   【おまけ】

*お母さん、いや女性にとって、バレエは、<いくつになっても>憧れなんですよ、と知人。プチ・バレリーナの活動のお問い合わせは、尾崎睦さん(080-1003-4828)


ミシシッピとフォークナーの世界に大先輩の足跡(2008.5.12)

2008-05-12 15:54:00 | Weblog

5月5日のことだから一週間前です。その昔に、私がやっていた仕事の大先輩Hさんをお宅に訪ねました。半日も居座って、とてもいい時間を過ごすことができました。
いったん人生をリセットした私にとっては、この後の生き方(行き方)の教示をえたように感じたのです。

ちょっと前のブログに、お土産にした庄和町のダルトワの<大凧マークのお芋のお菓子>のこと書きました。その日夕刻、大先輩のお宅からの帰りに、お土産をいただきました。<川越のお芋のお菓子>でした。

さつまいもは、川越市にかないません。自力で<さつまいも博物館>をやっている方とは、川越高校(旧制中学かも)以来の親友とのことです。川越では、<紅赤(いも)百年を祝う集い>も開催され、研究、再栽培、お菓子化などで盛り上がったとのことです。<紅赤いも>は、日本に、さつまいもが入った明治の頃の、関東で主流だった原品種です。

大先輩とは、同じ部課にいたわけではありません。20年以上の間、ときどき起こる国際関連のプロジェクトで、いつもご一緒になったのです。とにかく英語が達者な方でした。先輩が一緒の時、私が英語で口を開くのが恥ずかしくて、いやなほど達者なのです。
戦後すぐの時代に、東京近くの少年が持った英語への特別な思いは、今、私にもわかるように思います。そこから始まった英語なのです。

*黄色い背表紙が、ウィーリー・モーリスの“ニューヨーク・ディズ”

一緒の仕事に関わりながら、先輩に別の世界があったことについて、ほとんど知りませんでした。退社されるちょっと前に始めて知ったのです。
それは、先輩が、ウィリアム フォークナー(William Faulkner)の研究者だったことです。ただの愛好家でなく在野の研究者なのです。フォークナーは、ノーベル賞作家です。アメリカ南部・深南部の世界を展開する文学です。
アメリカ南部に関心を持つ私ですが、何ひとつ読んでいません。

ミシシッピ州オックスフォードは、フォークナーのゆかりの地で、毎年、夏には、フォークナー・コンファレンス(Faulkner Conference)、いわばフォークナー学会の研究会が開かれます。先輩はさいさい参加されていたようです。1997年には、“長野のフォークナー(Faulkner in Nagano)”と題した講演を行ったと聞きました。

フォークナーは、1955年に、日本に2週間滞在し、長野では日米文化セミナーの講師をされたのです。会場は、長野市の善光寺のすぐ近くの旅館・五明館です。先輩は、後になって、五明館の女将の取材なども交え、“長野でのフォークナー”についてまとめられたのです。

最近、昨年12月だったか、日本ウィリアム・フォークナー協会がフォークナー事典を刊行しました。多くの大学の先生ら研究者が執筆されています。

*フォークナー事典(日本ウィリアム・フォークナー協会編、松柏社、2008年1月発行)

アメリカ南部のお話は、どれも興味深いものでした。
そして、今まで出会った人との、その後を大事にされ、時が経っても、遠く離れても、つながりを持続されていることに感銘を受けました。

お話した応接間に、ちょっと魅かれる絵がありました。
“William Dunlap(の絵)”ですよ、と。もちろん知らない画家です。見入っていると、こんな本がありますよ、と。ミシシッピ出身のWilliam Dunlap(ウィリアム ダンラップ)が、親友のWillie Morris(ウィリー モリス)のエッセイに触発されて絵を描いた、画文集<Homecomings>でした。
扉に、先輩への二人の各々のメッセージが入っていました。
モーリス もよく知りません。1960年代のアメリカで、前進的な発言、行動をした作家です。

*Homecomingsの扉に、先輩へのメッセージがありました。

*右;Homecomings、左;ソウル トウ ソウル(朝日新聞社、1995年発行)

別の一冊。“Soul to Soul” わたしは、黒い肌のロシア人=エレーナ ハング”。原題は、A story of Black Russian American Family(1865~1995)、ブラック・ロシアン・アメリカン・ファミリーです。1800年代後半、アメリカからロシアに移住した黒人一家の話です。
そのお孫さんでしょうか、エレーナ ハング(Elena Khanga)という若い女性が訪米したおり、望郷、いや祖先の地アメリカ南部を訪ねたいとの思いを実現しましました。その手助けをしたのが、ウィリー モリスなのです。
むろん、私は読んでいませんが、感動の記録でしょう。

 “翻訳したのは、エレーナ・ハングの知人、大原悦子さんです。よく知っているでしょう、あの大原**さんの娘さんですよ”、と先輩。

こんな風に、先輩の知人がつぎつぎと連鎖していくのです。お話はつきません。
“オモテに見せる(見ていた)世界と別の世界、二つの世界を同時に生きてこられた先輩の人生には、感じることがたくさんあったのです。

ブログには、オモテの話が書けないのです。それは、私の場合も同じです。

  【おまけ】

*江戸から川越に続く旧街道近く、造り酒屋だったというお宅の庭は広く、桜はもう終って、つつじの盛りを迎えつつありました。
昨年夏、庭に狸が出ましたというメールをいただいたこともあるのですが、さもありなんと思ったのです。


日本山岳会のエドモンド・ヒラリー卿の追悼行事に(2008.5.11)

2008-05-11 00:19:44 | Weblog

*質問に答える田部井淳子さん

昨日(5月10日)夕刻、エドモンド・ヒラリーを追悼する講演と映画の集まりがあったので出かけました。1953年、初めてエベレスト登頂に成功したイギリス隊の記録映画を見たいと思ったのです。
その時の登頂者が、ニュージーランドのエドモンド・ヒラリー(33歳)とネパール人シェルパのテンジン・ノルゲイ(39歳)です。

今年の1月に、エドモンド・ヒラリーが亡くなったときに、追悼気分でブログを書いています。<ここです>

はじめに、ニュージーランド大使が立ち、ヒラリー卿の葬儀の模様、ニュージーランド国民の思いを話された。

*エドモンド・ヒラリー卿の棺

そして、女性初の登頂者である田部井淳子さんの講演です。田部井さんは1975年です。39人目の登頂者です。<1300日準備して、130日歩いて、頂上は一瞬だった>、<15トンの荷物を600人のポーターで運んだ>、そして<エベレストをやろうという意思が貴重だったのです>と結ばれた。ヒラリー卿は190cm、私(田部井)は150cmの身長ですとも話されました。

会場は、ぎっしり満員。女性もかなりいます。若い人はほとんどいません。それが今の、山に登っている状況、ネパールを歩いている状況を表しています。若い人はいないのです。

映画の前に、司会者が、<エベレストに登った人は、手をあげて下さい>とたずねました。4,5人の人が手が上がったようです。
私に、エベレスト(チョモランマ)登山隊に参加して100日ほどベースキャンプにいた知人もいるのですが、こういう<普通の会場>で、登頂者が4、5人もいるとなると、私の気分は沈んでしまいます。
子どものころから、かなうはずはないと思っていた<夢>のエベレスト登頂も、今から思えば、やれる方法があったかもしれないな、とシンミリ思いました。深い深い後悔です。もう取り返しのつかない人生の失敗!!です。もうだめだなあ。

そうして、イギリス隊のエベレスト初征服の映画が始まったのです。断片的にかもしれませんが、過去にみたことのあるようなシーンが続くことも合って、うつらうつらしながら見ていました。
気がつくと、エドモンド・ヒラリーがエベレスト頂上に立っている<いつもの写真>がスクリーンに映されていました。

*私は、ここまでです。

私が、エベレストを見に行った話は、ほんの少しだけ、このブログに書いています。<ここです>

  【おまけ】

* 北京オリンピックの聖火がエベレスト登頂したと5月8日の夕刊で報道されました。会場には、前の日(5月9日)朝日新聞に<エベレストは誰のもの>と題するコラムを載せた近藤記者の姿もありました。

* この日の映画『エベレスト征服』は、DVDで発売されているとのことです。3,800円です。


5月の連休中にもらった<木の下>という山菜と<トルコ>のお菓子(2008.5.10)

2008-05-10 14:49:59 | Weblog

*これが、美味しかった<木の下>です。

今日は、連休中にいただいた、ちょっと楽しかった“おみやげ”を紹介します。

1、<木の下>という名の山菜
連休のいつだったか、早朝に持ってきていただきました。前日、山野で採って来たのだそうです。
実は、知人Nさんに、<去年の今頃にいただいた、“木の下”はほんとに美味しかった>と、10日ほど前に話したのです。結果からして、催促したみたいになってしまったのです。とても嬉しかったけど、ちょっと、まずかった、でしょうね。

夕食に、即、全部食べました。軽くゆで、お醤油をかけるだけです。どんな風に美味しいかは、書けません。が、ウチの息子の話です。息子は、肉より生野菜大好き青年です。大きなお皿大盛りの生野菜が平気なのです。
わが家の日常に、食事中の団らんの会話はありません。とてもサイレントな食事なのです。それがですね、食べ終わった<木の下>に、“これ何んだろう”になったのです。

<木の下>は、木下藤吉郎が好んだから<木の下>です。本名は、シドケ・モミジガサです。
そのあたりのことは、去年もらった時に、このブログに書いています。<ここです>

2、名前のわからないトルコのお菓子

*トルコ語のパッケージです。

連休の終わった日だったでしょうか、家人の知人のOさんが持ってきてくれました。
どうもトルコに出かけられたようなのです。いただいたお土産の箱を見つめても、何にも読めない、何にもわからない、唯一<TURKISH>の文字だけがトルコらしいのです。
お菓子ですから、あまく美味しいですが、ちょっとだけ不思議な世界が残りました。それがトルコなんでしょうね。トルコって、文化も、食べ物も、ちょっと想像できません。
私の口に入ったのは、なぜかひとつだけでした。

アメリカばかりを思わず、もっと違う所、全く知らない所に関心を持たねばいけないな、とお土産を食べながら思いました。

私は、アメリカ西部劇ファンだったのです。ジョン・フォードの西部劇にさいさい登場するモニュメント・バレーに行きたいな、ず~っと思ってきました。もう4,5年の前、Oさんの年賀状が、とてもきれいな モニュメント・バレーの版画、むろん自分の作品、だったのです。それで悔しがらせたのが、持ってきて下さったOさんなのです。

  【おまけ】

*わが家は、震度5に近い震度4だったでしょう。

*これも、連休中のお土産です。
わが町は、けっこう地震の多い町です。太平洋側から太平洋プレートが、日本列島、つまりわが家の下、に常に食い込んでくるため、小さな地震はしょっちゅうあります。
<ドーンときて、震源は千葉県西北部=つまりわが家の下>ということも何度かあります。
しかし、関東平野の真ん中は“のべ~と”した所で、活断層はありません。大きな地震はないと確信しています。

*地震なれしているわが町でも、この間、8日午前1時45分の地震には、驚かされました。ガタガタ、ぐらぐらと大きく長くゆれたので、ほんと、久しぶりに怖かったですね。寝入りばなでした。じっと耐えて、下の部屋におりてテレビをつけました。そして<大きな被害なし>を確認したあたりで、役所の<防災警報>が女性の声で、何かしゃべり始めたのです。

*夜中の<防災無線のアナウンス>なんて今まで聞いたことがありません。かえって大きな被害=怖さを覚えました。この警報、いつも、内容がよく聞きとれないのです。拡声器をずらせながら、何度もアナウンスを繰り返すのですが、<今回は1回、2回?>だったでしょう。何を言ったのかわかりませんでした。

*翌日、テレビや新聞が、<間に合わなかった緊急速報システム>と取り上げていました。町に流れた警報も、この速報システムに連動して、自動的に流れたのでしょうか。間に合ったとしても、聞き取れませんですね。拡声器の地理的位置を配慮して繰り返すことをやめた(誰かが途中で切った?)ようにも、思います。

  【ローカルの<よそ様の>ブログからの情報】

*知人Rikaさんの(!)ケーキ屋さん“シェ**”が、テレビ取材を受けたようです。放映日にはビデオをセットして待ちます。<詳しくはここに>


埼葛育ち元気組の<地球のステージ・八潮市>&本日発表<庄和図書館>設計図(2008.5.7)

2008-05-07 19:36:46 | Weblog


このブログは、ご近所コミュティ情報掲示板がスタート時の目的ですが、やたらと脱線して、<マイ・オタク>世界に入り込んでしまいます。今日は、少々たまっているローカル情報の一部をお知らせします。

(1) <地球のステージ>の上演を、この埼葛地域で展開している“埼葛育ち元気組”という名の集まりが、昨年の松伏町での公演大成功に続いて、やっていない所(?)、八潮市で開催します。公演がせまっています。
  日時;2008年5月17日(土)開場;5:30、開演:6:00~8:00
   会場;八潮市 八条中学校 体育館
  入場無料 (事前申し込みを希望しています;0480-33-6914)
  主催;地球のステージ実行委員会<埼葛育ち元気組>
  共催;八潮市PTA連合会

埼葛元気組の松伏町での地球のステージ公演の模様は、ブログに書きました。<ここです>
地球のステージのホームページは、<ここです>

*旧庄和町役場(現春日部市庄和総合支所)

(2) 旧庄和町役場(現庄和総合支所)の跡地(?)利用の全容が、本日(5月7日)に春日部市議さんたちに提示されるようです。
正確には、臨時市議会後の全員協議会で提示説明されるようなのです。 
むろん市民に広報されているわけではありません。ネットに流れている議員さんのブログにそう書いてあるわけです。春日部市の市政情報は、このブログが一番早く、丁寧で詳しいように思います。<このブログです・クリックして下さい>

旧庄和町役場の図書館化については、春日部市と庄和町の合併公約のひとつであったらしく、旧庄和町民の関心が高い課題です。
いわば春日部<本>市の市役所が、庄和町をどのようにみているかの試金石あるいはリトマス試験紙のように思うのです。
着実に行われてきたリークや市長発言からすると、図書館はどうも望めそうもありません。複合施設の一部に図書室があるということになるのでしょう。

基本計画が出た以上、もう変更はしないでしょう。議員さんたちが反対し“市民参加推進条例”のように、<継続審議>にすれば別ですが。
まだ読んでいません。とにかく一度読んで、このブログででも報告します。

さあ、市民レベルでそれを読むことはどうしたら、いいのでしょうか。
①春日部市役所のホームページからのダウンロード、たぶんできるでしょう。また②市民に行政資料を閲覧させる所、例えば、旧庄和町役場の受付裏の部屋、ちょっと入り難い部屋(現場での閲覧だけで持ち出せません)、をチェックしてみます。

少なくとも形の上では、市民に提示して市民の意見を聴くようなのです。知らなかったということは、通用しません。同意、OKしたことになります。
皆さん、発言していきましょう。
とはいっても、意見をどのような方法で表明したらいいのか知りません。

旧庄和町民にとって、総合公園・旧役場は、とても大事な<資源>なのです。この地域の未来に至る“悔いのない施設、使われ方にしたいと思うのです。
それが、今、決まりそうなのです。

   【お詫びして訂正 5月9日】

*旧庄和町役場の新利用計画は、議会に提示されたようです。ただ、これについて、市民の意見を聞く・・・・という事実はないらしいです。意見を言っていきましょう、と書いた、このブログの文章には間違いがあるわけです。お詫びして訂正します。

*・・・計画書を読んでいませんが、<庄和支所機能>+<児童館機能>+<図書館機能>を持つ複合施設のようです。


春日部大凧マラソンが終わり、お土産は大凧マーク入り芋菓子(2008.5.6)

2008-05-06 07:05:14 | Weblog

*左;ふるさとポテト(ダルトワ製)

昨日(5日)に、仕事の大先輩のお宅に伺いました。手土産のこと思ったのが前日(マラソンの終わった4日)の夕刻です。この町には、大きなデパートの地下も、名店街も名物もありません。

さて、と思案・・・。 “庄和町に住んでいることは知っておられるし、庄和町は、良くも悪くも、大凧しか売り物はありません。ちょうど大凧揚げの季節で、片隅コラムだけど全国紙も載せる年に一回の日です。
“これは、もう大凧印、大凧マーク入りのお菓子にするしかない”。 “どこにあったかなあ・・・・”

この頃、ケーキには、Rikaさんの“シェーヌ(春日部・ゆりのき橋)”しか浮かばないのですが、ずっと昔には、いや最近でも、孫の手を引いて安直にでかけるのが、南桜井駅前(北口)の“ダルトワ(Dartois)”です。
“ダルトワ”に寄ってみました。“大凧ポテト(ふるさとポテト)”と“大凧サブレー”がありました。少し詰め合わせてもらい。さし上げるのに食べたことのないものはいかんでしょうから、他にバラで5つ。なかなか美味しい。
お芋の形の埼玉県、その尻尾の所が庄和町です。

*開会式前に、庄和高校吹奏楽部の“負けないで”。

5月4日の大凧マラソンは、いいお天気になりました。ランナーにとっては、ちょっと暑くなるシーズン最後のレースとのことです。例年、4500人ほどのランナーが、今年は6763人でした。北海道5人、沖縄2人・・・遠方から来る人って、どういう人なんでしょうか。

*10時すぎにランナーはスタート。ここで、私らはちょっと練習、音あわせです。

私らスウィング・ベアーズの演奏は、ハーフマラソンのゴールするあたりからのお昼前です。お疲れ様でしたアトラクションです。
準備・待機・演奏・撤退とこのイベントは、役所の人、ボランティア応援の人、町のいろんな方との立ち話も楽しみです。偉い人、普通の人、いつもの人、お久しぶりの人などなど。
大凧マラソンも20年。もう完全に、町の行事、市民のイベントになっているのです。

  【おまけ】

*ほんとのおまけです。