ネパールから日本に勉強に来るサビナ(2007.3.31)

2007-03-31 19:22:37 | Weblog

*真ん中の子がサビナです(2002.10)

一昨日、庄和町のお隣で、“地球のステージ”というイベントを見ながら、私自身の“地球のステージ”を思っていました。

5年前、仕事をやめて“これで自由になった”と思って、地球をめぐる“自由への旅”をめざしました。桑原さんの時代を違い、私らの20歳は、どうあがいても、海外に出られる時代ではなかった、・・・・と当時は思っていたのです。 ともかく自由になった時、まずエベレスト、ヒマラヤを見に行こうと決めたのです。

ザックひとつで、カトマンズに降り立ったのが、2002年10月でした。
1ヶ月ほどネパール山地を歩きながらも、私の子どもの頃の姿、時代がそのまま残っているようで、ヒマラヤの美しさと同時に、寂しさをしばしば感じていました。

 

ひとり歩きといっても、山中では、ガイドと荷物を持ってくれるポーターが一緒なのです。
充分に山を歩いてきたから、ザックをコンパクトにすることはできるし、自分で背負うことも問題なしです。
しかし、ポーターは、ネパールの若者の仕事なのです。仕事を奪ってはいけないのです。

私は、歩きながら印象をメモしたり、スケッチしたり、あるいは小遣い帳のために、ノートを持ち歩いていました。
山小屋で、食事の後、早寝の前の、わずかの語らいのおり、世界中からのトレッカーやネパールの若い人にノートをまわし、メールアドレスの交換をすることも、孤独な一人旅の楽しみではありました。

日本に帰って、ネパールの人たちに何かできないかと、漠然と考えたのですが、翌年のポカラの山岳博物館での仕事というチャンスにも、結果として踏み出せませんでした。
また、日本には、ネパール支援のNGOがたくさんあって、だから余計に躊躇してしまうのです。

そんな時、2年ぐらい前でしょうか、突然、“日本で勉強したい”というたどたどしい英語のメールをもらったのです。
Sabinaという中学生のように見えたポーターからでした。 日本で勉強するといっても、Sabinaの日常生活からはもちろん、私が肩代わりすることでさえ容易でない費用が必要です。
また、この旅の中で、私は、ポカラの町の本屋のおじさんと仲良くなっていました。政情不安から旅行者もめっきり減ったとも聞いていたので、ともかくSabinaを本屋で働かせてもらうように頼んだりしていました。
そのことで、夢は夢として、Sabinaの生活が安定することで、めでたし、めでたしと思っていたのです。

しかし、Sabinaの意思は固く、ついにこの4月に、日本に来ることになったのです。
ネパール人にとって、日本への観光ビザでさえとることは大変です。そんな中で、留学ビザを取得できたようなのです。

ネパールのこともまた、際限なく書いてしまいそうです。また別の日にします。

  【今週のおみやげ】

*書いたから、これで食べれるぞ!

* “地球のステージ”に清里から、お出でになったESさん(コスダさん)がお帰りのおり、南桜井駅まで乗ってもらいました。そのおり、チョコレートをいただいたのです。一昨日は旧暦でいえば、2月12日、バレンタイン・デー間近です。

* フェア・トレードのチョコレートだから、溶けやすいからと話されました。フェア・トレードは、今、すごく関心を持っている単語なのです。ネパール和紙のこともそうです。いつか書いたランジャナのお父さんが作っているネパール・コーヒーもそうです。

* Corinata カレンズ・チョコレートは、スイスの伝統的製法に従い、乳化財を使わず長時間丹念に練り上げ、なめらかな舌触りと、カカオ本来の香りを引き出しました。農薬や化学肥料を使わずに栽培された原材料だけを使用し製造されたチョコレートです、とラベルの裏に書いてありました。


松伏町で“地球のステージ”とその公演実現に感動(2007.3.30)

2007-03-30 11:30:54 | Weblog

 *地球のステージが終わって。

初夏のように暖かい昨日(29日)、何年ぶりかで、私の住む庄和町(春日部市)のお隣、松伏町の田園ホール・エローラに行きました。
開場の15分ほど前です。すぐに、みゅーこさんが見つけてくれました。

 “地球のステージ”は、国際医療救援活動を展開している山形県の医師の桑山紀彦さんを中心に、世界で起こっている様々の出来事を、大画面のビデオ・スライドに写しながら、自分の眼で見た、肌で感じたことを話しながら、歌っていくステージです。

日本中あちこちで、この“地球のステージ”の公演を、自分たちの住む地で実現して、子どもたちに見せたいと思う行動が起こっているようなのです。

この地では、“埼葛育ち元気組”(お母さん、いや女性を中心に16人)が実現したのです。経費の**万円はカンパで達成。だから、世界の子どもたちに送る学用品・文房具で使っていないものを持ってきて下さいと。それが入場料です。

ステージは、世界の映像とともに、アメージング・グレースから、始まりました。
右手で、ギターで桑山紀彦さんが歌います。左手では、2台のシンセサイザーを弾きながら、石橋優子さんがハモっていきます。

桑山さんは、子どもたちに話しかけていきます。
学生時代のはじめてのインド旅行から、ケニアとフィリピンでの体験を、医療救援活動をとおして、ソマリア、東ティモール、旧ユーゴスラビア、地震のパキスタンを、貧しい、紛争地域の子どもたちの姿を静かに話し、力強く歌っていきます。

スクリーンに子どもたちの笑顔が大きく映しだされます。どんな時にも子どもたちには笑顔です、と聞きながらも、そこにある子どもたちの涙と悲しみが思えて、胸にきました。

*真ん中に桑山さん、その右に、キーボードの石橋さん、そしてスタッフさん。お疲れ様でした。、“埼葛育ち元気組”の皆さんには、気持ちのいい“お疲れさま”になったでしょう。

  【おまけ】

 *入場料がわりの鉛筆・ノート・・・。

* 庄和町の知人で、“埼葛育ち元気組”のみゅーこさんが、ブログ<ここです>で、ほんと、めずらしく素早く、お礼の報告をしています。

* なんと長野県の清里から、お出でになったESさんと、このステージを隣の席で見ることになりました。ESさんもまた、清里で“地球のステージ”を実現しようしているのでしょうか。 いただいたフェアトレードのチョコレートのことは、また明日にでも。


春日部にも春、明るい春がきたのでしょうか(2007.3.28)

2007-03-28 18:06:41 | Weblog

*このあたりだけ“狂い咲き”みたいです。

今朝は、あたたかい春の朝でした。
春日部市立図書館の桜も咲き始めていました。
暖冬暖冬といって、桜の開花は早いぞ早いぞといいながら、結局、開花は、いつもとほぼ同じになるようです。それが天の理でしょうか。

図書館に立ち寄って、それから、10時の教育委員会での会議に回りました。
会議の終わりに、ちょっと早いですがと断りがあって、人事異動される方たちのご挨拶があった。
ここでも、もう春、新しい動きが始まっていました。

春日部市議会は、すんなりと“公民館の有料化”を可決しました。ずうっと無料だった公民館が有料になるという大転換に、すんなりと議会が可決です。

公民館は、社会教育の施設なんですが・・・。博物館も法人化が進んでいるようだし、一部の市民しか利用しないという論理なら、次は、図書館の有料化でしょうか。

  【おまけ】

* 春日部市職員さんが、どんどんお辞めになっているという噂です。70とか80人とかの欠員が生じているらしい。単なる噂です。災害の前に、まずネズミ(?)の大移動があるみたいな夕張市現象が始まっているのでしょうか。

* 明日(3月29日)は、松伏町の田園ホール・エローラで、“地球のステージ”というイベントがあります。1時30分開場、2時開演です。
友人のみゅーこさんが頑張ってきたようで、その日は受付あたりにいるようです。

*紛争地域の子どもたちへ送る“文房具”が入場券代わり、とのことです。
いろんな所でもらって、使わないボールペンなんかをかき集めて出かけるつもりです。 <詳しくはこのブログにあります>


ジョン・レノンとオノ・ヨーコさんの結婚記念日はすぎましたが(2007.3.27)

2007-03-27 18:25:27 | Weblog

 *左は、オノ・ヨーコ作品展の図録です。

3月20日が結婚記念日だったのです。
大宮のジョン・レノン・ミュージアムは、3月21日(水)から23日(金)までの3日間にカップルでいくと、一人分が無料でした。しばらく行っていないので、誰かと行こうかな、と思い巡らしたのだが、ついにカップルが成立せず、あえなく挫折でした。

一週間ほど前に、米国の雑誌Rolling Stoneの日本版ローリング・ストーン(復刊)のことをこのブログに書きました。そこで雑誌Rolling Stoneが、1000号になったことを知ったのです。1000号記念号を見たいなと思い、Amazonで探していたら、1号~1000号すべての表紙をとじた“Rolling Stone, 1000 covers”があって、衝動買い(3680円)してしまった。
2,3日前に配達された。まさに、ぱらぱらとめくるだけですが、なかなかいい。1967年からずうっと、アメリカのポップカルチャーの流れがよみがえって来るのです。

送られてきた本の表紙は、“オノ・ヨーコさんに抱きつく裸のジョン・レノン”の、例の1981年1月22日号(335号)の表紙でした。
“またこの表紙か”、という気持ちがありました。

ジョン・レノンとオノ・ヨーコさんは、1969年3月20日、イギリス領ジブラルタルで婚姻届を出しました。ふたりの結婚には、常に、ヌード・裸があふれていたという記憶があります。
“平和のためのベッド・イン”も、当時よく理解できませんでした。

男と女が結婚するって、ほんとに不思議なものです。
このふたり、実にあたたかい出会いがあって、平和のためのコンサート、行動を続け、こどもをつくり、しかし、深い決裂の時期を過ごし、また生活をともにしていく。

そうして、1979年12月8日に、セントラル・パーク近くの、自宅<ダコタ・ハウス>で、撃たれます。
裸のレノンの表紙は、12月8日、撃たれたその日に撮影されたというのです。

 *28年前の古新聞です。

オノ・ヨーコさんは、世界の有力紙に、レノンの死に対して、“感謝をこめて”とメッセージを発信しました。
日本では、朝日新聞1981年1月18日(日)付け6面です。
この写真では、読めないでしょう。また、別の機会に、全文読めるように紹介します。

それから、少しずつ、オノ・ヨーコさんの行動とメッセージがわかって来たように思うのです。

  【おまけ】

* ジョン・レノンとオノ・ヨーコさんについては、まさに本の一冊にもなるほど書くことがあるのです。いつも長いといわれる、このブログです。ときどき、少しずつ書きましょう。

*レノンは、この梯子を上って、天井の“YES"の文字を読んだのです。たしか、ジョン・レノン・ミュージアムにもあったような。“YES”をみると、何かいいことがある、気がしてきます。

* ふたりの出会いとなった“オノ・ヨーコの作品,天井の絵<YES>”です。

*どなたか、ジョンレノンミュージアム<WEBはここです>に、ご一緒しましょう。


私はアメリカ逆輸入で、日本文化とお醤油を知るのです(2007.3.26)

2007-03-26 18:29:13 | Weblog

 *どんな時代でも、まず新聞記事です。
月曜日はのんびりです。また新聞です。2,3日前(24日)の朝日新聞記事(13面)から始めます。

<日米同時発売のしょうゆ、キッコーマンは、4月から、記念マークをデザインした「アメリカ進出50周年記念 卓上150mlびん」を日米同時発売する>

 *栄久庵憲司さんのデザインです。

私は、こういう話が好きなのです。***記念、限定発売とかいうのが好きなのです。絶対買うぞと思うのです。スペシャルなお醤油ではなく、お醤油ビンがスペシャルなのです。 200円です。

新聞に小さな記事が出ます。この頃は、報道向けの資料(プレス・リリース)を必ずインターネットで見ることができます。それを見ると詳しくわかります。それで、そこから写真を拾って貼り付けます。

 *WEBからコピー。

4月1日~12月まで、売り出すそうですが、野田市に近いといっても、わが庄和町(春日部市)のヤオコーに並ぶかどうかわからないので、早めにブログにしたわけです。

このお醤油ビンは、評判のデザインです。プロダクト・デザインのさきがけ的なものです。デザインは、栄久庵憲司さん。
キッコーマンは、隣の町/野田市。何人もの知人がお勤めです。お醤油の50年前のアメリカ生産開始の苦労話さえ聞いたことがあります。

ともかく、お醤油(キッコーマン)、お豆腐・・・は、欧米人のベジタリアンというか、健康食志向、日本文化(東洋の精神性)のシンボルのように、米国人にはうけたようなのです。
私は、アメリカ大好きですから、アメリカの同世代(若者)の動きには、しっかり影響されました。ギターを買う、コーラを飲む、そして、お醤油好き(わが家は、何でもお醤油です、ソースがありません)です。

ついでに言えば、ジョージ・ハリソン(ビートルズのリード・ギター)が、インドにのめり込んでいると聞けば、インドに、行きたいと思うのです。

またまた、ビート詩人たち、例えば、路上にて(On the Road)のジャック・ケルアックや、京都大徳寺で禅修行したゲーリー・スナイダーら、が日本の禅に関心があって、鈴木大拙のアメリカでの本が読まれていると聞けば、私も読もうと思うし、茶道・お茶もそうです。アメリカで評判だから“茶の本(Book of Tea)”(岡倉天心著)を読んだりするのです。

*“茶の本”が書かれて101年です。

日本の話を、日本人が書いているのに、“英語で読もう”とするのです。考えてみれば変な話です。もっとも、本は買うのですが、すぐに眠くなるのです。


飯沼中学校吹奏楽部が見事なコンサート(2007.3.25)

2007-03-25 22:42:12 | Weblog

今日、わが町、庄和町の春日部市立飯沼中学校吹奏楽部の第24回定期演奏会が正風館で開かれ、見事なコンサートを見せてくれました。

第一部 1曲目の“ジャングル”は、夏のコンクールで演奏した曲。ジャングルのさまざまな音、さまざまな野性の声が聞こえました。

*クラリネット・キャンディ (ズ)です。

*中学吹奏楽のもうひとつの楽しみです。パーカッション・グループが入れ替わり立ち代わり、楽器を変えながら、かいがいしく動き回りながら、リズムを支えます。

*見せますトロンボーン隊。

*顧問の梶原先生をフューチャー。

 *ラ・バンバ・バンバ・・・・・・。

*3年生も最後の“ジャズ”、熱演です。

*吹奏楽サイコーのフィナーレ。

*飯沼中学は、ついこの間、卒業式を終えた3年生も含め総勢42名のコンサート。
アンコール曲では、3年生が順番にソロを担当する感動のフィナーレになりました。


ネパールの和紙ってどんな紙ですか(2007.3.23)

2007-03-23 23:52:39 | Weblog

*ネパールの和紙です。

庄和町の知人Rikaさんが、“ネパールの和紙”を使って、カントリー調の可愛いクラフト、シャドーボックスを作ったと、ブログ<優しい生活>に書いていました。<ここです>
すかさず、コメントが飛び込んでいました。“ネパールの和紙って、へんですよ”と。

正確には、ロクタ・ペーパー(Lokta Paper)といいます。日本の和紙は、楮(こうぞ)やみつまたから紙を作りますが、ネパールでは、ロクタという木からつくります、たぶん和紙と同じように、手作業で丁寧に漉かれます。ほんとに和紙のような感じです。色の染め具合がとてもよいのだそうです。
また、ロクタという木は、とても生長が早く、伐採してもすぐに成長復元します。環境にいい紙ということもできます。

*ほんとは、ロクタ・ペーパーです。

ネパール・ポカラの町の本屋の親父が、日本に持ち込んだのを、もらったのです。
写真のように、手元にたくさんあります。
関心のある方は、ご連絡下さい。

さて、昨日のブログで紹介した、仏像をおみやげにくれたネパールの知人から、メールが入りました。日本大使館での面接を終えて留学ヴィザを貰えそうだと書いています。
そして、数日前は、ネパールは国中、バンダ(ストライキ)だった-----と。
ひんぱんにあるバンダという国中のストライキは、民衆に絶対服従を強いています。旅行者からも交通手段を奪います。まだまだ平穏にはなっていないようです。

そして、今朝(23日)の朝日新聞7面に、ほんとに小さな記事がありました。

 毛派と住民が銃撃戦ネパール、25人死亡

 ネパール南東部のガウルで21日、平野部住民のグループと共産党毛沢
 東主義派(毛派)のグループとの間で銃撃戦となり、計25人が志望した。
 (ニューデリー)

 現在も、ネパールの治安は必ずしもよくありません。
21世紀に入っても、中世さながらの絶対王制が続いてきた平穏な王国であったネパールは、じょじょに政党政治に移りつつあったのですが、国王親族の中での権力闘争があって、一気に混乱状態になりました。
そうした中で、毛派(マオイスト)勢力が武力闘争を展開、地方の不満層を巻き込みながら勢力拡大を図って来たのです。
いったん、王制復古、専制を宣言しながら、国民の不満・・・・と、マオイストとの激しい対立を避けつつあるように見えたのだが、まだまだ、平穏にならないようです。

ネパールは、多民族多部族の国です。微妙に階級差別もあります。旅行者には、ほんとの国民感情はなかなかわかりません。

  【おまけ】

 *図書館の本ですが、買うことになるでしょう。

春日部市立図書館で、“ネパール王制解体=国王と民衆の確執が生んだマオイスト、小倉清子著 NHKブックス(日本放送出版会)2007年1月30日発行、を借りました。
1月末に、新聞広告で見つけたのだが、この町で買うことができなかった本です。
まだ読んでいません。


お彼岸の中日だったのですが(2007.3.22)

2007-03-22 21:06:43 | Weblog

*ネパールの山奥のお寺でみつけました。ちょっといい、空色です。

昨日(3月21日)は、お彼岸の中日だったのですが、私と私の家は、そのことを意識しなかったでしょう。
この日は、太陽が真東から出て真西に沈み、昼と夜の長さが同じということは知っていますが、お墓参りをするわけでなく、お寺に参るわけでなく、今年もまた、何もしなかった。テレビのニュースがお墓参り風景を映しているだけなのです。

この町の知人と話していて、“お彼岸だからだめ(!)”なんていわれると、いささか、船に乗り遅れた感じでもあるのです。お盆でもそうです。

この頃、少なくとも私は知っている昔からの習慣や行事を、ウチの子どもらに、伝えて来なかったと、少し考えることがあるのです。
ま、おはぎを食べることだけでもいいのかもしれませんが。

10日ほど前、昔からの知人である新聞各社の“古手”のカメラマンと飲む機会がありました。宴の終わりに、中のひとりで、私よりはるかに若い現役さんが、突然“在家出家”することにしました、というのです。今まで、そんなことを、感じさせなかったので驚きました。
もし私が、そう言ったら、“年齢からくる”ものと、笑って終わったでしょう。
帰りの電車の時間もあって、“どうして”なんて話はできなかったのです。

私のブログは、“シェラ・マンダラ・しょうわ町”です。
マンダラは、もちろん曼荼羅です。曼荼羅を見るのは好きですし、ネパールに出かけるのも、少しその影響があります。曼荼羅を見て、多少いろいろ考えたりします。遥か、西の彼方、須弥山に思いをめぐらしますし、本物の須弥山である、チベットの聖山、カイラス山(カンリンポチェ)には、本気に行きたい思っています。

実は、そのカメラマンさんが、21日に、修行に行くので、時間があったら一緒に行きませんか、と、2日前にメールで誘われたのです。たまたま、その日は用事を持っていたのですが、何もなかったら、間違いなく出かけました。
・・・・その話を家人にしたら、“私も行きたい”と。おいおい、私はひとりになりたいんだよ、来たら修行のさまたげになるよ。

“巷に出れば、人は皆、煩悩滅除をうたうなり”<林芙美子>

  【おまけ】

* ここに小さな仏像があります。どこかのお寺で“魂”を入れてあるとか、そんなものでは、ありません。ネパールの知人から、おみやげにもらったのです。知人の気持ちが入っているのかもしれません。その知人は、この春から、日本に勉強に来ることになりそうです。

* 春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりです。

* もともと彼岸(ひがん)とは、煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸、此岸(しがん)というのに対して、向こう側の岸を彼岸(ひがん)というのです・・・・・・・・とネットに。


インドを放浪している、たかちゃんのメール事情(2007.3.21)

2007-03-21 23:17:32 | Weblog

 *10年前ぐらいには、旅先からインターネットを利用することには、それなりの知識と工夫が必要だったのです。

一昨日(19日)、インド放浪中の、わが家(庄和町、現春日部市)のご近所のたかちゃんから、メールが届きました。出発前に、時々、旅の様子をメールで知らせてくれるように話していたのです。
1月23日に出発し、タイのバンコクに入った。そこから、1月30日に、メールをもらっていました。日本語のメールだったのです。
たぶん日本人旅行者向きのホテルか、ネット・カフェからの発信だったのでしょう。

たかちゃんは、着るものはTシャツ2枚だけと言っていたザックひとつの旅です。
自分のパソコンを持っていっていません。
バンコクからのメールに、私が返事したのですが、40日も音沙汰なしで、突然一昨日、メールが来たのです。

インド南部から(from South Indo)、というタイトルです。

以下に、全文はりつけます。
*最初は、私の質問(>>>・・・の部分)に答えています。

回答は、日本語が使えないから、ローマ字で打っています。
< >は、私の翻訳?です。

メールありがとうgozaimasu。

>>>まず、質問です。このアドレスで、この私の返事が読めるの?
>>>日本語で送ってきたね。
>>>友人のパソコン?友人のアドレス?
>>>それとも、宿泊先の???
>>>私の経験では、街中のネットカフェか何かのネット屋さんでは、日本語対応でない、つまりローマ字しか扱えないーーと思うんだけど。
my address desu.
<マイ アドレス です>

>>>タイ・バンコクなんて、日本人旅行者用に、日本語対応の環境があるのかな?
net cafe de nihongofontoga insuto-ru(setting) sareteirutokoroga arimasu. sokodato yometari kaketari dekimasu.
<ネット カフェ で 日本語フォントが インストール(セッティング)されているところが あります。そこだと 読めたり 書けたり できます>
>>>つまり、たかちゃちゃんの、ネット環境を教えて下さい。
Indo dato nihongo tukaeru tokoroha mituketemasen.
<インドだと 日本語 使える ところは 見つけていません>
nihonjin ryokousyano ooitokoroni amariitteinaiseimoarukatoomoimasuga.
<日本人 旅行者の 多いところに あまり行っていないせいもあるかと思いますが>
imaha unyoku mojibakesezuni yometeimasu,
<今は 運よく 文字化けせずに 読めています>
tokoroniyori yomenakattari.
<ところにより 読めなかったり>
indo, tanoshiidesuyo.
<インド、楽しいですよ>
zenbugazenbu yoitohaiwanaikeredo.
<全部が全部 よいとは言わないけど>
amarinitanoshikute nepal iridekisouni arimasen.
<あまりに楽しくて ネパール入りできそうに ありません>
toiuyorimo indoha hiroishi mirutokoromo yamanoyouniarunode zenzen hinichigatarinai! toittatokorodesu.
<というより インドは 広いし 見るところも 山のようにあるので 全然 日にちが足りないといったところです>
yominikukute suimasen,
<読みにくくて すいません>

Takako
<たかこ>

 【おまけ】

*これらの本は、1998年(左)、1995年(右)発行です。今では、何にも役に立たないかもしれない。世界各地から、どこからでもインターネット接続することは、大変だったのです。

*私の場合は、自分のパソコンから、どうやってインターネットに接続するかが、問題だった。出張時だから比較的大きなホテルだったわけですが、電話の接続モジュラー口の形状も、国によって違った時代です。今は、携帯電話からも送れるでしょう。

*ネパール放浪中は、重いパソコンは持っていきませんでした。大きな町のネット屋さんからメールを送ったことがあります。
インターネットは便利といえば、便利ですが、“どこの国から発信したのか、わかりません”。アリバイには、ならないのです。

*やはり、旅からのお便りは、その国の切手を貼った、きれいな絵はがきがの方がいいですね。

*メール返信は、日本語は読めないでしょうから、ローマ字で書き始めて、面倒になり、英語で書いてしまいました。だから、ちょっとだけです。桜が咲きましたとか。

 


スウィング・ベアーズは、公民館ジャズバンド(2007.3.20)

2007-03-20 21:24:18 | Weblog

平成元年ですから、19年前のこと、この町(庄和町、現春日部市)で音楽好きが、楽器を持って公民館に集まってきました。皆で合奏する楽しさを分かち合いながら、しだいにビッグ・バンドの体制を整えてきました。ビッグバンドは、トランペット4、トロンボーン4、サキソフォン5、そして、ギター、ベース、ドラムス、ピアノのリズム隊が4で、17名が基本構成です。
ローカルテレビ局が“小さな町のビッグなバンド”とタイトルした番組も作ってくれました。10年前のことです。

毎週末に、公民館に集まる“公民館・ジャズ・バンド”です。一昨日の日曜も練習しました。個々のメンバーにとって、継続的に練習をすることが大切です。

 

4月14日(土)に出演する “第2回ジャズ・ディ・かすかべ”をターゲットに練習しています。公園ライブです。楽しいステージになるように演奏予定曲も、ほぼ決めました。

 おそらく私たちは、2番バッターで、1番は、春日部女子高校吹奏楽部の選抜メンバー・バンドでしょう。ほんとのスウィング・ガールズです。大人気を呼ぶでしょう。
私の知人の娘さんもいるかも知れません。小さい時から知っています。同じステージなんて・・・・ですね。  

     【今週のおみやげ】

*その知人さんの京都のおみやげです。
とってもやわらかい“都のさくら”という名の餅菓子をいただきました。
<桜あんを、桜の花びらが入った羽二重で包みました。抹茶あん入りの羽二重は若葉をあらわしています>(京菓匠 鶴屋長生)  


第3日曜日は、新聞の切抜き日とニッケイ・マガジンの日(2007.3.19)

2007-03-19 20:09:56 | Weblog

*朝8時、やっとスクラップが終わった。

昨日は第3日曜日です。私の団地は、リサイクルの日です。
つまり古新聞1ヶ月分を公園の脇に持っていく日です。つまり、新聞のスクラップを終えておかねばならない日なのです。

*日経と朝日、これで1ヶ月分です。

私は、今でも新聞は丁寧に読みますし、スクラップもかなりします。現役時代と違って、時間はありますから、赤のボールペンで印をして、一面題字脇に赤○か赤×を入れておきます。それでまとめて切抜きをするのです。
それでも、切抜きは、前夜になってしまいますし、赤○も赤×ないのがたくさんあるのです。早起きの私ですから、朝4時ごろかやることもあります。ともかく8時30分には、間に合わせて持っていくのです。

昔は、1年分ぐらい新聞を貯めていたことはザラでした。今は家人の目もあって、1ヶ月で片付けます。そんなことより、新聞の切り抜き量がぐんと減ったことの方が大事でしょうか。
さらに、“もう後で使うことはないな”とか、“たぶん再び読むことはないな”、と思いながら切り抜いているのです。

私の亡くなった親父もまた、新聞を切り抜いている人でした。あるとき庄和町(現春日部市)の私の家にやってきた時に、“今どんな記事を切り抜いているの?”と話しかけたことがあって、“もうなんの役にも立たないからやっていない”との返事で、すごく寂しく思ったことがありました。そのとき親父は、70歳ぐらいだったでしょうか。

今、ネットの時代、新聞のスクラップブックをひっくり返しながら、原稿を書く人はいないでしょう。そもそも、新聞の切り抜きほど、役に立たないものはないのです。結果として、これほど非効率な作業はないのです。
それでも、切抜きはやめられないのです。いつまでも切り抜き続けるのです。
この頃、お料理レシピを切り抜くことが、けっこうあります。

*これが、お気にいりマガジン。

それから、第3日曜日は、日経に、“日経マガジン(The NIKKEI MAGAZINE)”が折り込まれる日です。
古新聞を持ち出す日に必ず折り込まれており、ある種の感動を呼ぶのです。
扱っているテーマ、レイアウト・デザイン、写真、いずれも、お気にいりです。32ページの薄さもいい、ひっくり返って寝ながらよむのにちょうどいい軽さです。読む記事、文章があることもいいのです。

その日だけ、コンビニで買うのもいいでしょう。 絶対お徳です。
ただ、駅の売店なんかでは、別刷りの第2部は、そこの販売係の人が折り込まず、脇に積み上げてあることが多いから、忘れないように持っていかねばなりません。


ロハスって何?ロハス・ピープルって、どんな人たち?(2007.3.17)

2007-03-17 17:54:12 | Weblog

 *1970年代に、米国で、いや日本でも、よく読まれた、“地球の上に生きる”、“太陽とともに生きる”は、若者に、“自然に生きよう”と新しい生き方を呼びかけました。今でいう、ロハスな生き方だと思っていたのですが、これは、ビジネスには、ならない、ビジネスとは、ほど遠い生き方です。

いつ頃か、ロハスとか、ロハスな、という言葉をよく聞くようになりました。ここ4,5年、世間から離れて暮らしていたせいか、意味がよくわからなかったのです。
“いかん、社会についていけないぞ”と気にしていたのです。だからといって、手元にある辞典、外来語辞典などに載っているはずもなく、ネットで調べてみるほどの、気もなかったのです。

今日(3月17日)の朝日新聞が生活面で、解説をしてくれていました。
LOHAS は、Lifestyle of Health and Sustainabilityで、“健康で持続可能なライフスタイル”だそうなのです。
“春から新生活、ライフスタイルを見直して、春からロハス”と見出しが呼びかけています。
身体にも環境にもいい生活・・・・ということらしい。それなら、そういってよ、という気持ちです。私の、知人、友人、周辺の人たちは、ロハスな人は何人もいます。ずっと前からそうです。

最近は、何もかも、ビジネスになるのか、それで儲かるのかと、まず考えるようです。
福祉も、環境も、介護も、すべてビジネス・チャンスなのです。
ロハスもそうです。朝日によると、5つの市場があるというのです。

① 持続可能な経済>省エネ製品や再生可能なエネルギーなど
② 健康的なライフスタイル>オーガニックフードやマクロビオテックなど
③ 代替医療・自然医療>ホメオパシーや東洋医学、サプリメントなど
④ 自己開発>ヨガ教室や生涯学習講座など
⑤ エコロジカル・ライフスタイル>エコツーリズムや環境配慮型住宅など

 ・ ・・・どうもさっぱりわかりません。まるで、就職試験の“次の単語を説明せよ”のための暗記用語集みたいです。ほんとに、来年の受験者には必須でしょう。

こちら、新聞記事がわからなくなったらしい、社会から落ちこぼれてそうです。

  【おまけ】

*旧庄和町、現春日部市にある“首都圏外郭放水路・地底探検ミュージアム(龍Q館)は、ロハス・ミュージアムとして、“ロハスピープルのための快適生活マガジン”<ソトコト>、ちょっとわざとらしい名の雑誌の2006年9月号が紹介しています。どこが、ロハス・ミュージアムなんでしょうね。

*ついでに、ロハス市場としてあげている、自己開発って、そもそも何? そのための生涯学習講座が、ロハスなの?ビジネスなの?
そういえば、このごろ、有名・無名を問わず大学がやる、生涯学習講座の広告が目につきます。最高学府である大学が、アカデミックさを脱捨てているように思いますね。

*地球の上に生きる、 アリシア・ベイ=ローレル、 深町真理子訳、 発行;草思社1972
 living on the earth, alicia bay laurel , gibbs smith publissher, 2003

*太陽とともに生きる、ラモン・センダー&アリシア・ベイ=ローレル、 深町真理子訳 発行;草思社1975


ゴッホも私も貧しいからジャガイモ好きです(2007.3.16)

2007-03-16 17:20:51 | Weblog

 *日経に、ゴッホの暗い絵です。

昨日の日経朝刊、最後のページ文化面に、ゴッホの絵が紹介されていました。
美術館・美術展好きなのですが、誰かと連れ立っていくと、連れが嫌がるほど、会場を走りぬけるごとく“速い”のです。
そうして、売店(スベニール・ショップ)で待っているのです。

*タイトルは、ポテト・イーターです。

前に書いたと思いますが、気になった絵の絵はがきを、必ず1枚か2枚買うのです。 この“くら~い”絵の、絵はがきを買っていたのです。なぜ買ったのかわかりません。ゴッホの絵です。
日本語のタイトルは、“馬鈴薯を食べる人々”。英語では,“potato eater(ポテト・イーター)”と絵はがきに書いてあります。この暗い絵に、タイトルがポテト・イーターという軽さがいいのです。ゴッホは、オランダ人で正確にはオランダ語でしょうが、読めません。

日経には、こう解説してあります。
<薄暗いランプの下で農民一家が夕食をとっている。取り皿もなくジャガイモを茹(ゆ)でただけの大皿をフォークでつついている。画面右端の女性はコーヒーを注ぎ、隣の男は黙って椀を差し出す。・・・・・・この一家には、ほとんど会話らしきものなく、・・・・・家族そろって食べることができるということだけで充足し、自然のめぐみと神に感謝しているのである>・・・・・・ほんまかいな?

今日のブログは、ゴッホの絵を解説・評論するためではありません。
私は、ジャガイモが大好きです、といいたいだけなのです。

どうもジャガイモには、世間は、貧しい人の食事を連想するようですが、私はジャガイモが大好きです。コロッケ(点のような肉入りの)でも。ポテトサラダでも、ポテトフライでも、大好きです。

*ネパールの、エッグ&ポテトです。

一番好きと言えるのは、ヒマラヤを見ながらフラフラしていた頃の、小屋のエッグ&ポテトです。ただの玉子焼とジャガイモの油炒めなのです。何味か、知らないのですが、おいしいのです。ボリュームもたっぷり。1週間くらい、ほぼ三度三度、それだけ食べていました。全く問題なしです。
日本人は誰もいなく、恥ずかしくも全くありません。ここで書くことが、多少恥ずかしいですね。

私、自炊歴ありです。今でも“かなり”やります。
ジャガイモは、皮をむくのが、面倒だと思っていたら、“生協(?)”に便利ツールがありました。

*ただの紙の箱だから作れます。

写真の、ただの紙の箱(ゴキ*リ・ホイホイみたい)の中に、洗ったジャガイモを2,3個入れ、電子レンジでチンすれば、出来上がります。ジャガバタなんてすぐできます。その後、皮も、つるっとむけますから、ポテトサラダなんて、実に簡単にできます。

たぶん、皆さん、とっくに知っているのでしょうね。

 【おまけ】

*今日(3月16日)の朝日新聞一面<折々のうた>に紹介されていた短歌です。

 “ミンク着し 女が馬鈴薯(ばれいしょ)はかり売りしてをり 時雨(しぐれ)のパリの朝市” ;山川澄子

・・・・・パリの朝市で、おかみさんが、ミンクを着て、ジャガイモの計り売りをしている・・・・・ジャガイモは、やはり不思議な食べ物です。


春日部ロビンソンで地元作家さんの作品を使ってお茶会(2007.3.14)

2007-03-14 13:49:44 | Weblog

 *4月5日(木)ロビンソン百貨店でのお茶会のご案内

春、花のさかりに、ごくごく親しい知人が、お茶会を開きます。

その日、4月5日(木)、ロビンソン百貨店(春日部市)の7階文化ギャラリーでは、
華道の皆さんの生け花など、お花が燦然と並んでいるでしょう。

そのお花を借景(!?)にして、お花と春を、感じるお茶席を持ちます。

春の心は、のどけからまし・・・・。
花をかざして、薄茶を一服。

椅子席です・・・・・・、お気軽にお出かけ下さい。
お茶券 300円(当日券もあります)

お茶碗・お茶杓・水指・・・・といったお道具、
花篭・掛け物・・・旧庄和町の知人・友人らの作品を使って楽しみます。

春らしいお菓子も、庄和町で作っていただきます。

 


ローリング・ストーン誌(日本版)創刊号じゃなく復刊号を買った(2007.3.13)

2007-03-13 20:05:40 | Weblog

*写真①今年の日本版と30年前の日本版です。

TSUTAYA(庄和町、現春日部市)に、新聞に広告が出てから2,3日通って、今日(13日)やっと買うことができました。

私ら世代にとって、米国の雑誌Rolling Stoneは、カリスマ的な雑誌でした。
1967年11月、米国西海岸の20代の若者、つまり私らと同世代が創刊した雑誌です。もっとも、それを参考にしながら作られていた日本の若者向き雑誌を見ていたので、私らは、いうならば“孫読者”といえるわけです。

今日買った雑誌の表紙に、日本版創刊号と刷ってありますが、1970年代にすでに日本版がありました。正確に、どの程度、業務提携していたのか知りません。朝日新聞本紙ですらRolling Stone特約とした記事を掲載していました。

今回の“ローリング・ストーン日本版”は、株式会社インターナショナル・ラグジュアリー・メディアの発行、創刊号(2007年4月号、580円)
その昔の日本版の“ローリング・ストーン”は、ローリング・ストーンジャパンの発行。手元にある一番古いのが、第3号で1973年11月号(300円)です。ほんの時々しか買っていないのです。いつ廃刊になったのか知りません。

写真①の右側は、昔の日本版第30号(1976年4月号)です。
表紙は、ローリング・サンダー・レビューという名の、ボブ・ディランの大コンサート・ツアーでの、ディランとジョーン・バエズです。

本物のアメリカのローリング・ストーン(Rolling Stone)を、初めて買ったのはいつだろうか。今では、日本の大きな本屋さんで、簡単に買うことができます。80年代あたりから、銀座の洋書屋“イエナ”に行くようになって、内容というより表紙で買っていました。

*写真②Rolling Stone誌を2冊。

写真②の左側は、米国のRolling Stone第306号(1979年12月号$1.25、イエナで600円)。
表紙は、ベッド・ミドラーです。表紙の“The Rose”の文字が読めますか。ローズは、ロック・シンガー、ジャニス・ジョプリンの短い生涯の映画です。映画の中で、ローズと呼ばれていたジョプリン役がベッド・ミドラーです。むろん映画の中で歌います。ローズは、その主題歌でもあります。私ら世代には、強烈なジャニス・ジョプリン・ファンも多いのです。私は、そうでもなかったのですが、今でも、ローズが流れると泣けます。

写真②の右側は、Rolling Stoneの2001年9月11日(米国同時多発集中テロ)の特別号です。$3.95(大手町の紀伊国屋で1,060円)。何かあった特集号は、ほぼ必ず買ってきました。ロックとクルマとファッションと裸だけの雑誌ではないのです。

今日買ってきた日本版“創刊号”は、まだ開いていません。たぶんパラパラとめくるだけでしょう。

*写真③:Rolling Stone誌の30周年記念号(1997.11.13号)。ここには、30年間すべての表紙が掲載されています。右側の(1981.1.22号)の表紙は、オノ・ヨーコと撃たれた日(1980.12.8)のジョン・レノン。
この表紙のポスターが今年の日本版創刊号の付録についています。

  【おまけ】

* 今日もブログが長くなりますが、“Rose”の話をもう少し書きます。

* 7,8年前のことです。私らのバンド、スウィング・ベアーズが10周年のコンサートをやりました。ゲストに、歌ってもらったのです。その中で“Rose”が指定されました。私らは、ビッグバンド用の楽譜(スコア)はもっていたのですが、それまでやったことはなく、演奏(練習)を始めて、それが、あの“Rose”だったことに気がついたのです。ほんとに演奏中、ずっと映画のシーンを思い、ジャニス・ジョプリンを思い、涙ボロボロでした。

* その後、スウィング・ベアーズが、“Rose”を演奏したことはありません。

* そして2,3年前、長野で“森の生活”をしていた頃です。誘われて街に出てカラオケにいったことがあります。そこで、突然“Rose”を聞きました。はるかに若い世代が歌う“Rose”にジーンときていました。