*日経、朝日(2011年10月26日夕刊)の報道
10月24日に作家の北杜夫さんが亡くなれた。新聞報道は10月26日の夕刊。84歳だった。
北杜夫さんの本は、何冊かあるだろうと思い、ウチの書庫に入りました。4冊ありました。もう少しあったかもしれませんが、あまりはっきりしません。
ワタシは本好きではありますが、小説はほとんど読んでいません。とはいっても、往復3時間の通勤電車の中では、必ず本を読んでいましたから、40年の総時間数を思えば、学者先生ほど読んでいたでしょう。
北杜夫さん。ドクトルまんぼう航海記(1960年)、読んでいません。楡家の人びと(1964年)、読んでいませんが、テレビドラマ化され熱心に見ています。
4冊でてきましたが、いずれも小説といっても短い、小説とエッセイの中間的な作品、要するに軽いお話ばかりでしょうか。しかも、買ったときの状況も覚えていません。
決して影響を受けた、夢中だったという作家さんではありません。
*右の<どくとるマンボウ 青春記(昭和43年発行)>は、松本高校(現信州大学)時代のよき旧制高校生の話なのですが、買った読んだという記憶がほとんどありません。左の<少年(昭和45年発行)>は、ずっと後になって、古本屋の前の100円の箱から拾ってきたものです。<秘められた青春小説>と腰巻にあります。丁寧に読んだ覚えがあります。甘酸っぱい少年時代の感傷に浸れますが、中高年が、その時代を懐かしむ本です。
*左の<人工の星>は、昨年の春日部市立図書館の廃棄本の日に見つけた本です。<人工の星(昭和56年発行)>を探していた時期があって、<やっと見つけた気分>でした。右の<星のない航路(昭和44年)>は、全く記憶にありません。古本屋印もないし、図書館廃棄本でもないし、新刊で買ったのかなあ。パラパラめくっていて、わかりました。短編集で、<人工の星>が収録されていました。
再び読んで見ようかと、思っていますが、どうでしょうか。
【おまけー10月31日朝】
*この頃、ベッドに入ってから、いつまでも本を読んでいることがなくなりました。しかし、早朝暗いうちに目が覚め、起き上がらず、そのまま本を読むことがあります。半分眠っているわけですから、同じ行を何度もよんだりします。
*今朝もです。北杜夫の<人工の星>読みながら、<白きたおやかな峰>があったなあ、と思い出したのです。私には、これが北杜夫の一番でした。昭和41年に発行です。ワタシが社会人になったのは、昭和39年(1964年)です。
*古本100円で買いました。
*その頃、20代の前半、かなうはずがないから、<ヒマラヤ>に行ってみたいと思っていました。<白きたおやかな峰>は、カラコルム遠征隊の同行記ですが、その頃に読んだわけではありません。
*今から10年ほど前、2000年ころ、仕事をやめた時、すなわち自由を取り戻した時に、すぐにネパールを一か月ほどさすらっていました。旅に出るとき、一冊本を持っていくのは私の習慣です。その時は、歩き回る旅でしたので、文庫本を一冊、<1960年代日記(小林信彦)>でした。終わってしまった人生を振り返るには、ぴったりの選択でした。
*小林信彦・60年代日記(1985年発行)。右;自分で買った文庫本(1990年発行)を持ってネパールに出かけました。左;ハードカバー本は、埼玉県立図書館(たぶん川越図書館が廃館になったとき)の廃棄本、「愛読者カード(ハガキ)」や出版目録がそのまま挟まっている。誰も借りていない新品で、そのまま廃棄です。
*トレッキング・ガイド泣かせのワタシの旅でした。つまり、歩かない=<山を見ながら、ぼーっと過ごす>という日程では、ガイドの用事はありません。数日、エベレストの玄関口、ナムチェバザールの小屋で過ごしたのです。10月の後半で、外は寒い。ストーブのまわりで、ずっと、本を読んでいました。
*<1960年代日記>の文庫本の1968年5月4日(土)晴れ、のところに、<「白きたおやかな峰」読了。予想よりずっと良く感動的。批評で黙殺されたのがフシギなり。ムダのない文章で、再読にたえ得る。北杜夫さんを支持しているのは、無言の大衆らしい>と。
*ヒマラヤを眺めながら、<白きたおやかな峰>を読みたいと、旅日記にメモしていました。
*旅から帰って、すぐに古本屋の100円の箱に見つけました。