野田市の興風会館で加賀美幸子さん、ラジオ深夜便のようにうつらうつら(2009.6.28)

2009-06-28 18:55:07 | Weblog

*野田市の興風会館です。

 このところ、週末は<忙しい>のです。昨日の土曜は、朝から晩まで4つの約束があって現役並みでした。おかげで、今日の日曜日は何にもなし、久しぶりの<日曜>だと思っていたら、そのことに気づいた家人が<今日は空いてるねえ>と朝一番。 出かけようと思っていたことを飲み込んで、<ああ>と答えてしまったのです。

 加賀美幸子さんの講演会が隣町・野田市であるというのです。 講演は、野田市の興風会館という<大正時代>風なレトロな会館で2時に開演です。

 興風会館で、いつも思い出すのは、宮沢賢治の<セロ引きのゴーシュ>のゴーシュの音楽会の会場です。とてもいい雰囲気の、野田市の文化の伝統を感じる会場です。
 会場は、さあ何人収容でしょう。せり出した2階席もあります。イスもオールド・スタイル。ステージのバック・左右にエンジ色のビロード(たぶん)の幕がまたいいのです。
 入場料1000円。いっぱいのお客さんで、ふたつ続きの席がなかなか見つかりません。


 いつもと同じ、テレビと同じ、加賀美幸子さんが登壇。いつもの調子でゆっくり話し始められます。だんだんと、ラジオ深夜便の調子になって、心地よいのです。

 6,7年前、家出・町出を目的として、ひとりで<長野>に2年間ほど住んでいたことがあります。テレビなし、新聞なし、社会との接点は<ラジオ>だけ、NHK第一放送だけの生活をしていました。
  深夜放送<ラジオ深夜便>は、午後11時半から0時半。ラジオを聞くでもなく、ベッドにひっくり返っていると、いつの間にか、眠っています。夜中に気がついて、ひとりでしゃべっているラジオを消します。電灯を消します。

 今日の講演も同じです。眼をあけている必要はありません。会場にざわつきもありません、とても静かです。

 お話の内容が書けないのは、聞いていなかったからではありません。
 言葉を声に出して、相手につたえることの大事さです。こころを動かす言葉です。 加賀美幸子さんが、やってこられた<古典文学の朗読>から、源氏物語、枕草子を読んで、声をだして読むことの大切さを話されました。

 ゆっくり、余裕を持って暮らしていきたい、諭されました。

 【おまけ】

*私の住む旧庄和町は、今、春日部市ですが、野田文化圏です。ときどきある<野田文化講演会>のチラシが新聞折込で配られます。

* 講演のはじめの方に、ご自分を紹介されました。出演されていたNHKのテレビ番組<てれびふぁそらしど>のことにふれられ、母子役の想定で番組(構成;永六舗さん)が作られていたそうで、<こども>の頼近美津子さんを失くした気持ちを話されました。風のように<さって?生きて?>いかれたと。その番組は、私もよく見ていました。

* 頼近美津子さんが亡くなられたのは、5月だったでしょうか、6月でしょうか。新聞の死亡記事には、<柏市の病院>で亡くなったとありました。すぐに、私がいた病院と<同じ病院>だと感じたのです、間違いないでしょう。

* 野田市は<キッコーマン醤油>城下町です。野田市には、古くからの<野田文化>があるのです。近隣の新興の町に住んでいると圧倒的な豊かさを感じます。このブログを始めた<第1ページ>が野田市のことでした。<ここです>


春日部・庄和でのナターシャ・グジー・平和コンサートが評判(2009.6.25)

2009-06-25 22:27:30 | Weblog

*持ってる楽器は、パンドゥーラ。ウッド・ベースほどの大きさがあります。弾き語りのようです。

  今、町のあちこちに、ポスターが貼ってあります。今年の平和フェスティバルのコンサートには、ウクライナ生まれのナターシャ・グジーがやってきます。
  よく知らなかったので、ネットで検索してみました。公式ホームページがありました。<ここです>

  ナターシャ・グジーは、チェリノブイリ原発事故で被爆したのが、6歳の時、1996、98年チェリノブイリ原発事故救援団体の招きで、民族音楽団として来日。その後、日本で本格的な音楽活動をしています。
  平和音楽活動家と書きそうなのですが、単純にそういうことでいいのかどうかわかりません。

  7月18日(土)の午後2時~4時、春日部市の庄和市民センター(正風館)
で聞いてみようと思うのです。

  その日は、旧庄和町で、ずーっと続いてきた<平和フェスティバル>です。
  合併時に、いくつかの行事が中止される中に、中止されることなく、春日部平和フェスティバルと名をかえました。
  だから今年は、第4回です。今年4月、平和都市宣言が、改訂され、新しい<非核平和都市宣言>として制定されました。その記念の平和フェスティバルにもなります。

*春日部市役所玄関(2009年6月)です。

  春日部平和フェスティバルの、他のイベントの紹介は、またにします。

*今日刷り上った<平和フェスティバルのチラシ>です。

   【おまけ】

* NHKや民放テレビでも紹介されたグージーさんなので、チケットが500円であることもあって、売れ行きが上々だそうです。
* チケットは、500円。春日部市役所市民参加推進課、正風館、コープ大衾で販売されています。
* 私も5枚、預かっています。 ご希望の方は、知らせて下さい。


春日部交響楽団が、6月28日に17回目の定期演奏会(2009.6.23)

2009-06-24 17:33:03 | Weblog

*公民館に貼ってあるポスターです。すぐに、ベートーヴェンを思いましたか?

  今日は、春日部の、少しのどかな話題です。ちょっとしたことから、春日部交響楽団のコンサートを知りました。公民館にチラシがおいてあったのですが、気がつかなかったのです。

 演歌より、ジャズ、その上に、クラシックと<私には階層があります>。とんでもないと反論されるでしょうが、私にはあります。同じように、ジャズのビッグバンドより、数段上位に、交響楽団があります。***・スウィング・ジャズ・オーケストラより、***フィルハーモニー・オーケストラです。
(かすかべ・シンフォニー・アンサンブルが正式名称のようです)

 春日部市に、フィルハーモニー・オーケストラがあったのです。しかも、1986年に創設されたアマチュア・オーケストラです。以後17回も、定期公演を重ねているのです。<ここにホームページ> 知らなかったのです。

 むろん3年前までは、春日部市にさしたる関心もなかったのです。庄和町の<文化が少し高まるといい、高めたい>と思っていたのですが。春日部もその先の東京も、私にとっては、同じだったのです。
 今は違います。合併して、<クレヨン・しんちゃん>と同じ<春日部市民>です。

 春日部市の<文化がもう少し高まるといい>と思っているのです。
 フィルハーモニー・オーケストラがある街、春日部です。 応援しょうと思うのです。

 それで、今日のブログで、勝手に、広報・宣伝です。


    6月28日(日)開場;14時30分、開演;15時
   春日部市市民文化会館大ホール
   入場無料・全席自由

  <プログラム>
     ・ メンデルスゾーン作曲;ヴァイオリン協奏曲
     ・ホ短調・ ドヴォルザーク作曲;ユーモレスク
     ・ モンティ作曲;チャルダッシュ
     ・ ベトーヴェン作曲;交響曲第三番・変ホ長調<英雄>

  私らのバンドの練習のおり、トランペットのOさんの奥さんが、春日部フィルの第2ヴァイオリンであることを知ったのです。<娘も受付を手伝う・・・・>と聞いて、格は違っても市民オーケストラなんだなあ、と。
  公民館においてあるチラシのすべてを集めて、バンドのメンバーに配ったのです。 春日部の文化度アップのために、です。

* 皆さん、ぜひ出かけて下さい。

   【おまけ】

* 私は、フィルハーモニーのコンサートに出かけたのは、たったの3回だけです。
 私もいた、ある学会(学問の学会です)の事務局さんが、クラリネットで所属していた新宿交響楽団。次は、現役時代の後輩が、トランペットで所属していた学*院オーケストラ。6,7年前です。2階客席中央に、プリンセス様が、輝いていらっしゃいました。

* もうひとつは、大阪時代ですから1960年代後半です。大阪労音の<第九を歌おう>に応募、10ヶ月ほど練習した友人ふたりのコンサートを、<大阪フェスティバル・ホール>で見ました。指揮は、朝比奈隆さん、大阪フィルハーモニーです。


図書館の民間委託(指定管理者制度導入)、いよいよ春日部市にも(2009.6.23)

2009-06-23 18:18:56 | Weblog

*朝日新聞2009年6月1日朝刊

朝日新聞朝刊の一面トップに、<図書館、進む民間参入、公立6館に1館>と大きな見出しが躍っています。朝日の一面に9段の大ニュースの扱いです。
この間の6月1日(2009年)のことです。ちょうど同じ頃が、春日部市の図書館管理に指定管理者導入に踏み切る、春日部市議会採決のタイミングだったのです。6月議会で決定されました。

*ここが滞在型<すなわち昼寝OKの庄和図書館>になります。私の散歩コースで、ここで、コーヒーを飲んで、本を見ながら昼寝、いいなあ。

 ちょうど1年前、旧庄和町役場を図書館にすることが決まって、旧庄和町地域での説明会で、市長さんだったか、どなただったか、管理運営は、指定管理者で行うと話されていました。
(この集まり、図書館開設へ3万人の署名を集めた地域にわりには、関心・参加は極めて少なかった。午後の部は約30名、夜の部はなんと7名で、ほんとに恥ずかしかった。市長さん以下に、そんなもんか、と思われたでしょう。<ここに書いています>

 今春から、市立の保育所が、ここでも庄和地域を手始めに、また庄和の子育て支援センターも、指定管理者の管理運営になっていきました。
 そうした流れの中に、春日部市の図書館の指定管理者制度すなわち管理の民間委託が、当然のことと決まったのです。

  お上、政府のお墨付きがあるわけで、なんら手続き上の問題は、ないのです。
 ただ、<官から民へ、民間でできることを民間で>、という構造改革、構造改革に聖域(例外)なしという政策は、いささか乱暴だと感じるのです。

 官がやるのは、公共サービスです。民間事業者がやるのは、営利目的のビジネスです。公共性は著しく減ってしまうでしょう。でも市政の問題ではないのです。国政にそっての施策なのです。

  まあ、よくわかりません。株式会社立の大学でさえOKという<お上>の方針もあるわけです。図書館って、社会教育施設でしょうといったところで、図書館の民間委託なんて問題なしでしょう。<知>の世界にもビジネスか、なんていうと、笑われるかもしれません。
  大学も、小学校も、私立があって、社会教育施設の民間委託に問題あり、とするのは、ちゃんちゃらおかしい、といわれそうです。

  春日部図書館株式会社だって、なんら問題はありません。春日部のど真ん中の図書館も、民間委託にしたらいいのです。なんの遠慮もいりません。新規の施設は、すべてと言ってるようですが、市の<端っこ>から、そっと始めたのでしょう。
  指定管理者制度の導入の理由は、一にも二にも経費節減です。ならば受益者負担原則の施策(これも政府方針)にそって、貸本業務の有料化もあり、でしょう。

 気に入らなければ、図書館にいかなければ、いいのです。

  でも私は、庄和図書館に期待しています。ほぼ、毎日出かけるでしょう。でも、夜9時、10時なんていきません。そこらあたりの夜は、暗く怖い、誰も行かないでしょう。

    【おまけ】

*朝日新聞2009年6月20日朝刊15面

* 朝日新聞は、6月1日の一面に<民営化>の大見出しの記事を載せましたが、6月20日には、15面の全面をさいて、<問題あり>の立場の記事が載せています。もういいですね。

* 最近、春日部の図書館経営に、ビジネス・メリットを考える企業が、ほんとにいるのだろうか、と心配している知人もいます。 そうかも知れません。


期待している春日部市民活動センターのオープンは2年後の夏(2009.6.21)

2009-06-21 21:59:17 | Weblog

*今、また牧草地風です。ここにできます。向こう側は、ララガーデンの駐車場。線路側から撮影。

 私の住んでいる春日部市は、今、(正確には、たぶんずっと前からでしょうが)市民参加(パブリック・インボルブメント!!)をはかっています。ソフト面では、春日部市市民参加推進条例が、2008年10月に施行されました。ハード面では、シンボル的施設になる春日部市民活動センターの建設計画が進んでいます。春日部市役所の担当職員さんに熱意を感じます。
 私も、私ら世代のためでなく、次の世代市民のために、しっかり見ていこうと思っているのです。

 市民活動センターが入る<東部地域振興ふれあい拠点施設>の元は、なんと20年前の計画です。大宮(市)にある<ソニックシティ>ができた頃です。春日部駅前に<ソニックシティのような施設>ができるといわれていました。春日部市にない<ちゃんとした>ホテルもできる。国際、国際・・・施設といわれていたようにも思います。
 私の知人は、活動実績から小劇場のニーズを持って<具体的なプランづくり>に参加していました。
 地上げ?も進みました。そこにあった<普通の旅館>も倒されました。そして、そこは、後に、長く<牧草地>と言われるようになっていたのです。

 20年もたてば、時代も変わってしまいます。誰もが、忘れてしまった計画です。
 何が、どうしたのか知りません。そうして、どうなったのか知りませんが、突然、<県・市・民間が一緒につくる施設>が建てられることになったのです。
 その名が、<東部地域振興ふれあい拠点施設>です。

 <ふれあい拠点施設>の中の、春日部市の施設は、①市民活動センターと②保健センターです。埼玉県の施設、民間(企業)の施設もまた計画されていたのです。

 普通の市民が関わることができる<市民活動センター>を作るワークショップに参加しています。小劇場の必要性をもって<つぶれてしまった計画>に関わっていた知人を、ワークショップに誘いました。
 <リベンジだよ>、<もう20年たっているんですよ>

 ワークショップ・メンバーは、今年の1月に、先進施設である<さいたま市市民活動サポートセンター>の見学に行きました。

*さすが県庁所在地のさいたま市の施設です。

 浦和駅東口の再開発プロジェクトのひとつでしょうか。5階までは、パルコ浦和店、上に、レストラン街、映画館があって、8階に図書館、9階が市民活動サポートセンター、10階は浦和コミュニティ・センターです。(一度、ブログに書いたことがあります<ここです>

 東部地域振興ふれあい拠点施設の<基本構想>、<事業概要>、<業務要求水準書>といった文書で、その中にできる<市民活動センター>を各自が独自に、立体的な空間をイメージして、市民活動の有り様から、センターの設備、運営を市民レベルで議論しているのです。

 オープンは、2011年夏です。私は、**才になっています。おそらく、私自身が利用することはないでしょう。しかし、次の世代、あるいは、その次の世代のために作っておかなければならないのです。
 もう、延ばしたらいけない、と強く思うのです。

     【おまけ】

*手前が、線路でしょう。階段の樹、植栽の配置が、大宮のソニックシティそっくりです。全体的には、とてもミニですが。(新聞折込チラシから無断転載)

*全体イメージ、建物の写真が、突然、昨日(6月2日)新聞の折込広告の中にあったのです。県議さんの<お知らせチラシ>に載っていたのです。びっくりしました。良くも悪くも、政治の産物、政治の動きによるものであったのです。


春日部の自然博物誌、「古利根川の自然ガイド」を読んでみました(2009.6.20)

2009-06-20 21:28:16 | Weblog

*癒しの<自然博物誌>800円。この間、2009年5月に発行されました。

 久しぶりに春日部ローカル話題に戻します。

 10日ほど前に、知人から<古利根川の自然ガイド>を紹介され、買いました。地域に住む、いわばご近所の人が、ご近所のことを書いて出版されたのです。多少は応援の気持ちもありましたが、薄い本ですし<のんびりした気持ちで読んでみること>も、今の私の身体にいいかな、と思ったのです。

 むろん、私も<ナチュラリスト>、自然愛好家です。私はそう思っています。西洋タンポポと日本タンポポの区別はつきます。
 本書では、日本タンポポは、出てきません。西洋タンポポと、関東タンポポと関西タンポポの3つに分類しています。黄色い花でなく、白い花のタンポポを関西タンポポというそうです。知らなかった。

 自然観察に持参する<ハンドブック>ではありません。挿画も線画で、記述も軽い<癒しの博物誌>です。
 しかし、日々思い出すこともなく暮らす中で、ふと自然の草木、虫や鳥たちを思うことも必要なことです。一服の清涼剤、一陣の風になります。

 面白いなと思ったことは、春日部市に<北緯36度00分>の緯度ラインが走っていることを指摘していることです。しかし、だから<春日部は、世界でいちばん住みやすい>ということには、容易には同意できません。そういえば明日は、夏至です。

 大河・利根川があって、古利根川です。その間には、私の住む町を流れる江戸川があります。私が古利根川の河畔を歩くことはありませんが、春日部市街に住む人たちとって、古利根川は、毎日の風景の中にある川なのです。

 * 執筆は、財団法人・埼玉県生態系保護協会―春日部支部の皆さんです
 * 発行は、有限会社編集工房<風>、電話048-735-8445です。 
 (購入、お問い合わせは、編集工房<風>にお電話して下さい)

      【おまけ】

*半夏生(はんげしょう)。本書では、自生地を紹介しています。初夏の花?です。ウチに咲いています。葉っぱだから、咲いているというのもおかしい。

*今、私が住んでいる低湿地一体は、大昔は、自然がなすがままの川だったでしょう。嵐がくると、どこもが川になったのでしょう。その後、治水事業として、人工的に堤防が作られ、社会活動上から、人工的に川の流れの付け替えもなされました。

 


観光ガイドに載っていない岡山市散歩<直島・倉敷・岡山の旅⑤>(2009.6.18)

2009-06-18 12:00:03 | Weblog

*旧陸軍将校クラブ、今は、カフェ・レストラン。

 この旅の主目的は、姪の結婚式への出席です。6月8日のことで、会場は、<岡山県総合グラウンドクラブハウス>でした。式は、緑の深まる木々の下、屋外緑陰でした。お天気もよく、とてもいい感じでした。パーティーはレトロなクラブハウス。そもそもは、明治の終わりに建てられた<陸軍将校クラブ>だったようです。日常は、レストラン、コーヒーハウスとして<営業>しています。

 前夜、岡山駅に着いた私は、駅から徒歩5分ほどの<兄の家>に泊まります。私が生まれ、昭和20年6月29日未明の岡山大空襲(戦災)にあった所でもあります。

  翌朝、7時前に、兄の<定例の朝散歩>につきあいます。 岡山で出生といっても、育ったのは岡山県西部の山間部です。岡山のことは、<観光ガイドブック>以上のことは知りません。

*有形文化財<禁酒会館>

 路面電車の通りを東に歩きます。電停の名では<城下>あたりにある<禁酒会館>の前で立ち止まります。80年前(大正10年ごろ)禁酒運動の拠点として、禁酒運動家が建てたのです。空襲(戦災)で焼け野原になった岡山市ですが、このあたりは、被災しなかったのです。今は、国の有形文化財の建物です。コミュニティ・カフェや市民ギャラリーに使われているようです。禁酒運動がその後どうなったかは知りません。

*戦災をまぬがれた内山下小学校、左の木の下に岡山城の櫓があります。

 その裏側(東側)あたりには、岡山城の石垣が残ります。石垣沿いに歩くと、学校に出ます。内山下(うちさんげ)小学校、最近、閉校になったようですから、小学校跡です。岡山市内きっての名門・伝統の小学校で、校庭のあちこちに、記念碑、記念樹が見えます。校庭の隅には、岡山城の櫓も残っています。岡山城そのものは、大空襲で燃え再建されましたが、この櫓は、江戸時代からの本物です。

*岡山城の本物の櫓

 私の親父は、この小学校で教師をしていました。だから内山下(うちさんげ)小学校の名前はよく聞いていました。ここにきたのは、初めてです。使われなくなった校庭、体育館、プールでは、中学生か高校生が、部活の朝練習をやっていました。

*旭川、向こう岸は後楽園。

 川に出ます。旭川です。向こう岸は、後楽園です。岡山城も見えます。まだ、オープンの時間ではありません。 旭川沿いには、いくつかの記念碑があります。
夏目漱石が立ち寄った所の碑がありました。碑の上に猫が一匹のっています。<岡山に逗留していたのは、まだ“我輩は猫である”を書いていない頃のことなんだ>、<彫ってある短歌も岡山には関係ないね>と解説してくれます。

*猫がのってる夏目漱石逗留の碑

 京橋から、西に折れ、<大手まんじゅう>本舗の前をとおり、アーケード街に入ります。下之町、中之町、上之町と続きます。
 岡山地元のデパートは、<天満屋>です。今、女子駅伝・マラソンの天満屋です。 女子選手たちは、雨の日の早朝練習に、このアーケード街を走っているそうです。それに遭遇したかったのですが、あいにくいいお天気の日でした。

*岡山の木村屋パン屋さん(早朝でもオープン)

 元の<丸善>書店の前をとおりすぎたあたりに、<木村屋(キムラヤ)>パンやさんがありました。木村屋のパン(アンパンが有名ですが、私にはコッペパンです)は、私のこども時代に重なります。岡山が本家の木村屋のパンと思っていて、銀座の一等地に木村屋のパンの店を見つけ、その関係がよくわからなかったのです。今、ネットで調べてみてわかりました。銀座の木村屋が先です。
 1916年(大正5年)ですから随分昔、暖簾わけをしてもらったのだそうです。岡山市で作られ県下で売られていた<岡山の木村屋のパン>もまた、私を育てた、忘れられない物のひとつです。

*桃太郎ブランドの店(早朝で閉まっています)

 電車通りに戻って、岡山駅方面に歩きます。柳川の交差点あたりに、ジーンズの店がありました。桃太郎ブランドのジーンズの店です。岡山の若者発信のブランドだそうです。

     【おまけ】

* 岡山発のジーンズの話は、ずっとデザイン専門学校で教えてきた兄嫁さんが、直島に向かう電車の中で引き継いでくれました。電車の行き先は、ジーンズの町<児島>でもあります。教え子さんの何人かが、<岡山ブランドのジーンズ>を展開しているのです。

*児島ジーンズ<ツアー>バスもあります。

* 駅の案内所から、ジーンズ・ツアーのパンフレットを持ってきてくれました。ジーンズは、アメリカ・Revi's(リーバイス)一辺倒で、1960年代の若者だった私には、新鮮な話でした。次に岡山に来た時、出かけてみようと思っています。

     【おまけのおまけ】

*なんと今日のことです。 今朝(6月18日)の朝日新聞に、Revi's(リーバイス)の、正確には、ジーンズ屋さんの全面広告がありました。こんな全面広告が、天下の朝日新聞に載るのか、と思います。

*新聞の折込広告ではありません、景気が悪いんだなあ。

* がんばれ<おかやまブランド・ジーンズ>ですね。


地中美術館・黒い石の球の説明は黒石さん<直島・倉敷・岡山の旅④>(2009.6.17)

2009-06-17 18:40:01 | Weblog

*アートですから写真が撮れません。売店で買った市販書やパンフレットの写真です。

 直島に出かけて、初めての地中美術館で、期待していたのですが、白いユニフォームの係員さんが、なんか<こうるさい>のです。見学の諸注意、ザックはおろせ、カメラは預かります、などなどと。

 しかも、安藤忠雄さんの建物自体が<モダンアートの世界>作品です。内部は簡単なのでしょうが迷路のように感じるのです。同じ所をぐるぐる回ってしまいます。自由にアートを<楽しみたい>気持ちはかないません。

*ウォルター・デ・マリアの作品<タイム・タイムレス・ノータイム>(ベネッセのWEBから)

 いつの間にか、ひとつの部屋に入っていました。階段の部屋にデ~ンとまん丸の黒い石(球)。<これは、ナンだ、なんですか>と、係員さんに聞きます。<上まで登って来てください。その後でお話しましょう>と。 “階段教室?”を登ってきます。そうして、下から見上げます。<教会・聖堂かなあ>、にこにこ笑って応えてもらえません。

 ここは、ウォルター・デ・マリアの部屋。作品は、<タイム・タイムレス・ノータイム;Time Timeless Notime>です。壁際の金色の柱は、三角柱、四角柱、五角柱が、<ある約束?の数で配列されています>。他に<見物客>はいないし、<ひとりじめ>で、少し印象を語り合いました。

 最後に、<私は、【黒石】です>と胸の名札を指します。<おーっ!!>となりました。カメラを召し上げられていて、黒石さんのお写真を撮れません。<屋外、海岸にもデ・マリアの作品がありますから、見ていって下さいね>と。

*ウォルター・デ・マリアの作品<見えて/見えず 知って/知れず;Seen/Unseen Known/Unknown>(ベネッセのWEBから)

 もうひとつ別の部屋に入ります。白い壁の部屋です。
 正面の<長方形の輝く>ブルーの色に向かって、ゆっくり上っていきます。振り向けば、白い壁は、<鮮やかなオレンジ色>だったのです。

 ジェームス・タレルの部屋です。目の錯覚(補色残像)のアートへの応用です。
 ジェームス・タレルの作品は、直島では、<家プロジェクト・南寺>にもあります。また、金沢21世紀美術館でも見たことがあります。

 そして、クロード・モネの<睡蓮>があります。地中美術館は、この3人のアートを展開しているのです。

*夕刻、この船で直島をあとにしました。

     【おまけ】

* 今日、こうしてブログを書きながら、<目の錯覚>アートなら、朝日新聞に連載、出版もされた坂根巌夫さん(朝日新聞文化部の記者だった)が書かれているだろうと思い、わが家の書庫を探してみました。

*後・左から、遊びの博物誌(1977)、イメージ回廊(1987)、科学と芸術の間(1986)、手前が、境界線の旅(1984);いずれも坂根巌夫著、朝日新聞社発行。

* 4,5冊めくって見つけました。ジェームス・タレルが、ジム・タレルになっていますが、この人でしょう。<境界線の旅、138ページ、朝日新聞社、1984年発行>新聞の連載は1981年3月です。スクラップしているから探せば出てくるでしょう。

*左;ジム・ターレルの記述、右;地中博物館で買った。

* 現役の頃、<科学と芸術の境界>ということに、関心を持っていました。

    【おまけのおまけ】

*ここまで読んでくださった方におまけです。
 東京・神宮外苑のいちょう並木のお話です。奥に行くほど樹の高さが低くなるように切り整えられています。そのことで、実際より長い道のりに見せているのです。絵を描くとき、向こうを小さく描く遠近法と同じ錯覚応用ですね。


クラボウ倉敷の織物工場がいい感じのホテル<直島・倉敷・岡山の旅③>(2009.6.16)

2009-06-16 12:09:39 | Weblog

 前夜泊まりで、翌日(6月10日)正午ごろには発つ、たったの半日の倉敷でした。
 夜、人通りのない<観光・倉敷の中心>に着きました。ライトアップされた白壁の蔵が、少し冷たい感じです。

 ホテルは、蔦(アイビー)のからまる煉瓦のホテル=アイビー・スクエアです。


 翌朝は雨。蔦の緑とくすんだ煉瓦の色合いがとても落ち着きます。ビジネスホテルを選ぶことが続いていて、ちょっと良かった。荷物札やアメニティのデザインも、よき時代を思わせます。
 倉敷紡績<クラボウ>の織物工場をそのまま生かしたホテルです。その昔、ユースホステルの延長の雰囲気もあって、その昔、若者にも人気だったように思います。

*いまどき、こんな荷物札がうれしい。

 朝食をとって、敷地内にある<倉紡記念館>に寄ります。
 私の育った地は、倉敷から1時間少々の山間部で、近所に小さな織物工場(下請けでしょう)がいくつもある所ですから、倉紡・倉敷=超大企業です。

 ゆっくり見てまわる時間はないのですが、大きな織物工場、従業員住宅群の、写真、模型に、従業員の生活への配慮・支援の厚さを感じます。従業員のサークル・スポーツから、女子バレーボールの<クラボウ倉敷>が誕生します。
 私も、中学生時代に、学校の校庭でクラボウ女子バレーの模範試合を見たことがあります。
 そうして、クラボウの地域社会への還元を展示から読みとります。

 <明治から昭和にかけての郷土の偉大な実業家、大原孫三郎。明治13年、大原考四郎の次男として倉敷に生まれ、東京専門学校(現早稲田大学)に進学。岡山孤児院を発足した石井十次に出会い、感銘を受ける。26歳で倉敷紡績の社長に就任し、工場労働者の福祉向上に尽力。・・・・また大原農業研究所、倉敷労働科学研究所、大原社会問題研究所、倉紡中央病院など社会事業にも力を出します。そして、児島虎次郎に委嘱してヨーロッパの近代絵画を購入。1930年(昭和5年)には、日本初の西洋近代美術館となる大原美術館を開設するのです>

 私が子どものころ、倉敷は<はるかに遠い>町でした。出かけるなんて思いもしませんでした。
 ところが最近になって、子どものころに食べていた、かすかに覚えている味、<ろうけん・まんとう>が、倉敷の“労研饅頭”であることを、初めて知ったのです(朝日新聞2007年10月10日夕刊付1面)。

 労研は、労働科学研究所です。岡山県倉敷の紡績工場の“女工哀史”さながらの少女たちのために、1920年代に、若い経営者と社会問題研究者が、労働科学研究所を作って、劣悪な労働環境の問題、あるいは子どもと女性の深夜労働禁止につながる研究や運動をしてきたのです。
 その中で、<疲労回復に必要な栄養も研究し、安くて栄養価の高い中国の饅頭(まんとう)を日本人向けに改良し“労研饅頭”として広めた>というのです。

*こんな感じの薄い紙に包まれていました。ネットによると、愛媛県松山市で、今でも作られているそうです。

 私も、これを食べて育ちました。“ろうけんまんとう”は、中華風な、わかりやすく言えば、硬く冷たい、“中に何にも入っていない”豚マン・アンマンでしょうか。・・・・正確には、黒い豆が一粒か二粒はいっていました。

 急いで、大原美術館に行きました。遠足の小学生の一団と一緒に観てまわりました。子どもたちは、みんな一様に、ノートに書いていました。いくつかの絵の感想を提出するのでしょう。感じることはできても、<書くことは>難しいだろうな。

*見かけた<ちょっといいデザイン>

 大原美術館をまわりながら、大原孫三郎の偉業を思いました。素晴らしく見事な人生です。まさに、郷土<岡山県>の誇りです。
 大原美術館は、もっと時間を持ってこなければいけない、と感じます。

   【おまけ】

* クラボウ記念館にも、どこにも、<労研饅頭>の記述があるわけではありません。だから、売店で<労研饅頭>を売っているわけではありません。もし売っていたら、買ったでしょうか。あんなわびしい食べ物、絶対に買わない、いや、買ってしまうかなあ。

 * <労研饅頭>のことを、このブログに書いたことがあります。<ここです>


現代アートの直島、一番人気は黄色いカボチャ<直島・倉敷・岡山の旅②>(2009.6.13)

2009-06-13 23:36:39 | Weblog

*黄色カボチャ(南瓜)に再会です。

  瀬戸内海の小島、直島には2度目の訪問です。
  宇野港から船旅といえないほどの短さで、直島の宮之浦港につきます。

  岸壁近くに、赤色のカボチャ(南瓜)がありました。前に来た時にはなかったカボチャ(南瓜)です。

  地中博物館を見終わって、山から歩いてくだります。海に、浮かぶのは女木島です。

  ホテル<ミュージアム>に寄って、ランチにします。そうして海辺に下りて、いくつかの現代アートを楽しみます。

*ちょっとぼけてますが、この砂浜に黄色いカボチャ(南瓜)があります。

*ちょっと休憩します。テラスハウスの売店から。

*買わないおみやげ。

 今度の直島行きで、秘かに、お土産屋さんにあるに違いない、絶対に買ってこようと思っていました。カボチャのレプリカ(3500円)です。買おうかと思いましたが、よく見ると全然違います。ほんとに草間彌生さんのデザインかなあ。これじゃあ買いません。

*この模様に魅かれるのです。

     【おまけ】

*草間彌生さんの黄色のカボチャ(南瓜)を、このブログで書いたことがあります。<ここです>


池に花咲いて、今モネの睡蓮の季節<直島・倉敷・岡山の旅①>(2009.6.11)

2009-06-11 23:25:25 | Weblog

*鮮やかな睡蓮の季節ですが・・・。

 先日(6月7日)、姪のウエディング・パーティのために、岡山に<帰ってきました>。せっかくだからと、7,8年ぶりに直島、40年ぶりに倉敷へ小旅行になりました。

 進研ゼミのベネッセ(福武書店)がやっている、アートの島<直島>は、地中美術館がお目当てでした。

 岡山駅から、宇野線宇野駅へ。そして四国汽船のフェリー20分ほどの船旅。直島の宮之浦港に待っている町営バスに乗ります。島の狭い家並みを抜けて海岸線に出て、山に登っていきます。
 終点が、地中美術館のチケット売り場です。2000円はちょっと高い。まず集められ見学の諸注意を聞いて、ようやく出発。少し登って、山腹を掘った地中の美術館(だから建物はすべて地中に埋まっています)、に着きます。

*地中美術館(ネットの写真)

 地中美術館は、2004年にオープンしました。 1999年にベネッセが購入した、2m×6mの大きさの、クロード・モネの「睡蓮の池」を展示するために作られた美術館だそうです。

*壁画のような<睡蓮の池>、写真撮影は厳重に禁止、カメラもとりあげられます。だから、ネットの写真です。

 <この作品を直島的に解釈して広げていこうという意図がから構想されました>、<19世紀の印象派の画家というイメージが強いモネですが、最晩年の活動は「現代」の作家として解釈することができるのではないか、モネの新しい見方を提出してみよう、そう考えました>、<地中にありながら、自然の光をうまく採り込んで、季節が変われば光が変わる、天気が違うだけでも空間が激変する>(秋元雄史・地中美術館長;引用)

 地中に作られた空間でありながら、自然光だけで、壁画のようにぐるりと、モネの<睡蓮>をみることができます。ただ、最晩年の<睡蓮>だからなのか、私の知っている<睡蓮>に比べて、ぼんやりした<睡蓮>だった。<ちょっとちがうなあ>と。

 地中美術館を出て、下っていく道に、モネの庭の花園が咲いていました。そこに、やや窮屈そうでしたが<睡蓮>の池もありました。モネの<睡蓮>の池から、株分けされた<睡蓮>だそうです。

*地中美術館アクセス道路脇の、<モネの睡蓮>

 その夜は、倉敷。アイビー・スクエアに泊まりました。翌朝、倉敷は、ここだけでいいと思っている大原美術館へ。40年ぶりです。

*40年ぶりの大原美術館です。

 展示されている絵画はあちこちの展覧会に貸し出されて、よく知っている作品が多いのですが、40年ぶりにやって来たのだという感慨がわきます。

 ここにも、モネの<睡蓮>があります。前日、地中美術館で見た<睡蓮>のぼんやりさと違って、シャープな、くっきりした<睡蓮>と思っていたのですが、それを確認しようとしたのですが、ここでもぼんやりなのです。モネ=印象派は、ぼんやりなんです。

*大原美術館の<モネの睡蓮>(ネットの写真)。

 キャンバスの真ん中あたり、池から上がる陽炎というか、陽のゆらめきが、ここでも同じように、ただよっていたのです。

 大原美術館の本館、分館をまわって露地にでると、ここにも、モネの<睡蓮>の池があって、少し<睡蓮>が咲いていました。

*大原美術館露地の<モネの睡蓮>

 そして、大原美術館の隣の<グレコ>で、コーヒーを飲んで、白壁と堀の道を、ホテル<アイビー・スクエア>に戻ります。

 ホテルの中庭にも、ちょっと派手目に<睡蓮>が咲いていました。

*ホテル・アイビー・スクエアの<睡蓮>。実は、岡山県立大学の学生さんのアート作品です。よくみると、ちょっと違う。でもいいのです。<モネの睡蓮>のここに、<睡蓮を作った>女子学生さんの心意気を感じるのです。李さんと、お名前がありましたから留学生かもしれません。

   【おまけ】

*私の町にも、<なんのいわれもありませんが>睡蓮があります。そうだ、モネの庭の池から株分けしてもらったらいい。<街おこし>観光の目玉に なるかもしれません。

*旧庄和町役場そばの公園です(6月4日の散歩のおりに)
*こちらは、同じ場所の<花しょうぶ>。春日部市と合併される前には、<町の花>でしたが、今は、ひっそりと咲いています。


春日部市庄和の人形劇くれよんの公演に笑顔はじける(2009.6.11)

2009-06-11 13:04:43 | Weblog

6月7日日曜日、春日部市庄和地区公民館(正風館)ホールで、人形劇くれよんの公演が開催され、子どもたちの歓声につつまれました。


今日は、とりあえず写真速報です。といっても、ビデオ撮影でお手伝いしていて、写真ほとんど撮れていません。受付・会場係に、くれよん・ジュニアの活躍がありました。



春日部市庄和の人形劇くれよん、6月7日に25周年記念作品の公演(2009.6.6)

2009-06-06 13:01:54 | Weblog

 *にんぎょうげき<天狗童子>人形劇くれよん25周年記念作品

 2009年6月7日(日)開演;午後1時30分、開場;1時10分
 会場;正風館大ホール(春日部市庄和地区公民館)
      *東武野田線南桜井駅下車徒歩5分

 入場料;500円(4歳以上) 
 後援;春日部市教育委員会、春日部市芸術文化振興会、春日部市PTA連合会
 問合わせ;人形劇くれよん<宮脇(048-746-6413)、高橋(048-746-4734)

   【おまけ】

*稽古中の<天狗童子>Nさん、大天狗の大きさは、見てのお楽しみ。

*10日ほど前に、たまたま正風館(ウチから3分です)に出かけたおり、<くれよん>さんがホールで稽古をやっています。ちょっと覗いてみました。同じ町です。みんな私の知人さんです。今年も、大きな舞台で、映える見事な出来ばえが期待できます。

* 旧庄和町(現春日部市庄和地区)のお母さんが始めた人形劇グループ<くれよん>さんの公演です。もう25年にもなるのです。シナリオ、演出、人形制作、舞台製作、音楽、音響・照明、すべて自分たちでやってしまう<スーパーお母さん>です。

* 例年、新作を、秋から冬、春にかけて、近隣の小学校、幼稚園、児童館、子ども会などで公演してまわります。そうして、最終に、地元、練習拠点である正風館での公演でしめるのです。そうして、次の新作の準備にはいるのです。

*昨(2008)年夏、いわば人形劇グループの全国大会である<飯田人形劇フェスティバル>に参加しました。その様子を、このブログでも紹介しています。<ここです>


嫌だなあ高齢者向きドームハウスと宇宙船地球号のフラーのドームハウス(2009.6.2)

2009-06-03 19:43:23 | Weblog

 3,4日前の日経です。正確には、5月30日付け29面、<北陸経済特集>の下7段の広告が目を引きました。

 <金沢工業大学と共同開発したドームハウス>です。
 <高齢者ハウスとして!>と書かれているのです。ずっと若かった頃、山の別荘というか、山小屋がほしいと思っていたころにも、ドームハウスで実現した例が雑誌に載っていて、安くできそう、自分にも買えるかな、と<じっと見つめた>ことがあったからです。

   今度は、<高齢者ハウス>なのです。
 <平屋建て、柱のない空間、バリアフリー。また構造材には、体に害を及ぼす物は一切含まれない、安心・安全な高齢者に優しい住宅です>と。

*これで、生き生きとした生活が続けられるのかなあ。

 この頃、高齢者と呼びかけられると振り向くようになってしまっているのです。
 こんな家に住みたくないなあ、とまず、思いました。

*もう、こんな団地もあるらしい。

 これが<ついの住み家>なんて、いやだなあ、丸い棺おけハウスじゃないか。
 ネットの写真が、ますます印象を悪くします。

     【おまけ】

*東野芳明訳、ダイヤモンド社、1972年発行。サブタイトルは、<フラー人類の行方を語る>です。埼玉県立図書館が廃棄した本です。

*好きな本は、何種も買います。左は、東野芳明訳の再刊、西北社、1985年5月発行、右は、芹沢高志訳、筑摩書房、2000年10月発行。

* 若かった頃、1970年代初めでしょう。私らが住む地球を、宇宙に浮遊する<宇宙船地球号>といったバックミンスター・フラー(Buckminster-Fuller)に気持ちを揺さぶられました。私だけではなく、多くの人(若者)がそうでした。平面な世界(世界地図)でなく、丸い立体の地球として考えるきっかけになったのです。私が、夢中になった<全地球カタログ(Whole-Earth-Catalog)>行動につながっていくのです。

* バックミンスター・フラーの<宇宙船「地球号」操縦マニュアル(Operating-Manual-for-Spaceship-EARTH)>を丁寧に読みました。バックミンスター・フラーは、ドームハウスを提案してきたのです。そのことが、私のドームハウスへの関心の根拠かもしれません。

*フラーのドーム<モントリオール万博のアメリカ館(1967)>

* フラーのドームハウスに関しては、ネットにたくさんありますが、<ここを読んでみるといいでしょう>