*天まであがれ、まこもの馬(右から、第1、2、3、4集)
今日はまだ6月なのに真夏の空です。
夏は、日本中で平和の季節です。春日部でも平和フェスティバルが、今週末に開催されます。もう30年も続いている“平和を考える”夏の集まりです。ここ2,3年、大道具係でやっています。
*今年は、クミコ平和の祈りコンサート(2011年7月2日、春日部市正風館)
30年間、もう最初から関わっている方と、役所の倉庫に、大道具小道具をとりに行きました。そこで見つけたのが、冊子の束です。“庄和町戦争体験記編集委員会”が作った第1集~第4集までの“平和への願いをこめて・天まであがれ”という、なんと15~20年前に作られた文集でした。
1セット4冊を持ち帰り読んでいます。
発行者は、庄和町で、今春日部市旧庄和町です。
第1集;平成3年3月30日発行
第2集;平成4年7月24日発行
*挨拶寄稿 庄和町長 神谷 尚さんと庄和町教育長 関根幸夫さん
第3集;平成5年7月24日発行
第4集;平成8年3月28日発行
*挨拶寄稿 庄和町長 石原 弘さんと庄和町教育長 清水 博さん
一集に30人から40人の人が原稿を寄せられています。明治、大正生まれ、昭和一桁生まれの人です。多くは男性、皆、従軍・戦争での体験記です。一集に4.5人の女性も銃後の生活、体験を書いています。私と同年代の“こどもにもあった戦争”は、4集でわずか2編、いずれも女性です。
各集に何度も書かれている人も少なくなく、長文の原稿を寄せられている人もいます。
この町に35年程暮らしてきましたが、<寝るだけ庄和町の埼玉都民>私ら(たぶん多くの男性町民)には、こういった文集が発行されていたことも知りませんでした。
戦争体験記を書かれた人は、ほとんど知らない人です。
この町は、30年~40年前にベッドタウンとして住宅が売り出されました、その頃、移り住んだのが、私ら新興住民です。戦争体験記を寄せられている人たちのほとんどは、新興住民ではない根っからの庄和町民(南桜井村民)さんです。
そのことを思えば、埼玉県の郡部の小さい村にも、こんなに戦争体験があるのかと感慨を呼びます。
新興住宅地の中心は、田んぼを埋め立てた造成地ではありません。ここにあった軍需工場の跡地なのです。むろんそのことは知ってはいましたが、3集4集に狩野多嘉さんが書かれた軍需工場の、戦時戦後の話が特に興味深かいものでした。
寄稿者の多くは、鬼籍に入られたでしょうか。
まもなく、こういった“伝えるべき言葉”も埋もれ、消えてしまうでしょう。
【おまけ】
*春日部の、旧庄和町で行われてきた、平和フェスティバルは、30年ほど前に、この町の新興住民である若いお母さんの平和の願いと、この町に古くから住んでいる従軍体験者の平和への思いが重なって、両者が協力して開催してきた、ようです。
*この地域の農村集落に古くからある、七夕の願いとか、お盆の鎮魂にお供えされてきた“まこもの馬”を平和フェスティバルのシンボルとして作り飾ってきました。
*近年、平和フェスティバルは、昔、若かったお母さんが中心に運営しています。田んぼの間の用水路に自生する“まこも”を刈り取るのも、大切な仕事です。
*平和フェスティバルの準備に欠かせない“まこも”刈りです(6月16日)。わが町ののどかな風景です。
【おまけー2】
*今日6月29日は、ワタシの戦争記念日です。1945(昭和20)年6月29日未明、岡山市は、米軍の空襲を受けました。ワタシもまた焼け出されました。満3歳の赤ん坊の私にもあった戦争体験です。三つ児の魂百まで、です。その時30歳そこそこの両親は、それからをどう生き抜いていったのだろう、と思うことがあります。