春日部平和フェス(7月2日)に、伝統の“まこもの馬づくり”に願いをこめて(2011.6.29)

2011-06-29 12:18:27 | Weblog

 *天まであがれ、まこもの馬(右から、第1、2、3、4集)

 今日はまだ6月なのに真夏の空です。
 夏は、日本中で平和の季節です。春日部でも平和フェスティバルが、今週末に開催されます。もう30年も続いている“平和を考える”夏の集まりです。ここ2,3年、大道具係でやっています。

*今年は、クミコ平和の祈りコンサート(2011年7月2日、春日部市正風館)

 30年間、もう最初から関わっている方と、役所の倉庫に、大道具小道具をとりに行きました。そこで見つけたのが、冊子の束です。“庄和町戦争体験記編集委員会”が作った第1集~第4集までの“平和への願いをこめて・天まであがれ”という、なんと15~20年前に作られた文集でした。

 1セット4冊を持ち帰り読んでいます。

 発行者は、庄和町で、今春日部市旧庄和町です。

第1集;平成3年3月30日発行

第2集;平成4年7月24日発行

 *挨拶寄稿 庄和町長 神谷 尚さんと庄和町教育長 関根幸夫さん

第3集;平成5年7月24日発行

第4集;平成8年3月28日発行

 *挨拶寄稿 庄和町長 石原 弘さんと庄和町教育長 清水 博さん

 一集に30人から40人の人が原稿を寄せられています。明治、大正生まれ、昭和一桁生まれの人です。多くは男性、皆、従軍・戦争での体験記です。一集に4.5人の女性も銃後の生活、体験を書いています。私と同年代の“こどもにもあった戦争”は、4集でわずか2編、いずれも女性です。

 各集に何度も書かれている人も少なくなく、長文の原稿を寄せられている人もいます。

 

 この町に35年程暮らしてきましたが、<寝るだけ庄和町の埼玉都民>私ら(たぶん多くの男性町民)には、こういった文集が発行されていたことも知りませんでした。

 戦争体験記を書かれた人は、ほとんど知らない人です。

 この町は、30年~40年前にベッドタウンとして住宅が売り出されました、その頃、移り住んだのが、私ら新興住民です。戦争体験記を寄せられている人たちのほとんどは、新興住民ではない根っからの庄和町民(南桜井村民)さんです。

 そのことを思えば、埼玉県の郡部の小さい村にも、こんなに戦争体験があるのかと感慨を呼びます。

 

 新興住宅地の中心は、田んぼを埋め立てた造成地ではありません。ここにあった軍需工場の跡地なのです。むろんそのことは知ってはいましたが、3集4集に狩野多嘉さんが書かれた軍需工場の、戦時戦後の話が特に興味深かいものでした。

 寄稿者の多くは、鬼籍に入られたでしょうか。

 まもなく、こういった“伝えるべき言葉”も埋もれ、消えてしまうでしょう。

 

【おまけ】

*春日部の、旧庄和町で行われてきた、平和フェスティバルは、30年ほど前に、この町の新興住民である若いお母さんの平和の願いと、この町に古くから住んでいる従軍体験者の平和への思いが重なって、両者が協力して開催してきた、ようです。

*この地域の農村集落に古くからある、七夕の願いとか、お盆の鎮魂にお供えされてきた“まこもの馬”を平和フェスティバルのシンボルとして作り飾ってきました。

*近年、平和フェスティバルは、昔、若かったお母さんが中心に運営しています。田んぼの間の用水路に自生する“まこも”を刈り取るのも、大切な仕事です。

*平和フェスティバルの準備に欠かせない“まこも”刈りです(6月16日)。わが町ののどかな風景です。

 

【おまけー2】

*今日6月29日は、ワタシの戦争記念日です。1945(昭和20)年6月29日未明、岡山市は、米軍の空襲を受けました。ワタシもまた焼け出されました。満3歳の赤ん坊の私にもあった戦争体験です。三つ児の魂百まで、です。その時30歳そこそこの両親は、それからをどう生き抜いていったのだろう、と思うことがあります。


大宮で、ナターシャ・グージー・コンサートの看板、孫のエレクトーン金賞(2011.6.27)

2011-06-27 16:59:02 | Weblog

*コンクール金賞の表彰状をもっらた孫。

 昨日の日曜(6月26日)、大宮に出かけました。孫のエレクトーン・コンクールの応援が主目的です。

 さいたま市民会館・大宮は、駅からけっこう遠い。それでも日曜のにぎわいを楽しみながらブラブラ歩きます。

通りのあちこちに、ナターシャ・グージーのコンサートの立て看板が目立ちます。

 ナターシャ・グージーは、チェルノブイリで育ち、今、日本で平和活動をしています。私ら春日部市の平和フェスティバルでも、コンサートを開いてくれました。

 すっかり忘れていた“原発の恐ろしさ”を思い出させてくれました。3年前のことです。そして、今、福島原発事故です。

*正風館(春日部市)で。

*平和フェスティバル3年前は、ナターシャ・グージー(右)、今年は、クミコ平和の祈りコンサート(7月2日、正風館)。

 

 さいたま市で行われる<原発のない世界をめざす集い>(6月28日)で歌うようです。

 それから、通りには、大宮アルディージャの旗が飾られています。浦和のレッズの飾りと同じく、市、市民が応援しているのでしょう。今は、どちらも“さいたま市”です。ひとつの市で2つのサッカーチームを支援しているのです。

 

【おまけ】

*孫のエレクトーン・コンテスト。年に2回ほど、このブログで“ジジバカ”記事を書いてきましたが、今年は“撮影禁止”です。小さい子どもの発表会には、パパ・ママがカメラやビデオを撮りまくっているなんて当たり前です。・・・が“撮影禁止”です。だから、ブログ・ネタになりません。

*午後からずっと続いたコンクール演奏が終わって、夕刻に審査結果の発表です。孫は“なんと、小学生低学年の部で、金賞です”。私、ジジが一番喜んでいました。表彰のためステージに並んだ受賞者、隣の娘=ママが止めるのも振り切って、デジカメを向けます。

*でも禁止だから、ブログに載せることはできません。会場内を撮影している専属写真屋さんの写真は注文しました、だから許されるでしょう。

*小学校3年生の孫の演奏曲は、“崖の上のポニョ”です。子どもらしく、実はそうではありません。ジャズ・スタイルでの演奏です。なかなか見事なジャズのノリでした。ジブリの映画の音楽を“ビッグバンド”で演奏した<AKBB・ビッグバンド・ジブリ>(AKBB;赤塚謙一ビッグバンド)というCDがあります。その中の“崖の上のポニョ”を参考に、習っている先生がエレクトーン向きにアレンジして下さったのです。

 

*金賞です。この後は、8月4日(木)の埼玉県大会です。それから、東京大会、全国大会(会場;NHK大阪ホール)です。まあ、甲子園のようなものですね。


*この孫、3年前まだ小学校に入っていない頃、越谷のビッグバンド、オール・スウィング・ジャズ・オーケストラをバックに歌ったことがあります。曲名は“崖の上のポニョ”でした。


わが町・春日部市旧庄和町観光ガイド、夏休みには、人気の地下神殿の見学会も(2011.6.25)

2011-06-25 14:15:40 | Weblog

 *地下神殿見学会は、2011年8月15日。応募の締め切りは7月1日。問合わせは、048-747-0281(朝日新聞朝刊2011年6月24日付記事)

 自分の住んでいる町に、観光スポットなんてない、観光資源、そりゃなんだ、と日々、遠くの観光地に旅したい思いながら暮らしています。

 でも新聞にわが町・春日部市旧庄和町が載ったりします。たぶん近くに住んでいる記者さんの余技なのでしょう。

*左;日経マガジン(日本経済新聞第2部)2011年6月19日号。右;<かすかべウォーク>春日部市役所職員が制作したガイドブック。

*トップの写真は<江戸川沿いの春日部の田園風景、ゆったり日が暮れていく>。春日部の観光地紹介には、ほど遠い日常の風景です。<「しんちゃん」育む田園>と。どういう意味でしょう、そんな風に言われたくない。第一、それは違います。クレヨンしんちゃんの街と春日部市が売り出していますが、旧庄和町は、マンガには不良少女?紅サソリ隊の町として登場します。

 

 それでも昨年一年間に170回もの取材を受けた<観光スポット>があります。春日部市でもっともメディア登場の多い観光エリアです。

首都圏外郭放水路の調圧水槽です。大雨の時に、近隣から水をいったん集める施設です。だから雨の季節でない時には、巨大な空間があって地下神殿のように見えるのです

 水のたまっていない季節には、事前予約すれば、いつでも入ることができますが、平日限定です。

 土日でないと行けない子どもたちのために、夏休みに親子見学会があります。同じ町に住みながら、全国紙・朝日新聞の記事で知りました。かくほどさように、町に住む人にも入ったことのない人はもちろん、あのでかい建物がなにかも知らない人が少なくありません。

 

それでは、わが町旧庄和町夏休み観光ガイドです。

*地下神殿の上は広場です。でかい建物は龍Q館。

 地下神殿は、江戸川堤防のそばにあります。南桜井駅(東武野田線)からブラブラ歩いていくことがいいでしょう。30分ほどでしょうか。江戸川の堤防に広がる景色は、それだけで気持ちが休まります。ここでは、このエリアの樹木を保全し“自然環境”を考えている人たちが、ときどきイベントをしています。7月23日には昆虫観察会があります。

 

 歩いている途中には、庄和総合公園があります。

*建物は、旧庄和町役場。今、図書館と児童館で誰でも立ち寄れます。

*週末は、ピクニックを楽しむファミリーでにぎわっています。

 市外の人に人気なのが、この庄和総合公園でのバーベキューなどピクニックができることです。小さいけれど遊具、人工水辺もあります。<私も、よく孫を連れてきます>、キャッチボール、自転車の練習・・なんでもOKです。

 7月2日(土)には、ここで、春日部おやこ劇場のみなさんが、子どもたち向きに“ながしそうめん”の会をやります。

 

 雨でも降りだしたら、あるいは疲れたら、旧庄和町役場の図書館と児童館があります。むろん児童館はだれでも立ち寄れます。レストランもあって、近くにマクドナルドもありますが、ピクニック・ランチがいいでしょう。

 

【おまけ】

*持ち物;虫とり網、虫かご、筆記具、飲み物。集合;龍Q館入口、受付は9時30分~、申込み;不要。 

*地下神殿では、映画やテレビドラマのロケにもよく使われるようです。私も役場に頼まれて浮浪者の役で出演したことがあります。カメラを意識して迫真の演技をしました。テレビ東京で放映され、ピッタリの役だったよと知人評。


春日部・旧庄和町、ウチの超近所で火事、小火(ぼや)でよかった(2011.6.24)

2011-06-24 23:19:33 | Weblog

 

 今日(6月24日)夕刻、珍しく旧庄和での会議に参加していて、後の飲み会には出ず、ぶらぶら歩いてわが団地に帰り着きました。その時、消防車が何台も接近してきました。

*消防車が来る前、煙っています。

 午後8時頃です。

 周辺空気は、煙い・・・。あっという間に、消防車が取り囲んで、非常線をはられました。

 

 そして間もなく一件落着して、消防車も引き揚げていきました。

 ボヤ程度だったようです。****茶屋さんです。大事でなくよかった。

 

【おまけ=6月25日】

*ボヤって、どういう漢字を書くのだろう、一夜明けて、朝一番に辞書をひきました。小火でした。知らなかった。パソコンの変換でも出てきます。

*4台か5台、消防車が来ているのに、ウチの家人さんは気づかなかったようです。100mもない至近距離なのにです。窓開けっ放しでテレビなし状態なのですが。ちょっと問題です。

 

【追加=6月26日】

*ネットに流れているMSN・産経ニュース

<春日部市では同日午後8時10分ごろ、同市大衾の喫茶店「琴富貴茶屋」から出火、木造モルタル2階建て店舗の1階部分約40平方メートルが焼けた。けが人はいなかった。春日部署によると、同店は午後6時に閉店し、出火当時は無人だった。建物の内部から火が出ており、不審火の可能性は薄いという>

 


観光の新宮市、そこに暮らす、まちづくりには課題が多そう(南紀の旅⑤)(2011.6.23)

2011-06-24 17:18:32 | Weblog

*新宮市、城跡からのぞむ静かな熊野川

 先週、新宮市に2泊する観光旅行をしました。ゆったりした心やすまる旅でした。ただ、新宮市に住む、生活している人にとっては、心やすまるなんて悠長なことは言っておれないかもしれないなとも感じました。
 地方の都市とはいえ、新宮は神代の昔から現在に至るまで、著名な都市だったはずです。それは、私が住んでいる東京郊外はずれの、何もない町の<まちづくり>と同じ課題がありそうだと感じたのです。

 この旅は、梅雨入り後の観光には不向きの季節でした。訪ねた観光スポット2つ3つのいずれの管理人さん、市役所の退職者さん?が暇そうで、問わず語りにお話ししていただいたのです。その暖かさもまた、この旅を気持ちいいものにしてくれました。

 

 中心市街地の空洞化が目に余ります。ほんとにひどい。神代の昔から賑わっていた中心部がシャッター通りになっています。賑やかだったアーケードのある通りは薄暗く人通りがほとんどありません。

 神代の昔から神社の門前町の賑わい、江戸時代からは、熊野の森から流れる熊野川河口に発展した、材木の集散地、製材工場、木炭の集散地、そして明治になると、木材を使う製紙工場が産業の中心だったようです。今、そのにぎわいを感ずることができません。

製紙工場の原材料は、熊野の材木からアラスカなどの輸入材に変わります。1980-90年代に製紙工場(王子製紙、巴川製紙)が閉鎖したようです。

 その製紙工場跡地は、大型スーパー、複合ショップになっているようですが、クルマを持たない旅行者には、その郊外の賑わいを見ることはできず、ただ中心市街地の空洞化ばかりが目立ちます。

 古くからやっている新宮ならではの食事処もみつかりません。

*新宮市の年齢別人口分布;横軸は年齢です。左:20歳からの落ち込みがひどい。緑の線は全国平均。

 

 旅から帰って、ネットで新宮市のことを調べてみました。20代すぎの人口の凹みが目立ちます。みんな都会に出ていっているのでしょうか。まちの発展を担う、若者がいないのです。

*駅前再開発でしょうか。新しい観光スポット<徐福公園>が作られていました。

 新宮市は、“観光立市”を掲げています。観光スポットはたくさんあります。

 でも私らのように、歩き回る“エコツーリズム”旅行者、(ここでは旅にお金をかけないという意味のエコノミ―旅行者)は、新宮市にお金を落としません。それでも、私らは新宮市に2泊しました。

 多くの旅行者は、近隣の白浜温泉や勝浦の大きな観光ホテルに宿泊し、食事もおみやげもホテルですませ、クルマで新宮に立ち寄るだけでしょうか。

 

 列車の窓から眺める海がいいなあ。海と空の間に、なだらかな緑の丘・・・と思っていると、勝浦に近づくと、その緑の上にでっかいホテル。いやだなあ思っても、それは旅行者の感傷です。尾鷲駅を通過する時の海岸に原発?と思った火力発電所? 新宮市のたおやかな熊野川も対岸の三重県側には、大きな工場の煙突です。

 生活する市民には、市のまちづくりには、欠かせない風景なのでしょう。

 

【おまけ】 

 

*新宮一番の観光スポット、熊野速玉神社

*境内にある熊野権現のご神木<なぎ>の木にひかれます。旅発つ者や嫁ぐ娘に、なぎの葉っぱを持たせたといいます。

*<なぎ>の実で作ったなぎ人形を家内安全を思い買いました。

*境内でおばちゃんが、<もうで餅>を立ち売りしていました。夕方店じまいの頃で、試食!いくら食べてもいいよ、と。とても美味しい伝統の<もうで餅>でした。新宮のホテルで食べてしまった。だから写真がありません。

 


春日部市だけ放射線量測定しない。埼玉県40市の中でただひとつです。(2011.6.22)

2011-06-22 11:42:32 | Weblog

*朝日新聞2011年6月22日付。左に、測定している市の測定値が並んでいます。埼玉県東部の市;越谷市0.18、草加市0.19、吉川市0.45、幸手市0.14。

 

 久しぶりに、ローカル春日部市の話題に戻ります。

 このところ、新聞の埼玉面に、埼玉県内の市町独自に実施する、域内の放射線量測定、被ばく基準の制定、あるいは汚染の恐れのある環境の除去、といった福島原発に関わる対応の記事が載っています。

 きわめつけは、今朝(2011年6月21日)の朝日新聞です。

 39市で放射線量測定の見出しです。

 埼玉県が40市であることはよく知っています。ということは、もしかしてと思ったのです。

 そのとおりでした。すでに実施している34市のデータ、今後実施を計画している5市名、そうして<実施しない=春日部市>、堂々と載っています。。

*実施せず=春日部市

 6月市議会で、何人かの市議さんからの質問に、<実施しない>と言明されていたので、驚くことはないのです。ただ埼玉県で、わがまち春日部市だけが実施しないのか、と思ってしまうのです。 

*春日部市は、○のあたりです。

*今は、これだけが公式測定値です。埼玉県0.056【大気中】、0.055【地上1m】。いずれも問題ない値。

 

 埼玉県が発表している“問題なし”でいいのです。

 気にすることはないのです。

 ただ、わが春日部市、旧庄和町は、県の測定地、浦和より、ぐんと福島第一原発に近いのです。

 近所を測定して、安心したいのです。

 子どもさんを学校に通わせるお母さんや、地域の農家さんも安心するでしょう。

 

 測定の条件、方法、機器の性能、仕様により、測定データは一概に信用できないというのも、そのとおりでしょう。そんなことを言ったら、県の測定値、国の測定値も同じことでしょう。それら値が、ほんとに正しい? 埼玉県を代表する測定値? ということになります。

 県も、原発に近いエリアを中心に測定すべきでしょう。そういう働きかけも必要かもしれません。

 

 春日部市が実施しない、というのはひとつの見識でしょう。

 むしろ、その確固とした理由を貫く姿勢は、尊重されるべきかもしれません。

 春日部市は、埼玉県でただひとつだけなのです。

 

【おまけ】

*“子への影響募る不安=放射線量比較的高いとされる地域、記事が同じ紙面に載っています。近隣の吉川市の話です。

*このところ、このブログのアクセス数がグンと上がっています。皆さん、“春日部市の放射線量”“越谷市の放射線量”で検索して入って来るようです。

*一度、このブログに書いておこうと思っていたのは、春日部市内で放射線量測定をし、ネットで公表している人たちのアドレス(URL)です。春日部市の測定値は、次の方が公表しています。他にもあるかもしれません。周辺市町、むしろ江戸川向こうの野田市などのデータも参考になるでしょう。

*横山さんという行政書士さん

http://homepage3.nifty.com/side-mountain/housyasen/index.html

*土屋品子さん(前代議士)

http://www.owls.co.jp/shinako/

*それから、放射能から子どもを守ろう・・・会・春日部というグループもあるようです。

http://blog.goo.ne.jp/kodomo2011/e/7ed01c333543b2a7e7512eba24e3f4fc

に6月10日の春日部市内あちこちの測定値が報告されています。

定期的な定点観測ではないようです。市役所の危機管理室と直接、お話するなどの活動をしているようです。

http://blog.goo.ne.jp/kodomo2011/

 

*皆さん、面識のない人です。私にも、線量計を注文している知人がいますが、昨日あったおりの話によると“まだ送ってこない”でした。

 

【おまけー2;7月23日】

*その後、春日部市は、放射線測定を8月から実施すると発表しています。

 ↓のブログも読んで下さい。

 http://blog.goo.ne.jp/geibunkyou/d/20110707


那智山宮マンダラを片手に2時間の熊野古道ちょっと体験(南紀の旅④)(2011.6.20)

2011-06-20 10:43:01 | Weblog

*初めて見る那智の滝です。

 マンダラは曼荼羅です。精神世界の図解ガイドでしょうか。なかなか言葉で表せない時、図で表すとわかりやすいことがあります。図に書いて考えてみるというのは,今も同じ“できるビジネスマン”の技です。このブログのタイトルでもあります。

*“那智山宮曼荼羅”。右上は那智の滝、下は浜で補陀洛渡海船で海にでて行く話。平安時代の那智山宮参拝ガイドマップです。

 平安時代に作られた熊野に精神のよりどころを求める旅に誘うガイドマップが“那智山宮曼荼羅”です。ワタシも曼荼羅を頼りに、浜(JR那智駅)から山に向かって那智の滝まで2時間ほど歩きました。少しだけ熊野古道体験です。

 まずJR那智駅前にある、浜の宮王子と補陀洛山寺よって古道がスタートです。

 熊野古道には、ところどころに**王子と名付けられた場所があります。古道(ルート)の目印、一里塚のようなものでしょう。今、古い小さな神社や宮跡とか野仏がまつられています。

 浜の宮王子という古社とお寺が神仏習合・社寺一体になった補陀洛山寺(ふだらくさんじ)がありました。裏山には、いわくのありそうな苔むした供養塔や五輪塔が少し傾いています。補陀洛(ふだらく)は、観音浄土です。この地は、老いた僧が南の海の彼方にある観音浄土を目指して船出するところです。自死です。自らの身を犠牲にして人々救う究極の苦行です。

 60歳になった僧侶は、中からは開けられぬ補陀洛渡海船に乗って海に出たのです。平安時代初めから江戸時代中期にかけて行われていたと解説板にありました。

*この船に乗せ外から釘を打ちつけます。本物の船は極楽浄土に向かい残っていません。最近、復元された船が展示されていました。

 古道は、民家集落の間の道であったり、里山といっても、森の中に入ったりしながらゆっくり登っていきます。

 いくつかの供養塔や王子が、往時をしのばせます。そのたびに手を合わせていきます。

 出会う里の人があいさつしてくれます。私らも返します。心豊かな里だな、と感じます。クルマに出合わない道の真ん中を歩きます。

 そうして1時間半ほどして、大門坂にでます。

*ここから大門坂、バス停があります。

 那智の滝観光のバスは、那智の滝すぐ前まで入りますが、少し気持ちに余裕のある人は、定期バスを大門坂でおり、ここから歩きます。ここまで、誰も歩いている人はいませんでしたが、ここから、若い女性の一人旅さんら3グループほどに会いました。

*大門坂途中です。

 大門坂を30分ほど歩いて駐車場に着き、お土産屋が並ぶ参道にでます。かなりの人がいます。もう熊野古道のムードはなく普通の観光地です。

 娑婆に戻ったというか、いつもの俗世間をさすらいます。

*立ち並ぶお土産屋さんのひとつ。那智黒石の店。同行の家人が那智黒の硯を買いました。

*茶屋に立ち寄り葛餅を食べました。ここで初めて那智の滝を遠望します。

*石段の参詣道。右がお茶屋です。

 梅雨入りのシーズンオフ、6月10日の金曜日でしたが観光客がいっぱいの熊野那智大社、隣の青岸渡寺につきました。

*ガイドブックに必ずある写真。ここには“シャッター押します、無料です”という写真屋さんがいました。ここから下って那智の滝に向かいます。そこには“那智御瀧・飛瀧神社”があります。

*見事な瀧です。平安時代から変わらぬ姿でしょう。しばらく見ていました。

 

【おまけ】

*今日のおみやげ

*滝にもう少し近づくためには、100円の拝観料が必要です。入場券がわりに延命御守”(左)をくれました。“延命”はもういらないですね。右は、直径9㎝ほどの小皿。滝の水をすくって飲む用でした。黙ってお皿を持ち帰ったのではありません。お持ち帰り下さいと書いてありました。念のため。

*朝、新宮駅からJRで那智駅に着いたのが9時39分、それから歩いて、帰りは滝前を14時過ぎに出るバスに乗りました。わずか20分程でJR那智駅に戻りました。


新宮の町で、神代上代の昔から祈りが伝わる巨岩を訪ねる(南紀の旅③)(2011.6.18)

2011-06-18 12:19:39 | Weblog

 

 私は、神も仏も信じ、時に一緒に頼りにするノー天気者です。大きな岩とか大きな樹には、神が宿っていると本気に思うし、しめ縄でも巻いてあるともういけません。自然現象は、神の仕業だと思ったりもします。それでいて、この頃、神社に“神がおわします”とあまり感じないのです。

 

 甥(おい)の教会での結婚式のために、新宮に行くことになった時、日本の古代文化が、そこ熊野からスタートしていることを思ったのです。その足跡をみたいと思ったのです。

 それは日本の王の先祖が、“どこからかやってきて”日本を平定支配していくあたりの話です。石器時代、縄文時代、弥生時代という“支配という言葉のない時代”の後、ヤマト王権が確立していく中で生まれた、祈りの文化です。後に日本人を覆っていく仏への信仰(外来宗教)と対比すれば、神への信仰でしょうか。

 ヤマト王権、神武天皇がどこから日本列島の大和(ヤマト)に入っていったのか。その時すでに日本の津々浦々に人が住んでいたでしょう。初めて日本制覇をなしえたのがヤマト王権です。

 南紀、新宮の周辺に、いくつか“上陸の地”があるようです。列車の窓から“ここ”と書いている看板も見ました。後に書かれた古事記や日本書紀あるいは歴史書は、ある意味、いつの世にもある支配者の都合のいい記述でしょう。

 祝詞(ノリト)にある筑紫でも日向からでもいいのですが、瀬戸内海を東に進軍(東征)したというより、どこからか太平洋を黒潮に乗ってやってきて、紀伊半島、熊野灘あたりから上陸という話にロマンを感じます。海上から那智の滝あるいは巨岩を遠望し“神を感じ”、上陸地点を決めたという話が好きです。

*民家の上に神の巨岩

 新宮市内から見える山の中腹に、大きな岩がのぞめます。

 新宮観光の初めに、その大きな岩をめざしました。
もっとも新宮観光パフレットの表紙を飾っていて、観光客は誰でもそうするでしょう。

 山の名前は、神倉山とも権現山とも。岩にはゴトビキ岩の名があって、神倉神社のご神体のようです。

*ここから石段が続きます。

 山の麓、岩の直下、民家のなくなる所に鳥居があります。そこから苔むした石段の道が伸びています。

 ゆっくり、休み休み登り、何分かかったでしょうか、息が上がる頃に大きな岩の前にでます。

 新宮市街の向こうに、太平洋の海原です。

 地元の人ひとりが手を合わせています。祝詞(ノリト)をあげ般若心経を唱えています。

 ワタシは挨拶を交わしたおり、“神=ノリトと仏=般若心経と一緒に、ですか”と声をかけてみました。“権現様だから”と答えてくれ、しばらくお話を聞きました。毎日、このあたり、神域を掃除されているようでした。

 ワタシも、子どものころから覚えている短いノリトを奏上して深く祈りました。まねして般若心経も唱えたかったのですが覚えていません。

 目の前の大海原から、この岩の近くに上陸し熊野川をさかのぼってヤマトに進んだのだと思いたいのです。

 

【おまけ】

*毎朝、おまいりに上る人も少なくないと聞きました。足の弱い老人には、苦労する石段でしょう。濡れた石段は帰り下りの方が苦労します。途中、女坂という道しるべがあって、ためしに回ってみたのですが、狭い山道で、本来の石段の方が楽でした。

*この石段の下りを、白装束の若者が松明を持って競って駆け下りる日があります。〝御灯祭”2月3日です。“山は火の滝 下り龍”と観光パンフレットに書いてあります。新宮は“ハレ”の空気につつまれ、参加する若者には、晴れがましく胸をはる日になるのです。トップランナーは、5,6分で松明を持って駆け降りる聞きました。

*今日のおみやげ。街を歩きながら古めかしそうなおせんべい屋さんに入りました。 

*香梅堂

*鈴焼、神社は鈴です。とても美味しいカステラ風味の鈴焼でした。


観光の新宮、本屋がみつからない、シャッター街なのか新宮(南紀の旅②)(2011.6.16)

2011-06-16 23:43:07 | Weblog

 

 旅に出る時には、かなりガイドブック、今ならインターネットを読んで行きます。新宮市は魅力的な街だなと期待していて、観光スポットもマークしていました。

 お昼過ぎ、特急で新宮駅に着きました。予想に反した駅前、表玄関でした。今では、列車で新宮を訪ねる人はいないのかもしれません。市役所近くに予約しているホテルに歩きながら、食事のできる所を探していたのですがありません。あってもシャッターが下りているのです。

 ホテルで食べるのは味気ないと思って街を歩きます。適当な店がなく、喫茶店でパスタを食べることにしました。小さいお店で混み合っていましたが、常連客さんが席をあけてくれました。

 1000円と書いてある“熊野誌”という雑誌が気になってパラパラめくった後に買いました。“大逆事件100周年記念号”です。それをきっかけに、店のおばさんとしゃべります。喫茶店なのに入り口あたりに、地元の本を置いていて売っているようにも見えていたのです。

*右;熊野誌、大逆事件100周年記念号、熊野地方史研究会・新宮市立図書館、2011.5.1発行。市立図書館がこういう雑誌=研究誌を出し続けていることが素晴らしい。伝統を感じます。今、丁寧に読んでいます。

 

 旅に出れば、必ず古そうな本屋に立ち寄りって“郷土出版”コーナーの本棚を探してきました。出発前に、新宮市ガイドマップに“くまの書房”をみつけ、色鉛筆で印をつけていたのです。パスタを食べに入った店が“くまの書房”でした。数年前に、店のオヤジが亡くなって、本屋(古本屋?)をやめ、喫茶店にしたというのです。店の名は“くまの茶房”でした。ちょっと驚きながら、旅での思わぬ出会いを楽しんだのです。

 書店文化を感じる喫茶店でした。そういう人たちの溜まり場のようでもありました。土地のミニコミ誌やチラシのいくつかが置いてあって、持ち帰ってホテルで眠る前の目を通します。ガイドブックが扱わない、その土地ならではの情報を知るのです。

*くまの茶房

 新宮市に文化の香りを期待していたのです。伝統文化を訪ねることもスケジュールに入れていました。

 

 その後3日間、新宮市にいて、ずいぶん歩いたのですが、ついに本屋が見つからなかった。古本屋も見つからなかった。<ブックオフ>的な大きな看板はあったのですが、頑固なオヤジがやっている、街なかの本屋は、ついに見つからなかった。

 ついでに書けば、通りに人がいない、コンビニを見かけない、セブン・イレブンがないことも珍しかった。

 新宮市は、時間が停まった街になっていました。

 今や、街ににぎわいを失った、シャッター街になっているように感じたのです。ここでも、今日本中にある“中心市街地の空洞化”見せつけられたのです。太古の時代から栄えていて、自慢の観光スポットに事欠かない新宮市なのですが。

 

【おまけ】

*大逆事件に連座され、のちに“新宮グループ”と呼ばれた人たちがいたことを知っていました。処刑された大石誠之助、成石平四郎、のほか4名が獄中で死んでいます。 

*市の中心部にある顕彰碑。右の碑には“志を継ぐ”と記されています。  

*地元のミニコミ紙くまの文化通信2011年3月31日号、大逆事件に連座し処刑された“大石誠之助を名誉市民に”の請願が市議会本会議で不採択になったことを報じています。反対10、賛成7だったようです。

*ワタシの郷里、岡山県井原市には、大逆事件に連座して処刑された森近運平がいて、東京でなく、地方での大逆事件連座者には無関心でいられないのです。


赤ちゃんのいる結婚式に参列した新宮キリスト教会で、広島平和アピールの冊子(2011.6.15)

2011-06-15 23:44:18 | Weblog

 

 先週、甥(おい)の結婚式に参列してきました。

 新宮です。全く行ったことのない南紀です。少々余裕を持って出かけました。いい旅でした。このブログでは、しばらく南紀の旅紀行を書きます。求法の旅、命の洗濯の旅、今日は、その第一回です。 

 雨の季節、激しい雨の日、6月11日。会場は、新宮カトリック教会。

 バージン・ロードをシズシズと進む純白の花嫁、ジューンブライドです。それを迎える花婿。いつもながら、ピュアなシーンです。
 花婿に抱かれている赤ん坊は無垢に眠っています。

 ほぼ一年前、昨年の夏、花婿=甥は父親を突然亡くします。葬儀の日に、今日の花嫁が寄り添っていました。

 赤ん坊を抱いた結婚式に初めて出席しました。何ら問題なしです。

 披露宴、パーティでの、お色直しは、実は授乳だったと後で聞きました。末永い幸運を祈ります。

 

 帰りに、教会の入り口に小冊子を見つけて持ち帰りました。1981年の教皇ヨハネ・パウロ二世の「広島平和アピール」です。

 <戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。この広島の町、この平和記念堂ほど強烈に、この真理を世界に訴えている場所はほかにありません>と書き出しています。その夜、一気に読みました。平和な日々が一番です。

 

【おまけ】

*つ。

*朝6時過ぎにウチを出て、新幹線に乗り、名古屋から特急で新宮に午後1時30分着です。紀伊半島の東側は、全く初めてです。つ・津駅を通過、津市があることは、むろん知っていますが、プラット・ホームにあった<つ>だけの駅名表示板には気分が高揚しました。

 


越谷で開かれた東日本大震災復興支援コンサートに参加(2011.6.13)

2011-06-13 19:55:00 | Weblog

*越谷市立北中学校、午前中のリハーサル

 昨日6月12日(日)です。3月11日の東日本大震災・大津波からちょうど3か月。大震災復興支援コンサート<わたしらにできることコンサート>に出演してきました。会場の越谷市サンシティ・大ホールがほぼいっぱいでした。越谷市の底力を感じました。開場は1時30分。すでに大勢のお客さんが並んでいます。
 4時30分が出演時刻の私らは開場時に、東日本大震災支援の募金箱のある受付の前に立ちます。

 次から次へ、お客さん皆さんが、募金して下さいます。“ありがとうございます”を繰り返していました。

 越谷の人たちは素晴らしい、と思ったのです。

*開場30分前にお客さんが並んでいます。

 スタッフの集合は午前9時。設営、リハーサル。開演2時・・・・・閉演7時、長かったけれど気持ちの充実した一日、コンサートになりました。 

*越谷市立大袋中学校 

*越谷市立北中学校(リハーサルの写真ですが) 

*越谷市立北中学校のステージを舞台袖からのぞきます。 

*この頃、ワタシらスウィング・ベアーズは、本番直前に音合わせです。

 2つの中学校吹奏楽部の見事な演奏を終えて、休憩。  そして社会人バンドのステージが続きます。マンスリー・ジャズ・オーケストラ(越谷市)、私らスウィング・ベアーズ(春日部市)の写真が手元にありません。届いたら掲載するつもりです。

*ドリーム・スイング・キングダム(春日部市) 

*オールスウィング・ジャズ・オーケストラ(越谷市)がオオトリ。

 

【おまけ】 

*フィナーレは、4つのバンドがステージに上がり、“ウオーターメロンマン”を大合奏、“上を向いて歩こう”では、観客席も一緒に大合唱。こうして熱い思いの一日が終わったのです。 

*総合司会・進行役は、みわ・ふーちゃん、むろんトローンボーンでも大活躍、お疲れ様でした。

*主催は、越谷市大袋公民館です。こういう“わたしらにできる”一日を開いて下さったことに、ほんとに感謝です。

 


ウチの自慢の沙羅双樹に、今日ひとつ花が咲きました(2011.6.7)

2011-06-07 23:11:20 | Weblog

 *今年の、1個目の花が咲きました。

 

 閑話休題。ウチの沙羅双樹に、ひとつ花が咲いているのに気が付きました。季節はめぐります。今年も、白い夏椿の季節です。まもなく樹いっぱいに花をつけ、ばたばたと散り落ちます。

*ブッダ生誕の沙羅双樹ほどではありませんが、わが家にすぎたる樹が一本です。

明日から、しばらく、厳しいスケジュールの日が続きます。

 


越谷市、市内156か所で放射線量測定へ。近隣市町も測定を始める(2011.6.6)

2011-06-06 23:57:12 | Weblog

 *越谷市役所発表の3つの記事、①中核市めざし・・②市内計156か所で放射線量測定、③駅前再開発ビル一部取得へ、パスポートセンターや市民活動支援センターとして活用(6月4日付朝日新聞)

 

 3日連続で、隣町の越谷市の話題です。

 6月に入って、朝日新聞の埼玉東部面には、連日、越谷市役所発表の記事が載っています。

 今日は、その新聞記事から引用です。

 他紙は見ていません。日経に、その種のローカル記事はありません。

 

 6月2日付;埼玉県知事方針<放射線量測定を地上1mの高さでも行う>。現在、県がさいたま市で毎日行っている大気中の放射線量の測定は地上18mの所で行い、公表している。

*6月2日付朝日新聞

 6月3日付;越谷市など県南東部6市町(越谷市、草加市、三郷市、八潮市、吉川市、松伏町)は、県内100か所程度で、県が実施する大気中の放射線量測定調査について、地点の細分化や拡充、さらに校庭などの土壌の放射性物質測定の実施を求める要望書を県に提出した。

 吉川市は、6月2日から週1回、簡易測定器を使って小学校や保育所、公園など12か所で地上50㎝での測定を始めた。結果はホームページで発表する予定。

 越谷市と三郷市は、市役所や市消防本部の屋上で測定しているが公表していない。

 草加市は、市役所で定点観測する予定。

 松伏町は、7日から週1回、小学校など11か所での測定を計画。

*6月3日付朝日新聞

 6月4日付;越谷市は、今月から市内の小中学校や保育所、公園など計156か所で大気中の放射線量を測定し、公表すると発表。現在も、簡易測定器を使い市役所屋上で毎日測定しているが、性能の問題などから結果は公表していない。新しい機器が入れば、市役所での測定結果も公表する。

 

【おまけ】

*春日部市で放射線量を調査を行う計画は知りません。近隣市町のデータは、浦和の地上18mのデータより、春日部市の実体値に近いでしょう。

*春日部市内での測定値を毎日公表しているホームページがあります。土屋品子前代議士のホームページです。さすがです。


越谷のコミュニティFM放送立ち上げ間近の動きに期待(2011.6.5)

2011-06-05 23:37:49 | Weblog

 今日も隣町・越谷市の話です。先日、春日部の知人から“こんな話がありますよ”とチラシをもらいました。

 越谷市でコミュニティFM放送を始めようとする人たちの、呼びかけイベントのチラシでした。

 <越谷の新しいまちづくりのための“しかけ”それがコミュニティFMです>と書き出しています。

 

 1970年代あたりだったでしょうか、マスメディア、マスコミと対極の位置の、市民メディア、ミニコミを、市民が持とうという動きが市民活動にありました。ガリ版メディアは盛んに作られました。しかし放送メディアは、お上による放送法、電波法により厳しく規制されていました。いつ頃でしたが、規制緩和に乗ってだったか、電波の出力を制限したサービスエリア限定のコミュニティFM放送が出来るようになったのです。

 一方で現代は、放送法の規制のないで通信の世界で、すなわちインターネット通信の世界で、放送的通信が盛んに、誰でも行える状態が現状です。パソコン一台で誰でも放送局を持てる状況と同じで、動画放送さえできるようです。

 ネットが社会に大きな力になる時代になっているのです。

 

 ですが、<こしがやにFMを!>という呼びかけは、グラッときました。放送なんて新聞と同じオールド・メディアで、今さらですが、日々テレビからラジオに移っているワタシ=オールド・ピープルには、見逃せない話です。
 このイベント、1500人収容の大ホールで入場料1500円でやれるのだから、すでに確立した計画でしょう。ひょっとすると開局記念番組用ビデオ撮りイベントかもしれません。越谷市長さんの挨拶もあって、行政の支援も感じられます。

 日々の超ローカル放送、ご近所放送に期待して、このイベントに行ってみようかなと思っていますが、ダブルブッキング状態すので行けるかなあ。

 

 

日時;2011年7月3日(日)12時開場、13時開会

会場:越谷コミュニティセンター(サンシティ)大ホール

主催;FMこしがや開局準備会

入場料;1500円

プログラム

【第一部】

コミュニティFM放送局「FMこしがや」のアピール

越谷市長あいさつ

講演[コミュニティFMの果たした役割]

1、震災地からのメッセージ“コミュニティFMの果たした役割”(みやこ災害エフエム会長)

2、越谷市におけるコミュニティFMの可能性

【第二部】

市民コンサート;越谷市交響楽団他

 


越谷で6月12日に東日本大震災復興支援コンサート、プログラムが決まる(2011.6.4)

2011-06-04 23:56:31 | Weblog

*越谷から<つながっていこう、東北の皆さん>の力いっぱいのステージを届けます。

 6月12日(日)の本番一週間前の今日(6月4日)、越谷、春日部4つの社会人ビッグバンドが、コンサート・エンディングの合同演奏の練習に集まりました。

*左;舞台総監督さん、右;ふーちゃん。

 合同演奏は、参加バンドのトロンボーンが全員がアドリブソロを回していくWatermelon man、いったい何人がステージに上がるのかわかりません。そしてフィナーレは、会場全体で“♪上を向いて歩こう”の大合唱を東日本大震災被災地に届けます。


*今日の合同演奏練習から。

 

 

6月12日(日)東日本大震災復興支援コンサート

会場は、サンシティ越谷市民ホール 大ホール

入場無料(自由席、整理券は発行しません)

主催は、越谷市大袋公民館

開場は、午後1時30分、開演は、2時、閉演は、おそらく7時過ぎ。

 

 5時間にわたる大コンサートです。

 長いですから、各バンドの出演時刻をお知らせしておきます。

 

14:00 開演

14:00 オープニング・セレモニー

14:10 越谷市立大袋中学校(吹奏楽部)

14:55 越谷市立北中学校(吹奏楽部)

15:50 MONTHLY JAZZ ORCHESTRA(ビッグバンド・ジャズ)越谷市

16:35 SWING BEARS(ビッグバンド・ジャズ)春日部市

17:20 DREAM SWING KINGDOM(ビッグバンド・ジャズ)春日部市

18:05 ALL SWING JAZZ ORCHESTRA(ビッグバンド・ジャズ)越谷市

18:50 合同演奏 フィナーレ、♪上を向いて歩こう

19:10 閉演予定

 

【おまけ】

*このコンサートは、3月20日に予定されていて、東北大震災自粛していたコンサートの拡大復活でした。だから、3月20日に配布予定だったプログラム、幻のプログラムです。今日、もらいました。他のバンドさんの演奏予定だった曲を知ることができます。