作家の北杜夫さんが亡くなられた、“少年”“人工の星”を再読(2011.10.30)

2011-10-30 23:26:26 | Weblog

 *日経、朝日(2011年10月26日夕刊)の報道

 10月24日に作家の北杜夫さんが亡くなれた。新聞報道は10月26日の夕刊。84歳だった。

 北杜夫さんの本は、何冊かあるだろうと思い、ウチの書庫に入りました。4冊ありました。もう少しあったかもしれませんが、あまりはっきりしません。

 ワタシは本好きではありますが、小説はほとんど読んでいません。とはいっても、往復3時間の通勤電車の中では、必ず本を読んでいましたから、40年の総時間数を思えば、学者先生ほど読んでいたでしょう。

 

 北杜夫さん。ドクトルまんぼう航海記(1960年)、読んでいません。楡家の人びと(1964年)、読んでいませんが、テレビドラマ化され熱心に見ています。

 4冊でてきましたが、いずれも小説といっても短い、小説とエッセイの中間的な作品、要するに軽いお話ばかりでしょうか。しかも、買ったときの状況も覚えていません。

 決して影響を受けた、夢中だったという作家さんではありません。

*右の<どくとるマンボウ 青春記(昭和43年発行)>は、松本高校(現信州大学)時代のよき旧制高校生の話なのですが、買った読んだという記憶がほとんどありません。左の<少年(昭和45年発行)>は、ずっと後になって、古本屋の前の100円の箱から拾ってきたものです。<秘められた青春小説>と腰巻にあります。丁寧に読んだ覚えがあります。甘酸っぱい少年時代の感傷に浸れますが、中高年が、その時代を懐かしむ本です。

*左の<人工の星>は、昨年の春日部市立図書館の廃棄本の日に見つけた本です。<人工の星(昭和56年発行)>を探していた時期があって、<やっと見つけた気分>でした。右の<星のない航路(昭和44年)>は、全く記憶にありません。古本屋印もないし、図書館廃棄本でもないし、新刊で買ったのかなあ。パラパラめくっていて、わかりました。短編集で、<人工の星>が収録されていました。

 

 再び読んで見ようかと、思っていますが、どうでしょうか。

 

【おまけー10月31日朝】

*この頃、ベッドに入ってから、いつまでも本を読んでいることがなくなりました。しかし、早朝暗いうちに目が覚め、起き上がらず、そのまま本を読むことがあります。半分眠っているわけですから、同じ行を何度もよんだりします。

*今朝もです。北杜夫の<人工の星>読みながら、<白きたおやかな峰>があったなあ、と思い出したのです。私には、これが北杜夫の一番でした。昭和41年に発行です。ワタシが社会人になったのは、昭和39年(1964年)です。

*古本100円で買いました。

*その頃、20代の前半、かなうはずがないから、<ヒマラヤ>に行ってみたいと思っていました。<白きたおやかな峰>は、カラコルム遠征隊の同行記ですが、その頃に読んだわけではありません。

*今から10年ほど前、2000年ころ、仕事をやめた時、すなわち自由を取り戻した時に、すぐにネパールを一か月ほどさすらっていました。旅に出るとき、一冊本を持っていくのは私の習慣です。その時は、歩き回る旅でしたので、文庫本を一冊、<1960年代日記(小林信彦)>でした。終わってしまった人生を振り返るには、ぴったりの選択でした。

*小林信彦・60年代日記(1985年発行)。右;自分で買った文庫本(1990年発行)を持ってネパールに出かけました。左;ハードカバー本は、埼玉県立図書館(たぶん川越図書館が廃館になったとき)の廃棄本、「愛読者カード(ハガキ)」や出版目録がそのまま挟まっている。誰も借りていない新品で、そのまま廃棄です。

*トレッキング・ガイド泣かせのワタシの旅でした。つまり、歩かない=<山を見ながら、ぼーっと過ごす>という日程では、ガイドの用事はありません。数日、エベレストの玄関口、ナムチェバザールの小屋で過ごしたのです。10月の後半で、外は寒い。ストーブのまわりで、ずっと、本を読んでいました。

*<1960年代日記>の文庫本の1968年5月4日(土)晴れ、のところに、<「白きたおやかな峰」読了。予想よりずっと良く感動的。批評で黙殺されたのがフシギなり。ムダのない文章で、再読にたえ得る。北杜夫さんを支持しているのは、無言の大衆らしい>と。

*ヒマラヤを眺めながら、<白きたおやかな峰>を読みたいと、旅日記にメモしていました。

*旅から帰って、すぐに古本屋の100円の箱に見つけました。

 


ジャズデイ春日部2011秋(11月5日)の出演バンド、出演時間、決まる(2011.10.29)

2011-10-29 22:37:45 | Weblog

*プログラムが届きました。

 今日(10月29日)の私らスウィング・ベアーズの練習のおり、ジャズデイ春日部のプログラムが説明された。

 どのメディアよりも先行して、このブログが速報します。

 ワタシらスウィング・ベアーズは、いつものジャズデイの公園(メインステージ)の一番バッターです。12時10分から演奏します。

 ジャズデイ春日部2011秋は、11月5日です。

(1)メインステージ(中央第4公園=春日部駅西口 イトーヨーカ堂近く)

 スウィング・ベアーズ(春日部庄和)、オール・スウィング・ジャズ・オーケストラ(越谷)、ドリーム・スイング・キングダム(春日部)の“三役揃い踏み”になります。ご期待下さい。

 ♪プログラムは次のとおりです。

(2)第2会場はララガーデン隣の新しいビルの1階です。

 埼玉県東部地域振興ふれあい拠点施設1階の多目的ホールが正式名称です!!

 ジャズデイ春日部のゲストとしておなじみの、ピンク・ボンゴさんは、18時45分~20時15分、たっぷり演奏してもらえます。むろん、入場無料です。

*スウィング・ベアーズ、今日の練習風景です。演奏予定の9曲も決まっていますが、また後日、このブログでお知らせするつもりです。


春日部市市民活動センターいよいよ待望のオープン(2011.10.28)

2011-10-28 23:26:36 | Weblog

 

 今日、春日部市民活動センター・オープンを知らせるポスターを見ました。“いよいよオープンなんだ”と思いました。

 春日部にも市民活動センターを名乗る施設ができます。埼玉県には、とっくに県民活動センター(県民の呼称はケンカツ)があります。市には、市民活動センターです。

 春日部市には、男女共同参画推進センターが、90年代の男女共同参画推進が真っ盛りの時代にできました。今はもっぱら<ハーモニー春日部>と呼ばれているようで男女共同参画推進という施設の設置目的は忘れられそうです。

 市民活動のための施設ができたのです。

 *ここから新しい建物に入ります。

 春日部市民活動センターは、ララガーデン隣の建物の4階です。オープンは、11月14日(月)といわれています。オープンニング・イベントは、少し落ち着いてからの12月3日(土)~12月11日(日)のようです。

 建物・埼玉県東部地域振興ふれあい拠点施設(略称がほしいなあ)の開所式の終わった後に、市民活動センターを見せてもらっています。

 もう解禁のようですから写真を貼り付けます。

*4階の市民活動センターの美しい中庭。ここに、ぼーっと座って風を感じるだけにやって来たい。

*左;事務室。右に陽のあたる中庭を望みます。

*交流ミーティングスペース。予約不要で座れます。

*会議室から東武電車が見えます。

*階段を降ります。2階あたりです。コンボジャズ演奏にぴったりです。いや鉄道ファンの隠れた撮影スポットにもなりそうです。

 

【おまけ】 

*今日、初めてみた市民活動センターのオープンを市民に知らせるポスターです(武里東公民館で)


新聞ぐらい老眼鏡なしで読めますよ、朝日新聞がくれた新聞レンズ(2011.10.26)

2011-10-26 17:31:35 | Weblog

*右;この間もらった朝日新聞レンズ 左;20年ぐらい定期入れに入っているレンズ(辞典の付録)です。

 この間、新聞代を払ったら、いや、新聞代は銀行引き落としだから、領収書と一緒に<おまけ>が郵便受けに放り込まれていました。
 <新聞レンズ>と書かれています。科学的には<フレネルレンズ>という、薄いプラスチック製の虫めがねです。歳とって目が老化して、<新聞も読めなくなって>と確かに言います。でも、<新聞レンズ>をおまけにくれるなんてことは、聞いたことがありません。新聞社でなんでも先行する朝日新聞社です。他社も追随するでしょう。

 しかし<新聞レンズ>は、実用的でありません。役立ちません。まだ老眼鏡の世話にならない中堅社員の企画でしょう。まあ定期入れに入れておいたとしても使うことはありますまい。

 ここで詳しくは書きませんが、新聞の活字(フォント)は、この頃<実に大きくなって>います。ここ10年ぐらい、どんどん大きくなっています。昔の新聞のスクラップを読むと、驚くほど小さいのです。

 これも、朝日新聞が先行的に大きくし、他社が追随したのです。

 

 20年も前でしょうか。どこかの会社のノベルティ・グッズに、老眼対策に便利そうな、老眼グッズをもらいました。役立ちそうなのですが、結局は使いません。

*老眼対策グッズです。捨て難いですが、実は実用的ではありません。

 私は、新聞ぐらい、メガネなしで読めます。要するに、メガネをはずして読みます。私は、近眼メガネをはずせば読めます。境目のないレンズもいりません。この頃、メガネなしですから、子どもの頃のスタイルに戻ったのです。

 

 ずっとメガネなしで生きてきた人が、メガネのお世話になるようになるとわずらわしそうです。   私はメガネが不要になってきたのです。ただ、メガネをはずして、パソコンにむかうようになった頃、現役時代ですね。同じの社の娘たちにメガネをはずした顔をみられるのが、恥ずかしかった。まるで裸、ヌード・裸像をみられているようでいやでしたね。今は平気で街を歩きます。

 最近は、コンタクトレンズの時代です。老眼対応はどうするんでしょうかね。

 

【おまけ】

*日常メガネなしで暮らしていますが、クルマの運転は法律に従ってメガネをかけます。クルマに乗って出た時にメガネをはずした場合が大変です。ときどき、いや再々、メガネをどこに置いたか、わからなくなります。わからなくなったら、探しても探してもでてきません。

*そんな時に備えて、今では、クルマの中に別のメガネをいれています。


未来の春日部、中学生の描いた春日部の将来像に感動(2011.10.24)

2011-10-24 19:41:33 | Weblog

 <夕日のきれいな春日部>

 春日部市の小学校5年生、中学校2年生の夏休みの宿題なのかもしれません。毎年、秋に春日部市内に展示されます。ここ2,3日は、庄和の正風館に展示されています。お気に入りの作品を、無断で紹介します。

 

♪夕日のきれいな春日部

 葛飾中学校 2年1組 岡崎涼花さん

<私は未来の春日部は、豊かで自然が多い春日部がいいと思います。みんなで今ある自然を大切にしていきたいと思ったからです。自然が多ければ、心も落ちついた気分になります。このように、私はみんなで自然を守り続けたい。気持ちのよい春日部にしたいと思っています> 

*<50年後の春日部>;この川は江戸川です。

♪50年後の春日部

 緑中学校 2年1組 湯川卓真さん

<この作品は五十年後の春日部です。鳥の目線から想像して書きました。中央にそびえるエレベーターは、宇宙までのびている高い塔です。エレベーターの上のマークは、その目的に合わせています。横には江戸川が流れています。未来の自動車はタイヤもなく排気ガスも出しません。環境にやさしいです>

*<全国一きれいな川>;この川は古利根川です。

♪全国一きれいな川  東中学校 2年1組 油木大輔さん

 

【おまけ】

*毎年、子どもたちの<春日部の未来>を描いた作品の展覧会を見てきました。例年、子どもたちの夢でしょうか、SF、空想世界が並んでいました。今年も、小学生の色鮮やかな夢が見事な作品として並んでいます。しかし今年は、中学生の現実を描いた作品が目をひきます。見事な夢の大きさという意味では、小学生にはかないません。しかし、中学生の作品は、自分の気持ちの表現です。現実を踏まえた感情で描いたのだと感じました。未来というより、明日の春日部への希望を描いているのです。


ワタシのまわりに“ベイビー ハズ カム”が続いています(2011.10.23)

2011-10-23 18:14:49 | Weblog

 *4月4日生まれ。
 昨日(10月23日)突然、春日部・庄和から大分県豊後高田に行って世帯を持って農家をやっている、ひろこさんが赤ん坊を抱いてやってきました。一晴くん、ひろこさんの腕の中からはみ出しそうな元気さでした。
*6か月の成長は、こんな感じです。
 このブログでも、登場したことのあるひろこさんです。
http://blog.goo.ne.jp/geibunkyou/d/20101006

 ほんの少しだけお話しました。
 <放射能汚染の野菜・・・九州でも話題になっているの?>、<わたしとこの子は、牛肉は、食べないようにしていますよ>。
 ひろこさんの畑の有機・無農薬の野菜は、2つのスーパーの棚に並んでいるそうです。<ヤオコーに、地元産の野菜コーナーがあるでしょう、あれと同じです>と。ひろこさんは、毎朝、野菜を並べに出かけ、売れ残っていた野菜を持ち帰るのだそうです。<値札は、わたしがつけますよ>。
 そうか、ヤオコーに出かけたら、地元の野菜棚の野菜を買わねばいかんなあ。ひろこさんのガンバリを思いながら買うと、九州に伝わるかもしれません。

 ♪次です。10月12日生まれ。
*Rさん自身がブログに登場することはまずありません。レアな一枚です。無断使用です。
 同じ庄和に住むブロガーのRさん。ケーキ屋さん話題でこのブログでも登場していました。Rさんのブログをほぼ毎日チェックしています。今やブログというほそい糸でつながっているだけです。
 1
週間ほど前に、突然メールが届きました。<孫が生まれました。名前はまだ決まっていません>というものでした。<え、おばあちゃん!>と思いながら、ブログ発表前で、ちょっとうれしいお知らせでした。
 今は、光生くんと名前も決まって、じゃんじゃん、ブログに登場しています。1か月ぐらい実家Rさんのウチにいるそうです。<嬉しい大役>とRさん。

 ♪次です。9月16日生まれ

*最初の一枚でしょうか。無断使用です。
 マイミクのきぃさんに、男の子が誕生です。このブログに、たまに<きぃさん>の名でコメントをくれる人です。今年のお正月に、ウチに来た年賀状ベスト・ワンに輝いた人です。正確には家人宛の賀状です。
*このとき、実はハッピーだったのです。
 たぶん産院で書いたミクシーには、お祝いの書き込みがいっぱい届いていました。きぃさん、その後どうですか? パソコンを開く余裕もないかなあ。今は、待ちに待った一耶くんに全力投球でしょう。

 ♪次です。8月20日生まれ。
 ワタシのブログを毎日みている人です。*翌日8月21日に撮影。
 
ウチの娘に3人目です。女の子、千夏です。

 夏休みの終わるまで一週間ほど実家に帰ってきました。朝6時ごろの風景。これが生活です。大所帯の暮らしもいいなと思っています。
もうちょっと美しい写真にすべきだったでしょうか。いやいや、これもけっこう美しい、ですね。
 


青春のバイク・ヤマハTWがレッドバロン春日部にひきとられていった(2011.10.23)

2011-10-23 09:11:04 | Weblog

*これが見納めのTW(ティーダブ)です。

 ワタシの青春ではありません。ウチの息子の青春のバイクです。

 しばらくウチのガレージに肩身狭くあったのですが、<もう、いいかな>との息子の決断です。

 先日(10月21日)、レッドバロン春日部に交渉にでかけました。12年前に19歳の息子と出かけたのと同じレッドバロン春日部です。高速疾走タイプを思っていた息子と、山中トレイル型を思っていたワタシの間で、バイク機種決定の決断ができません。

 そして、ふたりがいいねと、うなづいたのが、ヤマハのTW200でした。

 

 後に、テレビドラマ<ロング・バケーション>で、キムタクが乗っていたバイクです。

 それに200ccです。高速を走れて車検がない。改造カスタム化で大人気になるTW(ティータブ)です。

 息子が大学受験に失敗した春のことでした。

 

 翌年春には、横浜のアパートに持ち込みました。そして夏休みには、バイクとテントで北海道一周10日間。ワタシには、できなかった19歳の夏です。

 次の年の夏は、わが家のガレージでバイクのカスタム化(改造)に夢中でした。男の子OBのワタシもこういうことは嫌いじゃありません。親子の会話が続きました。

*明日からツーリングです。

 社会人になっても、突然ツーリング行ってくると、東北だ、信州だと出かけていました。テントはワタシが使っていたものです。“古いテントだね”とツーリング先で言われたらしい。テントとシュラフ(寝袋)があれば、いつでも、どこへでも行けます。風を直接を感じながら走ります。

 

【おまけ】

*最後の日の朝。

*昨日(10月22日)が、レッドバロン春日部からのバイクをひきとり日です。朝から、ガレージ奥から改造のために取り外した純正パーツやゴミなどなど・・・ひっぱりだして並べて待ちます。

*若いにいちゃんがやってきました。ほんとにバイク好きの感じがする好青年でした。<ウチの親からも片付けろと言われているんですよ>と。<好きなバイクの仕事ができて良かったね>とワタシ。<う~~ん、そうだったのかな~>の返事でした。

*ガレージが、ぐんと広くなりました。ワタシも駐車に苦労がなくなりました。生活クラブ生協の荷受け場にもゆったり使えます。

*一番さっそうとしていた時代かな。

*ダンシャリを家族みなに迫っていた家人さん=息子の母、が<なんか、さびしいね・・・>と。


中国では緑色の帽子は不倫のこと、緑色行動、緑色革命って何(中国西域放浪15)(2011.10.18)

2011-10-18 16:01:39 | Weblog

 *左;ジャズデイ春日部でもらって、演奏中にかぶっていた緑色の帽子。右;砂漠植林ボランティアでもらた帽子。

 中国のことは知らないことばかりです。9月の中国西域の旅では、ずっと中国人ガイドの王文虎さんと一緒でした。このガイドさんは、地球の歩き方、西安・シルクロード編の執筆もされるほどの博識さんです。長い沙漠のバス旅では、しゃべりっぱなしでした。

 <皆さん、不倫って、中国でなんというか知っていますか>。

 <緑色の帽子>といいます。<あの人、不倫しているは、あの人、緑色の帽子です>

 

 先日、ネットで<緑色の帽子>で検索してみました。出てくる出てくる、その通りでした。ぜひ、検索してみて下さい。

 

 今回の中国西域の旅の目的は、中国沙漠への緑化、植樹ボランティアです。

 中国側スタッフと、はじめて顔をあわせた9月12日の昼食のとき、作業用帽子、記念のピンバッチをもらいました。

 <帽子は真っ白でした>、緑化だからと、グリーンの帽子だったら<私は不倫>になるわけです。

 ところで、女性が緑の帽子を男性にかぶらせるのは、<わたしは、フリー>の意味もあるらしい。

*記念にもらったピンバッジ<地球家園 緑色行動>いい言葉です。

*この<緑色行動>のモニュメントの向こう側で砂漠緑化活動が行われています。

 <緑化行動>って、ちょっと変・・?どういう意味?

 

 なぜ、緑色なの?の答えも、ネットには出てきますが、ワタシの知人が言った<萌えいずる新緑の芽だから>に、納得しました。春芽吹きの季節です。

 

 新緑、緑、いい色です。新鮮な色です。

 このごろ、グリーン・ニューディールとか、日本版グリーン・ニューディールとか出てきます。

 グリーン、緑って、どんな意味があるのでしょう。

 

【おまけ】

*若かったころ読んでいた本、もう捨てなければ。

*昔、1970年代、ワタシがヒッピーだったころ、いや日曜にヒッピーだったころ、アメリカの若者世代によく読まれていた本に<The Greening of America>があって、ワタシも、その翻訳<緑色革命><アメリカの緑色革命>を読んでいました。

*今朝、このブログのためにホコリを払いながらめくってみました。著者のチャールズ・A・ダイク(Chales A.Reich)が、こう語っています。

<だれもが、このアメリカを途方もなく富裕な国と考えているが、いっぽう、どうしようもないほど貧しい国――人類の歴史を通じ、富として大切にはぐくまれてきたものが、大半、貧困化した国――だと認識しはじめている>と。

*訳者(邦高忠二さん)は、こう続けています。<アメリカ現在のような危機の状況にたちいったのは、どんないきさつによってであろうか、危機に対応して新しい世代の意識には、どんな変化が起こったのであろうか、また、それらの危機状況や意識の変革は、今後どのような方向に向かうのであろうか>

*これは、今のことではありません。1970年代はじめのことです。私らが若かった時代のことです。

*最近の新聞報道によると、アメリカ、ニューヨーク・ウォール・ストリートの若者らのデモ行進、集会、(最近は、反格差行動というらしい)が続き、全世界80か国で呼応する動きが始まっているようです。その昔の米国での公民権運動、反戦運動のうねりを思い出します。70年代初頭も、現代も変わらないのです。

*昨日(10月17日)、春日部・ララガーデンの本屋さんに、時間つぶしに寄って新聞書評に載っていた<グリーン革命>という名の本を探していました。著者は、トーマス・フリードマンで、原書の題名は<温暖化、フラット化、人口過密化>です。これに出版社は<グリーン革命>のタイトルをつけたのです。日本人は、ワタシも<緑色革命>、<グリーン革命>の言葉が好きなのでしょう。緑色がつくだけで、未来への希望を感じるのです。


春日部・ララガーデン横のきれいな建物で開所式、お昼すぎに行ってみた(2011.10.17)

2011-10-17 21:52:31 | Weblog

 *長い名前に、英文表記もあります。イースタン・サイタマ・レジオナル・デベロップメント・センター です。

 今日(10月17日)に、埼玉県東部地域振興ふれあい拠点施設の開所式があると聞いていました。

 お昼頃に出かけてみました。くす玉が割れていて、ハレの開所式の後のざわつきが漂っています。

 建物の壁?全体が大きく開いていて、中が丸見えでした。埼玉県警音楽隊が歌謡曲を演奏しています。

 入ってみました。

 まるで巨大なガレージ、大きな倉庫のようです。荷物満載の大型トラックがそのまま入ることができそうです。

*開所式の余韻。

*壁が全部開いています。向こうに東武鉄道の電車が走ります。

 1000人の多目的ホールと聞いていましたが、予想がまるで外れました。巨大な空間です。この空間が仕切りによって、どのようにも変わり、多目的に使えることになるようです。

 23年前の計画がようやく実現です。大宮のソニックシティのような施設といわれていました。そのころ知人らが<市民の要望?希望>をとりまとめていたことを思い出して、少々ハイな気分でした。

 春日部市の新しい施設、確かな目玉スポットの誕生です。

 

【おまけ】

*秋だから金木犀です。

*中に入ったら、記念品?らしい植木を一本いただきました。金木犀の苗木です。ビニール袋の中に、パンフレットが入っていて、<お願い;木を植えたら知らせてください>と書いてありました。埼玉県の<1人1本植樹運動>に連動したおみやげです。


今日10月16日(1964年)は中国が原爆実験の日(中国西域放浪14)(2011.10.16)

2011-10-16 23:17:12 | Weblog

*砂漠に風力発電施設群

 今朝もラジオ体操の後、いつものようにコーヒーを淹れていたら、ラジオが<今日は、1964年中国が原爆実験を行った日です。新彊ウイグル自治区のタクラマカン砂漠で、世界で5番目の原子爆弾保有国になりました>とアナウンスしていました。

 1964年=昭和39年の10月は、日本は東京オリンピックに湧いていた時です。その年は、ワタシが社会人入りした年です。

 

 この間の9月に中国西域を旅しました。シルクロードをもっと西へ行きたいと見つめた先がタクラマカン砂漠です。そのどこかに原爆実験場があるのです。

*右端の蘭州から敦煌に走りました。その西にタクマクラン砂漠。

*衛星写真。右端に敦煌(赤印)。左に広がるタクマクラン砂漠。シルクロードは、砂漠の北ふち=天山北路と南ふち=天山南路に分かれます。

 東京から西安に飛んで、蘭州からバスで西へ西へ、沙漠、荒野を走ってきました。とてつもなく広い不毛の(ように見えた)荒地が続いていました。

 しかし、酒泉を越えたあたりだったでしょうか。突然の壮大な風車群、風力発電施設群が現われます。

 日本の海岸にあるポツンとある孤独な風車ではありません。見渡す限りいっぱいの風力発電施設です。酒泉には、衛星打ち上げ場もあるようです。

*風力発電施設

*太陽光発電施設。走るバスの車窓から、その圧倒的な数がうまく撮れません。

 敦煌を抜けた所では、砂漠いっぱいのソーラーパネル群、太陽光発電施設です。おそらく、これらはヨーロッパ(ドイツかな)の支援でしょうか。

 この国の広さ、日本との桁違いの広さ、そして手つかずの広さに、中国の底知れなく秘めているパワー、それに畏怖にも似たパワーを覚えていました。

 

【おまけ】

*天安門;毛沢東の肖像の左は<中華人民共和国万歳>、右には<世界人民大団結万歳>です。

*1964年、東京オリンピックの真最中の10月16日の中国初の原爆実験成功。その前日10月15日のソ連のフルシチョフが失脚直後とのことです。資本主義と共産主義の対立、冷戦のさなか、同時に中国とソ連の対立の時代でした。

*中国は、毛沢東が中華人民共和国の共産主義体制を確立。そして1958年~62年にかけて、その体制が、中国に4000万人ともいわれている餓死者を出したと言われる頃です。そして毛沢東自身が心の闇に追い込まれ実行した文化大革命が迫っている時代のことです。その時代から変わらず一党独裁が続いています。そして今、急速に市場経済社会に移行しています。いささか矛盾するように思うのですが、中国国民が日々どう生活しているのかよく知りません。


お買物では口を開きたくない。話さない方が気楽だ(中国西域放浪13)(2011.10.15)

2011-10-15 11:53:51 | Weblog

 *敦煌の夜市でお土産を買います。

 9月中旬に10日程、中国西域の旅をしました。小団体旅行です。一般に旅行会社のレディメードのツアーには、買物スポットに案内されることが多くてウンザリのようです。今回の旅は、オーダーメード。お買物チャンスは、全くありません。街をふらふら歩くこともできませんし、観光スポットの売店で物色する時間もありません。

 私もそうですが、皆さん出発前から、周辺に旅することが知れ渡っているようで、少しでもお土産を買わねば・・・と気持ちが焦ります。

(出発前に、旅行会社から<買ってきたような顔のできる>日本で買えるお土産のカタログが届いていました)

 

 それでも、旅の最終盤、敦煌のホテルは連泊です。夜に街にでる時間がありました。<夜市>に行きましょう。たぶん観光夜市でしょう。

 案内してくれるガイドから、<値札がついていません>、<値切って買って下さい>と注意を受けていました。売り手は、毎日やっているプロです。買い手は、素人。値切ることになれていない、お人よしの日本人観光客です。やかましく日本語で呼びかけるのに、値切りへの返事をせず、日本語がわからない風を装います。こちらには、お土産を買わねば、の焦りもあります。勝負は初めからついています。

 

 中国人同士が、日常生活で値切りながら買物をしているのか、どうかわかりません。

 ガイドが、スーパーマーケットに案内してくれました。値札がついていました。黙ってレジに差し出せば、買物ができました。私に用はありませんが、お酒、茶葉、お菓子をたくさん買っている人もいました。(食の安全、安心できる・・?正真正銘の中国製品です)

 

【おまけ】

*ワタシが買った骨董品です。

*日本に帰って、ぼっーと過ごしていた時、<高すぎたのかなあ・・・>と悔いを思っていました。その時に<値切って買うという>、<売り手と買い手の騙し合い>、ほんとうは商売の本質、大原則なのですが、いやだなあと思っていました。

*ワタシのように、気が弱く、口べたで、お人よしには、買うにしても売るにしても商売は、不向きです。口八丁、手八丁の**さんのようには生きていけません。

*ワタシの周辺では、近頃やたらと地域のコミュニケーションが話題です。今、買物で口を開かなくなったことが、現代社会の孤独を生んだと、大学の学者先生は話されます。

*日常生活の買物で、店との会話=値切り交渉が必要なら、もう負け続けです。毎晩、落ち込みます。

*このブログにさいさい登場するスーパー・ヤオコーです。

*スーパーは楽です。コンビニは楽です。そこに、人と人との直接の口を開いての価格交渉はいりません。高かったら黙って出て行けばいいのです。話したくありません。

*町おこしというか、地域商店街の活性にガンバル知人もいます。ワタシ、地元の商店街で物を買いません。わが家の日常は、生活クラブ生協、さいたま生協の<グループ配達>に依存しています。買物より、むしろ散歩に行くのが、南桜井駅前のスーパー・ヤオコーです。もちろん時には買物もします。それにこの頃、ひんぱんに行くのが、ウチから徒歩30秒のコンビニ7-11です。買物に口を開く必要はありません。

*この頃コンビニ依存が目立ち、生活に文化が欠乏しているようで少々恥ずかしい。超近所のコンビニです。

*40年前、月5300円の安アパート暮らしだったころ、近くの市場で、おっちゃんに<たいしょー、今日はナニしまひょう、まけまっせ・・・>と呼びかけられるのは嫌だったなあ。いつも<エースコックのワンタンメンを箱単位=30袋>買っていた時代です。お金がなかったけど、まだ若さはあった時代です。


春日部・庄和は桜、桜川小学校、桜台商店街、にぎわいの街づくり(2011.10.15)

2011-10-13 19:33:28 | Weblog

*人にやさしい、環境にやさしい、評判のEM石けんです。13番桜の特別バージョンで使えないなあ。

 昨日(14日)、桜の花びらがついた石けんをもらいました。<もう少しきれいにしたかったのですがね>と、みゅーこさん。庄和でEM石けんといえば知らぬ人もいない人です。

 <13番桜ですよ>、<わかってます>

 桜川小学校の校庭の桜が、道路拡幅に伴って切り倒されそうになりました。

*今はなつかしの2年前の古新聞です。朝日新聞2009年4月10日付朝刊。

 市役所は、交差点になる一本だけ切り倒し、残り全部を歩道上に残す形の計画に変更したのです。

 1番から12番の桜は残ったのです。切り倒された桜の木が、13本目、13番桜なのです。

 

 南桜井北口道路(桜台商店街)の道路拡幅も順調に進んでいるようです。

*今日2011年10月14日撮影

 今日たまたま拡幅道路を見ながら桜川小学校あたりを歩きました。

 学校の塀に、学校から地域のみなさんへと、メッセージがぶら下がっていました。学校と地域の、いいつながりが感じられます。

 今週末1015日(土)には、さくらっ子まつりがあります。学校を開放してフリーマーケットもあるようです。

*協力:桜川小学校と。

 翌日の日曜日(16日)は、桜台商店街で、相撲取り、お相撲さんがやってきて、ちびっ子のぶつかり相撲体験、餅つき大会、ちゃんこ鍋のふるまい・・・子どもたちには楽しい一日になるでしょう。

 先週末は、桜川小学校の金管バンドも出演した桜台まつりがありました。商店街ににぎわいが戻ってきます。


春日部ララガーデンの隣りにきれいな建物が完成したので、さて(2011.10.12)

2011-10-12 14:35:39 | Weblog

 *ララガーデンの隣のきれいな建物(昨日10月11日撮影)

 このきれいな建物は(埼玉県)東部地区地域振興ふれあい拠点施設という長い名前です。完成の時には、ニックネームができると思っていたのですが、まだないようです。

 しばらくは<ララガーデンの隣りの建物>といわれるでしょう。

 今日(1012日)の新聞に折り込まれていた春日部商工会議所の会報誌を無断引用もしながら、この新しく出来上がったララガーデン隣の建物を探ってみました。新しい街にかわっていく、わくわくするような風景です。

*残り一週間の完成を急ぐ(10月11日に撮影)

 この建物の完成、お披露目(開所式?)は、1017日(月)のようです。昨日、この前を通ったら、最後の詰め作業でしょうか大勢の人が働いていました。開所式の朝までやっているんでしょう。

 

 春日部市の発表、広報かすかべ10月号によると、

6階;春日部市保健センター(1114日開所)

5階;県パスポートセンター春日部支所、他(1017日開所)

4階;春日部市市民活動センター(1114日開所)

3階;環境ギャラリー(一部)

2階;交流スペース(一部)

1階~3階;1,000人収容の多目的ホール

 市民がふらりと立ち寄れるのは、1017日から用事がなくてもいけるパスポートセンターへ行ってみることでしょうか。

 

 ここで行われる普通の市民も入れるイベントには・・・・、

♪115日(土)、オープン記念スペシャル・ジャズデイかすかべ(1530分~20時)

 いつもの公園が11時から1530分。はやめに終わって、夜はここになるようです。飲みながら公園のピクニック・ライブも楽しいのですが、屋内ホールできちっと座って聞くジャズもいいでしょう。演奏者の気持ちが全然違います。無料。

 

♪1112日(土)、オープニング記念・週末よしもと春日部お笑いまつり(開演;19時~)

*出演のお笑いタレントさん。ワタシにはお名前を聞いたことのない人たちです。ワタシ全く世間についていってません。・・・笑顔あふれる街でなく、わらいでなく<お笑いの街かすかべ>をめざします。入場料;3500円。

 

♪1118日(金)19日(土)20日(日)、伝統的工芸品イン春日部(10時~17時)

 

 11月初めには連日オープン記念の催し物がありそうですがよく知りません。秋は市内あちこちでイベントだらけ、春日部もにぎやかです。

*街中にあふれているチラシ。

 5階には、商工会議所の一部も移転し、県の創業支援施設もできます。一年発起して事業と思っている人には、ここに事務所が持てるなど支援が受けられます。

 

【おまけ】

*もう植栽も根づいています。

*市民が誰でも、いつ行ってもいい、座れる所がある市民活動センターが4階にできます。予約のいらない交流ミーティング・スペースもあります。1か月あとの、1114日からオープンです。

*市民活動センターのオープニングイベントは、123日(土)~1211日(日)です。市民活動センターの施設利用方法などの説明会は、1116日(水)17日(木)20日(日)1330分~(春日部市市民参加推進課への事前申し込みが必要)(広報かすかべ10月号から)


旅先中国で毎日書いた絵葉書が着いた日、中国郵便事情(中国西域放浪12)(2011.10.9)

2011-10-09 22:25:18 | Weblog

 *中国国内あちこちで書いた8枚の絵葉書は無事紛失せず配達されました。

 今日10月9日は、国際・郵便なんとかデーです。だから、今日は郵便、国際郵便のお話です。

 9月の中旬に10日ほど、中国西域をシルクロードの入り口を旅してきました。ワタシの習慣、趣味ですが、旅に出ると毎日、日記かわりに、留守家族宛に絵葉書を書きます。

 絵葉書を中国も沙漠エリアの敦煌で航空便で送り、日本につくのに何日かかると思いますか。

(毎朝、ホテルのフロントに頼んでいました)

 

 9月10日に西安で投函・・・9月22日に配達

 9月11日に蘭州で投函・・・9月26日に配達

 9月12日に武威で投函・・・9月26日に配達

 9月13日に武威(出さず)

 9月14日に嘉峪関で投函・・9月26日に配達

 9月15日に敦煌で投函・・・9月30日に配達

 9月16日に敦煌で投函・・・9月30日に配達

 9月17日に北京で投函・・・9月27日に配達

 北京でも10日、2週間かかっています。受け取りは埼玉県春日部市の自宅です。岡山県にはさらに23日多くかかったようです。

 これが今の国際郵便です。中国郵便事情でもあります。

 郵便の役割は、もうなくなっているのかもしれません。電話やメールの時代の今日、郵便を出す人はいないでしょう。それは、海外も国内も同じことです。

 

 それでも、ここ20年ほど旅先から絵葉書を送ってきたのです。現役時代、1か月ほどの海外出張をちょくちょくやっていたからです。望郷というほどのことはありませんが、出張、旅はたいていひとり、孤独だったのです。

 とはいっても実は、旅先で絵葉書を出すことは、けっこう面倒なのです。一人旅では、絵葉書を書く時間はいくらでもありますが、切手を買う、書いたハガキを投函する、つまりポストを見つける、ことがけっこうやっかいです。むろん、ビジネス出張で泊まるホテルでは、フロントに頼めます。車中泊もある貧乏旅行では、そうもいきません。

 第一、短い旅では、絵葉書が着く前に本人が帰っているという気恥ずかしさがあります。

 

 今回は、9日間の旅、しかも初めての中国です。8枚を留守宅に書き、別の知人に3枚書きました。

 今回は小団体旅行、しかも上級ホテルでしたが相部屋です。起床からスケジュールがびっちりで、ひとりになれる時間が全くなかったわけです。

 人前では、お手紙は書けません。

 最初のホテルで、20枚ほどの切手(航空便で4.5元)を買っていましたが、ゆっくり、しんみりと絵葉書を書く時間をもてず、メモ程度になって、受け取った家人が<情がない>という内容でした。

 もちろん、その地の絵葉書を送るのが必須ですが、絵葉書の一枚売りが見つからない。セット売りしかないのです。使わない絵葉書がたまるのも嫌です。

 しかたなく、何日も初日に買った西安の絵葉書セットを一枚ずつを送っていました。そのうち観光スポットの入場チケットの半券が絵葉書になっていて助かりました。今まで経験しなかったことです。

*観光スポットの入場券の半券が絵葉書になっています。右上は、切手まで印刷されています。80分(0.8元)で中国国内はこれで届くのでしょう。つまり入場券の発行が中国郵政(China Post)です。

 

 もちろん泊まったのが上級ホテルですから、ホテル自身の無料のPR絵葉書も使えます。それも面白いですが、この頃、ホテルの絵ハガキのサービスをやっているところが少ない。

 

【おまけ】

*建築家の宮脇壇さんは、泊まったホテルの部屋のようすを詳細にスケッチされていたようで、それが出版されていて、眺めているだけで楽しい。

 *<宮脇壇・旅の手帳>彰国社、2008年2月発行。亡くなられた後に娘さんの宮脇彩さんが、お父さんのノートや手帳から編集し出版したのです。この右のページは、ワタシも泊まった敦煌賓館。今回の旅の3つのホテルが登場します。左のページはラクダ。同じ所でワタシも乗りました。

*しかも、ホテル備え付けの便箋(レター用紙)にも描かれたようで、それも楽しい。むろん私にそんな能力はありませんが、ホテルの部屋の写真を必ず撮って、備え付けの便箋をもらってくることはできます。中国らしい、毛筆用の便箋もありました。

*持って帰っても、結局は何にも使いませんが。

*今回の中国の旅は、街をぶらぶら一人歩きができなかったので、郵便ポストを見たこともありません。日本国内なら、どこにでもありそうですが、実は、旅先=知らない地で、郵便ポストを見つけることは結構大変です。特に都会の街角にはありません。

 

【おまけー2】

*今回の旅には、パソコンを持参し旅先現地でこのブログを書こうと思っていました。現地のインターネット接続事情を感じるのもいいかなと思っていたのです。結局はやめたのですが、やめて正解でした。どのホテルも上級で部屋でネット接続OKでした。有料・無料いろいろでした。ただ団体旅行は、いたれりつくせりでしたが、そんな自由時間がなかったのです。


国立新美術館でジョージア・オキーフの絵そっくりのビスケットを買った(2011.10.8)

2011-10-08 22:00:55 | Weblog

*この美術展は2011年9月28日~12月12日 

 昨日(107日)午後に、東京・六本木で人に会う用事がありました。久しぶりのせっかくの東京だったので、早めにでかけて、国立新美術館で時間をつぶしたのです。

 たいして観たい美術展があったわけではありません。ただアメリカ好き少年だった私は、<モダン・アート・アメリカン>というタイトルと、ポスターのエドワード・ホッパーの絵にぐらっときたのです。

 一緒だった家人は、そのタイトルを見て<私はお茶飲んで待っている>と、去っていきました。

 フランス印象派の展覧会のように、わが家でみる新聞に大きく宣伝されることはありません。主催のひとつに読売新聞社の名前がありました。シルバー割引なしの1500円。平日のお昼ですいていました。

*この美術展で配れていた子ども向きの解説パンフレット。この種の美術展に子ども向きのパンフレットがあるのは珍しい。大人のワタシが丁寧に読みました。

 米国ワシントンDCにあるフィリップス・コレクションという名の美術館からの展示です。

 小ぶりの絵が多かったのですが、なかなかの美術展でした。むろん、私の知っている画家は少なかったのですが、こうして新しい画家さんの名を覚えるのです。

 タイトルの<モダン・アート、アメリカン>から予想していたものとは全く違っていましたが、<珠玉のフィリップス・コレクション>は、まぎれもない美術展でした。

*右;アーサー G.タヴの<赤い太陽>(1935年)、左;ワタシの好きな小野竹喬の<日本海>です。

 エドワード・ホッパーの絵は、ポスターに使われている<日曜日>(1926年)と、すっかり画風が違っていた<都会に近づく>(1946)の2枚。

 ジョージア・オーキフも好きなのですが、4枚ありました。ワタシの知ってるジョージア・オキーフとは全然違っています。それからグランマ・モーゼスが1枚(1944年)。好きでもなんでもないのですが、マーク・ロスコが小さい絵が一枚(1968年)。

 

 美術展だから写真は撮れないし、豪華カタログも買わないし、いつものように絵葉書を少し買って終了です。

 今、絵葉書買えばよかったと後悔しているのが、グランド・キャニオンを描いた抽象画、ヘレン・フランケンサーラーの<キャニオン>(1965年)。わけのわからない、どこがグランド・キャニオンなの?と思ったのですが。

*ジョージア・オキーフのこんな自然を描いた絵が好きでした。

*右;オキーフが描いた自然の官能とコメントが入っていますが、自然の官能ってなんでしょう。この絵ジョージア・オキーフの<葉の形(Patern of Leaves)>(1924年)から、作られたビスケットを売っていました。

 

 いつものように、出口の売店を楽しみました。

ジョージア・オキーフの絵の題材をそっくりビスケットにして売っていたので、買ってしまいました。500円です。アホみたいな話ですが、美味しかったのが救いです。

  すかさず、こんなビスケットを作って売り出す、アイデアというか商魂というか、面白く素晴らしい。

(品名;オキーフのビスコチート、製造者;TAKIBI BEKERRY、(有)ユニフレックス)