第一回春日部市展には、がっかり(2006.11.30)

2006-11-30 16:43:08 | Weblog

春日部市が主催する絵画・彫刻・工芸・書・写真の分野の公募展が開かれました。私自身に出品できる才能はありませんが、美術を鑑賞するのは大好きです。
町の知人にも、アーティストや日曜画家もいます。この計画が発表された春から、楽しみに待っていたのです。

応募要領に“美術展の展示は、所定の審査を通過した入選作品のみ”と規定されていました。 知人、友人たちが応募出展するのかどうか聞くことにも気がひけ、ただ、どうするのかな、と非常に気になっていました。 “庄和町の人が大勢入選、すなわち展示されているといいな”、と思っていました。

会場は、春日部中央公民館。2階、まず彫刻・工芸の部屋に入りました。
すぐに、家人の友人Mさんの手織物が目に入りました。作品名“真如”、工芸の部で読売新聞さいたま支局賞です。家人も応募を知らなかったこともあって、自分のことのように大喜びでした。彫刻、陶芸の力作を観ていきました。

廊下に展示されている書の前で、会場ボランティアの知人にあい、“観覧者も多くて盛況ですね・・・” とか、話しているうちに、“洋画も写真も全員、100%入選です”と聞いてしまった。 “そんなこと話していいの?”“プログラムに載っていますよ”。

プログラム表紙裏の冒頭に書いてありました。
搬入数/入選者数として引用します。

 日本画;9/7
 洋 画;138/138 (応募者全員入選)
 彫 刻;6/6     (応募者全員入選)
 工 芸;76/66
  書 ;31/28
 写 真;56/56   (応募者全員入選) 

知ってしまったら、絵画展示のギャラリーに入っても、気分はシラケムードです。
“第一回春日部市展 入選作品”の名が泣こうというものです。
他の県や市の公募展の実体は知りませんが、初めてだから、ハードルを低くしたとの説明も、“皆さんそれぞれに、努力され・・・”みたいな講評も、白々しくウソッぱちに思えます。
むろん見事な作品もあります。ちゃんと評価しない春日部市の文化レベルを思ってしまいました。

入選したい、入選できるだろうか、この日々の緊張感があってこそ、いい作品が生まれるのだと思うのです。


“明日に架ける橋”は私にとっても・・・(2006.11.29)

2006-11-29 23:25:54 | Weblog

昨日のブログを読んで、とし若い友人がメールをくれました。
番組のレポーターと同じ,“20代前半世代”です。この歌は、世代をこえて歌われているのだな、と感じます。
“明日に架ける橋”は、その時代の“流行り歌”を超えた歌なのです。
断わらず、私のブログに載せます。

*"I am arock"の入っているLP"Sounds of Silence"

”明日に架ける橋”は、わたしにとっても非常に思い出深い曲です。
サイモン&ガーファンクルを知ったのは、中学1年の秋でした。
初めて聴いた曲が、「I am a rock」でした。英語の先生が授業中に聴かせてくれました。聴いた途端、とりこになりました。配られたプリントには、"♪I am a rock"のところが空白になっていて、ラジカセから流れてくるのを一生懸命聞き取って穴埋めするのです。
中1のわたしには、"♪I am a rock"のところが全然聞き取れなくて、全く内容がわからないまま、「なんていいメロディなんだろう」とものすごく感動したのを今でもよく覚えています。

その年の学校の合唱コンクールで、どこかのクラスが「明日に架ける橋」を歌いました。一度聴いて、またまた心が熱くなるほど感動しました。
"♪悲しいときは あなたの涙 拭かせて~"というフレーズがとても心に残りました。でも、この曲がまさかサイモン&ガーファンクルの曲だったなんて、もっと後になって知りました。そのときは、ただただメロディが気に入って好きになりました。

それからピアノで毎日のように弾きました。弾いていて、指の動きが非常に気持ちのいい曲です。サイモン&ガーファンクルとはそのとき以来の長い付き合いです。

p.s. 「グッモ~ニ~ンッ!ベトナム~」の「What a wonderful world」も穴埋めプリントが出会いの思い出の曲です。他にもダイアナ・ロスとか、その先生は色々聴かせてくれました。
それにしても「I am a rock」とは、暗いです。

 【返信】
I am a rock, I am an island.  私は岩、私は島。
And a rock feels no pain.    岩は痛みを感じない。
And an island never cries.   島は決して泣いたりはしない。

そうですね。でも、人は生き物です。生きています。心を開いてこそ人です。決して岩や島になったらだめ・・・・ですね。閉じこもってはだめですね。




久しぶりに“明日に架ける橋”を聞いて涙(2006.11.28)

2006-11-28 21:20:31 | Weblog

昨夜(27日)、NHK-TVで、“明日に架ける橋”にまつわる話をまとめた番組がありました。ヴィデオを撮りながら見ました。私の60,70年代への郷愁をくすぐる、涙ものの番組でした。

 “Bridge over the troubled water”

この歌、サイモンとガーファンクルの“Bridge over the troubled water” (邦題;明日に架ける橋)のできた69年のアメリカの時代背景、公民権運動、ベトナム戦争抜きにはこの歌は、説明できません。
そして2001年9月11日の米国集中テロ後のテレビ・ラジオ局は、この歌を放送することに自主規制しました。それでも、ポール・サイモンは、追悼コンサート“America;A Tribute Heros”で、あえて歌い、全米、全世界に大きな感動を与えました。

 “America;A Tribute Heros”

そして、その間にあった南アフリカのアパルト・ヘイト(人種隔離政策)への抵抗運動と、この曲を持って隣国でコンサートを開いたポール・サイモンとこの曲の果したもの、を丁寧に描いていました。

この歌と、その時代をずっと一緒に歩いてきた私ら世代と違って、その時代を全く知らない、恐らく20代の女性レポーターの素朴な表情が画面から伝わって、好感の持てる番組になりました。

このレコードを持っていません。サイモンとガーファンクルのレコードは1枚も持っていません。しかし、よく知っていてカラオケでも歌えそうです。私らのバンド、スウィング・ベアーズも時々演奏します。
日本では、どちらかというとメロディに魅かれてヒットしたのかもしれません。しかし、歌の感動は、歌詞抜きには考えられません。

今日、まったく久しぶりに、意識して、詞を読んでみました。
民衆に平和を呼びかける歌だと思ってきたのですが、きわめて個人的な愛への呼びかけの歌、ラブソングのように感じられました。
一人ひとりの愛の結集こそ、平和への希求と言ってしまえば、そうなのでしょうが・・・・。
キャロル・キングの“君の友だち(you have got a friend)”に、特別な思いがある私には、この歌にも涙あふれそうになります。

“Bridge over the troubled water”は、“あなたの前に、荒れる海があるならば、私は、あなたの橋になります”といった意味でしょうが、他のタイトルが浮かんできません。“明日に架ける橋”は、やはり名訳なのでしょうね。

  【おまけ】
*自分の著作物、原稿に、歌詞を載せる時は、著作権上からは2行程度までだと言われています。全文掲載は違反です。ただし日本では、著作権保護は30年ですから、もういいのかもしれません。

「明日に架ける橋」 Bridge Over Troubled Water
 When you're weary, feeling small     君が疲れて、しょげているなら
 When tears are in your eyes,        瞳に涙があふれているなら、
 I will dry them all               僕がすべてふいてあげる
 I'm on your side, when times get rough  君のそばにいるんだ、辛い時だって
 And friends just can't be found.      友達が近くにいなくても
 Like a bridge over troubled water     荒れた海にかかる橋のように
 I will lay me down              僕が体を横たえるから

 When you're down and out         君がうちのめされ
 When you're on the street         道で立ちすくんでいて
 When evening falls so hard         ひどい夕暮れになったら
 I will comfort you               慰めてあげるよ
 I'll take your part               君の代わりになる
 when darkness comes            暗闇が襲い
 And pain is all around             痛みでたまらないなら
 Like a bridge over troubled water     荒れた海にかかる橋のように
 I will lay me down               僕が体を横たえるから


旧庄和町役場を図書館への請願。公式合併文書を読む(2006.11.27)

2006-11-27 19:14:21 | Weblog

先日“2万5000人の署名がもらえた”と聞きました、とブログに紹介したら、別の知人が自身のブログで3万を知らせてくれ、署名活動の努力とそこで得た感動が、“図書館のために少しは役だつかもしれない”と書いていました。
12月春日部市議会のための、議会運営委員会(11月22日)に、“請願書”が提出されたはずです。

教育基本法は、子どもたち教育のためだけの法律ではありません。おとなも含めた日本人のための法律です。そこに“社会教育”があるわけです。おとなもまた、教育を受ける権利があるのです。そして社会教育法に、図書館、博物館そして公民館が規程されています。

 “図書館すらない町・庄和町”でした。町民は図書館を熱望して、役場もそれに応えて、計画をつくり、予算をやりくりして資金(2億円)を貯めてきました。

庄和町が春日部市と合併する時、“役場庁舎を図書館にする”ことが、“唯一の明るい話でした”、役場職員もそのことを前面に出して、合併を説明してきたように思います。

合併後、その話の進展が聞こえてきません。議会での市長の答弁にも、具体的な計画はでてきません。

ついに、町民有志は、“早期実現を求める請願運動”を立ち上げたのです。この運動の際立った特徴は、運動の中心が教育長、教育委員長、教育委員だった人がずらりと並んでいることです。普通の町民有志の請願運動ではありません。 合併を推進した町行政幹部だった人が立ち上がったのだと感じます。
それには、合併時の明確な約束があったからでしょう。そして町民の税金を図書館のためとして貯めてきたものの実際の使途に対して、ある種の責任を思われたからでしょう。

最近、現春日部市役所庄和総合支所長は、庄和地区街づくり審議会(第4回、平成18年10月24日)の中で、合併時の約束について、次のように発言しています。議事録は、ここです。。
 “新市建設計画の中に、総合支所を活用した図書館建設ということが、明記されています。また、旧市長、旧町長の間でも図書館建設は、申し送りされています。”

 【おまけ】

*図書館建設は合併公約に書かれているといわれています。
町民である私は、そのことが書かれている文書を実際に見たことがなく、一度確認しておきたいと思っていました。

*町民、誰でもが読むことのできるインターネット(春日部市役所のWEB)から探してみました。隠しているとは思いませんが、その文書にたどりつくのは、けっこう大変です。そこで、このブログから、すぐ入れるようにしておきます。
確かに、図書館計画にふれていないことはありませんが、いかにも玉虫色に書かれているなあと感じました。他にあるのかもしれません。

*合併協定書は、ここです。
 17年2月6日に春日部市長と庄和町長が協定署名し、埼玉県知事が立会い署名したもの。 
 ・11ページ;24-29社会教育事業の中で、<図書館、図書室については、それぞれ地域の図書館、図書室として新市に引き継ぐとともに、施設の充実を図る。> 
 ・2ページ;財産の取り扱い、の中で<2自治体の所有する財産は、すべて新市に引き継ぐものとする。なお、特定の目的を持った基金については、新市において、その目的に沿って活用する。>

*新市建設計画は、ここです。  
 合併協議会の新市計画の最終版です。 
 ・5地域別整備方針の中の、(2)庄和地域 の中で、<さらに、庄和庁舎を活用した図書館整備により、施設の多目的利用を図ります。>

*合併公約は、ここです。  
 合併公約と称する文書は、図を多用して合併計画を説明したパンフレット様の文書。具体的な、図書館計画は記述していないようです。


庄和町で本を探すには、アマゾンしかないの?(2006.11.26)

2006-11-26 14:02:19 | Weblog

庄和町だけで暮らしていると、本を探すのは至難の技です。もっとも図書館のない庄和町だけの問題ではなさそうです。

本が売れない、本屋さんが売れる雑誌しか置かない、本が買えない、本を読まない、の悪循環を繰り返しているうちに、本屋もインターネットを使うネットショップにとってかわってしまったようです。しっかりネットビジネス屋さんに奪われてしまったのです。

本には、読む楽しみの他に、買う楽しみ、探し見つける楽しみがあります。
本を探す場合、図書館の検索でも、ネット・ショッピングでも、タイトル(書名)を知っている必要があります。これは本を探すということではありません。ただの在庫確認作業です。楽しみを生みません。
ただ最近、ネットの検索は素晴らしく、記事を探していると、古本屋のWEBにぶつかり関連書籍も出てきます。これは便利です。でも買うべきかどうかの、深く苦しい判断=楽しみ、にはつながりません。やはり、手にとっての判断が必要なのです。

しかしリアルの本屋散策では、絶対不可能な、世の中に存在する100%探書を可能にすると思うのです。

私の郷里・西江原藩のキレタ乱心の藩主 関衆利をネットで追っていて、コミック本があることを知りました。コミック(漫画)を読むには、春日部市立図書館は無能です。ネットで探すしかありません。アマゾン、Amazon.com です。ありました。迷わず、お買い上げです。第一巻は、なんと10円(!)で、第二巻は、1,480円です。

*コミック“新・藩翰譜 森一族” 1997年 集英社発行

Amazonに、はまってしまうと危険です。新刊書だけでなく、廃刊本も、古書・古本、むろんCDも扱っています。カード清算を登録していると、どんどん買いそうになります。すぐに届くこともいい。  

 【おまけ】
*このコミック“新・藩翰譜(はんかんふ) 森一族”の紹介記事を転記します。
<十八万六千五百石という外様の大藩であったために、幕府の大藩潰しの標的とされた美作・津山藩森家と、江戸城内の「松の廊下の刃傷沙汰」で取り潰された赤穂藩浅野家。時の権力者・柳沢吉保の策謀に翻弄される両家の姿を、お家再興のために尽力する森長直(注;西江原藩にいた)を軸に描いた歴史コミック。・第1話/元禄お犬小屋普請・第2話/哀しみの大地・第3話/悲劇への序曲・第4話/衆利乱心!!・第5話/決戦!!・第6話/崩壊>

*春日部市立図書館の蔵書検索は、家からでもできます。<ここです>。“クレヨンしんちゃん”が、あるかどうか、ぜひ調べてみてください。私がさっきやった時には、ないとの冷たい返事でした。
春日部市役所、教育委員会があげて、“クレヨンしんちゃんの春日部”と持ちあげているのに置いてないとすると、それでは片手落ちですね。

*正風館へ配達してもらうことも、正風館での返却も OKとのことです。


私は、信州・松本産のギターを弾いてます(2006.11.25)

2006-11-25 21:47:17 | Weblog

今日は、私の使っているギター(写真右)の話しです。
男の子の道具・おもちゃにも、当然ブランドがあります。ブランド志向は、女性だけの話ではありません。ギターにも、ちょっと見せびらかしたくなる“ブランド”ってあるわけですが、弾いてナンボのもんです。腕の方が問われる世界です。

ギターのブランドと言えば、アコースティック・ギター(フォーク)では、マーチン、アコースティック・エレキ・ギター(ジャズ)では、ギブソン、ソリッド・エレキ・ギター(ロック)では、フェンダーです。いずれもアメリカ、Made in USA.です。

私の使っているギターは、Ibanez(アイバニーズ)のアコースティック・エレキ・ギターJP20BSです。JPというのは、Joe Pass(ジョー・パス)モデルです。ジョー・パスさんは、亡くなりましたが渋いしぶーいジャズ・ギタリストです。

決して、音色から選んだわけでは、ありません。ほれ込んだギターでもありません。たまたま買えた値段のギターだったというわけです。20年前で、165,000円でした。今、若者でも持ってる羨ましい米国製のギターは、30万円ぐらい以上です。
だから今のギターは自慢のギターでは、ありません。ギターの腕がそこそこなので、まあ、こんな程度でしょうか。
ただ、20年近く弾いていると、愛着が出てきます。手になじんできます。構造がシンプルで、内臓ギターマイクがひとつだけであることも気に入っています。 このギターは、今は売っていません。だから余計に愛着があるのです。

はじめて買ったギター(上の写真の中)は、TESCOのギター、むろん国産、つぶれてしまった会社の、セミアコースティック・エレキです。40年前で、8500円でした。4月に学校に入って、1回目の奨学金4,5,6月分がまとめて6月に出たとき、すぐに大阪・心斎橋で買ったのです。1962年で、私がまだ、反戦歌とか、プロテスト・ソングの洗礼を受ける前に、かっこいい(その頃こういう言葉は使わなかったですが)、と思って買ったギターです。ギブソンのレスポール・モデルのコピー製品です。いまだに捨てられません。


郷里の岡山県西江原に“隠されていた”秘密(2006.11.24)

2006-11-24 18:09:46 | Weblog

私が育ったのは、岡山県西江原で、広島県に近い所です。とりたてて言うほどものは何もない所です。

半月ほど前に、ブログに、忠臣蔵の赤穂藩浅野家断絶の後、赤穂藩に入ったのが、西江原藩の森家である、と書きました。最近まで、このこと自体を知らなかった。3万石以下の、とるにたりない西江原藩が、なんで赤穂藩に入ることになったのだろうか。
すこし探してみていたら、現代の週刊誌風に書くと、“隠されていたかもしれない秘密”にぶつかりました。

徳川家15人の将軍の中で、もっとも“ひどい将軍”といえば、5代将軍・綱吉でしょう。犬・お犬様を人間より大事にした将軍です。
今の東京・中野あたりに、広大な犬小屋(犬屋敷)を作りました。犬小屋作りを命じられたのが、岡山県北部、美作藩(津山城)の森家です。本能寺で織田信長と討ち死にした、森蘭丸につながる家系です。

徳川家の徹底した外様大名いじめにあったわけです。無理難題、ともかくお金も使わされた。そのときの藩主、4代・森長成は、犬小屋完成の2年後(元禄10年、1697年)に、27才で死にます。子どもがいない。お家は断絶の危機になります。
叔父にあたる、衆利(関家に養子に行っていたから、関衆利、25才)を、再度養子にたてます。 この関衆利は、将軍に挨拶のため、江戸に向う途中、桑名(三重県)で、乱心、臣下を切ったようなのです。すぐに江戸に伝わり、美作藩(18万石)は、森家から没収されるのです。

急きょ藩主に祭り上げられた25才、日頃、重なった幕府への怨念が爆発、いさめた老家臣を切ったのでしょう。まさにキレタのです。

3代藩主・森長武は死去していたが、2代藩主・森長継(88才)は、隠居存命中であった。隠居中の森長継(キレタ関衆利の実父)に西江原2万石が与えられたのです。

江戸で隠居中の森長継は、西江原に行く事はなかったという。
西江原には、キレタ関衆利の兄(森長直)が向う。キレタ関衆利は、西江原藩の屋敷内に、幽閉蟄居させられ、事件の8年後、寛永2年(1705年)に世を去った。33才であったといいます。

今年は、キレタ関衆利の没後300年です。お墓(写真)は、西江原の永祥寺にあります。
私のよく知っている、このお寺のお墓のひとつに、こんな話しがあることは知らなかったのです。

*昭和30年頃の西江原

ひょっとすると、西江原は、ずっとこのことを隠してきたのかもしれません。
この後、西江原藩の森長直が、浅野家断絶の後の赤穂藩に入るのです。 その後、西江原がどうなっていったのか、わかりません。

 【おまけ】
*このお話は、美作藩、津山城、あたりのWEB検索で、知りました。いつになるかわかりませんが、一度、西江原にでかけ、永祥寺のお墓に参ろうと思います。25才で藩を背負うことや、8年間の幽閉生活を思い、墓石に酒をかけ供養したいと思ったりします。


春日部・庄和に2つの大型ショッピングセンターの計画(2006.11.23)

2006-11-23 16:10:37 | Weblog

この秋、春日部駅西口と庄和(町)に2つの大型ショッピングセンターの建設が着工した。
新聞などで発表されている情報を整理してみる。

春日部駅西口の計画は、地上げ・更地化されてから、たぶん10年ぐらいたったでしょう。“県の施設”の計画で、たしか“国際・・・”の名もついていたはずだったが、結局、三井不動産が大型ショッピングセンターを作る。来(2007)年秋にオープン。

庄和地区の16号線・4号線の交差するあたりの計画は、イオンが来る来ると噂されていた計画だろう。金子不動産(春日部市)がイオン・グループを組んで、再来(2008)年秋にオープンする。駅から遠いが、5000台の駐車スペースができる計画。

<春日部駅前(西口)の計画>
 *写真は三井不動産のニュースリリースから
名称(仮称);ララガーデン春日部(ライフスタイルパーク)
完成(開業);2007年秋 
事業主体;三井不動産 
主要テナント;京成ストア(食品スーパー) 
        ユナイテッド・シネマ(9スクリーン・1800席のシネマコンプレックス) 
店舗数;80店 (駐車可能台数;1000台) 
敷地面積;23,000㎡、延床面積;63,000㎡
構造規模;地上6階地下1階建

<庄和地区(下柳)の計画>
名称(仮称);ケーティーインセンス 
完成(開業);2008年秋
事業主体;金子不動産 
業務主体;ダイアモンドシティ(イオン系ショッピングセンター開発会社) 
主要テナント;食品スーパー        
        シネマコンプレックス 
店舗数;250店 (駐車可能台数;5000台) 
敷地面積;145,000㎡、延床面積;200,000㎡ 

 【おまけ】
*日本経済新聞2006年11月2日付朝刊



小春日和、平和宣言都市の庄和町も大安です(2006.11.22)

2006-11-22 13:39:00 | Weblog

旧暦の10月を小春月と言うそうです。つまり、昨日から小春です。
今日の暦は、ケネディ大統領が暗殺された日。私が新聞社に入る半年前(1963年)で、ちょうど選挙速報の応援に狩り出されていた日、終わった夜(日本時間)のことで、よく覚えています。

このところいいお天気、小春日和が続きます。だから私も“いいお天気ですね”的ブログにします。

いつもの散歩コースで、町の看板を撮って、公園に入ります。今が紅葉の盛りか、おしまいか。輝く日を浴びてとてもきれいです。ちいさな子どもたちと一緒のお母さんグループがいくつか。のどか、のどか、座れば眠ってしまいそうなポカポカです。

 

この写真の“ミサイルの砲弾”形の物体は、平和都市宣言のモニュメントなのです。天を突く大きな記念塔は、大都市にまかせて、小さくても平和を願う気持ちにはかわりありません。

庄和町は、昨年10月、春日部市に合併しました。町の花(しょうぶ)も町の木(きんもくせい)も、市に吸収されて消えました。この平和宣言はどうなるのでしょう。町民に、こういう心意気があったことを記憶にとどめておきたいものです。

町役場は、市役所の支所になっています。この町の人たちは、町が持っていた“図書館”計画を続行させるよう、署名運動を行っています。 2万5000人(地区住民数は3万7385人)の署名をえていると、聞きました。とりまとめの11月末まで、あとわずかです。

  【おまけ】

*今日の散歩に、もうひとつ目的がありました。
私の本籍を、この庄和町(今、春日部市)に移す手続きをしようとしたのです。
大阪の枚方市で世帯を持った時は、アパート仮住まい意識だったので出生地の岡山市に籍を作っていたのです。謄本とるのもめんどくさいし、もうこの町を動くこともなかろう(・・・子育てを終わって、都心のマンションに戻る羨ましい知人もいますが・・・)、と籍を移すことにしたのです。

*役場のおネエさんに冷たく言われてしまった。
“奥様の承認の署名とハンコがいります”、“籍をわけるのじゃないのですが・・・”、“だめです!!”。
せっかく大安の日を選んできたのに、とぶつぶつ。

*役場の職員さんの小さな笑い・・・・ひょっとして、顔を知られていたかな・・・と帰り道、マックの前で思いました。 小さな町のことだから、ありえます。


しょうわ町の人たちと、ふれあう“公民館まつり”(2006.11.20)

2006-11-20 12:50:15 | Weblog

おとといと昨日(18、19日)、町の公民館での“おまつり”の中にいました。
子どもの頃、わくわくしていたお宮のお祭りや縁日、“観光みこしの繰り出す”伝統のお祭り、なんて庄和町(今は春日部市の一部)にはありません。

農村地帯に住宅地が開発され、移り住んできた人たちにとって、いや、この町に生まれた世代(もう大人なのです)にとって、公民館で住民が開くイベントが“お祭り”になっているのではないかと、思うのです。そうしたいと思って、けっこう深く関わっているのです。

 町の人たちが、ずっとやってきた、押し花、ちぎり絵、絵手紙、陶芸、書道、和裁、いわば趣味の世界の発表の場であることにはかわりないのですが、アマチュア・しろうと、といっても10年もやっている人たちなのです。“皆さん、見事な作品を出品してくれました”。
ロビーでは、コカリナ・ミニコンサート、フォークダンスに輪ができました。
そして、このまつりの“大人気”は、腕自慢の人がうつ、お蕎麦です。自慢の講釈を聞きながら食べるのは楽しく、いいものです。

町の人たちとたくさんお話をすることができました。“お久しぶりですね”が続きました。2年も信州に町出(家出)し、最近、引きこもり状態だから、しかたないですね。

そして、いくつか、作品をいただいてしまいました。
コーヒーカップの絵手紙が素敵だなと話したら、“コーヒーお好きですか”“ええ大好きです”と会話して、いただくことになったのです。
陶芸サークルの作品販売テントは、大賑わいでした。山のようにあった作品は、土曜中にあらかたなくなったのです。日曜、ほんの少々残ったうちのひとつ、お茶碗(100円の表示)です。うん、素朴さの中にぴんと緊張があって、なかなかいい。高台もきちんとしていて、“和”と彫ってあります。たぶん*子さんの作品でしょう。
そして、アメリカン・フラワーの可愛いツリーとリースは、クリスマスのテーブルを飾るでしょう。

 【おまけ】

*私がいいなあと思った“自然愛好会”の展示です。たぶん江戸川の土手にいっぱいはえている野草を一本、お酒の1合瓶にさしてあるだけなのです。ずらりと並んだ野草瓶を、端から、ゆっくり名前を読みながら見てきました。

*農家の女性たちは、自分たちの作品“野菜”の即売で参加してくれました。
“庄和の土に生きる・トマトクラブ”の、赤と緑のぼりの心意気は、力強く、さわやかでした。


私のアメリカ好きは、教科書“Jack and Betty”から(2006.11.17)

2006-11-17 23:32:33 | Weblog

今日は中学の英語の教科書の話です。
教育基本法が強引に改定されそうだからでもなく、小学校から英語を教えろ(!)論議も関係ありません。先日、ウチの書庫をさすらっていた時に見つけて、ブログ・ネタ切れの時に使おうと思っただけのことです。

中高年、いや高老年が、中学時代に使った英語の教科書は、“ジャック アンド ベティ”だったのです。写真は、私が使った教科書です。昭和29~36年頃に使われたものです。
表紙のボーイ(ジャック・ジョーンズ)とガール(ベティ・スミス)の美しくて、颯爽として、そして親しげな男女の姿をみて、あるいは自動車、芝刈り機のある庭の生活に、私ら日本の中学生の多くは、わが身との大きな違いを感じながら、誰もが素晴らしい国・アメリカに憧れをいだいたのです。

私が大事に、この教科書を持っていたわけではありません。平成4年に復刻出版されたのを買ったのです。この復刻版の付録に、教科書“ジャック アンド ベティ”のシリーズを解説した小冊子がついています。
そこから、昭和24年から始まって、昭和40年頃まで使われていた教科書の表紙を引用しました。およそ56歳以上の人は、ほとんどが“ジャック アンド ベティ、シリーズの教科書を使っていたのです。

昭和38年に、教科書が無償になりました。それに合わせて、それまで学校単位で先生が自由に教科書を選んでいた時代から、教科書統制時代に入っていったと、小冊子は書いています。“ジャック アンド ベティ” を出していた出版社“開隆堂”は、「New Prince」シリーズの教科書に変えていったようです。

その時、日本は、もうアメリカへの憧れの時代ではなくなっていたのかもしれません。
私は、“ジャック アンド ベティ” で英語を習ったどうかで、意識に大きな違い、世代間の意識の違いがあるのではないかと、思うのです。

今ごろ、こんなことを書くからといって、英語の成績が良かったかといえば、それはまた別の話しです。英語って、習うより慣れろかもしれません。私は、アメリカのフォークソングやロックを聞きながら、歌詞が聞きとれていたわけではありません。でも歌詞の意味は、知りたいと思って聞いていました。それが“歌”というものです。 

 <おまけ>

こんな本も読んでいます。日本が、新しい自由と民主主義の国に変わっていく時期に、それにふさわしい英語の教科書を作ろうと、燃えて“ジャック アンド ベティ”を作っていった人たちの話(写真右)です。


息子の土産は、日光金谷ホテルのパンだったが(2006.11.16)

2006-11-16 23:08:44 | Weblog

息子は、旅を仕事にしていて、この季節は毎週出かけています。
昨日は、“おみやげ!”といってパンを出したのです。袋が金谷ホテルになっています。私、“おー、金谷ホテル(!)か、泊まったの?”息子、“いや、お昼によっただけ”と。
私は、日本最古の、このホテルに一度泊まってみたいと思っているのです。いいえ、けっして思っていません。
ランチのパンが美味しかったので、買ってきたのだそうです。

私は、長野のひとり暮らしのせいか、単なるトシのせいか、朝早く眼がさめます。
ひとりコーヒーを炒れ(ほんとうは、入れ)、パンを焼いて食べます。いつもは、ヤオコー(旧庄和町・現春日部市)のパン屋さんの5枚切りの食パンです。そのことを息子は、知っているからでしょう。このパンは、私へのみやげに違いない。
今朝も、ひとりで食べました。 “うん、うまい(!)”。300円だそうです。

 

息子の“名誉のために”に書き加えておきます。
ときどき、その土地らしい、お菓子を買ってきます。300円では買えない和菓子です。たぶん母親のためでしょう。写真は、先日の萩のおみやげです。これがとても美味しかった、らしい。どう美味しかったかをブログに書くのは難しいのです。“夏みかん丸漬・羊羹入り夏柑菓子”と書いてあります。長州屋光国製菓本舗製です。

この頃、家人は、息子にその土地の銘菓情報を吹き込んでいるようです。来週は、福島、そして沖縄の予定らしい。また銘菓情報をお知らせします。


これを買えば、レコードをCDに簡単に変換できるらしい(2006.11.15)

2006-11-15 18:28:57 | Weblog

月に1度の新聞紙をリサイクルに出す日が近づいて来ました。
昔からの習慣で、かなり新聞をスクラップしています。つまり切り抜きをやらねばならない日が来たのです。毎日、赤鉛筆で印をしているのをスクラップするのです。
今日のブログは、その中のひとつです。

全面広告です。
<思い出のレコードが、ワンタッチでCDになる画期的なコンポ、登場>(朝日10月25日付朝刊)

 私らにもあった“青春時代”の夢(あるいは欲望)のひとつに、いいステレオ(オーディオ機器)を持つことがありました。憧れていた超高価な外国製(ブランド物)の機器でレコードを聞けるというだけで、“ジャズ喫茶”に通ったりしていたのです。コーヒーいっぱいで何時間もいました。

LPレコードが当時2,000円でした。今のCDとほとんど変わっていません。当時がいかに高かったかということです。食べるものを削ってレコードを買っていたのです。レコード(音源・ソフト)は、ほとんど持っていないけど、高いステレオ(ハード)を持つなんて若者はいっぱいいたのです。それも青春だったのです。
その点、今の若者の方がはるかに音楽的です。それほど高くないラジカセと携帯プレーヤーで、レンタルCDあるいはネットから、たくさんダビングして聞いているのですから。

さあ、LPレコードが何枚ぐらいあるでしょうか。ちょっと見栄をはって、500枚ぐらいでしょう。単純に100万円です、うん十年分ですからね。それが今死んでいます。むろん、わがオーディオ機器は、セットアップすれば使えます。わが家も住人が少なくなって空間もなんとかなりそうだし、植木鉢の台になってるスピーカーを鳴らしてみるかなあ。
息子が、レコードを聞きたいと、“親を泣かせる”セリフを吐いてくれています。

とはいっても、CDは扱いが簡単だし何度聞いても痛まない。今の時代のために、かねがねLPをCDに変換したいと思っていたのです。しかけが複雑なのは、もういい。簡単なものがほしかったのです。だからこの広告に、“ぐらっ”とくるのです。
とは言っても、62,790円もするし、なかなかふん切りがつかないのですが、こうしてブログを書くことで、決めてしまいそうです。

 <おまけ>
*これは、ものを見ずに買う通信販売ですが、でもTEACの製品だから大丈夫でしょう。TEACって日本のオーディオ・メーカーです。でも。Made in Chainaと表示されていて、OEM 製品かもしれない。危ないなあ。ブランド信仰って、メーカーの名だけ信じて買うのですが、実際は他社が作って名前だけのOEMが多いらしい。

*“アメリカで発売以来、大ヒット!日本では当社だけがお届けします”がちょっと誇大広告の匂いがします。アメリカ・・・に弱いんですね、私ら世代は。

*買った後、秋葉原に半額ぐらいで並んでいたら泣くでしょうね。いや秋葉原って、今そんなラジオ屋街でなく、若い娘がサービスしてくれる<メイド喫茶>街に変わっているらしいですね。

*左;Patagonia、右;L.L.Been

*この町(庄和町、現春日部市)だけで暮らしていると、お店で“魅力的な商品”にぶつかり、衝動買いするチャンスはありません。だから通信販売のダイレクトメールを丁寧に見ることになるのです。


信州ついに雪、七味唐辛子の音楽缶プレーヤー(2006.11.14)

2006-11-14 16:01:27 | Weblog

信州長野は、昨日あたり、雪が舞い始め、周囲の山々が初めて雪化粧しているでしょう。 10日ほど前の新聞に、信州長野、あっと思う記事がありました。

<長野市の善光寺土産として知られる七味唐辛子の老舗「八幡屋礒五郎」が、11月3日、薬味の缶を使った携帯音楽プレーヤー「音楽缶」(写真上)を売り出した。創業は江戸時代中期。伝統のブランドをもっと若者にアピールしようと、県内音響機器メーカーと提携して、3千個を製造した。販売開始日が重なった米アップルコンピュータ「iPodシャッフル」より1000円安い8800円」(朝日新聞2006年11月4日朝刊)>

思わず、ポケットから携帯電話を取り出したのです。
信州大学生にもらった「八幡屋礒五郎」の缶のミニチュアをつけているのです。
このブリキ缶には、唐辛子の図柄と善光寺が描かれていて、ちょっといい。お洒落といえばおしゃれ。この唐辛子の音楽缶は、信州大学生あたりから流行るかもしれない。ひょっとして、信州大学工学部の研究室が関わっているのかもしれません。
大きさ39.5径×66長の円筒形。で、MP3 プレーヤーで、ざっと60曲を聴くことができるそうです。

私に、歩きながら音楽を聞く習慣はありません。それでも男の子の道具です。持っていました。
初めて携帯音楽機器、ソニーのウオークマンが出たのはいつだったのでしょう。すぐに買ったわけでは、ありません。聞くというよりコンサート・ライブを録音する目的の方が強かったのです。だから買ったのは、録音機能付きです。
カセット・テープ時代は、ナショナル・jump RQ-JR4、MD時代は、ソニーのミニディスク・レコーダーMZ-R909を持っていました。いずれもまだ現役です。ライブや練習の時、ギターアンプの上で録音することがあります。

パソコン時代の携帯音楽機器としては、iPodになるんでしょうが、まだそんなに欲しいとは思っていません。
このさい八幡屋礒五郎の唐辛子音楽缶は、どうだろう、いうことになるのですが、“プレーヤー専用”だから・・・・・・。庄和町(現、春日部市)のTSUTAYAでレンタルCDを借りて、パソコン経由で音楽缶に落とすことになります。ちょっといいですね。

クリスマスも近いし、プレゼント向きでしょうね。
長野は、その前に、えびす講(11月23日)の冬の大花火大会があります。この花火大会すごいです。そして寒い寒い冬に入っていくのです。

  【おまけ】

*八幡屋礒五郎の唐辛子音楽缶<ホームページ >から、ネット注文できます。 

*詳しい説明・仕様も載っています。対応OSはWindows XPと2000.128MBのフラッシュメモリー、リチウムポリマー充電池を使用しています。ヘッドホーンは、ネックストラップと一体型です。

*おまけのおまけ; 七味は、“しちみ”でしょうか、“ひちみ”でしょうか。ワード変換上はどちらでしょうか。お試し下さい。ワードは、訛っていると、私は思うのです。


春日部市立図書館・図書廃棄処分の日に(2006.11.12)

2006-11-12 22:32:13 | Weblog

あんまり期待してなくても、こんな時、オープンの10時に行かなきゃ、悔いが残るのです。 5分前ぐらいに着きました。すでに人がずらっと並んでいます。
気持ちが焦っていた時に、“ご苦労様です”と、玄関でつかまってしまった。時々出かける“****市民会議”の教育委員会側のえらい人。わたしゃ、ここでの別のイベントの関係者でもあるのです。首から“関係者”の札をかけられてしまった。 “・・・・・・・・・・”。

それでも目をかすめて、廃棄本のコーナーに走る。“こんにちは”と、図書館ボランティアの知人。“いい本ありましたか”と、元役場で今図書館職員さん。“・・・・・・・・” 。やたらとスーツ姿の知り合いがいるのです。

“大安売り・バーゲン会場”で、ご近所さんとはちあわせした奥様の心境になってしまった。
でもこんなことで、くじけちゃあいけない。5,6冊をゲット。本が少なくなると、また裏から補給するので、いつまでも立ち去れないのです。

落合恵子さんの小説が数冊ありました。
庄和町役場の女性職員たちが正風館で、落合恵子さんの講演会を開いた時、お話が感動的だったこともあって、原稿にしたことがあるのです。以来この種のイベントで、落合恵子さんの本があると、すべて持ち帰っていたのですが、今日はやめ、と言い聞かせていました。

でも、一冊だけ“A列車で行こう”(1985年9月集英社)に手を出してしまった。すでに文庫本を“買って”読んでいたのですが、ハードカバーだったので、ついつい。どうせ読まないのですが。

“A列車で行こう”は、ジャズの名曲中の名曲、” Take the A Train”です。私らのバンドでも、原信夫シャープス&フラッツ、角田健一ビッグバンドらのスタイルで、よく演奏してきました。落合恵子さんの“A列車で行こう”は、軽妙・おしゃれなジャズ小説です。就寝前に、少しめくってみました。ジャズの名曲10曲のそれぞれを主題にした連作です。その中に、この日ジャズ・ディ春日部で、友人バンド・スウィング・キングダムが最後に、豪快に演奏した“セプテンバー・ソング”もあった。小説では、トリオ(コンボ・ジャズ)を組むジャズメンのお話しです。やはり、ビッグバンド・ジャズの方がいいなあ。

この図書館は毎年一回、この時期に図書処分イベントをやるのだそうです。来年もあります。

 【おまけ】
*私にとっては、北杜夫の“人工の星”(昭和56年4月発行、潮出版)の方が、掘り出し物でした。北杜夫の同人雑誌時代のユーモアSF短編集。人工衛星が上がる前の、月に人がいくなんて想像できない時代のSF小説です。ずっと前に一度読んでみたいと思っていたのです。