書かないことが分かっているのに買った日記帳(2007.2.7)

2007-02-07 18:07:59 | Weblog

*案の定、書かない日記帳です。

2月になって、本屋さんTSUTAYA(庄和町/現春日部市)に、年末から残っていた日記帳も、さすがに片付けられてしまった。正月すぎて、“なくなるぞ、片付けられるぞ”と思いながら、売り場をさすらっていましたが、20日すぎに、とうとう買ってしまいました。
新しい日記帳です。三日坊主とかいうのでなく、書かないのはわかっているのに買ってしまったのです。2920円の無駄です。博文館の三年連用当用日記です。
今日2月7日。案の定、まだ一字も書いていません。

この写真は、本箱の隅のすみにある私の日記帳群です。三年連記の日記帳が11冊あります。11×3で、33年分ということです。

*長い人生と思っても、たったのこれだけ。

一番左が最初の昭和41,42,43年版(なんと640円)です。まさに青春中の大阪時代でしっかり書いています。さてその次です。44年の正月に買い損ねて、同じ博文館の日記が買えず、高橋書店の日記にせざるをえなかったのです。そこから3年間ずっと悔やんでいました。

このことがあってから、3年後の更新期には、早めに買ってきたのです。日記なんてだんだん書かなくなっても、それでも買ってきたのです。毎日書かなくても、空白も記録、書く気分でなかったとか、仕事が忙しい日々だったとか、の記録なのです。
それにしても、だんだんと、ここ10年ぐらい全く書かない日記帳です。

一度、昭和65年(1990年)に、家人がいうように無駄だな!と悟って買わなかったのですが、なんか落ち着かなくて、次の年、平成3年(1991)から復活させました。だから1年分が抜けているのです。
今年2007年は更新期なのです。今買っておかなければ・・・とやっぱり買ってしまったのです。

だいたい日記ってなんでしょう。その昔の文学少女(不規則発言ですね!)ならまだしも、です。他人に読まれるのが嫌なものこそ本当の日記です。ブログは日記じゃないでしょう。だから、文学者の死後、日記をほじくり返して、なんだかんだと書く研究者や評論家はいやですね。

そんなことより、私自身ボツボツ、日記を処分しておかなければならない歳が近づいてきそうです。ま、そんな赤裸々に書くことなんて何にもなかった。文学者の人生とはほど遠い日々でした。第一、ほとんど空白で処分の必要もありませんが。

  【おまけ】

* ついでに、リアルな私の研究(!)のためには、いつもポケットにあった手帳の方が意味ありです。警察に押収されれば、いつ誰と会ったなんて秘密もあきらかになるかもしれません。

*右下が、ことし2007年用です。

* ずっと会社がくれる手帳を使っていました。雑誌の記事“できるビジネスマンの手帳術”なんて、ちゃんちゃらおかしい。会社がくれる普通の手帳で十分です。いつもポケットに入っていれば、それ以上のことはありません。

* 初めて並べてみました。上から、70年代、80年代、90年代、2000年代です。よれよれになっている年、手帳にはさんだメモがあふれている年など、思いはいろいろです。今後なんの役にもたちませんが、開くこともないでしょうが、捨てられませんね。

* 現代の“できるビジネスマン”は、すべてモバイルパソコンですましているのでしょうね。日記もそうでしょうか。
年の初めにパソコンのハードディスクを壊してしまった。ここ4,5年のすべてが無くなってしまった。
やはり、手書きのメモ、手帳、そして日記がいいのです。